『ねぇ、おねえちゃん』
『なぁに、シオリ』
真っ暗な空間に、2人の幼い少女がいる。
ベットに臥せっている妹。
傍らには幼いあたし。
それだけで、これは夢なのだと理解した。
『ごめんね、シオリのからだのせいであそびに行けなくて』
『……そんなことはいいから早くねなさいよ』
この日は確か……父が久々に休みで、家族揃ってどこかに遊びに行く事になっていたはず。
でも生まれつき病弱だった妹は熱を出して、取りやめになった。
ベットで、シオリが凄くすまなそうにしていたのを覚えている。
『うん。ありがとう、おねえちゃん』
えへへと、はにかんで笑う。
その様子に照れて、少し焦りながら寝かしつけた。
『わたしはシオリのお姉ちゃんなんだから、妹をたすけるのはあたりまえなのよ?』
そう、当たり前。
でも……
『わ、じゃあおねえちゃんはシオリのひーろーさんです』
『ヒーローは男なんだけど……』
この頃から、妹はドラマが好きだった。
ドラマのハッピーエンドに憧れがあったのだろうか?
自分の体も何時かドラマみたいに治る日が来ると、思っていたのだろうか。
『シオリになにかあったら、たすけくださいね』
『もちろんよ。わたしはお姉ちゃんなんだから』
嘘。
あたしはただの子供に過ぎない。
今も昔も。
あたしは無力だ……。
スーパーロボット大戦 ORIGINAL GENERATION
Another Story
〜闇を切り裂くもの〜
外伝 彼女、そして妹とその彼氏の事情
ゆっくりと意識が浮上し、自然と目を開いた。
目に入るのは色褪せた自室の天井。
ベットの上で上体を起こす。
目覚めは最悪。
何故自分の無力さを夢でまで見なければならないのか。
目を擦ると少し涙の跡があった。
「ふん」
両手で擦って完全に消す。
寝起きで酷い顔が更に酷くなったかもしれないが無視。
こんな顔を家族、特にシオリに見せるわけにもいかない。
あたしは姉なのだ、少なくとも妹の前では強くありたい。
「あ、おはようお姉ちゃん」
洗面所で一通り準備を済ませてリビングに入ると、少女特有の高い声。
おはようと挨拶しながら声の主に顔を向ける。
こげ茶色の髪を肩口まで伸ばした線の細い女の子。
シオリ。
あたしの妹……。
見た目元気そうなこの子が原因不明の病だなんて、誰が予想できるだろうか?
少し走っただけで倒れ伏してしまうような病だと……。
いや、きっと誰も予想できないだろう。
「中々早起きね」
「勿論です、ジュンさんにお弁当を食べてもらうためですから」
「毎日愛妻弁当なんて、キタガワ君も果報者ね」
「えへへ」
幸せそうな顔して……キタガワ君には感謝しなきゃいけないわね。
あたしだけじゃ無理だった事だもの。
「あら、カオリちゃんおはよう」
「おはよう母さん」
「シオリはお弁当包んで準備なさい」
「は〜い」
パタパタと台所へ慌てて移動する。
その後姿を、母さんは眩しそうに見やった。
得体の知れない病気でも、シオリが元気そうにしてくれているならあたしたちは幸せなのだ。
「母さん」
「は、はい?」
「ご飯ちょうだい」
「あ、はいはい。今日は和食だけど構わないわよね?」
「ええ」
大抵朝はパン食だけど、お米を食べるのも好きなのだ。
ナユキみたいに朝食に拘りがあるわけでもない。
やはり、彼女は今日も食パンに苺ジャムを山盛りの朝食なのだろうか?
キンコンと、チャイムの音が響く。
あたしは、この鉄琴を叩いた音のようなチャイムが結構気に入っている。
「はいはい。何時も通り時間ピッタリね、シオリ」
「はい。玄関開けてきます」
「行ってらっしゃい」
ドアを開けると、パタパタと往く。
あの子が出せる最高速に近い速さの歩みだ。
そこからも彼への愛情が見て取れる。
……妹を取られたようでちょっと悔しい。
「やっぱりキタガワ君?」
「ええ。相変わらず熱いわね。学校でもラブラブ?」
「そうね。見てるこっちが恥ずかしいわ」
昼食時なんて本当に恥ずかしい。
人が滅多に来ない、進入禁止の屋上前で食べているからまだ良いのだけど、他の人間がいたらあたしは逃げるわ。
恥ずかしげもなく「あ〜ん」なんてやったりするし。
「もう諦めてるけどね。それはそうと母さん」
「な〜に?」
「その歳でラブラブなんて言わないで」
「えぇ? お母さんだって使ってもおかしくないでしょ? 第一私はまだまだ若いわ!」
外見はね。
一緒に歩いてると姉妹に間違われるなんて、我が親ながら変すぎる。
実年齢を知っているあたしだから、姉妹と言われるとこちらが老けてると思えて甚だ面白くない。
父さんはそれなりに渋さのある外見なのに……。
「それにしても遅いわね」
「そうねぇ〜、カオリ見てきてくれる?」「嫌」
「そんな即答!? 嗚呼娘が反抗期? でもカオリは反抗期もう過ぎたはずだし……」
「そういう問題じゃないわ」
そう、そういう問題ではない。
今玄関などに行ったら、独り身のあたしとしてはキツイのだ。
今までの統計的にそろそろ終わるはずだが、妹とその彼氏は日課中のはず。
「おはようのキスなんてねぇ〜」
「そうそう、って知ってたんなら自分で行って」
「やだ。馬に蹴られたくないもの」
そこで廊下から足音。
どうやら予想通り終わったらしい。
一度あれを見た時は固まってしまった。
その際キタガワ君と目が合って、その日1日お互い気まずかったのを覚えている。
「さ、ジュンさんどうぞ」
「おう。あ、シキさん、おはようございます」
「もう、お義母さんて呼んでって言ったじゃない。はい、もう一回」
「お、おはようございます、お…………お義母さん」
「はい、ジュン君おはよう」
楽しそうね我が母親は。
多分今のあたしはかなり冷めた目をしている事だろう。
正直このやり取りも飽きたわ。
毎日付き合ってるキタガワ君の忍耐力には、心から敬意を表す事も吝かではないわね。
「じゃあわたしは支度してきますね」
「おう、まだ時間はあるからしっかりな」
「はい」
「じゃあジュン君には何時も通りコーヒーを淹れるわね」
「あ、お願いします」
静々と移動する妹と、パタパタと移動する母。
……やはり母は落ち着きが足りない。
シオリは走れないのだから仕方ないのだけど、母さんはもう少しこう、ねぇ。
「どうしたミサカ、朝っぱらから頭を押さえたりして?」
「我が母の落ち着きの無さを憂いていたのよ」
「はは……」
「あれで39なんだからこの世は不思議……甘いわね」
軽く首を傾ける。
左側面を通過した物体は壁に当たって落ちた。
今日は何だろう?
