茜と別れた詩子は、茜と同じく、右に左に折れ曲がる廊下をひたすらに駆け抜ける。
その足取りに迷いがないのもまた同様。

「……見つけた」

何度目かの曲がり角を越えた辺りで、エネルギーの高まりを感知した詩子。
その持ち主がいるだろう部屋……そこの扉の前で、足を止める。

「入ってこいってことなのかな?」

首を傾げる詩子。
中の気配は、まるで動く気配がなかった。
詩子がドアの外に来ていることに、まさか気付いていないわけはないだろう。
つまりこれは、中に入ってこい、という意思表示か。



「……虎穴に入らずんばってトコだね」

くすりと笑ってから、詩子がドアノブに手をかける。
たとえ誘いであったとしても、他に彼女が取ることができる選択肢などないのだ。
素通りするわけにはいかないのだから、真っ向から闘いを挑むしかない。
覚悟を決めて、ドアを開ける。





「……ようこそ」
「こんにちは」

静かに開けられたドアの向こうには、広々とした部屋があった。
あるいは、ここは鍛錬場とかそういう場所なのかもしれない。
とにかく、その広い部屋の中央部で、一人の男が仁王立ちしていた。
歓迎の意を示すはずの言葉とは裏腹に、その表情はどこまでも厳しい。



金色の短髪に、鋭い目。
まるで睨むかのようにして詩子の方を見ているが、これは彼の生来のものなのだろう。
年齢は三十代半ばくらいか……身に纏う落ち着いたような雰囲気は、しかし冷静と言うよりも冷徹という言葉がふさわしい。
全体的に怜悧な印象が強く、場所が場所なら、一人の紳士と見ることもできただろう。
細身の身体に、動きを邪魔しない程度の服装は、身なりにも気をつけていることが窺える。
機能性を重視しつつも、デザインも凝っていて、黒を基調としたその着衣は、部屋の白い壁によく映える。

だが、それ以上に目を引くのは、彼の右手に収まっている一振りの剣。
見た限りでは、普通の刀身にしか見えないが、柄や鍔の部分に見える凝った意匠から、それが普通の代物ではないことがわかる。
どこか懲り過ぎの嫌いがあるのだ。
まるで何かのゲームに出てくるデザインのように、いっそ無駄と思えるほどの意匠……それはどこか芸術作品を思わせる。
少なくとも、機能性を重視しているならば、あんなにぐねぐねと折れ曲がった鍔はないだろうし、そこまで華美に飾る必要もないだろう。



「あなたが詩子さんの相手なんだね?」
「……聞くまでもないだろう?」

表向きは、どこか穏やかなやり取り。
だが、内心はどうだろうか?

ともあれ、奇しくも、同時に展開されている茜の戦いの――剣対楯の構図と似通っている状況。
もっとも、今度は剣と楯の立場は逆だったが。















神へと至る道



第52話  一心同体の剣















「それにしても……その剣、無駄に派手だね」
「私の剣を愚弄するのか?」

笑顔の詩子の言葉に、少し苛立ったような言葉が返ってくる。
見れば、眉間の皺が少し深くなっていた。
自分の得物のデザインに自信があるのだろう。
もちろん、芸術的な意味で。

ともあれ、詩子はその言葉を聞いて、なるほど、と内心で思う。
凝りに凝った意匠といい、それに対する入れ込み具合といい、あの剣が、彼の手によって創られたものであることは間違いないだろう。
となると、目の前の男は、タイプM能力者であると考えるのが自然だ。
今はまだ詳しいことはわからなくとも、タイプMだとすれば、あの剣にも何かしらの特性が備わっていると考えた方がいい。
少なくとも、普通の剣と考えるべきではない。



「それじゃやろっかな」

詩子は、春風の加護(フェアリー・クロス) を一振りして、笑顔のまま男と対峙する。
詩子の手の中で、カラフルなそれが静かに踊る。
それを見ても、男はまだ動かない。

「……シイコ・ユズキ。絶対の防御力を備える能力者と聞いていたが……なるほど、それがお前の力か」
「へぇ、詩子さんってば有名人なんだね」

自身の能力が知られていても、なお詩子の表情は曇らない。
変わらず笑顔のまま、軽い調子で男の言葉を受け流す。
それは絶対の自信の表れか、それとも単なる開き直りか。
男は油断なく詩子を見ている。

にこにことしている詩子と、それを睨み続ける男。
奇妙な静寂はしかし、長くは続かない。





男が、だらんと下げていた右手を、ゆっくりと上げる。
軽く握られた左手は下がったまま。
ゆっくりと肩の高さまで上げた右手を、まるで刀身を詩子に見せ付けるようにして、ゆらゆらと揺らす。
その奇妙な動きもあって、まるで刀身が波打っているかのように見える。
詩子の視線が、知らずその刀身に引き寄せられる。

