まだ見ぬ夢に
プロローグ
夢を見ていた
あの日の夢を
忘れられぬあの時の夢を
響くのは破壊音と悲鳴、そして獣の咆哮。
地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だ。
舞台はこの街の広場、その中心にいるのは魔獣グリフォン。
鷲の上半身と翼に獅子の下半身を持ち、通常の獅子の倍近い大きさの魔獣である。
単体ですら騎士の中隊が苦戦するか、もしくは敗北してしまうほど強力な魔獣だ。
ズザザザザンッ!
「ダメだ、こんな事をしてももう戻っては来ない!」
そんな魔獣と正面から向かい合っている一人の黒髪の少年。
年頃は十数歳程で、小剣を腰に下げながら、それを抜かず。
無手でグリフォンを抑えようとしていた。
その吸い込まれそうなくらい深く、澄んだ蒼い瞳に今は悲しみを宿しながら。
けれど、力強い言葉で説得をしている。
「ギャオオオゥンッ!!」
ズドォォォンッ!!
少年の制止を聞かず、突進するグリフォン。
その一撃はレンガの家も一撃で瓦解させるものだ。
だというのに。
「くっ!」
少年はその正面に立って受け止め様としている。
見れば、少年の背後には逃げ遅れた少女がいる。
護ろうとでもいうのだろうか。
ズドォォォォンッ!!
「オオオオッ!!」
真正面からグリフォンの突撃を受け、止め様する。
その一撃を受けられただけでもとてつもない事だ。
だが、とめる事は出来ない。
少年とこの魔獣の体重差は軽く20倍はあるだろう。
少年がどう上手く地を踏ん張ろうとも、ほとんど減速にもなっていない。
少年の背後の少女の死は、一瞬先送りになったに過ぎないだろう。
だが、その一瞬が光となった。
「はっ!」
ズザァァァァッ!
私は、なんとか少年の作り上げた一瞬で少女を助ける事ができたのだから。
「さあ、早く逃げて」
「は、はい!」
私は少女を逃がして剣を抜く。
そして、向かうは魔獣グリフォン。
一応にも私の仲間だった者達を食い殺したこの魔獣に剣を向ける。
しかし、剣を抜き放ったものの、私は迷っていた。
「ダメだよ! 全てを失った訳じゃなない、まだ残ってるんだろ、だから!」
グリフォンの突撃を受け、両腕は既にまともに機能せず、肋骨も何本か折れているだろう。
地を蹴っていた脚だって無事では無い筈だ。
それなのに、まだ少年はグリフォンと向き合い、説得を続けていた。
今だに信じられない事だが、少年はグリフォンと会話が可能であった。
この時、人の言葉を投げかけてはいてもグリフォンには通じていた。
だから、これはちゃんとした説得として成り立っていた筈だ。
「ギャオオオゥンッ!!」
しかし、グリフォンは少年の声を聞かず、狂った様に暴れ回る。
ああ、その理由は知っている。
このグリフォンは我が子を、我が子の卵を潰された事に怒り狂っているだ。
何故それを知っているかと言えば、その現場に居合わせたからだ。
私は、仲間がグリフォンの卵を潰すのを、ただ言葉で止めるだけで、結局何もできなかった。
だからきっと、私も同罪で。
この街が襲われているのは私の責任でもあり。
私には、このグリフォンに剣を向ける権利なんて無い。
「このままじゃお前が殺されてしまう!
残された子はどうするんだ!」
私が迷っている間にも、少年は必死でグリフォンを止め様としている。
騎士を名乗るものですら、尻尾を巻いて逃げ出した挙句に殺された相手だというのに。
何時の間にか背にのって首を抑えて動きを止めていた。
そう、時間はかかったが、動きを封じかけているのだ。
ああ、だというのに私は何をしているのだろう。
パラディン候補と言われ、あの子からも慕われていたのに。
あの子の忠告を聞かず、この街が襲われる原因を作り。
今、必死でこれ以上失われない様にがんばっているあの子を前にして、何もできない。
「魔弓隊、前へ」
そこへ、声が響いた。
低く、冷たい声が。
「オカザキ隊長…」
そこに現れたのは、この国の騎士団の中隊長オカザキ。
その細身の身体からは想像もできない鋭い剣技と、冷静な指揮力で、次期騎士団長とすら言われる人だ。
更には、彼の魔弓部隊と魔法部隊、騎士部隊の3隊だった。
「てぇっ!」
そして、次に放たれたのは冷酷な命令だった。
ヒュンッ!
20人の魔弓部隊による魔法の矢の一斉射撃。
それが、グリフォンを狙って放たれる。
その背に少年がいるというのに。
「っ!!」
「ギャオゥンッ!!」
ガキンッ!
キィンッ!
ガキィンッ!
