米屋日記

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          4/30  れんげ畑にて

 昨日は、練馬の池田屋さん、横浜の佐野屋さんと、ともに、栃木の田悟作さんの田圃へ。

普段では、経験できない、種まきやトラクターの運転など経験させていただいた。れんげ畑に

ゴザをひき、にぎやかな昼飯は最高!れんげの花に大の字に。見上げる空は、ちょっと甘ずぱ

い。くわしくは、後日、米作りレポートにUPします。

          4/27   魚沼バブルと付加価値

  デフレ・米余りの中、魚沼コシヒカリのみが大幅高騰した。

当店は、長年のつきあいある生産者のお陰で値上げしなくて、済んでいる(生産者には大きな誠意と

言う大きな借りができた。)が、在庫がいつまでもあるわけではない。

魚沼米は、高級米のシンボル的存在である。しかし、ヘタをうつと魚沼神話の崩壊始まりかもしれない。

偽物が売れなくなったので、大手スーパーやデパートでは、魚沼米が大幅に値上がりした。

値上がりしても、売れているかというと、売れていないのが現状である。魚沼なら、高くても、美味しい評判

に、なにも考えずに魚沼米買っていた層が、ここまで高騰すれば、ならば一般の新潟コシや他県産の米に

買い換えるだろう。また、扱う小売店も大きく減少しつつあるという。

 魚沼が高騰するのならば、単純に有機米や減農薬米など、付加価値つければ高く売れるという考えが一

部生産者にある。残念ながら甘いと言わざるえない。もはや単なる付加価値だけでは売れない。

なぜ、輸入野菜が、消費者に受けたのだろうか。低価格だけが売れる理由ではない。一番の理由は、そう、

食べてみて、味も香りも国産のとは、あまり変わらないからだ。中国や韓国は、日本人向けのマーケティン

グをしっかり行っている。もし、安全を求めるのならば、日本人好みの安全面そなえた農産物を作るだろう。

また、そのための有機認証なのである。jas有機認証の一番のねらいは、有機農産物を輸入しやすく、販売

しやすくするためにあるのを忘れてはならない。こだわり農産物は日本特有ではない。

 こだわり米を主に販売していた当店が、以上の事を言うのは矛盾している。が、危機感は人一倍ある。当

店も、変わらなければ。

           4/26  息子

 息子(長男)は米屋の息子を誇りに思っている。

小学生の時業で、町中探検?というのが本日あり、息子が10数人の同級生つれて、店に来た。

友達を前にたどたどしく、やや得意気に米の説明をする。玄米・精米・コシヒカリなんだらかんだら。

長男と同級生達が去った後、担任の先生(ものすごく、美人。息子がうらやましい。)が、来て、息子は

学校でも米屋の息子を誇りに思っていると聞かされた。幼稚園の卒園文集に将来は、お父さんのような

米屋さん。と書いてあった。小学校3年生の今でも思っているのは、親として、うれしい。

 もっとも、中学・高校生になれば考えが、変わるかも知れないが。(大学は無理して行かなくていいぞ、

という変な親である。)問題は、息子が継ぐころまで、継ぎたくなる魅力的な店になっていられるか?

いや、それまでに米屋続けていられるのだろうか。弱気なお父さんである。が、ガンバルぞ!。

            4/24  魚沼バブル

 このデフレの時代に。しかも、米余りの時代に、大高騰している米がある。魚沼コシヒカリである。

2月の入札から三ヶ月で、入札価格が約一俵¥17000も値上がりした。入札価格とは、卸しがJA

からの仕入れ価格であり、それに卸しの利益をたした価格が仕入れ値になる。

 今回の高騰の理由は、言わずとも知れたJAS法改正により、ニセ物の魚沼の販売ができなくなり、

大手卸しや量販店が、帳簿合わせのために買いに入ったことである。

 バカを見るのが、今まで、まじめに、まっとうな魚沼米販売していた店である。玄米価格60Kgで

四万円を超えた今、正直言って、当店の販売価格より高くついてしまう。幸い、当店は長年取り引き

のある大和町の井口さんや川口町の間島さんが、価格を押さえていただいているおかげで、値上げし

ないで販売できている。けれど、いつまでも在庫があるわけではない。

(余所から高値の買い込みあるのに、関わらず、断ってまでも、価格据え置いて販売していただいてい

 る生産者には感謝感激である)

 魚沼バブル。はたしてはじけるのだろうか。それとも、しばらくは加熱するのだろうか?

