・ユウイチの場合
「たいちょーは良いなぁ」
それは男の第一声。
開いた扉の外、廊下に立っている彼は唐突にそれだけを述べて押し黙った。
書類に目を通していたユウイチは何事かと目を向ける。
廊下との境ギリギリに立っていたのは部下であるコウヘイだった…………何時もより瞳がギラついていたが。
「……欲求不満か?」
だからまぁ、ユウイチがそう言ったのも無理はない。
それほど今のコウヘイは余裕のなさそうな顔をしていた。
「うん」
対するコウヘイは、カクリと首から上だけ曲げての返事。
仕草と台詞の相乗効果か、今の彼は子供にも見える。
普段の無駄なほどエネルギッシュな様子など微塵もない。
(当たりかよ)
軽いジョークのつもりが大当たり。
コウヘイの態度も何時もと違う為、次の対応にも困る。
「まぁ取り敢えず入れ」
「……」
まずは話だとユウイチは頭を切り替え、執務室代わりに使っている士官室の中へコウヘイを誘った。
自室じゃなくて良かった、とか、また面倒事か……だりぃ、とか内心では思っていたが顔には出さない。
管理職は辛いのだ。
「まずはこれでも飲め」
「あんがとーさん」
手ずから淹れたコーヒーをコウヘイに渡す。
普段通りのおざなりな返事だが、何となくその声には張りがない。
事務机に向かい合い、湯気の立ち昇るプラスチックのカップを少し傾ける。
辛気臭い対面の男から視線を外し、ユウイチは一時的に机端へ避けた書類の束にチラりと目線を向けた。
(決裁や目を通すのが遅れるなぁ)
宇宙を往く今の状況では当然書類提出の期限などないが、それでも後回しにすると面倒になる。
終わっていないとマコトから小言があるかもしれないし、家族団欒の時間が削られるかもしれない。
重要案件は最優先で処理しているのが救いではある。
「ふぅ」
「溜息を吐くな溜息を」
アンニュイさを全方位へ放出するコウヘイ。
辛気臭くてたまらんとそんな彼を窘めるが、耳に入っていないのかあまり効果はない。
ユウイチ自身も溜息を吐きたい心境である。
「俺溜まってるんですよねー」
「いきなり流れをぶった切ったな」
「この部隊に配属されて何ヶ月か経って、正直人肌恋しいって言うか」
「しかも無視か……」
またしてもほぅ、とコウヘイは溜息を吐き出す。
取り敢えずユウイチは好きに話させる事にした。
同じ男として言いたい事も分かるからだ。
座り直して口出しせず静観の構えへと移行する。
「ぶっちゃけヤりてぇ!」
「ぶっちゃけるなよ!」
思わずツッコんだ。
静観できなかった。
「…………なんかダメだった?」
「いろいろ」
「じゃあ……×××を○○○に◆◆て△△△△とか?」
「尚悪いわ!!」
怒鳴った後、書類と逆端にカップを置き、ユウイチは左右の指でそれぞれコメカミを揉んだ。
何故か描写がより直接的になったコウヘイの発言に頭痛を感じた為である。
普段の彼よりはテンション低めだが、変わりに脳内の倫理回路が壊れているらしい。
それが分かると、ユウイチは机に突っ伏した。
数分後、自我を再構築したユウイチは起き上がる。
否、ある意味彼は諦めたのだ。
今のコウヘイはダメダメであると。
(まぁ普段もアレであるしな)
違う方向におかしくなっただけとも言えよう。
ユウイチの思考からもコウヘイによる普段の奇行がよく分かる。
「はぁぁぁ」
そのコウヘイは、相も変わらず溜息を大量生産していた。
ユウイチの様子など気にならないほどテンパっているのか、憂を帯びた顔と眼差しは遠い彼方に向いている。
普段はおちゃらけている為分かり辛いが、今の彼は二枚目だ。
元が美形なだけに、コウヘイ自身が美男子と称するのはわからなくもない。
「で、結局どうしたいんだお前は」
まぁユウイチには関係ない事だが。
あるいは、コウヘイの知人であるS.Hなる人物なら飛び掛っていたかもしれない。
「んあ?」
「大体ここに何しにきたかも聞いてないしな。相談か?」
「そうだんです」
「……それはあれか、相槌か?」
「実際どうしたら良いんでしょうかね?」
「流したか。どうも何も処理するしかないだろ」
付き合ってユウイチもスルー。
あまりのつまらなさに不憫になったとも言う。
わざわざツッコミ直すのも面倒だ。
「1人でやると逆に溜まるというか……」
「まぁお前も妻帯者だからな」
「そう、感触を思い出すと終わった後物悲しくて……」
「他の女性クルーに手を出すなら合意の下にしろよ。面倒事は起こしてくれるな」
「そんな妻と妹を裏切る事なんて! …………最終手段という事で」
「……追い込まれてるなぁ」
ユウイチも同じ男として分かるだけに苦笑するだけに留める。
双方合意なら、一応重婚も認められている世界なだけに許容範囲なのだ。
ちなみに現在プラチナ艦内に未婚の2、30代女性は25人。
ブリッジクルーや整備班にも若干名存在するが、やはり主計班や生活班と言った日常業務的な部署に女性は多い。
25人からアカネ、シイコ、ルミ、ヒジリ、マイとサユリを抜いた人間が、いざと言う時コウヘイのターゲットとなるのだろう。
艦内唯一の10代であるミスズとカノはお相手のユキトが、アキナとマリアは年齢が1桁なので当然除外だ。
「まぁ下手すりゃ適齢期の女性クルーは全員交際相手いるだろうけどな」
「え、マジ?」
「そりゃあこの部隊が結成されてそれなりに時間も経過したし、部署間を離れた付き合いも増えたろ?」
「……そういえばそうだった」
コウヘイだって整備班や生活班なんかの人間と食事を共にする事はある。
最近ではパイロット仲間以外の顔と名前も覚える事が増えた。
それを考えれば、ユウイチの言う同じ部署以外の人間との付き合いは確かに増えているだろう。
「そんなこんなでくっ付くやつらはもうくっ付いているって事だ」
「そ、そんな……」
「だからお前は妻帯者だろうが。何故そんな残念そうな顔をする」
「もしかしたら出会って恋の花が咲くかもしれないじゃないか。こうバックにババーンと演出で!」
「誰が演出するんだ。大体奥方が3人いてまだ積極的に女性を口説こうと言うのか?」
「あんたに言われたかーない」
確かに。
美人妻を2人も抱えて、尚他に5人も手を出している男には言われたくないだろう。
自分から積極的に口説いたわけじゃないとか、ユウイチには彼なりの言い分があるのだがこの際それは関係ない。
結果が全てである。
「まぁそれを論じても俺に言える事はないから仕方ないが、ただ既婚者だけは止めておけよ。変に修羅場になると面倒だし」
「例えば中佐とか少佐とか?」
「そ。まぁ靡く事は絶対にないと断言出来るが」
「ほほー、それはそれは」
「無理やり手を出した奴は殺すがな」
世間話程度の軽さで、ユウイチは凄まじく物騒な事をのたまった。
気負いも何もない物言いだが、それ故に恐ろしい。
「…………」
コウヘイの脳内では、何かが割れるような音が木霊する。
無論錯覚だが、感じた恐ろしさを補強する一因にはなった…………なんだか寒さも感じるし。
たっぷり5分。
沈黙だけで満たされた部屋に耐えかねたか、やっとコウヘイが口を開く気配を見せる。
動きがある事は当然ユウイチにもバレ、目を向けられて盛大に引き攣ったが何とか言葉を吐き出した。
「ひ、人妻に手を出しちゃあきまへんよね?」
