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映画コーナーたけちゃんの映画時評(3) by 藤井建男
NO SMOKING ,NO WAR!!!!!!!!!!!!!非常口→

牛の鈴音牛と生きた老夫婦の幸せ
ドキュメント映画/韓国 イ・チュンニヨル監督。(2010.1.9)

 79歳の農夫チェ爺さん夫婦には30年間も共に働いてきた牛がいる。作男出のチェ爺さんは今でも 朝から晩まで農作業で9人の子供を育てた。それもこの牛が重い荷を担ぎ田を耕し働き続けてくれ たから。お盆に帰ってきた子供たちも「あの牛がいたから」と口をそろえる。しかし、普通15年の 寿命と言われる牛だ、40年も生きている。もはや老牛、歩くのもしんどそうだ。それにチェ爺さん も左足に不自由を抱えている。お互いによたよたしながらの農作業。妻のイ・サムスン婆さんが この農作業を支えるが田植えから畑の草刈り、畑仕事は骨が折れる。周囲の農家はトラクターで 苗代を耕し、農薬を散布して雑草を駆除している。婆さんは農薬散布を勧めるが「農薬は牛に良く ない」機械導入にも「牛がいる」と首を縦に振らない。婆さんは「牛がいる限り私はこき使われ る」 「牛と同じだ」と口を開けば愚痴だ。だが、チェ爺さんはこの牛を手放そうとしない。春、 その冬、新しい春、夏、収穫の秋と季節は美しく牛の歩みにも似たゆったりと巡る。婆さんの愚痴 は止まらない、が時にはユーモアがありどことなく牛に対する嫉妬も漂う。
 いよいよチェ爺さんの体もしんどい、牛の餌を集めるのもきつい作業だが牛もその草と爺さんを 乗せた荷車を引くのもつらそうだ。映画は淡々とこの光景を追い続ける。特別なドラマもない、訴 えかける政治的なテーマもない、ただ、頑固に共に生きてきた牛と老夫婦の日常である。そして牛 の首に下げられた鈴の音が時を刻むようだ。経済が急成長したいまの韓国社会で求めてもかなわな い、そこにあるがままに生きていきたい、という老いの意思と優しさが牛の歩みからしみじみと 伝わってくる。それは日本にも当てはまる。老夫婦に配慮して固定カメラで遠くから追う映像は安定して美しい。 ドキュメンタリー叙事詩と言っていいだろう。監督は44歳のイ・チュンニヨル。テレビでドキュメ ント番組などを経て映画第1作。韓国では300万人が見たという。単純計算すると15人に1人という 数字。ドキュメンタリー映画の観客動員最高記録だけでなく、メジャー映画の1000万人動員に匹敵 するといわれ、「牛の鈴」現象を生み出した。渋谷シネマライズ、銀座シネパトス、新宿バルト9で 好評上映中。


キャピタリズムマネーは踊る
/マイケル・ムーア監督(2009.12.15)

    ・写真は映画「キャピタリズム」のパンフより→

ブッシュ大統領のイラク戦争を手厳しく糾弾した「華氏911」、アメリカの医療保険の実態に鋭く メスを入れた「シッコ」とアメリカ社会を批判してきたドキュメント映画監督、マイケル・ムーア が今度はアメリカの金融資本主義に迫った。
住宅ローン延滞の強制執行による住宅の差し押さえ、立ち退きを迫られる労働者家族。「まじめに 働いている人間になぜこんな仕打ちを」と口を揃える人々。一方に差し押さえた住宅を転売して 利益を上げる不動産業者がいる。ムーア監督は「これがキャピタリズム=資本主義=だ」という。
1980年11月、B級映画の俳優だったレーガンが大統領になると、これまであった様々な規制が取り 払われて、国の実権はウォール街の手に落ちる。スクリーンには「小さい政府」「規制緩和」の 仕掛け人が次々に登場し莫大な利益を上げ始める。一方、工場が相次いで閉鎖されリストラの波 に飲み込まれた街が廃墟になっていく。

