天使と小悪魔 
          
           
          
           
          
          
           シュウは頭を悩ませていた。 
          
           事の起こりは先日の自動車事故だった。レコーディングの最中に起こした事故は周りに多大な迷惑を掛けたものの
           
          後遺症が残るような酷い怪我がなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。順調に回復したこともあって退院と共に今
           
          まで通りの日常を取り戻していた…筈だった。ただ一点を除いては。 
          
           
          
          「シュウ、お肉好きですか?」 
          
          「ああ」 
          
          「じゃあ、これも買いましょう」 
          
           クラウスが楽しそうにいそいそとカートを押している。 
          
           そのクラウスこそがシュウを悩ませている一点だったのだ。 
          
           
          
           クラウスはシュウが入院している間、毎日のように見舞いに来た。遠足のつもりではないだろうが寝袋持参で泊まり
           
          込みもしていた。(もちろん、病院側が付き添い用のベッドを用意してくれたから使わなかったが)たまに大学や仕事の
           
          都合でどうしても明日来られないというときは本当に悲しそうに何度も「ごめんなさい」と謝っていた。 
          
           シュウはクラウスを憎からず思っている。まあ、有り体に言ってしまえば惚れている。心底参っていると言ってもいいく
           
          らいだ。それまではプライベートで会うことなど数えるくらいしかなかったのだからクラウスと毎日会える入院生活が嬉し
           
          くなかったはずはない。けれど、それを手放しでは喜べなかった理由がある。 
          
           何故ならクラウスはカミューのことが好きなのだ。 
          
           今でもクラウスがカミューに「大好き」と告白して二人が抱き合っていたシーンを思い出すと心臓を鷲掴みにされたよう
           
          な気分になる。 
          
           クラウスが足繁く病室に通ってくるのも、どうやらカミューに頼まれてのことらしい。クラウスは一途なまでにカミューを
           
          慕っていてカミューの言葉を守ろうと懸命なのだ。そのいじらしさが自分に向けられた物でないことが悔しかった。 
          
           そして同時にカミューに対しても腹が立っていた。クラウスのそういった純粋さはカミューだって知っているはずなの
           
          だ。それを知っていて、どうしてそんな頼み事をしたのだろう。 
          
           カミューにはマイクロトフという決まった相手がいる。どこをどうしたってクラウスが入り込む余地などないくらいあの二
           
          人の結びつきは強い。だが、クラウスはそういった方面に滅法鈍いのだ。カミューもあからさまにクラウスの気持ちを退
           
          けることが出来なくて、次善の策としてシュウの面倒を見させていればそのうち気が変わるとでも思ったのだろうか。 
          
           
          
          「………ですか?」 
          
          「え?あ、すまん。聞いてなかった。何だ?」 
          
          「…やっぱりご迷惑ですよね、こんな急に」 
          
          「いや、そんなことはない」 
          
          「でも難しい顔してたし」 
          
          「それはいつものことだ」 
          
          「そんなことないですっ。シュウはいつも素敵ですっ」 
          
           そう言ってから、クラウスは何故か赤くなって俯いている。 
          
           どうしてそこで赤くなるんだ、とシュウは聞きたい気持ちで一杯だった。 
          
          『それじゃあ、まるで俺に…いや、無用な期待をしてはいけない』 
          
           入院中、クラウスの笑顔を見るたびにそう自戒してきた言葉をまた心の中で唱えていた。 
          
           
          