攻撃に気付いた少年とグリフォンは魔矢を叩き落していく。
正面はグリフォンが、背から少年がグリフォンの死角の魔矢を落とす。
全てを落とす事は出来なかったが、強靭な身体をもって、グリフォンはほぼ無傷だ。
「シールド部隊前へ。
第2射用意、魔法部隊援、護魔法用意」
だが、騎士はそれに対してなんの感情も見せず、次の攻撃の準備にかかる。
「オカザキ隊長! 一般人がいるのですよ!」
やっと正気に戻った私はオカザキ隊長の前に立ちはだかった。
グリフォンを攻撃するのは、仕方ないにしても、一般人の、しかも子供を巻き込むなど。
騎士として到底許される事とは思えなかったのだ。
「サガラ候補生、あの子供はこの国の者ではあるまい。
そして、今あの魔獣を護った。
よって、敵と断定する。
――――てぇっ!」
何の感情も見せず、そういい捨てると、隊長は攻撃命令を下した。
ヒュンッ!!
ドォォォンッ!!
再び放たれる魔法の矢と、それに続いて放たれる火炎球。
「ダメだ、退いて!」
少年はグリフォンを説得し、なんとか逃れんとする。
だが、怒り狂ったグリフォンはやはり少年の言葉を聞かなかった。
「ギャオオオゥンッ!!」
魔矢も火炎球も無視して騎士団に突進するグリフォン。
迫る死よりも、騎士達を薙ぎ払おうと。
「ダメだったらっ!」
ズドォォォォンッ!!
少年の悲しげな声は、爆音に消えていく。
ああ、結局私は本当に何もできなかった。
何も…
カーテンの隙間から入る日の光で目を覚ます。
目を開ければ見慣れた天井、見慣れた窓。
「また、あの夢か」
あの日の罪を思い返しながらミサエ サガラは身体を起こす。
あの爆発の後、グリフォンの焼死体だけが出てきた。
グリフォンの方は、魔法の矢とそれと連動して爆発する火炎球で即死。
ただ、背にいた筈の少年は、影も形も見当たらなかった。
その日、ミサエは事件の重要参考人として連行されたが、結果無罪となった。
が、その日限りで、ミサエは騎士であることを辞めた。
自分は何も出来なかったという罪と。
この国の騎士という存在に絶望したからだ。
後日、これからの事を考えるミサエの元に一通の手紙が届いた。
「ごめんなさい…か。
謝るのは私の方なのにね」
左手の人差し指に嵌められた指輪を見ながら呟く。
蒼い鉱石でできた、シンプルな形の、されど美しい指輪だ。
宛名は無かったが、あの少年の物で間違いは無く。
騎士を辞めた事を知っていたらしく、暫くの生活の足しにと遺跡から見つけたという指輪が添えられていた。
丁寧に、正確に鑑定し引き取ってくれる魔法道具屋の住所まで付けて。
「あれからもう9年か…」
あの事件での死亡者は、結局グリフォンの巣を襲った者だけ。
怪我人は何人かいたが、後遺症が残る程ではなかった。
つまり、結果として自業自得の者だけで、幸い被害は最小限に抑えられたという事だ。
だから、罪を償う相手は、あの少年だけ。
しかし、あの少年はあの時以来姿を見せず。
できる限り手を尽くしたが、見つかる事は無かった。
旅に出て探す事も考えたが、この街に留まる事を選んだ。
旅に出たら、この街から逃げる事になる様な気がしたからだ。
「さて、今日も働きますか」
気持ちを切り替え、カーテンを開けてベッドから抜け出す。
日はまだ昇ったばかりだが、ミサエ サガラの朝は早い。
「おはようございます」
「あらおはよう、ミサエちゃん」
ミサエがやって来たのは街の宿屋兼酒場。
ミサエの叔母が経営している店だ。
「朝食の仕込みお願いね」
「は〜い」
ミサエは、現在この店の従業員として働いている。
元々人手が足りなかった所に、ミサエが騎士を辞めて働く事になったのだ。
「そう言えば、昨日も遅くに彼がきてたねぇ」
「ええ、今回はしつこくって」
「そんな邪険にするもんじゃないと思うけどねぇ」
二人が話しているのは、ミサエ目的でやってくる客の一人だ。
間違いなく美人と称せるミサエは、この店の看板娘だ。
騎士を辞めたという点があったとしても、街の男達には関係の無い事。
言いよる男は多い。
「アンタももういい年なんだから結婚を考えないとダメだよ」
「はははは、善処しますよ」
既に女としては適齢期の半ばであるミサエに、叔母も結婚をよく勧める。
しかし、ミサエは結婚どころか、男と付き合う気すら見せなかった。
何故と、聞かれれば、その気が全く無いとしか応えない。
ただ、その時には必ず瞳に翳が映るのだった。
「じゃあ、よろしくね。
最近はお客さんも少なくなったけど、まだまだ部屋は一杯だから」
「はい」
仕入れなどの作業に店を出る叔母を見送り、一人厨房に立つミサエ。
早朝で、一階の食堂にも誰もおらず、外もまだ人通りは無い。
尤も、現状、昼になっても人通りが多いとは言えないのだが。
「はぁ…
戦争か…」
ミサエが結婚とかそう言う気になれない理由、それを言い訳程度に使えるものがある。
この国の現状。
戦争を始めようとしている事だ。
この国は、内陸で周囲の3方を他国に囲まれている。
そのどの国とも、関係は良好とはいっていなかった。
そんな中、去年、東の国が領土侵犯を起こしたと言う事で問題になった。
両国の関係は一気に悪化し、現在一触即発の状態となっている。
