ノー・ウォー美術家の集い横浜 事務局通信/2018年2月1日

核兵器禁止条約―進むべき道を確認した世界の中で
ーーーー藤井建男ーーーー
昨年7月7日(日本時間7日深夜)、国連本部で核兵器禁止条約が採択されました。内容は核兵 器の使用、開発、実験、製造、取得、保有、貯蔵、移転など幅広く禁止する内容で、ヒロシマとナ ガサキへの原爆投下から72年の歳月を経て核兵器の全面禁止が人類の進むべき道としてうた われたのです。前文に「ヒバクシャの受け入れがたい苦痛と危害に留意」と、訴え続けてきた被 爆者の声を明記、核兵器の「終わりの始まり」を宣言し、世界の国々にこの条約を批准すること を呼びかけたのです。更に10月6日には核兵器廃絶国際キャンペーン(I CAN=アイキャン)の条 約採択への貢献が大きいとして、ノーベル平和賞が授与され、核兵器禁止に向けた世界の流 れがはっきり浮かび上がったのでした。

1984年、前年ヨーロッパ全域で広がった反核運動と交流する自主的なツアーの企画があり、そこ に参加し、ドイツ、オランダ、イギリスの反核運動を訪ねたことを思い出すと、国連での核兵器禁 止条約までの運動のたゆみない広がりと底の深さ、そのなかで大きな力となったヒバクシャの貢 献をあらためて感じないわけに行きませんでした。1983年にヨーロッパを包んだ反核運動は、米 ソ対決の中でアメリカが局地的な核戦争(限定核戦争)戦略に本格的に乗り出し、NATO基地に 巡航ミサイルを配備する動きに反対する、対抗してソ連が中距離核ミサイルを配備する動きに反対 する運動として急速に広がったのでした。

簡単に言えば、米ソのどちらかが中距離核ミサイルを発射した場合、目標地点到着までの時間 は1時間とかからず、誤射であるかの確認もできず即反撃の核ミサイルの発射となることから、そ れを引き金に全面的核戦争になる危険性が高く、米ソの対決とならない場合でもNATO、ワル シャワ条約軍の基地は核によって破壊される―。この、単純明快な核戦争の危険を前にして、 ヨーロッパ全域に反核の声が広がったのでした。(左の写真)

西ドイツのシュツットガルトの平和運動との交流会では、キリスト教会関係の団体が 「核兵器が使われれば天国も焼き尽くされる」、医者の運動団体の医師は「核兵器は死者も殺す」 と語るなど、核戦争の恐ろしさをそれぞれの言葉で語っていました。

またオランダ、西ドイツでは制服を着た現役のNATO軍の兵士が「巡航ミサイル、パーシング・ノー」 の横断幕を掲げて参加するなど、当時の私たちには想像もできないほどの広がりでした。(右の写真) 基地を包む“人間の鎖”の運動もこのヨーロッパの反核運動から各地に広がりました。 そしてどこの運動でも人々を立ち上がらせ、参加を広げたのが被爆の実相を伝えるヒバクシャの訴え であり、被爆の写真であり、映画だったと言います。日本が地球のどこにあるか知らない小学生が 「日本は原爆を落とされた国だ」と語ったと言う話も聞きました。
この大きな反核の運動は文化にも様々な影響を与えています。まず挙げられるのは創意に満ち たポスター、ワッペン、バッチ(冒頭の写真)、そして集会を盛り上げるミュージシャンたちの演 奏、平和・反核・生存、等々を巧みに表現して運動をいっそう身近にしたと言います。

1983年10月29日に開かれた、オランダ・ハーグの反核集会は市人口46万人を上回る55万人が集まった と言われその熱気を語っていました。
その後、ソ連の崩壊がありEU(欧州連合)が生まれ、ヨーロッパにおける核戦争の危機は一見遠 のいたように見えますが、核兵器を抑止力として確保し製造し配備する動き、使用可能な小型核 兵器の研究、実験は続いています。そして核兵器使用一歩手前の危機的状況を突き付けている のが現在の「北朝鮮・アメリカの対決」と言わなくてはなりません。
核兵器禁止の世界的な動きは、1950年に「核兵器絶対禁止」を掲げたストックホルムアピール、 1954年の3・1ビキニ被爆を機に広がった原水爆禁止運動、国連軍縮特別総会と結んだ国際的な 反核運動、1983年にヨーロッパ全域を包んだ反核運動と広がりました。そして、常に唯一の被爆 国日本のヒバクシャを先頭にした運動があったのです。

しかし、残念なことに現在の安倍政権は、国連の核兵器禁止条約採択に参加しなかったのです。 そればかりか今年1月、日本を訪れた「アイキャン」のベアトリス・フィン事務局長が求めた首相と の面会さえ断ったのです。「アメリカさえよければ」と言って国際社会の共通課題を乱暴に踏み にじって暴走するトランプ大統領に、まったく無批判に追随する安倍首相の異常な振る舞いに、 日本政府の「核兵器禁止条約反対」の姿勢が浮かび上がります。
核兵器禁止条約は批准国数が50カ国に達した後、90日を経て発効します。
ノーベル平和賞授賞式で「アイキャン」のベアトリス・フィン事務局長は講演の中でこう述べました。 「核兵器の傘に守られていると信じている国々に問います。あなたたちは、自国の破壊と、 自らの名の下で他国を破壊する共犯者となるのですか。世界の国々に呼びかけます。 私たちの終わりではなく、核兵器の終わりを選びなさい! 世界の全ての市民に呼びかけます。 あなたたちの政府に対し、人類の側に立ち、核兵器禁止条約に署名するように求めてください」と。

また、13歳のとき広島で被爆したヒバクシャ、サーロー節子さんは同じく授賞式での講演を 「私たち被爆者は苦しみと、生きるための真の闘いを通じて、この世の終わりをもたらす核兵器 について世界に警告しなければならないと確信し、繰り返し証言してきました。 …核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です」とのべ最後を「今、私たちのひかりは核兵器禁止条約です。 …世界中のすべてのみなさんに対してヒロシマの廃墟の中で私が聞いた言葉を繰り返したいと思います。 『あきらめるな!(がれきを)押し続けろ!動き続けろ!光が見えるだろう? そこに向かってはって行け』…核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう」と結びました。

ヒロシマ・ナガサキへの原子爆弾投下から実に72年、その間核兵器禁止の運動は様々な困難を 乗り越えて粘り強く続けられ、ついに禁止条約を実現し、人類生存の道を指し示すところに 立ったのです。しかし全ての核保有国がこの条約採択に不参加、核の傘の下にあるNATO加盟国、 オーストラリア、唯一の被爆国日本が採択不参加、と言う現実はこの運動の進む先が平坦でないことを 示しました。

核兵器禁止条約を国連本会議で採択したことで進むべき道を確認した世界の中で、一刻も早く 条約に批准する政府を私たちは手にしたいものです。そのために、核兵器禁止ヒバクシャ国際署名を 集め、政府を禁止条約批准を求める運動で包囲しましょう。〆