            4/23 jas有機認証米

  jas認証の有機米を取り扱うか、どうか迷っている。

先日、尊敬する平塚の米屋の真壁さんに、秋田県の有機米のあきたこまち30kg¥28000の売り込み

(税別・送料別)があったそうだ。むろん、生産者がjas認証とるための費用や労力・手間を考えると、価格

の批判はここでは、できない。ただ、そんな高いお米、このデフレの時代売れるのだろうか。¥28000の

消費税は、¥1400・送料を仮に¥1000として、¥30400の米である。(当店は全て税込み価格で販

売しているので)全て、精米すると約27kgになる。と、なるとkgの単価は、¥1126。5kgで¥5630。

もちろん、これは、原価であり、販売するには当店の利益ならび税を加えなければならない。

 さらに、小分け認可を取る必要がある。毎年14万円以上の更新料と手続きの大変な手間がかかる。

そうなると、この有機あきたこまちの販売価格は、5kgで¥6000は超える。また、有機米は、作りの

安全性や情報公開はするが、味は保証していない。と、いうより美味しさは問われていない。

 このデフレの時代に、はたしてそんな高価な米は、売れるのだろうか。今、比較的お金に余裕のある

層は、お年寄り世代と、若い独身者である。一番、有機米を食べて欲しい、幼い子供を持つ家庭にとっ

て食費はなるべく抑えている傾向にある。

 秋には、価格の安い海外の有機米が大手商社により輸入販売される。国内の有機米に手をだせない

層は、しかたなく輸入有機米に手を出すだろう。輸入野菜が消費者になんの不安も持たずに売れている

ように。

今度のjas法改正は、表向きは消費者保護。真の目的は農産物の輸入であることを忘れてはならない。

小分け認可なくても、認証受けた生産者の精米は売ることはできる。できるが、販売に迷いがある。

          4/20    日記

 年を取ると(認めたくないが、)月日が立つのが早いという。まさに、その通り、あっと言う間に四月も後半

だ。年の初めの誓いも、なんも進歩のないまま、あっという間に「時」は、通り過ぎて行ってしまった。

「時」は、誰にでも平等に過ぎる。「時」をうまく使うか、ムダに過ごすかで、大成なるか、ならぬかと言う。

 なにもせずに過ごすよりは、マシと日記をつける。日々の暮らし・商いの気づきにしようという、私にとって

珍しく高等なる思い!。思いだけで終わってしまっている。

 実は、日記。高校入学の16才の春から、結婚式前日のの29才の春まで一日も欠かさず大学ノートに

書いていた。約50冊、今は、押入の奥に眠っている。いずれは、処分しなくてはならない。私が死んだ時

二人の息子には、絶対読んでもらいたくない。今でも、父親の威厳もないのに、ますますだ。

ことに、高校時代の日記は。今、流行っている「明日があるさ」の原曲そのもの。今日こそ、毎朝駅出会う

あの子にオハヨウと声かけよう。声かけよう。通りすぎた。明日こそ〜。

青春か。こんな言葉を思うのは、やはり認めたくないけれど立派に?オジンになったのだろう。

 でも、捨てよう、捨てようと思ってもなかなか、踏ん切れない。読み返すこともないのに。

         4/19  ビジネス本

 商売繁盛を夢みて、ついアンチョコにビジネス本に手を出してしまう。内容を確認せずに。本の題名だけで

衝動買い。「あなたの会社が90日で儲かる」「ほったらかしでも、年間3万円で、成功したインターネット」

「口コミ宣伝方法」「犬が教える〜」など、上げたらきりがない。どれも、本代返せ〜と言いたいのばかり。

 「そんな甘いもんじゃない」と先人は言う。「わかちゃ〜いるけれど、やめられない」と植木等は言う。

 ふだん、ここの日記ではエラソ〜に書いている。が、ついつい楽な方に、行くのが今の私。

神だのみならず、ビジネス書だより。ただでさえ少ない自分の小遣いの損を繰り返す。学習能力がない。

 本当のビジネス本の読み方は、本の内容を鵜呑みして読むのでなく、テメェの頭の中で考えてながら

読み、捨てるべき所は捨て、獲物をねらう鷹のように得(徳)探し出し、己の血となり肉とすることである。

良いこと書いてあったなぁ〜で、終わっただけではナンモならない。  

         4/17  ただいま、落ち込み中!

 毎週木曜日10時からNHKの教育テレビで「おこめ」という番組を放送している。子供向けの番組だけれ

ども、なかなか勉強・参考になる。タイマー録画して、夜息子たちと見る。早くも、3代目教育。と、言いたい

けれど、それまで、この店持つかな?。今日も大切な業務用のお客さん。今週一杯で商売をやめるとか。

うわきで取引中止になるのでなく、商売やめてしまうのでは、どうにもならない。頭痛い。落ちこんでしまう。

昨年より、落ち込みぱなしである。

 昔から好きな歌が、昨年よりヒットしている。以前は、曲の名前言っても、ふるくさいと言われていたのに。

坂本九の「明日があるさ」でも、聞こうか?でも、誰かが、「今があるから明日がある」 という。

 毎晩、寝る前に書くこの日記、まとまらなかった。万年さんに、徹底的に修正されてしまったが、土台、

学生時代の国語の通信簿3以上取ったことのない私。うまい文なんて、かけっこないなぁ〜

 このところ、ブル-な気分の日々。いくら趣味で山登りしても、心晴れることはない。

          4/16 本日は筋肉痛。

 何年ぶり二週間続けて、日曜日に山歩きに出かけることができた。のに、本日は筋肉痛。たかが奥多摩

の低山歩いただけで、筋肉痛になるなんて、軟弱な足になってしまったのだろう。情けない。全盛期の頃は

日本二位の標高の北岳を夜行日帰りしたり、丹沢主脈を日帰り縦走しても、なんでもなかったのに。

歳だとは、認めたくはない。もっと、もっと鍛えておかなくては。老いは、足から来るというから。

 2台あった携帯電話も、私があまりにも大事に使う?(机の中に入れ放し)ので、いくら家族割引でも、もっ

たいないので一つは解約に。最初に買った携帯は、妻の物になった。私は、産地見学に行くときに借りてい

くことにしよう。携帯電話買って思ったこと。無くても困らない。ところで、この携帯に無断で宣伝メールが入

る。どこで、調べて送ってくるのか。お金がもったいないので、有料なメールサービスは全て断っているし、

ほとんど携帯電話番号公開していないのに。考えられるのは、購入した店しかない。ここから、番号の情報

流れたのだろうか?私のバソコンのメールは、ケーブル回線なので電話代はかからないけれど、携帯電話

のメールは見るだけで金がかかる。友人・知人のメールならばともかく、くだらない宣伝のメールなんていら

ない。のに、一方的に金取るなんてひどい。携帯電話番号変えると良いと聞く。さっそく変えることにしよう。

ついでに使っているのは妻なんだから、料金は妻が払ってと言いたいけれど、言えない気の弱さ。結局、

買ってから、私が使用したのは、一回だけ。それも、目の前の自宅の電話にテストでかけたのみであった。

 私があまり好きでないカラオケ。つきあいで行くときにオハコの「野風僧」「時代遅れ」。その歌をうたう河島

栄五が、本日亡くなられた。合掌。

           4/14 無題

 わが愛するベィスターズは、予想していた通りの位置にしっかりと落ち着いている。来シーズンを

期待しよっと。もうひとつの隠れファンのロッテは、めずらしく好調である。かって、ロッテの本拠地

川崎球場は、カラ崎球場と呼ばれるほど閑古鳥なく球場であった。また、なんでもありの球場であ

った。外野でギター弾いていたり、恋人とキッスしていたり、なかには、外野の斜面を利用して、流

しソウメンしたりして。今、こんなこと許される球場って、今も昔もこれからも、ないだろうなぁ〜

 しかし、日本のプロ野球も中抜きされ、一部の金持ち球団の独走。つまらなくなった。

2日続けて、米に関係ない話でした。 

              4/13 原付バイク
 
 急な坂道で、おばあちゃんに勝負に挑まれ?完敗したという伝説を作った原付バイクが、とうとう

こわれた。もう15年も使っている。そろそろ寿命か?しかし、今月は二人の息子に自転車に買った

ので金がない。オーバーホールすることに。修理代2万円もかかったけれど、おかげで好調。

 これで、小中学生のチャリンコに負けても、たとえ坂道とはいえ、おばぁちゃんに負けることはない。

やったぜぃ! 

              4/12  セーフガートについて考える

 ご存じの通り、しいたけ・ネギ・イグサのセーフガードが発令された。200日の限定期間だけれども

はたして、この期間、生産者はセーフガード期間が切れたときの対応できるのだろうか。おそらく、で

きないのではないのかな。

 よく、安い輸入野菜が市場に流れると、決まって生産者は、国内の農家は全滅すると言う。たしかに

海外の労働賃金・規模の大きさによる生産性・流通コストの違いは、わかる。でも、理由をそれだけに

するのは、短絡過ぎないではないのだろうか?。国内農業の保護ならび自給率を高めることは、必要

だ。が、単に税金を投入してなんでも保護するのは反対である。

 中ぬきにより、空洞化するのは農産物だけではない。大田区蒲田にくれば、なんでもそろうといった

町工場の町も、今や青色吐息である。全盛期の半分以上が閉鎖または倒産している。当然、農家の

ような手厚い保護はない。セーフガードもない。

 全ての町工場がダメになったわけではない。余所にない職人的技術やオンリーワンの製品を作る、

工場は、日本は、おろか世界中の有名企業からの発注があるという。

 全ての農家を同じように保護するのでく、篤農家と言われる農家と、ただなんとなくの農家とは、差

をつけるべきである。平等という名の不平等は、ぜひやめてもらいたい。

              4/11 日本語は難しい

日本語は難しい。この日記をつけるに、あたって少しでも文を書く修練と思い、また、日頃の自分の観察

力や物の見方の勉強のために書いている。だけれども、どうしても、流れるような文章が書けない。

 万年さんの作文教室が私にとっての教科書である。とくに、句獨点の付け方の付け方が難しい。万年

さんの作文教室の例文から(勝手に引用して、ごめんなさい。)

