プレリュード
クラウスは呆然と辺りを見回していた。
傷ついた兵士の呻き声があちこちから聞こえる。いや、それ以上に倒れたまま動かない兵士や馬
の方が多い。今、クラウスを守ろうと盾になってくれている兵士達も皆手傷を負っていた。
酷い有様だった。今までに負け戦がなかったわけではない。だが、こんなに多くの犠牲を払った敗
戦は初めてだった。
自分の采配一つで人の生死が変わる。
それは十分認識していたつもりだった。それでも目の前の凄惨な光景に言葉を失っていた。
敗因はいろいろあるだろう。が、ただ一つ、敵対する軍師の方がクラウスより一枚も二枚も上手だ
ったというのは間違いない。
勝てると思っていた。だからこそ、そんな慢心を抱いた自分に腹が立っていた。その結果、こんな
にも多くの者を傷つけ倒れさせてしまったのだから。
父にも申し訳ない思いでいっぱいだった。自分はともかく、父のことだけは何とかして助けたかった
が、それは無理だろう。何よりも父自身が兵士達を見捨てて自分だけ助かることを了承するはずが
ないのだ。現に最後の最後まで父は抵抗する姿勢を崩さなかった。
ここで一人敵を倒せばそれだけハイランドに有利になる。
そう頑なに信じているかのように剣を振るっていたが、実際そうする以外にどんな道があっただろ
う。父は例え祖国に見捨てられても自分から裏切ることなど出来ないのだ。
クラウスにしても同じだった。覚悟はとうに出来ている。十五で初めて戦場に出たときから最後ま
で父に従っていこうと決めたのだ。
だが今まで苦楽を共にしてきた兵士達。彼らの命は何としてでも助けたかった。
『この頭、せめて彼らを救うために精一杯使わなければ』
それが自分に出来る最後の仕事だと思っていた。
降伏を受け入れたオレンジ軍の対応にクラウスは目を見張った。負傷兵の手当を始めたからだ。
その情のある行為は、今まで思い描いていた同盟軍とは明らかにイメージが異なっていた。
クラウスに限らずハイランドでは都市同盟というと前ミューズ市長の策謀家、ダレルの印象が強
い。市長がアナベルに代わったことでミューズ自体は変化を遂げていたようだが、アナベルがダレ
ルの娘であったためハイランドでは「同じ穴の狢」と見る向きが強かった。そして、アナベルの死によ
って同盟の求心力は急速に落ちている。
同盟の盾であるはずのマチルダ騎士団は漁夫の利を狙っているのか、この期に及んでも自ら動
こうとはしていない。ティントのグスタフ市長にいたっては「関係ない」とさえ言っていると確かな情報
を得ていたし、クラウスにしてもトゥーリバーではその綻びを突く作戦を採っている。
同盟などといっても所詮はその程度なのだと誰もがそう思っていた。
だから新制同盟軍のことも烏合の衆だの枯れ木も山の賑わいだのと言ってハイランドでは馬鹿に
している者も多かった。母体となる都市同盟自体が常に不協和音を慣らしていたのだから、そう考
えるのも無理のないことであった。
だが目の当たりにする同盟軍は違っていた。結束力の強い、意気も高い兵士達の姿は同盟軍を
都市同盟の後継だと考えたこと自体が間違いなのだということを如実に物語っていた。
それに比べて、と思う。
全ての物を力で薙ぎ倒そうとしているルカと、ルルノイエで権力抗争に明け暮れている貴族達のこ
とを考えるとハイランドの行く末が心配でならなかった。これからルカはどう進んで何をしようとしてい
るのか。しかし今の自分に出来るのは美しい故国を戦禍で踏みにじられることのないように願うだけ
だった。
「ようっ、フリック。そっちはどんな案配だ?」
その声にクラウスの物思いは突然中断させられた。
声を掛けられた青いマントの男は「ああ、終わった」と応えている。つまりは怪我人の手当が終わ
ったということなのだろう。それを聞いた大男は嬉しそうにニッコリと笑った。余程捕虜の見張りとい
う役目が退屈だったのか「やっとお役ご免か」と言っているのが聞こえてきた。
降伏した後、キバとクラウス、それに主だった将校達は縄を打たれて待機させられていたのだが、
ビクトールと名乗ったその大男はずっと側で見張りをしていたのだ。本人はじっとしているのが苦手
らしくあちこちに様子を見に行こうとするのだが、その度に周りの兵士から「居てくださいよう」と懇願
されていた。
無理もない。勇猛果敢に戦うキバには誰も近づくことすら出来なかった。そのキバを捕らえたのが
ビクトールなのだ。自分たちだけでは何かあったときの事を考えると不安なのだろう。
もっともビクトールは見張りと言っても全く無頓着に捕虜に背を向けていた。
誰かが隠し持った剣で斬りつけるとは考えないのだろうか、とクラウスも思い、味方の兵士にも注
意されていたが、本人は気にもしていないようだった。
曰く、
「うるせぇなぁ。天下のキバ将軍がそんなせこい真似するかよ」
と言うことらしい。
そう言いながらニヤリと見せた不敵な笑みも乱暴そうな口調もどこか愛嬌があって憎めない、不思