「ああ」
「ご、強姦は犯罪ですものねぇ」
「その通り」
「あ、あははははははは」
「ははははははは」
引き攣った笑い声を、ただただ上げるしかないコウヘイ。
対するユウイチも声だけは笑っている。
目だけは無感動にコウヘイを眺めているので、もの凄く怖い。
「「はははははは」」
「パーパぁおしごと終わった〜ってなんで笑ってるの?」
「ん? 大人の話だな」
「む? じゃあいい」
「よし良い子だ」
「えへ」
今一番マリアを誉めたいのは、実はコウヘイであるのは言うまでもない。
意識が娘へと逸れた為、ユウイチから出ていた圧力が消失したのだ。
だらーっと、全身の力が抜けて椅子に全て委ねてしまった。
心臓ドックンドックンで冷や汗ドバドバである。
「それで何かご用かな?」
「あ、うん。ごはんの時間だから呼びに来たんだよ」
「もうそんな時間か……分かった」
「コウヘイ兄ちゃんも時間だよ」
「……」
のろのろと、右腕が上がった。
間接が錆びついた人形の如く変に硬い動き。
見るからにエネルギーが足りない動作である。
やりすぎたなーと、それを見たユウイチは思った。
「げんきないね」
「あぁ良い良い。コウヘイは疲れているんだ。そっとしてやってくれ」
「うん」
「じゃあ行くか」
「はーい」
そう言って部屋から出て行った。
扉をくぐる瞬間、ユウイチが視線をコウヘイに向けたが、結局言葉をかけることはなかった。
実は内心プレッシャー掛けすぎたかと後悔しているのだが、今話し掛けるのは逆効果かと止めたのだ。
実際恐るべき存在と認識されたユウイチが今声をかけたとしたら、止めを刺す事にもなりかねない。
実は大人気ないと後悔はしていても反省はしていないのだが。
「もぅ、マリアったらいきなり走らないでって何度も言ってるのに!」
「ごめ〜ん。でもパパ連れてきたよ〜」
「おう、連れてこられたぞ」
「仕方ないですね。今回は許しましょう」
「えへ、やったアキナ好き〜」
「きゃぁもう。私もマリア好きよ……でもお父さんの方が好き!」
「おっと。俺もアキナは大好きだぞ」
「む! あたしもパパ大好き〜!」
「っとはいはい。マリアも大好きだぞ〜。……それでどこに行くんだ?」
「えへ、え〜っとね……」
「まずは……」
「そ……」
遠ざかっていく声。
親子の心温まる会話そのものは、聞いているだけで嬉しくなるだろう。
……この男を除いて。
「も、燃え尽きたぜ……真っ白な胚のようにな…………」
ガクリと、椅子に身を投げ出して動かなくなった。
力の抜けた手がダラりと垂れ下がる。
………………
…………
……
うごきがない、ただのしかばねのようだ。
この後、彼が胚に戻って胎児からやり直したかは定かではない。
・ユキトの場合
「やー助かった助かった。いいストレス解消になったね」
「……それは良かったな」
「あれ? 何か含みのある言い方」
「別にそんな事はない。訓練にはなったからな」
軽口を叩きながら、コウヘイとユキトがシミュレータールームから出てくる。
適当なテーブルセットまで移動して椅子に腰を降ろした。
「これで通算成績64戦44勝19敗1分だな」
「違う。鯖を読むな。俺は22勝しているはずだ」
「そうでしたそうでした。でもあまり違わないけどな」
「うるさい」
ブスっとして押し黙る。
割と表情を変えないユキトだが、それなりに親しい人間を前にすると違うようだ。
対するコウヘイは終始楽しそうな表情。
「まぁでも実際腕上がってるだろ」
「そうか? 今日も負け越しているが」
「って言っても10戦やって俺が6だろ? 段々5分に近づいてるしなぁ」
「俺は勝ち越したいんだ」
「そう簡単に抜かれると俺の立場がなくなるから却下」
ユキトの対コウヘイにおける勝率は、10戦して3勝か4勝と現時点では4割を少し下回る程度。
最初の頃はそれこそ完膚なきまでに負けていたが、最近はそこそこいい勝負をしている。
彼は不満なようだが、少し前まで民間人だった状況を鑑みれば大したものだ。
コウヘイはこれでも士官学校出の人間であるのだから、普通はこう競った戦いにはなりえない。
命がけで戦闘をしているが故、これほど伸びが早いのだろう。
「ちくしょう、次は勝つ」
「じゃあ俺は更に倍勝つって事で」
はっはっは、とコウヘイは笑い声を上げた。
2人の勝率的に見ればそうなる可能性は高い。
ユキトもそれが分かっているのだろう、言い返さずテーブルに突っ伏した。
「ほら」
コウヘイが上げた声に反応すると、ユキトは伏していた顔を上げる。
放り投げられた物体をとっさに反応してキャッチ。
見れば自販機で売っているスポーツ飲料のパックだ。
訓練後で火照っている掌に気持ちの良い冷たさを伝えてくる。
「これは?」
「見れば分かるが飲み物」
「……当たり前だ」
「んじゃあ何だね?」
どういうつもりか尋ねるがはぐらかされる。
投げた物と同様のパックをコウヘイはかなりの角度で呷った。
彼の反った喉がよく動いた。
それを見ていると、ふいにユキトも喉にかなりの渇きがある事に気づく。
「まぁ貰うなら飲むか」
「……んぐ」
独り言に応えたのか、飲みながらコウヘイが頷いたのを感じるとキャップに指をかける。
当然ながら細工も何も施されていないパックは、軽い抵抗を返しつつ開いた。
コウヘイから貰った飲み物だけに、一瞬だけ細工があるかもとユキトは思っていたが、どうやら杞憂らしい。
そのまま一気に中身を空けた。
「美味い」
「それは良かった」
「ただのスポーツ飲料なのにな」
「確かに」
ほとんど一気に乾し、薄くなったパックをテーブルに置くとコウヘイがユキトの対面に座った。
彼のパックも同じように置かれるが、その音はユキトのそれよりも軽い。
同時にコウヘイは手を差し出してきた。
「なんだその手は?」
「金」
「あ?」
「ポ○リやっただろ、その分。まぁアクエリ○スでも良いが」
「どっちなんだよ」
「画面の向こう側には見えんから気にすんな。どっちでも同じだ」
「向こう側って……」
メタな発言である。
コウヘイは何故か『向こう側』の存在を知っているのだ。
もしかしたら錬成陣なしで錬金術を成す事が出来るかもしれない。
「しかし画面の外にアプローチ出来る電話番号ってあるんかねぇ。ほら、『あの』三部作のように」
「高○竜司かよ」
「登場時は二○馨だけどな」
「……言っといて何だが高山○司って誰? 勝手に口を衝いて出たが」
「電波だ」
「なるほど……って納得できるか!」
「ついに染まったな」
ふぅやれやれだぜ、って感じでコウヘイは肩を竦めてみせる。
彼は大変優しい目をしていた。
同病相憐れむというか……。
「……同病!?」
「ふっ」
ニヤリ。
その笑みは肯定に等しい。
「うぁ、もう人として終わりだ」
「おいおいおいそれは言い過ぎですよあんた」
「普段の行動を思い出せ。控え目に言っても変人だ」
「ん〜……そうかも」
「確信犯か」
「当然だ。エンターテイナーだからな」
「そうか」
ユキトは何故か納得して頷いた。
少なくともこの艦に乗る前の彼なら、もっとコウヘイの言動に疑問を感じていたはずだ。
朱に交われば、と言うやつかあるいは諦めか。
以前のユキトを知る人間が見れば、染まったと思うのは間違いない。