           入院直後、やってきたホウアンに「まだ物にしてないのか」などとハッパをかけられたが、シュウだって黙って見ている
           
          つもりはなかった。 
          
           今現在クラウスの気持ちがカミューにあるからといって諦めるつもりは更々ない。ただ、強引に出ることを躊躇ってし
           
          まうのは、クラウスが恋愛に対して超奥手であることと、デュナンがグループとして未だ嘗てないくらい良い状態だった
           
          からだ。シュウはクラウスのことはもちろんだが、実はデュナンの事も非常に大事にしていたのだ。まるで冷血漢のよう
           
          に評されることが多いシュウだが、自分の我を通す事がデュナンの人間関係にひびを入れるのではないかと躊躇う気
           
          持ちは少なからず持っていた。 
          
           どうにも微妙だったのはクラウスとカミューの仲が進展していないかといえばそうでもないらしい事で、何かというと二
           
          人でコソコソと楽しそうに話しているのを目にする事が多くなっていた。そんな風に二人でいるところに知らずに入り込
           
          んでしまうと気まずいことこの上ない。何よりもクラウスが見ていて気の毒になるくらいあからさまにドギマギとしている
           
          のだ。 
          
          『どうやら俺は邪魔らしい』 
          
           不愉快には違いないが、二人の楽しそうな様子を見ているほど自虐的な趣味もない。素早く用事を済ませて部屋を出
           
          ようとすると何故かクラウスが追いすがるように話しかけてくるのだ。それがいかにも取って付けたような話題で「今日
           
          は天気が良いですね」などと言われた日にはなんと返事をすればいいのか、目眩すらしてくる。「ああ、そうだな」と取り
           
          合えず言ってはみる物のそれ以上会話が発展するはずもなく、ガッカリしたようなクラウスを置いて部屋を出るしかな
           
          い。 
          
           つまりクラウスは未だにカミューの言葉を健気に守っているということらしい。 
          
           
          
          『カミューに頼まれたからといってそこまで俺に気を遣うことはないのだ。そう、何もこんな…』 
          
          「シュウ、このエプロン借りていいですか」 
          
          「ああ、いいぞ」 
          
           答えながらシュウは頭を抱えそうになっていた。 
          
          『どうしてクラウスがうちのキッチンにいるんだっ』 
          
           
          
           
          
           
          
