「う〜、また変なところに来ちゃったよ。ここどこかなぁ」


     ナユキは知らない場所を歩いていた。

     服装は何故か制服。

     スカートがヒラヒラ舞ってたり舞ってなかったり。


    「あ、何か音がするね。行ってみよう」


     見知らぬ場所がやはり不安なのか、独り言を呟きつつも歩き出した。

     無機質な廊下の先にはT字路がある。

     てくてくと進んで分かれ道で立ち止まると、右はまた通路で左にはメタリックグレーの扉。


    「とーぜん左だよね」


     さっさと状況に変化がほしいのか左折。

     見知らぬ場所で似た場所を延々歩くより、やはり部屋に入りたいのは人情。

     人がいる事を願いつつも、ナユキは自動扉の前に立つ。



     シュ、と鋭い音。



     一歩足を踏み入れると、途端に喧騒が聞こえてきた。

     数十メートルある高い天井にかなりの床面積のそこには、普通の空間と違う物体が存在していた。



     ―――それはPT。


     パーソナルトルーパーと呼称される人型機動兵器である。

     ナユキも姉や義兄がそのパイロットだという事は知っているので、一般人より馴染みのないわけでもない。

     それでも突然目にすれば、やはり圧倒される存在感はあるだろう。


    「わ、びっくり」


     声だけ聞けば、全然驚いたように思えなかった。

     確かに目は驚きで見開かれているのだが、それでもいきなりPTを目撃した人間の行動ではない。

     彼女独特のこのテンポは愛すべきものなのだろう……多分。


    「そう言えば実際目にするのは久しぶりだよ。お姉ちゃんが行ってた学校のお祭以来だね」

    「お、そこにいるのは誰だい?」

    「え?」


     突然かかった誰何の声。

     上を見上げてPTばかり視界に入れていたからか、周囲に気を回していなかったようだ。

     いきなり声を掛けられたのに、慌てず騒がないのはさすが。

     見ればバンダナ広げて被った少年が寄って来る。


    「おお可愛い。一応ここ立ち入り禁止なんだけど、その服装はどうみても民間人だよな」

    「うんそうだよ。それで訊きたいんだけど、ここどこかな?」

    「知らずに来たのかよ。ここは格納庫。ヒリュウ改の格納庫だよ」

    「へぇそうなんだ。場所が分かってよかったよ。拍手コメントでいきなり何処か行くのは慣れたけど、場所が分からないと嫌だからね」

    「へ?」

    「いやいやこっちの事」










    「まぁ取り敢えず会ったんだから自己紹介といこうぜ、良いよな?」

    「うん、良いよ」

    「じゃあ俺ね。俺はタスク・シングウジ、今はPTパイロットやってるんだ」

    「あ、11話以降なんだここ。それじゃあ私の番だね。私はナユキ・ミナセ、職業は女子高生……かな? ナユちゃんって呼んでね」

    「じゃあ俺の事もタクちゃんって呼んでくれ」

    「うんタクちゃん」

    「何だいナユちゃん」



    「「………………」」



    「普通に呼び捨てで良いっスか?」

    「私もそれが良いと思うな。じゃあタスク君って呼ぶよ」

    「俺はナユキね」


     双方泣きが入って呼び名の調整は終了。

     ある程度年齢行った人間にとって、今のような呼び方は致死量である。

     お互い背中を向けて深呼吸したり瞑想したり。



     では仕切り直し。



    「しかし女子高生、女子高生かぁ。なんでそんな人がここにいるのかは置いといて、若いって良いよなぁ」


     腕を組んでうんうんと頷くタスク少年。

     その様子から感じられるのは間違いなく喜びの感情。

     何か鬱屈した思いでも抱えているのだろうか?

