過ぎ去りし夢の跡
プロローグ
あれからどれくらいの時間がたっただろうか
磨き上げた力を初めて発揮させたとき
自分の限界を知らなかった時
今行く道を決めた時
あの、時から―――
…イチ
ユウ…チ
声が聞こえる。
名を呼ぶ声が。
少年の名を呼ぶ女性の声が。
「起きなさい。
もう時間よ」
殆ど耳元といっていい距離で聞こえた女性の声に、少年は目を覚ました。
目を開けると、飛び込んでくるのは、少し怒った女性の顔。
この3年間で見慣れた師の顔だった。
「あ…おはようございます、
少年は、とりあえず挨拶の言葉を口にする。
何故眠っていたのか、何故師が怒っているのか、まだ思い出せない。
記憶を遡り、少し思い出す。
今は旅の途中。
修行は終わり、実際今の力で何ができるかを試す為。
―――いや、少年が想う事を実現させる為の旅だ。
そして、ローランドという国に向かっている途中。
昨晩は野宿した。
結界は張っているが、見張りは立てておくのは当然の事。
だから、師と交代で仮眠をとっていた。
「あ、すみません、熟睡してしまいました」
そんな事を思い出すのに時間が掛かるほどに熟睡していたらしい。
師の修行を生き抜いた自分としてはあってはならない事の筈。
寝ている時ほど無防備な時はないのだから。
そのコントロールくらいできる筈だった。
『最後にまともに寝たのはいつだ?
いい加減限界もあろう。
まあ、これからと言う時の前であって良いではないか』
頭に直接声が響いた。
少年の中から聞こえてくる声だ。
「ああ、そうかもね。
ありがとう、シグルド」
声の主であり、少年の友もいるので、基本的に少年が完全無防備になることは無い。
何かあれば友が呼び起こしてくれる筈だ。
それに甘えた訳ではないが、結果的に友のお陰で眠る事ができた。
「もう、油断しちゃダメよ」
「はい、申し訳ありません」
何の取り得も無い少年を弟子として、鍛えてくれた師。
その恩に報いる為にも、少年は当分死ぬ訳には行かない。
『だが、たまには頼って少し眠れよ。
お主はあくまで人間なのだからな』
「ああ、解ってるって。
ありがとう」
少年は自分が如何に恵まれているかを感謝する。
そして、失敗を反省し、これからは気を引き締めようと気を入れななおすのだった。
「さて、それはもういいとして。
そろそろ最後の準備をするわよ」
「はい」
目的地まで後数時間という距離。
このまま歩けば昼前には到着するだろう。
だから、ここで最後の調整を行う。
これから向かう街を出発点として行う事。
どう言う風に行うかはまだ決まっていない、だが、どちらにしろ大事になるだろう。
だから、二人は姿を変え、名前を変える。
これから世界中で同じ様な事をしていくはずだから。
「
ふと、準備をしている師を見ると、何の魔法か、既に見慣れた師の姿は無く。
そこには輝く銀髪をポニーテイルにした美女がいた。
「ええ。
貴方は兎も角、私にはいろいろあるのよ」
「そうですか。
普段のロングウェーブの蒼髪も綺麗ですけど、それも素敵です」
無垢な笑みを浮かべながら師の美貌を純粋に誉める少年。
ただ、素直に想った気持ちを口にしただけの言葉だ。
だが、師は少しそんな少年を考えてしまう。
「ん〜…こっちは天然だったものね。
修正しとくべきかしら…」
今は年齢的に問題なくとも、将来を考えるとどうだろうか、と。
師は、少年の師として、悩む所であった。
「何がですか?」
「なんでもないわよ、ファブニール」
「はい、ブリュンヒルデ先生」
確認の意味もこめて、二人は今回使う偽名を呼び合う。
昨日から何度も繰り返し、自然に呼び合える様にしたもの。
しかし、明らかな偽名であり、名乗れば間違えなく不信をかうだろう。
だが、それでもと、少年が想い、提案した名前だった。
「ところで
そう言う魔法があるなら、どうして普段からしていないのですか?」