「カオリちゃ〜ん? 女性の年齢をみだりに話しちゃいけないって言わなかったかしら?」
「聞いた事あるわ」
「そうよね、口をすっぱくして教えたものねぇ」
「キタガワ君、今日は何が飛んできたのかしら? 生憎とこちらからだと死角になって見えないのよ」
「ああ、今日は保冷剤みたいだな」
「溶けてるかしら?」
「ああ」
「じゃあレベル2ね。大した事無いわ」
「……相変わらずでんじゃらすな親子だな」
最近はそうでもないんだけどね。
三十路に入ったときが1番洒落にならなかったもの。
うっかり30歳って言った瞬間にゴーヤジャムを食べさせられたものだ。
今思い出してもあれは苦かった。
どこから手に入れたのか分からなかったが、数年前その疑問も氷解した。
昔から保護者同士の繋がりがあったのだろう、アキコさんの失敗作を入手していたようだ。
「こらカオリ無視しない。はい、ジュン君これコーヒーね」
「ありがとうございます」
「別に無視してたわけじゃないわ。過去を回想していたのよ」
「聞いてないなら同じ事! 全く変にあの人に似てきたんだから」
「そうかしらね?」
「そうよ。あたしが言うんだから間違いないわ」
キタガワ君が拾った弾丸を持ってキッチンに戻る。
まぁ長年連れ添ってきた母さんが言うならそうなのだろう。
正直どうかとも思うけど。
「じゃあ行ってきます」
「は〜い、頑張ってね」
玄関のノブを握り締め、しっかりと閉じるまで押し込む。
ガチャリと音がすれば完了。
向き直った先には、妹とその彼氏が待っている。
「じゃあ行きましょうか」
「ああ」
「出発ですね」
3人で歩き出す。
あたしは何時も最後尾だ。
2人が手を繋いで歩くのを何となく目に入れながら進む。
本当ならシオリは学校に行く事はなかった。
普通に見たなら健康そのものだが、あの子は未知の病に冒されている
本人があたしやキタガワ君と一緒の学校に行きたがった事と、皮肉にも有効な治療法が無い事が通学を可能にした。
最初こそ心配でたまらなかったが、今では病院で検査漬けの毎日を送るよりは良いと思ってはいる。
走ったりしなければ取り敢えず倒れたりもしないから。
「ふふ」
「どうしたシオリ?」
「今日のお弁当は自信作なんですよ。だから嬉しくて、楽しみにしていてくださいね?」
「おう、シオリの弁当は美味いからな」
「ホントですか?」
「ああ。さすが俺の彼女だな」
「えへへ、なら嬉しいです。お姉ちゃんは何時も甘いー、って言うんでちょっと気になってたんですよ」
「実際甘いわよ」
反射的に口をついた。
今でこそ少し甘い程度になったが、料理しだした当初は筆舌に尽くし難い甘さだった。
あたしが辛党なのを差し引いたとしても甘かっただろう。
まだまだコドモだった年齢だから、それはまぁある程度は仕方なかったかもしれないが。
「でも俺にとっては丁度良いぞ。甘いの好きだからな」
「そういう意味でもシオリにピッタリの彼氏ね、キタガワ君は」
「そ、そうか?」
「そうです! 私にとってジュンさんより良い人はいません」
「ありがとう……」
「はい……」
……天下の往来で見詰め合っちゃってまぁ。
人がいないから良いけど、これがこの2人の欠点と言えば欠点ね。
見ている方がほのぼのとなれるカップルなのは確かなのだけれど、独り身にはやはり目に毒だわ。
シオリの歩行速度に合わせる為に、人通りが少ない早めに出てるのはやはり正解ね。
「あ、カオリ〜」
「幻聴?」
「おはよ〜」
でもなさそうね。
振り向ければ、青みがかかった髪の生徒がかなりの速度で駆けて来る。
どう見てもあたしの親友、ナユキ・ミナセだ。
……内心でも自分で親友って言うのはちょっと恥ずかしいわね。
「おはようナユキ」
「おはよ〜」
「ミ、ミナセ……さん?」「ナ、ナユキさんですか?」
「……何その反応?」
まぁ分からなくもないわね。
何時もはもっとギリギリだもの。
しかし早い時間でのナユキの出現は、あの2人の空間を解除する程なのか……。
あの空間がちょっと眩しすぎたあたしには良い事だ。
「いや……ミナセさんおはよう」「……ナユキさんおはようございます」
「その間が気になるけど……まぁ良いや、おはよう」
ナユキを加えた事で、停止状態から移動を開始する。
前にシオリとキタガワ君、後ろはあたしとナユキの2列で進む。
横一列だと車が通ったりした時危ない。
最近そんな事も理解していない馬鹿な学生をよく見るのだが、まったく嘆かわしい事だ。
「カオリ、眉間に皺寄ってるよ? 心配事?」
「ミサカは考える人だよなぁ。大抵その顔してる」
「お姉ちゃんは少し心配性すぎますよ」
「……好き勝手言うわね。ちょっと現代社会の学生について考えていただけよ」
「わたしたちもまだ学生だよ〜。ウチのお義兄ちゃんもよくそんな事言ってるけど、それ面白い?」
「時間は潰せるわ」
そうか、ナユキの義兄さんも現代の学生に嘆いているのか。
あまり面識は無いけど中々………そう言えば、重婚してると聞いたキタガワ君が尊敬に値するとか言ってたわね。
当然シオリと教育しておいたけど。
まずシオリの面倒をしっかり見てもらわないとね。
「あたしの嘆きは置いといて、ナユキは何故今日だけこんなに早いの?」
「それは俺も聞きたかった」
「あ、当然わたしもです」
ナユキの登校は何時ももっと遅い。
遅刻こそしていないが、毎日走って予鈴と同時に教室に入ってくる。
……よく考えれば、今日みたいに登校時に走っていないナユキはかなりレア?