           最初のきっかけが何だったか、混乱した頭ではそれすら思い出せない。とにかく気が付いたらクラウスがうちに来て
           
          料理を作ると言って張り切っていたのだ。 
          
           家に来てくれるのは嬉しいが、シュウだってそうそう自制心が持つとは言い切れない。クラウスが張り切る理由も解ら
           
          なくて「そんなに頻繁に自炊をするわけではないから材料などない」と牽制してみると「じゃあ、買って帰りましょう」とこれ
           
          また張り切ってスーバーに引っ張られて来てしまった。 
          
           二人で一緒に買い物をするのはとても妙な気分だった。クラウスは楽しそうに商品を選んでいて、時折向けられる輝く
           
          ような笑顔を見ているとまるで恋人同士になったような気がしてしまう。 
          
           そして今、エプロンを付けたクラウスがキッチンにいるのだ。 
          
          「何か手伝おうか」 
          
           クラウスは驚いたように振り返ると「いいから座っててください」と言ってシュウをキッチンから追い出そうとした。 
          
           軽く腕を押されて鼻先にクラウスの髪がさらりと揺れて、シュウの心臓が一気に跳ね上がる。 
          
          「簡単な物しか作れないけどテレビでも見て待っていてくださいね」 
          
           ニッコリと微笑まれて仕方なくリビングに戻ったが手持ちぶさたで落ち着かない。取り合えずテレビを付けてソファに
           
          座り込んだものの、とてもテレビを見ていられる状態ではなかった。 
          
          『何なんだ、このシチュエーションは』 
          
           シュウの頭の中には「恋人」とか「新婚」という言葉がグルグルと回っていた。 
          
           一体全体、クラウスはどうしたというのだろう。 
          
          『何故俺にこんな事をする?どうせなら好きなヤツにやってやればいいじゃないか。それとも俺はカミューの身代わり
           
          か?』 
          
           ここまでクラウスに尽くされる(?)カミューにはいい加減、一言言ってやらなければならない気がしてきた。 
          
           カミューの好意か何か知らないが、そんなお膳立てをしてくれなくてもクラウスにアプローチするときは自分からする。
           
          クラウスの気持ちを逆手にとってシュウの面倒を見させるような、そんなことをしてもらわなくても良いのだ。 
          
           本当なら入院している時にきちっと言っておくべきだったのだろう。けれど事故のせいでリーダーであるカミューに多
           
          大な負担を掛けたことを考えると、いきなり文句を言うことはできなかった。 
          
          『せめてゴルドーのことがなければな』 
          
           さるテレビ局の大物プロデューサー、ゴルドーは常々カミューに妙な秋波を送っていてカミューもマイクロトフも毛嫌い
           
          していたのだが、シュウの事故で番組に穴を開けることになったと知るや、カミューがソロで出ればいいとそれはしつこ
           
          く言いだしたらしいのだ。番組的にはデュナンの代わりにワープと新人の美少年トリオ(デビュー曲『ブラックを探して』
           
          が大ヒット中)が出演することで了承されていたのだが、ゴルドーはそんな取り決めをひっくり返す勢いで事務所に迫っ
           
          たため、仕方なくカミューはゴルドーと食事をして頭を下げて謝ったらしい。 
          
           もちろん事務所の人間やメンバーは誰もシュウにそんなことを伝えなかったが、カミューを連れ回して相当ご満悦だっ
           
          たらしいゴルドーの様子は噂話として簡単にシュウの耳にも入ってきた。「すまなかったな」と謝ると「まあ、どっちにしろ
           
          ヤツとは1回くらい食事でもしないとすまなそうだったし」と事も無げに答えたカミューの笑顔に何十倍もの借りを作って
           
          しまった気がするのは絶対に気のせいではなかったと思う。 
          
          『くそっ、こんな事でカミューに頭が上がらなくなるとは』 
          
          「シュウ?」 
          
           考え込んでいて気が付かなかった。ハッと顔を上げると覗き込んでいるクラウスの顔が間近にあって驚いた。 
          
          「アニメが好きなんですか?」 
          
           見るとテレビ画面ではおかっぱの女の子が「神の一手」とかなんとか言っていた。 
          
          「いや、別にそういうわけでは」 
          
          「これって、碁のマンガですよね」 
          
          「そうなのか?」 
          
           碁なんかマンガにして楽しいのだろうかという素朴な疑問が浮かんでくる。 
          
          「ええ、御厨さんと三国さんが言ってました。この男の子が可愛いって」 
          
          「おかっぱの…男の子だったのか」 
          
          「こんなに可愛いと間違えますよね。私も最初女の子かと思いました」 
          
           お前、自分の容姿を棚に上げて、とはクラウスが気にしていることなので言わなかった。 
          
          「凄く人気があるらしいですよ。この子が攻めで受けでヒカサイなんですって」 
          
          「何だ、それは。日本語か?」 
          
          「…多分」 
          
          「大体、攻めるの反対は守るだろう?」 
          
          「そうですよねぇ」 
          
          「大丈夫なのか、お前の大学。レベル落ちてないか?」 
          
          「そんなことはないと思うんですけど。ミクミクさん達も成績いいし」 
          
           ミクミク?そうか、御厨と三国がミクミクなのか、とシーナから聞いた話を思い出していた。 
          
          「それはその」 
          
           シュウは少し咳払いをした。シーナの話によればミクミクというのは大学にいる熱狂的なクラウスファンの女の子でク
           