「今の俺達なら、コンビでもそこそこイケるか?」
「まぁ対戦をこれくらいしてれば癖も分かるし、可能かもな」
更に直前の会話をぶった切って雑談に移行した。
話しを変えたユキトにわざとらしさもなければ、あっさりそれに乗ったコウヘイにも違和感がない。
思考形態まで侵食が進んでいるのなら最早手遅れか。
まぁ、楽しそうに雑談に興じる2人なので、それはそれで良いのかもしれない。
「聞いてなかったが、何でいきなり訓練に誘ったんだ?」
「あ? それ今更だぞ」
「忘れてたんだから仕方ないだろうが」
コウヘイの言はもっとも。
雑談モードに入って20分は経過した後の言葉なのだ。
この後の展開を予め知っていれば、ユキトは確実に口にしなかっただろうが……。
「まー良いけど。ストレス発散だって最初言ったろ」
「それは聞いたが、なんでストレスが溜まったのかは聞いてないぞ」
「……聞きたいのか?」
「付き合ったんだから聞かせろ」
「本当に?」
「くどい」
「おっけー」
言質は取った。
本人が聞きたいと言ったからには教えてやらねばと、コウヘイは相好を崩す。
と言っても、にこにこではなくニヤニヤと言える顔だが。
ユキトと話している間、またぶり返してきた衝動を紛らわす必要があるのだ。
「まぁストレスの元はあれだ、人間の3大欲求の1つな」
「……飯は食ってたし、睡眠欲か?」
しまったという顔を露骨にしたユキトは、対面から若干視線を逸らす。
もう既に、聞かなければ良かったと顔に出ているのは何故か。
「意識的に避けたな」
「何の事だ?」
「3大なのに2つしか言ってねーじゃん」
「そ、そうか」
「そーだ。そっちは毎日満たしているから良いよなぁ」
「な! ……なにを?」
「残りの1つ」
ユキトはひっきりなしに視線を転じたり、残ってもいないパックを口にしてみたりと忙しい。
そんな焦る様をコウヘイは色のない瞳で眺める。
何時の時代も、富める者は貧しき者に嫉妬され攻撃されるのが常なのだ。
マルクス主義万歳なのである。
「たいちょーとかユキトは良いよな。身近に奥さんとか恋人いるし」
「そ、そっちも結婚してたんじゃ」
「でもこの艦にはいないしなぁ。毎日毎日同衾しているそちらさんに比べたらとてもとても」
「同衾……」
「しかも2人だし、ベッドシーツは連日洗濯か?」
「そ、そんな事はない!」
でも実は図星。
ユキトも若い男性なのです。
相手の女性が2人と普通の倍なので、色々流れるモノも普通の倍なのだ。
「こっちは妻達と離れて寂しく一人寝なのに、そっちは10代の若い娘さん達とくんずほぐれつですかそーですか」
「親父くさいぞ」
「あーあ、神は死んだ」
「くっ。好き勝手を」
「だって羨ましいんだもーん」
「だもーんじゃねぇ! 大体俺よりアイザワに言ったら良いだろうが。あいつの相手は俺の3.5倍いるぞ」
「あぁそれは無理」
顔の前に片手を挙げてパタパタ振る。
不可能のジェスチャーって事だろう。
「なんでだ?」
「俺はまだ死にたくない!」
「……」
「たいちょーだけなら睨まれて超プレッシャーかけられるだけで済むかもしれんがな。いやこれだけでも十分恐ろしいが」
「戦闘時鬼だから、それはまぁ分かる」
「ああ。カワスミやクラタなら大丈夫そうだが、アカネかシイコ、あるいはヒジリさんがいたら……確実に俺の命はない」
「ヒジリ……そうだな」
「……」
「……」
「「怖い」」
2人揃ってガクガクブルブル。
双方とも1度ならず彼女に攻撃されて意識が飛んだ事がある。
艦内で怒らせたくない人間トップなのだ…………
「それに……」
「それに?」
「たいちょーに言っても面白くない」
「は?」
「お前みたいに照れてくれないからな」
「なっ」
「そうそれ。リアクションも美味しい」
「……っ」
赤くなったユキトはガックリと、力なく椅子にもたれた。
コウヘイが言うように、ユキトとユウイチではそっち系の経験に差がありすぎるのだ。
アキコとマコトという容姿端麗な女性と生まれた時からずっと一緒だったユウイチ。
古くは小学校時代から散々言われ続けてきた彼に、今更コウヘイのからかいが通じるはずもない。
「あ、ユキトさんいたいた。ミスズちんいたよ」
「ホント? あホントだ」
「っ!」
ガバっと顔を上げてユキト出入口を見遣る。
コウヘイの背後には当然彼の愛するミスズとカノの姿が……。
(拙い……今は拙い)
そっとコウヘイを見遣ると目が合った。
ジーっとユキトの顔を凝視して、突然口元がつり上がる。
口の形だけが黒々とした深淵を想起させ、そこだけが鮮烈に瞼の裏へと焼きつく。
邪笑と呼ぶに相応しき黒い笑み。
「もうユキトさんってば、何時まで経っても部屋に戻ってこないから探しにきちゃったよ」
「あれ? 一緒にいるのはオリハラさん?」
「そうでーす」
「ミスズ、カノ」
「ん? 何々?」
「何かあるのかな?」
ユキトが名を呼んでも2人は普通に近づいてくる。
愛する男は目線で合図を送り続けているが、ミスズもカノも全く気づかない。
知り合いしかいないのに何かあると考えるのは、普通はあまりないだろう。
ニヤニヤしっぱなしのコウヘイを見れば2人とも立ち止まりそうだが、挨拶時も徹底して背中を向けたまま。
「ふぅやっと着いたよ」
「長かったね」
「……終わった」
ガタガタと椅子を引いて、2人は空いていた場所に座る。
この部屋に4人掛けの丸テーブルしかないのが今回はマイナスに働いた。
同じテーブルについてしまっては最早逃げられない。
ユキトは2人の声を聞いた瞬間に席を立つべきだったのだ。
「2人ともここにいるって事は、やっぱりお勉強?」
「違うよミスズちん、訓練訓練」
「にはは、それそれ」
「それもやったな。今はユキトから2人との性生活について聞いてたんだ」
「いきなりかよ!」
直球過ぎるほど直球。
身も蓋もないほどぶっちゃけた。
いい加減コウヘイも過度のストレスでデリカシーぶっ飛んでいるらしい。
ユキトが怒鳴るのもよく分かる。
「せい生活……って何?」
「生活なら楽しくやってますよ?」
「俺は信じてた。ああ俺は信じてたよ」
純粋な2人には耳慣れない言葉であったらしい。
ユキトは握り拳で空を仰いだ。
恋人が汚れてなくて嬉しいのだろう。
「そーねー。簡単に言うと夜の営み?」
「夜の……」
「……営み」
そこで終わらせないのがこの男。
内容を噛み砕いて普通に口から放つ。
ボっと赤くなる2人。
「更にぶっちゃけるとセッ」
「言うなっ!!」
「おっと」
顔面に飛んできた拳を、軽く上半身を引く事で避ける。
ストレートを繰り出したユキトは悔しそうに舌打ち。
間にテーブルを挟んでいなければ、コウヘイの顔面に見事右拳が突き刺さっていた事だろう。
「実際どうなのかな? ユキト君との生活は、特に夜」
「うぇ?! そ、そりゃ気持ち良かったり」
「カ、カノりんってば! 確かに嬉しいし気持ちいいけど……」
「お前らもまともに取り合うな!」
「ほらほら女性陣はまだ若いから、色々気になる事があるだろうし俺が訊いちゃるよ?」
「あったら他の女に聞くだろうが!」
「ユキト君には聞いてないよーん」
楽しそうだ。
人をからかうのが至福と、この男はきっとそう言う。
女性2人はまだ赤い顔で思考が鈍っている為、反応が変にダイレクトでユキトは困る。