 警官が血まみれになりながら逃げる殺人犯を追いかけた。

 警官が、血まみれになりながら逃げる殺人犯を追いかけた。

 警官が血まみれになりながら、逃げる殺人犯を追いかけた。

句読点のちがいによって、血まみれになっているのが、警官なのか、犯人なのか異なってしまう。

次の例文は、笑い話として、有名。

 ここではきものをぬいでください。

 ここで、はきものをぬいでください。(ここで履き物を脱いでください。)

 ここでは、きものをぬいでください。(ここでは、着物を脱いでください。)

万年さん、作文教室3を一日も早く期待しいいます。

               4/10 高尾山のおにぎり

 おととい半年ぶりに山歩きした。独身時代は毎週夜行日帰りで山行っていたのに。山行く目的は趣味

の山野草の撮影である。三脚を肩に乗せ、のんびり花を探しながら歩く。頂上が目的でなく、しかも撮影

に時間要するので、いわゆる団体での山歩きなどできない。一人で気楽に行くか、山で知り合った同趣

味の人しか行くことになる。今回は、久しぶりの山歩きなどで、山歩きのリハビリかねて、歩きなれた高

尾山へスミレをに探しに出かけた。もちろん、買ったばかりの携帯電話は家に置いていく。(もっとも、いま

だに普段でも机の中だけれども。)こんなささやかな至福な時を、邪魔されたくない。(妻しか携帯番号知

らないのだから、妻に邪魔されたくないが正解。)

 さて、高尾山は東京都の山として人気のある山であり、人も多い。しかし、けっこう珍しい花が咲くので、

通い続けている山のひとつである。この山行くときの楽しみに、麓の土産屋売っている山菜おにぎり。

価格は¥550。購入して山で、おにぎり包みをとり、パックを開けると、まずたいていの人は驚く。海苔もゴ

マなにもふりかけていない、具も入っていないおにぎりが3つ。(大きさはコンビニのおにぎりと同じくらい)

申し訳ない程度の少量の山菜と、ちいさな梅干し。これで¥550。観光地とはいえ、ずいぶんボルなぁ〜

と思う。

 ところがである。これが、うまいのである。適度な塩味と、それになにより米がうまい。まさに、うまい米は他

になにもいらないとは、このことである。山で食べれば、何でも美味いと、言うかもしれない。が、私は日帰り

で山行くときは、コンビのおにぎりと、ペットボトルの水である。撮影時間や重たいカメラ機材のため、昼食は

いつもシンプル。テメェの遊びのために、日頃、家事や子育てや、趣味のooにいそがしい妻に、朝早く起きて

弁当作ってくれ!と頼む勇気は、私にはない。話しは、ずれたが、いくら山で食べてもコンビニのおにぎりは

美味しくはない。本当になんにも変哲もない、ただのおにぎりなのだけれども、美味いのだ。へたな小細工

もない。米と塩だけのおにぎりなのに。

 このおにぎり、私と同じ思いしている人も多く、高尾山のホームページ作っている人にも、同じ感想をよく

みかける。はじめ、包み開けてみて、そのシンプルさにがっかり、食べて美味くて、びっくりと。

 まさに、うまい米は、おかずがいらないを証明している山菜おにぎり弁当である。(ちなみに山菜は見た目

通り、たいしたことはない。)しかし、あの程度の山歩きで筋肉痛なんて、我ながら情けない。

                 4/9 行列できる?の店

   本日1万ゲットありがとうございました。11ヶ月で1万ゲットできるなんて思いもよりませんでした。

今近所に怪しげな自然食品?のアンテナショップが毎日にぎわしている。健康にいいと言うパンを、タダ

のような価格で販売というより、配りまくっている。説明会を聞くのが条件だそうだ。お年寄りや主婦で、

毎日行列している。けっして安くない家賃を払ってまで、商品を配るわけがない。商売だから、利益を得な

ければならないはず。この店は、2〜3ヶ月で閉め、余所へ移る。宅配の会員を求めるのが目的とか。

 たとえが悪いが、催眠商法というのがある。密室に客を集め、始めに安い、どうでも良い商品を、競争させ

ながら配る。興奮が最高潮になったとき、高級ふとんを売りつけてしまう。町の布団屋さんで買えば、2〜3

万の綿毛布団が、なんと30〜50万で売りつけてしまう、しかも興奮さめないうちにローンを組ませて。

 この店が、そうだとは断定できないけれど、雰囲気は似ている。妙にテンションのたかい店員をみても。

人間タダ(無料)に弱い。が、タダの物ほど後が怖いというが。

       4/5 石川県人の江戸っ子?

