新東京国際空港、この国の玄関口は、平日の午前中ということもあり、スーツケースに背広姿のサラリーマンが溢れていた。

 その一人である男性が、足を組んで膝の上にノートパソコンを広げている。

 ただし立ち上がっているのはトランプゲームだったが。


「………ん」


 春であり、しかも空調の効いた室内だというのに寒気を感じた彼は、ディスプレイから顔を上げた。

 目に入ったのは、奇妙な二人組。


 それは男女の二人組だった。

 一人は少女。

 眼鏡を掛けているのは辛うじて分かるが、顔を伏せているので、容姿は分からない。

 服装も地味なために、すれ違った瞬間、その印象は薄れていくだろう。

 しかも今、隣には異様な存在感を放つ男がいるために、印象が更に薄くなっていた。


 少女の隣を歩いているのは、異様な風体の男だった。

 全身を覆うのは、季節にそぐわないロングコート。

 衿まで立てて口元を隠しているその姿は、まるで真冬の装いである。

 目元もサングラスで隠されているので、年さえ分からないが、しっかりとした足取りからすると壮年、と言ったところだろう。

 全身を黒で覆ったその男は、何故か寒気さえ感じさせた。


「――――――――――――」

「――――――――――――――――」


 脇を通り過ぎる二人は、ボソボソと小声で会話していた。

 ただ男の声が時折、高くなる。

 格好に違わぬ陰気な声ながら、何かを喜んでいるらしい。


(………中国語、か)


 多少の知識が彼に、二人の言葉を教えた。

 だが理解は出来ない。

 聞き取れたのは、ザキという言葉だけだった。


『………………サンフランシスコ行き、ただ今より搭乗手続きを開始いたします』


 アナウンスが、空港内に響き渡る。

 搭乗予定の便に出発に、彼は荷物を纏め始めた。

 ふと振り返ると、そこにはあの黒いコートはない。

 空港の長い通路の何処にもその姿はなかった。


「………行くか」


 狐に摘まれたような顔をした彼は、出発ゲートへと向かった。




 暗い喜びを胸に、男は来日した。

 その目的は――


























 風芽丘異伝 第二部 第一話 来訪者たち















 校内にチャイムが響き渡り、生徒が学内に溢れ出る。

 学食に走る者、弁当を広げる者、そして既に食事を終え、学校最長の休みを満喫しようとする者。

 私立風芽丘の校舎は、喧騒に包まれていた。


 校庭に掛け声が響く。

 昼練に励むサッカー部、放課後の部活の準備をする陸上部。

 そして校庭の片隅では、珍しい生徒が珍しいことをやっていた。

 世にも珍しい女子高生忍者、御剣いづみと、妹にしたいナンバー1男子高校生、相川真一郎、そしてその他二名によるトレーニングである。


「御剣、今日はこれか?」

「そう」


 真一郎が手にするは、ストップウォッチだった。


 いづみのトレーニングは色々とあるが、大別すると、身体系と道具系に分けられる。

 本日は身体系、横飛びのタイムトライアルだった。


「始め!!」


 真一郎の号令と共に、いづみが横に跳ぶ。

 僅かに土を蹴る音を残しながら、彼女が真一郎の視界から消えた。


「………相変わらず、スゴイな」


 何度も見ているが、忍者の加速は-一応応仮にもとてもそう見えないけど―男性である真一郎よりも速い。

 彼は知らないことだが、いづみの加速は特訓によって、磨きがかけられていた。


「どうだ、次は小鳥も計るか?」

「うぅ、真君、意地悪だよ」


 走る、飛ぶ、回る、と数々揃ったコースに小鳥が挑めば………次の授業の出席が危ない。


「そうデス、しんイチろウは意地悪デス」


 そう言って、弓華が小鳥の肩を抱く。

 じゃれ合う二人と、ため息をつく真一郎。

 この二人、仲が良いのはいいのだが、校庭の端で何をやっているのやら………


(でも弓華って………)