条件反射で赤裸々に語ってしまいそうだ。
このままなら、この3人は暫くコウヘイの玩具と化すだろう。
だがそうはならないのが
ヒュッっと、空気を切り裂く音がする。
発信源は鈍く光る銀色の何か。
その速さは音を超え光を超え、見た者に異次元の速さを垣間見せる事だろう。
「実際ユキトってばうまぅお!」
超高速でコウヘイの眼前数センチ前を銀色のソレが横切った。
トストストスと、壁から軽い音が生じる。
それだけ聞けばなんて平和な効果音だろう。
次いで共鳴したような、伸びと広がりのある金属音が鳴り響く。
「な、な、何だ?」
そろりと左側を向けば壁に刺さる細長い銀色の物体。
余程の高速だったのか、ざっと見ても5センチは突き刺さっている感じだ。
少し見る角度を変えるとそれは―――
「メ、メス!?」
―――手術や解剖に用いる鋭利な小刀。
言うまでもなく某女医の必殺武器である。
コウヘイは誰が投じたか当然ながら一瞬で理解した。
そして背筋を這う冷たい感触と、胸の内から湧き上がる恐怖の念。
「ミスズ、カノ、今の内に行くぞ」
「「え?」」
「ほら!」
未だコウヘイの発言でボゥっとしていた2人を、ユキトは強引に引っ張り上げる。
手を引いて即撤退。
見事3人は逃げおおせたのだ―――
「……俺は…………死ぬのか?」
―――自分の死期を悟ったコウヘイを置いて。
そして数秒後、この部屋の前に黒い人影が―――
・マークの場合
「暴れておるそうだのぉ」
「そーかなー」
「青い性の暴走じゃな」
「じゃーそーでーすねー」
差し向かいで会話しているのはマーク老人とコウヘイ君。
場所は食堂である。
コウヘイは椅子の背もたれに身を投げ出し、ダラーっと擬音が出そうなほどふんぞり返っている。
天井を向いた目は死んだ魚のそれのように濁って、半開きな口からは魂離脱しそう。
百年の恋も冷めそうな有様だが、幸いな事にこの場には2人以外いなかった。
「会話が成り立たんではないか。少しはシャキっとせい」
「むーりー」
しっかり受け答えしているのに、会話が成り立つ成り立たないもあったものではないのだが、マークは暫し待つ事にした。
まぁコウヘイの辛さも理解できる事でもあるし。
数十年前には自らもその身で味わった辛さなのだから。
(自室があるだけまだマシなんじゃが、それを言っても詮無い事か)
テントでキャンプだとか野宿だとかでプライバシーなどない場合も多かった。
我慢するかバレるのを承知でとか色々あったらしい。
慰安婦制度のあった時代ならともかく、現代ではそんなものはない。
男同士に走るなど割と日常茶飯事だったとか。
(それにパイロットでもあるしのぉ)
ただでさえ直接戦闘をする軍人はストレスが溜まる。
変じて生存本能も高まってそういった行為へ及ぶ事も多い。
地球上ならそれ系の店にでも行って発散する事も可能だろうが、敵しかいない現状の宇宙ではそれもままならない。
そんな感じの思考を経て、目前のコウヘイを生温かく見守る事にしたマークであった。
「アユ、ミオ、アユ……俺は……俺は…………」
ぶつぶつぶつぶつ。
まるで怨嗟の如く陰陰滅滅たる声が響く。
何時の間にか顔が前に倒れ、糸の切れた人形のように項垂れている。
下を向いた見えない唇から聞こえる音は、さながら地獄の底から洩れ出てくるかの様。
声が文字になって目に見えるような感情のこもり方だ。
「ぬほっ! そんな……そんな事まで……」
「…………」
「W……泡……トリプ……」
「……若いのぉ」
それだけで済ますマークも強者だが、若干老人の目が泳いでるのは隠せない。
今のコウヘイを知らない人が見ればきっと通報する。
間違いない。
「ミ、ミサオ……お、お兄ちゃんはもう、もう……!」
「ちょっと待て」
「何時からそんなふしだらなゴフッ!!」
耳障りな音を立て、テーブルの端がコウヘイの胸部にヒットした。
更に大きな音を発生させ、コウヘイが座った椅子ごと5メートルほど後退する。
その後ろには壁。
「ぐぇ! ぐは!」
コウヘイは見事壁へと激突し、テーブルとサンドされて動かなくなる。
胸骨部分が挟まれてカクリと首が落ちた。
固定されていなかったら倒れて床に寝ていたことだろう。
「も……逝……さ…な……」
「ふぅ、ええ事したの」
なんだか色々終わり間近っぽいコウヘイの呻き声をうっちゃって、老人は爽やかな顔で流れてもいない汗を拭く。
仮にも弟子と呼んだ人間から顔を背けるように。
某少女風に言うのなら、儂に弟子なんかいない、なのだ。
現状一直線に逃避かましている彼はしかし、今確かに1人のシスコンの魂を救ったのだ。
周りに人がいなくとも、あれ以上妄想が進んだら正直かなりやばかった。
肉体的にではなく精神的に、なんか戻れない一歩を踏み出してしまいそうだったのだから。
「うぅ……」
「どうしたのミサオちゃん?」
「何だかゾクっとして背筋が寒くなって」
「風邪かな?」
「ううん。何だか肖像権の侵害を受けたような感じだった」
「ん〜? もう大丈夫なの?」
「うん、なんとか。お爺さんに救われたような気がするもん。ありがとうお爺さん」
「どういたしまして」
うむ、と虚空に向かって力強く頷いた。
仕草は怪しいの一言、だがその顔には誇りがある。
それ故厨房にいる人達は『ナニカ』の投擲を控えた。
「俺からもサンキュウ。実妹は汚しちゃあかんよ。義妹だけにせなな……がく」
一瞬だけ顔を上げ、言いたい事だけ言って再度逝った。
その右手は、GJとでも言うかのごとくサムアップを繰り出している。
コウヘイ・オリハラ、彼は真実『兄』であったのだ。
「や、あれはやばかったね!」
「それは良いが……」
「何すか師匠!」
「お主よくあれを喰らってそんなすぐ復活出来るのぉ」
「鍛えてますから!」
「左様か」
疲れたように重い息を吐き出した。
マークにとしても、自ら行った攻撃が致命的な事態を引き起こさなかったので良かったのだが、釈然としないものはある。
その点では未だ常識人な部分が残っていると言えよう。
特定のキャラはギャグパートでは死なないものなのだ。
「そして俺はギャグキャラだったのです!」
「はぁ?」
「いやいやこっちの事ですよ!」
自分自身でギャグキャラと定義するところも業が深い。
地の文にツッコミ入れるとのも大概だが。
くだらない事や笑いの為なら『法則』や常識も超越する―――
「それが美男子オリハラクオリティ!」
―――斜め上45度に向かってカメラ目線。
いかなる原理か歯がキラリと光る。
正直怖い。
知らない人が見たらそそくさと立ち去る事間違いなしである。
見ないように視線を外しているあたり、マークは付き合い方を理解していると言えよう。
今のコウヘイは変なギア入ってるのかテンション高めだ。
「何でそんな元気なんじゃ?」
「そんな事ないですよHAHAHA!」
「さっきの事で脳の破壊率2割増になったとか……」
「だから何時も通りっすよー!」
「だ、だが、先ほどからいやに語尾に力入っとるんじゃが」
「そんな事ないっす!」
そんな事ある。
復帰してからのコウヘイは言葉の最後に力入りまくりだ。
毎回語尾に感嘆符出てるし。
「どう見ても無理やり元気出してるのぉ」