「ん〜」
顎に人差し指を当てて可愛く唸っているナユキ。
あれはどう言うべきか考えている顔ね。
シオリもたまにやるけど、その仕草と顔は可愛らしい。
あたしがやろうと思っても無理だけど。
どうしようもなく照れが出て、次に自分の性格との絶対な違和感が出て、多分最後に……逃げる。
「恐ろしいわ」
「何がだ?」
「気にしないで」
「分からないが分かった」
「う〜……今日はアキナに起こしてもらったんだけど」
「またですか?」
「5歳児に起こされる高校生って外聞悪くないかミナセ?」
「うぅ、だって自分じゃ起きれないし……」
相変わらず大変ね、アキナちゃんは。
思わずあの利発な少女を脳裏に思い浮かべる。
ミナセ家に常住しているのは3人。
ナユキとその姉のアキコさん、アキコさんの娘のアキナちゃんだ。
家族としては後4人いるのだが、軍人やその被保護者な為、他の基地に赴任中だとか。
近場の基地に勤めているアキコさんだけミナセ家に住んでいる。
ただそのアキコさんも基地に泊り込む事が多々あるらしく、ナユキとアキナちゃんが家に2人だけという事もあるらしい。
アキナちゃんは基地の託児施設にいる事も多いらしいが。
そういった子供の為の施設が充実しているのは、連邦の基地のくせに好感度が高い。
「って事は、昨日はアキナちゃん家にいたのね」
「うん。久しぶりに一緒に寝たよ」
「1人で寝かせるのは酷だろうからなぁ」
「私も一緒に寝たいです。アキナちゃんもマリアちゃんも可愛いですし」
「だよねぇ」
確かにあの2人は可愛い。
マリアちゃんは明るく爽やかだし、アキナちゃんは清楚で穏やかだ。
2人とも家庭環境の所為か背伸びしているところもあるが、それもまた可愛らしい。
特にアキナちゃんはナユキを反面教師にしているのか、あの歳にしては異常に大人びている。
「それにアキナを泣かすとお義兄ちゃんに怒られるし……」
「そうなのか?」
「お正月に会った時は気のいい人みたいだったけど」
「お年玉くれましたし」
「甘いよ! あんな擬態に騙されるなんて、3人とも福岡産「あまおう」より甘いよ!」
「あまおうって何よ……」
「苺だよ〜。デラックスサイズなんて子供のコブシ大もあるんだよ? お姉ちゃんに頼んで取り寄せてもらって食べたんだ〜」
「はぁ、そんな大きな苺があるんですね」
「今度手に入ったらシオリちゃんにも食べさせてあげるね?」
「はい、その時は私も取って置きのバニラアイスをご馳走します」
話が進まないわね。
シオリはバニラアイスでナユキは苺、お互い好物についてなら1日中語っていられる人間だから始末に終えない。
……あたしの言葉の所為で脱線した事はこの際無視だ。
だから、キタガワ君の咎めるような視線は気にしない。
「ナユキ、話を戻してちょうだい」
「ああうん。アキナはまだ料理までは出来ないから、今日の朝ご飯はわたしが作ったんだ」
「は?」
「え、何かおかしかった?」
「いえ、全然おかしくないわ」
てっきりお義兄さんの話になると思ったんだけど、更に1つ前に戻ったのか。
ナユキは何時も予想の斜め上を行く……やるわね。
「で、朝食作る分早く起きたからこの時間になったんだよ」
「なるほどねぇ。アキナちゃんは凄いな」
「同感ね」
「じゃあアキナちゃんは家に独りですか?」
「ううん。わたしが出る前にお姉ちゃんが迎えに来てたから、多分もう基地に着いたんじゃないかな?」
「アキコさんは何でこんな早く?」
「替えの下着を取りに戻ったみたい。大人しめのだけ持ってってた」
「へぇ」
キタガワ君、その「へぇ」は気になるわね。
口調は穏やかだけど、一瞬固まったのは見逃していないわよ。
シオリとアイコンタクト。
今日こそ妹はあれを繰り出す事になるかもしれないわ。
「シンプルで色気があまりないのが多かったよ」
「ナユキ? 別にそこまで聞いてないんだけど……」
「そう? やっぱりお義兄ちゃんがいないと勝負下着は持ってかないよね。赤とか黒の高くて艶っぽいのは残ってたし」
「…………ぅ」
「えい!」「ごふっ!! そこ肝臓!?」
「ジュンさん、今想像したでしょ? 彼女が傍にいるのに、ダメですよ」
「わ、悪い。し、しかし良いレバーブローだった……」
「そうですか? お姉ちゃんに教えを受けた甲斐がありました」
「ミ、ミサカ……」
向けられた視線は黙殺。
彼女がいる前で他の女性の下着姿を妄想したんでしょうから、まぁ妥当でしょう。
非力なシオリの為に、タイミングが全ての肝臓打ちを教えた成果はあったわね。
あ、やっと校舎が見えた。
さて今日も勉強しないと。
今は4限目の現国。
残りの授業時間は15分くらいだけど、クラスの4割くらいは気が抜けている。
前の席にいるナユキと、その隣のキタガワ君は見事に寝ているし。
見回せば数人舟を漕いでいる。
(それでも怒らないのは、できた先生と言うべきかしら?)
黒板前の教師の顔に目を向ける。
微笑がデフォルトの老教師は、テストの点さえ取れていれば寝ていても怒らない。
現代文は、授業を受けてなくても読解力さえあれば分かるから、まぁ寝てても良いのだけど……。
(性格的に、ね)
どうにも気になって仕方ない。
それにあたしは眠るわけにはいかないのだ。
昔から決めていた。
家族にはあたしの事で迷惑はかけないと。
シオリの事があるのだから、せめてあたしの成績や素行で両親に苦労はさせないのだと、確か小学生時代には決めていた。
(だからかしら、可愛げのない子供だったわね)
思わず苦笑してしまう。
ボーっと回想している間に白髪の教師が板書を追加していた。
だが2桁の年数に届こうかという優等生の仮面は、考えと平行して条件反射的にノートに書き写す。
思考の分割なんて凄い事やってるわねあたし。
「うぅ、アキナ待って……起きるから苺ジャム取らないで」
…………姪より地位が低いのかナユキは。
朝に関しては今更言うまでもないけど。
他の家族は全員普通に起きれるって聞いてるけど、何でこの娘だけ壊滅的に朝に弱いのだろうか?