     傍から見ると少し不気味な人だが、ここにいるナユキはそこらへん気にしない。


    「若いって言っても、この艦にだって若い人はいるでしょ? 艦長とか」

    「ん? 艦長若いけど、何で知ってんの?」

    「そりゃゲームや……んん。まぁそこは公然の秘密と言う事にしておくのが吉だよ……命が惜しければね」

    「お、おう。艦長は俺と同じ10代だけど、それでも艦長だからなぁ。普段あまり会う機会がないからお近づきになれないし」

    「要するに若い女性とお近づきになりたいんだね」

    「そうそう、そ〜なんだよ」


     我が意を得たりと思いっきり頷く。

     タスクは理解者が出来て嬉しいのか、若干オーバーリアクションになった。

     ただ、別にナユキは彼の考えを肯定して喋ったりしたわけではない。

     言われた事の確認に口に出しただけなので、タスクが1人で突っ走っているだけだ。


    「ミナセは周り同年代ばかりだろ?」

    「高校生なんだからそうじゃないと困るよ」

    「そうだろよな。でも俺みたいな志願して軍に入った人間だと、やはり同じ歳の人間って少なくってさ」

    「若いなら士官学校行くんだよね。私のお姉ちゃんもそうだったよ」

    「そうなの? ナユキのお姉さんなら美人に違いないな。今度お姉さん紹介してくれない?」

    「照れるよ〜。でもお姉ちゃん既婚者だからダメ」

    「それは残念。さすがに不倫はいけないよな」

    「それ以前にお義兄ちゃん以外に靡かないよあの人。身内しかいないと、独り身には毒なオーラを発生させてるからね」

    「そ、そうなのか」


     若干腰が引けてるタスク。

     今のナユキも1人でいる人間には酷なオーラを放っていた。

     久々にブラック。










     それから数分2人は会話を重ねた。

     お互いの生活環境や上司の愚痴など、主にタスクが喋ってナユキが聞く状態。

     タスクは久々に同じ歳頃の異性に出会って暴走気味。

     対してナユキは自分から話すより聞き役に回る事が多いので、結果巧く会話が続いていた。


    「で、俺はその人に矛盾って言葉を知ってるか? って言ったんだ」

    「勇気あるねぇタスク君」

    「へへ、だろ? アバラを折ったけど、それで何とか追い返せたんだ」


     えへんと胸を張っていい感じに偉そうな少年。

     彼の武勇伝なのだから話のネタには最適と言える。

     普段誰彼無しに言いふらしているわけでもないので、初対面の人間に話す分には角も立たないだろう。


    「もうアバラは治ったの?」

    「完治はしてないけど、経過は良好だって言ってたな」

    「ふ〜ん……押していい?」

    「ダメ!」

    「ダメか、ちょっと残念」


     握り締めた拳を解く。

     タスクが許可を出したら、ナユキは間違いなく押さなかっただろう。

     先ほどまでの握り拳を見れば、彼女はジャブかフックを胸部に叩き込んでいたはずだ。

     まだかなりブラックらしい。


    「治ってるか確認したくなったんだけどね」

    「カチーナ中尉みたいな事をしやがって、悪化したらどうすんだよ全く」

    「あ? あたしがどうしたって」

    「カチーナ中尉みたいに暴力を行使したら拙いって話ですよ」

    「タスク君」
    「ほ〜う」

    「え、何?」


     ガシっと、タスクの左から首に腕が回った。


     捕獲。


     言葉にすればそうなるだろう。

     せっかく警告したのになぁとナユキは思っているのだが、彼女の声は呼びかけ以外の何ものでもなかった。


    「この腕は、だ、誰かなぁ?」

    「あたしだ」

    「だ、誰かなぁ」

    「あたしだって言ってんだろうがよ!」

    「いた! いたたたたた首絞まる絞まるカチーナ中尉ごめんなさい!」

    「分かってんじゃねぇか」


     極めていた腕を緩める。

     だが、引っ掛けた首から外すようなヌルい真似をする人間ではなかった。

     金髪にオッドアイを持つヒリュウ改の暴君。

     彼女の部下にとって、怪獣より恐れられるカチーナ・タラスクなる女性であった。










     それから暫し、場は静寂が支配した。

     現実には精々10秒にも満たぬ時間だったが、生殺与奪の権利を握られたタスクにとっては何時間にも感じられる時間。

     格納庫の喧騒など彼にとっては向こう岸。

     ナユキは部外者意識で口出しを憚っているので、必然的に第一声は最上位者が上げる事となる。


    「で、お前は機体整備をサボって何をやってんだ?」

    「そ、それは……」

    「あ? あまり舐めた事ぬかしたら、四肢を外してコックピットに放り込むからな。丸めて」

    「うっ」


     タスクの背筋を凄まじい速さで走るモノがあった。

     悪寒とかそれ系だが、もうその速さは光速を超えようかというほど。

     ついで脳裏に過去の思い出が……。


    「走馬灯か、いよいよ俺も年貢の納め時か。この時点じゃレオナにも会ってないのにな」

    「何悟った笑み浮かべてやがんだテメェ」

    「あ、あの」

    「ああん?」


     同情心が恐怖を上回ったのか、思わずナユキは声を出していた。

     カチーナの対応と表情はまるっきりアッチ系の人。

     古人はこういう時に使う格言を残している。


     曰く後の祭り。


     縋るようなタスクの目で進退窮まった。

     実際進むにしても引き返すにしても、既に地獄だとナユキは気づいていなかったのだが。


    「え、えっとタスク君ですが……」

    「ああ」

    「え〜っとあのですね」

    「だからなんだよ。つーかアンタは誰だ?」

    「あ、私はナユキって言うんですけど」

    「それでそのナユキさんが何だよ?」

    「タスク君は私と話していてですね……」

    「ああもういい!」

    「え?」

    「要するにあれだ。このバカはアンタと話してたんだな?」

    「そ、そうです!」

    「分かった。ならアンタも連帯責任だ」

    「え?」

    「あたしが直々にシゴいてやるからきな!」

    「逃げるんだナユキ! 捕まったら死ぐぇ」

    「テメェは黙ってろ! 行くぞ!」


     一瞬で首を極めてタスクを落とすと、カチーナはナユキの腕を掴んで歩き出した。

     ズンズンと格納庫端を目指して突き進む。

     意識をなくして崩れ落ちたタスクは、由緒正しく片足を掴んで引きずって行く。



    「え? え? え?」


     四方から整備員の同情の眼差しを浴びる。

     流されるまま手を引かれるナユキは後に、この日ほど自分の性格に嫌気が差した日はないと語ったとか。















    「燃えたぜ、燃え尽きたぜ、真っ白にな。折り曲げられたり丸められたり、人間って偉大だったんだな、へへへ……」

    「えへへ苺、苺だよ。あれ? 何でお花畑にイチゴサンデー? 河の向こうで手招きしているのは誰かな? 行ってみようかな?」






    「う〜、まだ体のあちこちが痛い。容赦なさすぎるよねあの人。臨死体験なんて初めてだよ」


     ブチブチ言いながら格納庫を歩く。

     加害者の女性はスッキリしたのか、ナユキが気づく前に格納庫から去っていた。

     一般社会であんな事をしたら、彼女は即逮捕で留置所で裁判で刑務所だろう。

     その後刑務所シめて支配下に置きそうだが。


    「……軍人で良かった。主な被害者はタスク君だろうしね」


     何気に酷い事を言っているが、本人は欠片も同情しない。

     先ほど同情して酷い目に遭っているし。

     彼女は大人として確実に一歩成長したのだ。

     言い替えれば『汚れた』とも言える。


    「誰かいないかな。ちゃんと話が通じて暴力的じゃない人が」


     キョロキョロと周りを見回すが、PTが大きくて隅々までは見渡せない。

     働いている整備員はかなりいるのだが、彼女のお気には召さないようだ。

     それに仕事を中断させるのも良くない。


    「もう少し歩くしかないよね」


     しかし誰もナユキを不思議に思わない。

     SS本編と違って、ご都合主義がまかり通る空間だからこそ可能な事なのか。

     書く方は大変らくである。


    「あら、可愛らしいお嬢さんね」

    「は?」
    「え?」


     1機のPTを回り込んですぐ、ナユキの耳に女性の高い声が飛び込んだ。

     指向性を持って自らに呼びかけた感じがして、その声の発生源に目を向ける。

     当たりをつけた女性は、目が合うと微笑んで手を振ってくれる。

     優しそうなその笑みに癒され、ナユキも微笑み返して片手を振ってみた。


    「その手は何でしょうかラーダさん?」

    「ラッセル君後ろよ後ろ」

    「は、はぁ」


     ナユキの前で背を向けていた男性が振り返る。

     柔和な顔と短く刈った髪を持つ男だが、彼を見た瞬間ナユキは思った。


    (幸薄そうな顔だよ)


