B&B


 穴があったら入りたい、とはこういう時のことを言うのだろう。
『いや、せめて風魔法でも使えれば』
 そうすればこの部屋の灯りを瞬時に消してみせるのに。
『こんな明るいところで晒し者になるなど……』
 ギュッとピンクの布きれを握りしめた途端に叱責の声が飛んできた。
「クラウスさん、そんな風に持ったら皺になっちゃうわ。ドレスの裾はもっと軽く摘んでね、レディみたいに」
 クラウスは怒りと恥ずかしさで拳がプルプルと震えるのを感じていた。
『く、屈辱だ。何故、何で私が女装などしなければいけないのだっ!!!』


「すっごーい、すごいねっ」
 ドレスを着せられたあげく、ウィッグを付け薄く化粧まで施されたのだ。そりゃあ凄いことになっているだろう、とクラウ
スは唇を噛んだ。
 芝居をしたいというのは分かる。役者が足りないから手伝ってくれと言われたら手伝いもしよう。けれど、だからといっ
て何故それが女性役でなければならないのだ?
 せめて全員が女装するというなら、それはそれで笑いの取れる芝居になるだろうからまだ許せもするが、クラウス一
人が見せ物になるのはたまらない。
「予想以上だわ。色も白いし」
 蒼ざめている、と言って欲しかった。本当に、恥ずかしさを通り越して卒倒しそうになっているのだ。
「思っていた以上に別嬪さんなんだねぇ。前髪で隠してるなんて勿体ない」
 別嬪、という言葉で自分が思っているほど奇異ではないらしいと分かってホッとしたが、それならそれで別の意味で打
ちのめされていた。
『どうせ女顔ですよ』
 母親似と評される線の細い容貌をいくらかでも前髪で隠したいという気持ちがあったことは否めない。けれど、そのし
っぺ返しがこんな形で帰ってくるとは思いもしなかった。
「でしょでしょ。クラウスさんなら間違いないと思ったんだ♪」
 幾分はしゃいでいるニナの声に、どの辺が間違いないと思ったのかじっくり問い質してみたいと思うクラウスである。
「じゃあ、ヒロインはクラウスさんに決定でいいですね」
 同じ軍師仲間とは思えないアップルの言葉にクラウスは思わず抗議の声を上げた。
「待ってください。いくら何でも無茶です。私は芝居の経験なんて全くないんですよ」
「大丈夫、頭が良いんだからセリフなんてチョチョイのチョイで覚えられるよ」
「そういう問題じゃありません」
「えー、クラウスさん。私たちの旗揚げ公演を応援してくれないの?」
「シュウさんだってお芝居の手伝いをしろって言ってるんでしょう」
 確かにクラウスは芝居を企画しているナナミ達に便宜を図ってやれとシュウから命を受けていた。「浮かれるな」と一
喝しそうなシュウが反対しなかったのは戦況が膠着状態にあるからだ。実戦の目途が付かないまま訓練ばかりでは兵
士達も倦んでくる。芝居が皆の気分転換になるのなら、それも良いだろうと判断したのだ。
 それが分かっているからクラウスだって出来る限り協力を惜しまないつもりだった。
 けれど、これは絶対に自分の範疇外だ。
「大体何故私がヒロインなんですか?女性なら他にもたくさんいるじゃないですか」
「あら、とっても綺麗なんだからいいじゃない」
 それじゃあ答えになっていない。
「それに配役はあみだで決まったんだし」
 その「あみだくじ」がそもそも嘘臭いのだ。
 集合場所の酒場に来るなり選べと言われて選んではみたが、その後裏でコソコソしていたあげく「クラウスさんが当た
ったのはヒロインね」などと言われて納得できるわけがない。
 もちろん納得してもいないのに言われるままにドレスを着てしまったこちらにも問題はあるだろう。けれど、あの「言う
こと聞かないと今すぐこの場で服をひっぺがすわよっ!」と言わんばかりの勢いで女性達に詰め寄られて抵抗できる人
間がいるだろうか。
『絶対にいるわけない』
 その証拠に他にもいた屈強の男達、ビクトールやタイ・ホーやギジムだって手も出せずにオロオロと見ていただけな
のだから。
 そう思ってやっと彼らの存在を思い出したクラウスがそちらを見ると、みんな惚けたような顔をしてこちらを見ていた。
