Great Prediction




 そのドアを開けたとき目に入ってきたのは醜い老婆だった。
 火を放った家々からの炎に赤く照らされた顔は醜悪その物でしかない。
『このような姿になり果てても生きているとは。ブタがっ』
 剣を振り上げたとき「ひゃひゃひゃ」と老婆は薄気味の悪い声で笑った。
 ルカはふと手を止めた。今まで何百人とこの手に掛けてきたが、泣き喚き命乞いをする者はいても笑う者はついぞ見
たことがなかった。気がふれているのかと思ったが深い皺に埋もれた目は、しかし強い光を放ってルカを見上げてい
た。
「そうか、そうか。こういうことじゃったか」
 嗄れた声で老婆はそう呟いた。
「村から一歩も出ないわしが狼に食われるとは異な事じゃと思うておったが、そうか、お主が狼か」
 そう言って口元の皺が歪んだのは笑っているのだろうか。
「良かったわい。もうろくしたか、もう占えぬかと案じていたに、わしもまだまだ捨てたものじゃない」
「占いだと」
「そうよ。お主のことも占のうてやろうか」
「くだらぬ事を」
 躊躇いなく再び振り上げた剣を見ても老婆は少しも動じなかった。
「婆の占いは当たるぞ。ほれ、現にこうして最後の占いが当たろうとしておる」
 何故か剣を振り下ろすことは出来なかった。殺気はとかぬまま仁王立ちになったルカを気にもせず、老婆はカードを
並べ始めた。
「運命には抗えぬ。今更ジタバタすることもない。だからこの世の名残にお主を占のうてやるというのじゃ」
 老婆はカードを一枚一枚めくると面白そうに再び「ひゃひゃひゃ」と声を立てた。その癇に障る笑い声にギリッと殺気を
漲らせたルカに初めて老婆は首を竦める様子を見せた。だが、畏れというよりからかうようなその仕草にルカの苛立ち
は更に増した。
「王者の星を持つ者がそのようにカリカリするでない。お主は間違いなく王になれる」
「ふん、そのようなこと、占われなくとも分かっている。くだらぬお為ごかしで誤魔化せると思ったか」
「お為ごかしなどではない。お主は血塗れの手で玉座を掴むであろうよ。その時大事な物を失うことになるやもしれん。
気を付けるのじゃな」
「生憎だったな。俺には失って惜しいような物はなにもない」
「そうか。それならそれでわしは一向に構わんよ。どちらにしてもお主の真の望みは叶う。良かったのう、ママのオッパ
イが恋しい坊や」
 その刹那、剣が一閃した。
 胴体から切り離された首は3メートルも飛んでどさりと床に落ちたが、ゴロリとこちらを向いた顔は「ほら、当たっただ
ろう」と言いたげに笑っていた。

  *****

 天幕の外で騒ぐ声がしている。
 その騒々しさにルカは眉を顰めた。いや、眉を顰めたのは表が騒がしかったせいばかりではない。
 何故あの老婆の話を思い出したのだろう。あれは確か都市同盟に攻め込んですぐ、村人全員を惨殺した村にいた老
婆だった。
 失って惜しい物などない、とあの時は言ったが頭の中には一瞬ジルのことが浮かんでいた。
 だが、ジルがルカの側を離れられるはずがない。何よりも皇女という自覚の強い娘だ。己の感情でハイランドとブライ
ト皇家を捨てられるはずがないのだ。現にジョウイとの婚約も唯々諾々として従った。ジルを失うことなどあり得ない。
 元々占いなど信じていない。耳を傾けたのが不思議なくらいの出来事だった。だから益体もない老婆の言葉が記憶
の底に沈んでいたのは当然のことだった。
 それなのに同盟軍と相まみえた戦場で、よく知る細身の青年から強い視線を向けられて唐突に思い出したのだ。
 キバの部隊を独走で追っていったのは、キバの言葉に煽られたからなのか、あの視線に囚われたからなのか自分で
も判然としなかった。
 アガレス毒殺の策を聞かされたとき、必ずやそれに気付くであろうキバ親子を同時に切り捨てるのは当然のことと割
り切っていた。
 微かに胸の奥に刺さった棘が何かを告げようとしていたが、それはキバに対する未練だったはずだ。
 ルカはずっとキバに一目置いていた。何故あれほどの男が皇王とは名ばかりの臆病者のアガレスに忠誠を誓うのか
と苛立つくらいその存在を買っていた。
 キバほどの武人を捨てるのは惜しかったが、その息子には大した思いは残していなかった。
 武勇の誉れ高いキバの息子とは信じられないくらい華奢な体で、剣もろくに振るえないくせに弁だけは立つ男などル
カには無用の物でしかない。せいぜい使い物になるといったらその綺麗な顔立ちと絹のような手触りの肌を楽しむことく
らいだった。戦場での無聊を慰める以外(もっとも戦場でなくても気が向くと抱いていたが)気にも留めていなかったか
ら、思い出す事と言えばルカに組み敷かれて屈辱に耐えている顔ばかりだった。
 ルカにとっては暇つぶしの慰み者でしかなかったはずなのに、馬上での凛とした姿に目を奪われた。
『俺にそうされていたように同盟軍でも誰かに体を開かれているのか?』
 そう思ったとき、目眩がするほど激しい怒りを感じた。