前に、ナユキの母親も物凄く朝がダメだったってアキコさんに聞いたような。
「シオリ〜頑張れー」
授業も残り僅かというところで、右斜め前から寝言が飛んできた。
見れば寝ているキタガワ君はいやに力の入った顔。
彼の夢でシオリは何をやってるのかしら。
あの様子だと変な内容ではなさそうだけど。
(思えばキタガワ君には随分世話になっているわね)
彼と初めて会ったのは8年程前。
当時のあたしはシオリにあまり構ってあげていなかった。
いや、もっと言ってしまえば避けていたのだろう。
思春期に入って友人と遊ぶのが楽しすぎて、妹の面倒を見る事に疲れていた。
あたしを見て寂しそうに笑っていたシオリの顔を覚えている。
「キタガワ・ジュン君、お友達になったんだ」
それから少し後、明るい顔をするようになったシオリが、家に1人の男の子を連れてきた。
姉のあたしでさえ見た事もないような、とても嬉しそうに笑う妹。
当時は分かっていなかったが、既に恋をしていたのだろう。
自分と関係ないところで妹が元気になった事が悔しくて悔しくて、意固地になって更に距離を置いた。
「ジュンくん、きょうは『夏のフーガごっこ』しよう?」
「何それ?」
「え、知らないの? おかしいなぁお母さんは、知らないと『じだいにとりのこされるわー』、って言ってたのに」
「何そうなのか!? これは俺も母さんに聞いてみないと大変だ! シオリはそれを知ってるのか?」
「うん!」
「ならシオリに教えてもらった方が早い。是非教えておくれ」
「うん。たしか、まいかい2人のしゅじんこうの話がこうごにてんかいされるんだって!」
「主役は2人なのか」
「そーそー。その2人が恋におちるんだけど、じつはにらんせいそうせいじ? だったりするんだってー」
「へー、ソーセージ。茹でると美味いよな」
「ソーセージじゃないわ、双生児! 双子の事よ!!」
「うぉ!? だ、誰?」
「お姉ちゃん……」
「あたしがちゃんと説明してあげるわ! シオリも聞きなさい!」
「う、うん!」
思わず割って入っちゃったのよね。
キタガワ君のボケもあったけど、あまりにも2人が楽しそうだったから。
要するにシオリが取られたような感じがして、妹の友人に嫉妬したのだ
(……あたしも幼かったわね。思い返すと結構恥ずかしいし)
照れ隠しに持ってたペンを指先でクルクル回してしまう。
でもあの出来事から3人でよく遊ぶようになった。
その内ナユキも加わって、じれったい2人をくっ付けるべく行動したりもした。
シオリの病を知ってもキタガワ君は受け入れて―――
「ん? 今日の授業はこれまで。寝てた人間は復習をしておくように」
―――ってあら?
チャイムが鳴ってるわね。
ノートに目を落とすと、ちゃんと書き写してあった。
何気にあたしって凄いんじゃないかしら。
「起立」
反射で立ち上がる。
この変の行動は学生の悲しき習性ね。
前の2人もゾンビのようにフラフラ立ち上がった。
「礼」
頭も下げる。
ナユキとキタガワ君も下げたが、上げる前に反動でそのまま着席。
取り敢えずシオリがくる前にこの2人を叩き起こして、その後昼食ね。
「はい、あ〜ん」
「じー」
「あー……」
「じー」
「ジュンさん! あ〜ん」
「じー」
「あ、ああ。……ダメだ! ミサカ何とか言ってくれ!」
「はいはい。ナユキ、いい加減にしておきなさい」
「うん……分かったよ」
2人から視線を外す。
凝視するのは良いんだけど、擬音にして口に出すのはどうだろうか。
観察するならさり気なくでしょうに。
「じゃあ次はシオリな、あ〜ん」
「あ〜ん」
「……よくやるよね」
「今更じゃない」
「そうだね」
冷めた目で妹たちを眺めるあたしとナユキ。
返す返すもあたしたち以外の人がいなくて良かったわ。
本人たちが嬉しそうだから何も言わないけど。
ナユキが箸を伸ばすと、あたしも目の前の重箱から獲物を取って食べる。
「むぐ、でも、んぐ、わたしの」
「飲み込んでから喋りなさい」
味わわないと、せっかくのシオリのお弁当が勿体無いでしょうに。
そう言えば、シオリが私達4人のお弁当を毎日作るようになってから結構経つわね。
材料費はもらっているし、一度に多く作った方が安上がりだから問題は無いのだけど、我が妹ながらよく続くものだ。
「んぐ、んぐ」
「急いでても噛むのは慎重なのね」
「あ〜ん」
「あ〜ん」
妹達の声を意図的に無視しつつ、ナユキの傍にあるカップに目を向けた。
あれは苺ムースだ。
皆で学食からお弁当に替えようと言った当初、ナユキは苺系のデザートが無いからごねた。
学食ならAランチに苺ムースが付いているしね。
結局押し切ったのだが、そこは苺に半生を懸けていると言ってもいいナユキ。
学食から苺ムースだけ買うという力技で解決してみせた。
「今にしてみても非常識ね」
「んぐ?」
「何でもないわ」
多分、毎日毎日Aランチしか食べてなかった事も絡んでいると思うんだけど……。
真相は今をもっても闇の中、何故かナユキは教えてくれないし。
ん、もう食べ終わるみたいね。
「……っく、わたしの姉夫婦でさえこんなベタベタしてなかったのになぁ」
「あの3人が人前でやるとは思えないわね」
「そこらへんはしっかりしてる姉と義兄なんだよ。でも新婚みたいにずっと仲が良いし」
「理想じゃない」
「わたし達もそうなりたいですよね、ジュンさん?」
「ああ」
こういった話だと会話に参加するのね。
ちらりと見れば、キタガワ君がシオリを穏やかに見守ってくれていた。
昼食時の『あ〜ん』もそうだが、彼は慈しみ、包み込むように妹に接してくれている。
ホント、感謝しても足りないわね。
重箱から卵焼きを取ると、穏やかな気分のまま口に放り込んだ。
「あら美味しい。腕を上げたわね、シオリ」
「起立……礼」
「はい、じゃあ気をつけてねー」
「はー終わった終わった」
「っしゃぁ今日も一汗流すかぁ」
「今日はどこ見て帰る?」
担任が引き戸を開けて出てると、クラス中が一斉に沸き立つ。
ホームルーム後の教室は毎日変わらないわね。
1つ伸びをして座る。
机からカバンに教科書なんかを移す作業を開始。
「ミサカ、今日はどこか寄ってくか?」
「そうねぇ……シオリとは予定無いの?」
「ああ。当然一緒には帰るけどな」
「ナユキは?」
「うん〜わたしは部活だよ〜」
府抜けた声に惹かれるように、前の席に目を向ける。
座ったままふらふらしているナユキがいた。
先ほどまで寝ていたから、まだ通常状態に至ってないわけね。
これでも陸上部の部長だって言うんだから、世の中はわからないわね。
「部活があるならシャキっとしなさい。また神輿みたいに担がれるわよ?」
「あぁ、半年前のあれか。あれは中々見応えあったな」
「わわ、あれはもうこりごりだよ! お姉ちゃんに知られて怒られたんだから!」
一発で覚醒したわね。
それ以前に羞恥心の問題があるでしょうに。
全く起きなかったとはいえ、年頃の娘が数人に担がれて運ばれたなんて。
運んだのは当然女生徒だけで、スカートが捲くれないようにも配慮していたけど、絶対あたしなら勘弁してもらいたい。
何故か『眠り姫』と言われてファンが出来たらしいけど。
……それにしてもアキコさんはどこから知ったのかしら?
