「―――であるからして―――」


 斗和学園二年D組は、現国の真っ最中だった。

 時間は四時間目、終了まで十五分ほどである。


「―――この逆説の接続詞による論理展開は―――」


 黒板に大きく書かれる『しかし』、よっぽど力が入っていたのかチョークの欠片が飛び散る。

 心中で日直に同情しながら、稲木佐織は板書をルーズリーフに書き写していた。


 二年D組、現代国語担当、高坂という中年教師は板書量が多い事で知られていた。

 よって授業を事細かに聞く必要はないのだが、真面目に板所を写す生徒にとってはなかなか難儀な授業である。

 まあ、テスト前にコピー専門の生徒にとってはあり難いのだが。


「んー」


 黒板が埋まったために板書が一端途切れる。

 その隙に伸びをした佐織はついでに教室を見渡した。


 浩平、住井は当たり前のように睡眠中、詩子と茜も密かに船を漕いでいる。

 一方、瑞佳と留美はノートに向かっていた。

 そして自分の目の前に座る転校生、相沢祐一はというと、彼もしっかり右手を動かしていた。


 初めて見たときには意外だったのだが、相沢祐一の授業態度は極めて真面目である。

 なんでも返済義務なしの奨学金を貰っているとかで、ある程度の成績を取らなくてはいけないらしい。

 それを聞いた浩平は『頑張れよ。ついでに教わってやろう』などと言っていたが、それも友情………かもしれない。


「―――そして前後の文脈が反転している事から筆者の主張は、この文に―――」


 授業再開、佐織はノートに向き直った。


 現在、授業終了まで後十分、昼休みはもうすぐである。



































 永遠の名を持つ街で 第弐話 うどんと夕焼け



































「終わった〜」


 しかめっ面をした教師が、荷物をまとめて教室から出て行く。

 授業終了、学園は無事に昼休みに突入した。


「祐一、今日はどうする?」


「相変わらず早いな、浩平」


 いきなり最前列に出現した浩平を捌きながら、現国の教科書をしまいこむ。

 彼が転校してきてから一週間、すっかり習慣と化したやり取りである。


「昨日は、中華行ったしな。今日は和にするか」


「それでいいんじゃないか」


 斗和学園、大学でも滅多にない施設を有するこの学園は学食、購買関係も充実していた。

 和、洋、中、三箇所の学食が存在する学園など、日本中探しても五本の指で足りるだろう。

 またそれぞれが十分な広さを持っているために、席取り合戦とも無縁である。


「稲木はどうする?」


「瑞佳が買いに行くでしょうし、付き合うわ」


 佐織と瑞佳はほとんど毎日昼食を共にしているのだが、瑞佳にはとある癖があった。

 それは食事には、必ず牛乳をつける、という癖である。

 例えご飯に煮物の組み合わせだろうと、飲むのはいつも牛乳。

 それをネタに浩平にからかわれる事も多いのだが、その主義は一貫していた。


「折原、相沢、先行くぞ」


 話を聞いていたのだろう、住井の姿は既に廊下にあった。