国境には兵が配備され、命令が下ればいつでも開戦可能な状態となっている。
「あの子が聞いたら、どう思うかしら」
ミサエは記憶の中の少年に問う。
だが、応えが返って来ることなどない。
解らないのだ、あの少年がどう応えるか。
人同士が殺し合うことにどんな事を想うのか。
ミサエは自覚があるくらいには、かの少年に心を奪われている。
それは、恋心とは言えないかもしれない。
だが、それでもミサエにとって、もう逢えないのだろう彼の存在は大きかった。
しかし、それでも、それほどかの少年の事を想いながらも、彼の想う事は解らなかった。
「解らないのよね、思考回路が人のそれとは絶対違う子だったし」
下手をすれば、異常者として扱われかねない彼の万物への想いは、ミサエの知る領域を遥かに越えていた。
少なくとも、森の動物達や魔獣グリフォンと会話を可能とし、皆から友と慕われていた子。
なんの特殊能力も無い筈なのに、凄く強い光を秘め、人を惹き付ける。
そして、才能も無い筈なのに、12という齢でグリフォンを抑える事が可能だった者。
そんな異常性を秘めながら、確かに人間である存在。
「結局、未練なのよね。
あの子が何なのか、サッパリ解らなかった事が。
…おっと、いけない」
ミサエは手を止めて一人呟いてる事を自覚し、仕事に集中する。
だが、仕事は仕事としてやりながらもやはり想う。
貴方なら、この戦争をどうするのだろう
それは、願いでもあったのかもしれない。
また何も出来ない自分ができる唯一の事だったが故に。
それから、一応平和な時間が過ぎ、昼前になろうとしていた。
「こんちは〜、今日も美人ですね〜ミサエさん」
「はいはい、いつものね。
ご苦労様。
はい、御代」
「くわっ! 営業スマイルと冷静な対応ありがとう〜」
騒がしく店にやって来たのはこの店の酒関連の仕入先の男だった。
最早お約束になりつつある挨拶を交わした後、男はテキパキと酒を運んでゆく。
「ああ、そうそう。
今日騎士の小隊が北東の森に行くのを見ましたよ」
「え?」
運びながらのいつもの世間話の筈だった。
だが、男の口から出たのは、今日も見た夢の内容に関わる事だ。
この街の北東の森は、嘗てグリフォンの巣があり、そこを調査に行った騎士達がグリフォンの卵を砕いた事でグリフォンの怒りを買い、街が襲われたのだから。
そして、最近また、その付近にグリフォンが住み着いたという噂がある。
「何もなければいいけどな」
「…流石に、学習能力はある筈だけどね」
当時の事件を知る男も、いつになく深刻な顔をする。
そして、ミサエはそう答えるだけで精一杯だった。
イヤな予感がした。
同じ事を繰り返さないと、そう信じたくても。
そんな理論的な事ではなく、今日夢を見たからではなく。
何かが起きようとしてると、そう思えるのだ。
そして、それから2時間後、それは来た。
ギャオオオゥンッ!!
昼を回り、穏やかな時間だった街の空に獣の咆哮が響き渡る。
まるで、夢の続きかの様な。
ある筈のない、過去の再現。
悪夢は繰り返された
「くっ! 何故!」
悪い予感から、昔使っていたグローブと剣を店に持ってきていたミサエは表に立った。
そこで繰り広げられているのは、やはり再現かの様な地獄絵図。
暴れ回るグリフォンと、逃げ惑う人々。
騎士隊の到着まではまだ時間が掛かる。
「あの子は、いないのに…」
呟いて、首を振る。
あの時失われたあの子を頼るなど。
今回が如何なる理由で暴れているのかは知らないが、この街で暴れている事には変わりない。
ならば、なんとしても止めなければ。
「…くっ!」
だが、どうする。
できるなら生け捕りにしたいが、そもそも今の鈍った身体で勝てるかどうかすら危うい。
アレから一応剣は捨てず、鈍らない程度には鍛えてはいたが、最後に実戦に出たのはもう何年も前の事か。
グローブを嵌めた手に剣は馴染むし、剣技自体も衰えてはいないだろう。
しかし戦闘となれば9年前よりも弱くなっているのは確実だ。
でも、せめて足止めだけでも
そう想い、剣を持つ手に力を込め、暴れるグリフォンと対峙する。
だが、そこで動くものがあった。
ミサエの横を通り過ぎる黒い影。
「やれやれ、またか。
学習能力が欠如しているらしいな、この国も、魔獣も」
そう呟きながら、まるでグリフォンが見えていないかの様に歩いていく。
黒髪に黒いマントを羽織った男だ。
「え、ちょっ…」
ミサエは制止しようとするが、その男の背中を見送るだけだった。
見れば、その背にはとても人が扱う物とは思えない大剣が背負われていた。
何せ男の身長ほどもあり、幅は普通の剣の3倍は軽くあるだろう。
そんな物を鎖で背負っている。
いや、その鎖は大剣本体に繋がれていた。
その異様な姿故か、ミサエの動きは男を見送る形で止まってしまっていた。
そして、ただ見ているだけだった。
その男の動きを。
「ギャオオオゥンッ!!」
男の存在に気付いたグリフォンは吼え、男に向かう。
グリフォンが選んだ行動は突進。
その巨体を活かした最も単純で、最も有効な攻撃。
嘗て、あの少年ではどうにも止める事ができなかった攻撃だ。
それを、男は正面から立ち向かった。
その背に背負った大剣を抜き放ち、付属されていた鎖を走らせる。
ジャリィィィィィンッ!!
