月が半ば昇りきった頃、境内に彼女は佇んでいた。

 白と青の式服に、月光に美しく映える金の髪。

 見惚れてしまうほどの容姿だが、同時に彼女には明らかに日本人ではない顔立ちとその式服との非対称性だけでは説明のつかない違和感が、何処かにあった。


「こんなところまで出てきてしまって………薫には叱られてしまうかもしれませんね」


 十六夜、それが浮世離れした雰囲気と容姿を持つ彼女の名前である。

 薫――神咲薫と共に暮らしている、さざなみ寮の住人の一人である彼女は、夜更けに一人散歩に出ていた。


「今夜の月は、少し騒がしいですね」


 だからでしょうか、と呟く彼女の瞳に、漆黒の空に浮かぶ金色の月は映っていない。

 それでも彼女は月の光を感じていた。


「!!」


 夜風が吹かれ、月光を浴びていた十六夜の耳に足音が入ってきた。

 石段を登ってくる足音、高台であるにもかかわらず、乱れもない規則的なそれはかなり小さいものだった。

 まるで、隠しているかのように。


 とりあえず急いで森の中に身を隠す。

 白い式服は汚れることなく、木々の間に収まった。


 身を隠しながら、聞き耳を立てるに境内にいるのは男女二人らしい。

 それだけでは逢引を疑うところだが、こんな山奥まで来る物好きなど滅多におらず、その声にもその気配は一切なかった。


 話していたのは一分ほど、その後二人共に沈黙し


「えっ?」


 先ほどまでの聞き覚えのない声ではなく、聞き覚えのある音がした。


「刀?」


 それは刀を抜くときに起こる鞘走りの音。

 十六夜にとっては聞き慣れた、しかし聞くことなどほとんどない抜刀の音だった。


 境内に敷き詰められた小石が飛ぶ音。

 短い小さな気合の声。

 そして、刀が激突する金属音。


 明らかに異常な音の中で、しかし十六夜はそれらに耳を傾けていた。


 不規則な金属音、次々に強弱遠近の変わる音と声。

 盲目の彼女だが、何が行われているか、それは理解出来た。


 真剣による斬撃の応酬


 本来ならば、薫のところに戻るなりするべきだったのだろう。

 しかし、十六夜はこの場を離れようとはしなかった。


 二人がやっているのは殺し合いではない。

 二人の声に、暗い殺意は微塵も感じられないのだから。


 おそらく二人が行っているのは、剣術の鍛錬。

 ならば彼女が何かする必要などない。

 むしろ十六夜は音に耳を傾け、聞き惚れていた。


(お見事です)


 盲目のまま、彼女は長き時を剣と共に過ごしていた。

 だからこそその音の価値は、十二分に分かっている。

 そして一方は、おそらく薫よりも腕は上。


 耳を傾けていたのは、三十分ほど。

 十六夜は未だ斬撃の音が響く境内を後にした。



 そんな彼女は気づいていなかった。

 その背を剣士の片割れが追っていたことに。


「どうかしたの?」


「いや、少しな。それより続けるぞ」


(おそらく意思を保っている霊か。害意はないようだな。だったら手を出すこともない、か)