          ラウスの後を付けて歩いては喜んでいるらしいのだ。加えてシーナは「シナクラはどうよってミクミクさんに言われて参っ
           
          ちゃった」と言っていた。 
          
           シナクラ…。意味は分からないが何となく、いや、非常に不愉快な響きだと今更ながらにシュウは思っていた。 
          
          「ミクミクというのはお前の後を付けている子達だろう」 
          
           するとクラウスは驚いたように目を見張った。 
          
          「どうして知ってるんですか?あ、いえ、でも多分私の気のせいなんです。ちょっと疲れてるみたいで」 
          
           それは違うだろう。 
          
          「あの、でも全然大丈夫ですから。自意識過剰だなんて笑わないで下さいね」 
          
          「誰が笑うか。お前はもっと自分の回りのことに気を付けた方がいい」 
          
          「私のこと、心配してくれるんですか」 
          
          「当たり前だ」 
          
           思いっきり言い切ったらクラウスは何故か嬉しそうに頬を染めた。 
          
           二人の間にそこはかとなく漂ったぽややんとしたムードは、だがテレビから流れてきた「ゴーゴーイゴー」という威勢の
           
          良い言葉で簡単に破られてしまった。 
          
          「碁か。しばらくやってないな」 
          
           何となく気恥ずかしくてわざとらしく話題を逸らしたのだが、意外やクラウスが乗ってきた。 
          
          「シュウ、碁を打つんですか」 
          
          「ホウアンの相手で少しな」 
          
          「私も!私も父の相手で少し打つんです。碁とか将棋とか。チェスも好きです」 
          
          「じゃあ、今度一局相手をしてもらおうか」 
          
          「ホントですか。ええ、喜んで。約束ですよ」 
          
           クラウスは文字通り飛び跳ねるように喜ぶとシュウの手を取って指切りげんまんをした。 
          
          「そうだ。忘れてました。料理が出来たんです。一緒にテーブルに並べてくれますか」 
          
           そう言ってクラウスは手を繋いだままシュウを引っ張っていく。 
          
          『この俺が、デュナンのシュウともあろうものがこの体たらくとはどうしたことだ。しっかりしろ、シュウ』 
          
           年甲斐もなく手など繋いでシュウの心臓はバクバクいっていた。 
          
           
          
           
          
           
          
          『これが恋人同士でなかったとしたら一体何だというのだろう』 
          
           テーブルには料理が並び、そして目の前には愛しいと思う相手が微笑んでいる。これが敵同士だというのなら、喜ん
           
          で敵にでも何でもなってやろうとさえ思う。 
          
          「ご馳走だな」 
          
          「そんな、簡単に出来るものばかりなのに」 
          
           クラウスは恥ずかしそうだ。 
          
          「だってお肉なんて焼いただけだしサラダだって野菜ちぎっただけだし、スープはタキさんが教えてくれたんですけどとっ
           
          ても簡単に出来て」 
          
          「それでもこのテーブルにこんなに料理が並ぶのは初めてだ」 
          
          「ホントですか」 
          
           クラウスが嬉しそうにニッコリと笑った。 
          
          『可愛い、可愛すぎる』 
          
           クラッとふらつきそうになるのを堪えてワインのコルクを抜いた。 
          
          「お前も飲むか?」 
          
           クラウスが少し真剣な目をした。 
          
          「いや、これは別に」 
          
           決して下心があるわけでは、と慌てて言い訳をしようとしたシュウにクラウスがポツンと呟いた。 
          
          「飲んじゃおうかな」 
          
          「え?」 
          
           いつもならみんなの迷惑になるからと言って決して口にしない酒を飲むというのか? 
          
          『こ、こ、これは俺に気を許しているということだろうか』 
          
           シュウの動揺に気付いたのかどうか、クラウスはいたずらっぽい目をした。 
          
          「でも、少しだけですよ」 
          
           二人でグラスを合わせるとバカラのワイングラスが澄んだ音を立てる。 
          
           コクッと一口飲んでクラウスがニッコリと笑う。シュウは狼狽えそうになる己を叱責しながら何食わぬ顔をしてナイフと
           
          フォークを使っていた。 
          
          「美味い」 
          
          「本当?」 
          
          「ああ、料理が得意とは知らなかったな」 
          
          「じゃあ、また作りに来てもいいですか?」 
          
           可愛く尋ねられて思わず頷きながら内心苦笑していた。 
          
           これではまんま、付き合い始めたばかりのカップルの会話だ。まさかとは思うが、誰にでもこんな風に無防備に接して
           
          るんじゃないだろうなと少し心配になってくる。他の奴らにこんな事をしたら絶対に誤解する。シュウだってクラウスがカ
           
          ミューに告白しているところを見ていなかったら誤解していたところだ。 
          
          『恋人に昇格できるまでは保護者でいるのも致し方ないか』 
          
           そう、悪い虫を近づけないためにもそれは必要なことだろう。 
          
           シュウは自分の取るべき立場をやっと確認できて密かな決意に燃えていた。 
          
           
          