まるで生きているかの様に走る鎖は、一瞬の内に網へと変わる。
そして、それは正面から突っ込んでくるグリフォンを捕らえ。
「ギャオゥンッ!!
ギャオオオゥンッ!!」
ザシュンッ!
地面に突き刺させられた大剣を楔とし、拘束は完成した。
全長5mを越える巨体を一本の鎖と、一本の大剣で捕らえてしまったのだ。
嘗て、あの少年では成し得なかった事だ。
「ふぅ…」
一息吐いて男はグリフォンに背を向けた。
それは同時にミサエの方向を向いたと言う事で、ミサエはそこで男の顔を。
―――いや、その瞳を見た。
その、吸い込まれそうなくらい深く、澄んだ蒼い瞳を
「あ…」
あれから9年という長い月日が経過している。
当時12歳だった少年からの9年だ、外見など面影が見て取れるかも怪しい。
だが、その瞳だけは忘れる筈が無い。
その蒼い瞳だけは。
だから、迷う事無くその名を呼べる。
「ユウ…」
筈だった。
「闇に沈め」
その少年だった男が次に発したのは、まるで堕ちていくかの様な暗い声。
そして、その声を合図に、それは起きた。
ゴウゥンッ
グリフォンを中心に、その地面に出現する闇。
更には、
グワンッ!
そこから伸びる爪か、腕の様なもの。
「ギャオゥンッ!!
ギャオオオゥンッ!!」
そして、それらは拘束され、動けなくなっていたグリフォンを―――飲み込んだ。
グシャッン!
闇の中で何かが潰れた音が響くと。
後には何も、残らなかった。
魔獣グリフォンが闇に飲まれて、消えたのだ。
「イチ…」
その在り得ざる。
そう、あの少年だった者としては決して在りえない筈の光景に、ミサエは動く事ができなかった。
ただ、かの少年の名を呼びかけるだけで、何も。
「ふぅ…コトリ」
ジャリィンッ
男は、どうやってか、手元に戻っていた大剣を背負い直すと、ミサエの後方にいる人物に声を掛ける。
ミサエなど、まるで目に入っていない様だった。
いや、事実、彼にとって、そこにいるミサエなど、意味はなかったのだろうか。
「…」
ジャランッ
男の呼びかけで、動けないミサエの横を通り、姿を現したのは長い黒髪を靡かせた少女だった。
白い肌に漆黒のドレスの様なものを身に纏った美しい少女。
ただ、その両手と両足に黒い枷を着け、鎖の音を響かせ。
更には黒い目隠しをされて、黒い首輪を着けていた。
そんな異様な姿の少女。
「行くぞ」
「…」
男の言葉に少女は何も表情を見せず、言葉を発する事もなかった。
ただ、淡々と…心など無いかの様に。
そう、ただの人形の様に男に従いついて歩くだけだった。
そして、二人は城の方へと消えていく。
魔獣グリフォンの爪あとが残る、されど魔獣グリフォンのいなくなったこの場所から。
(どう…して…)
もう見えなくなったあの少年の背を見つめ、ミサエは一人、佇んでいた。
昼を回った空の下、街の中央通を歩く男女の姿があった。
異様に目立つ一組の男女が。
男は、黒髪に蒼い瞳、漆黒のマントを羽織り、その身体と同じ大きさの大剣を背負っていた。
その装いだけでも十分異様であるが、その男が纏っている雰囲気が、また異常だった。
聖職者や、高位の魔導士ならば、闇を幻視してしまうくらい黒い何かを背負っていた。
そして、女性の方は、黒い長い美しい髪を靡かせ、白い肌と対照的な黒いドレスの様な装い。
それだけだったならば、美少女として評せるが、彼女が身につけているものは異常なものだった。
その両目を覆う黒い目隠し、首を飾る漆黒の首輪、両手を繋ぐ手枷、両足を繋ぐ足枷。
動くたびに鎖の音を響かせながらも、それ以外の音を発する事は無く。
また、何かを表現する色をその顔に浮かべる事は無い。
そんな二人組みである。
目立つのは当然の事。
だが、今は目立つ理由がもう一つあった。
つい先ほどまで、この街の広場では魔獣グリフォンが暴れていたのだ。
魔獣グリフォンと言えば、騎士の中隊くらいでもなければ勝てぬ上級の魔獣である。
幸い街で死者は出ていない様であるが、危うく大惨事になりかねない所であった。
それを、その魔獣をたった一人で倒した者であれば、街の人が注目しない筈は無い。
ただ、本来ならば感謝される筈の事であるが、二人の異様さ故に、誰も近づけずにいた。
だがそこで、騎士団が男女の正面に現れる。
恐らくはグリフォン討伐の為に出てきたのだろう、重武装の騎士達だ。
そして、先頭に立つ男、恐らく隊長が一歩前へ出て男女と対峙する。