 それを見て浩平の目が輝く。


「お先に!!」


 その所業、まさに脱兎の如く。

 教室を飛び出した浩平は、そのまま住井と並走して第一学食へと向かっていった。


『君は、学食まで辿り着けるのかな』


 喋りだす机を残して。


「こういう場合、私たちも離れたほうがいいのかな………」


「稲木さん、俺、結構足は速いほうだぞ」


 祐一の牽制の視線に佐織は、笑って手を振った。

 そのまま立ち上がり、呆れた顔をした瑞佳と留美と合流する。


「案内、よろしく」


「OK」


 新学期が始まって三日目で、理事長に案内板をつけるよう直談判に行こうとした転校生は、クラスメイトに囲まれて通称和食堂へと向かった。




「じゃあAランチじゃなくて………牛丼大盛り汁だく玉子豚汁お新香付きで」


「あいよ! ちょっと待ってねー!」


 それだけ付けて450円、味もかなりのものであることを考えると、実に良心的である。

 威勢のいい食堂のおばちゃんに手渡されたトレイを持って、祐一は浩平たちの元に向かった。


「おっ、牛丼か」


「まあな」


 最後の一人が席につき、揃って手を合わせる。



「「「「「「いただきます」」」」」」


 トレイ持ちが祐一、浩平、住井に留美、弁当が瑞佳に佐織である。

 ちなみに茜と詩子は揃って中庭で弁当だった。


「なんか、お前、手馴れてるな」


「そうか?」


 玉子を割ってかき混ぜる。

 満遍なく流し込んで準備完了。

 流れるような牛丼作法は確かに熟練を感じさせた。


「って七瀬さん、それはかけすぎじゃないか?」


「そう? このくらい普通だと思うけど」


 留美が食べているのは祐一と同じく牛丼。

 この辺り完全に地が出ているのだが………気にしないほうがいいということもある。

 とにかく黄色に染まったその上に、紅い雨が降り注いでいた。


「まあ、七瀬は火を噴くからな」


「噴くか!!」


 七味唐辛子が黄色を覆い尽くす。

 そこまでしてようやく満足した彼女は、傾きを元に戻した。

 そのまま平然と口に運び


「うん」


 満足げな声を溢した。


「………見ているだけで舌が痛くなりそうだよ」


 率直な感想を溢した瑞佳が、ストローを口にする。

 白いストローの中を白い牛乳が通過していった。


「長森さん見てると時々思うんだが、よくご飯と牛乳、セットに出来るよな」


「うん。だって美味しいよ」


「長森の牛乳好きは筋金入りだからな。なんせ給食で珍しく出たオレンジジュースに文句、言ってたからな」


「そこまで徹底してるのは、凄いな」


 幼馴染の証言に祐一が思わず感嘆する。

 が、徹底といえば彼に心当たりは色々とあった。


「まあ、イチゴジャムでご飯が三杯食えるってのもいることだし」


「どんな奴だ、それは!!」


「主食がイチゴの年中寝花子だ」


「………お前、やっぱり変な知り合いが多いな」


「やっぱりってなんだ」


「言うまでも―――」


 自信満々に胸を張る浩平、その彼に悲劇が襲い掛かった。


 バシャ! ゴツン!


