月と夢と七つの不思議

序章

 

 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。

 怪談にも使われる時間帯。

 ここ、私立八阿多学園の校舎裏では、正に怪談となる事が起きていた。

 

「キシャァァアアッ!」

 

 鋭い牙、長い爪、真紅の瞳。

 そして、3mをゆうに越える黒い影。

 そんなものが、奇声を発しながら暴れていた。

 

「ここまで巨大化してるとはね」

 

 そんな化け物の前に立つの者もまた、怪談に出てきそうな姿だった。

 白衣に緋袴を穿き、千早を羽織り、金色の髪を水引で結っている。

 それは巫女服と呼ばれる服装で、更に顔全体を覆う狐面を被った者だ。

 

「キシャァァァアアッ!!」

 

 先ほどから暴れている黒い影は、この者に襲い掛かろうとしているのだ。

 だが、

 

 フッ!

 

 狐面の巫女は、散歩するかの様な歩調でその攻撃を軽々と回避する。

 後に残るのは風だけで、黒い影の爪は空を切る。

 

「何か解るかい?」

 

「そうですね、残念ながら、『噂』による影響かと」

 

 巫女の呼びかけに答え、姿を現したのは、小柄とまではいかないこの巫女でも乗れそうなくらい、大きな狐だった。

 しかも、人語を喋っている。

 

「結界張り終わったよ」

 

「疲れた」

 

 更にもう2体、同じくらい大型の狐が出てくる。

 黒い影の化け物を囲み、1人と3匹。

 包囲している状態ではあるが、それでも黒い影の強大な妖気の前では、優位に立っているとは思えない。

 だが、それは、一見してそう見えないというだけの事。

 

「はぁ……まあ、こうなる前に対処できなかったのは僕の責任か」

 

「いえ、ご主人様の活動は十分効果があったと思いますが」

 

「慰めありがとう。

 だけど、こうなってしまった以上は仕方ない」

 

 眼前に化け物が居るのに、溜息を吐き、肩をすくめる巫女。

 だが、そうもしていられないと、腰に佩いた太刀を抜いた。

 太刀を正眼に構える姿は美しいと呼べるほどで、それだけで、修練を積んでいる事が解る。

 

 コォ……

 

 構えて直ぐ、太刀に光が宿る。

 まるで天の蒼き月の様に淡く、美しく輝く太刀。

 

「こい!」

 

「キシャァァァアアアッ!!」

 

 ブワンッ!!

 

 黒い影の化け物は、その大きな口を開き、巫女を丸呑みにせんと飛び上がった。

 それを、巫女は静かに立って待つ。

 そして、牙が巫女に掛ろうとした瞬間だ。

 

「はぁっ!」

 

 ザシュッ!

 

 鉄程度なら噛み砕きそうな化け物の牙ごと、唐竹割りで巫女は化け物を真っ二つに切って捨てた。

 相手の飛びつく勢いも利用して。

 いや、正確には真っ二つには斬らず、ある一点で斬撃を止めている。

 

 バタンッ!

    バシュゥッ!

 

 化け物は倒れ、そして、黒い体はまるで分解される様に消えてゆく。

 最初から何もなかったかの様に、影だった部分が消えてなくなる。

 だが、残るモノがあった。

 

「酷い状態ですね」

 

 後に残ったのは一匹の兎。

 その遺骸だった。

 先の斬撃によるものではなく、勿論あの化け物に食われていたと言う訳でもない。

 この遺骸が、あの化け物になっていた。

 そう、『遺骸』の状態で、化け物となっていたのであり、この兎は最初から死んでいたのだ。

 

「噂には尾ヒレが付く物だが、ほぼ全校生徒にまで広まっていたららしいな」

 

 今回、巫女と狐達は、学園で噂となっていた怪談、『黒魔術の生贄にされた兎が化け物になって夜な夜な暴れている』というのを調査に出てきたのだ。

 実はそれ以前に、学園で飼育されていた兎が夜な夜な殺される事件があり、それが黒魔術の生贄にされているという噂があり、そこから派生したものだった。

 兎が殺されていたのは事実であり、その噂には、ただの噂にはない信憑性があった。

 その為、噂は信じられ、その信じる思いがこんな化け物を現実としてしまったのだ。

 