「広場に現れたグリフォンを倒したというのは、貴方達で間違いないか?」
どうやら、もうグリフォンがどうなったかの情報は持っている様だ。
しかし、この騎士も、男女を見てとても好意的とは思えなかった。
それは本来なら自分達が倒す筈のグリフォンを余所者に倒された為か。
それとも、やはりこの男女の見た目からか。
いや、それよりも、正確な情報を得て、男が使った力の異様さを警戒しているのか。
「ああ、そうだ」
男は無表情のまま応える。
相手の事も、グリフォンの事も何も感じていないかの様に。
「今回の件に関して話がある、ご同行願いたい」
一応、街を救ってくれた相手であるからか。
それとも、この男が元々礼儀正しいのかは解らない。
だが、この怪しい二人に対し、連行ではなく、同行を願った。
言葉上だけであれ、そこに強制は無く、対応としては上々だろう。
「ああ、構わない。
こちらとしても、この国に用があるからな。
できれば国王と話ができると良いのだが」
国王との面会などと言う事を、何の感情も見せずに言う男。
確かに、今回の事件を考えれば国王からの賛辞があっても良いだろうが。
しかし、今は戦争が起きようとしている状態である。
暗殺や工作員には厳戒態勢を敷いている筈だ。
「そこまでは私では解らぬ。
ともかく、城までよろしいか?」
「ああ」
騎士団に連れられ、城へと向かう男女。
そんなやり取りの間も、少女は言葉を発するどころか、何の反応も見せないのだった。
それから、その男女は城でまず事情聴取を受ける事になる。
まず、男女は傭兵の仕事をしながら旅をする者である事を語った。
ここには戦争が起きるという状況であり、仕事があありそうだから訪れた。
そして、その実力は先にグリフォンとの戦いで示した。
しかし、グリフォンに止めを刺した術に関しては、詳細を語らなかった。
自分の持ち技の秘密を自ら明かす程強くは無いとして。
最後に、本来なら最初に語るべき事を述べる。
「俺の名前はユウイチ。
そして、コイツはコトリだ。
俺の所有物だ、俺が背負っている剣と同様の扱いで結構だ」
己の名を名乗り、連れの名を告げる。
無表情で感情を見せなくとも、己がここに在ると示す様に。
だが、少女の方はやはり、何の反応も無かった。
男の紹介を聞いている筈なのに、それでも。
そして、事情聴取が終了して数分後。
「国王がお呼びだ」
騎士団の隊長が二人に告げる。
やや先ほどよりも強く二人に対して警戒しながら。
それも当然だろう。
今のこの状況で、国王がこんな怪しい二人と面会するなど、危険極まりない事だ。
よほどの愚か者か、それとも自分を護る者達に絶対の信頼があるかのどちらかだろう。
それから更に数分後、ユウイチと名乗った男と、コトリと呼ばれた少女は謁見の間にいた。
「この度は、こちらの不手際で暴れさせてしまったグリフォンを倒し、街を護って貰った事にまず礼を言おう」
二人の前の王座に鎮座するのは、年老いた国王だ。
この国の王、コウムラ王はユウイチに礼を述べた。
自国の失敗まで晒して。
先の事件は、戦争の準備として兵が幾度もグリフォンの住まう森を踏み荒らしのが原因だった。
この国で起きた9年前の事件から、グリフォン関する情報はきっちり集めていた筈なのに。
戦争という状況の中で、それが疎かになったのだ。
「いえ、私にとってはあの程度、軽い運動に過ぎません故に」
王の賛辞に対し、謙遜の様でいて、自分の売り込みを行うユウイチ。
―――いや、これは確かにそう言う意味を持っていたとしても、彼にとっては純然たる事実を述べたに過ぎない。
事実として、彼は汗一つかくことなく、グリフォンを無傷で倒してしまったのだから。
「ふむ、そうか。
ときに、お主は傭兵であったな。
そして、この国に仕事を探しに来たと」
「その通りでございます」
王の問いに対し、礼儀を通して返すユウイチ。
しかし、そこには願いどおりの展開になったことへの喜びの感情すらない。
相変わらずの無表情、無感動であった。
「では、お主を雇おう」
「陛下! この様な怪しい輩を雇うというのですか!」
王の言葉の直後、叫ぶ様にして意を述べたのは王の隣に立っていた軍務に携わる貴族。
初老の体格のいい、男だった。
恐らくは、騎士の家系であり、貴族としてそれなりの位を持っているのだろう。
「外見が怪しいかは問題ではあるまい。
実力は既に示されている。
それに、自ら『傭兵』を名乗るのだ、契約がどれほど重大なことか理解しておろう」