           
          
           
          
           食事が終わってから二人で一緒に片づけをしてもクラウスは帰る気配を見せなかった。 
          
           それでは、とコーヒーを飲みながらソファでくつろいでたわいもないことを話しているうちにクラウスは大分リラックスし
           
          てきたのか隣に座っているシュウに少しずつ凭れてくる。 
          
          『それともワインに少し酔ったのかな』 
          
           そんなに飲ませてはいないのだが、と思っているとクラウスがポツンと呟いた。 
          
          「なんか眠くなってきちゃった」 
          
           シュウは硬直した。 
          
          『こ、これは…誘われているのか?』 
          
           いや、クラウスに限ってそんなことは絶対ない。 
          
           それは分かっている。十分すぎるくらいに解っているのだが、完全に体重が預けられてサラサラした髪の感触が服越
           
          しにも伝わってくると、肩に腕を回したいという欲求を退けるのは困難だ。 
          
           シュウは自分の欲望と必死で戦っていた。 
          
          『ダメだ、クラウス。お前は無防備すぎる。まったくもって隙だらけだ。俺だからいいが他のヤツならとっくに襲ってるぞ』 
          
           本当に他のヤツにもこんな風に接するのかと思うと気が気ではなかった。これでは余りにも危険すぎる。さり気なく注
           
          意した方がいいかもしれない。 
          
           シュウは深呼吸をした。 
          
          「クラウス」 
          
           だが返事がない。おやっと思ってみるとクラウスは健やかな寝息を立ててしっかりと寝ているようだった。 
          
          「まさか本当に寝るとは」 
          
           信頼されているというよりは男だと認識されていないのかもしれないと少しガックリするが、男に襲われるという認識が
           
          ないから困るのだと思い直した。 
          
           シュウが認識されていないのはともかくとして、他の男に前でもこんな風に無防備に寝込んだりしたら、それこそ大変
           
          なことになってしまう。 
          
           シュウの頭の中では「据え膳食わぬは」とか「鴨ネギ」とか「まな板の鯉」とか、それはもうありとあらゆる慣用句が渦を
           
          巻いていた。 
          
          『これはやはり叱っておいた方がいいだろう』 
          
           シュウはクラウスをそっと揺り動かした。 
          
          「クラウス、風邪をひくぞ」 
          
           フッと目覚めたクラウスは霞がかったような目でシュウを見上げた。その瞳に吸い込まれるように唇を寄せそうになっ
           
          て慌てて理性で押さえ込んだ。 
          
           本当ならキスどころか押し倒したいところだが、それだけはいけないのだ。クラウスにはその気が全くないのだからク
           
          ラウスを傷つけることは決してしてはならないと決めている。 
          
           だが、と気持ちが揺れた。 
          
          『いっそのこと告白してしまおうか』 
          
           クラウスは鈍いから聞いたらきっと驚くだろう。そしてシュウに気を遣って断りたくても断れないかもしれない。そんな付
           
          き合い方をするのは本意ではない。 
          
           それでも自分の気持ちを伝えたいという欲求はどうしようもなかった。 
          
           カミューがクラウスを振り向くことは決してないだろう。クラウスが失恋をしたとき、せめてその時に支えてあげられるく
           
          らい信頼されていればと思っていたが、そんなに待ってはいられない。 
          
           今、気持ちを伝えたかった。そしてキスをしたかった。 
          
          「クラウス」 
          
           両手を肩に置き、クラウスの目を見つめた。 
          
          「はい」 
          
           クラウスが素直に見つめ返してきた。 
          
          「俺はお前が好…」 
          
           クシュン、とクラウスがくしゃみをした。 
          
          「あ、ごめんなさい。何でしたっけ」 
          
          「…うたた寝なんかするからだぞ」 
          
          「だってシュウの側だと安心できるから」 
          
           一度削がれた気分が一気に盛り返してきた。気持ちを立て直したシュウは再びクラウスの肩に手を置いた。 
          
          「今日は本当に楽しかった。それでお前にきちんと言っておきたいことがある。俺は」 
          
           するとクラウスはハッとしたように時計を見た。 
          
          「いけない。もう、こんな時間なんですね。気が付かなくてすみませんでした」 
          
          「は?」 
          
          「ごめんなさい。とっても楽しかったからシュウに言われるまで気が付きませんでした。こんなに遅くまでお邪魔しちゃっ
           