ダンッという音が耳に届いた時には、既にその刀身は、詩子の目前まで迫っていた。
けれど彼女は焦らない。
春風の加護(フェアリー・クロス) は、男の言ったように、絶対の防御を実現する。
いくら不意を突かれたとしても、素直にくらうはずもないのだ。



「甘いよ!」

いつものように、自分に襲いかかってくる剣を春風の加護(フェアリー・クロス) に収め、その衝撃を完全に吸収する。
男の右手は、完全に動きを止め、剣は一枚の薄布により完全に妨げられている。
今が好機……詩子が、フリーになっている左手で相手を攻めるべく、エネルギーをこめる。










「っ……!」

相手を攻撃しようとしていた詩子の動きが、一瞬止まる。
驚きと苦痛を示すような、詩子の表情。
先程までの笑顔は既になく、微かに歪んだ口元から、痛みを堪えていることがわかる。

ポタポタと地面に落ちる血。
それは、詩子の右足の大腿部から零れていた。
見れば、明らかに斬られたとわかる傷が一条。
それほど深くなかったのが幸いと言えば幸いだが、出血量は決して少ないわけでもない。
どう見ても、皮膚だけ切られたという傷ではなかった。
唇を噛み締めるようなその表情も、やはり冴えない。

そして同時に、少し混乱気味の様子。
完全に、攻撃は受け止めたはずだった。
あの衝突の瞬間にも、彼の刀身は、完全に運動エネルギーを失っていた。
どうやっても、自分を傷つけることなどできなかったはずなのに……
そんな疑問が、詩子の頭を渦巻く。
だが、考えても解答は見つからない。
あの剣が斬りつけてきたのか? 防壁を突き破る何かでもあったというのか? それとも他に何かあったのか?





「甘いのはどっちだ?」

警戒してか、それ以上の追撃を加えることなく後ろに退いた男の口から、皮肉げな言葉が飛び出す。
とんとん、と肩に刀身の背を当てながら、左手をだらんと垂らした状態は、先程と全く同じで。

「確かにそいつは大したものだ……が、攻略できないほどのものでもない」

冷静に見据えるその目も、冷徹さを感じさせるその言葉も、先程と同じ。
男は、肩を叩くようにしていた剣の動きを、再び止める。

「さて、次はどうかな?」

今度は、頭上高く大きく振りかぶると、そんな不自然な体勢のまま、左肩を突き出すようにして、突進してくる。
照明を受けて刀身が不気味に煌く。
かなりの速度……だが、知覚できないわけではない。
詩子の目にも、男の動きははっきりと見える。

大上段に振りかぶられている剣を止めることなど、造作もないこと。
勢いよく振り下ろされる男の右腕。
唸りを上げる刀身。
それでも詩子には届かない。

今度こそ見極める……!
その意志でもって、詩子は、衝突の瞬間に意識を集中させる。
刀身が、そして右腕がはっきりと見える。
それが春風の加護(フェアリー・クロス) に吸い込まれる瞬間も、瞬きすらせずにしかと捉える。

やはり止まる刀身。
動かない右腕。
完全に受け止めた。

刀身に意識を集中しているが、何も変化は見られない。
剣が何かを発する気配も、変質する気配も窺えない。
今度こそ止めたか?
そう結論付けようとした詩子。
だが。



「くっ……!」

ザグッという音が聞こえた瞬間に走る、鋭い衝撃。
左足に感じる熱に、詩子が呻き声を漏らす。
どくどくと血が流れる感触……傷口が熱い。
思わず膝をつきそうになるが、何とか耐える。

今度の傷は深かった。
左大腿部に、やはり一条の刀傷ができている。
溢れるように流れ出る血。
それは足を伝い、靴を濡らし、床に染み入る。
床にできた赤い染みが、じわりと大きくなる。





「防壁と言っても、その程度ということかな?」

余裕の態度で話す男。
一撃毎に場を退くのは、それでも詩子の能力を警戒しているからだろうか?
それとも、他に何か理由があるのだろうか?