 胸中でそう呟くと、左手に包帯を巻いた剣士は、弟子との打ち合いに戻った。



































 風芽丘異伝 第四話 そして新たな日常へ


































 海鳴商店街、海鳴駅前に広がる様々な店が集う海鳴の中心である。

 その商店街でかなり長身の男性と少女が二人の三人組が、何かを話しながら歩いていた。


「お兄ちゃん、どうしようか?」


「んー、とにかく見て周るか」


「そうだね」



「美緒はなんか思いついたか?」


「………あたしのことはいないと思って」


「なに言ってんだか」


 聞くに兄妹と親子、その実管理人と寮生。

 槙原耕介、仁村知佳、陣内美緒の三人である。

 三人は小虎を連れてきた黒ずくめ、高町恭也に礼をすべく、商店街を回っていた。


 目的は、恭也への礼の手土産を購入すること。

 ついでにそれを持って恭也に会えたらいいなと思っているのだが、それについては問題を抱えていたりする。

 何せ、耕介たちは恭也と直接コンタクトを取っていないので、恭也の所在が分かっていないのである。


 薫から――正確には彼女の後輩の赤星勇吾から――高町恭也の住所と電話番号を聞いた耕介。

 その紙を手に昨晩、かなり悩んだのだが、結局恭也へ電話での直接のコンタクトは避けていた。

 いきなり知らぬところからの電話は無作法というのもあるし、何より高町恭也の性格がある。

 少し話しただけだが、それでもあの彼が、礼がしたいんだけど家にいてくれるかい、などと電話したところで遠慮して断ると思われた。

 だからこそ土産物を持って強襲、外れた場合は家族に預けるなり、学校で渡すよう薫に託す。

 などと計画を立てて商店街に来たのだが、未だに何にするか決まっていなかった。


「美緒、もうちょっとでいいからやる気、だせー」


「ん〜………くぅ〜………」


「寝たフリするな」


 そして耕介が引っ張ってきたのが美緒、自主的について来たのが知佳である。

 特に美緒には恭也に会えたら、言っていなかった謝辞を述べさせるつもりだったのが、どうにも彼女はやる気なしだった。


「それでお兄ちゃん。その高町さん、好きな物とかは?」


「………甘い物が苦手、それぐらいしか聞いてないんだよな」


 それぐらいというが――情報元は先と同じく赤星勇吾――、それだけでずいぶん限定されてしまう条件である。

 しかもこういう場合、食べ物が常套なのだが、高町恭也は甘い物が苦手な上に、なんと翠屋店主の息子だった。


「じゃあ理恵ちゃんとこの前行ったワッフルのお店、あるんだけど………ダメだね」


「………あの蜂蜜練乳のか。さすがにな………」


「それはやめるけど、でもやっぱり甘いもんね」


 最近、海鳴にとある二号店が出来たのだが、その店が真の甘党を決める試練の一品を出しているのである。

 敗北者は、数知れず。

 選ばれし者にしか越えられない壁が聳え立っていた。


「お兄ちゃんの特製スープもダメだしね」


「あれは作るのに三日はかかるからな。食事に呼ぶときには仕込むつもりだけど」


 料理人、槙原耕介、己の腕に自信はあるがさすがにコースの出前は不可能である。


 ちなみに寮生から案も集ってみたのだが、


「酒だ。酒に決まってるだろ。つーか、その高町とやら呼んで来い」


 いずれ呼ぶつもりだが、さすがにいきなり酒盛りに呼ぶのは却下。


「うちが感謝の歌を歌おうか?」


 いいアイディアかもしれないが、当人がいないので却下――呼ぶ当日に頼むことにしてあるが。


「おそばなんかどうですか?」


 いや、これから親しくしたいとは思っているが、引越しするわけではないので却下。


 と文系大学生、音大生、獣医生の意見もあまり役に立っていなかった。


「さて、どうするか?」


 ある意味、途方に暮れているのだが、耕介の声に暗さはなかった。

 そもそもこのくらいで嫌気が差してくるなら、こんな手間のかかる計画など立てないだろう。

 知佳にも、そして美緒にも分かっていることだが、耕介は高町恭也に対して、かなりの好感を抱いていた。

 だから手間を惜しむつもりなどなく


「………のぞみが今、栄養ドリンクのセールをやってるって言ってたのだ」


 槙原耕介をよく知っている美緒は、躊躇いがちに口を開いた。

 彼女なりに考えた、何故か消毒薬を抱えていた恭也へのお土産を。


「栄養ドリンクか………。よし、行ってみるか」


 美緒の頭を軽く撫でると、耕介は動き出した。

 長身の後を追う二人の少女。

 目指すは「ドラッグストアふじた」である。





「ありがとうございました〜。美緒ちゃん、またね〜」


「望〜。この恩は忘れないのだ」


「ったく。ありがとね、望ちゃん。絶対明日に持って行かせるから」


「はい」


 ドラッグストアふじたの看板娘――というには若すぎるが――藤田望に見送られ、三人はドアを潜った。

 増えたのは、耕介の両手にある箱買いした栄養ドリンクと、美緒の手にある社会科と可愛らしい文字で書かれたノートである。

 すっかり忘れられていた宿題は、今晩、耕介の監視と知佳の協力の下に片付けられるだろう。

 何時までかかっても。


「…手、塞がっちゃったね」


「買いすぎたかもな」


 箱買いすることで更に割り引いてもらったので、かなりお得だったのであるが、現在、彼らはお土産捜索中。

 些か以上の脱線である。


「どうする? 一回戻る?」


「………そうだな」


 現状が行き詰っている以上、打開策として戦略的撤退は悪い選択肢ではない。

 ただやる気のない美緒を一度、寮に戻すと宿題を理由にして二度と出てこない恐れが高かった。


「どうしたもんか………」


「槙原さん」