 田圃がダムの役割をしている。いわゆる公益効果と呼ばれている。てゃんでぃ!農薬と化学肥料で汚染

された水をためている田圃が、なにが公益効果だ。公損効果じゃないか。と、都会の人間が唱えるならば

簡単に無視していただろう。農村報知新聞のコラムスト太田竜一氏。農家からのあまりにも辛口には、びっ

くり、驚き桃の木だ。おそらく石川県の人と見るが、その歯切れの良さは江戸っ子である。思っていることを

ズバリと。イヤミも感じられない洗練なる文章は、読んでいて気持ちいい。

農家に外形課税を問う。税金あまり払わない農家に、これ以上血税をムダに使ってもいいのか。甘ったれ

ていないかと。

きつい言葉の中にある、だけれども農家という仕事への誇りと自尊心。

 このコラムの反響は、ものすごく多いという。ほとんど竜一氏にエールを送っているという。まだまだ、

日本農家は、芯のある人がたくさんいる。惜しむことは、月一回の連載しかないことである。、

        4/4 日の丸弁当が豪華料理になる日

 かってわが国の繊維や金属加工品などの輸出攻勢に悲鳴をあげた米国は、国産企業保護を目的に輸出

調整やセーフガードや政治的圧力を加えた。歴史は繰り返す。今や、日本の市場をめざし、中国や韓国など

繊維や野菜などを日本に売り込んでいる。日本人好みの味を研究し、育成している。交通の発達は、昨日

中国で採れたダイコンが翌日には、スーパーに並んでいる。しかも、たとえ航空便使用しても、国産の野菜

よりは安い。さらに、最近では有機農法にねらいをさだめつつある。韓国では、アイガモ栽培が盛んだという。

 今、ダイコンやネギなど、見た目はおろか、食味も国産とそう変わらない。この冬の国産野菜の高騰は、か

えって輸入野菜の最高のアピールになってしまった。

 もし、平成米パニックの時の緊急輸入した米が、まともな米であったとしたならば。あのとき、米国産や中

国産は、くず米に近い米であった。お陰で?輸入米のイメージが一般にを悪くした。あれから、数年、タイ米

を除けば、中国産も米国産も豪州産も格別に、日本人の舌に合うようになってきた。マーケティング戦略も

練っている。追い打ちかけるように新JAS法により価格の安い輸入有機米が秋から本格的に出回る。

もし、米までもが野菜と同じように消費者に受け入れられたとしたならば。

 悲観的な生産者が多い。農家が経営基盤が弱くなり、国内の農家が壊滅的にまで追い込まれたとき、

もし、世界規模の大凶作が起きたならば。

 ある未来を描いた漫画に、再び戦後のような農家への買い出しが始まっていた。すでに、お金の価値は

なく、都会の人間は農家に、頭を低く下げ物々交換によって食料を得る。なかには、高級時計のロレックス

と、サツマイモ30本との交換に。また、ある漫画では、昼休みのサラリーマン。一人の社員がさっそうと弁

当を開ける。日の丸弁当だ。それを見る同僚の目には、羨望の輝きが。20xx年、銀シャリの日の丸弁当

は、最高の贅沢品・超豪華料理になっていると。

        4/3 本当に和食は健康に良いっていえるのかなぁ・素朴な疑問

 春は曙。朝起きるのがつらい。もっとも、寝ぼすけの私にとって、一年中朝床を開けるのがつらいのだが。

いつも、ふたりの息子に手荒く起こされる。寝ている私の布団の上に容赦なく乗っかり、飛び跳ねるからだ。

たまらない。顔洗っても、寝ぼけまなこな私は朝刊片手に朝食。ながら族は、子供の教育上良くないという妻

の小言聞きながら。米屋だから朝食は、当然ごはんにみそ汁。パン食は外出の用あるときの日曜日の朝

くらいかな。食べる米は、いつも異なる。たまには、他店の米やスーパーや量販店の米を食べる。ライバル

店の米屋の米は、さすがに本人は買いづらいので、友人に買って来てもらう。食べる前は、どこの米かは、

わざと教えないでもらう。昼飯のごはんは朝ごはんの残りだが、朝と夜のごはんは、いつも異なる。

 さて、米はともかく、最近思うのはみそ汁のみそのこと。国内大豆はわずか1%のみ。ほとんど米国や中国

産。米国産の半分は遺伝組み替え大豆と聞く。はたして、毎日和食は健康にいいと言うが、本当の意味で、

和食と言えるのかな。みそ汁だけでは、ない。納豆も醤油も。野菜だって、最近は旬というものがないし。

 石川の尊敬している源さんに、今度聞いて見ようと。

              4/2  良き田圃と土壌と商人

「田圃の良し悪しは、黄金に輝く稲穂の季節では見分けにくい。しかし、すっかり刈り取られた残り株だけに

なると一目でわかる。良田は、しとしと降り続く秋雨を残さずに吸い込んでしまう。」このたとえは、実際の田

圃の話しよりも、時の経済や流通業界に挿話として流されることが多い。今、日本の経済環境は「黄金に輝く

稲穂の季節」ではない。だからこそ、個々の田圃がわかる時代なのである。今こそ、店舗自体の土壌に手を

入れて良田にする好機と前向きに考えていきたい。

 上記は、私が購読しているメールマガジンの一説である。なるほどと感じた。良き田圃の基本は、言うまで

もなく土作り。元肥づくりや微生物の活性化など、冬の農作業の良し悪しが、来期の作物に大きく影響する。

化学肥料などの速効性にたよってばかりいると、土はボロボロに。良き仕入れ先や情報を集め吸収し、より

分ける。捨てることも大事。基本を大切に、速効性のある美味しい話しは、話し半分と聞く。信用は速効では

できない。天候に左右される、景気に左右されることなく、常に最悪の状態に陥った時の備えを忘れないで

考える。そのうえでの、前向きに行く。単なる脳天気なプラス思考や、いけいけドンドンでは滅びの元であ

る。 昔からのつたえに、農業は連帯を好む。商人は孤独を恐れてはいけない。なまぬるい連帯より、和

して同せず、己の信じる道を行くのみである。商人は摩擦を恐れていては、何もできない。

本日は、気弱な私に活を入れるために書きました。 

              4/1  今日はお休み

 今日から、新jas法から執行される。各店がどのような対応、とくにディスカウント店やドラッグストァを休み

を利用して見に行く予定だったけれど、昨日のみぞれまじりの中の配達したせいか、目覚めたときから頭痛。

結局、お花見にもいい、せっかくの日曜日も一日も家出ることなく過ごした。体を休められたことを思えばいい

休日だったと思うしかないな。

 新jas法が、明日よりどう、この業界を変えていくのだろうか。

          3/29  ぐぁんばれ!ベイスタース゜

 明日から、待望のセーリグ・ペナントレースが始まる。強いチームが、そのまま勝つのなんてつまらない。

ほとんどの主力選手をフォームから育てあげた魅力あるチームである。ぐぁんばれ!ベィスターズ。

それとも、今年も開幕までが、楽しみの大洋ファンで終わってしまうのかな?

