暗闇から伸びる無数の手。
数多くの呪詛の声が風のように耳に入り込んでくる。
呼応するように手が内面へと、体の内側へと向かってくる。
「カエセ……ワタシノ……イノチヲ……」
「ドコ? ……ボクノ……カラダハドコ?」
「ナンデ……ワタシノカラダハ……クズレルノ?」
一つ一つの手が絡みつくたびに祐一の体は軋む。
一つ一つの声を聞くたびに祐一の心は軋む。
逃げる、心臓が破れても良いから、我武者羅に。
遁れる、手足が砕けて使い物にならなくなっても良いから、必死に。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫んでいる。叫んでいるはずだった。
その声さえも、無数の手に夥しい量の呪詛に塗りつぶされる。
暗闇のなか。助けも何もない。
祐一と呪詛と無数の手しかない空間。
叫び声を上げる為にあけた口からも無数の手と呪詛が入り込んでくる。
手、足、胴体、頭、それぞれに絡みつく無数の手。
絡み付き離そうと努力しても離れない。
いや、振り払う事が出来ずに、もがくのみだ。
それに変化が現れる。体へと内側へと侵入しようとしていた動きが一斉に変った。
呪詛が止み、手という手はある方向を向かせようと祐一の体を動かす。
完全に絡み付いている手には抵抗が出来なかった。
結果、その方向へと向かされてしまう。
その先には姉だった、兄だった存在が居た。
まだ、幼い容姿をした先頭の男の子が口を開く。
「どうして、GE−13だけが生きているの?」
それは、はっきりとした言葉。
絶対に忘れえない言葉。
耐えられない重みを持った言葉。
「撃ったのは、GE−13だよね?」
一斉に音が止んだ。手もどこかに消えて行く。
ただ、その声だけが反響する。姉や兄の姿だけが消えない。
「何で、撃ったの?」
無表情の姉と兄達。その表情が更に祐一を攻め立てる。
今まで、暴れていた祐一の手足に心臓。
それらに、泥でも押し込まれたように止って行く。
「私だって(僕だって)もっと生きて居たかったのに」
囁く様に言う呪いの言葉。
祐一の指先が崩れて行く。続いて、腕も。
謝りたいが、口さえも動かない。体が、相沢祐一を構成している部品がただ崩れて行く。
「祐一さん!」
その声が聞こえたのはどうしてだろうか?
無理やり、覚醒へと引き戻される感覚。
「祐一さん!」
「あ……ぅ」
「祐一さん!」
「あ、あ、ぁ」
「大丈夫ですか?」
目は虚ろで、体は震えている。目からは涙が溢れていた。
闇を怖がる子供でもここまで怖がりはしない。
異常な震え方である。しかし、秋子は祐一のこの震え方を知っている。
「怖い夢を見たんですね?」
「違う、違うんだ」
秋子は祐一の頭を抱きしめて、安心させるように頭を撫でる。
それでも、まだ収まらない。
「怖い夢じゃないんだ……」
祐一は眠れる時間が増えたが、時折このような悪夢と言うよりも自責の念を夢で見る。
そして、今のような状態になるのだ。
秋子はそれを知っている。そのときはいつも抱きしめて落ち着くのを待っている。
「泣かないで、愛しい貴方。私は許してあげる」
秋子は口を開いて歌い始める。
子守唄のように、ゆっくりと、やさしく、囁く様に。
祐一を安心させる為に、優しく抱きしめ、頭を撫でながら。
今、秋子の腕の中にいる祐一は小さく、泣いている子供と余り変わらない。
ちょっとした衝撃で砕けてしまいそうなほど、脆い一面を見せていた。
それを今、自分に見せてもらえる事が秋子には誇らしい。
だからこそ、歌う。秋子の存在をかけて。
泣きたいなら、私も一緒に泣いてあげるから。
だから、一人で泣かないで。貴方は一人じゃない。
寂しいのなら、寂しいと、苦しいのなら苦しいと言って。
わかれない事は悲しいこと、手を差し伸べれないのは辛いこと。
だから、寂しいのなら、寂しいと、苦しいのなら苦しいと言って。
必ず、私は手を差し伸べるから。貴方の事を支えるから。
一人で背負う荷物が重くとも、きっと2人なら支えられる。
一人で支えようとしないで。貴方は一人じゃない。
いつかきっと、許される日がくる。
その日まで、その先、いつまでも一緒に歩くから。
いつかきっと、おもいでになる日まで
私は、貴方と一緒に歩くから。決して私は貴方を一人にしない。
祐一を抱きしめ、歌を歌う。
秋子にしか出来ない事だった。
祐一は、秋子の前でしか本来の意味で眠らない。
それは正確ではないが、事実である。
時折こういった悪夢を見るのは祐一が心を開ききっている証拠でもあった。
他の人の前では全く見せない祐一の隠れた一面。
相沢祐一と言う仮面を外した本来の祐一の姿。
初めて秋子がそれを見たときは驚いた。
いや、驚いたというものではすまない。
理解できなかったし、信じられない事でもあった。
そして、何も出来なかった。それが秋子には悔しかったのは言うまでも無い。
本来なら一人の時にしか起こらない事だと、有夏から聞きつけた時にはかなり落ち込んだ。
私には祐一さんを支える事が出来ないのかと。
『祐一は強い……だが、脆いよ』
いつか姉に聞いた言葉の意味が繋がったのは、その姿を見たときだった。
これほど危うい一面を持っていて、何故、自分に打ち明けてくれなかったのか。
祐一にしてみれば、これは見せるべき感情ではないのだろうと。秋子は理解した。
それほど隠す理由がわかるだけに、秋子には辛い。
何故、あの時何かをすることが出来なかったのかと。
秋子が自分自身を責める日があった事は確かだ。
その祐一が今は落ち着いた顔で、眠りについている。
秋子の腕の中で小さく、そして安心した寝息を立てていた。
「うふふ……おやすみなさい。祐一さん」
優しく頭を撫でてから、祐一を横たえる秋子。
軽く額にキスをして、秋子は小さくあくびをした。
微笑みながら、祐一の横に自分の体を横たえる。
「あ、りがとう……秋子さん」
祐一の小さな寝言。
秋子はその言葉が言われているのが例え夢の中でも良いと思っている。
祐一の夢の中に自分が出ているのだから。
それで、過去に押し潰されないのなら良い。
祐一の体に寄り添い、祐一の手の握りながら秋子も眠りに落ちる。
お互いに安らかな笑みを浮かべて。
これは、秋弦の生まれる半年前のお話。