正軍師殿の憂鬱
「なんでこんなに忙しいんだ」
書類に埋もれながらシュウはいらいらと呟いた。
確かに自分は新同盟軍の軍師を引き受けた。引き受けはしたが、行政にまで携わるつもりは毛頭なかった。
もちろん多少手助けをしてやることは必要だろうと思っていた。知恵を貸してくれと言われれば教えてやることも厭わ
ないつもりでいた。それくらいの覚悟はしていたのだ。
だが、次から次へと何でもかんでも自分のところに回ってくるのはどういう訳か。
自分は軍師である。だから策を練り軍を編成し兵の鍛錬をし軍備を整えることは、やぶさかではない。戦場で必要な
兵糧も調達するし、そのついでに本拠地に住まう人々を養うための食料や備品を揃える事だってやっている。
しかし城の修繕や改装のたびに自腹を切り、資金調達のために交易の指導をし、保護を求めてくる民間人に宿舎の
斡旋をし揉め事がおきれば仲裁もし、人足たちの賃上げ要求交渉に臨んだり経費のチェックをすることまで、全部自分
がやらなければいけないことなのか?
これは本拠地の機能を維持するための機構が整っていないのが原因だろうと、細かい役割分担まで考えた行政組織
を作ってやったのだが、何故かというか当然というか気づいてみれば自分がその組織のトップに立っている。そして今
では診療所の薬一つ買うのにもシュウのサインが必要になっていて、余計に煩雑な仕事が増えてしまったのだ。司法、
立法、行政の三権を握っていると言えば聞こえは良いが、これでは体のいい小間使いではないか。
どうしてこんな事になってしまうのか。答は嫌になるくらい簡単に分かる。
そもそもこの同盟軍、体力自慢の猛者ならそこら中にいるのに、頭の使える人間が悲しいくらい少ないのだ。
もちろん、今この時点において同盟軍が何を目指し何を成せばいいのかというところまで見通しているのは自分一人
だろうとシュウも自負はしている。この戦いが単に二つの国の小競り合いで終わるようなものではないということまで分
かっているのが、両国合わせても何人いるか。だから、さすがにこのレベルまで来いとは言わないが、もう少し何とかな
ってもいいんじゃないのか、と思うのである。
だが、都市同盟の盟主ミューズが陥落しサウスウィンド市では市長を失ったというのに、狂皇子ルカ率いるハイランド
と戦おうと考え同盟に志願してくるのは、当然ながら熱血系の剣士や兵隊上がりが多い。ちょっと頭の働く人間なら、そ
の理想や心情は同盟軍側にあったとしても直接的な行動には出づらいだろう。というより、普通は同盟軍に入ったりは
しないだろう。
かくして本拠地はとてもアンバランスに人が増え続けていた。
だからといってシュウがただ手をこまねいて見ていたわけではない。少しでも使えそうな人間はどんどん試しに使って
みたし、その結果によって適材適所の配置をしてきた。しかし、そこそこ事務をこなせても肝心の自分の補佐を任せら
れるような人間がどうしても見つからない。
本当ならリーダーであるリンが指揮を取り、自分は補佐に徹するのが理想なのだが、まだリーダーとしての自覚にも
薄い彼にそこまで責任を押しつけることはできない。そもそも年少すぎて、そこまでの判断力も知識もないのだ。重要書
類に関しては自分が理解できるように説明してからサインさせているからいいのだが、どう見たってリンにはそれが精
一杯である。むしろ宿星の仲間を集めることを初めとしてリンにしか出来ないことが数多くあるのだから、雑事で煩わさ
ないようにすることこそが自分に課せられた仕事なのだ。
そうなるとシュウが実質的な指揮を取らざるを得なくなる。どんな相手に対しても顎で使うようなシュウの態度に眉を顰
める者もいるが、本当にあくどくやるつもりならとっくにリンを傀儡にして同盟軍など乗っ取っている。
『まったく俺もお人好しなことだ』
自分ではそう思うのだが、周りの誰一人としてそう考えていないところが可哀想と言えば可哀想である。
何はともあれ、自分以外にこの城の内外を動かしていくことができる人間はいないのである。となれば、速やかに優
秀な補佐官を得る必要があった。
幹部の中でもっとも頼りになると言えばビクトールとフリックのコンビである。だが、この二人もこと内務に関してはどう
やって傭兵たちをまとめていたのか不思議に思えるほどの大ざっぱさで(フリックには異論があるだろうが)シュウには
