観劇の歴史

年齢誤魔化しモード炸裂中につき、具体的な年号は一切出てきません。(んなこと、堂々と…)


初めて芝居を観る
幼稚園で連れていってくれた木馬座の『白雪姫』が初めてのお芝居でした。
観客参加型(「悪い魔女はどっちに行ったのかしら」「あっちー」と子供に叫ばせるヤツですね)だったこと もあって白雪姫を堪能しました。
そして幼稚園に戻ってから「面白かったシーンを絵に描きましょう」と先生に言われて、張り切って画用紙 一面を真っ赤に塗り始めた私。
「何してるの?」と尋ねる先生に「始まる前の幕」と得意になって答える。(笑)
さすがにたじろいだ先生が説得するのに耳も貸さず、無言で赤く塗り続ける。
絵が一斉に張り出された時、一躍変わったお子さんとして有名になったのは言うまでもない。

当時の心境を察するに、お芝居が始まる前のワクワクした感じを表現したかったのではないかと思うの です。
今でも幕が開く瞬間とか、芝居が始まる直前の暗転とかって大好きですから。
初めてミュージカルを観る
小学校で連れていってくれたのが劇団四季の『二人のロッテ』。
東京生まれ東京育ちという利点をフルに生かした観劇歴だと自分でも思います。
あまりにも楽しくて夢中になりすぎて、どんな内容だったのかすっかり忘れ(笑)小学校に戻って一言感 想を言う時に、みんなの話を聞いて記憶を新たにした。
どうも楽しすぎると忘れるという傾向があるらしく、大学の時にも友達とジェフ・ベックの話をしていて爆笑 した拍子に何の話をしていたのか忘れたことがある。
さすがに「今、何が面白かったんだっけ」とは聞けなかったので、未だに何であんなに笑ったのか解らな い。(きっとあの時、一瞬にして脳細胞が数万個死滅したことでしょう)。
それはともかく、芝居も楽しかったが、初めて入った日生劇場の赤いふかふかの絨毯に感動しました。
劇場空間の非日常性を体感した瞬間だったのかもしれません。
初めて歌舞伎座に入る
普通はいきなりここには来ないのでしょうが、私の場合、木馬座・劇団四季の次に観たのが新派でした。
大・水谷八重子の芝居を生で観たのはあれが最初で最後でしたね。
『鶴八鶴次郎』(好きあってる二人が意地っ張りでお互い好きと言えないまま芸の道に生きる話)という芝 居で、正直、何が何やらさっぱり解らなかったのですが、子供心にも「もっと素直になればいいのに」と思 いました。
子供には子供なりに理解することが出来るのですね。侮ってはいけません。

次に観たのが大川橋蔵公演の『銭形平次』。あー、もう見る人が見たら歳がバレバレだ。
当時の歌舞伎座は8月が三波春夫、12月が大川橋蔵と決まっていた。(お二人とも亡くなられました が)
結果、歌舞伎座というのは私にとって平次親分のいる所という認識が植え付けられたのです。
初めて歌舞伎を観る
3度目の歌舞伎座。
親に連れられて平次親分に会えると思って行ったら歌舞伎をやっていた。(大笑)
そして、はまったんです。
煌びやかな世界に圧倒されてしまったんですね。
考えてみたら、今だってあんなド派手な舞台、歌舞伎と宝塚と美輪明宏氏以外やってるとこないでしょ う。
話が難しくて地味な世話物だったら引いちゃったかもしれないけど、時代物(『妹背山』)で舞台も役者さ んも衣装もみんな絢爛豪華に綺麗だったんで、ビジュアル的にノックアウトされてしまったんです。
次の演し物に中村勘九郎が出ていたのも大きかったです。
子供だったくせに勘九郎が天才少年と呼ばれていたことを知っていて、「天才」という言葉に滅法弱かっ た私は一発でコロリと参ったのです。(だって天才っていうだけで001が好きだったという過去がある。だ から軍師にも簡単に落ちる。全然成長してないな)
『紅葉狩』という舞踏劇で頭を使わなくて良かったのもあったのでしょう。
また勘九郎が踊りの名手だから日本舞踊なんて何も知らなかったのに感動して、気が付いたらすっかり ファンになっていました。