「……まだまだ、だよ」

痛みに顔をしかめながらも、強がりを口にする詩子。
少し震える足を叱咤し、グッと床を踏みしめる。
流れ出る血は、まだ止まらない。

「ふむ、その余裕、いつまで続くかな?」

その言葉と同時に、右手を水平に伸ばし、今度は横凪の攻撃。
飛び出してくる男を、やはりその場で迎え撃つ詩子。

あの刀身は何の変化もなかった。
となれば、何か別の力が働いているのだろう。
具現化した武器……そこに、何かの特性がある。
そう推察し、春風の加護(フェアリー・クロス) を構えた。
たとえ隠している力があったとしても、警戒すべきはそれだけではない。
襲いかかってくる剣をまず受け止めないことには、どうしようもないのだから。
派手な攻撃で気を引き、それが防がれれば別の手段で攻撃……なるほど理に叶っている。



――でも、今度こそ見極めるよ――



水平にされた刀身が、横凪に詩子へと向けて振るわれた。
空気を切り裂いて襲いかかってくる衝撃。
決して見せかけなどではない、確かな力を持った斬撃。
まずはこの第一撃を受け止めなければならない。

詩子が右手を振るう。
刀身は、春風の加護(フェアリー・クロス) に静かに収まる。
やはり、ここでこの攻撃は終わりだ。



――ここからっ!――



グッと歯を噛み締め、自身の周囲に注意を払う。
隠している何かがあったとしても、それが襲いかかる瞬間は必ずあるはず。
それを見極め、制止させられれば、彼女にも勝機が生まれる。

男の右腕を封じた右手はそのままに、左手で追撃を抑えるべく、その瞬間を待つ。
たとえ攻撃をくらったとしても、今度こそその正体は見極めてみせる、という強い意志。
最大限の警戒と注意を払う。





「ぁっ……!」

声ならぬ声。
詩子の目が、大きく見開かれる。
次いで、苦痛に顔が大きく歪む。
見下ろした目に映る空間に、パッと広がる赤。
脇腹から、鮮血が散った。



「……なんで?」

少し掠れた小さな呟き。
意識したものではない……思わず漏れてしまっただけ。
そのくらい、今の詩子は動揺していた。

「……っ!」

だが、表情に浮かんでいた動揺は、すぐに苦悶へと変わる。
まるで波のように、脇腹から振幅を伴って押し寄せる痛み。
内臓にまで達してはいないだろうが、激痛であることは否めない。
赤く染まってゆく自分の着衣に、傷の深さを知る。





「ふん……どうしたんだ? 何かおかしなことでもあったのか?」

わかっていないわけもないだろうに、どこかからかうような男の声。
詩子が動揺しているのを目にして、少なからず愉悦を感じているのかもしれない。
少しだけ、額の険が緩んでいる。



詩子が動揺するのも無理はない。
彼女の目には、何も見えなかったのだから。
注視していたはずなのに、何の前触れもなく脇腹から激痛が走り、詩子は、そこでようやく自分が斬られたことに気付いたのだ。
その間、何も彼女に触れてはいないはずだった。

右手は止められていた。
何かが発射されたわけでもなかった。
詩子の目には、何も見えなかったのだ。

だが、何かが自分の身体を傷つけていった。
いったい、彼が持つ右手の剣には、どんな特性があるというのか。

その状況に、多少なりとも混乱してしまうのは仕方がないだろう。
だが、ここでいつまでも混乱し続けたり、あるいは玉砕覚悟で特攻したり、といった愚を冒すような詩子ではない。
少し俯きながら、相手が余裕を持ってしまっている今の時間を利用して、必死に頭を働かせる。



――……何があったんだろう?――



脂汗を浮かべて苦痛に耐えながら、それでも思考を止めることはない。
思考の猶予は、数秒に満たない。
相手は決して待ってはくれないのだ。



――……もしかして……――



と、あることに思い至る。
目の前の男がタイプMであるという事実。
具現化された一振りの剣。
無駄なまでに華美な装飾と、大仰な動作。
そして目で確認できない攻撃。
そこから考えられる、一つの可能性。



――……そう考えれば、色々納得できるね――



一つの仮説を立てた。
それが真実であるかどうかはわからない。
だが、その仮説なら、男の攻撃や動作の説明がつくことは間違いない。
ここは、賭けに出るしかない……詩子は、そう決めた。





「……ほう、まだやるつもりか?」
「当然。だって、まだ負けてないもんね」

ダメージは小さくない。
それでも、不敵に笑みを浮かべる詩子。
やせ我慢でも、まだ笑うことができる……それに力を得て、グッと春風の加護(フェアリー・クロス) を握り締める。

そんな詩子の様子に、男の表情もまた、再び厳しさを取り戻す。
詩子の目は、まだ輝きを失ってはいない。
まだ、心は折れていない。
ならば、次こそ叩き折る……そんな決意をこめて、右手を掲げ、突きの体制をとる。