     大事な物を失わないように     

『馬鹿な。あれが俺の大事な物だとでも?』
 笑い飛ばそうとしたが出来なかった。信じがたい思いつきを振り切るように剣を抜いて振り下ろした。ルカの苛立ちを
代弁するようにヒュンッと空気が震える。
「ルカ様……」
 ちょうどそこに入ってきた兵士は殺気を漲らせているルカに、明らかに『間の悪いときに来た』という顔をしていた。
「何事だ」
 ギロリと睨んだ視線に飛び上がって兵士は慌てて報告を始めた。
「ルカ様に申し上げます。捕虜が逃亡しました」
 なるほど、先ほどからの騒ぎはそのせいだったのか。
「現在、この付近一帯を捜索させておりますが見つかりません。いかが致しましょうか」
「いかが、とはどういうことか。貴様らの命に代えても連れ戻すというならともかく」
「それは」
 少し躊躇った後、兵士は意を決したよう口を開いた。
「捕らえていたのはリドリー将軍、同盟軍の一画を担う名将です。当然、厳重に警戒し何十にも見張りを立てておりまし
た。それをこうも簡単に脱出するとは、内通者がいるとしか思えません」
 そういうことか。
「もし内通者がいれば当然、今夜の夜襲も」
「構わん」
「は?」
「策が漏れているのに決行するとは同盟軍も考えないだろう。予定通り軍を進める。捜索は中止させて今夜の出撃に
備えさせろ」
「はっ、了解しました」
 飛び出していった兵士を見送ってルカはフッと鼻で笑った。
『内通者か』
 大方、あの小賢しい鼠だろう。
 希代の軍師だか名門一族だか知らないが、ルカはレオン・シルバーバーグが嫌いだった。
 戦場において実際に有効な策を出すから敢えて何も言わないが、レオンの策は一見ルカの好みのようでいて実は決
定的に何かが違っていた。
「卑しいのだ」
 レオンの陰に籠もった視線を思い出してルカは呟いた。
 ルカには王者の戦い方を説きながら、レオンの策にはどこか油断のならないいかがわしさがある。
 要するにルカはレオンを信用していなかった。
 それに比べて、と思い出す。
 あれの立てた策はもっと正面から敵に挑むような潔いところがあった。大人しそうな見かけに寄らず大胆な事を言うと
呆れたことさえある。
 武人の多い王国軍で戦法をルカに進言する者は少ない。武術はもちろん、軍略でもルカに勝る人間がそう多くはなか
ったからだが、あれはその少ない人間の一人だった。昨晩は俺の腕の中で痴態を描いていたくせに、と揶揄したくなる
ほど軍議では毅然と顔を上げていた。
『あの時の目』
 軍議の席で真っ直ぐルカを見つめる目は昼間、戦場で見たのと同じだった。
『そうか。あれはいつも俺に挑んでいたのか』
 何故かそれが小気味よくてルカは軽く笑い声を立てた。
 あれを嬲るのは楽しかった。力でねじ伏せ矜持を叩き折りして貶めても対等に向かい合おうと必死で食い下がってく
る。そこが、嘆き恨み逃げまどいながら狩られるだけのブタ共と決定的に違っていた。それを確かめるように何度も抱
いて、いつしかそうすることが当たり前になっていた。
『俺を誰よりも忌み嫌っていたはずなのに』
 母の墓前で出会ったときだったか、慈母のような眼差しを向けてきたこともあった。
 あれがふんわりと微笑んだときは何故か心が穏やかになったものだった。
 目を輝かせて軍略を語るときもあった。「閨房で囁けばお前の策が入れられるとでも思ったか」とからかうと初めて悔
しそうに唇を噛んでいた……。