          3/28 魚沼コシヒカリ

 魚沼産コシヒカリが暴騰している。入札価格が二ヶ月続いて7000円upである。ふた月で魚沼コシヒカ

リが一俵約1万5千円も値上がりしたのである。理由は、言うまでもなく、来月からのjas法改訂をにらみ、

大手量販店・卸しが実績作りのため、かけこみ需要が増しためである。

 魚沼産コシヒカリは、実際の収穫量の2〜4倍以上流通していると言われている。ブランド名がひとり歩き

し、粗悪なニセ魚沼産コシヒカリがディスカウント店・量販店・ドラッグストァ・米穀店に並んだ。なかには、魚

沼どころか、コシヒカリさえ一粒も入っていない米が不当販売されてきたのも事実である。魚沼の生産者か

ら見れば、せっかく築いきあげたブランドを泥足で踏みつけられるような、悔しい思いをしたのに違いない。

 今度の新jas法の改訂の表向きの目標は、いわゆるニセブランドの追放にある。本物の魚沼コシしか、売

れないことになる。当たり前の話しだが、当たり前が通用しなかったのが、この世界である。

 ただ、魚沼産コシの生産者は、ブランドを守るために、今まで以上の努力と奮起が必要だと思う。価格も高

くなるのは、それだけに厳しい要求を消費者に向けられているのである。また、今まで以上、産地格差の競

争は過激になることだろう。いつまでも、あると思うな、お金と名声である。

 それにしても、今回の暴騰は当店にも、痛いなぁ〜。

           3/27 既得権 2

 政治家と業界団体の結びつきは、言うまでもない。かっては、農林族や郵政族なぞは肩を切って歩い

ていた。ゼネコンや銀行によるおかかえ代議士さえいる。選挙による大量の票と業界団体の利益が一致

し、きつい絆があった。

 中小企業から規制緩和から救うの目的で、昨年酒の免許の自由化が一時遅れた。言うまでもなく、

酒組合の政治家への献金の額は、毎年半端ではない。酒組合は全国で13万の酒小売店が加盟して

いて、99年には9千万円献金している。昨年、自民党の圧力により酒免許自由化の見直しがはかられ

た。この時、友人の酒屋さんは、国会で反対している政党なんていない。なんでも自由化すればいいも

のではない。と、言った。私は心の中で、肝心要の消費者が反対しているよと、思った。

 このときの総選挙では、酒屋規制を守る、中小企業を育てる会の中心メンバーは相次いで落選。

「酒屋の応援で増えたのは数百票、規制緩和に逆行するというイメージは選挙にマイナスだった」と、か

ろじて当選した議員のコメントがある。昨年の長野・栃木県知事選挙。先日の千葉県知事と、無党派

と呼ばれるカゼが吹き荒れている。保守政党は、おろか野党政党さえ拒みつつある。

 既得権を守りたい気持ちは、わかる。しかし、自由化は時の流れである。既得権ばかりにとらわれ、

販売努力を損なえば滅ぶのは当たり前。今の滅びつつある米小売り業界のように。

 自由化による未成年者の酒販売販売を防ごうと、組合は自由化反対の署名を集め出した聞く。しかし、

酒の販売の規制は規制緩和に逆行する反対の署名は、すでに156万人分集めて、自民党などに提出

したそうである。自民党などは、どちらを選ぶのだろうか?。 

            3/26 遺伝子作物

 遺伝子組え作物(以下・遺伝子作物に略)の危なさを以前書いた。今回は、全くの反対の意見である。

たとえば、遺伝子作物により、肝臓病や糖尿病にやさしい米や、アトビーの人のための米などは、現在

研究中であり、一部では試験的段階になってきている。また、米に限らず、薬としての作物。食べること

により、疾患を治し、ガンの予防・ガン細胞の縮小という事も可能になるのかもしれない。

 世界人口が爆発し、世界的に食糧危機に陥るの時間の問題。そして、拡大する砂漠化現象。不毛の

地、厳しい環境でも育つ、遺伝子作物は注目されてもいい。というより、世界的穀物メジャーでは、その

遺伝子作物の厳しい研究競争中である。

今、言うまでもなく技術進歩は、超スピードで動いている。10年前は、誰でも携帯電話持つなんて想像

しなかった。CMでないが、30年前は携帯電話なんて、SFや漫画の世界であった。

10年前のパソコンのハードディスクは、せめて10MG程度。40MGは、高値の華。ウインドス95が出た

ときでさえ、1ギガ程度。今や、ノートでさえ20ギガ。ディスクならば30〜40ギガ。100ギガのパソコンさ

え、それほど高値ではない。

そのうち、誰がどこで作っても美味しい遺伝子作物の米もできるのだろうか?

そうなると、農業とも言えない。職人のいないオートメーション化した工業製品と同じことになるのだろうか?