耐え難いものでしかない。
一番信用のおけるアップルは自分のような目には遭わせたくないので軍の編成に専念してもらっている。と言えば聞
こえがいいが、いくら優秀な妹弟子でも経理の帳簿が見られるわけではないし、必ず最終的にはシュウの判断を仰い
でくるので二度手間だな、と思ってはずしてしまったのだ。(ひ、酷いです。シュウ兄さん)
次に期待できるのはフリードだった。なんと言ってもグランマイヤー市長の側近だったというところが頼もしい。だが彼
の事は一日で諦めた。
仕事が出来ないから、という訳ではない。とにかく前口上が長いのに閉口したのだ。理想と熱意に燃えるのは結構だ
が、仕事を頼むたび「不肖、私フリード・・・・・・全力であたらせていただきますっっ!」とくる。・・・の部分をもう少し減らし
てもらえないものかと注意を促したのだが、更に倍する答えが返ってきて埒があかない。そう言えば、ソロン・ジー軍の
スパイを任命したときも、こちらがたじろいでしまうほどすごい勢いだったなと思いだして、あまり係わりのない部署に移
ってもらった。
『この分だと、ミューズの副市長ってやつもあまり当てにならないかも知れん』
まだ同盟軍に入ってもいない人間のことまで、そんな風に考えてしまう。
地図職人の少年もとても優秀である。正確な地図を持ち、どんな場所のどんな地形にも精通しているというのは、軍
隊ではとてつもなく大きな武器になる。テンプルトンの熱心さと緻密さをもってすればかなりの仕事ができるはずだ。だ
が彼の実力が地図作りにしか発揮されないところがシュウには悲しい。子供は自分の興味があることしかできないの
だ。
そう、もう一つのシュウの悩みはここにある。
『なんで子供ばかりなんだ』
リンはそのもって生まれた器量なのか天魁星の器だからなのか、老若男女動物の区別なく人を惹き付けてやまない
ものがあるらしい。しかし、いくら仲間だといって戦力にも実務にも期待できない子供やムササビやばかりをつれてこら
れても困るのである。
いや、地道に育てていけば彼らも戦闘員としてそこそこ使えるらしいというのはビクトールから聞いていた。だが、今シ
ュウが欲しいのは文官なのである。子供に書類仕事なんて出来るわけないじゃないか。
しかも忌々しいことにシュウが毎日書類に埋もれて目が回るほど忙しいのに、彼らはいつも楽しそうに中庭で遊んで
いる。
『どうしてこんなに馬鹿ばかりなんだ』
つい心の中で八つ当たりしてしまうのも仕方ないだろう。
それに絶対的に自分の能力に自信を持っているくせに、その自分の眼鏡に適うような人間がそうそういる訳がないと
いう当たり前の事実に気づく余裕がないあたり、シュウも結構壊れかけているのかも知れなかった。
『どこかにいないのか。俺が指示する前に俺の意を汲んで行動できるような、ぶっちゃけて言えば一を聞いて十を知る
ような人間は』
そんな都合のいい人は滅多にいないということをシュウは身をもって感じていた。
ある日、ふらりと現れた男はなかなか使えそうな男だった。ミューズでアナベルに仕えていたというその男は無精ひげ
を伸ばしちゃらんぽらんを装う、かなり癖のあるキャラクターのようだった。だがトゥーリバーとの同盟を画策し独断で行
動に移すなど、現状を把握する力も決断力もかなりのものを感じさせる。アナベルが外交を任せていたというのはフロ
ックではないのだろう。
『しかし、あの男を側に置くのは…。やはり外交の方が向いているだろうな』
色々理屈を考えたが、要するにもう少し見た目が良い方が心の潤いになるというのが本音だった。もっとも向こうもシ
ュウの補佐というのは嫌がるだろうし、アナベルがさせていたように同盟軍でも外交をしっかりとやってもらえれば十分
だ。忙しすぎてどうしようもなくなっているシュウとしてはそれだけでも嬉しかった。
問題は彼が現在トゥーリバー市の所属にあるということだったが、それは裏から手を回せばなんとでもなるだろう。
『さて、何と言って彼を仲間に加えるようリン殿を説得しようか』
そんなことを考えながらシュウは馬上で揺られていた。
実は今は本当はそんな悠長なことを考えている場合ではないのである。その男、フィッチャーからの極秘の手紙で分
裂状態にあるトゥーリバー市がハイランド軍に落とされる可能性があるというので、援軍を率いて向かっている途中な
