神へと至る道



番外編]  九龍生誕












「突然だが、俺は決めたぞ」

本当に突然に、何の前触れもなく、そんな言葉がリビングに響き渡った。
いや、前触れがなかった、というのは正確ではない。
普段、必要以上に喋る彼であるのに、この日、全員がリビングに集まってからは、一言も喋っていなかった。
普段と違うことを前触れと捉えるのならば、確かにそのことを前触れだ、と言うこともできるだろう。

だがしかし、よく喋るとはいえ、常に喋り続けるわけでもなし。
広間にいた彼を除く九人は、特に気にしてはいなかった。

それ故に、九人は驚き、固まった……彼の突然の発言に。
何よりも、重要なことを何も示してくれないその内容に。



茜は、ワッフルを齧りかけたまま……
詩子は、澪の頭に手をやったまま……
澪は、詩子に頭を撫でまわされた状態のまま……
留美は、紅茶をいかに乙女らしく飲むかを考えたまま……
美汐は、いかにも淑女らしく湯飲みを持ち上げたまま……
雪見は、美汐に話しかけようとした状態のまま……
みさきは、ワッフルを次から次へとその胃へと運び続けたまま……
舞は、牛丼を口に入れて咀嚼し続けたまま……
佐祐理は、そんな舞を微笑ましく眺め続けたまま……



……訂正。
広間にいた六人は、驚き、固まった。





「ん? どうした? 何か固まってるけど」

いけしゃあしゃあと言う祐一。
自分がその事態を引き起こしたことを、まるで忘れているかのようだ。
というか、気付いていないのかもしれないが。

全員の顔を見回し、不思議そうな表情になっている。
そんな彼の表情を見て、ようやく全員が気を取り直した。





「あのねぇ、祐一。あんたが突然、突拍子もないことを言い出すのは、今に始まったことじゃないけど……」

留美が、それは呆れ果てた表情で口を開く。
頭を抑えているのは、無意識の行動か。



「何を決めたのか、を仰って下さらなければ、対処のしようもありませんが」

手に持っていた湯飲みをゆっくりと置いて、美汐。
落ち着いた佇まいや仕草は、彼女の美点だ。
そんな振る舞い一つとっても、絵になる光景と映る。
横目でちらりと見た留美の目に、少し羨望の色が混ざったのは気のせいだろうか。



「それとも、わたし達にテレパシーを使え、とでもいうのかしら?」

ふぅ、とため息をつきながら、雪見。
深いそれは、付き合いが長いが故のもの。
表情にも仕草にも、あぁまたか、と言わんばかりの呆れ具合が見て取れる。



「うー、澪ちゃんかわいいねぇ」

詩子、再起動。
祐一の発言は、他の人に任せておけばよい、と判断したらしい。
滅多にない機会が、今目の前にあるから、というのも理由の一つだろうが。



『髪型が崩れるの! いい加減にしてほしいの〜!』

詩子に遊ばれている形になっているのは澪。
詩子より再起動が遅れたため、逃げ出すことができなかったのだ。
別に、どうしても嫌だ、というわけでもなかったが、そこまで気持ちのいいものでもない。

必死でスケッチブックを掲げるが、そもそもトリップ状態の詩子が、そんなものを見てくれるわけもない。
というよりも、見ていてもやめてくれるはずもなく……
半ば諦めモード。
明日は、詩子さんと離れた席にするの……彼女はそう心の中で決める。



「むぐむぐ……」
「あははっ、舞〜、慌てなくても牛丼は逃げないよ〜」

特別反応を示すこともないのは、舞と佐祐理。
いつもどおりのマイペース。
食べ続ける舞と、眺め続ける佐祐理。
舞の横に積み上げられた丼の数に、彼女の食に対する執念が窺える。



「ワッフル美味しいよー」

そして、舞以上に食への執念を燃やすみさき。
食べている間は、他の事を気にする性質ではない。
祐一の発言も、その後の会話もどこ吹く風。
まるで奇術のように、ワッフルを消失させ続けていた。



「……」

そして、無言の茜。
ただし、視線で祐一に訴えている……何を? と。
沈黙は、時に何よりも雄弁に語ることがある。
茜は、元々口数が多い方ではない。
ただし、今回はワッフルに齧りついたままだったから、という見方が正しいだろうが。