これは、悪夢と個人的には、思うけれど。世の流れ、農業に携わらない人、関心のない人にとって、はたし

て。書いているうちに、気分がやや憂鬱に。今夜は、ひさしぶりにヴイトルーズのCD聞きながら寝るとしよ

う。せめて、時の流れを感じさせない、ひとときを得るために。

             3/23 デジカメ

このところ、米に関係なく携帯電話やデジタルの話題で恐縮だが、じつはデジカメ買うか、かなり

迷っていた。私なりに、デジカメのカタログや入門書で研究したが、結果、今回は買わないことにし

た。その理由は、私の一番の趣味である写真撮影に関する思いがある。以下は、私の独断と偏

見であり、みなさんにはあまり参考にならない。

まず、デジカメ買って、なにを目的とするか。HP用の撮影ならば、これほど便利なのはない。ただ、

私のHPの要領は、わずかに5MBしかない。限られた枚数しかのせられないのならば、HPの使

用目的だけでは、もったいない。

 第2の理由。画素の問題。今のデジカメでは、せめてA4サイズまで。それ以上伸ばすば、画質は、

当然銀塩35ミリと比べて悪く、また、ノイズの発生もある。今のデジカメの最高画数はソニーの新

製品で600万画像、高級一眼レフサイズさえAPSサイズ程度しかない。銀塩ならば、4つ切りも

それ以上に、引き延ばせ店内に飾ることができる。

35ミリだと、最低でも600万画素。低感度のポジならば1800万画素もある。また、ボジで撮影した

のを、逆にデジタル化するにはフイルムスキャナを使用すれば、かなり解像度の高い画素で保存でき

る。もちろん、ひくい画素にも簡単に変えられ、オリジナルを上書きなどの失敗などで、消してしまうこ

とはない。

第3の理由。バソコン画面で見るのと、実際プリントアウトに差がありすぎること。もちろん、高級プリンタ

ーや高額な専用写真用紙使えば、ハガキサイズまでは問題はない。が、リボンの消費など考えると、コ

スト的には高い。また、銀塩と比べて退色も早いという。写真屋にたのめば、業務用のプリント印刷など

で、家庭用プリンタほよりは、少しはましだけれど。

 第4の理由。デジカメは、すぐその場て゜撮影結果が見られることができる利点がある。銀塩は、ラボに

出さなければ結果がわからず、なかには撮影失敗で、がっかりすることがある。

 しかし、レンジータイプのカメラなどの面白さのひとつとして、現像して、バックのボケの美しさや、ピント

の鮮明差などが、思っていた以上の出来ることがあり、その喜びは、経験した者でなければわからない。

逆に言えば、なかなか思い通りにいかないのも、おもしろさのひとつであり予想以上の出来の喜びがあ

る。とくに、ボジで撮影した場はなおさらである。ルーペーでピントの精度みるのはボジならではのこと。

また、花の撮影における色の忠実な再生は、画素の関係から、いってデジカメの比ではない。

 第5の理由が、デジカメで撮影した大切な思い出が、パソコンのハードのクラシュやその他の理由で、

一度に消えてしまう危険性があること。一度消えてしまったならば、2度と戻らない。もちろん、バックア

ップをCDやMDに撮っておけば問題はないけれど、めんどうである。

 第6の理由がデジカメは、まだまだ発展途上の段階。パソコンと同じで半年もすぎれば、もっと良い新

製品が登場する。それに対して、銀塩カメラは、ほぼ完成状態である。また、個人的の考えでは、長年

使い込むことにより、愛着がわく。持つ喜びがある。私が趣味の山野草に使用している銀塩一眼。それ

もマニャル撮影のキャノンF−1は、すでに20年使用しているけれど、故障もなく酷使にも耐え、愛着あ

ふれるカメラであり、私の大切な相棒である。はたして、サイクルが激しいデジカメに愛着が持てるだろ

うか。

今日は思い切って趣味の世界に入ってしまった。個々で言う銀塩カメラは、従来のネガフィルムやリーバ

サル・ボジフィルム使用のカメラのことである。

           3/22  土地の価格

 土地の価格がこの10年下がっり続けてきたが、都心を中心に値上がりつつあるという。

品川駅は、全国で唯一、地元が運動しないのにJRの都合で新幹線の駅ができる。昔は、なにも

なかった東口に高層ビルがたち、今度新築される高層ビルのマンションは億ションなのに、とぶよ

うに売れているそうだ。

 わが、西大井地区も来月から駅前に高層ビルがたつ。昔からの住人が消えつつあり、貴重なお客

様を引っ越しで失っている。私が住む西大井地区は、駅が出来てから交通の便にめぐまれ、東京駅ま

で、わずか15分。品川駅3分。横浜駅まで20分という立地の良さである。

 土地価格が上がるのは、住む人間にとって良くはない。第一、人がいなくなる。品川区は埋め立て地の

八潮や天王洲除いて人工は減りつつある。小中学校の選択の自由化は、裏を返せば人気のない学校

の廃校が目的である。今度の都議選も品川区は、議員減の区になった。

 駐車料金の値上げも気になる。バブル最高時は、月最高で¥48000。今、やっと\28000まで下が

ったのに。また、固定資産税も上がるし、土地を売るならばともかく、そこに住み商売する身にとって、土

地の値上がりは良くないことである。

        3/21 ケイダンレン

 週間文春のコラムより。

電車の中や公共の場所で、携帯電話のマーナーの悪さに目にあまるものがある。

緊急の内容でないのに、傍若無人に大声で話し、耳障りである。しかし、面と向かって注意を

すると身に危害が及ぶ危険性がある。そこで、携帯電話を絶つ連合。「携断連」を作った。

 秋葉原では、携帯電話防止装置というのが、売られているらしい。この装置は電波法に違反のおそ

れがある。が、微弱電波が一分間ほどて自動的に切れるので、当局は黙認しているらしい。

以下、まわりがあきらかに迷惑しているときのみ使用する携断連の活躍。

 深夜の新幹線が発車してから、携帯電話取りだし若い女性が、今、新幹線に乗ったから〜と、席に

座ってから話しはじめた。10分たっても、しゃべり続けている。周りには寝ている人もいるので、お黙り

(携帯電話防止装置)を押した。居酒屋で、携帯電話に邪魔されないように、地下の店選んだが、両隣

のテーブルでは、若者たちが携帯の通話をエサにして、うるさい!そこで、お黙りにスイッチ押した。

京王電車の優先席で老年のおばさんが大声で、周りの迷惑考えずに大声で携帯電話で話している。

そこで、お黙りにスイッチ。おばさん、やっと電話あきらめた。

 これは、いいなぁ〜と女房に言ったら、携帯使わな言い訳だと。先の携帯電話は、すっかり女房の物

になり、夫に見せられないアドレスが貯まったのか?。今日、家族割引になるといって、新たに一台、

携帯電話を私に強制的に渡された。ちなみに、女房が使用している電話機は7千円。私が使用?のは

1円である。

        3/19 携帯電話・その後

 携帯電話がきらいと宣言していた私だが、実は今月より持っている。正確には、強制的に持たされた。

買う、買うと、言っておきながら、一向に買いに行かない私に、業を癒したか女房が、どこかで契約して

きて携帯電話を黙って渡された。

 ところが、ズボラな性格の私は、普段出歩くのに免許所入りサイフの以外持ち歩かない。時計もすること

もないし、カバンも持たない。関係ないけれど、結婚指輪もつけていたのは、式と披露宴の時だけ。以後は

見たことさえない。(自慢できる話ではない。)時には、サイフさえ忘れて買い物に行くことさえある。

そんな私だから、好きキライは、別にして携帯電話持ち歩かないのは、必然である。(えばることではない)

先日、配達に行っているとき、妻が携帯に電話したが、いつまでもつながらないと文句。つながらない訳だ。

携帯電話は、机の中に大事にしまってある。事実を知って、よけいに怒られた。

携帯電話持ったと言っても、家族以外電話番号公表していない。自分の携帯の電話番号さえ覚えていない。

月一回あるかないかの自由日。休日に妻が子供を連れて実家へ帰る日は、当然携帯電話は、自宅に置いて

出かける。妻以外から、かかって来ないのだから置いていくのに限る。せっかくの自分の休みなのだ。

 仕事終わった後、たまに友と一杯やるときも、当然携帯電話など持っていかない。それじゃ携帯持つ意味な

いと妻は、プンプンだ。たしかに、配達のときなど急用のときの連絡としては必要だと思う。わかちゃいるけれ

ど、持ち忘れるというヤツだ。だいたい外歩いていて、急に着信音鳴るなんて小心者の私の心臓に良くない。

パソコンのメールならば相手の時間など関係なく打てるし、自分の好きなときに読めるで私向きでなのだが。

最近は携帯電話は、すっかりというか、予想どおりというべきか、妻の専用になりつつある。なのに、なぜ

俺が通話料金払うのだろう。

         3/17  無洗米の問題点

無洗米は、環境に優しい米(とぎ汁による河川や湖沼の汚染)を謳い文句にしているが、実際は怪しいも

のである。これについて、米MLに参加している府中の小澤米店さんから興味あるコメントをいただいた。

 まず、河川の汚れ。つまり生活排水による汚染であるが、下水道が完備処理が完備してある地区では

高度の下水処置により問題は少ない。それでもあえて、下水道が完備されていなく、直接河川や湖沼に

生活排水が流れる問題点を言えば、合成洗剤やトイレの排水の方が問題が大きい。

 それよりも、問題が大きいのは、無洗米のため処理されたヌカは、再利用が不可。つまり完全なる産業

廃棄物なのである。ふつう、米ぬかは、ぬかみそや漬け物、タケノコ煮に、あるいは健康食品として、畑の

肥料として有効であり、使い道が工夫次第でいくらでもある。そして、一番ヌカを利用するのが飼料用やキ

ノコ栽培においてだ。ところが、無洗米におけるヌカは、無洗米を作る課程、水荒いやヌカでヌカを削るため

水分が多く、また粒状になるため使い道がないそうである。つまり、リサイクルできない産業廃棄物なので

ある。これが、環境にやさしいお米なのだろうか。

    3/16  規制緩和

 定価販売が当たり前であった数すくない商品の新刊本が、今日から価格を店が自由に決められること

になった。規制緩和はついに、再販制度さえもくずしつつある。定価販売は、新聞とたばこのみになった。

       3/14 居心地

 「いつまでも、居心地の良いところにとどまっているのだ。それでは、世界をめざせない」これは、人気

TV番組「ガチンコ」の中で、ボクサーをめざすに、ツッパリに元世界チャンピオンのコーチが言ったセリフ

である。

この言葉は、私にとっても心痛い。変わらないのが、一番楽である。自分の世界にとどまっている方が、

楽である。あえて、火の中の栗を拾うことなく、人づきあいも、嫌われないよう、自分をあえて殺す。つまら

ない人生かも知れないけれど、幸せならばいいのかも知れない。しかし、今、自分のおかれた環境。米業

界。こんな悠長な事言っていたならば、滅びていくだけ。滅びるいいわけを時代の性にしたくはない。

 頭に来るCMだけれど、「東大出ってから、学歴関係ないね」と言ってみたいという予備校のCM。

 「不景気なんて、関係ないね。用はやり方ひとつよ。」と、繁盛店になって、こんなセリフ言いたい。

        3/13 新jas法の問題点 2

 今度の新jas法のなかに、一部食管制度に逆行する制度がある。県の銘柄の指定を受けない品種は

検査さえも受けられない。検査受けられないことは、未検査米となり、産地や品種名を表記することはで

きない。たとえば、石川県でキララを栽培しても、検査受け付けてもらえないのだから、未検査米。ただの

米ということになってしまうのだ。コシヒカリやまたはその子供や孫だらけの国内の米づくりに、新たに、独

自の米を栽培しようとする篤農家のやる気を奪うようなものである。米農家には、作る自由も、米を選ぶ自

由もない。同一的にまとめようとする役人根性が生んだ悪法では、ないのだろうか。  

         3/12 東京ディズニーランド

 昨日は家族サービスの一日。東京ディズニーランドへ行く。毎年、独身の弟が夕飯ごちになるお礼

にと、律儀にパスポート券をプレゼントしてくれる。女房・子供は大喜び。私は、顔で笑って腹で、憂鬱。

入場するのに、40分もかかり、アトラクション乗るのに最低1時間待たねばならない。ポプコーン買うの

にさえ、30分も並んで買うなんて。

 全国のテーマーパークは。ほとんど赤字。とくに自治体がらみのテーマパークは、多大なる税金のむだ

使いになりつつある。しかし、ここだけは、いつ行って満員。人気ある。女房は、夢があるからと、すっかり

デズニィーの戦略にのせられている。いっそう、全国のテーマパックはデズニィーに請け負ってもらったら

いいのに。(無理だな。)

 デズニィーなんて、一度行けばたくさん。どこが面白いなんて思うのは、私がオヤジだからだろうか?