「あ、あぁ。恭也君」


「お買い物ですか?」


「ちょっとね」


「そうですか。それじゃあ」


「ああ。じゃ………………………………って恭也君!?」


「………何か?」


 その黒ずくめは耕介を挨拶を交わし、脇を通り抜けた。

 高町恭也、耕介の大声で呼び止められた彼は、何故か片手だけで大量の袋を持ちながら自動ドアの前でこちらを振り返っていた。





 かなり間抜けなやり取りはなかったことにして、三人と一人は店のウィンドウの前で向き合っていた。


「初めまして、仁村知佳です」


「………陣内美緒なのだ」


「高町恭也です」


 知佳は和やかに、美緒は耕介に背中を押され、そして恭也は最近多いなと思いながら、彼らは自己紹介を済ませた。

 春だというのに黒ずくめ――実は商店街の一部で有名人に、彼の前に立つ二人の少女、その背後にいるのは長身の男性。

 かなり目立つ集団だった。

 ちなみに黒ずくめが有名なのは、同じ商店街で喫茶店を営む母、桃子の影響である。

 明るく若く美人な母に連れまわされながら、大量の荷物を顔色一つ変えずに持って歩く息子。

 時々腕を組んで歩く姿に泣いた店は数知れずとか………


 閑話休題


 自己紹介を済ませたところで耕介が恭也に来店の目的を聞くと


「広告を見て、栄養ドリンクがセールだったので」


 高町家は結構体力勝負の家なので、気休めのようなものだが栄養ドリンクが常備されていた。

 ただ銘柄に拘りはないので、セール品を適当に買い込むのが常である。


「槙原さんたちは何を?」


「………えーと………」
「………その………」


 呼び止め自己紹介を済ませたものの、そう訊かれると困ってしまう耕介と知佳だった。

 必死に打開策を考える脇では、不思議そうな表情をしている恭也の顔を美緒がじっと見つめていた。

 その沈黙を破ったのは


「立ち入ったことを訊いてしまったみたいですね」


 恭也のほうだった。

 すいません、と謝罪の言葉を付けて今度こそ立ち去ろうとする。


「ん?」


 そんな気を利かせた恭也の歩みを遮ったのは、小さな手と白い袋だった。

 美緒が知佳の手から『ドラッグストアふじた』の袋を取って恭也に差し出していた。


「これ」


「………?」


「これ、あげる」


 困惑したような表情の恭也に、美緒が更に強く両手を突き出す。


「次郎と小虎に頼まれたのだ」


「それなら、ありがたく」


「うん」


 珍しく微笑と言うよりも笑みを浮かべた恭也の顔を見て、美緒は納得していた。


 気の昂ぶりのままに山道を駆けた美緒、その時、抱いていたのは見知らぬ男への嫌悪だった。

 しかし、駆け終わった時に感じたのは嫌悪ではなく、恐怖。

 美緒の野生の本能が、息も切らさず山道を踏破した恭也を見切っていた。


 ただその晩、同じものを感じたはずの次郎に訊いてみると返答は


『確かにそうだが、彼は敵にはならないと思うぞ』


 同じものを感じた次郎は同時に恭也を敵対することのない相手と感じていた。

 実際、次郎が聞き込みをしてみると、腹を空かせた野良猫に食事を提供してくれた黒ずくめの話は、結構有名だった。


 要するに美緒は嫌悪感が先に立っていたので、危険の有無だけが強調され、敵味方は無視していた。

 と言うのが次郎の分析である。

 まあ、直接言ってもあまり意味はないだろうから胸に秘めているのだが。

 ………冷静沈着、怖ろしい猫である。


 そして美緒は同性の小虎にも話を聞き――案の定、やたらと懐いていた小虎からは美緒の望む答えは来なかったが、代わりに興味深い評を聞くことが出来た。

 それを確かめたくもあり、どうでもいいような気もしていたのだが、面と向かって見て確信した。


 なるほど、確かに小虎の評は当たっている。

 小虎が異例と言えるほど懐いた理由、つまりこの黒ずくめは、次郎に似ているのだ。

 言葉少なく、無愛想、しかし優しい。

 だったら、危なくない。



「あの猫は、もう大丈夫なのか?」


「野生の回復力は伊達じゃないのだ」


「それなら、何よりだ」


 何故かいきなり和やかに話している二人の脇で、兄妹が唖然としていた。

 がそこは、さざなみ寮の住人、いつまでも止まっているような柔な神経をしていない。

 していないのだが………


「っと、そろそろか」


 手元を見る恭也に、機先を制される形になってしまった。


「何かこの後、予定でも?」


「これを店に届けて、妹を迎えに行かなくてはいけないので」


 実際はかなり重い袋を、しかし片手で上げる恭也。

 まあ、傍から見るとあまりに滑らかな動きなので、重いとは分からないのだが。


「店って言うと、翠屋?」


「そうですけど。ご存知だったんですか?」


「薫から聞いたからね」


 薫と聞いた恭也に浮かんだのは、納得ではなく疑問だった。

 相手側には高町恭也一人でも、恭也からすると一気に学内の知り合いが増えている。

 正直な話、苗字と顔を一致させるぐらいしかしていなかった。


 そしてそんな事情を察したのは知佳のほうだった。


「神咲さん。神咲、薫さんのことですよ」


「………ああ。なるほど」


 名前に心当たりはあったのだが、昼食に同席したときの鋭い視線を思い出し、恭也は顔を顰めていた。

 だがそこは高町恭也、耕介たちは気づかずに


「翠屋か。俺たちも行こうか?」


「耕介の奢り?」


「まあ今日の予算は余ってるからな」


「よし! 知佳ぼうは何食べるのだ?」


「うーん、どうしよっかな」


 ほとんど父親と姉に妹の会話をする三人を、引き連れて恭也は翠屋へと向かった。



































「槙原さん、お茶です」


「ありがとう」


 と恭也が縁側に盆を持って姿を見せた。