     初対面の男性にえらく失礼な事である。

     あながち間違っていないのがまた救われないのだが。

     とにかくナユキは新たな人間と出会った。










    「まぁ、じゃあ気づいたら艦内に?」

    「そうなんです。歩いていたらここに辿り着いて」

    「大変だったわね」

    「いや、信じるのですか?」

    「ラッセル君は信じてないのかしら?」

    「それは当然では? いきなり艦内にいたなんて、漫画やアニメじゃあるまいし」


     正論、これ以上ないほど正論である。

     どうやら彼だけはこのご都合空間で正常な人間らしい。

     だが正常は時に異常と同義となるのは色々な事象が証明している。

     1人だけ取り残されるのは辛いもの。


    「タスク君と話してたらカチーナって人に捕まって」

    「「え?」」

    「タスク君がサボったのは私の責任でもあるからって……うぅ」

    「……彼女なら言いかねないわね」

    「そんな……中尉」

    「人間の体って折り曲げられるんですね」


     薄笑いが不気味さを通り越して痛々しい。

     若い身空で、と思わず同情してしまう2人。

     そのままだと向こう岸に逝っちゃいそうな感じだ。


    「ラッセル君、何で中尉を見てなかったの?」

    「そんな無理ですよ。第一ラーダさんと話していたじゃないですか」

    「そ、そうね」

    「ラーダさんにも責はあると思いますよ」

    「そ、そうかもしれないけど、カチーナ中尉はあなたの担当でしょう? しっかり監視しておかないと」


     どんな猛獣だ。

     ナユキの笑いもそろそろホラー並のやばさに突入しかけるが、2人は対策でそれどころではない。

     周りの喧騒が遠ざかったのは錯覚ではないだろう。


    「大体自分が中尉を止められるわけがないでしょう!?」

    「それは責任逃れよラッセル君」

    「純然たる事実ですよ!」

    「それは男として情けないんじゃないかなぁ」


     復活したようだ。

     ラッセルの後ろ向き発言は、河のほとりにいたナユキさえ呼び戻したらしい。

     彼女にとっても他人事じゃない事柄だったから、という理由もあるだろう。


    「ラッセルさんがカチーナさんを御せるようになれば、私もあんな事にはならなかったんだよ」

    「それは一理あるわね」

    「ないですよ!」

    「上司の責任は部下であるラッセル君が取らないといけないわ」

    「普通逆ですって! 部下ならタスク曹長だっていますし」

    「タスク君ならまだ向こうで死んでるはず。曲げられて畳まれちゃったもん」

    「曲げて畳んだ!? 中尉、一体何を……」

    「これは本気で対応策を考え出さないといけないわね」

    「私もお手伝いします。間接的な復讐にもなるしね」

    「ありがとうナユキちゃん」


     即席会議がスタート。

     ラーダとナユキで活発な意見交換が始まった。

     この空間、普段冷静な人間も変に暴走させるようである。

     最初は抵抗していたラッセルも、2人の勢いに押されて徐々に流されていった。










    「じゃあ実力行使は無理ね」

    「あの人は軍の格闘訓練トップの成績でしたから」

    「背中に鬼の顔だよ」

    「それに、もし自分の方が強くても攻撃出来ませんよ」


     ナユキが打ち解けて敬語を止めるほど時間が経ち、それでも会議は続いていた。

     正攻法から絡め手、卑怯な手段等、それこそ挙げられるだけ挙げてみたが全てダメ。

     1番可能性の薄い肉体接触の検証が終わったところだ。


    「結局生身で止めるのは不可能って事かしら?」

    「あくまでも対等の条件で止めるなら不可能でしょうね。止めてもその瞬間意識を失わされますよ」

    「さすが最初からリベンジ持ってる唯一の味方だよ。デンジャー過ぎるよ」

    「リベンジ?」

    「こっちの事なので気にしないでくれると嬉しいよ」


     ある意味禁句をサラっと口にする。

     実際各人ごとにパラメーターが決まっていると知ったらどう思うやら。

     カチーナなんかが知ったらそれこそ恐ろしい。

     画面から飛び出したりして。


    「大体ラッセルさんはカチーナさんをどう思っているのかな? やっぱりそれが1番大事なんだと思うんだよ、私は」

    「なるほど、それは盲点だったわね。ラッセル少尉、どうなのですか?」

    「な、何故そんな」

    「これは対応策の為ですよ。情報収集です」

    「意味が通ってませんよ!」

    「ラーダさんもやっぱり女性だよね。色恋沙汰好きなのかな?」

    「無論です。他人の恋愛は見ていて楽しいですから。ブリット君とクスハさんなんて初々しくて良いですよね」

    「ブルックリン曹長と、誰です?」

    「ラーダさん、まだこの時点では2人とも会ってないよ」

    「あら? そうでしたね。気にしないで下さいラッセル君。ちょっとした未来ネタです」

    「はぁ」


     お互い見合って頷く女性2人。

     既に何でもありだ。

     本編では出来ないから遊んでおこうと言う魂胆か。


    「今の問題はラッセル君とカチーナ中尉の恋愛です。どうなんですか?」

    「キリキリ吐くが良いよ」

    「うっ」

    「どうせ本編に影響が出るわけでもないですし」

    「あっさりキッパリ言った方が良いよ」

    「じ、自分はその……」

    「「うん」」

    「ちゅ、中尉の事を……」

    「「うんうん」」

    「……ダメだ! 言えません」


     詰め寄っていた女性陣の肩がガクっと落ちる。

     そこまで引っ張っておいてそれはないだろうと思ったが、ラッセルにすれば余計なお世話。