「じゃ、じゃあわたしは行くよ。2人ともまた明日ね!」
「ええ。また明日」
「じゃーなー」
一瞬で机の中の物を鞄に移しかえると、脱兎のように駆けて行った。
さすが陸上部というか、その速さは並じゃない。
あの子は、確かこの地区の記録保持者だし。
本当に普段とギャップがありすぎるわね。
「ジュンさん、お姉ちゃん」
「迎えがきたわね」
「だな」
教室後ろのドアにはシオリがいる。
下級生が来ているのに、周りの生徒は気にしていない。
あの子がこうして迎えに来るのはもはや日常茶飯事だから。
逆に微笑ましそうに見ている生徒が大半だ。
「どうやらあなた達受け入れられてるみたいね」
「良いことだろ?」
「まぁね。しかし、姉より彼氏を先に呼ぶようになったのは少し寂しいわ」
「そう言うものか?」
「そうよ」
シオリと合流。
朝と同じような隊列で進行を開始する。
校舎内も狭いからね。
「何がそうなんですか?」
「姉の心境というやつよ。ね、一人っ子のキタガワ君?」
「ちぇ」
「えう?」
「さて、今日は『あそこ』に寄って行きましょうか。シオリも見たいでしょ?」
「はい!」
「りょ〜かい」
多分あたしもキタガワ君も笑っている。
それ程までに、『あそこ』は心踊る場所なのだ。
黒い敵が迫る。
両手に剣を持って、ただ一直線に。
「ルーキーかしら」
援護を頼むまでもない。
向かってくる敵に、無造作に足を進める。
速度だけは大したものだが、機体の動きが直線的に過ぎる。
機体に振り回されているわね、と内心で思いながらも、前へ倣えをするかのように両の手を上げた。
接触する。
その瞬間相手のゲームは終わり。
あたしは単純な動作で振り下ろされる敵の腕を、上げた両手で無造作に払った。
その衝撃で敵機の動きが一時的に止まる。
5メートルも無いだろう2機の間、だが次に繋げるには充分。
「ふっ!」
気合とともに息を吐き、操縦桿を操る。
始めに比べれば自分も何と慣れたものか、と思うのは相手が余りにも未熟な腕である所為だろうか?
バーニアを吹かし、機体をぶつけるように相手と強制的に距離を空ける。
未だ硬直している相手に失望を感じながら、更に前進すると同時に右腕を叩き込んだ。
『お見事』
「どうも」
スピーカーから聞こえるキタガワ君の賞賛を流し、敵機から腕を抜く。
格闘戦用にチューンした機体の腕は、見事に敵の背面まで貫通。
爆発する前に距離を取る。
ゆっくりと倒れ伏した敵機は、間を置かず爆発して四散した。
パイロットは、今ごろスクリーンに表示された『GAME
OVER』の文字に歯噛みしているのだろう。
あるいは茫然自失かもしれないわね。
あたしも始めた当初は何回も落とされたものだ。
『今の機体、確か新型のウルフってやつだったか?』
「みたいね。確かに狼っぽいシルエットだったもの」
後ろの丘から降りてきたキタガワ君の機体を見る。
援護を頼んでいる彼が来たという事は、少なくとも近場に敵はいないという事。
太く長い砲を持った機体は、同時に広範囲のレーダーも持っていたはずだ。
『しっかし相変わらずミサカの格闘戦は見事なもんだな』
「何言ってるの、キタガワ君だってあれくらい出来るでしょうに」
『まぁ今の敵くらいならな。だけどもっと強いやつだったら無理だろ。ミサカの方が矢面に立ってるしな』
「……悪いわね」
『気にするなって』
格闘が好きで、そちらの方が性に合ってるキタガワ君に、あたしの我が侭で援護を頼んでいる事に罪悪感を感じる。
このゲームを始めた動機が不純なあたしには特に。
あたしはストレスの解消と妹を楽しませる為に、この『バーニングPT』をやっているのだから。
今から1年程前、あたしは日常生活や学校生活で知らずストレスが溜まっていた。
運動部系の部活にでも入っていれば解消も出来たかもしれないが、シオリが気になってそれも出来ない。
そんな時キタガワ君があたしを連れて行ったのが、学校からそれ程遠くない『キャッスル』という施設。
昔風に言うならゲームセンターになるだろうそこは、広く明るく、あたしが持つゲームセンターのイメージを180度変えてしまった。
そんなカルチャーショックを受けていたあたしに何か手続きをさせ、1つの筐体へ案内する彼。
そうしてあたしは始めて『バーニングPT』に触れた。
圧倒的なリアリティと、それによる爽快感と悔しさ。
敵を打ち倒す爽快感は、今までの生活で決して得られないもの。
また、敵に打ち倒された時の悔しさは、身を焦がすようでいて、それでも楽しかった。
自らの力で敵を打倒するのがこれほど楽しいとは思わず、ストレスなどたちどころに消えてしまう。
生身とは違う、痛みの伴わないゲームだという事も良かった。
そして、何よりシオリが喜んだ。
あたしやキタガワ君が勝つ様子を見るのが、自分の1番の楽しみだとまで言った妹。
あたし達がのめり込むのは当然だった。
それから1年と少し、費やした時間は裏切らず、コンビに置いてあたしとキタガワ君に勝てる存在はこのエリアから消えている。
「残りは……5分ってところかしら」
『みたいだな。どうやら最後の敵さんがお出ましみたいだぞ』
「了解。じゃあ援護宜しく」
『オーライ。機体速度からすると、相手は『
「そうね」
キタガワ君は先ほどと同じように、後ろの丘に陣取る。
相手の『claw』は、多分このエリアで1番強い機体だ。
高速機動と名の通りの鉤爪、それにパイロットの腕も一級品。
「あたしもキタガワ君もトーナメントじゃ未だにかなわないしね」
勝てはしないが、それはあくまでも単独戦闘での話。
1対1じゃないのならまた別なのだけど。
……どうやら見えてきたわね。
『所定の位置についたぞ』
「了解。じゃあ臨機応変によろしく。何時も通りフィニッシュはカウント3つ目で着弾するように」
『畏まりました』
来た!