「そ、そんな事はナイヨー!」
「正直その力の入れようウザから止めさせたい。儂の自己満足の為に吐け」
「理由がそれ!?」
「言ってみよ。事によると力になれるやもしれぬぞ」
「・……むぅ、分かりました」
やっと感嘆符がつかない台詞を喋ると、コウヘイは静かに語りだす。
自分の心のうちを。
「無理やり元気出して暴れないとね、リビドーが溢れ出そうなんですよ?」
「結局それかい」
「今の俺には死活問題ですから!」
「まぁそりゃ分かるんじゃが」
今更感が拭えない。
十数分前にも同じ内容の会話をした事だし。
これはもう何かしら対策を講じない事には終わらない。
そう感じたからか、マークは腕を組んで考え始めた。
「仕方あるまい」
「む」
何事か考えていたマークが重々しく頷いた。
その顔は巌の如き固い意志が漲っている。
それは、思わず圧力を感じたコウヘイが旅立ちかけた妄想から現世復帰するほどだ。
「儂がお主に貸してやろう」
「え、何を?」
右を見て左を見て後ろを見る。
そうした怪しい行動の後、マークは椅子からテーブルの半ばまで身を乗り出した。
すっと右手を挙げて軽く手招き。
「俺?」
「お主以外誰がおるか」
「霊」
「見えるのか?!」
「思念だけ感じますねー」
「筋金入りか。まぁそれは良い。耳を貸せ」
「うい」
コウヘイもマークと同様の体勢へと移り、顔を背けて耳を老人へと向ける。
素直に従った弟子に一つ頷いて、師匠の方はまたしても後ろを振り向いた。
誰も見ていないことを確認すると、声を出すべく声帯を震わす。
「実はな、持ってきているのじゃよ」
周りに聞かれると拙いのか老人は小声。
段々と密談じみてきた。
心なし彼らのいる場所は後ろ暗い雰囲気が……。
「盛ってきている……クスリですか?」
「文字じゃないと分からんネタはよせ」
「ういうい」
「その持ってきているものじゃが、今のお主に必要なものじゃ」
「ほうほう。して?」
「儂秘蔵の無修正エロビデオじゃ!」
どどーん。
擬音にするならそんな感じ。
せっかく小声だったのに、力が入ったのか元の音量に戻った。
いや、あるいは地声より大きいかもしれない。
「おお。師匠後光が!」
「そうじゃろそうじゃろ?」
「今の俺に必要だったのはそれですよ!」
そうか?
「お前には必要と思っとったんじゃよ!」
「貸していただけるので?」
「無論じゃよ。儂の弟子じゃからのぉ」
「へへー」
平伏しそうな勢いである。
それで良いのか妻帯者…………まぁ男なんてそんなもんだけど。
「しっかしよく持ってましたねそんなの。まだ興味あるんで?」
「当然! 儂は生涯現役じゃよ」
「さすがししょー」
「まだまだ機会があれば若い子をナガッ! うご! ぐぇ!」
音にするならゴスッとかゴメスとか、しかも連続で。
厨房から飛んできたお玉やらしゃもじやらが、後頭部に立て続けに大量ヒットしてマークは沈黙。
正確無比かつ強烈無比の容赦なし。
投げたのは、厨房を守護するマーク老人の奥方達である。
「……あ、相変わらず素早い」
誰も周りにいなくなって、コウヘイは呟いた。
マーク沈黙後一言もなく接近してきた5人の奥方は、旦那を厨房の奥へと引っ張り込んだ。
必殺サイレント拉致監禁(嘘)である。
「師匠は運がなかったと言う事で……うん」
コウヘイは立ち上がった。
当然、遠く打撃音や破砕音が響く厨房から逃れる為。
それら派手な音に混じる湿った音が恐ろしさを助長する。
「……あでゅー」
こうへいはにげだした。
ほかくされたまーくのそのごはだれもしらない。
・タカアキの場合
「あんたなら分かってくれるよな、この辛さを!」
「……」
「そうか分かってくれるか! やっぱこんな長い間1人で処理するのは辛いよな!」
「……」
「うんうん、あんたなら分かってくれると思ってた! 感動した!」
コウヘイが一方的にまくし立てているだけなのだが、何故か彼の中では会話が成り立っているらしい。
話し掛けられているタカアキ・クゼ少佐は、頷くとか首を振るとかリアクションは全くしていないのだが……。
彼はただ黙々と手元のコンソールを見ているだけだ。
「しかし相変わらず無口だなぁあんた。報告とか大丈夫か?」
「……」
「やっぱだんまり? うーんここは一発芸でもして笑わせた方が良いのか?」
「却下」
「なにぃ、俺の崇高な芸の道を妨げんとするのは誰だ?」
ダメ出しの声が聞こえた右へと顔を向ける。
右斜め方向にその声の主はいた。
少し身を捻って頬杖をつき、呆れたような顔でコウヘイを見ている。
「ぬぬ、やはりシイコか」
「そ。シイコちゃん」
「貴様仕事はどうした? 軍人としての職責を全うするのだ」
「そっくりそのまま返すわよ。オリハラ君こそお仕事は?」
「今はないぞ。戦闘配置でもないからな」
「なら私も同じ事。動かないのに操舵の仕事があるわけないっしょ?」
「……だな」
緊急発進や緊急回避等が必要ならばともかく、現状では暇だろう。
いないと困るが、逆に席に着いてさえいれば会話くらいどうという問題でもない。
それどころか、コウヘイの方がこのブリッジでは異分子である。
彼としてもシイコがいる事に文句を言えるはずもない。
「だが! 俺の芸の道を妨げたのは何故だ!」
自分の立場を鑑みて少し沈黙していたが、そこは譲れないとばかり声を荒げる。
声の大きさにシイコは少し顔を歪めた。
戦艦の艦橋と言っても、このプラチナの場合普通よりも狭い。
彼の声は充分以上隅々まで届いているのだ。
「煩いですよコウヘイ」
「な、アカネ?!」
「そう煩いのよね」
「何だと!?」
「そのオーバー過ぎるリアクションと声! 何だか知らないけど何時もより頭に響くのよ」
「そうか?」
「そうです」
「そうそう」
今まで沈黙していたアカネからクレームがくると、すかさず一気に押し込まれた。
ぐうの音もなく黙る。
そして省みると、確かに煩かったかと納得するのだ。
「うむ反省。単純に勢いで押すのは芸の道ではないからな」
「分かれば良いんです」
「会話に加わったって事は、アカネも仕事終わった?」
「ええ、データの整理は取り敢えず。残りは交代してやってもらいますから」
シイコがアカネと話している間、コウヘイもそちらへと移動を開始する。
タカアキの席からではアカネの姿は全く見えない。
正反対に位置する2つの席だが、その間に艦長席へ到る階段とそれを覆うように存在する壁があるからだ。
楕円形であるブリッジの頂点にあるシイコの席だと全ての場所が見える為、彼はそこに行こうとしていた。
「シイコ」
「ん」
くるーりとか、ぐるんとか、擬音にするとそんな感じ。
アカネの目配せを受け、シイコは首から順に回転させて後ろを向く。
最小限の言葉だけで通じる、幼馴染的意思疎通能力である。
どうでも良いが、今の彼女が行った振り返り方はいささかホラーちっくで怖い。
「なんか用?」
「あ、ああ」
「ん? 何でどもってるのさ?」
「いや、中々の怖さだったからな」
「何のこっちゃ。で?」
「うむ、君たちに真の芸を見せてやろうと思ってな」
「いらん」
「いりません」
「即答!?」
言うまでもなく即答、しかも異口同音。
付き合いが長いだけ断り方もストレートだ。
ぞんざいな口調がシイコのうんざり感を表しているし、会話に加わらず拒絶だけ口にするアカネも大概である。