「ここが特殊な土地なのはそうだが、困ったものだよ」

 

 だが、それだけでは通常、こんな化け物は生まれ得ない。

 実は、この学園、いや八阿多市そのものが、本来人が住むべき土地ではないらしい。

 とりあえず、その話はまた別の機会としよう。

 

「それにしても、もう死後大分経ってますね。

 腐敗が酷い。

 食べることはできなさそうです」

 

「そうだね」

 

 兎は無残にころされ、放置されたものだ。

 食用として捕らえられ、食われたのなら兎も角、ただ遊びかなにかで殺された。

 だから、せめて食ってやれればと考えていたのだが、とても食べられる状態にはない。

 

「仕方ない、埋めてきてやってくれ」

 

「了解」

 

 巫女に言われ、1体の狐が、遺骸をくわえ、山へと向かう。

 

「とりあえずこれで解決か」

 

 そう言って巫女は、懐から古い書物を取り出す。

 糸で括られた、古典に出てきそうな書物。

 それと、筆を取り出し、開いた書の一本の線を引いた。

 『済』という証の線だ。

 

「今年の七不思議候補は多すぎて困るよ」

 

「まったくです。

 例年の倍はあると思います」

 

 今消したのは、候補の1つだったが、既に外れている。

 これ程の化け物を呼び出しながら、今回の黒魔術の生贄にされた兎は、七不思議に入らない。

 

「まあいい。

 では撤収」

 

 書物を懐にしまい、号令を掛ける。

 

「結界とくよー」

 

 バシュッ!

 

 展開していた結界を解こうとした狐の1体。

 だが、その時大きな音が鳴った。

 

「あ、失敗」

 

「おいおい」

 

 音が鳴っただけで、結界の解除自体には問題はなかった。

 しかし、その音が問題となった。

 

「だ、誰かいるの!」

 

 声が聞こえる。

 女性の声だ。

 こんな時間の学園に、一体誰が、とも思ったが、そんな事よりもやるべき事がある。

 

「跳ぶぞ!」

 

 バッ!

 

 そう告げ、巫女と2体の狐は校舎の壁を蹴って屋上へまで跳びあがる。

 更に、屋上のフェンスを更に跳び、空へ。

 

 バシュンッ!

 

 そこで、巫女に追従していた2体が煙になって消える。

 いや、消えたのでは無い、煙が晴れた後には、袴と白衣を着た仔狐がおり、2体は巫女の背に乗る。

 周囲からは狐は消えた様に見えたと思われる。

 巫女はというと、

 

 バシッ!

 

「お疲れ様」

 

 空中にあった箒を掴んだ。

 この夜の空に浮かんだ箒、魔女の箒だ。

 そして、その箒に跨るのは、長い金髪に青い瞳をした魔女。

 ただし、とんがり帽子とマントをしているが、その下は白いブラウスとミニスカートの美少女である。

 

「すみません、このまま行って下さい」

 

「いいわよ。

 じゃあ、落ちないようにね」

 

 兎も角、今は人に見られる前に撤収しなくてはならない。

 魔女は箒を飛ばし、夜の闇に消える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 昨夜、学園でそんな事があったとは知らぬ一般人達が登校する風景がある。

 そんな中で、一際目立つ集団があった。

 学園の女子生徒を数多くその手に掛けた女、天矢 鮎乃。

 ビスクドールの様な美少女と言われる噂の転校生、エリン・グィディル。

 甘味処『八千』の看板娘、八千古島 華。

 そして、その集団唯一の男でありながら、実は男女問わず密かに人気を持つ中性的な美少年、八千古島 蓮。

 

 そんなきらびやかな集団でありながら、今話しているのはあまり明るい話題とは言えなかった。

 

「そう言えば、蓮、例の話なんだが」

 

「黒魔術の生贄にされた兎の話?」

 

「ああ。

 やはり出所は掴めなかったよ」

 

「そう……」

 

 先日から学園中で噂となっていた『黒魔術の生贄にされた兎が、化け物となって夜な夜な暴れている』という話。

 七不思議委員会に所属する蓮は、人脈のある鮎乃に調査の協力を依頼していたのだ。

 

「噂話というのは得てしてそう言うものですけど、最近の怪談話はそんなものばかりですわね」

 