「あぁ、そうか。いや、ついうっかり」

うっかりで済ます祐一。
肝心なことを忘れていたこと、これすら記憶の彼方なのかもしれない。
しかし、彼女達も慣れたもの……黙って祐一が話すのを待つ。

会話は言葉のキャッチボールとも言われる。
変化球も、剛速球も、時には魔球も……変幻自在に投げ分ける祐一に付き合うのは、それなりに苦労すること。
彼女達は、ここで苛立っては話が進まないことを、よく知っているのだ……経験によって。
そして、続いて発せられた祐一の言葉。



「いや、ここに移り住んで、結構経つだろ?」










そう……ここは、彼らの家のリビング。
彼らには、もちろん血の繋がりはない。
ましてや、全員が中学生である。
そんな状況で、男女十人が一つ屋根の下に住んでいるなど、普通ならあり得ない。



だが、彼らは普通ではなかった。
全員が能力者。
それも、かなり高次元の領域に位置する能力の持ち主。

そして、全員に共通することが、もう一つ。
それは、孤独。
彼らは皆、それぞれに辛い過去を背負っている。

偶然か必然か……彼らは出会った。
出会い、そして、求めた。

帰ることができる場所……帰りたい場所……
支えてくれる人……支えたい人……

失った、あるいは最初から持っていなかった、そんなものを、彼らは求めた。
だから、彼らにとって、一緒に暮らすことは……“家”を持つことは、ごく自然なことだった。



と言っても、普通、中学生が家を持つことなど、できようはずもない。
解決しなければならないことは山積みだ。
けれど、祐一の能力が、その問題をいとも簡単に解決した。

彼の能力を用いれば、対象となる人が死んでいない限り、どんな病気やケガでも治すことができる。
それ故に、それを利用し、金を、人脈を、手に入れることができた。
その効能を知るや、大勢の人間が、祐一の能力を求めたからだ。

決して望ましいことではなかったが、目的があったから、彼は能力の使用を惜しまなかった。
結果、一年と経たないうちに一財産を築き上げ、自分達の“家”を完成させるに至った。

その後、家出していた者はそのまま。
家族がいる者も、家族から離れ。
全員が“家”へと移り住んだ。

反対が全くなかったわけではないが、そこは本人の説得。
あるいは、最悪、家出をしてでも、という覚悟はあったのだが。


本人の意志を尊重しようとしたのだろうか……
それとも、自分の子供が、共に過ごしたいと思える人達と出会えたことを喜んだのだろうか……
あるいは、子供の持つ強大な能力を、心のどこかで恐れていたのだろうか……

ともあれ、比較的スムーズに話は進んだ。



そして、自分達の家に移り住んでからこれまで、全員で協力して、日々を過ごしていた。
ようやく手に入れた楽しい日常を、謳歌していた。










「で、だ。落ち着いてから、“例の件”について、さらに色々と調べてたんだけど……」



“例の件”

その言葉が紡がれると、リビングの空気が一変した。
全員が、真剣な眼差しで祐一を見る。

「神器……」

茜が、小さく呟いた。
その呟きは、しかし、全員の心に大きな波紋を呼んだ。

「あぁ、なるほど。決めたってそういうこと」
「……神器の収集、ですね?」

雪見が、納得したという表情で話し、美汐がそこに補足説明を加える。

「半分正解」

祐一は、悪戯が成功した子供のような目で、嬉しそうに答えを返す。
基本的に、雪見と美汐の理論派コンビにやり込められることの多い祐一だから、少しでも反撃できたのが嬉しいのだろう。

「……半分って?」
「?」

少し憮然とした表情の両者。
彼女らは、祐一をやり込めることを楽しんでいる節があるだけに、多少不機嫌になっているらしい。



「神器の収集以外にも、何か決めたことがあるってことかな?」

みさきが発言……食事の手を休めていることが、ある意味衝撃的。
事実、澪が目を大きく見開いていた。

「ふぇ? 何を決めたんですか?」
「……何?」

佐祐理と舞が、同時に発言。
仲の良いことが窺い知れる一コマである。

「ん。神器の収集に当たって、当面の問題は二つあるよな。まぁ一言で言えば、情報と手段だ」
「情報はわかるけど……」
「手段って何よ?」

詩子も澪から手を離し、祐一を見ていた……澪がそっとその場を離れたことには気付かず。
留美は、どこか不機嫌そうだった。
乙女を目指している割には、すぐにそういう表情が面に出るあたり、修行が足りていないということだろうか。