そしてそれから約3年。歌舞伎がなくては生きていけない人になる。
その前に我が家の事情
子供を歌舞伎に連れてくなんてどんな家?と思われると思うのでちょっと説明。
ごくごく普通の家だったのですが、普通と違っていたのが父親がやたらと目上の人に可愛がられる人間 だったということ。(要領がいいんですね)
そして、その目上の人っていうのがとんでもない金持ちだったわけです。
父がその人の仕事をサポートしている関係もあって結構優遇してくれまして、その最たる物が映画とか の招待券をくれることだったんです。
そう、その人は各映画会社の大株主さんだったのです。(今考えると本当にすごいことだと思う)
そして歌舞伎座は松竹の系列。だから歌舞伎の株主招待チケット(ちゃんと一等席のヤツ)も1年に2回 くらい、うちに回してくれました。
だから歌舞伎座に行くのはチケットをもらった時。
たまたま連続して母の友達の都合が悪かったりして、私をつれてったんですね。
まさか子供が歌舞伎にはまるとは考えもせずに…。
歌舞伎にはまる
子供で変な先入観がなかったのが逆に良かったんでしょう。
3年間、とにかく面白くて親に許してもらった月に一度の観劇はとても楽しみでした。
もっともその内、親と一緒に行くのが面倒になって1人でパッパと行くようになりました。
家から歌舞伎座まで30分くらいだったから出来たことなんでしょうけれど。
ところで、お金はどうしてたんだって思うでしょう?
これが、お小遣いで行けちゃったんですよ。
歌舞伎って1等席なんかは確かに高いですよね。人間国宝が出ようもんなら更に上乗せされちゃうし。
ただ料金はピンからキリまであって3階のてっぺん(3等のB席)とかは安いんです。
で、私がはまった当時は、学割を使うと筋書きを買っても、1000円以内(!)で観られたんです。
3階席には3階席なりの面白さがあったし、私には十分でした。
それに高校の同級生には「僕は小学校2年の時から1人で歌舞伎座に通ってた」という人がいましたか らねぇ。
『上には上がいるもんだ』と感心したものです。
そして歌舞伎を観なくなる
勘九郎が超スランプに陥る。
ご本人はどう思ってらしたか解らないのですが、素人目にも大きな壁を前にして途方に暮れている様が 伺えました。
当然、芝居も面白くない。
本当に不思議な物で、あんなに輝いていた人なのに何をやっても何を見ても一つも面白くない。
「こういう時に見続けて支えるのがホントのファンよ」とは思ったのですが、つまらない物を見てもしょうが ない。
斯くして、歌舞伎を観なくなる。
つくづく私は歌舞伎じゃなくて勘九郎を観ていたんだなと思い知りました。
長い観劇歴の中でもここから約2年、芝居をあまり観ない期間が続きました。

ちなみにスランプの原因はアレも一因だったのだろうと推理(邪推?)していることがあります。
そしてこの時の経験から「役者は私生活が舞台に出る」という持論を確立しました。
(もっともこれは芸能人に限らず、普通の人だってそうなのだと社会人になってから知る)
またまた歌舞伎を見始める
空前の玉三郎ブームでした。
今度は「えー、歌舞伎〜」と言っていた友達や妹が玉三郎を観たいと言いだして、水先案内人となり再び 歌舞伎にはまる。
何のことはない、勘九郎がスランプを脱出していたということらしい。(笑)
ただ、今までのように熱に浮かされたように観るのではなく、比較的冷静なファンになったなと自分でも 思いました。
一歩距離を置けるようになって、大きな視点で歌舞伎を楽しめるようになったって言えばいいのかな。
オペラグラスで勘九郎を追うようなことはなくなって、お芝居そのものを純粋に楽しめるようになりまし た。
再び四季と巡り会う
ある日の午後、急に思い立ってサンシャイン劇場に劇団四季の『コーラスライン』を観に行く。
当日券を買ってたら、そこで友達がチラシを配ってた。(笑)
小・中学の同級生だった彼女が芝居をやってるのは噂に聞いてはいたのですが、そうか四季だったの か。
そして「ちょっとー、チケット買うなら私から買ってよ」と泣きつかれる。
今はどうだか知りませんが、当時は(まあ、どこの劇団もそうなんですけど)チケットの売り上げが多い劇 団員が優遇されるんですよね。
『コーラスライン』はすごく良かったです。
良すぎて一ヶ月のうちに3回も観に行ってしまいました。
以後、彼女のお得意さまとなる。(笑)
四季にどっぷり浸かる
好きなのは当然の事ながら市村正親氏でした。
あの頃はストレートプレイも多くて、ちょうどミュージカルに主軸を移そうとしている時期でした。
すっかりはまりまくっていたから、今上演されているようなミュージカルの初演は全部観ています。
当然「四季の会」の初回の会員でもある。(ああ、こんな事書いて歳がばれるだけだわ←しつこい)
四季については、良いことも悪いことも思い出がありすぎます。
多分、今四季にどっぷりはまってる人が聞きたくないようなことも、たくさん知ってるし。
気が向いたら別項に書くかもしれません。とんでもない量になると思うけど。
小劇場に目覚める
きっかけは一枚のポスター。
それが小劇場演劇と付き合う長ーい歴史の始まりになろうとは。