 エリンも、七不思議委員に所属し、いろいろ調べて回ったのだが、やはり出所は掴めていなかった。

 

「まあ、まず『兎が黒魔術の生贄の為に殺されている』という話があっての事ですから、何処から派生してもおかしくはないんですけど」

 

 華もこのメンバーの中では唯一の1年生として、同時に顔の広さを利用し、話を聞いて回っていた。

 正直、このメンバーでの調査で何も掴めなかったとなると、もう真相は闇に消えたと言っても過言ではない。

 

「仕方ない。

 自然消滅を待つしかないか」

 

「そうだね。

 ま、もっと楽しげな噂でも流れれば、直ぐに消えるさ。

 兎が殺される事も無くなったからね」

 

「それは任せるよ」

 

 情報操作、と言うと聞こえは悪いが、いつまでも流れていて良い話でもない。

 鮎乃の話術と交友の広さを最大限に利用すれば、情報操作レベルの話題の変換も可能だ。

 こうなってしまった以上、それに頼る他無い。

 蓮は、自分でも可能な限りの話題の変換を試みようと考えながら、学園までの残りの道を歩いた。

 

 

 

 

 

 その日の昼休み。

 蓮達と昼食を摂った後、用事があった他のメンバーと別れ、エリンは1人教室に戻ろうとしていた。

 その時だ、

 

「転校生のエリンさんですね。

 ちょっとよろしいですか?」

 

「はい?」

 

 呼び止められ、振り向くと、そこには1人の女子生徒が居た。

 黒い髪をショートカットにした、エリンと同学年の生徒だ。

 整った顔立ちで、かなり可愛いと言えるのだが、今は真剣な面持ちで、拒否は許さないと無言で告げている。

 

「いいですよ」

 

 そこから、エリンとその女子生徒は少し移動する。

 人気の無い場所へ。

 

 

「まず、貴方が魔女である事を知った上でご質問があります」

 

「何かしら?」

 

 噂の転校生、エリン・グィディルは魔女である。

 というのは、大凡公然の秘密だ。

 いや、別に秘密にしている事ですらなく、ただ公言していないと言うだけの話。

 元々ここ、八阿多市、八阿多学園には、魔女の留学生が数年に一度やってくる。

 エリンはその1人という事でしかなく、珍しい事は珍しいだろうが、前例はいくつもあり、騒ぐ程の事ではないのだ。

 

「昨晩、どちらにいらっしゃいました?」

 

「随分とぶしつけな質問ですわね」

 

「昨晩、校舎裏でこんな写真を撮れたものですから」

 

 そう言って女子生徒が出したのは、夜空を撮った写真。

 だが、その1点、右端に何かが映っている。

 箒に跨った魔女の姿。

 それと、その箒を掴み、ぶら下がっている巫女の姿だ。

 

「なるほど。

 昨日学園に居たのは貴方でしたか。

 危ないですよ、真夜中に女の子が1人で出歩くなんて」

 

 写真を撮られていたのには気付かなかったが、さして驚く事なく、エリンはさらっと流す。

 

「それは貴方も同じでしょう?

 それより、貴方は、あの狐面の巫女と知り合いなんですか?」

 

「ええ、初めてこの街に降りて、初めて出会った人があの人でしたから。

 どうやら、何かが来たと察知して、出迎えてくれましたわ。

 まあ、最初かなり警戒した様子でしたけど、私が目的を告げたら、歓迎してくれました」

 

「なるほど……確かに、あの巫女は、この町で起きる異変を解決して回っているというのが通説ですから、それは納得できます」

 

 アッサリ喋るエリンに、若干不審すら抱きながら、しかし、同時に内容には納得し、なにやらメモをとりだす女子生徒。

 そのメモは随分使い込まれた物で、普段から行っている事だと解る。

 

「それ以来、夜の散歩をしている時に、たまに見かけますよ。

 昨晩は、お仕事を見学していたら、丁度いい位置に私がいたらしく、ちょっと運んで差し上げただけです」

 

「それだけですか?」

 

「ええ。

 貴方が期待している様な、あの巫女の正体については一切しりません。

 新聞部所属、天野 郁美さん」

 

「え?」

 

 女子生徒は、自分の名前を呼ばれ一瞬唖然としていた。

 

「それにしても、取材をなさるなら、まず自分の名を名乗り、目的を告げるのは礼儀ではないでしょうか?