のだ。
もちろん緊急事態ではあるのだが、報告が早かったことで(やはり俺の目に狂いはない、とちょっと嬉しい)最善の手
を尽くすことができた。コボルト村と同盟の援軍が加われば、どんなに苦戦していても負け戦ということにはならないだ
ろう。しかも一緒に戦ってトゥーリバーを救ったという恩を売れば、もとい一緒に戦ってトゥーリバーを救ったという一体
感にコボルト族の頑なな心も開かれる可能性が高くなる。
そう考えていたシュウの期待は良い方に裏切られていた。先行して状況を見に走った兵の報告では、人間とコボルト
の連合だけでなくウィングボードまで加わってハイランド軍と善戦しているというのである。
『ウィングボードまで味方に付けるとは、さすがはリン殿。俺がリーダーと見込んだだけのことはある』
嬉しくて胸がはち切れそうになる。この際嬉しいのが、リンがリーダーにふさわしい人物だったということなのか、それ
を見抜いた己の力量のことなのか、というのは置いておこう。
とにかくこの機に乗じない手はない。
「急げっ!リン殿に合流してハイランド軍を叩きのめすのだっ」
おうっと挙がった声も勇ましく、兵士たちは進軍の足を早めた。
ハイランドはキバ将軍の第三軍だという。勇猛で知られる第三軍だから一気に勝利に持ち込むというのは無理かもし
れないが、これからのことを考えたら少しでも戦力を削いで撃退したい。これは偽らざる本音である。
だが、もう少しで合流できるかという地点まで来た時、シュウは信じられないものを見た。
まるで援軍の到着を計ったように第三軍が一斉に兵を退き始めたのだ。悔しいがここからではどんなに馬を急がせ
ても三軍本隊を追撃することはできない。しかも退いていく部隊としんがりを務める部隊との連携が見事で、トゥーリバ
ー連合軍はしんがり部隊の誘導作戦に見事に引っかかって、多くのハイランド兵を取り逃がしている。
まあ、当初の目的は達せられるわけだからそれでも構わないのだが、目の前で鮮やかに展開される陣形を見ると軍
師としての血が騒いだ。
『いったい誰が指揮しているんだ』
キバ将軍の旗印が退いていくのは見えていた。だからこの場の指揮は他の人間が出しているはずなのだ。キバ将軍
の有能な補佐官というと……。
『あれか』
軍人と言うには少し華奢な姿を馬上に見つけた。おそらくあれがキバ将軍の子息にして軍師であるクラウスなのだろ
う。
そのときフッとクラウスがこちらを見た。それほど近い距離でもないのに何となく視線が合った気がしてドキリとする。
『馬鹿な。単に援軍との距離を測ったのだ』
その考えは正しかったのだろう。すぐにクラウスが合図を出した。最後まで残っていた兵士たちは確実に戦闘ラインを
下げ始め、次の合図で完全撤退に走り出した。
「ほう、なかなか見事な撤退じゃないか」
思わず上げた声が聞こえたはずがない。大分距離が狭まっていたとは言え、聞こえるほどには近くない。だが馬を駆
けさせようとしていたクラウスが声と同時にチラリとこちらを振り向いた。
今度こそ目が合ったと思った瞬間、クラウスは踵を返すと兵士と共に走り去っていた。
「やったあー、あいつら逃げてくぞぉっ!」
ウィングボードの少年が上げた声を合図に大きな歓声が沸き起こった。
人間とコボルトとウィングボードの三種族が晴れて一つになった記念すべき瞬間である。
リンが到着した援軍に気づいて嬉しそうにシュウの元に駆け寄ってきた。それを労いながら、しかしシュウの心は別の
ところに飛んでいた。
『あれが欲しいっ』
あの若さで見事な軍師ぶりだった。最後に悔しそうにこちらを睨みつけたのも気に入った。そして何より…。
『仕事、出来そうだったなー』
かくして、シュウのクラウス獲得大作戦がここに始まったのだ。
シュウは最初からクラウスを仲間に引き入れるつもりだったはず、というのが海棠の持論です。
だからといって何だってこんなふざけたシュウになってしまったんでしょう。
書き始めたときはバリバリのシリアスだったはずなのに。(汗)
シュウファンの皆様、ごめんなさい。
そしてクラウスはどちらにしてもシュウにこき使われる運命なんですね。
気の毒に。(笑)

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