ジュライのイワさん |
*何かに乾いて、満たされず、探り、でも見つからない朝* 今日もあつい。 ここはクソ暑い。 クソ暑くても風邪を引くときは引く。 朝から凄くだるかった。 熱帯でかかる風邪はけっこうつらい。 朝9時にタイ語学校ソーソートーに行く。 あんまり中身はない授業だけど,復習さえする気があれば 役に立つってもんだ。やすまねーぞー、おら。 満員のぎゅうぎゅう状態のバスでサウナのごとく汗を吹き出し、 タイのおねーさん、おばさん、おっさんらとスキンシップしながら 学校の近く、スクンビットのソイ(路地のような枝道)27で降りる。 ソイの29にある学校まで、ホテホテと歩く。 途中のミニスーパー(まぁ、乾物屋さんって感じね)で、ヤクルトと タイの甘ったるい卵菓子を買う。 学校までやっとの思いでたどりつき、一階の小さな中庭のベンチに腰掛け、 ヤクルトで極端に甘い菓子を飲み下したら少し元気が出てきた。 ぼぉっとしながら、中庭の横の駐車場に入って来るシーロー (軽の乗り合いタクシー)からお友達になった駐在員の奥様たちが 降りてくるのを眺めていた。 若くて色っぽいSさん。今日もいつもの同年代の奥様とご一緒か。 「いとーさーん、今日は元気ないわねー、早く教室いきましょうよ。」 ・・・うぃーす。よーし、いきましょう。 Sさん、今日も帰りにゴルフなの? こんなに暑いのに狂ってるよ? 「いとーさんがパワーないのよ。週末、食事会だからね、男連中、 逃げないようにまとめておいてよ。」 (てやんでぇ。俺はここの授業が終わったら、 午後は違う学校にいくんだよ!・・心の叫び。) なんだか朦朧となりながら、なんとか12時に授業が終わった。 俺は学校の近場の安食堂でイワさんと飯をくった。 40人のクラスの数少ない男友達。 イワさんは悪名高く日本大使館からも目を付けられている、 ジュライホテルの住人である。 おとなしいタイプだが、大学在学中に清里に土産物を仲間と出店し、 一時は羽振りが良かったくらい行動力があり、頭はすごく良い。 大家と裁判になって、負けて閉店となったそうであるが。 俺とはウマがあう。 ジュライといえば、葉っぱに手を出し、ヤワラーの茶室に買春通いする 日本の若者がタイに来て最初に情報集めもかねて投宿、そして 沈殿する宿である。 泊まったこと、あるけど噂ほどに悪いイメージではない。 なぜ、ここに日本の若者が沈殿するのか、俺にはなんとなくわかる。 まともな人間もいる。 (もっとも何をもってまともと呼ぶか。それが問題か。) 俺も、日本で頑張って働く友達も、一歩踏み外せばそういう要素を みんなもっている。 気だるく、いい加減でお気楽なこの国への現実逃避。 この病気にかかり、人生を 棒にふる男、数知れず。南無妙法蓮華経。 行きつけのこの店はバイカパオの炒め物が美味い。 肉をバイカパオというハーブでからーく炒め、ご飯にのせ、 熱く、辛いのをハフハフ食べる。 俺はいつも目玉焼きを乗せてもらう。 イワさんが突然、切り出す。 「僕らの先生は上品ですよね。」 (ん?・・・いきなりなんだろう。) ・・え,あー,うん。上品だと思いますよ。 京都に留学してたし,家もお金持ちなんでしょうね。 「僕,あの人好きなんです。」 (ぶっ! 毎晩パッポンで上手に遊んでる人がいきなり うぶな言い方するなあ。) 「タイであんなに上品な人はあまり出会えない。僕,この学校の次の 期も申し込みしました。」 ・・イワさん,タイ語は十分喋れるじゃない? そんなに好きなんだ。 その後はどうするの? 「どうもしないです。 2年前に田舎の女の子とつき合ったんだけど,雰囲気が似てるんです。 凄く貧乏だったけど。」 ・・はぁぁ・・ イワさんって純情な人だったんですね。 遊びっぷりを見てると想像もつかないや。 「結婚しようと思って彼女の家でしばらく暮らしてました。 