「……なるほど。神器を簡単に手放す人ばかりとは限りませんからね」
「美汐正解。さすが、知恵袋」
「……何の、ですか?」
「それは秘密」

厳しい目を向けてくる美汐から目をそらす祐一。
その行動の速さからは場慣れを感じる。
美汐も、それ以上追求しようとはしなかった。
ただし、後で覚えておいて下さい……という含みを持たせた視線を、祐一に注いでいたが。
祐一は、意図的にそれを無視して話を進める。

「ま、まぁとにかく、神器を揃えるなら、覚悟が必要なわけだ」
「“手段”を選ばぬ……ですね」
「そういうことだ」
「…………」

手段を選ばない。
それはつまり、最悪の場合は、力に訴える、ということ。



「……と、いうわけで、俺は決めたわけだ。覚悟を」

神器の収集と、それを完遂させる覚悟。

「こうやって、皆でのんびりと暮らしていくっていう選択肢もあるけど、な……」
『それじゃ、ダメなの?』

詩子から離れて一息ついた澪が、祐一に尋ねる。

「ダメっていうより……知ってしまったからな。神器の存在と、その効果と、そこに隠された意味を」
「……」
「俺は忘れられない……あの時の、想いを」
「……」
「あの時の、悔しさも、悲しさも、苦しさも……」
「……」
「だから……手段があるのなら、それを実行できるだけの力があるのなら……やるさ」
「……完全に覚悟を決めてるみたいね」

どこか諦めたような表情で、雪見が呟いた。
それでもそれは、不快を覚えている類のものではなく。
また、雪見のみならず、他の面々の表情にも、同じものが浮かんでいた。










「……それで」

舞が静かに口を開く。

「……それで、私達は何をすればいいの?」

手段を選ばないということは、端的に言ってしまえば、彼は、犯罪者に……賞金首になる覚悟を決めた、ということ。
それが理解できないはずはないのに、誰一人として、止めようとはしなかった。
そんな中での、舞のこの発言が意味するものは、一つ。
すなわち……

「……祐一。まさか、自分一人でやろう、とか考えてたわけではないですよね」
「祐一?」

茜と詩子が目を細めながら、睨むようにして祐一を見据える。
声に出していない者も、皆同じ気持ちなのだろう。
似たような表情で、祐一を見ていた。

「まさか。ま、一応確認しとこうとは思ったけどな」

対して祐一は、そんな目にも怯まず、さも当然のように言った。
気後れも何もなく、あっさりと。



“みんなも犯罪行為に加担してくれ”



そんな意味を持つ、言葉を。

「全く……確認するまでもないでしょ? あたし達の気持ちなんて」
『そうなの。当然なの』
「事が事だけに、それ仕方がないとは思いますが」
「ま、確かにそうね」
「うんうん、そこが祐ちゃんのいいところだし」
「私は、祐一を信じてるから」
「はい。佐祐理も信じてますから、祐一さんのこと」

そしてまた、受け止める側も、当然のことのように答える。
ためらいも逡巡も一切見せずに、その思いを言葉にした。

「あぁ、俺達はチームだからな。全員いなきゃ始まらない」

そんな様子も、祐一には当然のことだったらしく、特に反応を示すことはなかった。
血よりも濃く、家族よりも深い、そんな絆だった……彼らを繋いでいるのは。
少なくとも、全員が、そう信じていた。










「じゃあ、決まりですね」

パン、と手を叩き、佐祐理が宣言した。
それに一つ頷いてから、祐一がさらに話を続ける。

「ついでだからな。もう一つ決めときたいことがあるんだけど……」
「何? まだ何かあるの?」
「まぁな。チームと言えば、絶対に欠かせないものだ」
「……もったいぶるほどのことなのかしら?」

留美のこめかみが、ピクリ、と動く。
どうやら、焦らされて少し怒りを感じ始めているらしい。
それに気付かぬ祐一ではない……というか、気付かなければ生きてはいけない。

「うむ、ズバリ、チーム名だ! 多分保護機関にも目をつけられるからな。かっこいい名前が望ましい。さぁ、皆。意見があったらバンバン言ってくれ」

気合満点に、そう発言する祐一。
だが、いきなり名前を考えろ、と言われても、そうそう考え付くものではない。

「……祐一と愉快な仲間達」
「あははっ、それ面白いね。それに決めちゃおっか」
「詩子、本当にそう思ってるのですか?」

……訂正。
いきなり名前を考えろ、と言われても、“ふさわしい”名前は、そうそう考え付くものではない。





「……それで?」
「ん? 何だ? 美汐。それで……って。いかんな、熱意が足りんぞ?」
「……祐一さんが、本当に私達に求めているのは、意見ではなく、評価なのでしょう?」
「あ、そういうことね」

