雑記・雨は降るがままにせよ001
2005.01.16(日)雨 23:30
大晦日の午後三時から始まった仕事にけりがついたのは正月二日の夜だった。
会社帰りの夜九時過ぎ私は一人で海老取川の脇を歩いていた。『「おもしろき こともなき世を おもしろく」「棲みなすものは こころなりけり」』と諳んじながら自問自答していた。(上の句は高杉晋作、下の句は野村望東尼である。)
結局その夜は歩きつかれ、環八沿いでタクシーを拾い帰宅した。
去年の締めくくりは二十八日、京急空港線穴守稲荷駅近くにある居酒屋での極楽宴会で泥酔ノックアウト状態になり終わっていたはずなのに大晦日からの緊急出動に遭遇し、年末年始をまたがる「お仕事」という前代未聞の日々を経験してしまったのである。
数年前、「居心地の良い場所」としていた東急多摩川線矢口渡駅近くの居酒屋「ポポット」が店じまいをしてから、居心地の良い場所を見つけるために漂流をつづけていた私が、ここがそうなのかもしれない、と最近想い始めたのが穴守稲荷駅近くの居酒屋である。
仕事納めの二十八日、事務所で小宴があり、その後ほろ酔い気分で羽田の町(羽田の町=穴守稲荷駅)へ繰り出した。割烹料理屋で飲んでいる時から、居酒屋の若女将に逢わなければ平成十六年は締めくくれないと酔っ払いながら考えていた。割烹料理屋の後、T氏と二人で駅近くに向かった。すでに相当量のアルコールを吸収しているため、酒を飲むというより、若女将の顔を見に行くのが私の目的だったのだが店へ入ると座敷にW氏とS氏が来ているよ、と言われ合同宴会となったのだった。いつの間にか表の看板が消されたらしく、板さん、若女将、若女将の女友達が合流し総勢七人になっていた。そんな年の瀬があった。
「居心地の良い場所」とはどういう所なのか? 数年前、ホームページで狂人日記というタイトルで不定期連載日記を記している時にも同じようなことを書いた記憶がある。
あの時は、何と記したか忘れた。私のパソコンに保存されているはずだから、すぐに閲覧できることなのだが、それだけのことが面倒くさい。
穴守橋から海老取川の川面を見つめている時、あるいは環八の下り坂を歩いている時、またはふれあい通りを歩きながら「どういう場所」なのか? と考える瞬間がある。
ここなのだろうか? と居酒屋の引き戸をあけ中に入る。
分からない。まだ分からない。ここがその場所なのか未だに判断ができない。
一昨日のこと、たまたま武蔵野市在住の三十代女性と話をする機会があった。
その時に言われた。
「あんまり難しい顔していると、周りの人も笑顔を見せなくなっちゃうよ」
「女の子の笑顔を見たいなら自分からニコニコした方が早道よ」
私自身は、普通にしていると思っているのだが、難しいとかつまらない表情をしているらしいのだ。顔の表情のことは、別に最近になって言われたことではなく、ガキの頃から言われ続けられたことでもある。
去年の二十八日はみんな笑顔でアルコールを浴びていた。
「居心地の良い場所」とは自分を含めた周りの人みんなが笑顔で雰囲気を共有できる場所なのかもしれない。
なんとなく分かったような気分にはなれたが、今更というかなんと言うか無理にニコニコするのも、いかがなことかと思える。
「居心地の良い場所うんぬん」が大事なのは分かっちゃーいるが、年度末を向かえた仕事で私の置かれた近況も戦国時代のような乱世を迎えようとしている。(仕事よりも「居心地の良い場所」の方が大事という考えも超いっぱいあるけどさ・・・)
いつまでもアルコールを浴びてばかりはいられない。
本気モードに切り替えて「お仕事」をしなければならない時期が来ている。そう思う今日この頃の私が居る。
あーあー、飲みてーなー。去年の二十八日は遠い昨日になってしまった。クスン。