……………………………………………


「あっちぃぃぃぃ!!!!!」


 思わず飛び上がる浩平、その頭には学食の丼が被さっていた。


「あちっ!! あちっ!! あちぃぃ!!」


 絶叫のまま開けている大口に覚えのある液体が入ってくる。

 そして目の前に垂れる白い紐、それはうどんだった。

 要するに、彼は頭からうどんを被った、というわけである。



「浩平、大丈夫?」


「大丈夫なわけがあるかぁっーーー!!!」


 瑞佳の心配に、心底から絶叫した彼はその勢いのまま振り向いた。

 そこにいるのが、自分にうどんを使って攻撃してきた、敵のはずである。


「おい!!」


 相手が誰であれ、怒鳴りつけるべく口を開いた浩平が見たのは、空色のチェックのリボンと、白紙のスケッチブックだった。

 激しく上下動するリボン、そして何故か宙に浮かんでいるスケッチブック上を、これまた支えのないペンが滑っていく。


『ごめんなさいなの』


 ペンは少女らしい丸みの帯びた字でそう書き終えた。

 その間にもリボンは上下し続けている。


「とりあえず顔、上げろ」


 幾分声を抑えて浩平は目の前の女子生徒に話し掛けた。

 ちなみにその背後で瑞佳が、丼を机に置き、浩平の頭を拭っている。


「あのな、お前なあ………」


 ようやく女子生徒が顔を上げ始めた。

 とにかく恐縮しているその姿に、勢いを削がれた浩平だが、一応言っておくべきことを口にしようとしたのだが………


「…泣かした…」


 隣でボソッと祐一が呟く。

 ちなみに彼も自分の制服にかかったうどんの汁――量はそれほどでもなかったが――を拭っていた。


「泣かしたって………ちょっと待て!!」


「言い訳は見苦しいわよ、折原」


「そうだぞ、折原」


「確かに泣かしちゃったわね」


 次々と襲い来る非難、浩平は被害者のはずだったのだが


「うどんを頭からかけられたのは俺だろうが!!」


「…また、泣かすぞ」


 必死の抗弁も、祐一の呟きの前には無意味だった。

 確かに改めて女子生徒を見ると、目元に涙が浮かんでいた。


「うっ」


 それを見ると、浩平自身もなんだか自分が加害者のような気がしてきた。

 なんせその女子生徒の容姿は一言で言って、幼い、のだから。


「いや。まあいいから。ってよくないけど。とりあえず怒ってないから、泣くな!」


『ごめんなさいなの』


「気持ちは十分にわかったから、とりあえず顔を上げて、泣くなー」


 逆に泣き出しそうな浩平を見て、満足げに頷きあう祐一たち。

 これもまた友情の形………なのだろうか………。





「それでお前の名前は?」


『上月澪なの』


「かみ、つき?」


『こうづき、みお、なの』


「上月澪か」


 とりあえず主に瑞佳による浩平清掃も一段落したところで、浩平は正面に澪を座らせ、食事を再開していた。

 幸いなことに浩平の頼んだAランチにはそれほど被害はなく、澪の前には祐一が買いに行ったうどんが置かれている。


「しかし器用なもんだな」


『えへへなの』


 時間がないために現在、澪は筆談と食事を同時進行していた。

 その体にはいささか大きい丼を食べながら、手を触れずにスケッチブックに返事を書いていく。

 確かに浩平が言う通り器用である。


「つーか、和やかに話せる辺り、さすが折原だな」


 そんな脇で思わず住井が呟く。

 先ほどまで猛っていた浩平は、現在目元を緩ませ、丼に向かう澪を見ていた。


「………もしかして、折原って―――」


 留美の言葉を遮ったのは、寂しげな笑みを浮かべた瑞佳だった。

 そのまま浩平に


「ねえ、浩平。やっぱりこれ、ちゃんと洗わなきゃダメだよ」


 差し出した上着には、汁の跡がくっきり残っていた。

 確かに洗濯、もしくはクリーニングが必要だろう。


「そうか………じゃ、今日持ってくか」


 思わず財布の中身を確かめようとした浩平の目の前で画用紙が揺れていた。


『私がやるの』


 さらさらと書かれる申し出に


「いや、別にいい………分かった、任せる」


 折原浩平、涙には勝てぬ男だった。


「じゃあ、澪ちゃん。よろしくね」


 笑って上着を引き渡す瑞佳。

 それを抱えた澪はペコリと頭を下げると、スケッチブックを浮かせて去っていった。

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・