王に意見した貴族をやんわりと宥めながら、ユウイチに問う。
一度契約を交わした傭兵が、それを破ると言う事が如何なる行為であるか、それを知った上かを。
「勿論であります」
傭兵に限らず、世界にとって『契約』というのは絶対と言って良い。
それは雇われる側だけでなく、雇う側も同じ事。
もし、どちらかが契約内容に違反をした場合、全世界を敵にまわすと言っても過言ではない。
それが一国の王であっても変わる事は無い。
それくらい『契約』とは重要なものなのだ。
それは当然である事として在る様に。
「では、とりあえず半年の契約を。
契約書は君が書き上げなさい、それから私が契約しよう」
先に意見を述べた貴族に対し、代わりとして契約内容の決定という任を与える王。
それで、全てを収め様というのだろう。
しかし、まだ先の貴族は収まっていなかった。
「…解りました。
ですが、その前に。
先のグリフォン、この者が仕組んだ者では無いという証拠が欲しいのです」
貴族の言い分もまた当然と言えることであった。
なにせこの状況である、全て演技で、内部に潜入しようとしているスパイかもしれない。
「ふむ、よかろう。
よろしいかな? ユウイチ」
「ええ、構いません」
元より想定していた事態。
ユウイチはやはり何の感情も見せない。
「では、トモヨ君、すまないが少々頼めるかな?」
「御意」
王の言葉で前に出てきたのは一人の少女だった。
黒くも見える銀色の長い髪を靡かせた、蒼い瞳の美しい少女だ。
しかし、その身に纏うのは、この国の王の近衛兵長にのみ許される魔法鎧。
そして、腰に帯びるのは騎士団長クラスが使う魔法剣。
上品な物腰でありながら、隙の無い動きでユウイチの前に立つ。
「王よ、この場で行うのですか?」
「そうだ。
準備なら、できておろう?」
貴族の問いに、当然と答える王。
ここ謁見の間は、戦時下と言う事もあり警戒は強化されている。
謁見があると言うだけで結界魔導士が待機しているのだ。
既に王や貴族の周囲には結界が張られ、ユウイチとトモヨと呼ばれた少女を囲む様な結界も展開されている。
「コトリ、持って下がっていろ」
ユウイチは、鎖付きの大剣を外し、後ろに控えていたコトリに渡し、数歩下がらせる。
そして、トモヨと対峙する。
実力を示す為とは言え、見世物として戦う為に。
「準備は良いか?」
「いつでも」
トモヨの問いに、やはり無表情無感動で応えるユウイチ。
主武装だろう大剣を外し、何の武器も持たない状態でである。
「武器も持たずにか?」
「既に俺は戦闘開始を承諾している。
これは騎士同士の試合ではあるまい? 騎士殿」
「そうだな…では」
シュッ!
鞘から剣を抜き放ち、右手のみで剣を持ち刺突の構えをとるトモヨ。
そして、次の瞬間。
「行くぞ!」
キィィンッ!
魔法が展開した。
剣を抜き放ち、構えるのと同時に、剣に光輝き、力を持つ。
抜剣して構えるまでの時間は1秒もかからなかったというのにだ。
それは魔法剣だから、その剣が持っている力、と言う訳ではない。
その魔法剣は、トモヨの魔法を纏う為の剣であった。
更に、
タンッ!
魔法展開と同時に床を蹴る音が響いた。
一回だけ。
それだけで――――既にトモヨは、自らの間合いまでユウイチに接近していた。
対峙した時点では10mはあった互いの距離が既に1mまで迫っているのだ。
「ハァッ!」
そのまま射殺さんと刺突が来る。
一般の兵士なら、何が起こったかも解らないまま、心臓を串刺しにされているだろう。
更には、纏っているその魔法により心臓は完全に破壊され、蘇生すら不可能となるだろう。
しかし、
パシッ!
男は刺突の内側に居た。
剣は男の左の脇腹を掠めただけであり、更には、トモヨの腕は男の左手で抑えられていた。
完全に見切られたのだ。
ユウイチはトモヨが動くと同時に一歩斜め前にでていた。
それで、トモヨの間合いの内側に入り剣を躱し、腕を押さえたのだ。
トモヨが跳ぶ前触れなど、何もなかった筈なのに。
兎も角、それでトモヨの初撃は止まった。
かに見えた。
だが、彼女はそもそも剣を右手でしか持っていなかった。
「サンダー…ッ!」
右手の剣が止められた瞬間、左手に構築していた魔法が姿を現す。
剣の魔法に隠れて、認識しにくかった雷撃魔法だ。
そして、左手に乗ったまま、雷撃を纏った拳としてユウイチに放たれる。
しかし、
フッ!