議な魅力を持つ男だった。
そもそもキバを捕らえた経緯からしてただ者ではない。
ビクトールは鬼神のように剣を振るうキバと打ち合いながら「あんた、自分の部下を皆殺しにした
いのかっ?」と言ったのだ。
「何だとっ」
思いも寄らないことを言われ、さすがのキバも気色ばんだがビクトールは話し続けた。
「だって、そうだろうよっ。あんたが剣を振るい続ける限りあんたの部下も戦い続ける。いまにみんな
死んじまうぞっ」
そう言われてキバは黙って剣を収めたのだ。
大ざっぱに見えるくせに人の情を鋭く見抜いて押さえるべき所を的確に押さえている。なるほど、こ
んな男が頭領として兵士をまとめているのなら結束力も強くなるだろう。
ビクトールの名前がミューズに雇われていた傭兵隊長の名前と同じ事には気付いていたが、アナ
ベルの目に狂いはなかったということだ。ラダトでリンと一緒にいたし同盟軍でも信頼されているの
だろう。
そのビクトールはフリックと呼んだ男と何やら打ち合わせをしていたが、ようやく話がまとまったの
かクルリとこちらに向き直った。
「キバ将軍。これからあんた達をオレンジ城に連行しなきゃならん。悪いが縄は打ったままだ。少し
窮屈かもしれないが我慢してくれ」
「ビクトール殿」
馬上で晒し者など、捕虜の常だ。それくらいは覚悟していたが、王国兵の扱いについては予め確
認を取っておきたかった。
「我々への配慮はありがたいが、それよりも捕虜としての兵士の処遇を……」
「ああ、分かってる。こっちも上から色々言われてるんだ。悪いようにはしないから、ちょっと待ってて
くれよ、クラウスちゃん」
「は?……」
クラウスは目を見開いてから数度瞬きした。一瞬何を言われたのか分からなかったのだ。
クラウスちゃん?……『ちゃん』って……。
怒るよりも唖然としていた。生まれてこの方一度もそのように呼ばれたことはなくて、どう反応して
よいか分からなかったのだ。キバも周りの将校達も、フリックさえも呆気にとられていた。
「なんだよ、静かになっちまって」
「お、お前なぁ」
無礼なっ、と誰が怒鳴り出すより早くフリックがビクトールに食ってかかった。
「仮にも敵の軍師を捕まえて、ちゃん付けはないだろうっ!」
「おかしいか?」
「おかしいも何も、普通怒るぞ」
「……怒ってないぜ」
「ビクトール、あれは呆れてるんだっ!」
「じゃあ、なんて呼ぶんだ?クラウス様か?その方がおかしいじゃねぇか」
「それは屁理屈だろうがっ。普通に『クラウス』とか『クラウスさん』とか『クラウス軍師』とか、あるじゃ
ないか」
「お前、よくそんなに思いつくな」
「あのなぁ」
「いいじゃねぇか、年下なんだしクラウスちゃんで」
「……お前だってリンに『熊さん』て呼ばれて怒ってただろ」
「当たり前じゃねぇか。クラウスちゃんと熊さんじゃ雲泥の差だぞ」
何なのだろう、これは。
痴話喧嘩、という単語が頭に浮かび、こんな時だというのにクラウスは笑いを噛み殺すのに苦労し
ていた。同盟軍の兵士も下を向いて肩を震わせている。
ウォッホンとキバが咳払いをすると、やっと周りの状況に気付いたのか二人はばつが悪そうに会
話を止めた。いたずらが見つかった子供のような顔をしている二人を見ていたら、少なくとも連行さ
れる間ことは任せても大丈夫かもしれない、と思い始めていた。
馬上に揺られながらクラウスはオレンジ軍の切れ者の軍師とどのように渡り合えば兵士達にとっ
て一番良くなるかをずっと考えていた。
負傷兵の手当をするくらいだから、兵士達の命を無駄に取ることはしないだろう。それならば捕虜
として少しでも待遇を良くしてもらえるように交渉しなければならない。もっとも父と自分の首があれ
ば少しはマシにしてもらえるだろう。
『いや、私の場合は体かな』
そんな事を考えて苦い笑みを洩らした。
もう何年も前にルカに嘲笑されたことがある。「敵に捕らわれたらその体を差し出して命乞いをす
るのか」と。
命乞いをする気はなかったが、多くの情報を持つクラウスを易々と殺すとも思えなかった。シュウと
いう男の気質にもよるだろうが、拷問と一括りで体を要求されることがあるかもしれない。
『多分、耐えられる』
今までルカの横暴に耐えてきたのだ。生娘でもあるまいし、なんとかなるだろう。
クラウスは一つ溜息をつくと思考を切り替えた。
『あの時、せめて第四軍が動いてくれれば』
今更そんな事を考えても仕方のない繰り言だというのは分かっている。それでも「何故」と思わず
にいられない。
確かに戦列を離れたと思いこんでいたリドリー隊の出現に虚を突かれた形になった。それが己の
未熟さなのだということは認めよう。けれど四軍が動けば逆にリドリー隊を挟み込むことも出来たは
ずなのだ。それまではこちらの方が圧倒的に優勢だったのだから、追撃の手を少しでも緩められれ
ば体制を整える余裕くらいは作れたし、そのための応援部隊だったはずだ。