 小鳥と気軽に触れ合う弓華だったが、それ以外の人間に触れられることはひどく嫌っていた。

 特に左手に巻いている包帯には、小鳥でさえ触らせていない。

 小鳥も進んで触ろうとはしないのだが。


「唯子もだけど、小鳥もなぁ………今度、ネタにして小説でも書いてみよっか」

「しんイチロう、小説、書くでスか?」

「弓華、そうじゃなくて………真君!!」

「はっはっはっ、怒るなって」


 呑気に話をしている三人の元に、必死に疾走してきたいづみが戻ってきた。

 息を切らしながら、真一郎に目でタイムを求める。

 そして告げられた記録に、顔を綻ばせた。


「よしっ!」

「おめでとさん」

「良かったね、御剣さん」

「オ見事デす」


 賞賛に顔を喜びに染めるいづみを、一同が微笑ましくも眺めている。

 校庭の隅に穏やかな空気が流れる。

 しかし、小鳥の一言で、その空気に一片の傷が入った。


「あっ、高町君」


 高町恭也が、校庭の隅に建てられている、剣道場から姿を見せていた。

 中の誰かに何かを告げ、踵を返す。

 その手には何も持っていないが、同じクラスの小鳥は覚えていた、恭也が赤星に何か頼まれていたのを。


「………野々村さん」


 振り返った恭也の目が、小鳥たちを捉えた。

 軽く手を上げる彼を、真一郎が手招きする。

 そして彼女が、一歩下がった。


「よっす、高町。剣道場で何やってたんだ?」

「赤星に頼まれた荷物運びの手伝い。業者のトラックがここまで入って来れないらしい。男子の手が足りないってことで」

「それはご苦労さん」


 ちなみに先ほどまで、部員たちが両手で必死に持つ荷物を、片手で運ぶ恭也に尊敬のまなざしが浴びせられていたりした。


「それで、相川たちは何を?」

「ああ、御剣の特訓の助手」


 と指差す先には、先ほどの照れを微妙に残したいづみ。

 目を向けた恭也は僅かに切れたままの息に、特訓の内容を推測する。

 が、それは声を出さずに


「ずいぶん精が出てるみたいだが………何か目標でも?」


 その問いに、問われたいづみだけではなく、真一郎と小鳥も疑問顔になった。

 特訓に付き合っていた二人だったが、内容は聞いていない。

 二人がいづみを手伝うようになったのは、校庭に出て弓華がいづみを見つけてからである。


「そういや、聞いてなかったな」

「うん」

「どシてナンですカ?」

「………実は」


 しばしの悩みの後に、いづみが打ち明けたところによると、国家忍術免許の昇級試験が迫っており、それに向けて特訓している、とのことだった。

 国家忍術免許三級の彼女だが、高校卒業までに昇級しておきたいらしい。

 試験は夏と冬の二回、これから高校生として色々忙しくなることを考えると、夏の試験で合格しておくのがベストだった。

 ちなみに中学卒業と同時に、仕事に入る者も御剣にはおり、いづみと同年代で兄と同じように仕事をこなしている者もいる。

 自分がそこまで劣っているとは思わないが、評価として級は取っておきたかった。

 確たるものを得るためにも。


「………頑張ってね」


 小鳥が励ます一方で、真一郎はまだ疑問顔だった。

 夏と言うのが具体的に何月を指すのか、知らないが、いくら忍者でも旧暦を使っているわけではないだろう。

 すると、七月八月ぐらいが妥当である。

 今は五月、普通に考えると追い込みを入れるのが、早すぎるのではないか。


 そのことを真一郎が問うと、


「うーん………ほら、テストとかもあるし」


 答えにくそうないづみに、真一郎はそれ以上の追及を避けた。

 小鳥はもちろん、そもそも手伝っていない恭也も真一郎に従う。

 そして、弓華も、


「いづみ、次、やらナいでスか?」


 その言葉に、中断していた特訓が再開される。

 ただし、恭也はやることがあるからと、校舎に戻っていった。


「よし、次、頼む!」

「Ok」

「今度は私が時計係だね」

「………………………」

「………弓華?」

「………………あッ、ごメんナサい」


 グラウンドを見ていた弓華の返事が遅れたが、すぐさま特訓は再開された。

 そして、昇降口まで戻った恭也は


「………………………気のせい、じゃないか」


 そう呟いた。





























 さざなみ寮


 午後七時過ぎ、寮生の夕食の片づけを終えた耕介は、二階へと上がった。

 目指す部屋は、階段上がってすぐの部屋、202号室である。


「薫ー、おにぎり持ってきたんだけど。出掛ける前に食べない?」

「耕介様、ありがとうございます」


 お盆におにぎり数個とお茶、味噌汁のセットを載せた耕介がドアをノックすると、応答はすぐだった。

 ドアも開けずに、しかしドア越しではない返事が帰ってくる。

 ドアから生えているかのような形で、十六夜が顔を出していた。


「今、鍵を開けますね」


 言葉と共に顔が消え、ドアが開けられる。

 盆を持って部屋に入ると、そこには式服を着た薫が精神集中するように、正座していた。


「えっと、もしかして邪魔だった?」

「いえ、もう終わりにするつもりでしたから」


 そう言って少し気を緩ませる薫の前に、耕介が盆から皿を並べていく。

 今晩、夕食を取らない薫への差し入れである。


「準備は出来た?」

「はい」


 式服、そして霊刀、十六夜。

 準備とは即ち退魔の仕事の準備である。

 今晩、薫は退魔師としての仕事を請け負っていた。


「なるべく起きてるようにするけど、もしも寝てたら食卓の上に置いとくから」

「ありがとうございます」


 仕事の場所はここより車で三十分ほどの廃ビルである。

 仕事開始まであと一時間強、だから薫は食事を断り、部屋で準備の確認をしていた。

 そして、泊まりの仕事になりそうもないことを見越して、耕介は差し入れと夜食を準備する。

 彼がさざなみ寮の管理人になって以来、何度も行われてきたことだった。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様」