←・NHKの「クローズアップ現代」で語るムーア監督。
ムーア監督は父親と、かつて父親が働いていたGMの工場跡に立ち、「資本主義は人びとに夢と希望を 与える民主主義だったときもあった」と。しかしレーガン大統領以降アメリカでは「資本主義は 職業選択の自由を保障する」という錦の旗の下で工場を閉鎖し、何十万という労働者から仕事を 奪った。労働者の賃金は一気に下がる。あのハドソン川の奇跡と讃えられたパイロットの給料が スーパーの店員と変わらない現実。従業員に生命保険をかけ死亡すると莫大な利益を得る企業ま で登場する。そして「金融工学」で生み出された「金融商品」が氾濫するカジノ資本主義。 1%の富裕層がますます利益を膨らませる超格差社会が実現した。ムーア監督は「デリバティブ」なる金融商品の 理屈などわからなくていいと言い切る。問題は1%の富裕層が99%の国民を食い漁る野獣になった 資本主義をこれ以上野放しにしてはいけない―と。

'08年9月、リーマンブラザーズの破綻以来世界に金融危機が襲いかかったが、富裕層は議会に 働きかけて国民の税金7,000億ドルを不良債権処理の融資に充てさせ、自らは合併と買収で 「勝ち逃げ」を決め込み、さらに利益を得ているのだった。
「国民の税金7,000億ドルを返せ ! 」世界最大の投資銀行ゴールドマン・サックスに出向き、袋 の口をあけて訴えるムーア監督、巨体を揺さぶりながらの突撃取材、体当たり抗議は何度見て もユーモラスだ。エンディングBGにフォーク調だがインターナショナルが流れるのもいい。
それにしてもこの映画の光景、今の日本とあまりにもダブルではないか……。
★1月9日から全国ロードショウ。現在、日比谷TOHOシネマズ シャンテで先行上映中。


子どもの感性とファンタジーへのこだわり
人形アニメ「屋根裏のポムネンカ」/チェコ(2009.10.13)
―チェコアニメ傑作選上映に寄せて−

親しい友人とアニメ映画を話題にした。
日本のアニメは大人の価値観を持ち込みすぎていないか。「ポニョ」って子ども向けのアニメか? そこで話題になったのがチェコの人形アニメ「屋根裏のポムネンカ」(イージー・バルタ監督)。 おりしも10月10日より新宿の映画館 ケイズシネマ=K`s cinemaでチェコアニメ傑作24本が上映さ れている。そこで今年夏封切られた「屋根裏のポムネンカ」をとりあげてみた。

私が足を運んだのは渋谷の映画館。ところが夏休みだというのに観て欲しい子どもの姿はなく、 親子連れの熱気であふれた宮崎アニメ「崖の上のポニョ」とは雲泥の差だった。

屋根裏部屋に暮らす人間に忘れられた“ガラクタ”たちが繰り広げる不思議な世界。帽子が大好き な青い目の人形・ポムネンカは屋根裏の人気者。仲間たちは彼女がつくる花火つきのケーキを毎朝、 心待ちにしている。ある日、屋根裏の果てに住む悪の親玉・フラヴァにさらわれてしまったポムネ ンカ。彼女を助けるために立ち上がったのは、ガラクタを油粘土で固めた様な人形・シュブルト、 壊れかけたドンキホーテのマリオネット・クラソン細い鉛筆が剣だ。どんな危機が迫っても眠気と 食欲は健在なぬいぐるみの熊・ムハ。彼らはポムネンカを助けるために力をあわせて立ち向かう。 屋根裏は広い。洋服ダンスからあふれ出すシーツは洪水、積み上げられた家具は行く手を阻む絶壁、 ねずみのDJのキュリーはラジオで屋根裏の仲間を集め、発明した飛行機を操縦して悪の帝国に乗 り込んで行く。

70年代ころまでなら子ども時代に誰でもが経験した廃物や身近な道具に新しい役割りといのちを 吹き込む“ごっこ遊び”がこの人形アニメの底に流れている。舞台が屋根裏という事でさらにファ ンタジーは膨らみ、バスタブを大海原に、ストーブを横にして機関車の胴体にと、奇抜なインスピレ ーションがドラマを楽しく味付ける。固定観念にとらわれないイメージの飛躍が大人も十分楽しま せてくれる。