          て迷惑でしたよね。本当にごめんなさい」 
          
          「そうじゃなくて」 
          
          「シュウの都合もあるんだから遅くならないようにって父上からも言われてたのに。すぐに帰りますから」 
          
          「いや、だから」 
          
          「あ、送ってくれなくても大丈夫です。シュウ、ワイン飲んでるし。タクシー拾って帰りますから気を遣わないでくださいね」 
          
          「クラウス…」 
          
          「ホントにホントに今日はとても楽しかったです。じゃあ、おやすみなさい」 
          
           そう言うとクラウスはバタバタと帰っていった。 
          
           
          
           
          
           
          
          「だから、一体、何だったんだ。クラウス…」 
          
           一人取り残されたシュウは呆然とリビングに立ちつくしていた。 
          
          「やっぱりあいつは天使じゃなくて悪魔だ」 
          
           ガックリと膝をついてシュウは呟いた。 
          
           
          
           
          
           
           
          
            
          
           
          
          
           
          
           
          
          『さっきシュウがキスしてくれたらいいのに、って思っちゃった。ダメダメ、そんな風に期待しちゃ。地道に努力して好きに
           
          なって貰うんだから』 
          
           クラウスはタクシーの中で幸せな気分に浸っていた。 
          
          『こうやって少しずつシュウと仲良くなっていけたらいいな』 
          
           何だかよく解らないのだが、最近みんなが協力してくれるのだ。シードに言わせるとバレバレらしい。今まではカミュー
           
          に恋の悩み相談をしていたのだがシードも色々助言をくれるようになっていた。 
          
          「やっぱり恋人に飯を作ってもらうのが一番嬉しいんじゃねぇの」 
          
           そう言ってくれたのもシードだった。だから頑張ってみたのだが、今日はとっても良い感じだった。 
          
          『凄いな、シードって。これからも教えてもらおうっと』 
          
           ただ、寝てしまったのは失敗だった。これではまた子供扱いされてしまうだろう。それに思わず時間を忘れて遅くまで
           
          お邪魔してしまったのもマイナスポイントだ。今度はあまり迷惑にならないように気を付けなければいけない、と少し反
           
          省をした。 
          
          『次はお掃除もしてあげようかな。でもシュウの部屋ってとても綺麗だった。……お布団干してふかふかにしてあげたら
           
          喜んでくれるかな』 
          
           シュウのびっくりした顔が目に浮かんで思わず微笑んだ。 
          
           それは紛れもなく天使の笑顔だった。 
          
           
          
           
           
          
          fin.    
          
           
           
          
            
          
           
          
          
           
          
          悪魔だなんて失礼な。 
          
          小悪魔と言ってあげてね、シュウ。 
          
           
          
          何ともへっぽこなのですが『愛と哀しみのボレロ』の続編…のつもりです。 
          
          自分で書いてて何ですが 
          
          「クラウスってもしかして攻め?」とか思っちゃいました(笑) 
          
          まあ、知らない者の強みということで広ーいお心で読んでやってください。 
          
          って、そんなんばっかですね、デュナンって。 
          
           
          
          例のシーンについてはシュウの中で色々脚色されているようです。 
          
          自分で自分の首を絞めてますね、あの人(笑) 
          
           
          
           
          
          タイトルはケイト・ブッシュのアルバムから。 
          
          全然タイトルを思いつかなくてふと見たところにCDがあったんで(笑) 
          
           
          
          ゴルドーの邪な野望がちょっと気になる海棠でした。 
          
           
           
          
           
          
          
            
          
           
          
           
          
            
          
          
           
           
          
           
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