ラウダ・コンチェルタータ
ラウダ・コンチェルタータの出だしは、伊福部氏の映画音楽のようだ。
打楽器の時を刻むような一定のリズムの上に乗って、弦楽器がチゴイネル・ワイゼンのゆったり版のように、短調でありながら、いきなり始まる。何の用意もなかった私には、これは他の音楽の2楽章ではないかと思えるくらいさりげなくて、かえってあっけにとられる始まり方だ。
そこに突然マリンバが登場する。
といっても、突然だと思ったのは、最初の2回くらいまで。それ以降は満を持して登場のように聴こえる!
それまでのオーケストラはマリンバのお膳立てのようだ。
ここではマリンバが主役なのだ。
その第1回目登場のマリンバは、豊かに響き渡るハーモニーをシンプルなリズムに乗せて叩いてくれる。
毛糸で巻いたマレットを使っていると思われる、やわらかい音色だ。
あとで奏でる、リズムと曲調の多彩さを考えると、ほんのご挨拶程度だ。
次いで、またオーケストラが同じメロディを、今度は短く演奏し、またマリンバが登場する。
前回が車のギアをLOWに入れたとすると、今度はセカンドかサードだ。まだまだこんなもんじゃない。
余力を充分に残している。
低音部分から始まるマリンバ音色は、遥か古代から脈々と息づいている、人間の生活、風習を思い起こさせる。それがアフリカでも中央アメリカでもどこでもいい。確かな生を教えてくれる、力強い、不思議な音色!
それが低音のティンパニーや太鼓などと結びついて、さらに際立つ。
それにオーケストラが加わると、主旋律を弾いていたマリンバの立場が逆転する。そんな時に、マリンバは打楽器だと実感する。打楽器でありながら、表現できる音階は広い。リズムを取りながら、メロディーも奏でられる楽器なだと思った。
オーケストラと交互にリードを取るのは、まるでライブでの掛け合いのようだ。指揮者だけではなく、相手演奏者を見てアイコンタクトをしながら弾いているのだろうか?
ただ、この場合違うのは、静かなパートで行うということだ。
中間部は、まさにマリンバの独壇場だ。
そこには、ハープによる伴奏さえなく、マリンバだけだ。
即興ではないかと思えるくらい、次から次へと、何の脈絡もなく予想もつかない音の配列が繰り広げられる。
伊福部氏が練り上げた曲であるはずだから、何らかの狙いがあると思うのだが、それが私にはわからないのだ。
しいてたとえれば、キング・クリムゾンのイリュージョンだ。
前衛的なイメージをそこに取り入れたのだろうか?
いや、伊福部氏がそんなことをするはずがない。
気を抜くパートなのだろうか?
いや、そんな力が抜けるようなことをするはずがない。
今の段階ではまだわからないということにしておこう。
フルート(この音色が好きだぁ〜!)やハープが加わり、オーケストラで始まりの部分を弾くと、安定する。
私はオーケストラの音色は、ギターサウンドよりも好きではないと思うが、この場合のオーケストラは、まさに待ち望んでいた音なのである。
しかしこれも長続きせず、またマリンバ主体の、私にとってはむずかしいパートが続く。
それがだ!突如としてアップテンポになり、マリンバとオーケストラがいきなり両方を生かしたハーモニーを奏でるのだ!
中間部でじらされた分、そのパートでの爆発ぶりが凄まじい!
これだ!これなのだ!!これが私が感じる伊福部氏の魅力である。
曲が急に転回するのがいい。
オーケストラはフォルテシモ!だが、それに負けないマリンバの叫びとでも言える大音量は鬼気迫る!!
これはもう、オーケストラとマリンバのバトルだ。切るか切られるかのバトル。
どちらかが力を抜いたら切られてしまう。最後まで全力を尽くして全身全霊を入れて弾くしかないのだ!!
さらに!同じ音を繰り返し弾くことによって、尋常でない、特別の、極限まで追い込まれたような緊迫感を与えてくれる。
マレットが折れてしまうのではというくらいの、いや、腕も折れよといわんばかりの大迫力だ!!
そうやって、両方が高めあって上り詰め、双方のクライマックスが一致したところで、満足感を持って演奏が終わる。
聴いている方も、納得のエンディングである。
私は、このラウダ・コンチェルタータの最後の迫力パートには、シンフォニア・タプカーラの第3楽章の最終部分を思い起こす。
その圧倒的な迫力と緊迫感に、同じにおいを感じるのだ。
そして、それがそのまま伊福部氏の魅力となっている。
2002.7.20(海の日)