 おにぎり数個を食べ終わった薫は、頭を下げると携帯電話を確認した。

 現場までは車で送ってもらうはずなのだが、その車はまだ到着していない。

 そろそろ電話が入ってもおかしくない時間なのだが………


 携帯電話が鳴り出したのはその時だった。

 手に取ったのを何処かで見ていたかのようなタイミングで鳴り出した着信音は、仕事用に設定しているものである。

 すぐさま通話ボタンを押すと、聞こえてきたのは、今晩迎えにくるはずの男性の声だった。


『………神咲さん』


 常日頃は穏やかな彼の声が、今晩は違った。

 切羽詰っている気配はないが、何か戸惑っているような雰囲気である。

 電話の用件を問うと、端的に言って仕事の中止の連絡だった。


「どういうこと、ですか?」


 今晩の薫の仕事は、廃ビルに彷徨う霊の除霊だった。

 男の話によると、その霊が消えたらしい。


「そうですか」


 霊が自然に成仏することは、悪いことではない。

 ただ依頼が出るほどの霊が、自然に成仏するのはかなり珍しいケースである。

 凝り固まって、帰れなくなっていることがほとんどなのだから。


 なので、今回は珍しい、良いケースと言える。

 自然と薫の表情が緩んだ。


「分かりました。ありがとうございます」


 その他の処理はやっておくと言う男性に礼を述べる。

 しかし、そこで終わりかと思われた話には続きがあった。


『………実はここ一週間の話なんですが………』

「正体不明の、退魔師?」


 その話は初耳である。

 詳しく聞くと、薫の表情が強張っていった。


 正体不明の退魔師、それはここ一週間ほどで流れ始めた噂だった。

 噂の根拠は、霊の不自然な消滅。

 今晩の薫の仕事と同じようなケースが、関東全域で五件、起こっていた。

 一件だけならまだしも、五件となると、全員が成仏したとは考えづらい。

 そこで流れたのが、正体不明の退魔師の噂である。


 正体不明の退魔師、言葉の響きはいいが、その種の人間は問題を抱えていることが多い。

 しかもこの退魔師は、除霊そのものに問題があった。


 除霊という仕事は文字通り、霊を除く、だけではない。

 霊障を引き起こすような霊が存在する場所は、霊的な特異点であることが多い。

 場所のアフターケア、そして依頼人へのアフターケアなど、除霊の仕事は様々である――当然、役割分担をされているが。


 今回の退魔師は、その一切を放置していた。

 行ったのは唯一つ、霊を除くことのみ。

 今のところ、大きな問題は起きていないが………問題が起きる可能性は十二分にある。




 電話を切った薫を、憂い気な耕介と十六夜が迎えた。

 薫の声しか聞いていないが、何かがあったということは分かっている。

 そして


「夜食、いますぐ作っちゃうから、20分後ぐらいに降りてきて」

「ありがとうございます」


 座布団から立った耕介が、部屋を出る。

 その気遣いに感謝しながら、薫は声を潜めた。


「十六夜、聞いちょった?」

「ええ」


 訊く薫と頷く十六夜、二人の脳裏には同じことが浮かんでいた。


 数日前、神咲の実家――祖母から電話が掛かってきた。

 平日の午前中に掛かってきたそれを受けたのは、十六夜である。

 最初は穏やかな近況報告、薫の弟妹たちの話に、十六夜は目尻を下げる。

 しかし、本題が始まると、十六夜の顔が強張った。