もっとも、女房や子供でなくて、一緒に行く相手が、オット失言。子供が、また連れて行けとうるさい。

       3/10 デフレ

 世間は、戦後経験のしたことのないデフレの世の中である。この先へのなんとなく不安症候群による、

買い控えによる消費不況。物が売れないから物価が下がり、会社の利益が減り、リストラによる人員

整理、解雇。倒産企業の増加。株の暴落3月危機説が流れている。今現在、現実になりつつある。

やがってくるのは、増税とハイパーインフレ。歴史は繰り返すと言うけれど。

 価格競争に陥った外食産業。納入業者の悲鳴が一段と高くなってきた。あまりにも、無理な要求は

コスト減につながり、安全確保・基準が甘くなる。昨年の雪印の背景には、あまりにも量販店の価格

追求がある。このままだと、第2の雪印問題が起きるのではないのだろうか。

        3/9 マルチ商法・良いマルチ販売なんてあるわけない。

 ときどき、掲示板にマルチ、あるいはマルチまがい、ねずみ講のような誘いを書かれている。なかには、

オーナー書き込み許可ありがとうございます。なんて書いてある。ふざけるな。見つけ次第、即消してい

る。が、くれぐれも甘い言葉に誘われないように。

 以前、高校時代の級友に呼び出されたことがある。そんなに、親しくはしていなかったのに。行ってみる

と、マルチまがいの大手、長野オリンピックのスポンサーにもなり物議かもした有名なア000ィ社。いろい

ろ熱心に儲かるから代理店になれと。私が、そんなに儲かるならば人に教えない。自分一人でやる。だい

いち、代理店。競争相手ばかり増やしてどうするんやと、反論したら、黙ってしまった。

 その後、愛とか、協調とか、プラス思考とか、あるいは最近ますますオカルトぽいエセ経営コンサルトF氏

の話が続いたが、アホかといって席を立つ。マルチまがい、良いマルチなんて、あるはずはない。

くれぐれも、騙されないように。 

         3/8 新JAS法の問題点

 本日9000ゲットありがとうございました。

 いよいよ新JAS法が来月より執行される。罰則を含む厳しい制度であるが、受け止め方はかなり温度差

がある。また、認知度も今ひとつである。米業界は、個々にきて各種の勉強会など情報が流れてきている

が、それでも、あえて無関心をよそおう者。本当に無関心な者。今だに組合たよりの人様々である。

 このさい、やる気のない、いいかげんな米屋やなんでも組合派の米屋はつぶれて欲しいものである。

 生産者のHPを見ても、いまだに有機の認証がないのに有機の表現使用しているのが多い。もちろん、

米もそうだけれども、野菜や果樹などは、なおさらである。最近、ある農家のMLに入り、新JAS法の対応

を米以外の農家に聞いてみたところ、逆にJAS法とは、なにかと聞かれてしまった。なかには、農薬を使用

しない農作物イコール有機農産物と勘違いしていられる方が多い。昨年の今頃の話ならともかく、来月執行

される政策にあまりにも無関心すぎるのでは、ないのだろうか。たとえば、今度のJAS法では生産地を明記

しなくてはならない。スーパーやデーパートなど量販店では、さすがにOO県トマトとポップに書いてあるけれど

町の商店街の八百屋・肉屋・魚屋は以前価格のみしか書いていない。

 新JAS法は有機認証だけではない。が、あまりにも、とくに売り手側の認知が低すぎないのではないだろう

か。

          3/7 読書

  今年になって読んだ本で推薦する本は三つ。ひとつは、ベストセーラーになっている「チーズはどこへ消

えた」スペンサー・ジョンソン著・扶桑社。司馬遼太郎「この国のかたち」文春文庫。「勝ち抜く大人の勉強

法」中山治著・洋泉社である。とくに、勝ち抜く大人の勉強法は一読を勧める。内容はあえて書かない。

 昔から本好きで、ほとんど乱読である。たばこもギャンブルもやらないが、(酒は大好き)小遣いは貯ま

らないのは本代に消えているからである。もちろん買って損をしたと思う本の方が多いけれど。

ただ、本を読み終えるのでなく、行動の原点にしたい。言うのは、たやすいのだけれど。

         3/6   家電メーカーと輸入野菜

 お隣の韓国に家電の輸出が相当伸び、とくに高品質の高級品の伸びがいちじるしい。

いくら輸入野菜のセーフティガードを叫んでみても、国内野菜農家の保護を唱えても、表向きは消費者保護

選択の自由と言っておきながら、陰には家電メーカーの輸出戦略を見逃してはならない。韓国への輸出増え

る分の見返りとして、野菜など農産物の輸入を求めてくるのは、あきらかであり、無視すれば不平等と相手国

から非難されるのは言うまでもない。以前、欧州の家電とワインの関係をのべた。日本の家電の進出にきれ

た欧州は窓口となる港を一カ所の小さな港のみにし、事実的に輸出量を制約した。これに、懲りて欧州のワ

インを輸入し国内にワインブームを意図的に作りだしのである。

 国産農家が、いくら安全・おいしさをアピール。また、国内野菜農家の重要性を唱えても、戦う相手がちが

う。戦う相手は輸出国の野菜農家ではない。国内の家電メーカーなのである。その家電メーカーは、税金を

たくさん払ってくれる。それに対して農家は、あまり税金を払っていない。ただでさえ、財政難の政府は、は

たしてどちらの意見を聞くだろうか。農村報知新聞のコラムニストの太田竜一が唱える「農家はもっと税金

を払って政府に注文をつけよう(農家に外形課税を、より)」。まさに正論である。

            3/5   この国のかたち

 商人にとって政治と宗教の話はタブーである。だから、あえてこの国の総理の事は言わない。

ただ、マスコミのこわさ。これを商店にたとえれば、ご近所の口コミのおそろしさ(逆にとれば有利)に通じる。

いいうわさ3に対して悪いうわさ7と言う割合で、広がるそうである。気をつけなくては。

 良い、悪いは別として、あそこまでたたかれて、平然といられるタフさは、さすがは大物である。普通の

人間ならばうつ病になってしまうだろう。すごい。これだけは、尊敬できる。

 森総理を支持するわけでも、批判するわけでもない。ただ、マスコミ、とくに新聞などか、正義ぶって世論を

作り上げているような感じがしてならない。本当のことを知りたければ、他国の新聞、TVニュースを見ろと。

情報は、一方通行だと思いこむという悪い方向に行く。いろいろ見方を変え、多方面から情報を集めて、正し

く己の頭でじっくりこなし、また、人と議論をして、考えていかなくては。

 司馬遼太郎の「この国のかたち」に、日露戦争に勝利したときから、太平洋戦争の悲劇が始まったと。くわ

しくは本を読んで欲しい。大衆に裏に隠れている真実よりも大衆受けをねらう表面的な報道しかしないマス

コミ。すでに、大国ロシアに戦う戦力なく、勝っているうちに条約を結びたい政府に対して、当時の新聞(国

民新聞意外は)戦争に勝ったのだからシベリアの半分もらってこいの論調であった。ぎりぎり妥協結んだ政

府に対して、マスコミは批判して、やがって大暴動に発展する。

 話が脱線した。森総理とは、次元が異なるかもしれないけれど、マスコミをそのまま、鵜呑みするのは、や

めたい。

     司馬遼太郎の「この国のかたち」は、ぜひ一読することをお勧めます。

            3/3 オヤジの好きな歌?