それよりも早く動いているものがあった。
ユウイチの手刀だ。
それも、トモヨの首目掛け、喉笛を突き破らんとする刺突。
現時点で、そんな攻撃が既に迫っていると言う事は、トモヨの行動を先読みした上でしか在り得ない。
だが、現実として今それは起きている。
「くっ!」
ヒュッ!
仕方なく、トモヨは攻撃を中断し、掴まれている腕を軸に手刀を躱す。
そして、未完成の雷撃の込められた腕で拘束している腕を払うと、更にその場から蹴りを放ち、相手を離れさせる。
ダンッ!
離れたトモヨは一度バックステップで距離を取った。
それから、構えなおし、次の攻撃に移らんとする。
だが、そこで、
「そこまで」
王の言葉が響いた。
静かで穏やかに見えて、力のある言葉が。
「それまでじゃ。
これで、十分であろう?」
「…はい」
先に意見した貴族はまだ渋々という感じではあるが認めざる得ない。
少なくとも、若いとはいえ王の側近を任せられている近衛兵長と対等であったのだから。
「では、契約書は明日までに用意する。
それまでは休んでくれたまえ」
「承知しました。
では」
王の言葉を聞いたユウイチはその場から立ち去ろうとする。
コトリから大剣を受け取り、背負いなおして。
それから、直ぐに扉へと移動した。
そして、扉を開け、ここから出ようとしたその時だった。
「…」
視線が向けられた。
戦った相手、近衛魔法剣士のトモヨ サカガミに。
ユウイチの視線が。
「…?」
僅か一瞬の事ではあったが、その視線にトモヨは気付いた。
そして、どうしてだろうか。
その時の男は、笑っている様に見えた。
バタンッ
扉が閉じ、ユウイチは立ち去った。
だが、最後のユウイチの視線が、トモヨの心には残ったままだった。
それが、どんな感情なのか、まだトモヨは知らない。
ただ、何かを忘れている、そんな気がした。
謁見の間から出た後、ユウイチとコトリは部屋を与えられた。
一部屋のみを。
「これは俺の備品だ、部屋を用意されても俺が手間なだけだ」
と、ユウイチが望んだ故に。
そうして、城の一部屋に二人が居る。
二人でいながら、何も話すことは無く、男はただ窓から街を眺め、女はベッドに腰掛けて動かない。
窓の外の空は、もう日が沈みかけていた。
「…コトリ」
ふと、ユウイチは少女の名を呼ぶ。
「…」
少女はそれに反応して顔をユウイチに向ける。
だが、それだけ。
やはり言葉どころか、表情すら変えることは無い。
「…行くぞ」
「…」
何を思ったか、ユウイチはコトリを連れ部屋を出た。
そして城の入り口まで来て外出を告げて外に出た。
一応スパイ容疑は完全に晴れていない為、外出の際は尾行がつく筈であった。
だが、出る前のユウイチの発言によりそれは無くなった。
「必要な物をそろえるだけだ。
武具の類は人任せにできんだろう?
第一、スパイとして何か外と連絡があるならば、窓があるだけで十分だ。
わざわざ外に出る必要は無い。
そう言う意味では俺をこの城に入れた時点でお前達の負けだ」
尾行しようとしているのがバレていた上、この言葉を聞けば、とりあえず引き下がるしかなかった。
急であった為、まだそう言う技能を持った者を用意できていなかったのもあるだろう。
それに、まだ城の見取り図やその他の情報を得られてはいない筈。
などの理由が重なり、この日、ユウイチに尾行は無かった。
だが、街を歩いているとユウイチを尾行する者がいた。
城の者以外にだ。
だた、その者に殺意は無く、また敵意も無かった。
そう言ったものを発さないプロかといえば、違う。
つけ方が素人なのだ。
そして何より、その気配をユウイチは知っていた。
尾行され始めてから暫くして、ユウイチとコトリは人ごみに紛れつつ裏路地に入った。
尾行する相手も少し慌ててユウイチ達を追う。
それからユウイチが向かうのは人気の全くない居場所。
裏路地の廃屋へと入っていった。
理由は、その尾行者と対面する為だ。
「俺に何か御用でも?」
背を向けたままユウイチは問う。
ユウイチの意図を察し、もう隠れる事の無い尾行者へ。
日は沈み、光りの無い廃屋に3人目の人物が現れる。
「ええ」
声は女性の声。
そしてユウイチが振り向けば、そこには若い女性が立っていた。
蒼い髪をアップにした、金色の瞳の女性。
ミサエ サガラ。
昼間のグリフォンの時のままなのか、剣は持っていないがグローブは着けたままの格好だった。
「…」
「…」
対峙した二人は暫し見詰め合った。