     実際言う必要も無い。


    「態度なら普通好きって事なんでしょうけど、相手はカチーナ中尉ですし……」

    「変な事言って耳に入ったらコロされるかもしれないし、それを考えて言わなかったかも……判断に困るよ」

    「どうにかして知りたいものだけど……」

    「口を割らせるには古来から拷問だって聞いたよ」



     コソコソこそこそと密談。

     ラッセル君にはかなり不吉な単語が出たりした。

     彼はこの時点で逃げるべきだったのだ。










    「ではその方向で」

    「うん。合いの手は任せてね」


    「ラッセル少尉に1つ言います」


     いきなりビシッとラーダさんはラッセル君を指差しました。

     何気にノリノリです。

     ちなみに人を指差してはいけません。


    「な、なんですか藪から棒に」

    「貴方のその押しの弱さが前から気になっていました。そこを治さないとカチーナ中尉には勝てません」

    「ぶっちゃけた?!」

    「なので貴方には強気になれるアサナをしてもらいます」

    「は?」
    「――アサナって何?」

    「アサナというのはヨガのポーズの事よ」

    「そう言えばラーダさんはヨガの達人だったね。それじゃあ強気になれるアサナって言うのもちゃんとあるの?」

    「ああ、それは私のオリジナルね。かなり上級者向けなのよ」


     体が柔らかく、簡単に色々なアサナが出来るラーダが考えた上級者向け。

     ラッセルの顔色が一瞬で蒼白になった。

     ヒリュウ改のクルーにとって、彼女にヨガを教わる事は死刑宣告に等しい。

     彼の様子をバッチリ目にしたナユキには、音を立てて血が引く光景が初めて実感出来た。


    「さ、始めましょう」

    「え、あ、自分はちょっと……」

    「さぁ行きます」















    「ぐ、ぐあぁぁぁぁぁぁぁ」

    「あ、首が変な方向に。わ、やっぱり人体って不思議な曲線描けるんだね」


     合掌。

     彼に幸あらん事を。






     格納庫に別れを告げ、ナユキはまた歩き出していた。

     去っていくラッセルの首が変な方向に固定されていたが、本人はいたって普通な様子だった。

     中尉と付き合っていれば日常茶飯事ですよ、と淡く微笑んだ彼の顔を見てナユキの頬に涙が一筋流れたり流れなかったり。


    「おや?」

    「え?」

    「これはこれはお美しいお嬢さん。この先は艦橋ですよ。宜しければ食堂にご案内いたしますので、お茶でもいかがでしょう?」


     好き勝手進んでいたナユキは、通路の突き当たりを曲がった瞬間人の声を聞いた。

     しかもすぐさまナンパされる。

     タスクと違い、エスコートの中にさり気なくお誘いがあるところが年季を感じさせる。

     誰かと思えば彼女にとっては知った顔。


    「貴方のように愛らしいお嬢さんがまだ艦内にいらっしゃったのですな。私とした事がチェックを怠っていたとは」

    「あの……」

    「分かりましたすぐさま食堂までご案内いたしましょう。何食堂とは言っても珈琲と紅茶は中々のものでして」

    「あの、ショーン小父さん?」

    「おや? 私は名乗りましたでしょうか? まぁ副長である以上、クルーの方なら知っていてもおかしくはありませんが」

    「名乗ってないけど、私ナユキ……」

    「ナユキさんと仰る? 何処かでお会いした事が? 女性との逢瀬を忘れるとは、いやはや私も老いましたかな?」


     喋る隙を与えずまくし立てる。

     彼のナンパテクなのかそうでないのかは分からないが、ナユキは圧されまくり。

     まぁ彼女自身普通の人よりテンポが遅いのだから余計にだ。


    「その髪の色と面差し。私の知っている方にそっくりですよ。その方はミナセさんと仰るのですがね」

    「私もミナセだよ……ナユキ・ミナセ」

    「おや? 貴方もミナセさんなのですか。ほぉ……む? ミナセのナユキさんと仰ると、お父上はダイテツという名では?」

    「そうだよ」

    「なんと! まさかあのナユキちゃんですか?」

    「うん。やっと思い出してくれたんだね」

    「いやはやこれはとんだ失礼を。しかし見違えましたな」

    「そ、そうかな?」


     一歩下がり、上から下までナユキを眺めると頷く。

     実際ショーンが気づかなかったのも無理はない。

     彼がナユキと直に話したのは5年前のヒリュウ処女航宙時なのだ。

     この年頃の少女は1年でも成長するのだから、5年なら言わずもがな。


    「しかしまた不思議なところでお会いしましたな」

    「ははは」

    「まぁ宜しい。こんな所で立ち話もなんですから、食堂にご案内いたしましょう。何かご馳走いたしますよ」

    「あはい。よろしくお願いします」










     道すがら2人の会話は弾んだ。

     ナユキも知り合いに会って安心したのだろう。

     この艦で起こった事は、お世辞にも心安らかになれるようなものではなかったし。


    「では今はお1人で?」

    「うん。お姉ちゃんもアキナも一緒に行っちゃったし」

    「その歳で1人暮らしは大変なのではないですかな?」

    「家事は一通りお姉ちゃんに叩き込まれたから大丈夫だけど、やっぱりちょっと寂しいかな」

    「……そうですか」

    「でもお仕事だしね。終わったら会えるよ」

    「健気ですな。あ、そこ左です」


     十字路を左に曲がる。

     と、1人のクルーとすれ違う。

     その男はショーンに向けて敬礼をしていった。

     貫禄ある動作で返礼するショーンは歴戦の兵といった風情。


    「小父さんそんな顔も出来るんだね。別人かと思ったよ」

