明睦会の歴史の話
偉大な先人方に感謝します。
ここに2枚の写真があります。1枚は大正15年の6月にお神輿の新調の際に天龍寺様の門前で撮影された写真です。
もう一枚は昭和5年頃にやはり同じ場所で撮影された写真です。
初めは 御仮屋も即席のものですし、鳥の羽の形や、屋根の波型の形も2枚の写真で異なります。
これは、今に甘んじることなく、常に最高のものを求めた先人たちの誇りの証であります。
また、どちらもまだ高張提灯や駒札に、「明睦会」では無く「南馬場」と書かれております。
これが、「南馬(ばんば)の神輿」と呼ばれるゆえんでしょうか。
なお、子供たちが勇ましく巻いている手拭の柄は、現在とほぼ同じであります・・・
※当ページ写真の無断転用は御遠慮ください
大正15年6月 お神輿新調
左の寄付御芳名版に「南馬場 子供神輿 新調」とあります。
まだ本社様のお神輿が健在であったからかと思われます木札に「浅草区森下町(現在の寿2丁目付近)25番地 製作人 清水 金次郎」と見れます。
激動の時代を経て、現在その場所に清水家は無く、その付近に住む、当時を知る金箔職人のお孫さんに話が聞けました。
結果、残念ながら清水氏の流れを汲む人に修理を依頼するのは不可能との事です。
左の寄付御芳名版に「南馬場 子供神輿 新調」とあります。
まだ本社様のお神輿が健在であったからかと思われます木札に「浅草区森下町(現在の寿2丁目付近)25番地 製作人 清水 金次郎」と見れます。
激動の時代を経て、現在その場所に清水家は無く、その付近に住む、当時を知る金箔職人のお孫さんに話が聞けました。
結果、残念ながら清水氏の流れを汲む人に修理を依頼するのは不可能との事です。
昭和5年6月頃
真新しい御仮屋がまぶしいです。
より荘厳に美しく作り変えたのでしょう、鳥の羽と波型の形が明らかに変わっています。
製作人 清水氏の木札も誇らしげに屋根にのせられています。
自らご祭礼のたびに、神輿を見に来たとの話もあります。
もしかしたらこの写真の中に居られるかも知れません・・・
真新しい御仮屋がまぶしいです。
より荘厳に美しく作り変えたのでしょう、鳥の羽と波型の形が明らかに変わっています。
製作人 清水氏の木札も誇らしげに屋根にのせられています。
自らご祭礼のたびに、神輿を見に来たとの話もあります。
もしかしたらこの写真の中に居られるかも知れません・・・