雑記・雨は降るがままにせよ002
2005.01.17(月)晴 20:46

「雨は降るがままにせよ」


「雑記・雨は降るがままにせよ」のタイトルについて記す。

 七、八年前のこと。本屋で何か読みたいな、と思い本棚を見ながら視線の定まらぬまま見るでもなく、見ないでもなく眺めていた。「あれー、何これ」と思い棚から一冊の分厚い本を取り出していた。『風俗の人たち』というタイトルのハードカバーだった。

 「性は悲しく楽しい。人間は楽しく悲しい。1990年4月〜19997年5月。七年間の性風俗とそこに生きる人たちを見つめた異色のルポルタージュ。矢沢光雄著(定価2,400円プラス税)」と本の帯に書いてあった。

 六十くらいある中の、最終章の物語のタイトルが『雨は降るがままにせよ』というものだった。このタイトルの前に存在する短編のタイトルは『テレクラ』、『幼児プレイ』、『ふんどしパブ』とか『個室割烹』などのように具体的に性風俗嬢の仕事を伝えるために用いられたものだったのに対して最後のものだけは異なっていた。それまでのものとは違い、小説を連想させるような雰囲気をもっているように私には感じ取れた。この話は吉原で働くソープ嬢のルポルタージュなのだが、実在する彼女の物語よりも私にとっては、このタイトルの方が重要であった。


雨は降るがままにせよ、と言ったのはニューヨークからモロッコに安住の地を求め移り住み、その地で妻を亡くした作家のポール・ボウルズである」


 ノンフィクションの物語における文章とか、構成とかは私にとってはどうでも良いことだった。最後に記されたこの一文が全てだった。この最後の一文に惚れてしまったのだ。

 『雨は降るがままにせよ』はポール・ボウルズ(Paul Bowles 1910-1999)の小説『Let It Come Down』の邦訳タイトルである。


 私が『雨は降るがままにせよ』という言葉からイメージするものは、他者に対し「勝手にしやがれ」みたいな絶望的状態に自分が置かれてはいるが、「今にみていやがれ!」のように自分を励ます気持を含んだものだ。

 そんなイメージからこの不定期連載雑記のタイトルを「雑記・雨は降るがままにせよ」と決めた。

万太郎