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[#37]
非 存 在 の 証 明加藤義郎(2007.2.1)

イラクに核兵器は存在しない、とバグダッドを制圧して何ヶ月か後に米国の調査結果が発 表された。この核の「非存在」はどのように証明されただろうか。以前テレビである弁護 士が「非存在の証明は不可能だ。物的証拠が無いから」と言っていた記憶がある。

似た言葉の「アリバイ」(不在証明)も、特定の時刻に特定の場所に「居なかった(不在)」と は直接証明はできず、その時刻に「他の場所に居た」ことを証明することによって、「同時刻 に一人の人間が二つの場所に居ることは不可能だ。ゆえに場所Aに居たのなら、場所Bに は居なかった筈だ」と類推し、間接的に証明することになる。

戻るが、イラクの核にしても、徳川家の埋蔵金、UFO、ツチノコにせよ、それが「非存在」で ある証拠を示すことはできないので、これだけ探しても見つからないのは存在しない確率 が高い、と類推します。しかし「確率」ではねぇー、とその「存在」を固く信じている人も 居るわけです。

その反対のことも。ある国が核兵器を保有したと発表したが、映像も見せず、それを証明 できる何物も示さない。それらしい爆発振動も日本の測定では他の国の核実験に比べて極め て微弱で、「ダイナマイトを多数集めて一度に爆発させたのでは」と見る専門家もいる。 だから今でも、あの国がそれを持っていると信じない人は多いのです。



[#36]
私生活をみつめる反戦運動も可なり針生一郎(2007.1.11)
*中村安子展DMより転載。元は題無し。上は「見出し」としてweb編集係が付けました。

中村安子は日本アジア、アフリカ、ラテンアメリカ美術会議(略称JAALA)の会員で、丸木美 術館で毎年8月にひらく〈今日の反戦展〉にも出品している。したがって、1970年以来、一般 に社会的主義を喪失してしまった日本の美術界では、社会意識の明確な方といえる。その 彼女から9月に、反戦というと構えて硬くなりなりがちなので、次の個展には自分の息子を 思う気持ちに集中したら、難なく表現できそうだ、という手紙が来た。

ところで、そのころわたしが読み終えたのは、アントニオ・ネグりとマイケル・ハートの共著 『マルチチュード』(NHK出版)である。これはアフガン・イラク戦争も、米軍だけでなく国連 軍、同盟国軍、多国籍軍、多国籍企業などのネットワークによるとの分析ではじまる。まして 反戦運動は人種差別、女性差別、障害者差別などで分断されながら、公と私の分断をこえ、議 会制の限界もこえて絶対的民主主義をめざし、移民相談所、女性センター、インターネット・ カフェなど無数の小さなコアをつくる。それらを統一する必要はなく、むしろ小コアの差異性 を重視しながら、戦争勢力以上にネットワークをひろげることが課題だというあたりに、わた しは大きな開放感を味わった。とすれば、私生活をみつめるのも、反戦運動にとってけっして うしろ向きではありえないからだ。

■中村安子展/1月22日(月)〜27日(土)/シロタ画廊(銀座7-10-8/03-3572-7971)

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[#35]
'07 年 賀 状 /松岡 友(2007.1.5)
脳みそが小さくても、存在は重要なステゴサウルスです。危機感を感じているだけでなく、自ら 動き出さないと何も始まらないです。私も今年学校卒業、色々出来る事、出来ない事増えていくと 思いますが、我が一度きりの人生純粋に走りきる予定です。



[#34]
'07 年 賀 状 /片岡 昌(2007.1.4)