ふと、思い出し、少年は問う。
今確かめた互いの呼び名を戻してまで。
今しがた、振り向くのにかかる時間程で師は髪の色から質まで変えてしまった。
この後解る事だが、それは自分で解くまで持続されるものだ。
そんな事ができるのに、何故自分が理想とする髪にしてしまわないのか、疑問になる。
「普段の髪を好きだと言ってくれる人がいるからよ」
「では、何故ストレートの髪に憧れるのですか?」
「女だからよ」
「なるほど。
女心は複雑なのですね。
じゃあ、
「当然よ」
笑みを浮かべる師は、夢みる少女に見える。
年齢不詳で、表情や仕草によっては15〜30までの年齢に見えてしまう人。
今は髪型がポニーテイルで20程度に見え、仕草によっては更に若く見えるだろう。
これだけ髪型を変え、仕草を少しでも変えれば、もう別人だ。
「俺の外見はいいのでしょうか?」
師の変装は完璧と言っていい。
だが、少年の方は偽名を使う以外は普段通りだ。
「貴方は、まだ13の子供だからね。
変えるまでも無く、これから変わっていくからいいのよ」
「そうですか」
昨日もした会話であるが、確認の為にもう一度する二人。
全てに抜かりが無い様に。
そんな会話を交えながら、二人は準備を終える。
己の身長よりも長く、大きな大剣を背負った軽装の少年。
銀髪のポニーテイルを揺らした、木の杖を持った魔導士風の美女。
そんな組み合わせの二人組みになった。
「それじゃ、いきましょう」
「はい、先生」
そうして、二人は歩き出す。
目的の場所へ。
これからの舞台へ。
向かう先の名前はローランド王国。
その国の大きな港町、ネーデル。
全てはそこから始まる
この国は確実に堕落していた。
一部の特権階級が無駄に豪勢な生活をし、一般市民は飢えに苦しんでいた。
幾つかの村は既に滅び、人買いが横行する様になっている。
その影響は、ローランド王国の財政を支えている筈の貿易港ネーデルにも出ている。
旅人が、それを一目で気づいてしまうくらいに。
少年ファブニールと、その師ブリュンヒルデが街に到着した時、二人にもそれは解った。
そう、街に到着した時点でだ。
「なんて…活気の無い」
正門から中央通が見えるが、そこを通る人はまばらで、商店も点々とあるだけ。
そして、道を歩く人を見れば、明るさというものがなかった。
まるで、希望という言葉を忘れ、全てを諦めたかの様な、そんな目をしていた。
「完全に末期ね。
貴方の初陣としては厳しいかもしれないわ」
情報としては知っていたが、目の当たりにしてその酷さを痛感する師。
普段は大抵の困難など笑い飛ばす人であるのに、今は笑みを浮かべていない。
「とりあえず、私は宿を探してくるわ。
貴方は情報収集をよろしく。
正午に広場の噴水で」
「了解です、先生」
「まだあんまり目立った事は控えてね」
「解ってますよ」
軽い感じで会話を交わし、二人は別行動をとる。
これから暫く拠点となる―――いや、拠点とできる場所を探す師。
情報は既に集めてあるが、現地での最新情報を回収する少年。
少年はその外見故に集められるものを集める事になる。
『さて…そういえばまともな街も久しぶりか。
今回はこんな街だけど悪いね』
街を歩き始めて、少年は心に声を響かせる。
少年の内に居る友にむかって。
『気にするな、これも主の行く道であろう』
『ああ』
いろいろな所に行って、いろいろな人を見ようと誘った友。
だが、少年が行く先は基本的に寂れた場所になるだろう。
今後も。
だが、そこで少年達を成すことこそ、友は見たいと思っていた。
「さって、じゃあ聞き込みっと。
あ、ねぇおじさ〜ん」
少年は、近くで野菜を売っている痩せた年配の男に声をかける。
無邪気な少年の装いで。
多少、言い渡されている役割を演じてはいても、これのほぼ全ては素の少年である。
