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たけちゃんの映画時評(1) by 藤井建男
NO SMOKING ,NO WAR!!!!!!!!!!!!!非常口→

中国戦国時代の“非攻”策士の魅力/(2007.3.2)
「墨攻」日本、中国、香港、台湾、韓国の合作

 二十歳代の中ごろか、教科書に載ることもある「山月記」の著者・中村敦の「李陵」を読んで その格調の高い文章とスケールの大きさに衝撃を受けた。以来、中村敦ファンである。「李陵」 は秦の始皇帝に苦言し逆鱗に触れた悲劇の武将の話だ。映画「墨攻」は「李陵」よりも少し時 代が下がる。
 1992年〜4年ごろ小学館発行の漫画週刊誌「ビックコミック」に連載された漫画をジェイコブ・ チャン監督(香港)が映画化に成功した。
 原作の小説は酒見賢一によるものだが、この「墨攻」と「陋巷に在り」で92年に中島敦記念賞 を受賞している。こういう経過だと「李陵」の映画化を期待している者としてはどうしても見 なくてはならない気になってくる。これまでこの手の映画では「敦煌」を始めがっかりさせら れっぱなしだから。
 ストーリーを簡単に紹介する。紀元前403年から始皇帝に統一されるまでの180年間の戦国時代 その後期、趙の大軍が隣国燕の国境に近い人口4000人の城塞都市梁(架空の城都・城塞)に 10万の軍勢を持って襲いかかる。救援を頼んだ戦略思想集団墨家は動かない。敗北は必至、降 伏を決断するがその直後、みすぼらしい一人の男・戦術家・墨家の革離(アンディ・ラウ)が 現れる。
 革離の戦術は徹底した守り、“非攻”であった。そして敵が攻めやすいように囮の城門を造 りそこに主力をおびき寄せる作戦を取った。敵の火矢を防ぐために家畜の糞で屋根を覆い、敵 の放った矢を集めてそれを使う、城壁の上には熱湯、石、石灰、硫黄など考えられる全ての奇 策が。攻めあぐんだ趙の軍勢は囮の城門に総攻撃をする、そして…。
 梁王は革離の巧みな戦術に感服する反面、次第に兵士、住民に信頼の幅を広げることへの嫉 妬を抱き、やがて支配の座を奪われるのではという疑心暗鬼に…。
 戦闘場面もかなり厳しいアクションがある。何よりも時代考証の確かさが映画全体を盛り上 げる。おそらく、始皇帝陵の兵馬俑坑出土の兵士群像などが大きな役割を果たしたのではない か、と思う。
 革離が所属していた「墨家」とは、この時代、戦国時代の統一を「非攻」を説いて成し遂げ ようとした思想集団。専守の城作りの技術を持って各地に支持者を増やしたという。
 一言で言えばエンターテーメントな中国時代映画だが、大規模な軍隊の重量と物量、派手な アクションが圧倒する。ハリウッドの力量の低下を嫌がうえでも感じさせる映画でもある。主 役のアンディ・ラウをはじめ趙軍の大将を演じるアン・ソンギなどの演技も堅調。しかも完成 度は高い。この映画のパンフに映画「日本国憲法」を作ったジャン・ユンカーマン監督のイン タビューが「『非攻』という人間の叡智とアジア合作に見る希望」と題して紹介されている。 映画雑誌、週刊誌では評価が高い。まもなくDVDも発売されるはず。


日本映画が恐れていた映画の登場/(2007.2.20)