 今回、貴方は七不思議委員会にも取材に来られる方として、蓮君に名前を教えてもらっていたからいいですが、少し失礼ではないかと」

 

「あ、こ、これは大変失礼をいたしました。

 確かに仰るとおり、あまりに唐突な取材、申し訳ありません。

 で、ですが―――」

 

 先の写真で、よほど頭がいっぱいだったのか、それほど、この少女にとって狐面の巫女の正体を暴く事が重要だったのか、先ほどまでの怖いくらいの表情が崩れる。

 慌てて謝罪しする少女。

 だが、同時にまだ聞きたい事があると、そう意思を示す。

 しかし、その時だ。

 

 ガシャァァンッ!!

 

 突然、近くで大きな音が響いた。

 ガラスの割れる音と、それに続く衝撃音。

 

「な、なにっ!」

 

 驚きながらも、ポケットの中にしまっていたカメラを握りつつ、現場に向かおうとする少女。

 どうやら根っからの記者体質らしい。

 だが、それ故に気付かない。

 既にエリンがこの場に居ない事を。

 

 

 

 

 

 

 時間は少し戻り、昼休みの中庭。

 八阿多学園には中庭が存在する。

 綺麗に整備され、中央には大きな樫の木がある中庭だ。

 昼食を摂るにしても、少し休むにしても、程よい場所と言えるのだが、昼休みの今でも、基本的に無人だ。

 昼休みだけでなく、ここには、殆ど人は訪れない。

 一部の例外を除いて。

 

「では、昨晩も七不思議候補を?」

 

「ええ、例の黒魔術の生贄にされた兎が化け物になるって話のヤツでした」

 

 中央の樫の木に2人の人がいる。

 ただし、木を挟んで、反対の方向、更に、両者とも木を背にしている。

 一方は、八千古島 蓮で、もう一方は、稲継魂神社の巫女である亜多良 巫鳥。

 この学園でも、巫女として、お払いなどの仕事をすることで有名な3年生の女子生徒である。

 

「既に滅し、七不思議候補からは外れました。

 後は噂が消えば、完了です」

 

「毎度の事ながら、ご苦労をお掛けしております」

 

「いえ、私が望んでやっている事ですよ」

 

 しかし、蓮は2年で、巫鳥が3年であるのに、敬語を使っているのは巫鳥の方だ。

 元々礼儀正しい巫鳥であるが、年下の生徒に対する態度としては、相手を敬い過ぎである。

 だが、それも当然の事だ。

 巫鳥は、話している相手の年齢どころか、顔も知らないのだから。

 こうして話しているのも、相手との取り決め故、巫鳥は、決して相手を、蓮の姿を見る事はない。

 

「それにしても、今年の学園での霊障の発生は異常です。

 七不思議候補も例年の倍近くある上、そのどれもが危険性が高い。

 巫鳥さんも気をつけてください」

 

「はい、こちらでも出来うる限り対処するつもりです」

 

 七不思議。

 何処の学校にもあるだろう、七つ不思議な出来事。

 夜中に動きだし人体模型、誰もいないのに演奏するピアノ、昇る度に段数の変わる階段。

 例を挙げれば切りはなく、七つ以上ある事の方が基本と言えてしまうくらいだ。

 

 この学園でも、七不思議委員会という委員会が設立されるほど、怪談話には事欠かない。

 毎年度、数ある怪談話の中から、特に知名度が高く、大きな事件だった物が七つ選ばれ、その年度の七不思議として纏められている。

 

 そこまでなら、ただ笑って済まされる話だろう。

 しかし、実際のところはそうではない。

 学校とは、一種の閉鎖空間で、気が、霊が溜まりやすく、場合によっては淀み、渦巻く。

 それによって、怪事件が起こり、それが語り継がれる度、人の思念がその現象を再現、悪化させ、更なる怪事件を呼ぶという悪循環に陥る可能性がある。

 それは、この学園でも例外ではなく、それどころか、この土地の特性として、根も葉もない噂話ですら、実現しかねない環境に在る。

 故に、この学園における七不思議は、ただの怪談話ではなく、事実起こる問題だ。

 