[#33]
映画『硫黄島からの手紙』の真実/藤井建男(2007.1.4)
新年早々、ロードショーも終わりかけている戦争映画の感想でもあるまいという声もあろう。
しかし、今年の年明けが箱根大学駅伝やサッカー日本一を決める「天皇杯」のような明るく 楽しく健康的なイベントだけに飾られていたわけではない。
 「おめでとうございます」が氾濫する新年の新聞紙面も広げて見れば、イラクでは多くの市 民が命を奪われているニュースが途切れることなく伝えられ、日本では、政財界の腐食、癒着 の記事であふれていた。
 1月4日の新聞トップでは、「日米、有事計画の具体化」(「朝日」)が報じられた。これは 朝鮮半島有事と日本有事が同時に起きると言うシナリオで、現在地方自治体の管理下にある 港湾施設を接収、病院などを「日米同盟」軍が我が者顔で管制する計画だと言う。港湾、 病院だけではない空港、道路、競技場なども含まれる。日常の暮らし、もちろん表現の自由 に直接関わる戦時体制づくりで、庶民にとっても深刻な問題である。
 こうした戦争体制作りの結果がどのようなものなのか、アカデミー賞監督・俳優のクリント・ イーストウッドの映画『硫黄島からの手紙』はその実態を巨人のような力量でリアルに描いて すさまじい。
 実は、この映画はこの戦闘をアメリカ側から描いた『父親達の星条旗』との二部作である。 『星条旗』は硫黄島の戦闘勝利を象徴する、アーリントン国立基地近くにある、激戦を征した 海兵隊が星条旗を立てる記念碑のモデルが、実はヤラセであり、さらに戦争国債の宣伝のため にその旗を立てた兵士を英雄に祭り上げて悲劇的な人生を送らせたという、いわゆる“銃後” のカラクリを暴いている。(硫黄島戦争の)7,000人もの米兵死者の誇りとされる海兵隊のシン ボルの皮を剥ぎ取るイーストウッドの真実へのこだわりに敬服した。
 日本側から見たとされる『硫黄島』は、アメリカ軍を迎え撃つ日本軍の凄惨を描いて衝撃的 だ。日本側は20,933人の兵士の内死者20,129人、アメリカ側死者6,821人戦傷20,129人という 激戦。映画『硫黄島』は降伏して捕虜になった日本兵を射殺する米兵、集団自決、無意味な 突撃などのリアルな描写などこれまでの日本の戦争映画では撮られなかったシーンがいくつ も描かれる。いわゆる戦争の真実であり、そこには米軍の正義も日本軍の大儀もまったくな い。ただ、ただ兵士は人を“殺し殺される人間”でしかない。
 『硫黄島』は栗林中将が日本軍人の中では合理的な人間として称えられている感はあるが、 戦争の本質を示す特筆すべきシーンが描かれる。それは、米軍を迎え撃つ作戦に出るときに、 栗林中将の音頭で行う「天皇陛下万歳」の三唱と、洞窟で手榴弾で自害する兵士の「靖国神 社で会おう」と言ううめきにも似た叫びである。
 国民の知る権利を奪い、疑うことを許さず、公共の施設に軍がのさばり、国を上げて個人 の財産を奪い、若者を学窓から駆り立て戦場に送っていった、あの戦争の描かれなくてはな らない本当の真実はこの「天皇陛下万歳」「靖国神社で会おう」にあるといってよい。「美 しい国」「愛する人のため」などではなかったこと、心に抱く生きることへの渇望、愛する 人への思いを全てこの「天皇陛下万歳」で振り払った事実を、指先まで伸びた万歳三唱は見 事に示したのである。
 2作品とも、日本だけでなくアメリカでも評価は高く、再びアカデミー賞のうわさまで浮 上した。
 「日米、有事計画の具体化」と言う新聞の見出しの先にあるものが何であるか、それが生 半可な想像力では思い描けないことを『硫黄島』は教えてくれた。別の面から見れば、ここ にあるのは日本の戦争映画が描くことができなかった真実で、その真実が、アメリカ人の イーストウッド監督によって描かれたということである。そのことにある種の歯噛みをし ているのは私だけではないはずだが。



[#32]
賀 春/田中韶一(2007.1.2)





[#31]
初 日 の 出/平成唐草紋様作家 村田訓吉(2007.1.1)