「で、あのうどんって俺の奢りか?」


「いい奴だな、祐一」


「………まあ、いいけどな」



































 放課後、荷物をまとめた祐一は一人、校舎を歩いていた。

 一年生が掃除をしている――理事長の主張で学び舎は自分達の手で掃除することになっている――廊下、階段を抜け、上へ上へと向かう。

 辿り着いたのは、屋上前の踊り場だった。


「………さてと」


 佇む事数分、彼は屋上への扉を開けた。




「えーと………」


 斗和学園は斗和の端にある高台に建てられている。

 その上、斗和には高層ビルは存在しないので、学園の屋上はまさに斗和で一番高い場所である。

 だから屋上からは山々に斗和の街、そして遠目には海も望めた。



 そんな屋上に出た祐一は、ゆっくりと、ゆっくりと、じれったいほどゆっくりと街側のフェンスに向かった。

 しかし亀の如き速度でも足を止めなければいつかはゴールに辿り着く。


「はぁ………」


 極めて憂鬱そうにフェンスに辿り着いた祐一は、網目に指をかけつつ、足を45°に開いた。

 前後左右からの衝撃に備え、膝を落とす。

 そこまでしてようやく、フェンスから指を離し、視線を街に向けた。


「………高いな」


 一度たりとも取り沙汰されたことはないが、斗和という街は奇妙なほどに整えられた街である。

 だが、地図を片手に首を左右に回している祐一の目には、調和している全体ではなく、個しか見えていなかった。


「………あそこ、と、あそこ、と………あそこもか」


 目を凝らしながら、赤ペンで地図に書き込みを入れていく。

 ただその方々に散らばっている点には、特に規則性があるようには見えなかった。




「すると………今晩中にはこの三つか」


 かかった時間は数十分、額に浮かんだ汗を拭いながら、祐一は地図をしまい込んだ。


「おしごと、おしごと。今晩もおしごと、か」


 そう呟くと祐一は………


「………はぁ」


 どうやら下を見てしまったらしい。

 顔色は悪化し、視界は歪んでいた。

 そのままなら、世界が回る、などと言いながら倒れていたかもしれないのだが………


「ねえ、明日も良い天気かな?」


 柔らかな声が、彼を呼び戻した。


 突然かけられた声に導かれるように、祐一は再び顔を上げた。

 僅かに蒼ざめたその顔が、赤く染まる。

 目の前に広がっていたのは


「………夕焼け」


「そうか。明日も良い天気だね」


 斗和が赤く染まっている。

 夕焼けが何処か浮世離れした感のある斗和の雰囲気を更に高めていた。


「気付かなかったな………」


「あはっ、そうなんだ」


 フェンス際に立って街を見ていたというのに、街が赤く染まったことに気付かなかった。

 そんなありえそうもないことを背後の声は、軽く笑い飛ばした。


「もう一つ、訊きたいんだけど、夕焼け、綺麗?」


 その言葉に改めて夕焼けに染まった斗和の街を見る。


「………ん」


 建物が、道路が、街路樹が、遠目に見える山々が、全て赤く、紅く染まっている。

 紅く染まる景色、それは間違いなく


「………綺麗、だな………」


「………夕焼け、嫌い?」


 ………さすがに驚いた。

 内心の動揺が落ち着くのを待って、問い直す。


「なんで?」


「ちょっと、声が悲しそうだった、からかな」


 その言葉に祐一は首を捻った。

 考え込むことしばし、返答は穏やかだった。


「嫌いじゃ、ないな。ちょっと、苦手なだけだ」


 そう、相沢祐一は夕焼けを嫌っているわけではない。

 彼はもう思い出しているのだから。

 ただそれでも、彼は夕焼けが苦手だった。


「でも、綺麗なのは確か、だな」


――夕焼けがあんなに優しい色なのは、人間が大好きな太陽からの贈り物だから――

 昔読んだ、もう名前も思い出せない絵本の一説を思い出しながら見た斗和は、確かに優しい色に染まっていた。


「何処の何方か存じませんが、感謝いたします」


 満足げな笑みを浮かべた祐一は芝居めいた口調と共に振り返った。

 そのまま、まだ顔も見ぬ声の主に一礼する。


「いえいえ。どういたしまして、だよ」


 そこには長い黒髪を斗和の風に靡かせている女子生徒が立っていた。

 日本人形のような雰囲気を持つ彼女は、声と同じ柔らかな笑みを浮かべている。

 ただ何故か、何処かに違和感があった。