元より少年が持っていた一種の『親しみやすさ』と言える瞳、顔、話し方、仕草。
その全てをもって、少年はよく人を惹きつけた。
少年のその能力は、例え、少年がその身体よりも大きな剣を背負い、異様さを持っていても。
服の下に魔導刻印が見え隠れしていても。
少年の忌避する理由にはならない程だ。
少年はその能力を自覚していない。
ただ、師に教わった話術故だと思い、フルに利用して街の人から話を聞く。
聞く話は流れによって変えるが、主に物流、人の流れ、今の想い。
子供相手故の無警戒で離してくれる事が多いが、その分子供相手故に湾曲して答えられる事も多い。
少年は情報の一人一人から言葉と共に、その時得られた全ての情報。
例えば目線、声の重さ、感情などから、言葉の裏にある情報までも引き出し、蓄積させる。
(大丈夫だね。
まだ完全には死んでない。
それに…)
少年は話を聞いて、まだ街の人達がこの状況を諦めきっていない事を知る。
なんとかできるなら、その希望が見つかれば、それに力を注ぐだろうと。
そして、もう一つ。
まったく別次元の人もいる事が解った。
少年が見ているのは街を行く一人の商人―――を装った剣士だ。
上手く変装しているが、筋肉の付き方、歩き方、そして目。
それらが明らかにこの街の普通の人々とは別ものだった。
(情報通り居る様だな)
(そうだな、味方になるか、それとも敵になるかはまだ解らないけど)
商人を装う剣士の横を通り過ぎながら、少年は友と話す。
少しだけ楽しそうに。
今後の動きが、どなるか、どうすれば良くできるかを考えながら。
それから2時間程経過し、時間は正午になろうとしていた。
少年はやや早いが、広場の噴水前に来ていた。
街の憩いの場であった筈の場所に。
本来ならこの時間、人が行き交い、露店などが並んでいる筈の場所。
しかし、通る人すら僅かな寂しい場所である。
噴水も、今は
水は少なくとも1年以上出していない様だ。
(この噴水が噴水として再び機能した時が、きっとこの街にとって…)
少年は少しだけ未来を夢見て、そして直ぐに止める。
明るい未来を夢描くのにはまだ早すぎるから。
まだ、この街が今後どうなるか方向性すら決まっていないのだから。
(先生少し遅いな…先生の方は見つかったかな)
少年の師は主にこの街に在るというある組織の拠点を探している。
少年もそれとなく探してはみたが、それらしい情報はなかった。
その組織が在ると裏付けられそうな人とすれ違ったのがせいぜいだ。
そう、先ほどすれ違った商人を装った男…
(まあ、見つからなかったら、向こうに見つけてもらうというのも手だけど…)
ガシャンッ!
「ん?」
少し離れた場所から物が壊れる音がした。
それは、木製の何かが叩き壊された音が。
続いて悲鳴と喚き声、さらには獣の鳴き声もする。
「ふむ」
音だけで、大体の状況を予測した少年は即座にその方向へと歩く。
音による情報を更に収集しながら、背中の大剣の封は外す準備もしておく。
『あまり目立つのは避けたいのだがな』
『でも見過ごすなんてできないよ』
友の一応の忠告に正直な気持ちを返す少年。
友も解ってい言っている。
この状況を、困っている人を見捨て、理不尽な暴力の自由を許すなど。
そんな事、少年ができる筈はないのだ。
貿易港ネーデルの中央付近に建つ教会。
水の女神を奉る神の家にして、現在辛うじて孤児院として機能できるこの国で数少ない場所。
そこが今、理不尽と獣の暴力によって踏みにじられようとしていた。
ガシャンッ!
「オオオオオオオオオッ!!」
礼拝堂に並ぶ椅子を破壊するのは蒼い毛に覆われた人型の狼、ワーウルフ。
いわゆる獣人系で、狼と人の間にある様な存在だ。
知性がやや人より劣るものの、人の器用さと獣の力を持つ。
単純な戦闘力なら人間よりも高い種族だ。
「お止めください!