 最近、映画感想なる拙文をノー・ウォー美術家の集いのHPに送った。東映の「男たちの大和」、 ナチスドイツ下の青年の反戦運動を描いた「白バラの祈り」イラクにおける米海兵隊を扱った 「ジャーヘッド」今も上映されているクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」。 いずれも戦争に関する作品だが、そこで気のついたことだが、日本の映画には依然として “タブー”があり、反戦を情緒化するマニュアルがあると言うこと。
 どこにタブーがあるかというと、それは今述べた三本の作品のいずれも、戦争とその時代をリ アルに捉えているから、見比べればよく分かる。端的に言えば、「硫黄島…」には全滅覚悟の 決戦を前にした「天皇陛下万歳」と斉唱する実に見事な万歳シーン、「靖国神社で会おう」と うめくように叫んで集団自決するシーン、憲兵が犬がほえたと家族の前で犬を射殺するシーン、 この映画には天皇の軍隊の姿が見事に描かれる。日本の映画がこれまで描けなかったシーンで ある。
 「男たちの大和」の売りは激しい戦闘シーンと海軍兵士の青春、落しどころは生き残った人間 の慙愧と苦悩。確かに戦争の悲劇は描かれているがその中から本質を探ろうと言う意欲は伝わ らなかった。実は、この落しどころで俳優を選び、涙腺を刺激する映画作りがいまだに主流だ と言うことを改めて確認した。
 クリント・イーストウッドが米共和党の支持者であるとかで作品を揶揄する向きがあるそうだ が、とんでもない言いがかりだ。この「硫黄島…」は硫黄島の戦いの象徴ともなっているすり 鉢山の頂上に星条旗を立てる群像が実はヤラセであったこと、英雄扱いされた兵士が人生を狂 わされ悲劇的な生涯を送ったことを暴露した「父親達の星条旗」と二部作。戦争の英雄とは誰 が作り、どのようなものなのか。日本映画が恐れていた戦争映画が次々と登場した暮れから新 年。最も1960年代までは日本でも「きけ、わだつみの声」「ビルマの竪琴」「野火」など優れ た映画があったのだが。


美術にもタブー/(2007.2.20)

 最近つらつら考えるのだけれど、日本の美術はなぜ戦争の狂気と悲惨、戦争をする社会の退廃 に迫る努力をしないのだろうか。そのような画家として頭に浮かぶのは漫画家の柳瀬正夢、松 山ふみお、先の大戦でシベリアで捕虜生活を送った香月泰男、宮崎進などしかいない。何故だ ろうか?
 ヨーロッパには宗教によるキリスト教に絡んだ残虐な絵が沢山あるが、それとは別に、ゴヤの 「戦争の惨禍」がありドーミエの強烈な風刺がある。ドイツなどでは第一次大戦の戦場の悲惨 を描いてヒットラーから迫害を受けた作家は数多い(作品も)。ケーテ・コルヴィッツは子ど もを戦場で失った唯一の女性画家だが、彼女もドイツ農民戦争をシリーズで描いている。そし て強烈なのがピカソのゲルニカ。ところが、日本には一揆を扱った絵は皆無。日本の戦場物は 記録画の「名画」として13世紀の「元寇」との戦いを描いた絵巻に始まり巻物屏風画などは多 い。しかしそれらは英雄史観の武勇伝に飾られた歴史画である。明治以後の戦争画もその域を 出たものは極めてまれだ。
 先の大戦の戦争画も実態は軍部の注文によるものであり、藤田嗣治の凄惨な『玉砕』画も玉 砕を美化する英雄画と言っていい。庶民の玉砕を英雄にしたてあげた点ではより罪が重い。第 一次大戦で体験をドイツの画家は、オットー・ディックス、ジョージ・グロスを筆頭に戦場の 狂気、負傷兵の悲惨、戦時下の退廃を次々と描いてナチズムに追われた。なぜ、日本には戦争 画がないのか。それは歴史のなぞだ。
 そういえばNHKの大河ドラマも、戦時下の庶民は描かれないし、諸大名が農民を略奪して 奴隷として連れて帰り、あげく海外に大量に売り出していた。秀吉、家康がたびたび諌める指 示を出していた事実など、まったく見えてこない。こうしたリアリズムの欠如は、日本の歴史 全体に“まだまだある“。*絵はオットー・ディックスの「毒ガスの犠牲者」



『硫黄島からの手紙』の真実/(2007.1.4)