窓から差す月の光だけの暗闇の中、ただ互いの蒼い瞳と金色の瞳を。
ユウイチは知っている。
9年前のミサエ サガラという人物を。
ミサエは知っている。
9年前のユウイチという人物を。
だから、ミサエは問うのだ。
既に此処に居るのは、あのユウイチであると解っているから。
だからこそ、
「何があったの? 貴方に。
この9年間で」
元より理解したとはいえない子ではあったが、それでも変わってしまったと言える。
ならば、あの最後からの9年という時間で何があったのか。
その中で、あの事件が原因になっているのか。
それが、知りたかった。
「何が、と聞かれれば―――人が変わるくらいにはいろいろと、とお答えしましょう」
何の感情も篭っていない返答。
この再会にも、9年間の時間にも。
「そう…」
堪えていた想いが溢れ出す。
瞳に涙となって現れる程に。
失われたあの笑顔に。
9年という知らぬ月日に。
あの時も、今も何もできぬ自分に。
だが、そんな想いも次の言葉で一度消えてしまう。
それくらいの言葉だった。
「しかし、まさか貴方がまだこの街に居たとは。
俺を知る者がいては、今後行動の邪魔になる。
―――コトリ」
「…」
やはり何の感情も見えぬまま、連れの少女の名を呼ぶ。
無言のまま、ユウイチのそばに佇む彼女の名を。
「…ユウイチ」
ミサエに抵抗は無い。
何をされるかも知らないが、それでも。
「全てを忘れていろ」
ユウイチがそう言葉を発したその時だ。
ァァァァァァァ
声の様なものが響いた。
ミサエの頭に直接。
「うっ、ああああああああああっ!」
その声によって、ミサエは頭を押さえて苦しんだ。
苦痛という感覚ではない。
それは、どう表現すればよいだろうか。
ァァァァァァァァァ
見れば、コトリと呼ばれた少女は口を開き、こちらに意識を向けている様だった。
声も恐らく女性のもの。
頭に直接叩き込まれている上にこの状況では考える余裕は無い。
だが、それは彼女が奏でる歌の様だとも思える。
黒の少女が歌う、破滅の詩
破壊されるのは何だろう。
肉体ではない、これは肉体的な苦痛ではない。
そもそも苦痛とも違う。
だが、ミサエは苦しんだ。
失われゆく何かに。
ミサエの頭の走馬灯の様に流れるあの少年の記憶
そうだ、これは心が―――いや、思い出が砕かれているのだ。
「ユウ…イチ…」
粉々に砕け、消えてゆくあの少年との僅かな日々。
そして、最後に見た笑顔が崩れようとしていた。
それを何とか繋ぎ止めようとするが、抵抗すれば心までも砕ける様であった。
それでもと、しがみつきながら、ミサエの意識は闇に落ち行く。
そして、ミサエの意識は完全に闇に沈んだ。
「何故、まだこの街にいたのですか」
最後に、成長したあの少年が悲しげに呟いているのを聞きながら。
「う…」
目に入る月の光でミサエは目覚めた。
「ここは…」
周囲を見渡せば廃屋だった。
ユウイチと対峙した廃屋だ。
時間は…3時間程が経過した頃だろうか。
「ユウイチ…」
周囲を見渡しても誰も無い。
ユウイチと連れの少女は立ち去った後だろう。
「ユウイチ? え?」
と、そこでミサエは思い出す。
ユウイチに最後何をされたか。
同時に疑問に思う。
何故ユウイチの名前が自然にでてくるのか。
「あ…」
ミサエは思い出して左手のグローブを取る。
そして、月の光に翳すのは人差し指に嵌められた蒼の指輪。
9年前、彼から贈られたものだった。
効果は―――心の安寧
精神操作などを受けると、正常な状態に戻してくるというものだった。
だから一度破壊された記憶までも、元通りに戻されたのだろう。
だが、ミサエの記憶が確かならば、アレは完全に破壊されたのだ。
事前に身につけていたからこそとは言え、それを完璧に復元するなど、どんな神秘か。
「遺跡からの発掘品とはいっていたけど…これほどとはね…」
ミサエはこの指輪の効果を簡単に聞いただけだった。
売るつもり全く無く、ただ消費してしまうものかどうかだけを確かめ、ずっと身につけていたのだ。
いつか、あの少年に返す為に。
売れば、暫くの生活資金どころか、一生食べるのには困らないくらいのお金になるというのに。
「ユウイチ…
私は、今からでも何かできるのかな?」
彼が犯した彼らしくないミスのお陰で残された思い出。
その意味を想い、ミサエは決意する。
もう、何も出来ない自分ではなくなる決意を。
ただ一人、月を見上げ、指輪を握り、絶対に無くさぬ様に
そして、ミサエは立ち上がった
その想いを現実とする為に