明けましていっぱいいっぱいおめでとうございます。

東京と千葉の境目の陸橋で仕事帰りに初日の出、拝まさせていただきました。
天気予報では80パーセント見れないといわれてました。
私達は愛と平和と青い地球と子供達が大好きだ、と3回念じ拝まさせていただきました。
きっと今年はいいことあるぞー。

皆様と皆様の周りの方々、出来れば世界中の皆様に
いっぱいいっぱいいいこと有りますように。

▲ 2 0 0 7 年 ▲

[#30]
今 日 こ の 頃/藤井建男(2006.11.11)

世界は変わってきました。
日本は変わりませんが、「変わらない」ではすみません。
スペイン右派のアスナール首相は、一昨年の地下鉄テロの犯行をバスク地方の過激派と 断定して批判を浴び、直後の総選挙で負けました。
イギリスのブレア首相ももうだめです。
アメリカのボルトン国連大使も更迭されるでしょう。
北朝鮮問題も中国、韓国、「新しいアメリカ」のイニシアで回りはじめた感じ。
南米、中南米は新しい革新のうねりをつくりだしています。

こうなると日本は場外で罵声を上げている鼻つまみ者みたいなもの。
時代の波が確実に押し寄せているのがわからない、難破船という実感です。



[#30]
‘06展、高遠菜穂子さんの講演/中村安子(2006.8.29)
↑これについて、事務局から感想を求められましたが…

今回の講演、高遠菜穂子さんのVTRによる活動報告の感想など、おこがましくてとても 述べられるようなものではありません。ただただ感服、敬服しました。

文字どうり生命をかけた運動・活動で、内戦により全てを奪われた子供たちを高遠さんが 支援することでストリートチルドレンでなくなり、仕事を得て自立していく姿に感動を覚 えない人はいない筈です。テロリストに捕らえられ、死に直面させられ、ようやく解放さ れたら日本国家を挙げてのバッシングが待っていて、報道を見ながら歯軋りしていた自分 がいます。

高遠さん、どうか笑顔を取り戻して健康に留意してお続けください。

  私にできることはレバノンにあるパレスチナ難民キャンプで毎夏2週間ずつ開いてきた 美術教室の報告です。


[#29]
ショート・ストーリーズshort stories/西村正幸(2006.8.8)
今回の個展のためのコメントとして

1999年4月12日に起こった、コソヴォ紛争でのNATO軍による列車爆撃で子どもを含む9名 の民間人が亡くなった。この事件では、“たった9名”のセルヴィア人が…と言うニュア ンスの報道であった。

相変わらず、大義の元に行われる争いの犠牲者は、“静かな少数派silent minority”の 子どもたちである。

その後、人々が期待を寄せた21世紀は、9.11テロの報復という名目で始められたアフガン 戦争、イラク戦争でも、またも大勢の子どもたちが犠牲になった。

2006年7月30日、イスラエルの空爆によって、レバノンのカナでは37名もの子どもたちが命 を落とし、戦争被害の子どもたちから平和がいとも簡単に奪い去られ、彼らの短い物語は 閉じられる。

芸術(家)が、《作品》という言葉を通じて、(たとえ小さくても)平和を生み出すための声を 発することができれば、それが届いた一人の内から、きっと平和が生み出される。ダイレク トな「戦争反対」という言葉(作品)ではなく、人の心に、痛みとして届くような言葉を発し たいと思う。

“平和をつくる者は幸いです。
 その人は神の子どもと呼ばれるからです。”<マタイの福音書5章9節>

★個展2006年8月7日〜13日/O(オー)ギャラリー(銀座8-11-13山田ビル2F 03-0574-0450)


[#28]
文化庁特別派遣で80日間NYへ/坂口啓子(2006.6.20)

文化庁50才以上の人が応募する、80日間の特別派遣 内定しちゃいました。
うれしくて、うれしくて、たまりません。

母が死んで、独身で、これからどうやって生きていくの?
と、悲しさや、寂しさに、震えていました。
でもこれで、もっともっとつくっていけるぞと
ご褒美をいただいた気持ち、とてもうれしいです。