『まったくもう、なんて役に立たない!』
 思わず睨みつけてから自分の考え方がシュウのそれに近くなっていることに少々焦ったが、それも仕方ないだろうと
思い直した。
 なにしろ彼らときたらクラウスをこの状況から救ってやろうなどとはこれっぽちも思っていないような顔をしているの
だ。シーナにいたっては嬉しそうにさえ見えるくらいだ。
「はい、配役表と台本ね」
 『 Beauty and the Beast 』と書かれた台本をポンと手渡されて、クラウスは絶望的な気分に陥っていた。



『女性との会話がこんなに難しいなんて……』
 そうじゃないかとは思っていたが、女に理屈は通用しないということを改めて思い知らされてクラウスは途方に暮れて
いた。
 大体、女性の役は女性がやった方が良いと言った答えが「綺麗だから良いじゃない」とはどういうことだろう。筋道も
何もあったものではない。
『これなら敵兵を説得して投降させる方が余程楽かもしれない』
 溜息混じりにそう思ったりする。
『女性兵士は戦場での考え方が訓練されているから今まで困ったことはないけれど、多かれ少なかれ感情に走る傾向
はあるんだから対処法を身につけておかないと……』
「おいっ」
 突然声を掛けられて驚いて顔を上げると、ビクトールが珍しく険しい表情をしていた。
「クラウス。お前も嫌なんだろ。言うことは言っとかねぇと後で後悔するぞ」
 ビクトールが言っているのは芝居の配役のことだ。野獣役に任命されたビクトールはそれが不満で執拗に抗議を続
けていたのだ。
『結局みんな自分に降りかからないと分からないんだ』
 今頃何をかいわんや、である。
 クラウスは既に何度も抗議をしたのだ。そしてその度に「いいからクラウスさんは黙っててっ!」とあっさり退けられて
しまったのに、これ以上何をどう言ったらいいのだろう。
 大体、反対するならクラウスの女装の時に反対するべきだったのだ。最初の砦を攻め落として勢いづいている敵に
少々の攻撃を仕掛けたところで怯むわけがない。
 ビクトールがイライラしていることは分かったが、何だかんだと言いながら他のメンバーは面白そうな様子で台本をパ
ラパラ捲っているし、この場で配役を覆すのは難しいだろう。もっともヒロイン役については改めてナナミに申し入れを
するつもりだった。少なくともこんなに集団で迫られなければ説得する自信はある。
 それにクラウスの目下の課題は「いつ、このドレスを脱ぐのか」であった。
 とにかくコルセットがきつくて苦しいのである。
『舞踏会やサロンでよく貴婦人や令嬢方が倒れていたけれど無理もない』
 あんなに元気そうなバーバラだってこれだけ締め付けられたら貧血くらい起こすだろう。市井の女性より貴族の女性
の方がデリケートだから、などと思っていたのはとんでもない思い違いだったということだ。
『女性不信になりそう……』
 はぁ、と溜息をつくとビクトールが心配そうに声をかけてきた。
「なんか大人しいと思っていたが具合でも悪いのか?」
「いえ、そうじゃないんですけれどドレスがちょっときつくて。女の人ってこんな苦しいのを我慢してるんでしょうか」
「だろ。綺麗になりたいっていう執念は凄いからな」
「では脱いだら怒られるでしょうね」
「いいんじゃねぇか、もう。あっちで脱いでこいよ」
 ビクトールは簡単に言うが、しっかり結ばれたコルセットの紐を考えると一人で解けるとは到底思えなかった。それに
着るときは着付けを手伝ってくれたカミューの言うままだったから、どこがどうなっているのか皆目見当もつかないの
だ。が、脱ぎ方が分からないとはさすがに言えなくて逡巡しているとビクトールの方がそれと察したようだった。
「……ああ、一人じゃ脱げねぇか。手伝ってやるよ」
 ビクトールは気安く言ってくれたが、何となく男としての未熟さを露呈したようで内心忸怩たる思いのクラウスである。
「何二人でこそこそやってるの?逃げたらダメだよ」