神の御前ですぞ!」
叫ぶのは年老いた神父。
そして、叫ぶ先は暴れるワーウルフではなく、その後ろで品の欠片も無い顔をした、騎士の鎧を纏った男にだ。
「何が神だ。
税金も払えぬ輩が神など笑わせるな」
騎士の鎧を纏った男はそう言って笑い。
付き添う部下らしき男も笑う。
その笑い方はもう、人を見下したチンピラのソレであり、間違っても騎士がする笑い方ではない。
「税金ですと。
あの法外に値上がりした徴収、一体何の為に必要だと言うのです。
ここにはそんな大金はありませぬ」
「うっせぇよ、坊主が。
お前が知る必要は無い。
それに、金ならお前が余計に背負ってる分を捨てれば出てくるだろ」
騎士はそう言って神父の背後を見る。
神父の背後で怯える子供達を。
ただ一人、その中で最年長であるが故か、12,3程の少女が他の幼い子供達を庇いながら騎士と神父を見ていた。
かざされる理不尽と、吹き荒れる暴力の中でも尚、真っ直ぐな瞳で。
「親を失った子供達ですぞ。
神の家で保護するの事が間違えだとでも言うのですか」
騎士の言いに強く反論する神父。
眼前に迫る暴力に屈する事無く。
「そう言うのは金を払ってから言えってんだよ。
おい、やれ」
そして、ローブを着た魔導士風の男にもっとやれという指示を手で出す。
それに応え、魔導士風の男は手に持った黒い水晶に念を送る。
「オオオオオオオオオッ!!」
すると、暴れていたワーウルフは更に獣じみた動きで暴れ出す。
人より劣るとはいえ知性を持ったワーウルフとしては、暴走といっていい動きだ。
見れば、目も正気とは思えない。
いや、実際正気ではないのだろう。
黒い水晶を持った魔導士風の男の、邪悪な笑みを見れば予想がつく。
そして、その両手の爪が年老いた神父に迫る。
「神よ…」
神父は目を瞑り祈る。
ここで奉られている水と豊穣を司る女神に。
ただ、静かに祈りを捧げる。
「神父様っ!」
子供達を護る少女が叫ぶ。
神父が、養父として育ててくれた人がどうなるか、解ってしまったが故に。
神父は信仰する神が水をつかさどっている為、戦闘にも利用かのうなほど水の魔法を使える。
狂い、人形と化しているワーウルフ一体程度ならば撃退可能だろう。
しかし、しない。
何故なら理不尽であれ、これは法を執行する者の手であり、彼の後ろには幼い子供が居るからだ。
神父が反逆者となれば、子供達はまた路頭に迷う事になるだろう。
下手をすれば、子供達にまで理不尽な法の手が下されるかもしれないのが、この国の現状でもある。
だが、ここで大人しく殺されたとしても、子供達は生きてはいけまい。
神父がワーウルフの餌食となった後、同様に殺されるかもしれない。
故、神父は祈る事しかできなかった。
この状況を打開する何かを求めて。
キンッ!
その時だ。
その祈りが届いたか、それは来た。
ジャリィィィィィンッ!!
笑う騎士達の頭上を抜け、鎖が走る。
そして、その鎖はまるで生きているかの様にワーウルフに絡みつく。
ザクッ!
そして、その直ぐ横に人が持つ物とは思えない大剣が突き刺さり。
その剣を楔として、拘束は完了した。
「グオオオオッ!」
ワーウルフは暴れるが、拘束は解ける様子は無い。
安物の鎖ならば千切ってしまえるワーウルフの全力をもってしても、その拘束はびくともしなかった。
「なっ!」
突然の事態に言葉を無くす騎士と魔導士。
そこへ、更に降り立つ者があった。
深い蒼の瞳をした、黒髪の少年だった。
突如現れた少年は静かな動きで神父の前、ワーウルフと対峙する。
拘束を解き、暴れんとするワーウルフと。
そして、少年は静かに手を上げる。
武器を持たぬ手を、暴れるワーウルフに。
「ダメだよ」
静かに、囁く様にそう言うと、少年は上げた手でワーウルフの頬を撫でた。
そんな、小さな子供にする様な窘め方。
それもまだ子供、13の少年のした事だ。
だが、どうだろう、少年に触れられたワーウルフはもう暴れていない。
更に、先まで正気のものではなかったその目に、今は確かな意思が見える。
「おお…」
「…え?」
その光景に感動する神父と、事態を飲み込みきれない少女。
だが、そんな二人に他所に、少年はワーウルフに話し掛ける。
「そうか。
うん、でも全てを捨てちゃダメだよ。
君にはまだ帰る場所も、仲間もいるじゃないか」
「グルルルル…」
少年が話すのは人の言葉。
ワーウルフが放つのは獣の声。
意思疎通の魔法はそこには無い。
しかし、それでも二人は確かに会話をしていた。
そして、1分も話した頃だろうか。
ガキンッ!
少年は床に突き刺した大剣を引き抜き、ワーウルフの拘束を解いた。
そして、二人揃って騎士達を見る。
今まで放置してきた元凶を、もう正気のワーウルフと少年とで。
「く、どうやった、キサマ!