でも、「ノーウォー美術家の集い横浜」は、反アメリカですよね。
そして、文化庁は、国家の機関ですよね。
私のような美術家は、KGさんにとって、どのような存在になるのですか?
私は、いつも自分にも 自由でいたいと願っています。

KGより
坂口さん おめでとう。80日間の特別派遣、いい経験になると良いと思います。
「ノーウォー美術家の集い」は日米両政府の戦争推進に反対していますが、その国民を嫌ったり、宗教に反対する などということは無論ありません。政府と国民は考えが違う場合が多いですね。小泉首相がY神社に参拝しても、 国民は反対する人が多いように。

文化にお金を出せる国は、外国人に対してもそうするのがいいですね。進んだ国はノーベル賞に限らず、古くから色々 やってますが。「ノーウォー美術家の集い横浜」も文化庁の扱う振興基金から、昨年は70万円貰いました。元は私たち の納めた税金ですから、もっと文化芸術に出してもらいたいですね。どんどん減らされて、米軍支援ばかり増やして ますが。


[#27]
企画展お知らせさせていただきます/古川美佳(2006.6.8)

韓国の美術・文化を研究しています。

現在、東京・茅場町にあるギャラリーマキという画廊で、6月17日まで、
韓国の女性作家・安星金(アン・ソングム)展が開催されております。
昨今の右傾化になびく日本の様相を隣国から嗅ぎつけ、警鐘をならすかのような
「the Sword」(刀、そして武力」と題するインスタレーションが展開されています。

この個展は「21世紀の東アジア文化論」と題する連続企画の第一弾で、
私(古川)が企画しています。大きくは、「論証―群島のアート考古学」という、
三人の企画者によるテーマのもとに繰り広げられます。

詳しくはギャラリーMAKIのホームページ(下記)をご参照ください。
そして、是非一度ご覧いただければ幸いです。

※ギャラリーマキ(中央区新川1-31-8 ニックハイム茅場町402号 03-3297-0717) ●画廊HP


[#26]
ワシントン便り/有江大介(横浜国大教授/2006.5.27)


ワシントンの中心、ホワイト・ハウスのすぐ南にあるモニュメント(高いオベリスク)から、 東の方向にキャピトル(国会議事堂)まで続く緑に囲まれたモール(the Mall)の一角で、 イラク戦争で死んだ2千4百余人のブーツを並べた静かなイベントをやっていました。

私が訪れたのは、雨がちだった数日のなかで運良く晴れ間に恵まれた5月13日(土)でした。 モールの一角のスミソニアン博物館・美術館群の一つで開催されていた「HOKUSAI」展会場に 行く途中で、偶然それに遭遇したわけです。それほど数は多くないけれども、家族か親戚か、 はたまた私のように通りかかった観光客か、運動会ができるほどの芝生のスペースに整然と 並べられた死んだ兵士のブーツの間を、何人ものアメリカ人がゆっくりと歩いたり、立ち止 まったり、あるいは下を向いて涙ぐんでいたりしているのをあちこちで見受けました。

ブーツの列のモニュメント側に、死んだアメリカ人兵士たちの私物の遺物を並べて下げた 板壁が設置され、反対の議事堂側に丸く写真パネルで囲った展示スペースを作り、そこの中 に戦闘の過程で亡くなったイラクの民間人の私物と写真を解説付きで掲示していました。

私が居たちょうどその時に、すぐその脇を、訓練帰りとおぼしき若い20人くらいの兵士が 上官に引率されながらモールを横切るように小走りに通り過ぎて行くのを見ました。彼らも そのイベントが何であるかを気づいたようで、一瞬ですが複雑な表情をしていたように見え ました。彼らの何人かは、モールの真ん中で立ち止まり、議事堂の方を背景にデジカメで 相互にお互いを撮り合っていましたが、普通だったら反対側のモニュメントを背景にして 写真を撮るはずに違いないのに、その向きでは誰もポーズを取ってはいませんでした。