春風の加護(フェアリー・クロス) を、まるで闘牛士のように掲げる詩子。
右手だけで突きの体制をとる男。

一瞬の静寂が場を満たす。
時が止まったかのような状況は、しかし、やはり男によって崩される。





「ふっ!」

一直線に詩子に向かって駆ける男。
正真正銘、これが彼の全力……先程までの攻撃より、さらに一段速い速度。
突進の速度に加えて、体の捻りを利用した右の突き……この一撃は、回避できない。

バッ、と。
やはり春風の加護(フェアリー・クロス) を振りかざす詩子。
たとえ何度も同じ攻撃にやられていたとしても、詩子が取り得る行動は、これしかない。
そしてまた、これで防げないはずなどないのだ。



ファサッという音が、静かに零れる。
詩子が右手を払いながら、自分の心臓を狙ってきた突きを、春風の加護(フェアリー・クロス) で受け止める。
再び、エネルギーを失う剣。
ここまでは、先程と同じだった。










ブシュッという、何かが噴き出すような音。
苦痛に歪む詩子の顔。
だが。

「なっ……!」

それ以上に変化が激しかったのは、男の表情。
驚愕に目を剥いている……目の前の出来事に頭がついていけない状態なのだろう。



それもそのはず……詩子のとった行動は、春風の加護(フェアリー・クロス) で受け止めた剣を、わざわざ左手で掴んだことなのだから。
剣先を握り締めたのだから、血が噴き出すのは当然。
痛みに顔を顰めるのもまた当然。
だが、これによって春風の加護(フェアリー・クロス) がフリーになったのだ。



フリーになった右手。
詩子はこれを、まず頭上高く上げた。
彼女の視界が大きく広がる。
男の全体像が、余す所なく目に映る。



顔……目を剥いて、驚愕を露にしている。
右手……先と変わらず、剣を手にしている。
左手……まるで何かを掴んでいるかのように握り締められていて、それを今まさに横凪に振るおうとしている。



「そこっ!」

詩子に自分の行動を捉えられても、男はもう動きは止められない。
勢いそのままに、横凪に振るわれる左手。
だが、それはもう詩子には通用しない。

鋭い声とともに、春風の加護(フェアリー・クロス) が、男の左手の先に振り下ろされる。
そのまま、何もないはずの空間を包むようにする詩子。
グッと右手でそれを掴むと、そこには何か固い感触があった……そう、まるで剣のような。





「くっ!」
「……やっぱりね。ずいぶん右手の動きが派手だとは思ってたけど、見えない剣を左手に持ってたんだ」

攻撃が失敗した事実に顔を歪める男を見て、詩子はため息混じりに呟く。
両足も、脇腹も、そして左手も。
激痛があるだろうに、それを堪えて、相手の両手の剣を封じ続ける。



気付いてしまえば、何のことはない。
先程から詩子を攻撃し続けていたのは、この見えない剣だったのだ。
剣を見えなくするということは、難しいとはいえ、能力者ならできないわけではない。
だが、剣を見えなくしたこと以上に賞賛すべきは、彼が見えない剣だけで戦わなかったこと。

見える剣と見えない剣の二刀流……その選択は、見事と言うべきだろう。
最初から手に何も持っていなければ、すぐに気付くこともできたかもしれない。
だが、最初から見える方の剣を認識させられていると、どうしてもそちらに注意がいってしまう。
その思考を利用し、その思考の影に、男は見えない剣を隠していたわけだ。

まず左手はやる気なさげにだらんと下ろしておいて、右手を過剰なほどに動かしてみせる。
自然に、相手の注意は、右手の剣に払われやすくなる。
それを見越して、右手で攻撃……これもまた、必要以上に大きな動作で行う。
その結果、だらんと下げられている左手は、相手の目からも思考からも死角に入る。
右手の攻撃を止めることに注意を払っていると、左手の攻撃が襲いかかる、ということだ。

おそらく、詩子の春風の加護(フェアリー・クロス) によって阻まれた領域で左手を動かし、彼女を攻撃していたのだろう。
詩子が自分から死角を作っていたようなものだとも言える。
けれど、右手の攻撃も十分すぎるほどの攻撃力を秘めていたのだ。
されば、それを防御しないわけにはいかない。
すると死角ができ、左手の攻撃を防げなくなる……どこまでも悪循環。

その辺り、実に狡猾と言える。
なぜなら、見える剣と見えない剣、という正体を知られていたとしても、決して致命的にはならないからだ。
見えない剣に注意を払い過ぎれば、見える剣の方が。
見える剣に注意を払い過ぎれば、見えない剣の方が。
それぞれ脅威となってしまう。