「誰が逃げんだよ。こちとらもう覚悟を決めたんだ。しょうがねぇからやってやるよ。な、クラウス」
「えっ、ビクトール、そんな勝手に」
 慌てるクラウスの抗議をよそにカミューがのんびりした口調で口を挟んだ。
「おや、ではお二人でこのキスシーンもなさるんですね」
「キス?」
 クラウスは天を仰ぎたい気分になっていた。


 カミューの爆弾発言のせいで(と言っても悪いのはカミューではないのだが)酒場は蜂の巣をつついたような騒ぎにな
っていた。
 野獣の呪いを解くシーンでキスをするというのは脚本担当のエミリアが独断で入れたので、スタッフの誰も知らなかっ
たのだ。もっともそれで被害を受けるのはクラウス一人くらいなのだが……。
「冗談じゃねぇっ」
 ビクトールの怒鳴り声に、もう一人の被害者を思い出していた。
「何で俺がクラウスにキスしなきゃならないんだっ」
「違います。美女が野獣にキスするんです」
「えっ……」
 さすがにクラウスも言葉を失った。
 頭では別にキスくらいでガタガタ騒ぐことはない、と分かっている。舞台上で唇を合わせたように見えればいいわけで
本当にキスする必要はないのだ。それは分かっているのだが、こうまで女性陣にいいように押しまくられていると思い通
りにばかりさせられないという気持ちがしてくる。これはまさに「最後の砦」といったところだ。
 それにもう一つ気がかりなことがあった。
 ビクトールとキスするクラウスを見て「あの人」がどう思うか。
 嫉妬する、などという殊勝な気持ちがあればいいが、それは到底期待できない。女装させられたあげく、そこまでする
かとバカにされるのがオチである。
『それだけは絶対にイヤだ』
 ここは毅然とした態度を示さなければ、とクラウスが口を開こうとした瞬間、リィナの声が響いた。
「出来るわよね。クラウス」
 ニッコリ微笑んでいるだけなのに、どうしてこう迫力があるのだろう。
「良かったわ。男同士だもの、遠慮しないで観客受けするくらい熱烈にやってね」
 今度こそ本当に卒倒しそうになって思わずビクトールの腕に縋り付くと、すかさず黄色い歓声が飛んでくる。
『ああもう、こんな姿をあの人に見られたら』
 そう思った時、バタンッと大きな音がしてホールに通じるドアからずかずかと入ってきた男がいた。
「こんな時間に何をしているっ!」
「シュ、シュウ殿」
 一瞬にして辺りが静まりかえった。
「なんの騒ぎだ。レオナはいるのか?一体何をして……」
 ぐるりと視線を巡らせたシュウと目があった。と思った瞬間、シュウが慌てて目を逸らせた。
「し、失礼」
 そう言うと踵を返して出ていってしまった。
 一体何が起きたのか誰にも分からなくて皆キョトンとしている。けれど、クラウスにはシュウがクラウスの女装に驚い
たのだと確信できた。
『シュウ殿の方が恥ずかしかったに違いない』
 今頃こんな醜態を晒している弟子のことを思いっきり罵っているだろう。最悪だ。
「どうしよう」
「何が」
 ビクトールはビクトールでやや強ばった顔をしている。
「こんな姿をシュウ殿に見られてしまって。どうすればいいのか……」
「心配すんなって。今のお前を見て誰だか解るヤツなんていないから」
「そうでしょうか」
「ああ、安心しな」
 しかし、それなら今の私はどんな風に見えているのだろうと思うと、とても安心できる心持ちではない。
 そこへ再びバタンとドアの開く音がした。あ、と小さく声を上げるとクラウスはさっとビクトールの後ろに隠れてしまっ
た。仕方がないだろう。他に隠れる所なんてないし、シュウと顔を会わさないのですむならどこでもいいというのが本音
だった。
『なんて邪魔なドレスなんだろう』
 クラウス一人ならビクトールの背に隠れることが出来ただろうに、頭隠して尻隠さずとはよく言った物だ。
「ビクトールッ!」
 だがシュウの標的はビクトールのようだった。
「一体何をしているっ」
「だって余興でお芝居してもいいってシュウさん言ったでしょ」
 周りの緊張をよそにニナは全く物怖じしていない。
「余興?ああ、確かにな。だがこんな馬鹿騒ぎをして良いとは言ってない。そもそも」