新年早々、ロードショーも終わりかけている戦争映画の感想でもあるまいという声もあろう。
しかし、今年の年明けが箱根大学駅伝やサッカー日本一を決める「天皇杯」のような明るく楽しく 健康的なイベントだけに飾られていたわけではない。
 「おめでとうございます」が氾濫する新年の新聞紙面も広げて見れば、イラクでは多くの市民が 命を奪われているニュースが途切れることなく伝えられ、日本では、政財界の腐食、癒着の記事で あふれていた。
 1月4日の新聞トップでは、「日米、有事計画の具体化」(「朝日」)が報じられた。これは朝鮮 半島有事と日本有事が同時に起きると言うシナリオで、現在地方自治体の管理下にある港湾施設を 接収、病院などを「日米同盟」軍が我が者顔で管制する計画だと言う。港湾、病院だけではない空 港、道路、競技場なども含まれる。日常の暮らし、もちろん表現の自由に直接関わる戦時体制づく りで、庶民にとっても深刻な問題である。
 こうした戦争体制作りの結果がどのようなものなのか、アカデミー賞監督・俳優のクリント・イ ーストウッドの映画『硫黄島からの手紙』はその実態を巨人のような力量でリアルに描いてすさま じい。
 実は、この映画はこの戦闘をアメリカ側から描いた『父親達の星条旗』との二部作である。『星 条旗』は硫黄島の戦闘勝利を象徴する、アーリントン国立基地近くにある、激戦を征した海兵隊が 星条旗を立てる記念碑のモデルが、実はヤラセであり、さらに戦争国債の宣伝のためにその旗を立 てた兵士を英雄に祭り上げて悲劇的な人生を送らせたという、いわゆる“銃後”のカラクリを暴い ている。(硫黄島戦争の)7,000人もの米兵死者の誇りとされる海兵隊のシンボルの皮を剥ぎ取るイー ストウッドの真実へのこだわりに敬服した。
 日本側から見たとされる『硫黄島』は、アメリカ軍を迎え撃つ日本軍の凄惨を描いて衝撃的だ。 日本側は20,933人の兵士の内死者20,129人、アメリカ側死者6,821人戦傷20,129人という激戦。映 画『硫黄島』は降伏して捕虜になった日本兵を射殺する米兵、集団自決、無意味な突撃などのリア ルな描写などこれまでの日本の戦争映画では撮られなかったシーンがいくつも描かれる。いわゆる 戦争の真実であり、そこには米軍の正義も日本軍の大儀もまったくない。ただ、ただ兵士は人を “殺し殺される人間”でしかない。
 『硫黄島』は栗林中将が日本軍人の中では合理的な人間として称えられている感はあるが、 戦争の本質を示す特筆すべきシーンが描かれる。それは、米軍を迎え撃つ作戦に出るときに、栗林 中将の音頭で行う「天皇陛下万歳」の三唱と、洞窟で手榴弾で自害する兵士の「靖国神社で会おう」 と言ううめきにも似た叫びである。
 国民の知る権利を奪い、疑うことを許さず、公共の施設に軍がのさばり、国を上げて個人の財産 を奪い、若者を学窓から駆り立て戦場に送っていった、あの戦争の描かれなくてはならない本当の 真実はこの「天皇陛下万歳」「靖国神社で会おう」にあるといってよい。「美しい国」「愛する人 のため」などではなかったこと、心に抱く生きることへの渇望、愛する人への思いを全てこの「天 皇陛下万歳」で振り払った事実を、指先まで伸びた万歳三唱は見事に示したのである。
 2作品とも、日本だけでなくアメリカでも評価は高く、再びアカデミー賞のうわさまで浮上した。
 「日米、有事計画の具体化」と言う新聞の見出しの先にあるものが何であるか、それが生半可な 想像力では思い描けないことを『硫黄島』は教えてくれた。別の面から見れば、ここにあるのは日 本の戦争映画が描くことができなかった真実で、その真実が、アメリカ人のイーストウッド監督に よって描かれたということである。そのことにある種の歯噛みをしているのは私だけではないはず だが。



湾岸戦争映画「ジャーヘッド」(2006.3.6)