小さな田圃と畑で食べてる一家だから田植えを手伝ったりしてね。 お父さんは出て行っちゃったようで男手もないからちょうどよかった みたいで。 例によって、女作っちゃったってやつね。 田圃の作業ってつくづく大変だったですよ。 足に変な虫がくっついて・・あ、ヒルね。でっかいんだ。」 (イワさん、今日は良くしゃべるね。) ・・・俺なんかには出来そうもないですよ。 日本住血吸虫とかもいそうだし。 驚いた。イワさん、凄いよ。 「でも,ずっとそのまま周りに何もない生活を続けるなんて耐えられそうも なかったですよ。 朝早く起きて,日が暮れると寝るだけ。 ほんっとになぁんにもないん ですよ? だから彼女にバンコクに出る気はないかって聞いたけど,怖いから 嫌だって。」 ・・・ふぅ〜ん。バンコク? 日本に来いとは言わなかったんですね。 「聞くだけ無駄ですよね。 バンコクも知らない人に,ましてや 日本なんて。 まず,バンコクに慣らしてから・・と思ったんだけどね。 どんなところか想像も出来ないんじゃないかな。」 「でね,田圃と水牛の親子を有り金はたいて買いました。 余計な田圃があれば食っていけるし,水牛の親子がいれば僕の 男手が無くなった分も補えると思って。 凄く可愛いヤツが来ました。 水牛の子供って可愛いんですよー とっても喜んでくれて・・・ 水牛が来た次の日にはバンコク行きのバスに乗ってましたよ。」 ・・・何にも話さずに?逃げちゃったの?水牛の親子ぉ? 黙って飛び出しちゃった訳? うう〜ん。すげぇというか、なんとも表現のしようがないですよ。 一体いくら払ったの? 「20万パーツ。日本に帰っていすゞの期間工に逆戻り。でも一年 働いて200万貯めてまた来ちゃった。 もう、当分仕事はいいから、後半年位ここにいて,またインドに 行きますよ。インドは葉っぱやり放題ですもん。」 ・・・彼女に会いたくならないの?・・ってごめん。 聞くだけ野暮ですね。 イワさんが有り金はたいたくらいだもんね。 「うん。彼女から逃げ出す朝、バスから見た田圃、頭から離れないんですよ。 上手くやっていってくれるかなって。 伊藤さん、変だと思わない? あんなに貧乏な家の娘なのに、なんであんなに上品だったんだろうって。 なんで言葉もろくに出来ない俺なんかにあんなに優しかったんだろうって。 伊藤さん、タイの田舎でそんなことってよくあるのかな。 ねぇ、伊藤さん。」 ・・・あのね、伊藤さんはね・・頭がショートしてます。 具合が悪いのでわかりません。 スマン。 でも、切ないね。 俺には偉そうなことを言う資格はありません。 席を立ち,俺はYMCA内のニサに向かうバスに乗る。 イワさんはジュライヘ帰るバスを待つ。 じゃあ、と手を振り、バスに乗った。 何か胸にヅキヅキと突き刺さるモノがある。 ひと事じゃねえやっ! この国にはわけのわからん外国人に触れさせてくれる、 生の、素の人生がある。そんな寛容をもっている。 誰だってはまるときははまる。 日本から逃げた男なら、はまった女からも逃げるかもしれない。 そして、俺に批判する資格はない。まるでない。 どうやら熱があるらしい。 気温があんまり高いんで気が付かなかった。 体がふわふわして真っ直ぐに歩けない。 道路の向こう側、遠くを見ると陽炎がゆれている。 前に歩かなきゃ。 ・・・ひと事じゃねえや・・・・ 今日は悲しい夢をみちゃいそうだ。 「1990年、地獄の暑季 4月のバンコクにて 」 <後述> 当時のレートでの20万バーツ;約120万円。 この1年後、日本に帰国後イワさんと連絡が取れ、一回メーサイ(私の店)に 来てくれました。 その後・・タイに戻り、現在は消息不明です。 もう一回、彼とパッポンのゴーゴーで乾杯したいが・・ |
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