 そのまま、縁側に腰掛けている耕介の脇に平皿に載せられたシュークリームとカップを並べる。

 そして当人には、湯飲みと煎餅を並べていた。


「どうぞ」


「ん? 恭也君のは?」


「宇治茶ですが。こっちのほうが良かったですか?」


「…いや。いいんだけど」


 若干言葉を詰まらせた耕介は、先ほどから見ていた庭に視線を戻した。

 そこにあるのは、素人目にも見事な枝振りを誇る盆栽である。


「ずいぶん元気の良い盆栽だね」


「お分かりですか?」


「詳しくはないんだけどね」


 盆栽についての知識はない耕介だが、彼はさざなみ寮管理人。

 寮や近くを手入れしているうちに、草木の生気は分かるようになっていた。


「おじいさんか、誰かが?」


「いえ。俺です」


「………そうなんだ」


 またしても硬直、しかし耕介の立ち直りは早かった。

 なんというか、高町恭也相手だと、不思議と納得させられるのである。


「二階にも運んでおきました。全員、紅茶にしておいたのですが、良かったですか?」


「ああ。ありがとう」


 と見上げた先には、天井と空、当たり前だが二階の様子など見えなかった。


「でも迷惑じゃないかな。いきなり美緒の宿題を手伝ってもらうなんて」


 槙原耕介、仁村知佳、そして陣内美緒が高町家にいる理由、それは望から教えられた美緒の宿題が原因だった。



 あれから翠屋に行った四人、そこで恭也の妹たち、高町なのはとアリサ・ローウェルが恭也を待っていた。


「あっ、お兄ちゃん」


「恭也、遅い〜」


 思わず耕介の目尻が下がったりもしたのだが、そこは割愛。

 そのままの流れで自己紹介をした彼ら。


「じゃあ、なのはちゃんもアリサちゃんも聖祥なんだ」


「そうです」


 なのはとアリサが聖祥女子初等部、知佳が聖祥女子高等部と、実は同じお嬢様学校に通っていることが判明。

 しかも美緒とも二人は同年代で、四人は一気に意気投合していた。

 そして翠屋の一角で話が盛り上がっていたのだが


「美緒ちゃん、そのノート、『ふじたのぞみ』って書いてるけど」


「あああ! 忘れてたのだ!」


 美緒の説明によると、その宿題の教科は社会科。

 それぞれに割り振られた県のデータを元に、十問の問いに答えるというものなのだが。

 ちなみに望と美緒では担当する県が違うので、参考に出来ても写すのは不可能である。


「それに明日は、体育があるのだ」


 体育の申し子と言われる美緒も睡眠不足ではその実力を発揮できない。

 とすると今すぐ帰って宿題に取り掛かるしか………


「なら、家に来ればパソコンありますよ」


 美緒の部屋に配られた資料は置きっぱなしだが、インターネットを使えば同じものを見るのは可能である。

 何を見ればいいのかは、望のノート参照。


「それに、アリサちゃんがいれば」


「ちょっと見せてもらうわよ」


 軽くノートを捲っていくアリサ、とても読み込んでいるようには見えないのだが


「そうね。大体分かったから」


「アリサ………ってあのアリサちゃん!?」


 アリサ・ローウェル。

 IQ200の天才少女は聖祥でも有名だった。

 その彼女が高町家にいるのは、それなりの事情があるのだが、ここでは省略する。

 ただ最終目標が苗字を高町に変えること――ただし養子にあらず――とだけ言っておくが。


「でも、いいのかい」


「別に。恭也の宿題も見てるし」


 そう言って口元を綻ばせるアリサに、恭也は咳払いしながら目を逸らした。

 実際、アリサが恭也の宿題を片付けたことが………片手どころか両手で余るほどあったりする。

 例えばついつい帰って来れなくなった夏休み、などなど。

 桃子から評判は悪いのだがアリサとしてはしっかり報酬を貰えるので、いつでもどうぞ、の仕事だった。


 そしてそのアリサに宿題を見てもらうべく、六人は翠屋から高町家に移ったのである。


「恭也、これ持ってきなさい」


「分かった。会計は俺のバイト代から」


「そんなことより、あの知佳って子、ちゃんと携帯の番号ぐらい教えてもらうのよ」


「………善処する」


「成功以外認めません」


 などと見送る店長の笑顔に、背筋が凍りついた恭也が如何に切り出すか悩んでいたりもした。




「すると、薫とは親しいわけじゃないんだ?」


「はい。少なくとも数回しか会ったことがないですね」


「そうなんだ」


 そのわりに恭也のことを気にしていた薫の姿を思い出す。

 そう言えば、恭也の調査結果について話す時も、何故か表情が硬かった。


「それじゃあ、瞳とは?」


 と言っても本人に聞くことでもないので、耕介は話題をずらした。

 今度は幼馴染みの千堂瞳、自分の交友関係と恭也の交友関係の重なりを訊いているのだが


「千堂さんですか。神咲さんとほとんど変わらないですね」


 どうやら重なりはほとんどないらしい。

 まあ、恭也ほどの面白い人物が交友範囲に入ったら話題にならない訳がないので、予想通りではある。


「一つ、いいですか?」


「ん、どうぞ」


「さざなみ寮というのは女子寮のはずですが、槙原さんはどうして管理人を?」


「話せば長くなるんだけど………叔母が管理人をしてて、旅行に行くから代理を頼まれて、そうしたら叔母が帰ってこなくなって、正式に就任することになったんだよね」


 改めて話しても、面白い流れである。


「元々、長崎の実家の洋食屋で働いてたんだけどね」


「そうだったんですか」


「恭也君は海鳴育ち?」


「いえ。ここに来る前は………」


 と指で数え始めるが、その数は十を簡単に突破していた。


「あまり定住していなかったので」


「ははっ、そうなんだ」


 親が転勤族なのだろうか、そう思ったのだが


(定住………?)