どうやって術を解いたか知らんが、もう一度…」
一番早く事態を飲み込めた魔導士風の男は、再びワーウルフを支配せんと術具に念を込める。
が、しかし直ぐに術具に反応が無い事に気付く。
見れば、黒い水晶には一本の線の様な切り傷ができていた。
この手の術具にとって、多少の傷も致命的となる。
特に、コントロールするような複雑な魔法を補助代行する物ならば、効果を失うどころか、暴走しかねないものだ。
「い、何時の間に!」
少年が通り過ぎた際につけておいた傷。
走った鎖に目を奪われたのもあり、誰も気づくことの無かった一撃。
それが、この場に於いて、どれほど重要な事か、解っている者はまだ少年とワーウルフだけだった。
「ねえ、彼がね、随分沢山の仲間を利用された挙句に殺された、って言ってるんだけど。
貴方達は身に覚えがありますか?」
無垢な顔で、殺意は無く、ただ今日の天気を聞くかの様に問う少年。
そんな姿を、この少年を理解しきれぬ者ならこう思うであろう。
純粋であるが故に、天使と悪魔の両方を内包しているのだ、と。
「グルルルルルッ」
対し、ワーウルフは静かで深い殺意を放ち始めている。
目の前の魔導士風の男と、騎士達へ。
「うん、それは、止めない。
でも、可能なら外で。
ここの近いもよくないんだけど。
ここは教会で、子供もいるから」
これからワーウルフが行う事を全て承知の上で、少年は言う。
ただ静かに。
何の感情も浮かべる事無く。
「ワオオオオオオオオオオオッ!!」
ドオオンッ!!
「ぎゃぁぁぁっ!!」
ワーウルフの突進によって教会の外へと吹き飛ばされる騎士と魔導士風の男。
そして、聞こえてくる肉を裂く音と悲鳴。
急ぐことなく、意図的に遅くする事も無く、普通に歩いて少年が外に出た頃には、もう終っていた。
一人は逃げていくのが見えるが、仮にも騎士が3人いて、ワーウルフ一体に敗れ去ったのだ。
「じゃあ、直ぐに逃げてね。
ここは何とかしておくから、君は仲間に知らせて」
返り血を浴びたワーウルフの前に立った少年は静かにそう告げる。
既に騒ぎが大きくなりつつあり、人目もある。
このままではワーウルフが危ない。
だから、最後に、元凶は叩く事を約束し、ワーウルフとその仲間の無事を願い、逃げる事を勧めた。
「ウウウ…
ワオゥゥゥゥゥゥッ!!」
ワーウルフは少し悲しそうな顔をした後、遠吠えをして走り去る。
知能が人よりやや劣る彼ではあるが、恐らくは考えた末の事。
わざと自分の存在、そして己についた返り血を人々に見せながら去る。
「初日からとばすわね」
「あ、先生」
突如背後から声がして振り返れば、そこにはやや困った顔の師がいた。
困った顔をしているが、多分全く困ってはいないだろう。
「すみません」
「いいから、フォローしにいきなさい」
「はい」
師に言われて、少年は教会の中へと戻る。
そして、穏やかな様子の神父と、まだ何が起こったのか解っていないのだろう少女と向かい合う。
「すみません、お騒がせしました」
「いや。
ありがとう」
少年の謝罪に対し、穏やかな笑みを見せる神父。
そして、改めて死者への黙祷と、神への祈りを捧げる。
それから、少年は少女の方に目を向ける。
まだ、子供を抱いている少女へ。
恐らくは、自分と同い年。
金色の髪に赤いリボンをした、少年と同じ蒼い瞳の少女。
「怪我は無い?」
少年は尋ねた。
アレだけワーウルフが暴れていたのだ、飛び散った破片で怪我をしているかもしれない。
だから、少しだけ少女に近づいて尋ねた。
だが、
「どうして…」
少女から帰ってきたのは疑問の声。
何が、かは解らない。
だが、少女は理解できないという顔をして、少年を見た。