    「そ、それは褒めていただいているのですかな?」

    「も、勿論だよ。カッコ良いカッコ良い」

    「ふむ。私もまだまだ捨てたもんじゃありませんなぁ」


     はっはっはと笑う。

     ナユキにとってショーンは父の友人の優しい小父さんだった。

     今みたいに笑った顔しか見たことがなかったのに、ビシっとした真面目な顔を見た事が変な感じだったのだ。


    「ねぇ小父さん」

    「何ですかな?」

    「さっきお母さんに似てるって言ったけど、そんなに似てきたのかな?」

    「む、気になりますか?」

    「うん。お姉ちゃんやお父さんから話を聞いたけど。家族以外からお母さんの事聞いてみたいと思って」

    「そうですか」


     ナユキの母は旅行中の飛行機事故で帰らぬ人となった。

     子供を残した親だけの慰安旅行、最後までナユキを連れて行くつもりだったらしい。

     その時ナユキの面倒を見たダイテツの母がいなければ、彼女も事故に遭っていたのだろう。


    「美しい、人でしたな」

    「うん、皆そう言った。美人、綺麗な人、可愛い人、確かに写真のお母さんは綺麗だったよ」

    「そうですな。それ以上に毎日楽しそうにしていた人でした」

    「楽しそう」

    「ええ。何と言いますか……そう、生きる事に」

    「……難しいよ」

    「まぁこの歳になったら分かりますよ。お、食堂に着きました、以降の話は座ってからしましょうか」

    「うん」


     左右にスライドするタイプの扉が2枚、上に掛かったプレートには『食堂』と書かれている。

     その前に立ち、2人は揃って中に入った。










    「それではご注文のレモンティーです」

    「あ、ありがとう小父さん」

    「いえいえ。もっと他に頼まなくても宜しかったのですかな?」

    「うん。今お腹空いてないから」


     これは嘘。

     結構色々やった所為か、ナユキの空腹はイエローゾーンに突入している。

     別に我慢できないほどではないのだが、何故我慢したかと言えば戦艦において物資が最重要だと知っていたから。

     軍は補給物資がなければ戦えない事を誰かから聞いていた為、部外者の彼女は自制したのだった。


    「それで、お母さんは毎日楽しそうだったの?」

    「私が見た時はそうですね。毎日笑ってらっしゃいましたな」

    「そうなんだ。何でなのかなぁ」

    「毎日が楽しいからだと聞いた事があります。自分は幸せだからと」

    「幸せ、だったんだ」

    「当然でしょう。美人の娘さんをお2人もお産みになったのですからな」


     自らのカップを傾けながら、ショーンは冗談めかしてウインク。

     そうだね、とナユキは微笑んだ。

     湿っぽくなりかけた雰囲気は何とか持ち直した。


    「それに彼女、中々押しの強い人物でしてな」

    「そうなの?」

    「ええ。彼女とダイテツ艦長の年齢差をご存知ですか?」

    「……そう言えば知らないよ」


     父は母の事を尋ねると途端に口が堅くなった。

     高校に入ってその様子を思い出した時、やっと照れていたと分かったのだ。

     その時何時も姉夫妻が笑っていた理由も同時に解けたのだが。


    「ふふ、その差は実に20歳ですよ」

    「え!? そんなに歳が離れてるの?」

    「しかも惚れたのがお母様の方なのですよ。ダイテツ艦長と彼女の結婚までの過程、あれは見物でしたなぁ」

    「へぇお母さんが積極的だったんだ」

    「年齢差が差ですから、ダイテツ艦長は尻込みしましてな。彼女の猛アタックは熾烈を究めました」

    「誰もそんな事教えてくれなかったよ」

    「それはそうでしょう、私とダイテツ艦長以外もう知る人間はいない話ですから。話したのはナユキさんが始めてですよ」

    「じゃあお姉ちゃん達も?」

    「知らないでしょうな」


     姉も義兄も知らないネタ。

     多分マコト義姉も知らないに違いない。

     良い土産話が出来たと笑うナユキの内心では、次に父に会った時からかってやろうと決まった。


    「今思っても、あのアタックは見事でしたな。ナユキさんも男を落とすのに使えるかもしれませんぞ?」

    「そ、そうかな。どんな方法?」

    「まずさり気なく私生活に侵攻して炊事洗濯をやるのです。これはダイテツ艦長が軍の寮に住んでいなかったから出来た事でしたが」

    「ふんふん」

    「その際周りの人間に顔を売っておくと良いでしょう。徐々に周囲から認知させるのですな」

    「へぇ」


     かなり真剣なナユキ。

     心なしか周囲の人間も聞き耳立てている雰囲気が……。

     ショーンは艦内一の伊達男で通っているので、彼の意見は聞く価値はあるのかもしれない。


    「その際過分に踏み込む事は厳禁です。あくまでも迷惑ではない範囲を見切る目が必要ですぞ」

    「一歩間違うとストーカーだもんね」

    「そうです。家に入る時は家人の許可を得てから。ダメだと言われたら即退く、これが大事です」

    「なるほどなるほど」

    「そうして徐々に慣らして、彼女がいるのが当たり前になれば勝利は目前。後はいかようにも料理できます」

    「どうにでも、なんだ」

    「まぁ男なんて女性に世話を焼かれたがる生物ですからね、大抵イチコロですな」


     身も蓋もない。

     まぁある一面を確実に突いているのは確かだが。










    「とまぁその方もそうして成功したのです」


     話の終了と同時に、そこかしこで感嘆の溜息が出た。

     ナユキ母の話から何時の間にか男の落とし方にシフトしていたのだ。

     今は他の成功例を話し終えたところである。

     何故彼はそんな話をいくつも知っているのだろうか?