人形劇の伝統を引き継ぎ、独自のアニメーションと結びつけ、第二次大戦後人形アニメーションで 国際的地位を得たチェコならではの作品。しかし、チェコは現在市場経済の荒波の中で厳しい経済 情勢にもまれ、文化芸術に対する国の助成も著しく削られている。人形を動かして1コマ1コマ 撮影する膨大な時間と労力、困難な制作環境に立ち向かっているイージー・バルタ監督は「チェコ の子供たちもコンピューターゲームに囲まれて育っていて想像力が薄れている、子供の育ちに危機 感を抱いている」という。そこを見据えて子供の感性とファンタジーを守りたいという熱い思いを 込めた作品。全編75分も子供にとってはちょうどよい時間だろう。一人でも多くの子供たちに観て もらいたい人形アニメの秀作だ。
幸い11月6日まで新宿のケイズシネマでチェコアニメ傑作選が上映されている。親子で楽しむのも よし、童心に帰るのもよし、アニメの真髄にふれるのもよし、一人でも多く足を運んでほしい。
        ・ケイズシネマ(K`s cinema) .03(3352)2471 ●web


“派遣村”が生んだ現代版「プロレタリア映画」
「蟹工船」SABU監督/(2009.7.9)

 プロレタリア文学の傑作といわれる小林多喜二の「蟹工船」の現代版映画化である。1953年に山村聡 の監督した「蟹工船」は朝鮮戦争特需に湧いた時代でもあったがまだ戦前の半封建的な社会システム、 原始的な搾取形態がいたるところに残り多喜二の描いた世界と実態で重なる部分も多く、その時期の すぐれた「プロレタリア映画」といえる。
 しかし、今日は資本の凶暴さと労働者の実態が本質で同じであっても、視覚的、体感的実態は大きく 異なる。SABU監督はそれを踏まえて現代の貧困を“背骨”にすえて挑んでいる。まるでカプセル ホテルの残骸のような“糞壺”と呼ばれる船室がそれを象徴する。
 カムチャッカ沖で蟹を取り船内で缶詰加工する蟹工船「博光丸」。船内工場では食い詰めてたどり 着いた底辺労働者(雑夫)の奴隷のような作業が続く。暴力的に労働者を監視する監督・淺川(西島 英俊)の「もたもたするんじゃねぇっ!いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じなんだ!日 本帝国の大きな使命の為に、死ぬ覚悟で働けっ!判ったかぁ!」の怒鳴り声が響き、少しでも動作が 鈍れば容赦なく杖が振り下ろされる。同じ時期カムチャッカに向かっていた「秩父丸」からの遭難 無線SOSも無視、酷使に耐えかねて船内に隠れた労働者の見せしめのリンチ殺人、しけの中での漁の 強行、そこで遭難した川崎船(手漕ぎの小型漁船)のカムチャッカへの漂着。救助された漁夫・新庄 (松田龍平)たちが見た人間らしく生きるロシアの船員たち。映画は小説にほぼ沿うかたちで展開する。
 雑夫、漁夫が反撃にでるまでのプロセスをSABU監督は「絶望から逃れる死」次に「人生に目的を 持ちそのための反撃」と二段階で“人間復帰”に求めている。カムチャッカから帰ってきた新庄の 「あきらめるにはまだ早すぎる。望むから実現するんだ。その為には、一人一人が自分の意思で立 ち上がらなければならないっ!」の訴えに「俺は医者になりたい」「俺は建築家」「俺は歌手」…。 「俺たちがいなければこの船は動かない。要求を出そう」の呼びかけに“糞壷”にうごめく「奴隷」 だった雑夫、漁夫が人間の顔を取り戻して反撃に立ちあがっていく。
ネットカフェに寝泊りする労働者の増加。「それって『蟹工』じゃないか」と言ったのは、作家で プレカリアート活動家の雨宮処凛。世界的恐慌の中で日本経済を支えてきた自動車、電気産業の契 約、臨時、非正規労働者が大量に解雇された。社宅からも追い出され、仕事もないまま雨風にさら されている話はごく身近なところからも聞こえてくる。大企業のぼろもうけを支えてきた現代の 現場労働者の実態は現代版「蟹工船」である。先進国で初めて突如の首都のど真ん中に出現した 失業者の村。この貧困のエネルギーがいま日本を揺さぶり始めてもいる。SABU監督の「蟹工船」 もその中の一つ。テンポも速く船内の群集シーンは迫力がある。西島英俊のイケ面で冷酷無比な 現場監督、腹の据わったリーダー漁夫・新庄役の松田龍平、木本武宏(TKO)、木下隆行(TKO)を はじめ若い役者の好演がうれしい。ただ映画館に見る限り高齢者の観客が多い。若い人に観ても らいたい映画である。