(まだ動揺しているのか、俺が異常なのを言っているのか。
それとも、人を見殺しにした事か…)
少女の問いの意味を考える少年。
だが、暫く見詰め合うも、答えは出ず、少女も何も言わなかった。
「ファブニール」
師に呼ばれ、振り返る少年。
そして、師の仕草だけで指す先を見る。
すると、そこには昼前に見た商人を装った戦士が居た。
騎士の無残な死に騒ぐ周囲を他所に、ただ一人、少年を見る黒い髪の男。
その黒い瞳に少年を写しながら、何を見るのか。
「さて、どう出るかしらね」
「ええ」
相手の出方をうかがう少年と師。
まだ何もかも始まったばかりだ。
そう、ここから紡がれる物語の、ほんのプロローグ
予告
これは、本来なら語られる事が無い筈の
ある少年の物語
不幸とはなんであろうか
絶望とはなんであろうか
幸いに不らずという不幸
望み絶たれるという絶望
ならば、不幸にも、絶望にも、まず幸いと望みが必要となる
少年は望んだ
力を
もう、何も失わなくていい力を
誰かの幸いを護れる力を欲した
そして、それを手に入れたと思っていた
その力を活かそうとして場所で、多く幸いを手にする事ができた
少年の外見に捕らわない友
「この二人を、今日付けで雇う事にした」
商人を装っていた男は組織のリーダー格であった。
そして、男は少年と少年の師を傭兵として雇いたいと申し出て、二人はそれを受けた。
それから、直ぐに仲間に紹介される二人。
「待ってくれ、そっちの女はまだしも、その子供も雇ったというのか?」
当然の問い。
大事な組織の金を使ってまで、事実として13の子供を傭兵として雇うなど、正気とは思えまい。
「ああ、そうだ」
それを、揺らぎない自信を持って答える男。
「ファブニールにブリュンヒルデといいましたね。
明らかな偽名です。
スパイであるという可能性は?」
更に、女性が問う。
これもまた当然。
少年も師も予想していた事態。
しかし、少年と師の予想を越え、その問題はアッサリと解決してしまった。
「スパイなら、もっと怪しまれない様にするだろう、普通。
それに、女性のともかく、彼は見た目が子供だ。
スパイとして送るには適さないだろう。
もし、それでも俺が雇うと思って送られたのなら、俺達はその相手に勝てないだろうよ」
リーダー格のこの男のただ一回の答えのみで。
「力、見せた方がいい?」
少年は問うた。
雇われるだけの資格をみせるかと。
ここにいるメンバーよりも強い事を証明しようかと。
「いや、いらん。
大体、俺はお前を戦闘力で雇ったんじゃない」
そう皆の前で宣言し、男は少年の目を見た。
そして、少年も男の目を見る。
真っ直ぐで、何処までも純粋で、深い黒と蒼。
雇い主と傭兵という立場から始まった二人の関係は、戦いが進むに連れて深まっていった。
「よ〜、ファブニール」
「レギン、おはよう」
「さっそくで悪いが、俺と潜入工作だ」
「OK,貴方とならどんな場所でも問題ない」
男は少年を理解し、頼った。
少年も、男を信頼し、その背に惹かれるものを感じていた。
「ファブニール。
お前はこの戦いが終ったら、どうする?」
「…解っているのでしょう?」
「…まあな。
引き止めても無駄なのも理解してるが。
じゃあ、せめて約束しろよ」
「ん?」
「また、この街に来いよ」
「…ああ。
そんな事、約束するまでもない」
家族と言える人
「ちょっと、レギン君。
こんな子供を戦わすの?」
生活する場所である家の主にして組織の世話女房である女性。
紹介された時は、男に掴みかからん程の剣幕だった。
「ああ、そうだ」
「子供まで戦わないと勝てないの?