    「ためになりましたかな?」

    「うん。何か自信湧いてきたよ」

    「それは良かった。ナユキさん程の容姿なら引く手数多ですよ」

    「だと良いんだけど」

    「ダイテツ艦長もお母様に膝を折った時はもうラブラブでしたからな。その血を引いているナユキさんなら大丈夫」

    「うん。私頑張るよ」

    「その意気ですぞ。……ところで、ラブラブはもう死語ですかな?」

    「……ちょっとね」

    「……そうですか」


     ちょっぴり時代を感じるショーン・ウェブリー55歳。

     話していた内容は男の落とし方と思いきや、実際はナユキの恋愛相談だったらしい。

     彼は散々浮名を流した名うてのプレイボーイと噂なので、相談相手には合っているような気もする。

     実はまだ現役だとか。


    『ショーン副長至急ブリッジまでお越しください。ショーン副長至急ブリッジまでお越しください』


     いささか硬いが若い女性の声が響く。

     おや、と声を上げると、ショーンはカップを持って立ち上がった。

     ナユキもそれに続こうとしたが対面の彼は手で制する。


    「ナユキさんはそのままで結構。私は呼ばれているので行きますが、ここにいてくださっても大丈夫ですよ」

    「でも」

    「何でしたら他に注文しても構いません。私にツケておくように言っておきますから」

    「あ、はい」

    「それではまた。次に会った時はちゃんとしたデートをいたしましょう」


     伊達男と言われるに相応しく、颯爽と去って行く。

     彼は最後まで、ナユキが何故この艦にいのか尋ねもしなかった。

     やはり彼もこの空間に染まっているようだ。















    「デートって言っても年齢差があり過ぎるよね。小父さんはやっぱりもう1人のお父さんみたいな感じだし」






    「またしても私は歩いています。皆私を置いて去っていくので帰り方が分かりません」


     食堂を出て、ナユキはまた適当に歩いていた。

     ショーンの言葉に甘える事でも出来たが、それじゃあ最初に断った意味がない。

     結果あの後すぐ食堂から離脱してきたのである。


    「次は誰に会うかな。副長に会ったら艦長かな? ブリット君なんて実害なさそうだよね」


     てくてくピタ、キョロキョロ、進路クリア移動開始。

     そんな感じで次々とヒリュウ改を侵略していく。

     さすが陸上部部長といったところか、歩く速度はそれなりに速い。

     ゆっくりにしか見えないのは本人の雰囲気だろう。


    「それでも目的はあった方がいいよね。う〜ん、今の状況を何とかするには……通信室?」


     口に出すと、それは思いのほか良い案に思えた。

     ナユキはうんうんと良さそうに頷く。

     目的地は通信室に大決定、ってな感じである。


    「でも通信室ってどう行くのかな? 案内図なんてないし」


     戦艦に案内図などつける人間は普通存在しないだろう。

     敵に乗り込まれでもしたら重要地点がばればれである。

     艦内の通路が似たようなのも、簡単に主要な部屋を見つけられない為の用心なのだ……多分。


    「通信室はここを真っ直ぐ行って突き当たりを右、次の十字路を左に曲がり、その次を右折して4つ目の扉がそうだ」

    「あ、これはご丁寧にどうも」


     横手から掛けられた声に対して、ナユキは正面にお辞儀をした。

     無論そちらには誰もいない。

     彼女は今言われた道順を覚えるのに必死だ。


    「それじゃあ早速――」
    「待ちたまえ」

    「―――え?」

    「通信室は民間人立ち入り禁止だ」

    「そんなぁ」


     根本的な部分でダメでした。

     膝を折って両手を床に、絶望のポーズ。

     がっくり。










    「それで貴方はどなたでしょうか?」

    「ん? もう良いのかな?」

    「はい。良い感じに絶望しました。待って頂いてありがとうございます」


     ペコンと頭を下げてた。

     今度はしっかり対象ロック済み。

     相手は右目だけ前髪で隠した中々良い男だ。

     どこかで見たことあるなーと思ったナユキだが、とっさに思い浮かぶ人間ではなかった。


    「何、友人の義妹だ。気くらい使う」

    「へ? お姉ちゃんの知り合いですか?」

    「いや、私の友人はユウイチの方だ。まぁアキコさんに会った事がないわけじゃないのだが」

    「あぁ! 何処かで見たと思ったら、お義兄ちゃんが昔いた部隊の」

    「ギリアム・イェーガーと言う。始めまして、ナユキ・ミナセさん」

    「あ、こちらこそ始めまして。写真でお姿は拝見させていただいていました」


     余所行きの言葉遣いでちゃんと挨拶を返した。

     親の、と言うより姉と義兄と義姉が厳しく躾たからか、彼女は同年代の人間よりかなり礼儀がしっかりしているのだ。

     睡眠欲が勝っているだけはその限りではないのだが。


    「でも何故私の事を? お会いした事はなかったはずですけど」

    「ああ、君と同じく写真を見せてもらった事があるからね」

    「え、確か同じ部隊にいたのは数年前じゃ……」

    「別に部隊が解散したからといって会わなくなったわけではないからね、彼とは数ヶ月前に会ったよ」

    「あぁ、それもそうですね」

    「その時に家族の写真も見せてもらってね。ユウイチは何時も家族の写真を持っているから」

    「はい」


     両親を亡くしたユウイチは昔から家族を大事にしていた。

     その所為かは知らないが、彼は家族が集まった時に写真を撮る事を好んだ。

     娘ができてからは拍車が掛かった様で、家にいる時はよくシャッターの音が聞こえていたと、ナユキはギリアムに話した。


    「そう言えば、家にいるときだけしかカメラ触ってませんでしたっけ」

    「あれで内心一定のラインを引くタイプだからな。カメラは家だけで使おうと思っているのだろう」

    「そうですか。そう言えば変に頑固ですし……よくご存知ですね」

    「まぁこれでも5年は付き合いがあるからよく知っている。同じ部隊では密度の濃い時間を共に過ごしたものだ」

    「密度の濃い」


     ナユキの脳内にもわもわとイメージが……。

     何故かそれは全面薔薇に彩られたピンク空間。

     いけないなーと思いつつ、クラスメイトM.Mさん(腐女子。世が世なら某人型戦闘車両操縦士)の教えが彼女を蝕む。

     ギリアムは邪魔するのも無粋かと、そんな彼女を不思議そうに眺めていた。










    「悟ったよ。これが者を絡ませるって事なんだね」

    「何か?」

    「いえ、いえいえ! 別に薔薇の花は関係ないですよ!」

    「薔薇?」

    「ななな何でもないです!」

    「そ、そうか」

    「そうです!」


     勢いに圧されてちょっぴり後退り。

     冷静沈着の権化のようなこの男を退かせるとは、ナユキ怖い子。

     まぁ一般的な男からすれば、腐女子の放つオーラは恐ろしいとか不気味とかキ○いとしか感じられないだろう。

     ギリアムはその方面完璧に普通だから仕方ない。

     逆に気づかなくて良かった良かったである。


    「そ、そうだ。私ギリアムさんに会ったら聞いてみたかったことがあるんですよね!」

    「ほう?」

    「聞いてみても宜しいでしょうか?」

    「ふむ。まぁ別段否があるわけではないのでどうぞ」

    「じゃ、じゃあ……んん」


     何事か咳払い。

     柄にもなく緊張しているようだ。