10年前にブッシュ父が命じた湾岸戦争における米海兵隊の実態を描いた「ジャーヘッド」(サム・ メンデス監督、ハリウッド作品)という映画を観ました。

人を殺すことに麻痺させる海兵隊の訓練と退廃的な隊内生活、志願してきた隊員の家庭の貧困、サ ウジ砂漠での無意味な駐屯、殺人をしなくては精神的に耐えられないような空虚感、撤退するイラ ク軍と民間人の途方もない隊列を待ち構えて気化爆弾で皆殺しにする「砂漠の盾」作戦。しかも 150日近く駐屯していながら戦闘となると全てが空軍によるもので、結局は砂の上をごろごろして いるだけだった実態がリアルです。

アメリカ海兵隊がファルージャをはじめ掃討作戦と称して大量に市民を殺害しているのは、実は海 兵隊員の“欲求不満の捌け口”であることを示唆する内容です。

アメリカにしてみてもこのような狂気集団をもってしなければ戦争ができないと言うことでしょう。 いまの日本では決してつくれない戦争映画。残念ながら上映は終わってしまいました。県内の基地 を抱える自治体、沖縄や岩国あたりで上映してもらいたものです。
まもなくDVDかビデオで貸し出しが始まると思います。



ドイツから送られた「白バラ」(2006.2.7)

第二次大戦下のドイツ・ミュンヘンで1942年から翌年の2月ごろにかけ反戦ビラを配布し、 街中の壁にタールでスローガンを書くなどして戦争への非協力を呼びかけた大学生を中心に したグループ「白バラ」。その中の一人女学生ゾフィー・ショルが兄と一緒に大学構内で ビラまき中に逮捕され、わずか5日後、民族裁判所で死刑判決を受け、その日の午後に処刑 されるまでの鮮烈な輝きを描いた映画「白バラの祈り」は、正義を貫くことの勇気の尊さを 清冽に浮かび上がらせて感動的である。

逮捕されたゾフィーは当初、ゲシュタポの尋問をかわすためにアリバイを主張するが、仲間 の逮捕やアジトの捜索でそれが通じなくなると、毅然と戦争の無謀を批判してヒットラーの 狂気と対峙、「裁かれるべきはナチスである」と反論する。いのちを投げ打っての法廷での たたかい。清楚で理性的な反論である。逮捕から5日目に開かれた民族裁判所の法廷は公開 裁判とは形だけで傍聴席はドイツ軍人、ゲシュタポで占領され、駆けつけた父母さえも入廷 を阻まれたのである。戦争批判が反ドイツであり、それゆえにゾフィー等に生きる価値がない とわめき散らす裁判長を見据え、「歴史で裁かれるのは貴方たちだ」とゾフィーの言う声に、 法廷の空気が一瞬凍りつく。90日間の刑の執行猶予期間があるにもかかわらず、判決後直ち に処刑された背後には軍人までが抱き始めた「ドイツの敗北」という不安に、ゾフィー達の 勇気が飛び火するのを恐れたからにほかならない。

逮捕からわずか5日間で処刑されたゾフィー兄弟ら3人、そのほかに大学教授を含めて計6人 の「白バラ」のメンバーが処刑された。映画は主人公の人柄や話を膨らませたりしていない。 尋問調書に忠実に従い、そのことでわずかな時間を強烈に戦った「白バラ」の勇気を浮かび 上がらせている。戦後60年の昨年、国としてドイツのファシズムの犯罪を全世界に改めて 反省したドイツならではの映画だった。

それに比べるとドイツと同じ重い歴史を背負った日本はどうだったろうか。侵略戦争を肯定 する教科書が公然と登場し、首都の知事が「中国は民度が低い」などと言い放ち、首相をは じめ閣僚が次々と靖国神社を参拝するなかで日本の映画界は潜水艦を扱った「ローレライ」、 戦う自衛隊をあおる「亡国のイージス」、荒唐無稽な自衛隊活劇「戦国自衛隊」、海軍賛美 の「男たちの大和」と60年前の侵略戦争への反省など一言もない戦争活劇を次々と公開し ていたのである。