それとも、子供を利用しないといけないほど脆弱なの?」
「両方だな。
そして、彼は今後この戦いの中心に立つ事になる」
「本気?」
彼女は少年の強さを見た後、暫く少年が戦う事を嫌った。
少年が心から戦う事を望んでいるのを理解するまでは。
「ごめんね、大人だけで解決できなくて」
「いえ、俺が望んだ事ですから」
「そう…
兎も角、今日はゆっくり休みなさい。
ご飯はもうちょっと待ってね」
「はい」
少年に久しく無かった待っている人のいる家庭を思い出させてくれた人。
そして、姉とも呼べたかもしれなくらい、親しくなれた人だ。
戦いの無い時は、沢山の平和な時間を共有する事ができた。
「ファブニール〜、仕事なのはわかるけど。
もうちょっとフローラちゃんの相手もしてあげなさいよ」
「クレアさんこそ、俺に構っている暇があるならレギンの傍に居てあげてくさい」
「ちょっ! なんでそこでレギンがでてくるのよ!!」
多くの仲間
最初こそ、奇異の視線を向けられ、畏怖された。
しかし、最後には全員と打ち解ける事ができた。
「ファブニール、ちょっと稽古につきあってくれんか」
「いや、こっちの部隊進行の相談に」
「ファブニール〜〜、こっち手伝ってくれ〜」
「ああ、すみません、ちょっとまってください」
豊富な知識と経験、そして実力。
更にはその人柄をもって、引っ張りダコとなる事も日常茶飯事。
「ちょっと、ファブニールばかりに頼らないの。
ねえ、たまには私と遊びにいかない?」
「あ、ちょっと、何処に連れて行くつもりよ。
ファブニール、こんな女についてくなら、私と図書館にいきましょう」
「だめよ〜、ファブニールも疲れてるんだから。
お姉さんと一緒に寝よ〜」
そして、愛する女性
二度目に会った時は、嫌われていると思った。
「何か手伝いましょうか?」
暇を見て、少年は教会に立ち寄った。
内部を破壊された教会へ。
修繕費用などなく、ただ片付けているだけの状況である。
「…お願いします」
少年を見る少女はどこか冷ややかだった。
その本当の理由が解るのは大分後の事。
だが、それまで、嫌われていると思いながらも、少年は何度も教会に足を運んだ。
そして、自分のした事を少女に話す。
「また、戦ってきたのですね」
「ええ。
領主の館を攻め落としてきました。
相手は数だけでしたから、大した事はなかったですけどね」
「…何人の命を奪ったのですか?」
「28人です」
それは、懺悔だったのかもしれない。
無表情で―――いや、表情としては穏やかな笑みを浮かべていたかもしれない。
少なくとも、殺人に対して何か感情を表に出した事はなかった筈だった。
だが、
「どうしてそんな顔をするのです!
悲しいのでしょう、殺さなければならなかったのが。
どうして、無理をして表情をつくるのですか!
悲しいのなら、泣けばいいじゃないですか」
少女は気づかれていた。
恐らくは、最初から。
平気そうな顔で人と戦っていても、いつも心を痛めていたことを。
「はは…泣く、なんてできないよ。
少なくとも人に見せる事なんてできるわけないじゃないか。
俺は、男の子でもあるしね」
「…だから、私は貴方が嫌いです」
ハッキリと嫌いだと言われたのはこの時が最初で最後だった。
彼女は少年が嫌いだと宣言したが、その日から少年と一緒に居る時間が増えた。
仲良く話す事はほとんどなかったが。
それでも、何故か二人は一緒にいた。
少年の時間が許す限り。
そして、ある日、森を歩いていて少女は呟いた。
「そうか…貴方はそう言う人なのですね」
「なにが?」
「いえ。
ならば、私は貴方にとって道端の花であればいいのです。
フローラと、花の女神の名をいただいていますが、私にはそんな大した女ではありませんから」
それが何かを口にする事はなかったが。
少女は、少年の友と師以外、普通の人間で唯一人、少年の在り方を理解できた者であった。
「俺には、女神のフローラよりも、俺の話を聞いてくれる、君の方が大切だ」
「ありがとう」
それは、恋愛と呼べたのだろうか。
だが、確かな絆と、愛情がそこにはあった。
多くを手に入れたのは少年だけではなかった。
はじめは、当然驚かれた。
「魔物か…
じゃあ、いいかな?