「……ホント、厄介な能力だね」

その考えられた能力に、詩子も感嘆の言葉を紡がずにはいられなかった。
だが、お喋りの時間などない。
相手が驚愕から覚める前に、この数瞬の隙に、全ての決着をつけなければならない。
この機を逃しては、もう相手の攻撃を防げなくなる可能性が高いからだ。

「くっ……!」

噴き出す血と走る激痛を無視して、詩子は、左手で剣を握り締める。
そしてそのまま、その剣を春風の加護(フェアリー・クロス) の中に入れてしまう。
これで男の双剣の両方が、詩子の手の内だ。
それに男が気付いた時には、既に手遅れだった。



「なっ! 消えた?!」

男の右手と左手から、握っていた柄の感触が失われる。
完全に想定外の出来事……能力の強制消失。
春風の加護(フェアリー・クロス) は、受けたエネルギーを吸収することができる。
それはつまり、エネルギーによって創り出した道具を消失させることもできるということでもあるのだ。

「勘違いしないでね。これ、楯なんかじゃないんだよ?」

素早く後方に飛び退き、ある程度の距離をとってから、まるでなくなった剣が中にないことを示すかのように、手のそれを振ってみせる詩子。
微かに浮かべる笑みは、自身の勝利を確信してのものか。

「それともう一つ……」

驚愕する男を尻目に、詩子は、春風の加護(フェアリー・クロス) を彼に向かって投げつける。
男の視界一杯に広がるカラフルな模様。
浅からず狼狽していた男は、反射的にそれを目で追ってしまう。
と。



「私にだって、攻撃手段がないわけじゃないんだよ」

詩子が、一瞬で二人の間にあった距離をゼロにして、春風の加護(フェアリー・クロス) の影から、すくい上げるように右の拳を男の腹部に叩き込む。
男に反応する間も与えずに、それは完全に鳩尾へと入った。
走る衝撃によって、男が目を見開いたまま硬直する。
もちろん、彼女の攻撃はここでは終わらない。

詩子は、微かに浮き上がった男の体を見やりつつ、血に濡れた左手と鳩尾から移動させた右手で、その襟首をしっかりと掴む。
生じる痛みはグッと我慢して、全力を振り絞る。
そのまま、首を締め上げながら、背中に男の身体を背負うようにする。
腰を落とし、相手の足を払う。
そして、そのまま容赦なく、脳天から男の身体を床へと叩きつけた。
弾ける床石。
鈍く響く衝突音。

受身などとれようはずもない。
直撃した床の部分は、少なからず割れてしまっている。
当たった頭部そのもののダメージなど、考えるまでもないだろう。
頭蓋骨が砕ける音が、詩子の耳にも聞こえていた。



「詩子さんを、楯だけの女だなんて思わないでほしかったね」

どこかすっきりしたような表情で、そう呟く詩子。
ひらひらと床に落ちた春風の加護(フェアリー・クロス) を広い、それを虚空に消す。
それから、詩子はゆっくりと立ち上がった。

「あっ! いたたたた……」

その笑顔も束の間。
両足の傷こそ、大分血は止まっていたものの、未だ脇腹と左手からは、血が流れ続けている。
その量は、決して致命的になるものではないが、無視できるものでもない。
少し涙目になりながら、心底痛そうな表情で、左手を見る。
どこか恨めしげな目。

「はぁ……せめて血だけでも止めとかないと」

ごそごそとポケットを探って、包帯を取り出す。
こんなこともあろうかと、応急処置セットを持ってきていたのだ。

止血を施し、傷口にガーゼを当て、くるくると包帯をそこに巻きつけ、処置を終える。
まだ痛みはあるけれど、ここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。
これならば、とりあえず戦うことはできるだろう。



「まだまだ上に変な人がいるみたいだし。あーあ、やだなぁ」

そう、戦闘はまだ終わってなどいないのだ。
まずは茜に合流して、一緒に上に向かわなければならない。

「ま、仕方ないよね」

ちらり、ともう一度だけ男に目を向けてから、部屋を出るために歩き出す詩子。
ひょこひょこと少し頼りない足取りだが、それでもしっかりと前へ。
部屋を出て階段のところまで戻り、そこで待っていた茜と再会した時には、彼女の表情にも笑顔が戻っていた。









 続く












後書き



ようやく改訂作業完全終了です。

いや実に長かった。

いろんな意味でしんどかったですが、まぁ終わってみれば、やって良かったとか思えてくるから不思議です(笑)

何はさておいても、これでやっと話が進むわけです。

ぼちぼち進めていくつもりですので、気長にお待ちくだされば。

それでは。