「何が気に食わないんだお前ら。普通人なら泣いて喜ぶのに!」
「じゃあ喜ぶ人に見せりゃいーじゃん」
「第一私達は任務中なのですが」
「そそ」
「アカネはともかくシイコ! お前は暇だろうが!」
「んーあー……イソガシーナー」
わざとらしく正面に向き直って操舵機を握る。
ご丁寧に言葉の最後は棒読みだ。
「そんなあからさまな行動を取るとは……やるな!」
「……アホの子ですねコウヘイ」
「今更じゃんアカネってば」
「そうですね」
「そこ! 好き勝手言うなよ? でもアホは褒め言葉」
芸人にとってはそうなのだろう。
でも『馬鹿』と言われるとダメージを受けるのだ。
真剣に落ち込むので、ギャグ中や後のコウヘイに対して『馬鹿』と言う人間はこの艦にいない。
皆さん理解がある。
「悪口の言い甲斐がない男ですね」
「それはそれでストレス解消になったりするんだけどねぇ」
「立つよ? 俺は役に立つよ? ついでに笑いも提供するよ?」
「それはいりません」
「真のゲイか……」
「ゲイじゃなくて芸だ! フォーとでも言えば良いのかよ?!」
ぎゃーぎゃーと、結局姦しくなってしまう。
だが彼女らの顔には笑み。
軽口の叩き合いは、気が置けない友人同士のスキンシップそのものだ。
そんな3人の会話を、ブリッジで唯一参加していないタカアキは羨ましそうな顔で聞いていた。
「そろそろ交代時間ですね」
「ああもうそんな時間?」
「ええ。コウヘイ助かりました」
「お? おお任せておけ!」
思いがけず時間を潰せた事に礼を言ったアカネだが、コウヘイは気づかなかったらしい。
彼女としても楽しかったのは事実であるので、気づかれたところで問題もないのだが。
しかし相変わらず彼の言葉は力が漲っている。
「ふぅ、しかし今日のオリハラ君は随分飛ばしてるね」
「そうですね、普段より暴走している感じがします。何故でしょう?」
交代時間が数分後と迫り、2人は席周辺を点検しつつも会話を止めない。
内容は嫌に元気なコウヘイについてだ。
馴染みの気安さか、本人がすぐ後ろにいても気にせず話す。
「ユウイチさんに怒られて空元気出してるとか?」
「食堂でつまみ食いして、という線もあるかもしれませんよ」
「シミュレーターでクニサキ君にボロ負けとか?」
「ナナセさんに殴られて変なスイッチが入ってしまったのかも」
どれもこれも、ありえそうで否定できないのがコウヘイという人間。
2人もそれは感じたのか、思わず顔を見合わせる。
そして全く同じタイミングでコウヘイに顔を向けて声を出した。
「「ご愁傷様」」
「ちげぇよ!!!」
「えー」
「本当ですか?」
既に確定したかのような彼女らの顔と声色に、対象の男は思わず叫んで反論した。
言われた幾つかは過去既にやられた事があるだけに、コウヘイ自身も納得できそうなところがむなしい。
否定を全く受け付けない2人の態度もまた哀れさを誘う。
「さっきクゼ氏にも説明してたろうが!」
「ん〜、タカちゃんが迷惑そうにしている様子しか見てなかった。あはは」
「あははじゃない! 見ていたら聞いとけ」
「シイコ、タカちゃんとは?」
「いやタカちゃん無口だからさ、せめて呼び名くらい親しみを持てるように、ってね」
「なるほど」
「ちなみに本人からは了解貰ってるよん」
件の『タカちゃん』に目を向けると、話は聞こえていたのか当人は頷いた。
どうやらシイコの言に間違いはないらしい。
何故かコウヘイは、美味しい奴、とタカアキの評価を上げた。
「どう? アカネもタカちゃんって呼んでみる?」
「いえ、それは私のキャラではないので遠慮します」
「じゃあ俺―――」
「ちなみに男は却下ね。聞いてて気持ち悪いし」
「―――へい」
しょんぼりと肩を落とす。
本当にそう呼びたかったわけではなく、単純に台詞を遮られた所為だろう。
自らを芸人と定義するコウヘイにとっては、自己を表現できる瞬間が無くなるのが何より辛いのだ。
「逸れましたが、何故今日のコウヘイはそれほどパワフルなのでしょう?」
「溜まってるって話だったわねぇ」
「聞いてたんじゃねぇかよ!」
「あはははは。私を信用しすぎるのは問題だよコウヘイ君」
「貴様はどこの騙し屋だ」
先のしょんぼりから今度はがっくり。
普段のコウヘイならあるだろうキレがない。
パワーはあるのに一直線すぎる所為で躓いているような感じだ。
「欲求不満ですかコウヘイ?」
「あーそうですその通り」
「いい歳した大人の男が何をやってんのかねー」
「うっせ。お前らは隊長相手にヤりまくってるから良いじゃないか」
「コウヘイ下品です」
「まったくね。オリハラ君はデリカシーないなぁ。普通思っても言わないよ?」
「ぐ、俺も今のはちょっと反省」
礼を失する言葉だと自覚したようだ。
普段から紳士たらんとするコウヘイにとって痛恨事である。
男同士の猥談とは違い、女性にはそういった話題を振らない男が彼なのだ。
笑いを取る為なら、問題なくそれ系の話題振ってしまう事もあるが。
「よろしい」
「大体そんなに我慢できないなら、フリーな人探して口説いたらいいんじゃない?」
「む……」
「それも一つの手ではありますね」
「別に結婚しろって言ってるんじゃないだけど? 言葉は悪いけど遊び相手とか。お互い大人だし」
「むむ……」
割と拝聴すべき意見なのか、少しずつ考え込む顔になる。
シイコは別段変な事を言っているわけでもない。
まぁ妻帯者には甘い毒だろうが。
「過激ですねシイコは」
「所詮他人事なんで幾らでも言えちゃうのよね。相手のいる私らには関係のない話だし」
「まぁ、確かに」
「分別のある大人同士なら問題ない範疇だしねぇ。既婚の男性としては今の状況がきついってのも何となく分かるし」
「う……悔しいがその通り」
精神的ではなく肉体的な問題なのだ。
経験があるからこそ歯止めが利かない、等の事例は往々にして存在する。
味を占める、という言葉もある事だし。
「よしんば情が移っても結婚は出来るしね」
「犬猫ではないので、その一言で片付けるのもどうかと思いますが」
プシュっと、空気の抜ける音とともに3人の人間がブリッジに入ってきた。
中々几帳面な人間が揃ったのか、ピッタリ交代時間だ。
男性が1人に女性が2人。
移動の邪魔になるかと、コウヘイは一歩後ろに下がって口を閉じる。
「交代?」
「はい」
「おっけー。問題は全くありません。それじゃあ後よろしく」
「了解しました」
敬礼を交し合って位置が入れ代わる。
シイコが座っていた操舵シートには、交代要員の男性が着いた。
立ち上がった彼女は伸びを1つ。
「んー! お疲れさんっと」
「お疲れ様ですシイコ」
「アカネもお疲れ。オリハラ君はこれからどーすんの?」
「さすがにいても仕方ないから部屋に戻るさ」
合流して誰ともなく出口へと歩き出す。
前方で、動かず何かを見ているタカアキの姿が3人の視界に入った。
彼のいた座席は、現在ショートカットの女性が座ってる。
その彼女を目に留めると、何事か思いついたかシイコの表情が変わった。
「オリハラのコウヘイ君や」
「何だ変な呼び方して」
「あの子かなり可愛くない?」
「あ?」
進行方向にいる女性を目で示す。
