雑記・雨は降るがままにせよ004
2005.02.04(金)晴 23:23
その女性のことが気になりはじめたのは去年の秋のことだった。
十一月はじめのその日、夕方から胸が締め付けられるような息苦しい内容の打合せをしていた。二十年近く前から公私ともに世話になっている方に無理を言わなければならない自分がそこに居た。お互いが嫌な時間を共有していた。嫌な思いを後に引きずりたくないという気持からなのか、「飲みに行こう」と言われ、打合せは終わった。羽田の街に向かう車内、車を降りてからふれあい通りを歩いている時に仕事の話はしなかった。プライベートなことしか話さない、その心遣いが嬉しかった。
暖簾(のれん)をくぐった先は、その方がヒイキにしている居酒屋だった。奥座敷ではその方の会社の番頭さんが既に待っていた。焼酎を飲み、アジの刺身を食べ、美味いなーと思いながら、さっきまでの嫌な時間から開放されたしあわせを感じていた。その時、焼酎グラスに氷を浮かべた生ビールを持って女の子がやって来た。最初から料理を運んでくれていた女の子である。二十代後半だろうか、そのくらいの年頃に見える子だった。アルバイトなのだろうか、初めて逢う私には分からなかったが、「ああ、どうも」とか言って乾杯した。
「ここは、この子の店なんです。元キャバクラNo.1ですよ」
と番頭さんが紹介してくれた後に「うるせーよ」とぶっきらぼうに彼女が言った。
小さな声だったが、その言葉にビックリしてしまい彼女の顔を見ることが出来なかった。
想像するところ、瞳の奥にはやさしさが隠れているはずである。でなければ言えない言葉だな、と思った。
つづいて番頭さんが私のことを彼女に紹介してくれた。「へー、そうなんだ」などと相槌を打ち、微笑む彼女の顔が、先ほどの「うるせーよ」と対照的すぎた。そういう「ギャップ」が印象的な女性だった。
翌日、私は会社帰りに一人で彼女の居酒屋へ行くことにした。どうしても、あの「ギャップ」というやつが気がかりでならなかったからだ。引き戸を開けると、ビックリした表情の彼女が居た。イチゲンさんと思っていた夕べの客が来たからビックリしたのだろう。
「ああ、万太郎さん」
名前まで覚えていてくれた。人の名前を覚えるのが苦手な私は、記憶力の良さを凄いと思った。客商売は客の名前を覚えるというのが大事なことだから、当たり前といえば当たり前のことなのかもしれないが・・・。
焼酎を一杯、二杯と飲みながら、私は他の客と会話をしている彼女を見ていた。
三杯、四杯と飲んでいるうちに、なんとなく彼女の性格が分かったような気になり、五杯、六杯と進むうちに酔いが回り自分ひとりの世界に入り「ギャップ有りすぎ」と考え込んでしまった。(考え込んでも、酔っ払いに正しい解答など出ないから無駄。)結局、焼酎をひとりで一本空けて、家へ帰って寝た。
翌朝、目覚めた時に夕べは良い酒だった、という楽しい気持で朝を迎えることが出来た。そのことをしあわせと感じたから、また行こうと思った。それからちょくちょく顔を出すようになった。
数週間が過ぎて、分かったことがある。
「ギャップ」なんて言葉を持出して、自分勝手に迷路をさまようことを楽しんでいただけではなかったのかと。楽しんでいたはずの迷路徘徊が、ある日を境に苦痛になってしまった。苦痛の原因は、自分に素直になれないという自分自身への苛立ちからだった。
私はここに飲みに通う自分自身への言い訳のための理由を「ギャップ」などと言って作っていただけなのかもしれない。そんな言い訳のようなものは長つづきせず、新たな理由を求めさまようことになる。迷路の中は楽しむ場所から、苦痛の場所へと変貌する。
だから十二月に入ってしばらくした頃から「勝手にしやがれ、飲みたいから行くだけだ」と言い聞かせるようになった。
そんな日々を経験し、時間は過ぎて行った。
一月のある夜、夢を見た。
かすみ草の花束にかこまれ、しあわせそうにしている彼女がそこに居た。
私は花の名前に詳しい訳でもないし、花言葉も知らない。だけど、好きな花はなんですか? と質問された時は「かすみ草」と答えることにしている。
カーネーションなどにたとえられる女性はひとりでは生きて行けない、脇を飾る人がいなければ輝かない、という弱さがある。かすみ草は違う。脇を飾ることもできるし、単独で花束としてラッピングされた姿は他のどの花よりも美しい。だから好きだ、という思い込みが私にはある。
一度、彼女に聞いてみたいことがある。
「かすみ草の花束を持って行ったら、受取ってもらえますか?」
でも、聞けないだろうなー。
そんなこと口走って「うるせーよ」って言い返されたら落ち込んでしまうから。