 シュウは再びビクトールと視線と合わせた。
「そちらのお嬢さんはどうしたんだ?」
 クラウスはギクリとした。シュウには珍しく回りくどいやり方だが、やはり問題はクラウスなのだろう。自分の部下が一
緒になって「馬鹿騒ぎ」を演じているなど、シュウに許せるはずがない。クラウスの背筋を冷たい汗が滑り落ちた。ビクト
ールがしどろもどろで説明をしているが、それにも限界がある。ここは自分がきちんと釈明すべきだろう。それならシュ
ウの機嫌が最悪になる前にするに限る。
 クラウスは覚悟を決めた。「すみませんでした」と声を掛けるとビクトールの肩がホッとしたように揺れた。どうやらクラ
ウスが思っていた以上のプレッシャーを感じていたらしい。
 ビクトールの陰から出たクラウスはおずおずと足を一歩踏み出した。
 クラウスは緊張していたし履き馴れないハイヒールで足下が危なかった。ドレスの裾も邪魔だった。
 アッと誰もが声を上げた時にはクラウスの体はシュウの前に倒れ込んでいた。
「おっと」
 床に激突するかと思ったのに思いがけなく力強い腕に抱き留められて、クラウスは顔から火が出る思いだった。
 状況についてきちんと説明するならまだしも、女性のように抱きしめられるなんて!
 しかも公衆の面前で!
 だが、冷笑を浴びせられるだろうと思っていたクラウスは思いがけない言葉を聞いた。
「大丈夫か?」
 シュウに師事するようになってから初めて聞いたような声だった。
「へえ、旦那でもそんな優しい声が出るんだねぇ」
 レオナの言うとおりだ。
 そうか、女性が相手だとこんなに優しいのか、とクラウスは少しムッとした。何だか自分が物凄く不当な扱いをされて
いるように思えたのだ。
「もしかしてシュウさんの好みのタイプ?」
「ばかばかしい」
 ニナの質問をシュウはあっさりと否定したがクラウスの心臓は早鐘のように鳴っている。
『どうしよう、これじゃあシュウ殿に聞こえてしまう』
 だがシュウは気付かないのかコホンと一つ咳払いをすると話しかけてきた。
「何か酷いことでもされたのか?そんなに恐がらなくてもいいから名前を……」
 まさか、本当に私だと分からないでナンパでもする気なのか?
 思わずキッと睨みつけるとシュウが驚いたように瞬きしてじっと見つめ直してきた。
「………クラウス?」
 はい、そうです。やっと分かりましたか? シュウ殿。
 ニッコリ微笑むとシュウの顔がほんの少し引きつったようだった。

*****

「やれやれ、とんでもない目にあったな」
 女性陣の魔の手を潜り抜けてようやくクラウスの部屋に戻ってきたシュウは言葉とは裏腹にとても楽しそうだった。
「すみません、シュウ殿にもご迷惑をかけてしまって」
 すったもんだのあげくクラウスはシュウの威光も借りて、めでたくヒロインの座を降りることに成功したのだ。
「別に迷惑というほどでもないが」
 そう言ってクスリとシュウが笑った。
「まさかお前のそんな姿を見られるとは思わなかったな」
 逃げ出すのに精一杯でクラウスはまだドレス姿のままだった。
「案外似合うじゃないか」
 からかうような声音に少しムッとした。
「馬鹿なことを言わないでください。もっともお陰で私も珍しい物が見られましたが」
「ほう、何だ?」
「女性が相手だとあんなに優しいとは知りませんでした」
「妬いているのか?」
「なっ……!ただ私はあのような所で見境なくナンパをするのは如何なものかと」
「何を言っている。見覚えのない人間が城内に入り込んでいたら相手の素性くらい確かめるだろう」
「……」
「それともナンパされたかったのか?」
「誰がっ」
「それならそうと素直に言えば可愛いものを」
「可愛いなんて思ってくださらなくて結構です。もう、サッサと出ていってください」
「俺は構わないが、それを一人で脱げるのか?」
「……」
「キバ殿もじきに帰ってくるだろう。驚くだろうな、息子がそんな」
「少し、手伝ってください」