 不思議だった。どうして今頃になってこんなにも鮮やかに様々な表情を思い出すのだろう。
 決して本人には言わなかったが、軍師としての力量はルカも認めるところだった。年齢、経験共に浅かったため甘い
点がないわけではなかったが、少なくとも慇懃無礼に述べるレオンの策よりはずっと好ましい物だった。

『夜襲の情報を漏らしてまで何をしようというのか』
 レオンが仕えているのはルカではなくジョウイ・アトレイドだ。レオンは決してルカの益のために動いているのではな
い。
 いや、もしかしたらジョウイのためですらないかもしれない。
『奴め、何が目的だ』
 ジョウイを操りルカを利用して、自分が世界を動かしている気にでもなっているのだろうか。
 ルカはククッと笑い出した。
『俺を見くびるにもほどがある。良かろう、駒になってやろう。ただし俺はそこらの兵士とは違う。俺を自分の手の内で扱
えるなどと奢ったことを必ず後悔させてやる』
 再び剣を引き寄せるとルカは静かに立ち上がった。



 何十という矢が飛んできて体中に突き刺さっていた。
 己の体から流れ出る大量の血を見て、ルカは初めて自分の死を思った。
 恐怖はなかった。むしろ心の奥底から沸き上がってきたのは喜びだった。
『やっと解った』
 俺はブライト家の血を根絶やしにしたかったのだ。都市同盟もハイランドも関係ない。ただ、アガレス・ブライトの血を
根絶やしにしたかったのだ。ジルにあの臆病者の血は流れていない。これでアガレスの血脈は永久に失われる。俺の
体内にすら存在しなくなる。
 これが喜びでなくて何だろう!
 激しい哄笑と共に思いのありったけを口にしてルカは倒れた。



『ばばあ、貴様の言葉。当たっていたぞ』
 ゆっくりと薄れていく意識の中でホタルの淡い光が夜空にゆらゆらと漂っている。
「クラ…ウス」
 俺が失うかもしれなかった大事な物がお前だとは馬鹿馬鹿しいが、それも一興かもしれない。
 確かに俺はお前の立てた策が好きだった。毅然とした視線を向けられるのも悪くなかった。綺麗な顔も鍛錬を怠って
いない美しい体も気に入っていた。
 そう、誰にも渡したくないほどに気に入っていた。
「クラ……ス」
 あんな臆病者に殉じるなど、俺が許さない。お前は生きろ。

 もしかしたらそれが真の望みだったのだろうか。

 答えを出すことは出来なかった。

 ルカの意識は永遠の暗黒に閉ざされていった。


     fin.






リクを下さった玉蕭様には長らくお待たせしてしまいました。
しかもクラウス出てこないし(^^ゞ 申し訳ありませんです。
う〜、でも初めてのリクで緊張しました。
受け取っていただけて本当に良かったです。

勝手にギャグとか言ってたくせに超シリアスになってしまいました。
一応、と言いますかモチーフは『マクベス』の三人の魔女でした。
でもルカ様が三人バラバラに喋ることを大人しく聞いているとは思えませんから(笑)
一人で頑張って貰いました。
あのおばあさんは結構気に入ってます。
どうしてトトの村かっていうと
紋章を祀る祠があるくらいだから魔女がいたって良いだろうと…

えっと、うちのルカ様は大体こんな感じです。
皆様のお気に召すと良いのですが…
ちなみに海棠は超お気に入りです。
↑自画自賛かよ(笑)

2002.08.30