今はなき演劇舎蟷螂の『フランシスコ白虎隊二万マイル』でした。
主催の小松杏里氏が寺山修司の流れを汲んでる人だけあって思いっきりアングラ。
けれど、とんでもない展開をする自由奔放なストーリーに魅惑される。
ちょうど歌舞伎の型にはまった芝居につまらなさを感じていた頃なので「こういうことをやっても良いん だ」と目から鱗がボロボロ落ちました。
それに織田信長と森蘭丸があからさまにエロティックでドキドキしてたのね(笑)。
なんで白虎隊に織田信長なんだって思うでしょうが、そういうストーリーだったんです。
超シリアスにジャンヌ・ダルクも絡んでましたし。
そのジャンヌ・ダルクを含めて3役くらいやってた小劇場界のアイドル、美加理が凄く良かったんですね。
中性的で凛々しくて綺麗ですっかり惚れてしまいました。
この頃の小劇場界って本当に美女がゾロゾロいたんですよねえ。
世界バレエフェスティバル
何故かこの頃には既にバレエも観ていました。
メインは森下洋子擁する松山バレエ団。
森下洋子は当時、ヌレエフやフェルナンド・ブフォネスとよく組んでいて「ブフォネスが出るのね」となにげ に世界バレエフェスティバルのチケットを買って、世界がひっくり返るような衝撃を受けました。
ベテランの円熟味と若手の超絶技巧のテクニックが絶妙なバランスで調和していた素晴らしい公演だっ たんです。
当然、バレエ熱は一気にヒートアップ。
そして私のバレエ歴はパリ・オペラ座のパトリック・デュポンを中心に動くようになります。
(数年後にはそれにシルヴィ・ギエムが加わり、更に数年後ルジマトフが加わって、そりゃあもう大変なこ とになる)
実は20世紀バレエ団も観る
世界バレエフェスにジョルジュ・ドン、ミッシェル・ガスカール、ジル・ロマンの3人が出ていて超はまる。
もっともこれは遅くって、20世紀バレエ団にはまるんだったら普通はこれの4年くらい前にはまってるは ずで、私は遅れたファンでした。
今考えるとこの3人って20世紀バレエ団の中枢を担う人たちだったんですね。
ジル・ロマンはAプロに出られなかったジョルジュ・ドンのピンチヒッターで出演。
当時はまだぺーぺーだったけど、すぐに頭角を現していずれジョルジュ・ドンの跡を継ぐんだろうな、と誰 もが思った人だったから、あの時点で3人を同時に観られたというのは暁光でした。
まあ、それはおいといて、何にはまったってやっぱりミッシェル・ガスカールの美青年っぷり
もう信じられないくらい綺麗で簡単に魂を持っていかれました。
ビデオに撮ってある『ディオニソス』は宝物。
テープがこれ以上痛まないうちにDVDに録画し直したい。(あと世界バレエフェスのやつも)
『東京芝居探検隊』
という本に出会う。
いっしょに『芝居狂いがうつる本』という本も手に入れる。
両方とも「初日通信」という私に多大な影響を与えたグループ(?)の編集による本でした。
要するに芝居を観ることに取り憑かれた人たち用の本で、まさしく私のためにあるような本でした。
これを読んで「なあんだ、私なんて普通だわ」と大きな勘違いをして、更にディープにはまることになる。
さようなら、劇団四季
色々な理由があるけれど、それを一つ一つあげることはここではしません。
ただ、あの当時の四季がやろうとしていたことは本当に無理があって、劇団の進もうとしている方向につ いていけなくなってしまったんですね。
マジ、この辺で古いファンって結構離れていったんじゃないでしょうか。
例の友達は私には決して何も話してはくれなかったけれど、劇団内で色々あるらしいことは外から見て ても十分に分かりました。(結局、彼女も退団しちゃいました。彼女以外にもたくさんやめましたっけ)
市村正親さんが退団したのは一つのきっかけでした。
もう四季はダメだな、と思いつつ未練たらしく観ては「ああ、やっぱりダメだ」と溜息をついていた自分に 終止符を打つきっかけを与えてくれました。
それでも四季の会の会員はやめていない私が一番どうしようもないかも(苦笑)
若松武史氏に惚れる
当時は若松武でした。
初めて見たのは蜷川幸雄の『テンペスト』。
若松さんが舞台に登場して三歩目くらいに魂を持っていかれてしまいました。
あんなに色気のあるアントニオはいない。(断言)
色悪と言う言葉が本当に似合う人で「許していいのか、プロスペロー。こいつ改心なんかしてないぞ。後 で絶対、泣きをみるぞ」と声を掛けたくなるくらい油断のならないアントニオでした。
その若松さんの良さが120パーセント出たのが『野田版 から騒ぎ』
もうパーフェクトにすごくって休憩に入ると周りが一斉に「この人誰?」って感じでパンフ見てましたもん。
若松さんだけでなく、私の観劇歴でもベスト5に入る芝居で1ヶ月の間に8回観に行きましたっけ。
チケットが取れたらもっと行ってたの確実。
野田秀樹演出ってことで、さすがに評判が高くって初日を見てすぐに取れるだけのチケットを買ったんだ けどこれが精一杯。
楽日は既に取ってあった夜の部とは別に昼の部を劇場前で張り込んで「チケット余ってるんですけど」っ ていう人から買ったというバカッぷり。(もちろん会社は休んだ←おい)
ああ、なのにNHKったらTV中継でアングル悪いしカットしまくるし。(カットしたとこが今をときめく渡辺い っけいと柴田理恵のシーンばかりだったってのがホントお間抜け)