 普通ならあまり使わない表現である。

 と、そこで


「お兄ちゃん」


 二階から降りてきた知佳が姿を見せた。


「あれ、知佳。どうした?」


 なのはと知佳、奇しくも共にデジタル娘と呼ばれる二人は、耕介にはさっぱり分からないパソコンの話題で盛り上がっていたのだが


「美緒ちゃんの宿題を本格的に始めたから、邪魔しないようにと思って」


 操作はなのはが、解答をアリサが、そして美緒が書く。

 あまり褒められた状況ではないが、背に腹は変えられぬということで。

 ちなみに耕介が縁側にいたのは、いると気が散るという理由付けで、そんな様子を見せないために追い出されたからである。


「お茶、飲みますか?」


「あ、結構です。それとさっきの美味しかったです。さすが翠屋さん」


「一応、それなりに練習したので」


 なるほど、と頷いた知佳は恭也の隣に腰掛けた。

 耕介と知佳、二人で恭也を挟む形になる。


「なのはちゃんの部屋の窓から見てたんですけど、あそこって道場ですよね」


「そうです」


「何か、やられてるんですか?」


「………妹………ああ、なのはでもアリサでもないほうですが、と二人で」


「そうなんですか。私の実家も剣道道場をやってるんですが、やっぱりお父さんから習ってるんですか?」


「ええ。今はもう、ですけどね」


 若干の哀が込められた声に、事情を察した知佳の表情が曇る。

 それを見た耕介も、事情を察し………


「気にしないでください。昔のこと、というつもりはないですが、割り切りは出来ていますので」


 明るい声音で恭也が取り成した。

 そして


「そう言えば、道場の掃除をするのを忘れてました」


 庭先に降り立ち、サンダルを突っかけた。


「そんなに時間はかけないつもりなので、ゆっくりしててください。何かあったら呼んでもらえば聞こえますので」


 恭也がいなければ雰囲気の回復も容易だろう。

 ついでに美由希が帰ったらすぐに道場を使う予定なので一石二鳥である。

 まあ今日の掃除は美由希の番なのだが、本が絡んだときに何を言っても無駄なのは熟知している恭也だった。


「ちょっと待った、恭也君!」


 振り返るとそこには、揃って恭也を指差す兄妹が並んで立っていた。


「さざなみ寮管理人、槙原耕介と」
「管理人手伝い、仁村知佳の」
「「実力を見せましょう」」


 見事すぎるほどのコンビに声もない恭也。

 ポーズを決めたまま、動けない二人。


 そして彼らの間に風が吹きぬけ………


「というわけで手伝うから」


「お手伝いします」


 揃って庭先に降りる二人に恭也は


「よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げた。






 高町家の道場は、道場と言うにはかなり狭いものである。

 元々住宅街の庭にある上に、開放する気など毛頭なく、数人単位での鍛錬のためのものなのだから、これで十分なスペースなのだが。

 ただ狭かろうとも、そこに漂う独特の空気は、耕介と知佳の背筋を伸ばしていた。


「今日は床を拭こうと思っていたので」


「それなら、三分の一ずつだな」


「じゃあ、私はここで」


 分類を決めて雑巾を手に、掃除、開始。

 別に競争しているわけではないのだが、並んでいると思わず競いたくなってしまうのが人の性。

 掃除慣れした三人の戦いは、極めて静かに、しかし塵一つ残さずに進んでいった。



………………………………………


 相乗効果だろう、予定時間の三分の一よりも早く掃除終了。


「ありがとうございました」


 立ち上がって大げさに額を拭う知佳に、満足げな表情を恭也が向ける。


「どうしたしまして」


 つられて知佳も笑顔を返す。

 内心はともかくそれを表に出すことの少ない恭也なので、ある意味貴重な経験をしているのだが、さすがに知佳は分かるはずもない。

 そんな二人から少し離れたところで、耕介が訝しげな表情を取っていた。


(あそこにも凹んでるな。それにあっちは、薫が十六夜さんを振り回して出来た傷にそっくりだな)


 恭也は何も考えずに、二人を道場に通したわけではない。

 ここでやっているのは、別に知られて困ることをやっているわけではないが、あまり喧伝する事でもない。

 そんなことを考えて、二人を十分にチェックした後に通したのだが………


 槙原耕介

 彼は確かに恭也と同業ではなかったが、しかし一流の管理人だった。

 それもさざなみ寮の。


 道場を掃除対象として見た耕介にとって道場の汚れと痛みの傾向は一目瞭然だった。

 そしてそのような跡が付く原因も寮で体験している。

 美緒が蹴って出来た凹み、薫が斬った傷。

 と言っても


(なんであんな高いところに凹みが。飛び上がって蹴ったのか?)