レスラーの不器用な生き様が胸に迫る
「レスラー」/アメリカ・フランス合作/(2009.6.18)

 アンダーグランド・スポーツ、プロレスの映画である。一人のプロレスラーの生きざまを追う形で、 この世界の悲哀を見事に浮かび上がらせた。
 ニュージャージー周辺のしがないどさ廻りのリングで糊口をしのぐ全盛期を過ぎたレスラー、ラン ディ(ミッキー・ローク)はかつてアメリカのプロレスの殿堂マジソンスクエアガーデンで栄光の ライトに照らされたこともあった。だが今はトレーラーハウスの家賃もまともに払えない、近くの スーパーでアルバイトをする一人暮らし。
 「自分にはこの道しかない」こう言い聞かせるランデイ。髪を染め、日焼けサロンで肌を焦がし、 筋肉増強剤で筋肉の維持を図り、相手とおおよその試合展開を決めてはいるが、一歩間違えれば命 を失いかねない危険な技、鉄条網で体を傷つけあうような過激なファイトで試合を盛り上げ、息も 絶えだえで両手を上げてファンをつなぎとめている。
 そのランディの肉体にアクシデント。試合後、筋肉増強剤など薬物による副作用とみられる心臓 発作が襲いかかり、バイパス手術をした医者から「リングに上がったら命の保証はない」と宣告さ れる。
 新たな人生は可能か?揺れるランディ。孤独を紛らわすために場末のクラブでなじみのストリッパ ー、キャシデイ(マリサ・トメイ)に心臓手術を打ち明け、「一人はつらい、君と話したかった」 と。キャシディに幼い時別れその後連絡もとらなかった一人娘ステファニー(エヴァン・レイチェ ル・ウッド)と会うことを勧められ、キャシデイと娘に贈る服を買いに行く。一旦はランディを 拒否した娘がほんのりと父を受け入れそうになり、キャシデイとの間にほのかな愛も芽生えたよう に見えたが、人生の大切な節目を読み切れないランデイ。ステファニーに会う前日、酒を飲んで羽目 を外し約束をすっぽかして「やっぱりあなたはまともな人間じゃない」と再び父親を拒否された 挙句キャシディとも喧嘩をしてしまう。
 悶々とスーパーのレジのアルバイト、生きている確かな手ごたえを手にしたいと発作的に仕事を 放棄したランディは「この道しかない」と、再びリングの上に。相手はかつてランディと名勝負 を演じたアヤットラーだ。容赦ない歓呼がランデイの肉体を奮い立たせる。
プロレスは超人的に作り上げられた男たちの繰り広げるショウであり筋書きの上で繰り広げられ る見世物。ファンが自分をリングのドラマに重ね合わせるバーチャルな世界だ。レスラーはその バーチャルな世界の登場人物にすぎない。ファンにしてみれば生身の暮らしなど知りたくもない、 どうでもいいのだ。まして貧乏暮らしなど。
 その無くてもいい、生身の暮らしぶり、鍛え抜かれた肉体の悲劇をかつてなく深く、悲しくえぐっ て心にしみる。ランディ役のミッキー・ロークはかつてセクシーな個性派として人気を集めたが、 ボクシングに走り顔が代わり、しばらく名前も聞かれなくなっていた。挫折しながら生きてゆく ランディの役にうってつけの役となった。「彼なくしてはつくれなかった」とダーレン・アロノ フスキー監督。
 ショーマンシップ、残虐性、グロテスクなどからプロレスをアンダーな文化と軽蔑する向きがあ る。おそらくそれは全て言い得ている。しかし、そういう職業でも不器用に懸命に生きようと する人間がいる限り、そこにドラマがあるはずだ。人はそれほど器用に生きられない、それも 真実だ。プロレスにしか生きられない人の群れを一人の男の生き様にさびしい愛を重ねて暖かく 描いて見るものにせまる。エンディングに流れる主題歌もいい。
●81回アカデミー賞主演男優賞、助演女優賞ノミネート、2008年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞 受賞、66回ゴールデングローブ賞、主演男優賞、助演女優賞受賞ほか受賞多数。