相変わらずの高速機動、先ほどのウルフなんて簡単に上回ってるわね。
機体の改造もお手の物って事かしら。
『取り敢えず牽制開始。3発行くからその後にどうぞ』
「わかったわ」
背後から砲撃音。
1発目は正面に、2と3発目は左右にそれぞれ。
着弾する前に操縦桿を倒してスタート。
『やっぱ躱されたぜ!』
「嬉しそうに言わないの!」
『敵は強い方が良いだろ?』
返事は返さないが、それは同感だ。
弱いだけの相手なんて退屈でストレスが溜まる。
敵は砲撃を避け、大きく回りこむような動きをなす。
自機を左に向けて迎撃。
交錯する軌道。
「っ! 相変わらず速」
機体の上限ギリギリかと思うほどのスピードと、更にそれを上回る速さの右腕が振り下ろされる。
相手に合わせるべく、此方も限界まで速度を出している為、多分初手の攻撃回数は2機とも一度。
時間差で、顎の如く逆軌道で左腕が上がるだろう事も分かった。
防御に回せば流せるが……それじゃあ面白くない。
「はっ!」
左腕は中枢を庇う為だけに、敵右腕の軌道上に上げるだけ。
本命の右腕を、ただ確実にコックピットブロックに叩き込むように疾しらせる。
激突。
「くっ!」
筐体が揺れる。
双方の運動エネルギーがぶつかり合い、零になった瞬間逆の方向に流れる。
接触地点から弾かれた。
(損傷チェック!)
計器内の自機画像から損害状況を拾う。
次いで敵機の損害確認。
あの瞬間、相手は体を捻って直撃を避けたのを確かに見た。
『大丈夫かミサカ!?』
「取り敢えずはね。左腕が肩から無くなったけど」
『敵さんも同じようなもんだ。ミサカの攻撃は胴こそ外したが、左肘のちょい上あたりから吹き飛ばした』
「痛み分けみたいね。今は?」
『俺の弾幕掻い潜ってそっち向かってるぞ。射線上にミサカが入るようにな』
「わかったわ。ならクライマックスね」
『そう言う事だなぁ』
「今日こそは1人で倒したかったけど、無理だったわね」
キタガワ君のいる丘に背を向ける。
正面から一直線に移動してきている土煙の中に敵がいるのだろう。
まだ来るまでかかるかしら。
少しして、後ろからの砲撃が止む。
どうやら射線上にあたしの機体が入ったみたいね。
「こういうのオーラスって言うんだっけ?」
残り時間はもう2分少々の最終局面。
スピードもいらないから歩いて敵に向かう。
接触まで後7秒ってところかしら。
敵は爪を前に、振るのではなく突くような態勢だ。
「それじゃあカウントスタート」
『へーい』
『「1」』
攻撃範囲に入る。
右足を一歩踏み出して、爪を左脇にやり過ごし、壊れた肩を右の肘裏あたりに横からぶつける。
隙があれば右拳で終わらせようと思ったが、相手もさすが。
すぐに密着して攻撃の目を潰された。
『「2」』
背後でおそらくキタガワ君が一撃放ったはず。
すかさず右手を相手の背部に回して、お互いの頭部が同じ位置にくるようにホールド。
砲撃の反応がレーダーに映っても、この間合いだと逃げられないでしょ。
バンザイアタックだとでも思うかもね。
『「3!!」』
カウントギリギリに機体の首だけを限界まで右に倒す。
同時に左側頭部を掠るように砲弾。
キタガワ君の放った一撃は、見事敵の頭を吹き飛ばす。
相変わらず良い腕だと感じる間もなく、あたしはすぐさま機体の手を離させた。
硬直もせず左から振り下ろされる寸前の腕に、無理やり体ごとぶつけ、機体を泳がせて右に少しスペースを作り出す。
さっきは失敗したけど、今度こそコックピットブロックに右腕を叩き込んだ。
『バーニングPT、第3バトルロイヤルが終了しました。筐体付近のお客様は、白線の外までお下がりください』
空気が抜ける音を伴って、筐体が分離する。
座席部分がスライドし、暗かった内部が光で満たされた。
左の筐体からキタガワ君が降りるのが目に入る。
さて出ましょうか。
「お疲れさん」
「お互い様でしょ。最後は助かったわ」
「どうも」
お互いを労って、一つ伸びをする。
30分近く同じ姿勢というのは、さすがに疲れるものだ。
体も固まっているし。
「っつ〜」
「んん〜……バキバキ音するなぁ」
「それはキタガワ君だけ」
「そうかい」
筐体近くで話していると、空いたそこに新しい人間が入る。
さすがに人気ね。
バトルロイヤルは2時間半おきだけど、他のモードは何時でも出来るから当たり前か。
「お! ミサカ、シオリが手を振ってるぞ」
「そう?」
本当だわ。
返答するように、2人で手を振りかえしてあげる。
さすがに、こんなところで大声で呼ぶような事はしなくなったみたいね。
最初に来た時は……。
「もう大声で呼ばれなくなったな……良かった」
「……あたしも今同じ事思ったわ」
「やっぱり?」
「ええ。あれは恥ずかしかったわ」
「俺なんか暫く学校でからかわれたもんなぁ。男の声で『ジュンさ〜ん』なんて言われてよ」
「そうだったわね」
雑談交じりに歩き出す。
筐体のあるここは、半円のバルコニーのようなもの。
両端に2つある階段の内、右側の方を降りればシオリまですぐだ。
「2人とお疲れ様でした!」
「ありがと」
「サンキュー」
シオリはから飲み物を受け取る。
あたしのはレモンティー、キタガワ君のはスポーツドリンクか、さすがに好みを把握しているわね。
休憩スペースのソファにシオリを挟むように座り、プルタブを引き開けて一口。
「ふぅ……沁みるわねぇ」
「まったくだ。何だかんだで重労働だからなぁ」
「ホントご苦労様ですー。でも今日も勝ちましたね」
「何だかんだでこの何ヶ月かは負けなしか?」
「ペアで入ったバトロイは……そうね」
「凄いですよね! かなり有名になったんじゃないですか?」
「ん〜、どう? キタガワ君の方が詳しいでしょ?」
「そんなでもないはずだがね。このゲームはピンで強くないと名前売れないし」
「……そうですか」
そんな残念そうな顔しなくてもいいのに。
実際1人でやったら、あたしもキタガワ君もこのエリアでは2番手がいいとこだろう。
単純な腕だけなら結構良いセン言ってると思うんだけど、このゲームは機体のカスタムなんかも絡む。
さすがに知識もないあたし達じゃ、そう言った所謂マニアな層には太刀打ちできないだろう。
「全国ランクじゃ70番台くらいかしらね?」
「そんなもんだろうな。もうちょい上かもしれないけど」
「えう〜、まだまだそんなにいるんですか」
「操縦テクだけなら1桁行くと思ってるけどな」
「それはあたしも」
まぁ別に全国一位を目指しているわけでもないし、このままで当面問題ないでしょ。