 そこで何が起きたまでは想像できなかったが。

 まあ想像できないだろう、耕介の身長より高いところの壁を蹴って加速したり、刃を刺すことで軌道を変えたりしているなどということは………。

 ちなみに耕介が帰って道場のことを話したことで、薫の恭也を見る目が更に鋭くなるのだが………それは後日の話である。



 その後、彼らは宿題を終えた三人と合流してゲームなどをして過ごしていた。

 耕介たちが高町家を辞したとき、既に空が赤く染まっていた。


「どうだった、美緒?」


「そこそこなのだ」


「そうか」


 さざなみ寮の猫の話で盛り上がった美緒となのは。

 恭也を同伴して、猫と遊びに行く日も遠くないだろう。


「でもお兄ちゃん。今日の夕ご飯は?」


「さっき電話で頼んどいたんだけど。………近くに愛さんがいたんだよな」


「お姉ちゃんが………」


 さざなみ寮オーナーの料理を想像して戦慄する二人。

 結果としては、珍しく真雪が動いて事なきを得ていた。

 それと夕飯時に、楽しそうに高町家のことを話す知佳を見た料理人が薫に真剣を貸すように頼んだりしたのだが………


 何はともあれ、得るものの多い訪問だった。



































 その夜、美由希と日課を済ませた恭也は、妹を先に返し、暗闇に包まれている山へと入っていった。

 重なり合う葉から僅かに零れる月明かりだけが頼りの山中を事も無げに歩いていく。

 そうして裏道を通った彼は、学校に辿り着いた。


 助走、跳躍、着地、侵入成功。

 そのまま彼は、校舎に入っていく。

 夜の校舎という怪談スポットにも関わらず怯える気配もなく進んで行き、ついに目的地、旧校舎に辿り着いた。


「七瀬」


 時間は夜、しかもただでさえ今はもう使われていない旧校舎で呼びかけたところで………


「あっ、来てくれたんだ。いらっしゃい、恭くん」


 返事は当たり前のように返ってきた。

 声とともに見えたのは十センチ強の炎、次に紫の髪、黄色いスカーフ。

 そして彼女は姿を見せた。


「七瀬。元気のようで、何よりだ」


「う〜ん。元気って言うのかな………」


 首を傾げながら恭也の前に、移ってくる七瀬。

 その足は床を踏みしめておらず、出てきた教室のドアは閉まりっぱなしだった。

 だが


「土産に、この前、頼まれたものを持ってきたんだが」


「わぁ! ありがとう、恭くん」


 恭也は気にする様子もなく、片手に持った袋――昼間、翠屋の買い物のついでに仕入れたもの――を揚げて見せた。



 七瀬――春原七瀬、彼女は幽霊である。

 分類上は自縛霊、27年前よりこの校舎に憑く恭也たちの先輩だった。

 ちなみに27年という長期間、彼女が存在することが出来ているのは、憑いたのが学校だからである。

 生気の純粋消費者である幽霊は、通常生者より供給される、というか略奪するのだが、若い人間が多く集まる学校は、自然と生気が溢れているために、無理に略奪せずとも安定供給される最高の環境なのである。

 幸いにして同業他者もいないので、七瀬はその環境を独占しており、幽霊としては破格なほど安定していた。

 それに最近は


「それと、ついでにちょっと貰っても良いかな?」


「構わないぞ」


 恭也からも直接供給されていたりする。

 なんでも、やっぱり生は良いよね、だそうである。








 春原七瀬と高町恭也、二人の出会いは去年の冬になる。

 いつもの日課に、ある程度広さのあり、人目のない建物が必要になった恭也。

 その彼が目を付けたのが、この旧校舎だった。

 そして実情をチェックすべく、放課後、旧校舎の廊下を歩いていたところ………


「ん?」


 構造を正確に把握すべく、周囲に気を張りながら歩いていた恭也の足が俄かに止まった。

 少し彷徨った視線が、一点に集中する。

 そして、彼は教室に踏み込んだ。


「………えっと………こんにちわ〜」


 そこにいたのは、見慣れぬ制服を着た女生徒――女子の制服は28種もあるので、恭也が知らないだけかもしれないが――だった。

 一見すると何故か使われていない旧校舎の教室で、未だに撤去されていない教卓に座っている不思議な女生徒なのだが………


「………ええと、何か?」


 恭也が彼女に返したのは、挨拶ではなく鋭い視線だった。

 怯えた様子を見せる彼女にも、恭也は視線を緩めない。


(ま、まさか………)


 その突き通されるような視線に、七瀬は背筋を凍らせていた。

 人のいないはずの旧校舎で、音も立てていないのに、自分がいると確信して教室に踏み込んできた。

 そんなことをする人間に、七瀬は心当たりがあった。


 彼らの噂は七瀬たちの間では結構有名だった。

 それも良くない方向で。

 何もしていない者も、容赦なく手にかける、狩人。

 だとしたら、自分は………


 七瀬の視線が上下に動く。

 彼女にはなんの苦労もなく抜けられる者も、人にとっては絶対的な障壁になり得る。

 相手は、何かを持っているようにも見えない。

 だったら逃げられる。


(………でも)


 自分がここにいると、バレてしまった。

 今逃げても、いずれ、仲間と装備を持って、襲ってくる。

 それならいっそのこと、この――


「…待った」


 七瀬の思考を読んだように、その声はかけられた。

 伏せていた顔を上げると、そこにあったのは鋭い視線抜きになっても、相変わらず無愛想な顔。

 それでも、全身を凍らせた威圧感は、ほとんど霧散していた。

 そしてその無愛想な顔が、いきなり下がる。


「驚かせて申し訳ない」


 初めて聞いた声は、予想通りの声色と口調で。

 しかしその内容は、七瀬の予想から大きく外れていた。

 そしてそのまま一礼して、身を翻し………


「って、ちょっと待った!!」


 開けっ放しの扉から、あっさり出て行こうとする恭也を、思わず呼び止める


「何か?」


「何かって言われると………」


 呼び止めたのはいいのだが、あまりも平然とした問い返しに、思わず止まってしまう七瀬。

 結局、その口から出たのは疑問の声だった。


「………ねえ、私のこと分かってるんでしょ?」


「ああ」


 その返答は予想通り、聞きたいのはこの次である。


「だったらなんで………」


 消滅させようとしないのか?

