木部与巴仁氏  トークショー

                東京ビッグサイト : 国際ブックフェア 2002.4.20


木部さんのトークショーは、伊福部氏への尊敬と敬愛に満ちた、素晴らしいものだった。
和服を着込んで堂々と話すその姿勢は、聞く人に必ずや共感を持たせたことだろう。
伊福部氏についての知識は枯渇することがなく、次々と話しても1時間が短そうだった。

私はトークショー開始から10分遅れてしまったが、なんとか広い会場でVoyagerのブースを捜しあてた。空いていたから、ずうずうしく木部さんの真前に陣取った。
私が正面では、木部さんもやりにくいのではと思ったが、まぁいいや。

会場のつくりは、3人掛けのベンチが3つずつが3列。ベンチには27人が座れることになっている。だいたい埋まっていた。
木部さんの頭上には、35インチを越す大型液晶モニターがふたつあった。
それらに、kibegraphyのサイトのインデックスや、出版された本の目次等がVoyagerの萩野氏によって映し出される。具体的に目でも追えるので、トークショーがわかりやすいものになった。
私なんて今まで伊福部氏のゆかりの土地の音更村って、“おとさらむら”かと思っていたが、これによってはじめて“おとふけむら”とわかった。(←おいおい^^;)


では肝心の木部さんのトークショーの内容だ。
始めは、「音楽家の誕生」と「タプカーラの彼方へ」の本の説明をしていた。

「音楽家の誕生」は、伊福部氏の活動を年代順に追ったものである。そのため、後半では戦争が色濃く出てしまう。この本は「伊福部氏の持ち上げ本」と酷評されたそうだ。
でも、“戦争という流れの中で、一介の人間に何ができたというのだろう。その流れに身を任せることしかできないのではないか?”という木部さんの問いかけには、心が痛んだ。
そういう、皆が同じ価値観を持つことしか許されない時代を生き抜いたにもかかわらず、伊福部氏の作品にはオリジナリティが満ち溢れている。これはひとつの奇跡なのだろう。

「タプカーラの彼方へ」は、伊福部氏の作品を背景を掘り下げて書かれている。
特に「シンフォニア・タプカーラ」は、三浦淳史氏への追悼の意味があり、特別な作品なのだそうだ。私も好きな作品だ。
悲しいことに、私は三浦淳史氏は伊福部氏に重大な影響を与えた人だという程度の知識しか持っていない。どんな影響を与えたかは読み進めて理解していくつもりだ。

それから木部さんは、伊福部氏というと、ゴジラの映画音楽を思い出すケースが多いのを嫌っていたが、そのことも事実なので、目を背けるのをやめたそうだ。
私は、伊福部氏へ入るきっかけがゴジラの映画音楽でもいいと思う。日本のクラシックというと身構えてしまうが、ゴジラというと、自分でも聴けるかもと身近に感じられる。間口の広さも重要なのだ。

「シンフォニア・タプカーラ」が発売されたのは、昭和30年のことで、ゴジラが発表されたのが昭和29年だ。
木部さんは、このあたりを日本のターニングポイントと位置付けている。
そして、頭上のモニターに一枚の写真を映し出した。
それは日劇(今のマリオン)前に集まる数え切れないほどの群集!これらはみな1台のテレビに見入る人達なのだ!ものすごい熱気である。
ものがなく、飢えていた時代から豊かになりつつある移行期ということだろうか。
親友の早坂氏が『ユーカラ』を書くから、伊福部氏は同じアイヌ語の『タプカーラ』を書いたようにトークショーでは思えたが、真相は「タプカーラの彼方へ』を読めばわかるだろう。


そのような本に関することのあとに、「タプカーラの彼方へ」を出版した際の苦労話をした。
木部氏は、自分の感じたことや決定したことをリアルタイムでkibegraphyに書いた。それが良きにつけ悪しきにつけ木部さんに影響を与えることになった。
良いこととは、それを読んだ人の感想をダイレクトにすぐに伝えてもらえることである。
印象的だったのが、本が4000円になるかも知れないという場面だ。そう書いたら寝る前に“4000円になるとは約束破りだ!”というメールが届き、それに対するお詫びのメールを返したが、その日はずっと眠れなかったそうだ。
結局朝7時になって、先方からわざわざお詫びのメールをすみませんというメールをいただいて、気持ちが落ち着いたらしいが、リアルタイムで配信しているからではの苦労話であろう。
そういえば、木部さん、エイプリルフールのまぐまぐのいたずらにも、眠れない時間を過ごしたんたっけ。繊細な木部さんを表すエピソードである。


最後に出版元のVoyagerの萩野氏から、電子本についての説明があった。
電子本は、作家による訂正があった場合、すぐに対応ができるのがメリットらしい。それから作家の校了から出版までに時間がかからないこともメリットだと思う。

当日国際ブックフェアでいただいた新潮社のオンデマンド本のパンフレットにこう書かれていた。

 オンデマンドブックスは、「どうしてもあの本を手に入れたい」というみなさまのご要望と、「ひとりでも多くの本好きの方に愛される本をお届けしたい――」という私たちの想いから誕生したサービスです。

なるほど、その通りだと思う。
売上至上主義の出版界では、どうしても万人向けの売れる本ばかりになってしまう。
名が知れていなくても良質の本はいっぱいある。これらの本を埋まらせることなく人々にお届けするために、このオンデマンドというシステムは有効なのだ!
新潮社でも、どうしても書店に置かれる本よりも割高になってしまうが、本の選択肢が広がるのはありがたいことである。
でもその前に、私はもっと本を読まなくては。。(((((((;^▽^)


追記:
  「タプカーラの彼方へ」を読み終わり、ここに書いたことに誤りがあったので、訂正したい。
まず、シンフォニア・タプカーラは、三浦氏に捧げる曲だということ。追悼ではない。三浦氏は札幌の都市部に住み、音更というアイヌ民族とのつながりのある故郷を持つ伊福部氏のことをうらやましがっていた。
そんな三浦氏に、音更を表すとこんな感じだと、音楽で表現したそうだ。
三浦氏は、中学時代からの親友で音楽評論家である。音楽にはよく、For ○○とクレジットがあるが、これもそんな感じなんだろうか?
このように、代表曲ともなった曲が自分に捧げられた曲だというのなら、三浦氏は最高の喜びを感じたことだろうと思ってしまう。


それから、「ゴジラ」は伊福部氏を思い起こさせる曲というのには否定的。。。という部分の訂正だ。
「タプカーラの彼方へ」を読むと、否定的になってしまうのが理解できる。
木部さんは、伊福部氏の音楽を「純音楽」と「映画音楽」に分けている。映画音楽も音楽には変わりないのだが、映画の場面に即していないといけないので、どうしても制約を受けてしまう。
その点、「純音楽」というのは何も制約がなく、まったくの自由だ。この自由というのが、伊福部作品を語る時のキーワードになる。
西洋音楽の模倣ではなく、そこに日本人であるという民族性を取り入れた、今までにないオリジナリティ溢れる作品が伊福部氏の魅力なのである。戦前からそのような作風だったのは、驚くべき事実なのである。そんな前例のない音楽性で、独自の世界を築き上げてきたのである。
従って、ゴジラの映画音楽で皆が「あのサウンドか」と思い浮かべるのは構わないが、それだけでなく他の壮大なる作品、血肉を注いだ「純音楽」を聴いて欲しいというのは、木部さんの偽らざる気持ちであろう。