この方については語り尽くせないので、いずれ別項で。
10万円にどっきり
ある日、何気なく手持ちのチケットの合計金額を数えてみました。
バレエのチケットが入っていたとはいえ、ほとんどの券種が3000円〜5000円位のものだったのに 段々10万円に近づいて心臓がドキドキ。
10万円を超えたところで数えるのをやめました。
なんかさすがに、人としてちょっとどうよ、という気がして…(苦笑)
観劇サークル
いつの間にか会社内で観劇サークルが出来る。
何のことはない、私がこれはと思う芝居をリストアップして行きたい人を募ってるだけの話。
でも結構好評で「クソッ、こんなに集まるんだったらもっと早く手配すれば団体割引になったじゃん」という 時もありました。
そのうち、ディズニーマニアの子が『美女と野獣』を観たいと言い出して困る。
頼まれて『キャッツ』のチケットを取ったりはしてたんだけど、仕方ないので久しぶりで自分が観るために 四季のチケットを取りました。
面白かった。(笑)
この頃から、また少しずつ四季を観るようになる。
そして現在
◆歌舞伎は年に2〜3回観ています。相変わらず勘九郎中心。

◆劇団四季も観ている。
『ライオンキング』なんて「超くだらない〜」と言いつつ4回も観てしまった。
あれに関しては本当に1回観れば十分だと思っているだけに、とっても不本意。(笑)
新作は多分観ないでしょう。
浅利さんの演出能力が落ちているのは確実だし(あ、これは悪口ではありません。一応そう考える理由 もあるのですが、それ語ると長いので)
もう『キャッツ』とか『美女と野獣』みたいに安心して観られるのでいいやと思っています。

◆小劇場は好きだった劇団が軒並み解散しちゃったのが痛いですね。
遊眠社が解散して、第三舞台の活動が途切れがちになり、サンシャインボーイズが解散したところで私 の中でも芝居の糸がプチって切れた感じがしました。
小劇場が一番エネルギッシュに動いていたときのをガンガン観てましたから、どこかで「もういいかな」と いう気がしたのは否めません。
小劇場で活躍していた人たちが商業演劇に移ってきてるっていうのもあるし。(だから商業演劇の質も変 わってきましたよね。すごく面白くなっている)
取り合えず野田秀樹と鴻上尚史、三谷幸喜だけは押さえたいと思っているのですが、みんな考えてるこ とは同じらしくチケットを取るのに難儀しています。(苦笑)

◆バレエもパトリック・デュポンがもうアレですからねぇ。
ブフォネスはとっくに引退しちゃったし、ドン死んじゃったし、ミッシェル・ガスカールはコーチになっちゃっ たし。
バレエダンサーの(特に男性)の寿命って短すぎます。
ただ世界バレエフェスティバルだけは、特にガラ公演は死ぬ気でチケットを確保しています。
一応いつも1階席を確保している自分を褒めてあげたいと思っています。


実は今年の初めくらいに「もう芝居は見なくて良いかな」と思っていたのです。
久しぶりにいろんな事をまじめに考えて、もっと別なことを中心の生活にしなければと思ったんですね。
それが4月に野田秀樹の『贋作桜の森の満開の下』を観てあっさり考えを改めまして。(笑)
幕が開いた瞬間のあれを何て表現すればいいのでしょう。
ただ「ああ、私はこの瞬間を感じるために生きているんだな」と思ったことだけは間違いありません。
所詮、全ての基準を楽しいかどうかで決めるコアラ。
結局これからもずっと観ていくのでしょう。回数は少なくなってもね。