笹岡 照子


一言メッセージ

 昭和20年の冬は寒く、東京では木炭1俵の配給があったそうです。そして3月10日の大空襲、母は
火鉢の灰の中に愛用の鋏(はさみ)を埋め、父は庭に穴を掘り、100枚のおむつを入れたブリキ缶を埋め
ました。九死に一生を得た朝、掘り起こしたブリキ缶をあけると、ボッという音がして、おむつが燃え
てしまったそうです。残りのオムツを持って疎開、私は生まれ育つことが出来ました。
作品は、その寒かった昭和20年を再現したものです。終戦子シリーズ銅版画制作は続いています。




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