ゲームだけにかまけてる場合でもないしね。
「話中ごめん。ミサカ・カオリさんとキタガワ・ジュン君、ちょっと良いかな?」
「は?」
「何か拙い事でもしましたか?」
バンダナを巻いた温和そうな若い男性が話し掛けてきた。
30前だけど、これでもこの店の店長。
あたし達は常連だから結構親しくしてもらっている。
「いや、苦情とかそう言うのではないんだけどね……」
「歯切れが悪いですね?」
「何と言ったら良いか、こっちも図りかねているんだよ」
「嫌な事ではないんすよね?」
「多分大丈夫」
多分って……。
押しの弱いところがある人だから少し心配ね。
単純に困惑しているだけみたいだから、言う通り悪い事ではないんでしょうけど。
「とにかく2人は事務所のほうに来てくれるかな?」
「俺は別に良いですよ。ミサカはどうする?」
「店長にここまで言われたら断れないでしょう? シオリ、少し待ってて」
「はい、わかりました」
「恩に着るよ2人とも〜。じゃあついてきて」
踵を返した店長の後に続く。
さて、何があるやら。
嫌な事が無ければ良いのだけど……。
「百花屋のアイスパフェ1つ、2人で奢ってくださいね〜」
「……了解」
「……おう」
変に逞しくなったわね。
シオリの頼みを背に、あたし達は関係者用の扉へ向かった。
「カオリ・ミサカさんと、ジュン・キタガワさんですね?」
「はい」
「ええ……そちらは?」
「失礼。
くすんだ金髪の、おそらくヨーロッパ系であろう男が名刺を差し出す。
受け取りながら、相手を観察。
中肉中背でキチっとスーツを着て、黒いフレームの眼鏡をかけた笑顔を浮かべている性格の良さそうな男だ。
……見た目は。
性格が良さそう?
冗談じゃない。
弓になった目からたまに覗く、あの瞳。
人間味など欠片もないような硬質な光を宿したその瞳が…………恐ろしい。
「人物判断は終わりましたか?」
「っ」
「ミサカ、初対面の人に」
「わたってるわ。……失礼しました」
「いえいえ、職業柄そういう視線には慣れていますよ。あ、店長さん?」
「は、はい!」
「3人だけで話がしたいので、少しこの場所をお貸し頂けますか?」
「わ、分かりました!!」
逃げるようにカウンターへ続く扉から出て行く。
その判断はきっと正解ですよ、店長。
あたしも本当ならさっさと辞したい。
でもこの名刺通りならそうはいかないだろうけど。
「EOTI機関人材スカウト部……?」
「ええ。ジェスター・カルスです、どうぞお見知り置きを」
「日本語巧いっすねぇ」
「ははは、こういった職業柄いろいろな地区の方とお会い致しますので。それに本来私は秘書なので、通訳も兼ねますから」
「でもスカウト部ですよね……左遷ですか?」
「ミ、ミサカ!」
「ははは、これは嫌われたようだ。まぁこの部署は急遽作られたものでして、暫くすれば消滅します。だから一時的に、ですよ」
「なるほど」
「部署が消えれば、また副機関長の秘書に戻る事になるでしょう、ふふ」
「っ!」
「何か?」
「い、いえ……」
ゾクっときた。
見た目はにこやかな微笑みの裏で、この男は多分何も見ていない。
人形のような瞳は、色も何もなくあるものだけを映している鏡のよう。
小さな頃から周りの大人を見てきたあたしにはわかった。
シオリへの申し訳なさを隠す両親、嘘をつく悲痛を隠した医師や看護師、厄介ものと侮蔑を隠す教師、どの人間とも違う。
そこには何もない。
この男は危険だ。
そしてあたしがそれに気付いている事を、向こうも気付いている。
「くく」
「どうかしたんですか?」
「いえ何でもありません。キタガワ君と言いましたか、君は幸せだったんでしょうね」
「は? はぁ」
「さて無駄話はこのくらいで、本日はお二方にお話を持ってきました」
「スカウトですか」
「頭の回転が速い方とはお話がし易いですね、ミサカさん」
「って言っても何のですか? ミサカはともかく俺は頭良くないんですけど」
あたしだって研究機関から話がくるほど頭よくないわよ。
せいぜい学校のテストでトップを取るくらい。
秀才だとは思っているけど、天才でも何でもないもの。
それにゲームセンターで学校関係のスカウトなんかあるわけないでしょうに。
「お2人の腕を見込んでのお話です」
「「腕?」」
「ええ。先ほども拝見させていただいたのですが、バーニングPTお上手ですね」
「腕って……」
「……まさかゲームの腕ですか?」
「その通りです」
「嘘」
「ではありません」
「冗談」
「でもありません」
「本当だとしても、世界に冠たるEOTI機関が何故?」
あたしもキタガワ君の疑問に頷く。
EOTI機関といえば、教科書にも載っている地球圏最大の研究機関だ。
その研究内容は多岐にわたり、医療から兵器開発、果ては不老不死の研究なんて噂もあるほど。
そんなところが、一介の高校生をスカウトするなんて出来の悪いジョークにしか思えない。
「現在我が機関はPTに替わる機動兵器の開発を行っているのですが、それのテストパイロットを探しているのですよ」
「それとバーニングPTに何の関係が……」
「お2人はお知りになられないでしょうが、あのゲームの本来の用途は有能なパイロット候補を探し出す事」
「な!」
「嘘でしょ?」
「残念ながら本当です。不思議には思いませんか? ゲームにしては精巧に過ぎる操縦系、攻撃時の振動、圧倒的なリアリティ」
「でもそれはゲームの売りだと」
「無論それも確かな事です。ですが、政府と軍の上層部の一部が噛んでいるのですよ、バーニングPTの作製にはね」
政府と軍が絡んでいるなら、確かに納得できるところはある。
全く知らなかった無名の会社が、僅かな期間で全国に筐体を設置できた事。
製作前の情報すらなかったと、前にキタガワ君が言っていた事。
地区内ならどんな離れていても、簡単に対戦できる通信対戦網が速やかに敷かれた事もだ。
業界の事は知らないけど、あまりにも速すぎる手際だと思っていた。
「確かにそんなところが絡んでいたら……」
「出来る」
「ご理解いただけたようで幸いです」
「証拠は」
「ご自分で既に理解なさっている事から逃げるのは良くありませんよ」
「……」
「それで、俺達一般人をパイロットにする理由は何です?」
「ええ。連邦軍にPTに乗れる人間が少ないのはご存知ですか?」
「そうなんですか?」
「PTの保有数が足りないのが最たる要因なのですけどね。その貴重なパイロットを連邦から引き抜くと怒られちゃうんですよ」
本当かしら?