コンソールを注視しているその横顔は、可愛いというより凛々しい。
「まぁそうだな」
「口説いたら?」
「……は?」
「シイコ……」
いきなりで思考が止まったらしいコウヘイ。
アカネの方は頭痛に耐えるかのように側頭部を抑える。
それほど突拍子もない意見過ぎた。
「流れ的にありなんじゃない?」
「話の流れでそんな事を言わないでください」
「オリハラ君は反対?」
「俺には妻がいるんだって」
「だいじょーぶ。ばれなきゃ浮気じゃないから」
「それは嘘です」
「そ、そうか?」
「コウヘイも乗せられないでください」
「だ、だがガード堅そうだぞ?」
「問題ないない。口説き始めれば勢いでガーっと!」
「……言うだけ無駄ですね」
「君なら出来るはずだ!」
「よっしゃ!」
あっさりと、洗脳でもなんでもないのに乗せられてしまった。
それ程までテンパっているとも言える。
そして一歩踏み出す―――
「でもミオちゃん達には私がチクるけどね」
―――前に終わった。
シイコはプッっと吹き出して駆け出す。
どうやらコウヘイをからかっていただけらしい。
「あははははは」
「てめぇ! 待ちやがれ!」
「待ちません。あ、タカちゃんお疲れ!」
「シイコォォォ!」
途中タカアキの肩を軽く叩き、風のようにその脇を駆け抜ける。
数瞬後同じようにコウヘイが彼を抜く。
血が上っているのかシイコしか見えていないようだ。
「すみませんクゼ少佐」
「……いや」
「あの2人にはよく言っておきますので」
並んだ瞬間アカネが軽く下げ、追うように速足で歩き出した。
真面目な彼女らしく疾走するつもりはないようだ。
「…………」
三者三様の後姿を見送り、タカアキはブリッジの出入口をくぐった。
扉が閉まるのを確認すると立ち止まり、3人が消えた通路を眺める。
懐からそっとパスケースを取り出して開いた。
「……」
中に収められている写真にひとしきり目を落とし、満足するとケースを閉じて元の場所に。
暫し目を閉じて1つ頷くと、前をしっかり見て歩き出した。
先ほどより確固たる力強さを宿したその歩み。
タカアキは、そのまま艦内の奥へと堂々歩み去っていった。
彼のパスケースには婚約者の写真が収められている。
・今日のナユキちゃん
「全くやってられないよ!」
まだ少女と言える若い娘の怒声とともに、ドン、と紙コップがカウンターに叩きつけられる。
辛うじてひしゃげなかったが、そうした当人も周りも気にはしない。
カップを持ったまま右に動かし、軽く腕を上下に振る。
「ん」
「あらお代わり?」
「お願いするよ」
「はいはいっと」
スツールに腰掛けているエクセレンがコップに液体を注いだ。
雰囲気的には酒が正しいのだろうが、瓶や缶ではなくパックから注がれる色はピンク。
アルコール臭も全く感じられないその飲み物はイチゴミルクである。
「はいどーぞ」
「ん。ありがとう」
「どういたしまして」
「ん……ん……ぷはぁ!」
酒でもないので躊躇するわけもなく、一気飲みですぐ乾される。
やり切れなさと投げやりさは感じられるので、自棄飲みだと言う事は第三者にも理解出来るだろう。
ちなみにこの部屋だが、ヒリュウ改の一室である。
現在は3人の人間がこの場にいた。
「あらぁこのお酒美味しいわねぇ」
「エクセレンさん、手酌で飲むからパック頂戴」
「はいこれね」
「ありがと」
「飲み過ぎるとお腹壊すからゆっくり程ほどに飲むのよ」
「覚えておくよ」
「……何故俺まで」
この場で唯一の男であるキョウスケだが、釈然としない様子で呟いた。
彼とエクセレンはしっかりと酒を飲んでいる。
「まぁまぁ言いっこなしよキョウスケ」
「しかし」
「今は暇なんだから良いじゃない」
「む……」
士官室をバーのように改造したこの一室。
兵士、特に士官の慰労目的で誰かがそうしたのだろう。
バーテンやマスター等の人間こそいないが、内装はどこぞのバーそのものだ。
酒は自分のIDカードで買って、料金は給料から天引き。
個人用のケース完備なので、買ったボトルのキープも出来ると言う至れり尽せりっぷりである。
「ったくホントやってられないよ」
また紙のコップを叩きつける音。
その内注ぐのさえ面倒になったのか、パックから直で飲み始める。
この年頃の娘さんらしからぬ飲み方をなさっている少女こそがこの場の主役。
彼女の名はナユキ・ミナセと言う。
黙々とパックを乾す事暫し。
時間にして10分も経っていないが、ナユキの飲み方は派手だった。
カウンターに乱立するイチゴミルクのパックは実に3つ。
そして今まさに4つ目を開くべく手をかけていた。
それと、バーなのにイチゴミルクが置いてある事にツッコミを入れてはいけないのは当然のマナーである。
「あの〜ナユキちゃん?」
「何?」
「それはちょーっと飲み過ぎじゃない?」
「自棄酒ならぬ自棄イチゴミルクだから良いんだよ」
「でもねぇ、もう3リットルだしねぇ。ほらキョウスケも何とか言って」
「ああ。過度な水分の摂取は体に良くないぞ。軍人なら例え自棄でも止めているだろう」
「私軍人じゃないよ?」
「……そうだな、なら問題ない」
「うん。キョウスケさんは話がわかるね。さすがベーオウルフだよ」
「それは『あちら』の俺だが任せておけ。軍人は民間人の味方だ」
「ちょ、ちょっとちょっと、2人とも何か変よ?」
「そうか?」
「そうかなぁ?」
「……」
変な空間が形成されている。
エクセレンは一片の疑問の余地もなくそれを感じた。
取り敢えず話の流れを最初に戻してみるべく、彼女はナユキに質問をぶつける。
「そもそもナユキちゃんは何で自棄になってるわけ?」
「え?」
「それは聞きたいな。味方と言っても理由は知りたい」
「ってちょっとキョウスケは黙る」
「分かった」
「ナユキちゃんが怒ってるのは分かったんだけど、何に対して怒ってるのかわかんないのよね」
「言ってなかったっけ?」
「ええ。いきなりこの部屋からスタートした感じだし」
「メタな発言は止めろエクセレン」
「ああごめんごめん。で、どうナユキちゃん。お姉さんに理由話してみない?」
一瞬右に座るエクセレンの目を見ると、ナユキは呷っていたパックを下ろした。
両手をカウンターに載せて台の上を見つめる。
そうして彼女は語りだした。
「怒ってるというより、私は悲しいんです」
「悲しい?」
「はい。拍手SSは、本編に出られない私が唯一目立てる場だったんですけど……」
「つまりこの場ね」
「だからエクセレン、あまりメタな―――」
「今はナユキちゃんの為に特例って事で」
「―――仕方ない」
初っ端から漫才じみた会話で流れが止まる。
キョウスケはもう介入するつもりはないのだろう、カウンターにある自分のコップに口をつけた。
エクセレンに話を再開するよう目配せする。
「それでどうしたの?」
「……でも今回の拍手SSでは、5つあるメッセージの内私がメインなのは1つだけなんですよ」
つまりこのページだ。
改めて不遇な我が身を顧みたのか、ナユキの肩が落ちる。
「読者の人にもナユキじゃなくて他の人間出してくれって言われましたし」
「あっちゃー」
「確かにSSでは私の扱い悪いですし、人気もないんですけどね、はは」
「いやいや、自虐ツッコミはいけないわよ」