 シュウは面白そうにクスクス笑うと後ろに回って装飾過多になっているリボンをほどき始めた。
「しかし、妙な気分だな」
 シュウの指先がからかうようにクラウスの首筋を撫でた。
「変なことはしなくていいですから」
「何だ、期待してるのか?」
「違いますってば」
「それならそうと」
「シュウ殿ッ、ちょ、ちょっと」
 パシンッ。
「少し触ったくらいで」
「ふざけないでくださいっ」
「全く、色気の欠片もないヤツだな。もっとも脱がせた経験もないようでは仕方がないか」
「何ですって」
「そうとんがるな。俺が教えてやる」
「え?」
「その1」
 いきなりギュッと抱きしめられた。
「なにするんですか、放してください。苦しいですってば」
「騒いだときは唇を塞ぐ」
「ちょっとシュ……ん……」
 目眩にも似た浮遊感。
『どうしてこの人のキスには逆らえないんだろう』
 ぼんやりと考えているとシュウが存外優しい笑みを見せた。
「大人しくなったら愛の言葉を囁きながら軽く愛撫」
 そう言いながらクラウスの首筋に軽くキスを落とす。
『愛の言葉が抜けてるじゃないか』
 別に期待していたわけじゃないけど……。
 と、耳元でクスリと笑う声がした。
「その間にさりげなく背中のボタンを外す」
 言われて初めて気が付いた。背中に回された手が器用にボタンを外していたのだ。
「この『さりげなく』というのがお前には無理かもしれないが」
「シュウ殿っ」
「勉強になっただろう?」
「もうっ、いいから放してくださいっ」
「まだ途中までしか外れてないぞ」
「結構ですっ」
 クラウスがシュウの腕の中で藻掻いていると突然部屋のドアが開いた。
「クラウス、起きておるかぁ〜」
 リドリーの部屋で飲んでいたキバのご帰還であった。
『しまった』
 こうなる前にドレスを脱いでおかないといけなかったのだ。
 クラウスは自分が華奢であることを恥ずかしくも悔しくも思っていたが、クラウスの才を認めるにつけキバもその事を
残念に思っていることをクラウスは十分承知しているつもりだった。
 それなのにこんなドレス姿で、見ようによってはシュウに抱かれているようなところを見せてしまっては卒倒するどころ
の騒ぎではすまないだろう。
 現にキバは目を見開いたまま口をあんぐりと開けて硬直している。
「いや、キバ殿。これには事情が」
 さすがのシュウもどこから説明をすればいいのか咄嗟に言葉が出てこないようだった。
「こ、これは一体……」
「だからキバ将軍、これには事情があって、とにかく落ち着いて聞いてほしいのだが」
 しかし、人は女装の理由に「あみだくじで当たったから」などという馬鹿馬鹿しいもので納得できるものなのだろうか。
そもそもくじに当たったからといって素直にドレスを着る人間が世の中に何人くらいいるのだろう。
『なんて厄介な』
『しょうがないじゃないですか』
 お互いに視線を交わして会話をしていると「ぬぉぉぉぉ〜」と地を這うような声が響いた。
「これはどういう事なんだ、イライザ」
「は?」
「その男と何をしているのかと聞いておるっ」
「ち、父上?」
「キバ殿、何か勘違いを」
「黙れ、若造っ!」
 一瞬、空気が凍り付いた。
「『若造』とは俺のことか?」
「……多分」
「ええいっ、またしても二人してコソコソとっ。イライザッ、その男から離れるのだっ」
 離れろ、と言われてクラウスは迷った。父親を取るか恋人を取るかという究極の選択を迫られたに等しい。
『どうしよう』
 躊躇したことがキバの怒りに火をつけたらしかった。
「ゆ、許るさんぞ。わしの大事な妻を誑かしおって」
 腰の剣に手を伸ばしたのを見てクラウスが慌てて駆け寄った。
「お待ち下さい、父上っ。また酔ってらっしゃいますねっ」
「そう怒るな、イライザ。クラウスみたいだぞ」
「みたいじゃなくて、私はクラウスです。よく見てください。あちらはシュウ殿ですし、この姿はナナミ殿の計画されたお芝
居を手伝うことになって」
「おお、そうか。お前は芝居が好きだからな。今度、クラウスに留守番をさせて二人で観に行こう」
「そうじゃなくて」