「こんにちわ」


「どうもです」


 挨拶をかわしながら目を合わせる。

 しかしその瞳には感情の揺らぎは見えなかった………否………見えないのは………


「………分かっちゃったみたいだね」


 祐一の揺らぎを感じたのだろうか、彼女は苦笑しながら目元へと手をやった。

 普通なら視界へ侵入したものに眼球が反応するはずである、それが自分の指でも。

 しかし彼女の瞳は相変わらず………虚空しか捉えていなかった。


「たぶん、君の思ってる通りだよ」


「そうですか」


 あっさりとした彼女の言葉に、返ってきたのはさらにあっさりとした返答。

 それを聞いたみさきは、楽しそうに笑みを浮かべた。


「じゃあ、君をこれから夕焼け採点係さん一号に任命します」


「はっ! 了解しました、隊長!」


「局長と呼びなさい!」


「だったら自分は組長で」


「………でもなんで隊のリーダーが組長なんだろうね」


「さあ?」


 そんな疑問に悩むこと、十秒。

 変わらず吹き続ける風が僅かに強まり、女子生徒の髪を靡かせる。

 それが切欠となったのか、


「ふふっ」
「ははっ」


 二人は同時に笑みを溢した。

 明るく、影のない、心地よい笑みの交換。

 夕日を背にした祐一と山を背にした女生徒の間を春の爽やかな風が吹き抜けていく。


「そう言えば、まだ名前訊いてなかったね」


 その言葉に祐一も、確かに、と頷く。

 ならば互いに名乗りを上げようと


「私は、川名みさき。三年C組だよ。君は――」


 そこで女子生徒――川名みさきは中途半端に言葉を止めた。

 変わりに取った行動は、己の耳に手を当てること。

 聴覚を強化しているらしいのだが、祐一には何が起こっているのか、さっぱり分からなかった。

 怪訝な雰囲気を発する祐一を放って、止まったように動かなくなったみさきは、


「今からここに恐い人が来るから、私がいるって黙っててね」


 そう言い残して脱兎の如く駆け出した。


「………」


 激しく揺れる黒髪が、給水タンクの陰に隠れる。

 呆気に取られてそれを見送った祐一だが、ようやく彼の耳にもみさきと同じものが聞こえてきた。

 軽いが力強い、確かな足音が、迷わず屋上へと向かってきている。

 そして扉は開け放たれた。








 扉が開けられたら、鬼が、立っていた。


「み〜さ〜き〜」


 思わず録音して夜の校舎で使ってみたくなるような声。

 それは平然と夜の校舎に踏み込んだこともある――実に管理体制の甘い学校だった――相沢祐一をして、思わず後退してしまうほどの威力だった。


「I don't have much money」


 ………そこで両手を上げて、流暢な英語が出る辺りはさすがだが。


「………私、強盗じゃないんだけど」


「すると………まさか通り――」


「違うわよ!」


 一括して見知らぬ男子生徒、祐一を黙らせた女生徒――校章から察するにみさきと同じ三年生――は、辺りを見回した。

 屋上の外に広がる山々と斗和の街。

 しかし彼女が見ているのは無限に思えるそれらではなく、有限である屋上だった。


「ねえ、貴方。ここにぼぅーーっとしている女子生徒がいなかった?」


 見回すこと二周、彼女は目の前に立つ祐一にやたらと強調している部分がある、問いを発した。


「…いえ。自分はさっきここに来たので、見てないですね」


「そう」


 みさきの要望通りの返答、しかしそれを返すのに、一瞬だが間が空いた。

 それを聞いた彼女は、口の端に浮かんでいた笑みを強くする。

 祐一の返答を遅らせた剣呑な笑みを。



探索サーチ


 笑みを浮かべたまま、彼女は宙に向かってそう呟いた。

 そのまま数秒、祐一から見ると虚空の一点を見ているようにしか見えない彼女は


「ふふふ」


 しかし、確かな何かを見取って動き出した。

 迷いなく一直線な歩み。

 その先には白い円柱、貯水タンクが聳え立っていた。


「みさき〜、見つけたわよ」


 それはまるでかくれんぼの鬼。

 もしかして二人は遊んでいたのだろうか………


「出てきなさ〜い」


 前言撤回。

 撤回の理由は、聞くだけで十分である。


 強制力に満ち溢れた呼び声、しかしタンクの陰から出てくる気配はない。

 そこで鬼は切り札を切った。


「出てこないと………もうお金、貸さないわよ」


「ひどいよ〜、雪ちゃん」


 切り札の効果は覿面だった。