 つまり、ことこの学園における七不思議とは、死者すら出かねない大事件の事を指す。

 更に、新しい七不思議であれば、噂から発生、発展する事が多いため、その噂は大事件の予言とも言えるのだ。

 

 だが逆に、噂話によって、事前に対処できる事もある。

 故に、巫女である巫鳥達は、噂が拡大する前に、噂の鎮圧、もしくは噂により実現する怪事件を、予防する為に動いている。

 七不思議委員会も、その構成メンバーの一部は、裏で七不思議の鎮圧を目的とした者がいる。

 蓮もその1人だ。

 そして、蓮の役目はそれだけで終われない。

 

「紅葉<クレハ>様、予備の装束と、破魔札はいつもの場所に置いておきます。

 お使いください」

 

「ありがとうございます。

 いつもすみません、こんなやり方で」

 

「いえ、本来は全て私達の仕事ですから」

 

 紅葉というのは、コードネームの様なもの。

 正体を知られてはならない約束の為、蓮が用意した便宜上の名前だ。

 その名で動く時は基本的に一人称も変えている。

 他者が居ない時は地が出てしまう事もあるが。

 

 ともあれ、蓮には仕事がある。

 巫鳥にすら知られてはならない大きな役割。

 それは、巫鳥に、稲継魂神社にも大きく関わりのある事だ。

 

 リィンッ―――

 

 鈴の音が聞こえた。

 鳴る筈の無い鈴が鳴った音、空気の振動ではない、鈴の音だ。

 

「ん?」

 

 その音の発信源である物を、蓮は取り出す。

 それは、古めかしい本だった。

 紐で閉じられ、墨で書かれた古書。

 その本を開くと、今、新たな記事が浮かび上がろうとしていた。

 

 これも怪談、古き七不思議の一つで、この学園における七不思議の候補となる怪事件、その元となる噂話が広まると、自動で記録する妖書だ。

 そこに、記事がまた増えようと言うのだ。

 つまり、それは―――

 

「馬鹿な! こんなに早く!」

 

 しかし、その速度と、書かれるつつある内容の危険性があまりに大きすぎた。

 本来、噂話というのは、広まるのに時間が必要で、大きな事件であれば、尚更、皆が知り、それを信じるまでにこの妖書の記事にはならない。

 なのに、今書かれるのは、確かに過去に似た例がありながら、まったく異質の物で、蓮はまだ聞いた事の無い話だった。

 

「紅葉様、どうなされたのです?」

 

「巫鳥さん、今、何処かに具現します!

 私が出ますから、後始末の用意を」

 

「了解しました」

 

 バッ!

 

 蓮はその場から飛び、木の中へと入る。

 正確には、この木を入り口とした世界へ。

 そして直ぐに、また飛び出した時には、白衣に緋袴、千早に狐面の姿。

 『狐面の巫女』と噂される姿であった。

 

 そう、これが八千古島 蓮のもう一つの役目。

 『巫女』と言われるのは、れっきとした男である蓮には不本意ながら、稲継魂大神の『神子』として、稲継魂大神の使徒と共に八阿多の町を護る為の姿である。

 

 

 

 

 

 丁度その頃、昼食を終え、屋上から教室に戻ろうとした1人の女子生徒が居た。

 教室に戻るにしても、若干時間が外れているからか、周囲に人はいない。

 窓から射し込む日の日光を背にし、階段を下りる。

 階段には、少女の影が一つ。

 

 そこで、少女は思い出す事があった。

 今朝聞いたばかりの怪談話だ。

 それは、古くからあり、しかし最近少し変わって復活したものらしい。

 

 曰く、屋上から階段を下りるときに現れる。

 曰く、1人でいる時に現れる。

 曰く、1人で階段を降り、他に人はいない筈なのに、階段の下には、影は2人分見える。

 

 曰く―――しかし、それを見た次ぎには、見た者の影は消え、影は1人分となる。

 

 曰く、それは、黄昏時だけとは限らない―――

 

 本来、黄昏時、夕日の光で影ができる時にしか起きない筈の怪談。

 それが、何故か時間帯が無制限となった。

 その経緯は少女もしらない。

 