 軽々しく口に出してはいけないそれは――言霊は比喩表現ではなく彼女たちの存在に関わる――、しかし口に出さずとも確かに伝わっていた。

 改めて、問いかけることで怯えを蘇らせた七瀬に対する恭也の返答は、とても‘彼ら’とは、


「渇している様子もない。何か被害があったという話もない。ならば、問題はないと思っただけだが」


「君って、退魔士じゃないの?」


 退魔士とは思えないものだった。


「無関係ではないが、それを生業にしているわけではない。少なくとも何もしていない者に干渉する気はないので、安心してもらって構わない」


 静かな口調で話し終えた恭也は、そこで初めて口元を緩めた。


 実際のところ、七瀬と同じくらい、恭也も警戒していたのである。

 対応技術はあるのだが言った通り専門家ではない上に、現在、装備もほとんどなし。

 戦端が開かれた場合、かなり苦戦したのは間違いない。


 故に表情にほとんど表れない安堵が口元に現れた。

 そしてその笑みは、未だ緊張している七瀬へと確かな効果を発揮することになる。


「それでは失礼する。それと一つ、忠告しておくがもう少し気配を消しておいたほうがいい。あまり人の来る場所ではないが、来ないとも限らない」


「ちょっと待ったーー!!」


 踵を返す恭也に、呼び止める七瀬。

 先ほどとほとんど同じ構図ながらも、空気が明らかに変わっていた。


「ここであったのも何かの縁。というわけでもう少し、付き合ってよ」


「………」


 いきなり明るくなった七瀬に、思わず沈黙する恭也。

 だが七瀬は気にせずに


「私、春原七瀬。君は?」


「………高町恭也」


 こうして幽霊少女と、多芸な少年との交流は始まり、そして今に至っている。







 教室に入った二人は、しばし新商品を試していた。


「なかなか良いね。今度からこれにしてもらおうかな」


「ん。分かった」


 ちゃんとバケツに水は用意済み、よって二人とも安心して香りを楽しんでいた。


「それ持ってるって事は、今日も妹さんと?」


 七瀬が指差すのは、恭也が持ってきた日課の道具、一式だった。


「ああ。今日は神社で」


「妹さん、上達してる?」


「今はまとめの時期だからな。ただここを越えれば………」


 恭也の妹、美由希と七瀬の間には直接の面識はない。

 しかしあれから旧校舎を会場に日課をこなしたことがあったので、七瀬からは美由希を認識していた。


 それから何気ない会話が続いたのだが


「そう言えば、この前、こっちに変わった子が来たよ」


 七瀬が切り出した会話に、恭也が一瞬、緊張を帯びた。


「あっ、もちろん見つかってないから安心していいよ」


「ならいいんだが」


「でその子なんだけど、なんか不思議な雰囲気の子だったんだよね」


「不思議か。どんなふうに、と訊いて答えられるか?」


「恭くんとはまた違うんだけど………なんか普通じゃなかった」


「………一応、調べてみる。容姿は覚えてるか?」


「ええと、学年色は一年生だったね。小柄でピンク色のフワフワした髪をした、可愛い女の子だったよ」


「一年か………」


 部活に入っていない恭也は下級生に知り合いがいない。

 だから、赤星に頼むか、自分で歩き回るか………


 などという恭也の思考を遮ったのは携帯の着信音だった。


「む、メールか」


 今日、電話帳に一人追加された携帯電話を取り出す。

 ちなみに着メロは、ティオレ・クリステラの曲だったりする。

 折りたたみ式携帯を開けると、送信者『桃子母さん』の文字が躍っていた。


『何処にいるのか知らないけど、そろそろ帰ってきなさい。どうせ、明日の朝もやるんでしょ』


 文面を見た恭也は、申し訳なさそうに頭を下げる。


「すまないが、母から帰宅命令が来てしまった」


 この前の怪我もあり、あまり逆らうのは得策ではない。

 そもそも桃子に逆らうこと自体、愚かなのであるが。


「そうなんだ。久しぶりだったから、ちょっと残念だけど………しょうがないか」


 そう言った七瀬だったが、返信のために携帯を操作している恭也を見る目からは、寂しさと憧れが隠しきれていなかった。

 そして、恭也もそれに気付かぬほど鈍感ではなかった。


「どうかしたか?」


「えっ、いや、ちょっと良いなと思って」


「………何が?」


「ほら、その携帯電話って何時でも話せるんでしょ。私も持ってたらわざわざ訪ねてもらわなくても恭くんと話せるのにな、とか思って」


 もちろん会って話すほうがいいんだけど、と付け足す七瀬に恭也は


「………これを」


 持っていた手帳の一ページに何事か書き付け、何かのカードを添えて七瀬の前に置いた。


「これって?」


 そこにあったのは【090−○×△◇−▼●■◆】という数字の羅列だった。


「俺の携帯の番号だ。何かあったらかけてくれればいい」


「………ありがとう」


 七瀬が渡された紙と添えられたテレフォンカードを握り締める。

 この辺り、さすが高町恭也なのだが………
 

「今度、声が聞きたくなったら電話してもいい?」


「いや。すまないがそのカードには度数がそんなに残っていない。それに無駄な実体化もしないほうがいいだろう。だから、あまり使わないほうがいい」


 この辺りがどうしようもなく、高町恭也である。


 それから不機嫌になった七瀬に首を傾げながら、帰宅した恭也だった。


































 そして翌日


「………首輪物語………腕輪物語………足輪物語………ってこんなのあるのか」


 リストと検索コンピューターを照会しながら、その題名に疑問を抱く恭也。

 妹から頼まれた本を恭也が図書室で探しているのは、旧校舎を訪れた翌日だった。

 ちなみにリストの本を全部揃えると、2000ページを突破する。

 まあ、放っておいても読む妹なので、諦め気味の恭也である。


「1013・6・Cか………あそこだな」


 印刷されたデータを手に分厚い本を次々と抜き取っていく恭也。

 幸いと言うか生憎というか、頼まれた本は全て貸し出し可だったので、左手は本で完全に塞がれていた。

 まあその程度で揺らぐ恭也ではなく、その歩みには一片の乱れもないのだが。


「これで、終わりか………」


 左手に積み上がった本を改めて見ると、巨大な搭になっていた。

 ハードカバー2000ページの迫力は、正直圧倒されるものがあった。

 これをまさに食いつく様に読む美由希。

 その飢えは、読み切るまで治まることは、ない。


(………少し隠すか)