 タンクの陰から川名みさきが姿を見せる。

 と同時に彼女――雪ちゃん――深山雪見は、犯人――川名みさきの両手を確保した。


「もう逃げられないわよ」


「うぅ〜、どうして分かったの?」


 今日は触られてないのに、というみさきに、雪見は鷹揚な笑みを返す。

 そして彼女は逃走虚しく――というか虚しい逃走なのだが――掴まった犯人に己の捜査を話し始めた。 


「貴女、今日、私から昼食代借りたわよね」


「うん。今日は借りたね」


「今日もよ! で、その時のこと、思い出してみなさい」


「う〜ん………」


 思い返す。

 今日の昼食は、洋食堂でカレーライス――具体的な皿数は覚えていなかった

 しかし財布の中身は彼女の食べた量を賄うことは出来ず、いつものように雪見から援助してもらい………


「雪ちゃん、もしかして」


 慌ててポケットから財布を取り出す。

 支払いの際に、そのみさきの財布は雪見の手の中にあった。

 しかし力の発動には注意していたはずなのだが………


「あら、財布には何もしてないわよ」


 財布には、とわざとらしく強調する雪見。

 今回使った手はあまり多用できるものではないのであっさりネタ晴らしをする。


「ただ予めマークしておいた硬貨を入れただけだから」


「ええー!! 雪ちゃん、ずるいよ!!」


「敗者の戯言に貸す耳はないわよ。それより――」


 思わぬことで時間を取られてしまったが、ようやく本題を切り出す。


「早く行くわよ。そ・う・じ、に」


 犯人、川名みさき。

 罪状は逃走罪である。


「うぅ〜、雪ちゃん。執念深すぎるよ」


 連行されながら、みさきが口を尖らせる。

 しかし


「いいから、急ぐ!!」


 返ってきた雪見の返答に若干の違和感を感じていた。

 そこに感じたのは当然あるべき怒りよりも、どちらかというと焦りだった。

 怒りよりも大きな焦りの原因、それにみさきは心当たりが、あった。


「………ねえ、雪ちゃん。今日、部活の打ち合わせって言ってなかった………」


 深山雪見は演劇部の部長である。

 そしてこの時期、演劇部は新入生を対象とした短い劇をやるのが伝統だった。

 今日はその最終の打ち合わせのはずである。


「いいから、急ぐわよ!」


 僅かにだが抑えられた語調にみさきは


「………雪ちゃん………」


 一人でやるから部活に行ってよ、と言う台詞もみさきには使えない。

 移動に関しては慣れているので一人でも大丈夫だが、さすがに単独で掃除をするのは難しいのである。

 だからみさきは顔を曇らせ………そして雪見は笑った。


 トンッ、ドンッ


「いたっ」


 思わずみさきが声を上げるほどの強さで肩を叩き、明るい声色で


「いいから、行くわよ」


 まったく気にするぐらいなら、サボらなければいいのに。

 などと思うも、しょうがないかと苦笑する。


「一人よりも二人、でしょ」


「だったら二人よりも三人ということで」


 その声は、吹き出すのを必死に堪えていた。


「えっ」


 ………意識の外になっていたのだが、屋上いるのは彼女たち二人だけではなかった。

 振り返った雪見の前で、相沢祐一がそれはそれは楽しそうに、笑っていた。


「手伝って、くれるの?」


 雪見の問いへの祐一は首肯した。


「部屋に戻ってもやること、特にないですし――」


 それに、と続ける祐一は浩平や詩子と同質の笑みを浮かべていた。


「面白かったですから。見物代ってことで」


「…じゃあ、お願いするわ」


 逡巡は一瞬、雪見はあっさり祐一の提案を受け入れた。

 確かに二人より三人、自主的に手伝ってくれるなら断る理由はない。


「じゃあ、行きましょうか、局長」


「うん。よろしくね、組長さん」


 そうして三人は、夕日の染まる屋上を後にした。


「で、組長さん。君の名前は?」


「ってあなたたち、名前も知らないので話してたの」


「だって、さっき聞こうとしたら雪ちゃんが、襲って――」


「み〜さ〜き〜」


「ごめんなさい〜」


「はぁ………それであなた、名前は?」


「二年D組の相沢祐一です。以後、よろしくお願いします」



































 そこは斗和の中心だった。


 ほぼ円形に広がる斗和の中心部、そこは主に企業が配置されている。

 そしてその中心では東西南北に伸びる道路が交わっていた。