 だが、今、何故か少女には階段に影が2人分見えていた。

 

「……え?」

 

 トン

 

 それを認識した次の瞬間、背中に衝撃を感じる。

 

 この怪談において、2人分の影を見た人の影が無くなるというのは、実に単純な話だ。

 それは、見た人が、自分の影と一つになればいい。

 つまり、階段から落ち、床に激突する、という話なのだ。

 そして、何故落ちるかといえば、もう一つの影が、背中を押すからだ。

 

「あ……」

 

 怪談として話は知っていた。

 しかし、だからといって、普通の少女が、階段から突き落とされた時、対応がとれるかは別の話。

 受身すらとれず、少女はそのまま床へと落ちる。

 そうなれば、最悪の場合は『死』へと繋がる。

 

 だが、その時だ。

 

 ガシャァァンッ!!

 

 ガラスの割れる音が響き、影がもう一つ増える。

 それを見た時、少女の身体は抱えられていた。

 

 ダンッ!

 

 重い衝撃音と共に、少女の身体にも重力に従い、落下した分の衝撃が加わる。

 しかし、ちゃんと足で衝撃を吸収し、柔らかい腕の中で感じる、極僅かな衝撃。

 最早、何が起こっているか、全く理解が追いつかない少女は、ただ、狐面をした者をその人の腕の中から見上げるだけだった。

 

「何とか間に合ったか。

 立てる?」

 

「え? あ……」

 

 言われ、少女は、反射的に立とうとするが、狐面の巫女の腕から下ろされても、立ち上がる事ができなかった。

 何故か、自分にも解らない。

 状況を理解できない事で、思考が定まらないらしい。

 

「焔、この子を安全な場所へ」

 

 狐面の巫女が焔<ホムラ>と呼んで現れたのは、一体の大きな狐。

 狐面の巫女は、その狐に少女を乗せ、移動を指示した。

 

「……」

 

 狐は黙って頷き、少女を乗せ、この場から去る。

 そうした、残されたのは、狐面の巫女と、階段上の影。

 日の差す窓から飛び込んだとき、その真横を通り過ぎた。

 影は、確かに人影だ。

 見れば、男の子で、この学園の男子生徒の様だった。

 ひ弱そうで、無表情の、背の小さな男の子。

 

 その容姿は、過去の、この学園で起きた事件に登場する人物に類似している。

 話では、病弱で、いじめを受けていた少年が、放課後、やはり屋上で苛められた後、1人帰ろうとしたいじめの主犯を、階段から突き落としたという。

 そのいじめの主犯である者は、幸い助かったらしいが、いじめられたいた少年は、その後自殺。

 以降、放課後、黄昏時に、1人で階段から降りようとすると、その少年の霊に突き落とされるらしい。

 

 その話が、どうして、時間問わず、影ができれば、となったのかは解らない。

 だが、その少年の霊が、今目の前に居る。

 いや、正確にはこれはも少年の霊ではなく、少年の霊の形をした、怨念、思念の集合体だ。

 

「本当に、この学園は変わった場所ですね」

 

 と、そこに声が聞こえた。

 狐面が振り向けば、そこにはエリンの姿がある。

 何処から持ってきたのか、三角帽とマントを着けた魔女の姿で。

 それに、何らかの術式が発動させているのも解る。

 

「あの念の塊は固定しました。

 逃げようとしていましたから」

 

 話では、突き落とした犯人は、姿が見えないらしいのだが、その姿を残したままだったのは、エリンの魔術のお陰らしい。

 この手の怪談の元は、正体が見えず、退治が非常に難しいのだが、それは今解決された。

 

「それはありがたい。

 でもいいのですか?」

 

「私が通う学園ですから。

 これくらい、当然です」

 

 エリンは、基本学園では魔術を使わない様にしている筈だ。

 学園の中では、普通の留学生として生活する事を望んでいた。

 本来は、昨晩、撤退を手伝ってもらったのも、大分余計な事をさせた事になるのだが、エリンは気にしていない様子。

 いや、それよりも優先すべきとして、この事件の解決の為に力を使っている。

 

「では、斬る」

 

 ダッ!