  ひな祭りは下の息子の誕生日。女の子だったら良い日に生まれたと言えるのだが。

自分ではオヤジと呼ばれる世代ではないぞと思いながら、現実は甘くない。夜のTV番組でオヤジの好き

な歌、ベスト10を紹介。神田川(かぐや姫)22才の別れ(かぐや姫)友よ(高石)結婚しようよ(拓郎)なご

り雪(イルカ)遠い世界に(五つの赤い風船)白いブランコ(ビリーバンバン)いちご白書をもう一度(?)

精楼ながし(さだまさし)落陽(拓郎・山田パンダ)。う〜ん。すべて当てはまった。今の流行りの歌は、覚

えられない。ウタダヒカル・モー娘。やっぱりオヤジだ。と、いってコテコテの演歌は苦手だ。趣味じゃない。

つまり、われわれオヤジの演歌が、いわゆるフォークソングと言われたものなのだろうか。メロディーが、比

較的に単純で、英語も少ない。一度聞けば心に覚え歌いやすい。ベスト10に付け加えれば、時代(中島み

ゆき)ヒロー(甲斐バンド)南回帰線(堀内)案山子(さだまさし)野風僧(河内)のんびり行こう(マイク真木)

花嫁(はしだのりひこと)若かったなぁ〜。俺も、あの娘は今何しているぞ?上を向いて歩こう・スーダラ節

しゃぼん玉ホリディ・ひょこりひうたん島・ウルトラQ・鉄腕アトムに鉄人28号・隠密剣士・ナショナルキッドに

少年ジェット。勇気だ〜力だ〜その名は少年ジェット!ゆ〜やぁ、タァ〜と、歌っていたならば、となりで奥さ

ん。白い目で一言「オヤジ」

           3/2  アサヒ本ナマ

  夜、なじみの酒屋へビールを買いに行く。店主が問屋のご用聞きにアサヒの発泡酒の仕入れ数が少な

すぎると文句を言っていた。新発売のアサヒ本ナマのことだ。問屋は、アサヒ本社自体が最初の製造数量

の見通しが悪かったと。若い店主は、納得せず、コンビニに流れているのでは、と怒っていた。

 コンビニに行ってみた。業界No1のコンビニチエーンに。こちらはビールの入っている冷蔵庫の一番目立

つ棚をしかも上下、アサヒ本ナマが占領しいてる。モルツやエビスは、すみに追いやられて探すのも大変だ。

さらにレジ近くのスペースにもアサヒ本ナマの山がある。

 翌日、酒のディスカウント店へ。ちょうど仕入れが入ったのか、アサヒ本ナマの箱が、高く積まれている。

それを顧客が箱単位で、次から次ぎへと買っていく。10分たらずで、7箱も売れた。ついでに米を見たが

日付が1月のままだった。

 こうなると店の力の差というより、仕入れ問屋の力の差だろう。メーカーとして、まして売りだし中の新製品

ならばたくさん売ってくれる所に出荷するのが当たり前の話だ。ビールや酒は、どこで買っても中身は同じだ。

こだわり酒屋のアサヒとディスカウントのアサヒは、全く同じ商品なのである。カメイなにがしらが選挙目当て

に酒屋免許登録自由化の延期を伸ばそうとしているが、規制緩和は時代の流れである。いずれ、すべてのコ

ンビニで酒を取り扱うことになるだろう。以前は酒屋がうらやましいと思った。こんなに規制で守られてきた商

売はないからである。米とちがって、ヤミ酒屋なんてなかった。名目だけの食管法と違って、酒税法は天下の

法である。しかし、今では酒屋であったら、ぞっとする。

コンビ化するのもひとつの手であり、事実そうなる店も増えてきている。大手チェーンに入れば、店主の過大

なる労働力と高いロイヤルティを払わなくてはならない。そこで比較的規則がゆるいコンビに入いることにな

る。そうなると仕入れも全て親企業に握られてしまい、販促も宣伝もマニァル化してしまい、言葉は悪いが

単に自分の店なのにサラリーマン化してしまう。自分で仕入れ先を見つけていくなんて、できなくなり、親

会社のいいなりである。考えなくて楽かもしれないけれど、面白みがない。面白なくても生きていければい

いかもしれない。でも、でも、なんのために働いているのか、わからなくなるのでは。自分の店なのに。

 日本酒やワインの専門化店をめざす方向もある。ただ、いわゆるマニア的な顧客は全体的に少なく、探し

当てるのが難しい。さらに昨今はインターネットの発展で、なかなか手に入りにくい銘酒やワインも楽に手

に入るようになった。さらに製造元の蔵本が直接・間接的に川下へ販売も増えてきた。せまいパイの奪い

合いは大変であり、専門化過ぎってしまうと、よほどの固定客、信者客を持たない限り無理であろう。

 米屋業界も今次々と淘汰されている。酒屋の場合は、米屋が淘汰された時間よりも早く淘汰されていくだ

ろう。なんの業界も淘汰されず、さらに伸びていくことは難しい。でも、淘汰されずに生き延びた店も、かなら

ずある。そんな店になりたい。 楽ではないが。 

        3/1  ターゲットを絞るべきか?、否か?

  早いもので、もう弥生、三月だ。今、面白い本を読んでいる。「勝ち抜く大人の勉強法」(洋泉社)中山

浩著だ。今年読んだ本の中で一番勉強になった。(と、いっても正月からの二ヶ月で読んだ12冊のなか

で)この本は、とくに船井幸雄を信じて疑わない人は、ぜひ読むべき本であり、強く勧める。

 さて、著者は本の中で情報は常に相対するふたつの情報を分析することであると。そこで、面白い例題

がふたつある。ひとつは、業界紙のコラム「流通激変の時代を、どう生き残るのか」社会基盤研究所・藤沢

研二氏。要約すると、ターゲットを明確にすること。不特定多数をターゲットする商売はやめ、自分のコンセ

プトとマッチするべき顧客に絞った特定少数の商売に移行すべきである。専門化することは、顧客を絞るこ

とである。専門化しないと顧客に絞られる。絞られるより絞った方がいい。自分が把握することで、顧客を絞

り込むことが重要である。

  これに相反する意見が店舗アドバイサーの大河内卓氏の「小さな店を強くする。」

小さな店は、間口を狭くしてはいけない。店舗には個性が必要だけれども、排多的になってはならない。顧

客を差別してはならない。評論家は現代は個性化の時代と、言っているけれど、現実はそれほど個性化

していない。実際、日々のお客様と接していって、そう思いませんか。人間だから、個々に人格は違うけ

れど、生き方やライフスタルが千差万別あるわけではない。逆に指摘されると不快になる。我々は、個々

の生き方やスタイルに対応するのでなく、コト(事)に注目し、生活者の用途や快い事に対応する店舗にし

なくてはならない。

 これを読んだ商人の人。どう思いますか?顧客を絞り込む専門店。間口をひろげる差別しないお店。ご意

見を掲示板にてお待ちしています。