 妹のことを信頼していないわけではないが、あの活字中毒はかなりの重症である。

 だから分けて渡したいのが本音なのだが、美由希の本への嗅覚は飛び抜けているので、見つかる恐れが高い。

 基本的に表情を表に出さない恭也なのだが、家族にとってはその限りではないのである。

 まあ家では朗らかに笑っているわけではなく、読み取るほうの能力が高いのだが。


「あっ、高町君?」


 隠し場所、預ける相手について考えていた恭也の思考を遮ったのは、聞き覚えのある声だった。

 音源の方向、距離を推定、予想通りの場所から、彼女がこちらを見ていた。


「…野々村さん」


 野々村小鳥、恭也のクラスメイトである。

 合同練習の時は迷子の小猫状態になった小鳥も、最近では無口で無愛想な恭也に慣れたらしく、このように自分から話しかけるようになっていた。


 小鳥が座っているのは、カウンターと蔵書の間に置かれた机の一つ。

 恭也が通り過ぎようとした丸い六人机に、こちらに背を向けているもう一人と並んで座っていた。


「高町君ってよく来てるの?」


「足を運ばないわけではないが、今日は妹に頼まれての代理だ」


「妹さんって、あの眼鏡をかけた?」


「ああ」


 翠屋の常連である小鳥は、時々店を手伝っている店長の身内について知識があった。

 故の問いかけに肯定の返事を貰った小鳥だったが、


「どうかしたの?」


 ふと見た同席者の表情に疑問を覚えた。


 裏庭で猫を愛でていた新入生。

 すぐに意気投合した年下の友人。

 時々は笑うものの基本的にあまり感情を表に出さない同席者が、今は驚きを露にしていた。


「どうかしたの、さくらちゃん?」


 再びの問いかけに、彼女は返事を返すのではなく、無言で振り向いた。

 そこにいるのは、小鳥の知り合い。

 上級生との交流などほとんどない彼女にとっては知らないはずの相手。

 にも拘らず彼女の耳は、この声と口調を知っていた。



 そして恭也も、振り返った相手を見た。

『小柄でピンク色のフワフワした髪をした、可愛い女の子』

 昨日、七瀬から聞いた容姿の少女が、記憶に面影のある少女がそこにいた。

 それは彼がまだ高町ではなかった頃………


「……不破さん?」
「綺堂、さくら?」



































「………」


 高町恭也は一人帰宅の途についていた。

 その手には商店街で受け取った、黒く細長いケースがある。

 一週間ほど前、常連の店に預けたそれは、満足な形で恭也の元に戻っていた。



 あれから小鳥の疑問に軽く答えた後、恭也は図書室を離脱した。

 意外なところでの再会は喜ばしいものだったのだが、かなり特殊な事情持ちの二人の話は小鳥の前ではしづらい。

 連絡先は教えたので、明日か明後日にでもまた会うことになるだろう。


「………怒らせてしまったな」


 思い出すのは、知り合いだったの、という小鳥の問いに驚愕から脱したさくらの気配である。

 驚愕、後、怒り。

 さすがに表に出しはしていなかったが、斜め下方からはしっかり圧力がかけられていた。


「………しかし、最近はかなり慌しいな」


 ここ一月で恭也の知り合いはかなり増えていた。

 しかもさざなみ寮に誘われるなど、止まるには、もう少しかかりそうである。

 そしてその中には恭也と、同業の者たちもいた。


「………身近で使いたくはないんだがな」


 呟きながらケースの上部を開く。

 そこに見えたのは、装飾の施された柄。


「厄介ごとが、起きなければいいが………」


 春の穏やかな風が、前髪を煽る。

 柔らかな日差しの中で、恭也は天を見上げていた。




















 続く




















 後書き



 大変ご無沙汰いたしました。

 風芽丘異伝、四話です。


 今回で一通り、キャラが出揃いました。

 う〜ん、長かったです。

 とりあえず今のところ人間関係はこんな感じになっています。

 設定代わりの序章、四話にこんなに時間が掛かるとは………次はもっと早くなるように頑張ります。



 今回、ラストで恭也があんなことを言っていますが、次回は気楽な話になります。

 もう少ししたら、大きな流れを持つ話をやろうと思っていますが、その前に日常の話を何話かするつもりです。

 そこで次回以降、誰の話にするか、皆さんのご意見を聞いてみたいと思います。


 それについて傭兵さんのご好意により、投票という形を取らせていただくことになりました。
 (投票ページは既に削除しました


 またそれとは別に――完全に別でもありませんが――シチュエーションを募集したいと思っています。

 こちらは票としてカウントするものではなく、登場キャラとテーマ、もしくは大まかな流れをメールなりBBSなりで私に見せていただき、私が書けそうならば、異伝もしくは外伝という形で発表させていただきます。

 これについては外伝という形もありなので、恭也が剣術使いだと知れているなど、本編の現在と異なる状況でも構いません。

 ただこちらで設定に合わせる、書きやすいようにする、などの理由で頂いたものを変えてしまうこともありえる、ということはご了承ください。


 色々と条件を付けてしまいましたが、なるべく多くの方が参加してくださると、とても嬉しいです。


 それでは失礼します。

 では〜






管理人の感想


 希翠さんから第四話を投稿していただきました。
 時間がかかった分だけ面白い作品だと確信しています。(笑


 序章が終わりましたね。
 以降は日常から徐々に進んでいくのでしょう。
 登場人物の変化とか気になります。
 まぁ暫くは青春を過ごす事になるのでしょう。

 投票所は上に書いてあるところです。
 一応もう一度こちら
 (投票ページは既に削除しました


 しかしシチュエーションか、私も2、3打診してみようかな。(笑



 感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思いますよー。

 是非感想を送って差し上げてください。


 感想はBBSかメール(kisui_zauberkunst@yahoo.co.jp)まで。(ウイルス対策につき、@全角)