美汐の意見に、雪見が相槌を打つ……両者とも理論派であるためか、その会話のやり取りは見事と言うべきもの。
遠回しな物言いであるせいか、他の皆は疑問顔だが。

「うむ、さすがは美汐。よくぞ見抜いた」
「ここまできて、何も考えてませんでした、とは、いくらなんでもお粗末に過ぎますから」
「……言い方に何か含みを持たせてないか?」

それでなくても……そんな言外の響きを感じ取ったのか、祐一が不満そうな顔をする。
それでも美汐は涼しい顔で受け流すのだが。



「それで? 結局、何なの?」
「……ま、いっか。で、名前だな? それは、“九龍幻想団”だ!」
「くりゅう、げんそうだん……?」
「あははー、まるでサーカスみたいですね」

舞の呟きに、佐祐理の容赦ない突っ込みが続いた。
悪気はないが、逆に、そこが祐一にとっては辛い。



「……まぁ、サーカス云々はどうでもいいわ。その名前の意味は何なの?」

留美がフォローするかのように言う。
少しばかり沈みそうになっている祐一への、彼女なりの優しさ、というところだろうか。

「おう、もちろんあるぞ」

目を輝かせて答える祐一。
留美の作戦は功を奏したようだ。

『それで、何なの?』
「おう。幻想団ってのはあれだ。俺達の存在はできるだけ隠しておきたいって意思と、神器を完全収集するって意志を込めて、だよ」
「そっか。幻想の武具って言われてるもんね、神器は」
「そういうこと」

みさきの言葉に満足気に頷く祐一。

「なるほどね。それで“九龍”ってのは?」
「俺達の数」
「……十人じゃない」
「いや、九頭龍をイメージしてるからな。だから、九の頭と一の体で、合わせて十ってことだよ」
「……屁理屈ですね」
「屁理屈屁理屈〜♪」
「茜はともかく、詩子の言い方は、微妙に腹立つ気がする……」

不満げな祐一の声。
彼には、それなりに自信があったのだろう。





「でも……祐一は、中心だから」

けれど、舞の言葉に、全員の動きが止まる。
この場にいる面々は、それぞれ強い結びつきを持っているが、その中心にいるのは……

「……そうね。そう考えたら、その名前も結構納得できるかもね」

雪見が、全員の気持ちを代弁する。
彼女達が巡り合えたのは、彼女達が居場所を見つけられたのは、祐一の存在によるところが少なくないのだから。

「……」

言われた祐一は、さすがに少し照れくさそうにしていた。
全員が祐一に救われたと思っているのと同様に、祐一もまた、全員に救われたと思っているのだから。

「それじゃ、決定だね」

みさきが、嬉しそうな笑顔で結論を下した。
楽しそうに話すその姿からは、不安や後悔といった気配は微塵も窺えない。










「それで、何から始めるんですか?」

それからほどなくして、美汐が祐一に尋ねる。
もっとも、彼女の場合、それも既に想像がついていることだろう。
だからこれは、あくまでも確認のための問いかけ。
問われた祐一もまた、淀みなく答える。

「とりあえず未知のものに関しては情報の収集からだな。んで、わかってるものは、実際に取りに行こう」
「……まずは交渉ですね。それで解決すればいいのですが」

美汐の言葉はもっともなものだ。
戦いに身を投じる覚悟を決めたといっても、戦わずに済むならそれに越したことはない。

「まぁ金はいくらでもあるしな。俺の能力も取引材料にはなるだろうし」
「けど、祐一の能力ならともかく、お金はどうかしらね? 道楽で神器を集めてる人間には通用しないわよ」
「まぁ、ケース・バイ・ケースでいけばいいさ」
「けーすばいけーすって、何?」
「……佐祐理、任せた」
「あはは……はい」
「……?」





こうして、後にS級賞金首として名を馳せることになる彼らの物語の幕が、静かに上がった。
果てに待つものが希望なのか、絶望なのか。
それは分からなくとも、彼らの歩みは止まらない。
そう、決して。













後書き



過去編完結。

これでようやく第一章に移行できます。

あとちょっと……あとちょっとなんだ……

四十話くらいまでいけば、あとはしばらく楽ができるんだ(何?)

ま、まぁ何にしても、ようやく話が本題に入ってくるわけですし、頑張っていきたいと思います。