戦争請負会社の闇に挑むジャーナリスト
「消されたヘッドライン」/アメリカ映画(2009.5.31)

「戦争請負会社」は湾岸戦争の砂塵のなかから姿を現した現代のモンスターだ。アメリカやフランス においては1950年代から退役軍人などが企業から金を集めてかなりの数がつくられ、世界の紛争地に 傭兵を送り込んでいた。アメリカでそれが複合産業にまで成長して議会まで動かすようになったのは 二度の湾岸戦争以降といわれる。映画はこの「戦争請負複合産業」の政治介入をドキュメンタリー 映画出身の鬼才・42歳のケビン・マクドナルドが、イラク戦争下のアメリカを舞台に米議会とアウト ローな風体の辣腕記者カル・マカフリー(ラッセル・クロウ)の対決軸でサスペンスなエンタティメ ントに仕上げた。イギリスで政治とジャーナリズムの対決をシリーズで放映し大ヒットした「ステー ト・オブ・プレイ〜陰謀の構図〜」の映画制作権を獲得しての大作である。

議会の腐敗対ジャーナリズムというやや古い構図だ。しかし映画が描き出しているものはきわめ て今日的で興味は尽きない。「戦争請負会社」、議会工作、ジャーナリズムの危機はイラク戦争 で様々な角度から問題になってきた。ブッシュ政権下のラムズへルド国防長官が“少数兵士論” を重ねて強調して軍事介入の「戦争民営化」への転換をうかがわせたし、同じくチェイニー副大 統領はアメリカ最大の戦争請負複合企業ハリーバートングループの会長兼経営責任者で、格差社 会の底辺から若者を大量にイラクに送り込んで天文学的な利益をあげていた事実も知られるよう になっている。新聞ジャーナリズムは電子ジャーナリズムの軽量化、速報性では水をあけられて 勢い不安定な裏取り、スキャンダリズムに走る危険に付きまとわれる、どれも今日われわれが直 面している現実である。それを巧みに拮抗させて組み立てて十分見応えがある。

という事だけならかなりお堅い映画となるが、「戦争請負会社」の議会のっとりを追及する議員の 女性秘書のなぞの死からミステリアスにストリーを展開、アカデミー賞俳優をずらりと配置、ラッセ ル・クロウの強烈な存在感を中心にした人間関係も重厚だ。ワシントンポストをモデルにしたとい われる圧倒される規模の新聞社のセット。エンディングの昇り龍さながら刷り上った新聞が発送部 へ送り込まれるカットはダイナミックで美しい。ベテラン新聞記者カルとウエブ版の若い記者デラ・ フライ(レイチェル・マクアダムス)の協力と葛藤でさわやかな風を吹き込んでもいる。そして最 後のどんでん返しまでスリリングに展開。ペーパージャーナリズムの危機までが顔を覗かせ観るも のを離さない。イギリスでこの構図のドラマに茶の間がひきつけられた。社会の闇に光を当てて ほしいと言う市井のサイレントマジョリティがあったと言うことだろう。スタッフはそこに着目し た。ジャーナリズム復権への期待も感じられる秀作である。(全国ロードショウ中)