当然のことながら、アメリカ内部ではブッシュの戦争政策に多くの人々が反対しており、 ブッシュ政権もそれに苦慮しているわけです。しかし、こうしたワシントンの「ど真ん中」 での、バランスを取っているようではあってもやはりイラク戦争に批判的な雰囲気の強い (幾分かは愛国心の鼓舞の要素を感じ取る人がいるかもしれませんが)イベントにおそらく 実施の許可を与えている当局の姿勢に、むしろ権力のある種のしたたかさとアメリカ社会の 柔軟さの一面を感じた次第です。 ●写真


[#25]
ウルグァイ便り/浅川洋子(2006.4.23 モンテビデオ市在住 )
Casa Puebloの夕日
KG様、御無沙汰しています。
何時もノー・ウォーの情報ありがとうございます

今年も出品することは出来なくて残念です。

早く日本に帰って私も仲間と一緒に活動をしたいと思うと 焦りを感じますが、出来るだけこの機会を活用し、ウルグアイを いろいろ見て回り、こちらの色や形を吸収して帰れるよう努力 しています。

こちらには10月24日まで滞在する予定です。
日本に帰りましたら、こちらでの貴重な経験を生かし、制作に励み たいと考えています。
●私の美術館


[#24]
スペイン便り/星野敬子(2006.3.14)
St.F・ザビエル巡礼
先日はサン・フランシスコ・ザビエルの巡礼 があったので行ってきました。ザビエルは ナバラの人で、ナバラの守護聖人です。

こちらではJabier(ハビエル)またはバスコ語 でXavier(サビエル) といい、パンプロナか ら60kmぐらいのところに彼の生まれた城が あります。

この巡礼は毎年の恒例で、ここの人たちは とても楽しみにしています。私はちょっと パンプロナから歩く自信が無かったので、 近くの村から8km ぐらい歩きました。


[#23]
湾岸戦争映画「ジャーヘッド」/藤井建男(2006.3.6)

10年前にブッシュ父が命じた湾岸戦争における米海兵隊の実態を描いた「ジャーヘッド」 (サム・メンデス監督、ハリウッド作品)という映画を観ました。

人を殺すことに麻痺させる海兵隊の訓練と退廃的な隊内生活、志願してきた隊員の家庭の 貧困、サウジ砂漠での無意味な駐屯、殺人をしなくては精神的に耐えられないような空虚 感、撤退するイラク軍と民間人の途方もない隊列を待ち構えて気化爆弾で皆殺しにする 「砂漠の盾」作戦。しかも150日近く駐屯していながら戦闘となると全てが空軍によるもの で、結局は砂の上をごろごろしているだけだった実態がリアルです。

アメリカ海兵隊がファルージャをはじめ掃討作戦と称して大量に市民を殺害しているのは、 実は海兵隊員の“欲求不満の捌け口”であることを示唆する内容です。

アメリカにしてみてもこのような狂気集団をもってしなければ戦争ができないと言うこと でしょう。いまの日本では決してつくれない戦争映画。残念ながら上映は終わってしまい ました。県内の基地を抱える自治体、沖縄や岩国あたりで上映してもらいたものです。
まもなくDVDかビデオで貸し出しが始まると思います。


[#22]
ドイツから送られた「白バラ」/藤井建男(2006.2.7)
映画「白バラの祈り」を観ました。

第二次大戦下のドイツ・ミュンヘンで1942年から翌年の2月ごろにかけ反戦ビラを配布し、 街中の壁にタールでスローガンを書くなどして戦争への非協力を呼びかけた大学生を中心に したグループ「白バラ」。その中の一人女学生ゾフィー・ショルが兄と一緒に大学構内で ビラまき中に逮捕され、わずか5日後、民族裁判所で死刑判決を受け、その日の午後に処刑 されるまでの鮮烈な輝きを描いた映画「白バラの祈り」は、正義を貫くことの勇気の尊さを 清冽に浮かび上がらせて感動的である。

