始まりは、一人の少女の転入だった。

 緑が深みを増し始める五月の終わり、相川真一郎のクラスに留学生が転入してきた。

 特徴は黒い角ばった野暮ったい眼鏡と、お団子状に纏められた髪、そして怪我をしているらしく幾重にも包帯の巻きつけられた左手。

 中国から就職に必要なキャリアを手に入れるため、と説明されたその女子生徒は、たどたどしい日本語で、自己紹介した。


「菟弓華、いいマス…。弓華…、呼んで、下サイ」


 そう言って頭を下げると、薄紫のリボンが揺れた。







「おーい、小鳥。弓華、連れてきたぞ」

「うん、いらっしゃい。弓華も早く座ってね」

「ありガとう、小鳥」


 転入から一週間、世話係に就任した真一郎、そして幼馴染みの小鳥は、弓華と交流を深めていく。

 特に小鳥は人見知りの激しいのだが、何故か弓華とはすぐに打ち解けていた。






――日常は穏やかで






「ご・し・ン・ど・う」

「そーだよ。こうやって棍を使って………瞳さん、演舞お願いします」

「分かったわ」

「………………………綺麗デス」


 そしてその交流は、次第に広がっていった。

 知り合いの部活を周っていく弓華たち。

 彼女たちはその先々で、趣向を凝らして迎えられる。


「………本物ヲ使って、危なイ」

「大丈夫だと思うけど………大丈夫なんですよね」

「もちろん。ちゃんと脚本のある殺陣だから。さすがに部活じゃやれないけどな」

「おーい、赤星君。神咲先輩の気が変わらないうちに、やっちゃおう」

「………仕方なかね」


 護身道部、剣道部、そしてバスケット部。


「始めは………いつもより多く回して見せます」

「凄い凄い、指の上なのに」

「じゃあ、次は!」

「おお、スリーポイント。さすが岡本」

「えへへ、それでは最後に!!」

「甘い、岡本!」

「先輩、ひどいですよ」

「試合で、あんな悠長にダンクが決められると思うな」

「二人とモ、スゴイです」


 しかし弓華はあくまでキャリア取得のための留学なので長期滞在にはならない、と勧誘を断った。




「はい、右、左、左、ひだと見せかけて右!」

「よっ! っと! はっ! そこ!」

「次はワタシです。ハイ!」

「うわっ、ギリギリ。でも相川よりよっぽど上手いな」

「煩い。今度はもっと遠くに投げてやる」

「御剣さん。終わったらレモンの砂糖漬けがあるからね」


 その弓華が積極的に関わったもの、それが御剣いづみの特訓だった。

 意図は小鳥たちにも分からない。

 だが、その昼休みになると、校庭の端でいづみの特訓の手伝いをするようになった。






――故に脆く






「野々村さん。母が、新作が出来たのでよろしかったら、と」

「あっ、行きます行きます。真君も行くよね」

「もちろん。弓華も行こうぜ」

「………ゴメンなさい。今日ハ用事があって」

「そうなの。じゃあ次の機会に」


 一方で、避けられている者もいた。

 恭也が弓華と初めて出会ったのは、転校二日目の昼休み。

 タイミングとしては小鳥と同時なのだが、弓華の対応は両極端になっていた。


 それでも学校は、新たな日常を受け入れ、進んでいくように見えた。

 しかし、影はすぐそこに迫っていた。






――その尊さを知る青年は






「………………恭也君か、御剣火影だ ……………… 少し気になる情報があってね。もしかしたら、また君の手を借りるかもしれない」


「薫、今日、本家から連絡がありまして………良くない卦が出たそうです」


 そして



「…………………………………分かっているな、泊龍」

「ハイ」



 留学生の転入を切欠に、風芽丘に影が押し寄せる。








 風芽丘異伝 第二部 錯綜する刃










「御神不破の前に立ったこと、不幸と思え」





――己が刃を抜く