保有数が足りないなら、機体より多すぎるパイロットを育てていないのは分かる。
人材の育成にお金がかかる事は常識だし。
……ダメね。
相手の事が全く読めない。
けど、
「あたし達だって乗れると決まったわけじゃないのでは?」
「あ、その点はご心配なく。もしあなた達が乗るなら、コックピットはバーニングPTの通りになりますから」
「だから慣れた俺達、ですか」
「そう言う事です。ちなみに金払いは良いですよ? 平均的サラリーマンの倍は出るはずです」
「そんなに!?」
「キタガワ君……」
「お、おう」
「EOTI機関なら、場所はアイドネウス島ですか?」
「そうなりますね」
「ならお断りします。家族や学校から離れる気はありませんので」
お金はあれば良いと思うけど、別にそこまでして欲しくはない。
今の環境から離れるほど魅力がある条件でもないし。
第一シオリを置いていけるわけないじゃない。
「ふむ。キタガワ君はどうですか?」
「俺も断らせてもらいますよ。バイトにしてもさすがに遠すぎますから」
「そうですか」
「それでは失礼します」
「お、おいミサカ。じゃあ、俺も失礼します」
見た目がっくりと肩を落とす男に背を向ける。
扉までは5歩程度、速くこの場所から去りたい。
シオリも待たせているし。
「ミサカさんには妹さんがいらっしゃいますね? キタガワさんの恋人で、原因不明の病にかかった妹さんが」
放たれた言葉はあたし達の足を見事に止めさせた。
抑揚も何もなく発せられたそれに怖気を感じる。
背後の人間が、その本性を剥き出しにしたようで振り返れない。
胸の内で喧しいほど警鐘が鳴り響くが、無視して去るには吐かれた名前が気になる。
「その妹さんの治療を条件に来ていただく、というのは如何ですか?」
シオリの快復。
それはあたし達家族が求めている願い
だけど、望んでいた言葉は悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
「どうする?」
「どうするも何も……乗るしかないでしょう」
「そう、だな」
「キタガワ君は降りても良いわよ。あたし達家族の問題だし」
「ふざけるなよ。ここまできたら俺も乗るさ、シオリの恋人だからな。……未来の義弟なら家族だろ?」
「ふふ、そうね」
あのセリフを浴びせられた後、どのように家に帰ったかわからない。
幾ら話し掛けてもまともに返事を返さないあたし達に業を煮やし、シオリは家につくと同時に引っ込んでしまった。
玄関が閉まる音でやっと正気に戻ったあたしとキタガワ君は、今家の外で話し合っているところだ。
「思い返せば、あの後も色々言ってたよな、あの野郎」
「そうね。シオリが脳の病気だと知っていたし、特脳研とか言うところと渉りがつけられるとか」
「同じ症状の人間が、世界で1人だけ他にいるとも言ってたな」
「どうして調べているのか知らないけど、正直怒りが湧くわね」
「ああ、ジェスターとかいう野郎はいけ好かない」
「激しく同感だわ。でも、シオリと同じ症状の子には会ってみたいわね……」
「ああ」
シオリの病気は原因不明とは言うけど、どこに原因があるのかはわかっていた。
というか、脳以外は完全に正常だと分かっている、と言った方がいい。
徹底的に検査して、脳以外は全て問題なしだとどの病院でも言っていたのだから。
ただ脳だけはこの時代でも迂闊に手は出せない。
だからどの部分がどう悪いのかは分からずじまいだった。
「でも治るなら……」
「ああ、懸けてみる必要はあるだろうな。治す為の最後のチャンスかもしれないし」
「話からすれば、特脳研とか言う機関に一般人は関われないでしょうしね」
「じゃあ、良いんだな?」
「さっきあたしが聞いた事よ、それ」
「……そうだった」
「両親には話しておかないといけないでしょうね。まぁ家は……多分問題ないでしょう」
「家もな。多分喜んで送り出してくれるだろうぜ。親父もお袋もシオリの事気に入ってるからな」
「お2人には終わったらちゃんとお礼しないとダメね」
「終わったらな。じゃあミサカ」
「ええ」
お互い顔を見合わせて、右手を握り合う。
この握手は盟約。
シオリの為に誓った、あたし達2人の友情の証。
例えあたし達が死んでも、この誓いは永遠だ。
後書き
こんな感じになりました。
彼女らは、この後も同様の条件でDCに関わります。
最初は冒頭とスカウト部分だけで終わらせようと思っていたこのお話。
なのに途中から1日丸ごとになってしまって、結局当初の倍の容量。(疲れた
カオリとキタガワは、性別を超えた親友ですね。
よく男女間の友情は成立しないと聞きますが、彼らは見事に成り立たせています。
まぁ核にシオリがいるからこそですけど。
お互い気の置けない友人としてこれからも生きていく事でしょう。
この話ですが、漫画『ブレイク−エイジ』をかなり参考にしています。
カオリ達が遊んでいる『キャッスル』も、上記作品の『コニーパレス』を念頭に書いてますしね。
館内アナウンスもそうだし、店長もそうです。
気になった方は是非手にとって見てください。(アスキーコミックです
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