 そうだ、忘れていた。理屈が通用しないのは女性だけじゃなかったと目の前の酔っぱらいに思わず溜息をつくクラウ
スである。
「イライザ、わしの元に戻ってくれて嬉しいぞ」
 ぎゅうううぅ〜っと抱きしめられてクラウスもどうでもいいような気がしてきていた。
「なんとっ、イライザ」
「今度はなんですか」
 返事が多少おざなりになっても仕方ないだろう。
「このリボンはどうしたのだ?すっかり解けて……ややっ、ボタンも外れているではないか。……あの男だな」
 きっと睨みつけられて、さすがのシュウが一歩後ずさりした。
「くぉの不埒者めがっ!最愛の妻に破廉恥な真似を」
『ハレンチ……死語だな』
『これがシュウ殿に言われたセリフなら……』
「イライザ、お前は世間知らずだから分からないだろうが、ああいう男が一番危ないのだぞ」
『先手必勝』
『もっと早く言ってくれないと、父上』
 心の中で突っ込みを入れていても微妙に明暗が分かれている二人である。
「人の恋女房に手を出すとは不届き千万!痩せても涸れてもキバ・ウィンダミア、このような侮辱を受けて黙っているわ
けにはいかん!そっ首落として刀の錆にしてくれようぞっ!!」
 スラリと抜いた剣にシュウもギョッとして身構えた。
「父上っ、馬鹿な真似はおやめ下さいっ」
 クラウスが必死になって大剣を持つ手を押さえるとキバは悲しそうにクラウスを見た。
「お前はわしを父親のようにしか見ていないのか?」
「だって父上……」
「そうだな、お前はあの頃と少しも変わらないのにわしはすっかり歳を取って」
『ああ、もう、酔っぱらいがぁ〜』
「イライザ、わしはお前の幸せだけを願っているのだ。もし、お前が」
「父……いえ、あなた。私が愛しているのは貴方だけです」
「本当か」
「はい、世界中の誰よりも尊敬しています」
「あの男は?」
「あの方は……」
「あいつは?」
「あの方は、クラウスの……大事な方ですから」
 キバはポンと手を打った。
「そうか。あの若いのはクラウスの家庭教師だな。わーっはっは、そうかそうか、そりゃ愉快だ。イライザ、愛してるぞ〜
………」
「ちょ、重……」
 キバはクラウスに抱きついたまま寝てしまったらしい。おもいっきり体重を預けられて支えきれなくなったクラウスは堪
らずにズルズルと座り込んだ。
「あなた、大丈夫ですか? あなた」
 揺り動かすが熟睡しているらしくピクリとも動かない。時々、グォォと鼾をかいているのを聞くとホッとするやら情けない
やら。けれど、このままここで寝させるわけにはいかない。
「父上、こんな所で寝たら風邪をひきます。寝台に移られないと」
「いいじゃないか。最愛の奥方の膝枕で気分がいいのだろう」
 突然降ってきた声にクラウスは顔を上げた。
「それ、皮肉ですか?」
「とんでもない。身の危険を感じるほどの夫婦愛に打たれたばかりなんでね」
「申し訳ありません。父は酔っていて」
 恐縮しまくるクラウスにシュウはクスクスと笑いだした。
「構わんさ。キバ殿から見たら俺なんぞ、若造だろうしな」
「そ、それは酔った上での言葉のあやですから、決してシュウ殿を軽んじている訳では」
「いいや、こんな若造の采配に従ってくれて、ありがたいと思っているさ」
「シュウ殿……」
「それに、良い事を聞いたしな」
 クラウスがパッと赤くなった。
「誰が大事な人だって?」
「……わ、私は、父を世界で一番尊敬していると言っただけで」
「尊敬なんかいらんさ。俺が欲しいのは……」
 じっと見つめられてクラウスはゆっくりと目を閉じた。

 それから二人は長い長い口づけを交わしていた。

fin.                      




10000打のご愛顧ありがとうございます。
それなのにヘタレなオチですみません。
精一杯ラブラブにしようと思ったのですが
これじゃあ、単に「一難去ってまた一難」ですね。
そもそも書きたかったのは後半3分の1なわけで
何て長い前振りなんでしょう。
それにしても眠る父親の頭上でキスを交わす二人。
結構大胆でございます(笑)