     聞かれる方は変わった様子は微塵も感じられないが、内心どんな質問かかなり楽しみだったり。


    「あ、あのですね」

    「うむ」

    「ギリアムさんは、今後アポロンと名乗ったりしないのでしょうか?」

    「は?」


     彼女の質問は予想の上も上、成層圏を突破して宇宙空間に到達していた。

     それこそシステムXNで次元転移出来たりするかもしれない。

     彼にとって固まってしまうほど予想外すぎる質問であった。


    「お〜い。もしも〜し」

    「はっ! あまりの事に硬直してしまった」

    「あ、元に戻ったよ」

    「ナユキさん、アポロンとは何の事かな? 私には生憎分かりかねるのだが」

    「え? アポロンって、ギリアムさんの生まれた星で最後に名乗った名前じゃないんですか?」

    「う、生まれた星とは?」

    「惑星エルピスの事ですけど。こっちの1号コロニーと同じ名前ですけど、やっぱり平行世界だからですかね?」

    「さ、さぁ?」

    「次に行った世界がこことよく似た世界で、シャドウミラーって部隊がいたんですよね?」

    「なっ……」


     もうギリアム絶句。

     ナユキも本編と関係ないから好き勝手やってる。

     おまけスペースで派手にやっても構うまいと言う心理が色々働いているのだ。

     先ほどとは逆に、彼の気持ちの整理を待ってあげる優しいナユキちゃんであった。










    「や、やはり君が何を言っているのか分からないな」

    「そうですか」


     たっぷり沈黙4分と19秒。

     彼が出した答えは白を切り通す事だった。

     ヘタレと言うなかれ、漢が出した結論に異を唱えてはいけない。


    「でもアポロンさんは凄かったですよね」

    「な、何がだろうか?」

    「だってシロッコとシャドームーンとヤプールを部下にしたんですよ。3人とも一筋縄じゃいかないのに凄い」

    「そ、そうか」

    「XNガイストもごつくて変形したりするし。飛行形態がブラックサレナに似てるのは気のせいかなぁ」

    「き、君は何でそんな事を知ってるのかな? もしや並行する世界をさまよう宿命を……」

    「そんな大層な人間じゃないですよ。ゲームをやれば」

    「ゲーム」

    「んん、なんでもないです。企業秘密という事で」

    「そ、そうか」


     普通そんな言葉で誤魔化す事は不可能だが、今の彼なら大丈夫。

     ちょっとショックでふらふらしているし。

     完全な自我再構築まで時間がかかるかもしれない。


    「わ、私はそろそろ行くよ。艦長に話があるのでね」

    「あ、はい。これからも義兄といいお友達でいてくださいね」

    「勿論だ。ではさらば」

    「さようなら」


     最後の一言でなんとか立ち直ったのか颯爽と去ってゆく。

     だが今のナユキは一味違う。

     見た目からは分からないが精神的にかなりキている。


    「それからシャドウミラーの皆さんですけど! 近いうちにこの世界に来ますよ! 気をつけてくださいねー」

    「ああ」

    「ちゃんと伝わったかな?」


     曲がり角で姿が消えると同時に、ナユキは叫んでみた。

     彼にとっては爆弾になる事を。

     ……暫くして何かが派手にぶつかった音が木霊した。


    「伝わった伝わった。じゃあ私も移動しよっと」


     彼女はナユキ。

     普段は温厚でぽややんとした天然少女。

     だが一度スイッチが入れば、彼女は黒い発言を連発する。















    「いい加減色々やっても元に戻れないね。これはもう寝てみるしか! 最後の可能性夢オチに懸けるしか!」


     彼女は新たな目的地へと向かって歩みを開始した。

     約束の地は医務室である。






     試行錯誤を繰り返し、ナユキは約束された地に辿り着いたのだ。

     ここまでの道のりは険しく遠く、それこそ右行ったり左行ったり上下Uターン何でもありだった。

     彼女をして何回叫んだだろう、『素晴らしい悪夢だ!』と。


    「おじゃましま〜す」

    「はいは〜い」


     普通の自動扉が、今のナユキには黄金もかくやの輝きを放っているように見えた。

     でも表情は普通のままあっさりと進入。

     挨拶には若く軽そうな女性の声が返ってきた。


    「あら? 貴方新顔ね」

    「え、え〜っと、そうなの……かな?」


     目が合ったらいきなり新顔ときたもんだ。

     どこぞの深夜営業の店に迷い込んだ気がしたナユキである。

     医師らしき人物は、アップにした長い金髪に赤いボディコンシャス、その上から白衣を羽織った綺麗な女性だった。

     一呼吸見詰め合った2人は、同時にキランと目を光らせる。


    「初診は保険証無いと診察代高いわよ?」

    「そんな。ただ眠りに来ただけなんです。何とかタダになりませんか?」

    「ん〜こっちもこれでお金貰ってるから。どうしてもって言うなら、体で払ってもらっても良いわよ」

    「そ、そんな……初めてが女の人なんて!」

    「大丈夫。女同士の方が良い場合もあるわ。私に任せなさい!」

    「じゃ、じゃあそれで……」

    「おっけーおっけー。お姉さんにお任せよん」


     丸椅子に座ったままにじり寄ってくる白衣の女性。

     何時の間にか、ナユキも患者用の椅子に座ってそれを待っていた。

     女性の両手が少女の頬に伸びる。


    「「…………」


     見詰め合った2人。

     双方水準以上の美貌な為、何かバックに百合満開な感じ。

     正直作者も薔薇とか百合とか書くの嫌なんですけどしょうがない。


    「「ぷっ、あはははははは」」


     お互い同時に笑い出した。

     2人ともビビっと着たに違いない。










    「ははは、あ〜笑った笑った。あなた中々筋がいいわね」

    「はは、そうですか?」

    「私はエクセレン。エクセレン・ブロウニング、呼ぶ時は『姐さん』か『エクセ姉様』って呼んでね。あ、先生でも可よん」

    「はい先生。私はナユキ・ミナセ。ナユちゃんって呼んでください」

    「おっけーナユちゃんさすが良いノリ。かたっ苦しいから敬語はなしでいいわよ」

    「うん、分かったよ」


     何故だか知らないが波長が合ったらしい2人。

     エクセレンの軽いテンポとナユキの天然なリズムが変に噛み合う。

     お互いの知り合いがこの場面を見れば微妙な表情する事必至。


    「先生は白衣着ているけどお医者なのかな?」

    「ん〜そう見える?」

    「ううん全然」

    「あららはっきり言う子ねぇ。まぁ当たってるんだけど、どっちかって言うと女教師が好きだし」


     白衣を脱いでポイっとパイプベッドに放り投げる。

     その替わり、事務机に置いてあったに白い上着を手にとって羽織った。

     ごく普通の色気のあるお姉さんの出来上がりである。


    「それでサングラスでもかければ女教師エクセレンの完成だよ。先生カッコい〜」

    「やっぱり? 女教師エクセレン秘密の個人授業……めくるめく感じ?」

    「うん。AVのタイトルみたいだよね」

    「ガク。ナユちゃん、それはないんじゃな〜い?」

    「えへへ。でもそれじゃあ本職のお医者さんはどこなのかな。ちょっと気になるんだけど」

    「ま、目の前に私がいるのに他の人間を気にするなんて悪い子」

    「うぅ、怒られたよ〜」

    「実は私もこの部屋の主って見た事ないのよね。ゲームでも出てこなかったでしょ?」

    「うん。治療はユンちゃんやラーダさんがやってたもんね」