 虫の知らせ、というと信憑性は薄く感じられる。

 が、こと本物の霊能者の勘とは、予知に近いものがある。

 その勘が、薫と十六夜の危機を告げていた、とのことだった。


「和音様の予感は、外れたことがほとんどありません」

「分かっとる」


 正体不明の退魔師、和音の勘。

 薫は、霊刀十六夜を抜き放った。

 解き放たれた光が、薫と十六夜を照らす。

 鏡のような刀身が、二人の顔を映していた。


「………十六夜………」

「はい」

「私は、守れるやろうか?」

「………もちろんです」


 頷く十六夜に、頷き返す薫。

 それは自信ではなく覚悟。

 守ることを誓い、薫は十六夜を納めた。


































 
「ううぅぅぅ!!!」


 命なきものの悲鳴の声が響き渡る。

 死してなおこの世に留まる魂たち。

 思いを遺しすぎ、消えることの出来ない彼らが、泣き叫んでいた。

 思いを果たせず、囚われになった身を嘆いて。


 そして、また一つ、魂が、囚われた。


「………………足りん! この程度では、足りん!!」


 黒の中に、赤が垂れる。

 唇を血が出るほど噛み締めていた男は、しばし虚空を睨みつけていたが、


「………だが、もうじきだ」


 闇の中へと消え去った、悲鳴を引き連れて。

 おそらくその耳に、悲鳴は届いていないだろう、同じものの叫びは………




















 続く




















 後書き


 始めに、風芽丘異伝 第二部は前回の予告編が0話、あらすじを兼ねております。

 というわけで弓華がいきなり登場したりしておりますが………ご理解とご了承いただけると、とても助かります。

 なお疑問点は本文中ないし、後書きで補足していくつもりです。


 それと頂いた感想へのレスが遅れて申し訳ありません。

 なるべく早めにレスいたします。



 と謝罪が終わったところで………第二部一話です。

 色々と視点が変わっていますが、もう少し、多方面を見て回ることになると思います。

 その分、恭也君の出番が減ってしまいますが………しばしお待ちを。


 それでは暗雲更に沸き起こる次話で

 では






管理人の感想


 希翠さんから二部の第一話を投稿していただきました。


 登場した怪しい男。
 中々に悪なオーラ出してます。
 やってる事を見るに、薫との対決が待っていそうですね。
 どれくらいの能力なのか楽しみ。
 まぁ私が1番気になったのは冒頭のリーマンなのですが。(核爆

 恭也と弓華も何事か。
 お互い相通ずるところがありそうなので、誤魔化せなかったのかな。
 原作1にはいなかった彼の存在が、果たしてどう作用するのかも見ものですね。
 ……いづみは兄と恭也が知り合いだと知ったのでしょうか?


 やはりしっかり二部に集中する為には、希翠さんに1部の残りを上げてもらわないと。(笑
 ファイトですよー。


 感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思いますよー。

 特にこのSSは登場人物が多くて大変。

 是非感想を送って差し上げてください。


 感想はBBSかメール(kisui_zauberkunst@yahoo.co.jp)まで。(ウイルス対策につき、@全角)