 計6車線同士が交わる交差点。

 地図上でもまた交通の便から言っても斗和の中心であるそこは、深夜と言えども車通りが絶えることは、ほとんどない。

 ないのだが………今はこの交差点は例外に属していた。


 南北の信号が黄色を経て赤に変わる。

 しかし変わり際に速度を上げる車も、信号をせかすようにエンジンを吹かす自動二輪もいない。

 まるで人払いをしているかのように、ここには誰もいなかった。


 否


「そろそろ、か」


 交差点の中心部、そこにあるのは黒と白。

 時代掛かった黒衣と、純白のストールを身に付けた少年がそこに立っていた。


 穏やかに吹く風に彼の髪が揺れる。

 オフィス街と言っても高層ビルの存在しない斗和ではビル風などはほとんど起こらない。

 しかし


「おしごと、おしごと。債務者の、おしごとか」


 それは突風、否、竜巻だった。

 突如として風が渦を巻き、荒れ狂い始めた。


 信号の灯りがぶれ始め、街路樹が悲鳴を上げる。

 引き寄せられた葉が、天高く舞い上がり、そして二度と姿を見せなかった。


 そんな荒れ狂う竜巻の中心部に、彼は立っていた。

 髪の一筋も揺らぎもせずに。


「さてと」


 ゆっくりと頭を上げる少年、その顔に浮かんでいるのは、テスト前の学生に通じるものだった。

 一歩でも動けば、体ごと舞い上げられそうな渦中にいると言うのに。

 そしてその掌にはいつの間にか、少し崩れたウサギ――まるで子どもが作った雪ウサギのように――が置かれていた。


「よし!」


 中空を見上げていた少年の視線が一点で止まった。

 見続けること数秒、気合の声を上げた彼の掌でウサギが跳ね


「っと」


 一瞬後、彼の姿は地上三階相当の高さにあった。


「ってい!!」


 またしても発せられる気合の声。

 その声と共に、今度は彼の両手が動いていた。

 両手の動きに沿って宙に描かれる漆黒の一閃。

 またしても唐突に現れた両手剣は、見た目何もない宙を通り抜け、


「よっしゃ」


 しかし重力に従って落下し始めた彼の顔に満足感を与えていた。

 と同時に掌から肩に移っていたウサギがもう一跳ね、それだけで彼の姿は元の位置に戻っていた。


「おしごと、完了」


 先ほどまでとほとんど変わらない姿勢に戻った少年、しかしその周囲には確実に‘おしごと’の成果が現れていた。

 彼の足元には気の毒にも青々しい新緑が敷かれていたが、新たな敷物は現れない。

 要するに………竜巻は、現れたのと同じく唐突に消え去っていた。


「さてと、次行くか」


 そう言って彼は赤ペンで何ヶ所かチェックされている地図を取り出した。

 そのまま、どれにしようかな、などと暢気に呟きながら指を一点で止めると、またしても肩のウサギが跳ね、今度は彼の姿は交差点より完全に消え去った。


 後には、気の毒にも敷かれてしまった新緑と穏やかな斗和の風が残っていた。



































 後書き


 お久しぶりです、希翠です。

 永遠の名を持つ街で、二話をお届けしました。


 今回の話を以って、とりあえず今回で登場人物は揃いました(繭の登場はもう少し後になります)

 本当ならもっと早く投稿するつもりだったんですが、色々ありまして遅くなってしまいました。

 ………忘れよう………



 今回も異伝をお待ちの方、申し訳ありませんでした。

 異伝も鋭意執筆中ですので、次回の投稿では異伝の四話をお届けできると思います。



 それでは近いうちにお会いできるように頑張ります。

 では〜







管理人の感想


 希翠さんから投稿SSの続きををいただきました。

 氏はホント『色々』とあったのですよ。

 私もその『色々』には1枚噛んでたり噛んでなかったり。

 まぁ声高に言う事でもないんですがね。


 今回の新キャラは先輩2人と後輩。

 澪に対するある人物の対応があれでしたね。

 つまり浩平はロ……。(爆

 祐一は先輩とお近づきになって……この2人はしっかりシェアが分かれてるのかな?(笑


 目立たないように活躍している祐一を、最初に目撃するのは果たして誰か……。



感想は次の作品への原動力なので、送っていただけると作者の方も喜ばれると思いますよー。

感想はBBSかメール(kisui_zauberkunst@yahoo.co.jp)まで。(ウイルス対策につき、@全角)