懐 か し や 戦 艦 大 和/2006.1.1

映画「男たちの大和」に対して、「泣きました! 声をあげて。すべての世代の日本人に観てもら いたい」(おすぎ)、「何故死ななければならなかったのか。その立派さ、美しさが、あまりに も哀しい」(壇ふみ)などの広告に始まり、朝日新聞12月22日映画批評の「このような心情あふ れる映画をこそ『日本的』と言ってよいのではないか。戦争の善しあしを問うといった分かりき った論議ではなく、徹底して戦争を人の情念でとらえたことによって、この映画は戦後60年 の『鎮魂の詩』になりえたのだと思う」(品田雄吉・映画評論家)と絶賛が続く。

さらに26日付朝日新聞の同じ欄で若宮啓文論説主幹は、「死の航海に出る若い兵士らの生きざ まが、迫真の戦闘シーンとともに胸を揺する」と書きだし、山本正弘元社会党委員長、後藤田 正春元副総理など軍隊経験のある政治家の戦後政治へのかかわりを、“おろかな戦争への反省”に よるところが大きいと説く。まるで“戦後60年を締めくくる反戦映画登場”だ。このような、 私の予想もしなかったマスコミ大賞賛の声に戸惑いながら観に行った。

一言で言えば、この映画は「海軍賛美の反戦映画」という(矛盾を含む)印象である。少年兵の 青春と家族愛、死をも恐れぬ海軍・戦艦大和への純粋な憧憬、ともに死ぬことで結ばれる戦友 間の友情、過酷な訓練のなかにも人間味ある上官、率直な特攻作戦(無駄死に)への疑問など 様々なエピソードが強く胸を打ち、私も何度も涙をぬぐった。その後に壮絶な死のシーン。まさに 心情あふれる「日本的」な映画であり、佐藤純弥監督の力量を感じた。

しかし見終わって涙が乾いた後に一点の疑問が胸に残り、次第に広がってきた。「大和」という 巨大戦艦、あるいは海軍という軍隊が「思い返せば辛くまた楽しい人間生活の場」であり、映画に 描かれたような数々のドラマが「懐しい思い出」となってくるという伏線である。青春時代 に戦争という選択肢しか無かった人たちは、地獄のような戦地でもわずかな喜びを見つけ、終戦 まで生き残った人には、後年歳月とともに輝いてくる情景もあったとは思う。

しかし今、憲法九条をめぐる改憲・護憲の対峙の中で、「善意と無垢によって死を強制された 将兵たちをどう見つめるのか」という一つの問題がある、と私は思う。

小泉首相は昨年アジア諸国を訪問して前の大戦での日本の行いを詫び、「とりわけ、アジア近隣 諸国に対しては過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れない 惨害と苦痛をしいた」と述べたが、8月には靖国神社に参拝し、「あの困難な時代に祖国の未来を 信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に 築かれていることに改めて思いをいたし…」と述べた。これは刑死のA級戦犯を含めた戦死者を 称えることで、『誤った国策』も『計り知れぬ惨害と苦痛をしいた』ことも正当化したと、 アジア諸国や米国からも非難された。映画「男たちの大和」は首相のスピーチに似た旋律も持って いる、と私には感じられた。

今日、「悲惨な戦争の記憶」や「非人間的な軍隊の記憶」の風化を嘆く声が聞かれる。その「風化」 がこの映画を支えていると思えるが、その一つが「海軍賛美」への共感であろう。アジア・太平洋 戦争において日本海軍の果たした役割は決して軽いものではなく、指導部も生き残ることが不可能 な海戦という、陸軍と違う状況があったとしても、この戦争を「情念でとらえた」面が強いとすれ ば、理性の人の反発を招かざるをえないだろう。

戦後の日本映画は、非人間的な殺人集団である軍隊に戦争反対の視点を当て、「きけ、わだ つみの声」「人間の条件」「野火」「海軍特別少年兵」など優れた作品を生んできた。それらは みな、戦争体験と同様に悲惨な軍隊体験に依拠したものである。こうした系譜から見て、やはり 私は「男たちの大和」が優れて反戦的、厭戦的である反面、その底に「戦争美化・賛美」の匂い を漂わせていることの危険性を自覚することが肝要であると思った。

●インターネットで映画「男たちの大和」を検索してみると、表示されたページの多くが「海上 自衛隊website」に簡単にアクセスできるように「親切な」配慮がなされていた。