『何故撤退など……』
どんな理由があったにせよ、第四軍の動きはおかしかった。戦況を見極めたにしては早すぎるの
だ。
それに一兵も動かさず軍を退くような真似をしたらルカの逆鱗に触れることなど、王国軍に籍を置
く者なら誰でも分かっている事だ。それを敢えて退くとはどういうことなのだろう。そもそも何故ルカが
ラウドのような男を重用するのか分からない。
ラウドはユニコーン少年隊を全滅させた男である。同盟の騙し討ちにあったとは言え、そんな失態
を犯した男を許すルカではない。例え同盟に攻め入る口実が欲しかったにしても、だ。それなのに
暫定的とは言え第四軍を任せるとはいつものルカらしくない。
『本当に同盟の協定破りだったのか?』
今までに何度となく感じてその度に打ち消してきた疑問が改めて沸き上がってくる。もしクラウスが
考えたとおりだったとしたら……。
『これはルカ様の意向なのか?』
まさか、と思う。
確かにアガレス派である自分たち親子をルカが忌々しく思っていることは知っている。それが原因
か、あるいは単にクラウスが気に入らないのか他に理由があるのか分からないが、ルカとクラウス
の関係も力による従属関係であって決してうまくいっているわけではない。
けれど、少なくともルカはキバの技量を認めていたし、第三軍を失うことはハイランドにとっては自
傷行為にも等しいはずだ。
『そこまで疎まれていたのか』
ルカから受けた屈辱の数々と時間を思い出してそんな風に思ったが、一瞬の後には自嘲の笑み
が漏れた。
自分にそこまでの影響力はない。ルカはクラウスのことなど歯牙にもかけていなかった。今のほん
の思いつきをルカが知ったら嗤うだろう。
だから、今回のことにはもう一つ何かクラウスの知らないファクターがあるのだ。
「なんだ、なんだ。随分しけた顔してるじゃないか」
突然大声で話しかけられてハッとして顔を上げた。ビクトールが人好きのする笑顔でこちらを見上
げていた。
「もっと明るく行こうぜ」
クラウスは軽く溜息をついた。
人柄は悪くないのだろうが、明るい捕虜などいるはずがないじゃないか。
だが、明るい声を聞いていると先ほどまでの昏い考えが薄れていくのがはっきり分かった。
「あんまり思い詰めたような顔してるなよ。まだ若いんだし、その内いい事もあるさ」
おかしな事を言う男だと思う。クラウスの命など、保っても精々後一週間くらいのものである。
「あんた……えーっと」
「クラウスで構いません」
答えてからフリックとビクトールの会話を思い出して笑みが零れそうになった。
「なんだ、クラウス。やっと笑ったな。お前その方がいいぞ」
「それはどうも」
なんだか妙な具合である。だが、ビクトールはそんなクラウスの様子には頓着していないのか話し
続けた。
「戦に負けたのだってあんたのせいって訳じゃねぇ。うちの軍師は悪知恵が働くからな。あんたが見
抜けなくたって仕方ないさ。何しろ俺達だって誰一人、あそこでリドリーのおっさんが伏兵で出てくる
なんて知らなかったんだ。軍師としてちゃぁ一流だけどよ、ああいう人間にはならない方が良いと思
うぜ、俺は」
なんて事を言うのだろう。しかもこんな大声で。これでは兵士達にも筒抜けではないか。
クラウスの方が慌てているのにビクトールは日向のような笑顔を見せている。
きっと、違うのだ。
クラウスの中で何かがストンと腑に落ちた。
リンを中心とした同盟軍は今までの都市同盟とは違う。いや、もしかしたらクラウスが知っているど
んな組織とも違っているのかもしれない。
全く新しい目的を持った人々が新しく集まっているのだ。もしかしたらその創ろうとする世界も今ま
でにない全く新しいものなのだろうか。
『それを見ることが出来ないのは少し残念だな』
この後、新しい未来が開けることなど今のクラウスには知る由もなかった。
fin.
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三都物語15にて無料配布した物をアップしました。
自分でいうのもなんですが、凄い力業で仕上げてます(^^ゞ
これはもう何年前になるのか
幻水でSSを書き始めたばかりの頃の改訂版です。
その頃は堂々とビクトール×クラウスだったので(笑)
これは二人の出会い編でした。
だから『プレリュード』
あの頃はこの二人に燃えていたんですよねぇ。
すっごい長編の、A5の本で100ページくらい書きました。
エッチありの、なんつーかビクトールが色々教えてあげるっていうの?(大笑)
ルカ様にいたぶられていたクラウスを癒してあげるっていうか……
クラウスがとっても乙女でしたねぇ。
結局誰にも見せないままお蔵入りですが
(つーかあまりにも甘々で恥ずかしくれ見せられない)
今ではいい思い出です。

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