     実際ヒリュウ改とハガネの艦医は謎である。

     ゲーム本編でも1度も出てきていない。

     医務室だけあって、後はクルーが好きに使っているというのが1番ありそうだ。


    「う〜む」
    「う〜ん」

    「私も攫われた後お世話になる予定だけど、その間寝てるはずだから誰が治療するのか分からないし」

    「もしかして全自動化とか」

    「あり得るわね! ここだけ機動兵器のコックピットとか」

    「実は1個の生命かもしれないよ」

    「だとしたら私達お腹の中!? いやダメよ、こんな若い身空で死んでしまうなんて!」

    「私もまだ死ねないよ。世界の苺全種類食べ尽くしていないもん」


     ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ。

     女は3人寄れば姦しいとはよく言うが、この2人は寄ったら煩かった。

     プラスではなく二乗らしい。


    「そう言えば」

    「え?」


     ピタりと止まるエクセレン。

     腕を組み、頭を左右に振って考える。

     彼女は脳内を検索中。


    「医務室医務室……そうだ。こんな噂があったわ」

    「噂?」

    「そう。夜な夜な医務室から悲鳴が響いてくるって噂」

    「定番だよね」

    「ところがそうでもないのよ。ある人名が絡んでくると一気に信憑性が増すのよねぇ」

    「誰かな? カチーナさんがラッセル君かタスク君を毎夜修正してるのかな?」

    「それも面白そうね。じゃなかった、悲鳴があった日は、毎回同じ人に呼び出されるんだって」

    「カチーナさんに?」

    「そこから離れなさい。……ラーダさんによ」

    「それって……」

    「そう。きっと実験台にされているのよ、ヨガの」


     可能性がありすぎるほどありそうだ。

     エクセレンもナユキも、笑顔で人をアサナの体勢に無理やり変えるヨガ魔人の姿を見ている。

     リアルすぎるイメージが発生して、2人とも活動が停止した。










     プシュと、無音の医務室に扉が開く音が響いた。

     中にいた2人は恐ろしいほど慌てて活動を再開する。

     まずは言い訳。


    「そそそそんなラーダさんは良い人だったよ。美人さんだし笑顔の優しいお姉さんだよね!」

    「そうそうそうなのよ! ヨガって美容に良いみたいだから今度私も習う事になるはずだし!」

    「ヨガの為なら仲間の命も売り渡すヨガ魔人だなんて全然思ってないよ!」

    「実はカチーナ中尉の万倍恐ろしいかなぁなんて思ってるけど口にしたりはしないわよ!」

    「何を言っている?」

    「は?」
    「へ?」


     恐る恐る見てみれば、エクセレンにとって馴染み深い無愛想な顔。

     若干呆れた眼差しだが、彼女らにとっては全然問題ない。

     生きる事は全てにおいて優先なのだ。


    「あ、あらぁキョウスケだったのね。焦って損したわ」

    「ふぅ、命は繋がったよ。天国のお母さんありがとう」

    「やっぱ日頃の行いが良いから神様が助けてくれたのね。神様、お礼に明日もブリット君をからかう事を誓います」

    「だからエクセレン、何を言っている」

    「あぁこっちの事、気にしない気にしない。むしろ知ると不幸になるわよ。ね、ナユちゃん」

    「ねぇ先生」

    「そ、そうか。それで、君は何者だ?」


     キョウスケの目線はナユキに向けられている。

     確かに服装からして軍艦に相応しくないので、その質問はもっともだ。

     まぁキョウスケもエクセレン赤い派手なモノを軍服にしているので、服に関しては何も言えないのだが。


    「私? 私はエクセレンよ。キョウスケったら恋人の事くらい知ってるでしょうに」

    「お前の事は知っている。第一恋人ではないだろう」

    「あららつれないわね。この子はナユちゃん、さっき友達になったのよ」

    「ナユキです、こんにちは」

    「ああ。見たところ民間人のようだが……」

    「あ、ちょっと迷っちゃって。でも怪しいものじゃないんですよ? ショーン小父さんに確認していただければ」

    「ん? ナユちゃんってば副長のお知り合い? まさか引っ掛けられたとか」

    「それはあるまい。副長はあれで色々弁えている」

    「あれでって、キョウスケも結構言うわね」

    「え、え〜っと、父と小父さんが知り合いで……」

    「ふんふん。そこんとこ先生に詳しく教えてくれるかな」


     エクセレンは目を爛々と輝かせているが、それは副長の弱みをゲットする為だったり。

     彼女の内心を看破したキョウスケだが、彼も話自体に興味があるのか聞き役に回る。

     分かりましたと頷いて、ナユキは知っている事を話し出した。










    「じゃあナユちゃんはあのミナセ艦長の娘さんなんだ」

    「うん。といってもあまりよく知らないけどね」

    「まぁ軍人でもない限り普通は知らないか。で、お姉さんとその旦那さんも軍人」

    「うんそうだよ〜。今も何処かでラブラブなんじゃないかな。万年新婚だし」

    「兄の方は元教導隊か。よくよく縁があるな」

    「お義兄ちゃんも有名なんだね。始めて知ったよ」


     びっくりびっくりと口にする少女は、しかし全然驚いた顔をしていない。

     キョウスケは掴み難い子、と判断を下した。

     同時にスパイ活動等とは全く縁がない人間だとも。


    「つまり安全だという事か」

    「どったのキョウスケ?」

    「いや、それで君は医務室に寝に来たと?」

    「はい。それで先生と意気投合したんですよ」

    「その通り。ナユちゃんはいいモノを持ってるから、精進すれば美人姉妹の末っ子に入れたげるわよ」

    「わ、それは何か良いかも」


     最終的に4姉妹か。

     ヴィレッタやラミアとナユキが並ぶ……ぞっとしない。

     何か色々なところに喧嘩を売りそうである。


    「まぁ寝たいのなら構わないか。じっくり寝てくれ。エクセレン、格納庫に行くぞ」

    「はいはい。じゃあねナユちゃん」

    「うん、先生さようなら」

    「はい。家に帰るまでが遠足ですからね〜」


     先に出て行ったキョウスケを追ってゆく。

     遠足とは言いえて妙だなーと思ったナユキ。

     白衣を椅子に放ってベッドに横になる。


    「もうキョウスケ、女の子にはもう少し優しくって何時も言ってるでしょ」

    「聞いてないが」

    「口答えしな〜い」

    「む」


     廊下から2人のやり取りが遠ざかる。

     そっけない男の声と、弾むような女の声。

     正反対のように聞こえるが、根底にはお互いへ労わるような感情が窺える。


    「う〜、私も彼氏欲しいよ」


     漏らした言葉は切実。

     他の人間に聞かれる事なく、医務室の宙に溶けて消えた。















    「……これで夢オチじゃなかったら、私はどうやって帰れば良いんだろうね。それ以前に艦は宇宙なんじゃ……」





     了










    このSSSは、本編とは殆ど関係の無い事を最後に述べさせていただきます。



    後書き


     web拍手内のSSSを移動しました。
     現在は上の話に替わって新しいのが5つ入ってます。

     更に迷走するSSS……。
     前回から一気に容量が3倍ですよ。
     もう下手なSS数話分に匹敵してるしさ……。
     つくづくアホだなぁ自分と思ったりするわけで……。
     内容に関しては例によってお遊び的なシロモノですけど。