 

 狐面は、階段を駆け上り、少年の姿をした怨念に斬りかかる。

 狐面の斬撃なら、一撃で、この怨念を倒せる筈だ。

 しかし、

 

 トンッ

 

「なっ!」

 

 一体どんな魔法か、怨念は、狐面の斬撃を掻い潜り、狐面を身体を押す。

 ただ押されただけで、狐面は、階段から落下せざるを得なかった。

 

 ダンッ!

 

 何とか着地し、再び少年の姿をした怨念を睨みつける狐面。

 

「ちっ! 厄介だ。

 特化された能力がここまで強力になっているとは」

 

 この怨念は、ただ人を1人、階段から突き落とすだけの存在だ。

 しかし、だからこそ、それだけを行うのなら、他の誰にも譲らないのだ。

 

「ならこれではっ!」

 

 ブオンッ!

 

 狐面は、その場から刀を振り、風の刃を階段の上へと放つ。

 直接斬りつけるよりは弱くなるが、それでも風の力は狐面が単独で出せる遠距離攻撃手段。

 それなりの威力を持っているし、雑魚ならそれで十分対処できる。

 しかし、

 

 フッ

 

 風の刃は、何故か怨念を素通りしてしまう。

 

「これは……階段にいないとルール違反とでも言うのか?」

 

 それだけの存在故、ただ触れるだけにもルールが必要なのが、こういった怪談に出現する霊だ。

 それだけに特化されているが故に、こういった、本来ならありえない事まで起こりえる。

 

「厄介ですね。

 もう少し拘束を強められればいいんですけど」

 

「いえ、大丈夫ですよ。

 もう直ぐ巫鳥さんも来ますし」

 

 そう言っている間に、周囲の空気が変わる。

 

 リィンッ!

 

 更に、鈴の音が聞こえる。

 これは、巫鳥が鳴らす鈴の音だ。

 

「完成したか!」

 

 周囲の空気が変わり、結界が完成した事が解る

 一般生徒の非難も完了した様だ。

 ならば、

 

「本気でいくぞ!」

 

 ドゥンッ!

 

 狐面が再び床を蹴り、階段の上へと駆ける。

 だが、その速度は先の比ではない。

 風の力を解放し、飛ぶにも近い疾走で、怨念へと迫る。

 

 トンッ

 

 しかし、再び怨念は狐面を突き落とそうとする。

 だが、その前に、

 

「甘い!」

 

 ザシュンッ!

 

 突き落とされ、落下する前に、狐面の斬撃が入る。

 そして、狐面が床に着地する時には、もう怨念は日の光に融ける様に消えていた。

 

「よし、完了」

 

 狐面は、昨晩同様に、懐から古書を出し、この怪談の項目を消した。

 もうこれで、同じ怪談は発生しない。

 同時に、一つの七不思議候補が消えた事になる。

 

「お見事です。

 ですが―――」

 

「ええ、解ってます。

 総員、撤収!」

 

 事件解決を喜び、勝利の余韻に浸る暇はない。

 ここは昼間の学園の中。

 狐面は急ぎ、その場から離れる。

 直ぐに元の姿に戻らなければならない。

 狐面は、狐面である為に、正体が明かされる事があってはならないのだ。

 

 それにしても、今年の七不思議はおかしい。

 急いで拠点ともなっている、中庭の木の中へと移動しながら、狐面は考えていた。

 本来、こんんあ真昼間に起きる怪談などない筈なのに。

 それに、一体、どこで変わったのか。

 過去にあった怪談が復活するのはいい。

 しかし、どうして、時間問わずの様な、そんな都合の良い改変がなされたのか。

 狐面は、嫌な予感がしてならなかった。

 

 

 まだ、この時は気付かない。

 今年の七不思議を取り巻く、大きな影の存在に。

 狐面も、魔女も、巫女も、これからある大きな戦いを、予想すらしていなかった―――

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 後書き

 

 どうみても(ry

 はい、うな天のSSでした。

 ネタとしても古すぎですね。

 本来一昨年に出す筈で、ファンディスクがでた去年も書いてて、間に合わなかったものです。

 うな天は、個人的にちょっと期待から逸れていたので、いっそのこと完全に好みへと書き換えてみました。

 狐は大好きなんですよ〜。

 女装物になってますが、別にそれは好きじゃないんですけどね。

 物語構成上の都合でそうなっちゃいました。