人為的なのもあるけど、無差別だし。
だから、少し手伝って―――シグルド」
少年は呼ぶ。
友の名を。
少年が決めた名前。
皮肉も混じってるけど、しかし自分達と行く名としては正しいと。
そうして、決めた名前。
その出現に、陣も印も呪文もいらない。
そして、時間すら必要無い。
「ふむ、まあ良いだろう」
突如そこへ出現した巨大な影。
この地上において最強種たる竜。
その中でも、最も気高いと言われるダークドラゴンがそこに立っていた。
二足歩行すらできるスマートなか身体を持つ、蒼い瞳の漆黒の竜が。
「…!!!」
一同は皆驚きのあまり声も出ていない。
レギンすら、声を発せずにいる。
まあ、それも当然だろう。
魔方陣を描いて召喚したのならともかく、その出現には音すらなかったのだ。
ただ、当然そこにあるものとして、姿を現したのだ。
「紹介は後でね。
じゃあ、行こう、シグルド」
「ああ、行こう、友よ」
少年はドラゴンの頭に乗った。
そして、大剣と、それに付属される鎖を持って、ドラゴンと共に飛び行く。
空から来る無数の魔物の群れの中へ。
何も躊躇することなく。
―――いや、むしろ喜んで。
これが、2人が2人で戦った初めての空だから。
そして、初めて受け入れた人間
それはやはりレギンだった。
「おー、よろしく」
流石というべきか、器の大きさを見せてくれる。
誰もが始めて対峙するだろう、ダークドラゴン相手に握手を求めたのだ。
「ああ、よろしく頼む。
しかし、我は基本的に何もできぬぞ。
竜が人の政治に関わる事はできぬからな」
手のひらを重ねることで握手とし、竜は告げる。
今回はケースはあくまで特殊だったと。
「ああ、それは大丈夫だよ。
これは人間の問題だからね。
ドラゴンがいなければ護れない国なんて、存在する価値はない」
「その通りだ」
この2人のやりとり、一見この竜が存在する意味全てを否定するものかにみえる。
だが、違う。
レギンははじめからそれが解っていたのだろう。
「だが、この街には友が滞在するらしいな。
我もここに滞在しようと思うが。
許可をいただけるかな?」
「ああ、許可するよ。
結果的にとはいえ、魔物の群れの襲撃から護ってくれたんだ、断る理由なんてない」
こうして、竜は街の一角に滞在する事となった。
それから、徐々に理解者を増やしながら、街の一角で日がな一日眠って過ごすのだ。
ただ、それだけであるが。
しかし、それがどれ程人間同士の戦略上で意味があったか、想像に難くないだろう。
特別な存在も現れた
「はじめまして。
私、シエルと申します」
「ああ、よろしく。
我はシグルドと言う」
竜の下を訪れたのは幼い少女だった。
杖を片手にあるく盲目の少女。
教会の孤児院に住まう孤児の1人だった。
その少女が1人で竜の下を訪れたのだ。
それが出会いだった。
「して、何用でまいった?
普通の人間なら恐怖して近づきもしないというのに。
たとえ目が見えなくとも、我の存在は目よりも圧力としてかかるであろう」
少女が訪れたのは、まだ竜が街に住まう様になって日が浅い頃。
少年とレギン、そしれクレアくらいしか会いに来なかった頃だ。
「怖い?
どうしですか?
街を救ってくださった方なのに」
「それでも、我は人を恐怖させる。
存在するだけでな」
「私には理解できません。
私には、貴方がとても穏やかに感じます。
静かに聳える大樹の様に」
少女はそう竜を表現した。
それは嘗て、一度いわれた事のある言葉だった。
だから、一瞬、竜は驚いた表情をしていたのだが、気付いたのは友たる少年だけだっただろう。
その後毎日の様に竜の下を訪れた。
「今日もきたのか、シエルよ」
「ご迷惑でしたでしょうか?」
「いや。
だが、他に行くところはないのか?」
「何分、私は出歩ける範囲が限られますので。
しかし、それでも私は貴方の傍がおちつくのです」
「そうか。
好きにするがいい」
何かを話すわけでもなく。
ただ、傍にいるだけの関係。
そう、ただそれだけだった。
だが、それでも―――
そして、徐々に竜は人から受け入れられ、子供達が遊びに来る様にまでなった。
その中でも、少女は訪れ、時間を共有した。
ただ、傍にいるだけで、しかし傍にい続けるという関係。
それは、他者には理解できなかっただろう。
だが、そこにはある種の絆があった。
そう、竜は得たのだ、友と同じ理解者を。
同じ世代に2人と居まいと思っていた者を。
全てが上手くいっていたのだ。
仲間も、居場所も、理解者も得て、更なる高みに上がりながら進んでいた。
そう、全てが幸いの道を歩んでいた。
だが、そこへ舞い降りた悪夢と言う名の現実
「自惚れていました。
俺は勇者でもないし、英雄でもなかった」
「初めから全ては救えない。
なら、俺は悪になる」
この幸いと希望
そして反転する不幸と絶望
少年の決意の意味が、ここにある
夢を追うもの達
外伝 過ぎ去りし夢の跡
それは、少年が失ったあの日の夢