「作者も実はナユキ書きにくいなーとか思ってるんですよ多分」
「あ、あはは」
「残り4つはコウヘイさんが主役だしね。あの人本編で目立ちまくってるんだから少し遠慮してもらいたいよ」
「少ない男のキャラだし、仕方ないんじゃない?」
「3人の奥さんがいる既婚者でしかもシスコンで芸人で変人でパイロットだなんて属性多すぎだよね!」
「……う〜ん。これはやっぱり飲むしかないかしら?」
結局そんな結論。
エクセレンとしても何と言っていいか困る話だった。
「だからもう飲まないとやってられないんだよ!」
またパックを掴んでゴクゴクゴクとラッパ飲み。
今度はエクセレンも止めなかった。
実際は諦めたとも言える。
「うおーっす誰かいるかぁ?」
「中尉もう少し言葉を……」
「うっせぇなぁ。あたしの勝手だろうが」
扉が開く音とともに、威勢のいい女性の声が響く。
注意する気弱な男の声も続くが、全く聞き届けてはもらえない。
言うまでもなく女はカチーナであり、男はラッセルである。
「あーん? ひい、ふう……っとこれだけかよ」
「仕方ないですよ中尉。まだ18時前ですし」
「んなこたぁ分かってる」
「だったら……」
「ちょっとした冗談だ、真に受けるな」
取り敢えずといった感じで、そこだけ人がいるカウンター席へと接近する。
無論ナユキ達ご一行様のところだ。
「よぉキョウスケ」
「カチーナ中尉、何か?」
「何かも何も、バーに来る用事なんて飲酒しかないだろうが」
「愚問でした」
「隣はエクセレンか? 2人でしっぽり密会とはお前さんもやるねぇ」
金髪の女性を認めたカチーナは快濶に笑う。
言っている事はまんまオヤジではあるのだが。
エクセレンが陰になっているのか、ナユキの事までは気づいていないらしい。
「あらぁんカチーナ中尉、夕方っからお酒ですか?」
「ぬかせ。お前らの方が先に来ていただろうが」
「確かに」
「あたしもいい加減暇すぎて、酒でも飲まないとやってられないのさ」
「自分はそんな事はないのですが……」
おずおずと述べたラッセルの意見は、当然の如く流される。
哀れと言うなかれ、彼の押しの弱さが原因だ。
プラチナもヒリュウ改も、我が強くないと生きていけない場所なのであった。
「で、注しつ注されつか? だったらあたしらは離れて座るが」……
「いえ、今日は俺もエクセレンも付き合いです」
「あん?」
「エクセレンの1つ向こうの子がメインですよ」
「ほぉ、誰だ?」
少し体を動かして奥を覗く。
そこには当然イチゴミルクをがぶ飲みしているナユキの姿。
空きパックの数は更に増えている。
「お嬢ちゃんじゃないか。まだ艦内にいたのか」
「以前格納庫で会ったっきりで、今まで何処にいらっしゃったんでしょう?」
「う、どうせ私は影も薄いんだよー」
その発言はどこかを確実に抉ったらしい。
ナユキの動きが速くなる。
まぁ今の彼女では何を言っても落ち込みそうではあるが。
「あらら、スピードが上がったわね」
「しかしあの速度で飲んでよく零れないな」
「つーかあのお嬢ちゃんは何やってるんだ?」
「自棄酒ならぬ自棄イチゴミルクですって」
「なんだそりゃ?」
「未成年ですからね」
「何言ってるんだラッセル。未成年でも自棄になって呑むのは酒に決まってるだろうが!」
「そ、そんな事を自分に言われても」
何を言ってもとばっちりである。
普段から彼の受ける仕打ちはこんなもの。
哀れと言うなかれ、ラッセル君は結構楽しんで過ごしているのだ。
「よっしゃ! こうなったらあたしが酒を呑ませて嫌な事を忘れさせてやるしかないな!」
「やるしかないって中尉……」
「ラッセル! あたしがキープしてるボトルをケースから出してこい。これカードな」
「はぁ」
ラッセルにIDカードを放る。
受け取った方は、釈然としないままカチーナの酒がある場所に歩いていった。
なんだかんだで簡単に使役されている。
「じゃあナユキちゃんはカチーナ中尉にお任せしましょう」
「おう」
「良いのかエクセレン?」
「良いでしょ。幾らなんでも死なせたりはしませんよね?」
「お前らあたしを何だと思ってんだよ?」
「ほら、これなら大丈夫」
「……ふぅ。中尉、彼女は民間人ですから、そこのところもお願いします」
「わーったわーった」
席を立つ2人にヒラヒラと手を振る。
彼女としても変な事をするつもりはない。
酒は楽しく、がカチーナの持論なのだ。
「じゃあお話はこれでお終い! キョウスケ、あっちのテーブルで呑み直しましょ」
「ああ。っと分かったから引っ張るな」
「早く早く」
後はカチーナに任せ、キョウスケとエクセレンは連れ立って歩いてゆく。
その姿はどこにでもいるカップルのようだ。
「お待たせしました」
「ああ、ここに置いてくれ」
すれ違うように、何かのボトルを持ってラッセルが戻ってきた。
カチーナはナユキの隣に腰を下ろす。
今をもって周りの様子に気がつかないナユキだが、これからどうなるのだろうか。
場はいよいよ混迷してゆく事になる。
1時間後。
そこは独特の雰囲気に満ちていた。
人はそれを何と呼ぶだろう?
「あはははははは! そうだよね! 元は私のコーナーなんだから邪魔する奴は滅殺だよね!」
「おうそうだそうだ! あたしも気に入らないやつはこう、千切っては投げ千切っては投げ」
「さすがカチーナお姉さまだよ!」
「そうだろそうだろ!」
「ちゅ、中尉。ミナセさんも」
「あぁん? こらラッセル!」
「は、はい!」
「てめぇ呑みが足りてねぇな? もっと呑め呑め!」
「そうそう! もっと呑んでくださいよ!」
ハイ過ぎるほどテンションの高いナユキとカチーナ。
それに付き合うラッセルは割としらふだ。
それ故に彼は不幸だとも言える。
「キョウスケ、もう1つどう?」
「もらおう」
「はいどーぞ」
「ああ。……ん……っく」
「いい呑みっぷり、惚れ直したわぁ」
「よせエクセレン」
「もう、少しは甘い雰囲気作ってくれてもいいじゃない」
「…に………な」
「ん?」
「部屋に戻ったらな」
「ん」
言葉少なに酒を呑むキョウスケと、その彼に甲斐甲斐しく酌をするエクセレン。
その雰囲気は傍から見ていると十分甘い。
独り身には確実に目の毒だろう。
ベクトルは違うが、どちらも関わりたくない状況だ。
しかも干渉しあって変な雰囲気をも感じる。
人はこの場を
「…………見なかった事にしましょう」
自動で閉まる扉を前に、彼女は思わずそう呟いていた。
部屋の中に満ちる独特の雰囲気に圧さたのだ。
そして厳重に記憶に蓋をして……忘れる事を選択する。
「何も見なかった何も見なかった。……さて、お風呂に入って寝ましょうか」
艦長職にある彼女は、これで中々忙しい。
背を向けて1歩目を踏み出すと、レフィーナはこの場での記憶を見事に忘れ去った。
後書き
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現在は新しい話は入っていません。
新サーバー以降でweb拍手内の容量が減ってしまったので、今まで通りのSSSを掲載する事が不可能になったためです。
新しい拍手だと、2ページ合わせても今回のSSS1つの容量に満たないので。
現在はどうするか考え中です。
まぁSSSはたまにこの形でアップする事も可能ですが。