逮捕されたゾフィーは当初、ゲシュタポの尋問をかわすためにアリバイを主張するが、仲間 の逮捕やアジトの捜索でそれが通じなくなると、毅然と戦争の無謀を批判してヒットラーの 狂気と対峙、「裁かれるべきはナチスである」と反論する。いのちを投げ打っての法廷での たたかい。清楚で理性的な反論である。逮捕から5日目に開かれた民族裁判所の法廷は公開 裁判とは形だけで傍聴席はドイツ軍人、ゲシュタポで占領され、駆けつけた父母さえも入廷 を阻まれたのである。戦争批判が反ドイツであり、それゆえにゾフィー等に生きる価値がない とわめき散らす裁判長を見据え、「歴史で裁かれるのは貴方たちだ」とゾフィーの言う声に、 法廷の空気が一瞬凍りつく。90日間の刑の執行猶予期間があるにもかかわらず、判決後直ち に処刑された背後には軍人までが抱き始めた「ドイツの敗北」という不安に、ゾフィー達の 勇気が飛び火するのを恐れたからにほかならない。

逮捕からわずか5日間で処刑されたゾフィー兄弟ら3人、そのほかに大学教授を含めて計6人 の「白バラ」のメンバーが処刑された。映画は主人公の人柄や話を膨らませたりしていない。 尋問調書に忠実に従い、そのことでわずかな時間を強烈に戦った「白バラ」の勇気を浮かび 上がらせている。戦後60年の昨年、国としてドイツのファシズムの犯罪を全世界に改めて 反省したドイツならではの映画だった。

それに比べるとドイツと同じ重い歴史を背負った日本はどうだったろうか。侵略戦争を肯定 する教科書が公然と登場し、首都の知事が「中国は民度が低い」などと言い放ち、首相をは じめ閣僚が次々と靖国神社を参拝するなかで日本の映画界は潜水艦を扱った「ローレライ」、 戦う自衛隊をあおる「亡国のイージス」、荒唐無稽な自衛隊活劇「戦国自衛隊」、海軍賛美 の「男たちの大和」と60年前の侵略戦争への反省など一言もない戦争活劇を次々と公開し ていたのである。


[#21]
寒中お見舞い/梅原美喜子(2006.2.2)

'06年展の御案内、有り難うございます。
今年は「抱擁」という作品を出品したいです。縦3.6m×横1.8m、ベニアを彫った作品です。
会場がちょっと狭くなるそうですが、大きさはいかがでしょうか?
(右は'05展の出品作)

以前にもお話したと思うのですが、「戦争は悪い事」という思いは漠然とありましたが、戦争を 直接的に表現した作品を観た時は逃げだしたくなりました。
それが今から20年位前、ノー・ウォー展にも出品していた首藤さんに上野の「原爆の火」を 案内されて「はっと」気がつきました。
これだ!と。
それから戦争反対をテーマにした作品を発表したいと思い続けていました。ですから私は今回は 「愛」で表現したいと思います。宜しくお願い致します。
                             
[#20]
頌 春/奈良幸琥(2006.1.12)

2006年正月、21世紀になって6年が過ぎました…。平和で人と人が心を大切にする21世紀を 夢見ていましたのに、現実は厳しく、まだまだ努力が必要の様です。

私にとりまして、今年は1月からエンジン全開の年になりそうです。1月20日(金)〜22日(日) の3日間「ルネこだいら」展示室で「アトリエ・パンセアートフェスティバル」を開催いたしま す。―NPO法人になって2年目、やっと周囲に認められつつあります。アトリエ・パンセの生徒 も小平を中心に、3才〜80才までの文字通り老若男女の集う“心あたたまる場”として沢山の 人と人との交流点になっています。加えて、小平私立なおび幼稚園のアートクラブでの講師 として、又小平市立鈴木小学校の卒業制作の壁画を担当する事となり、子ども達のあふれる エネルギーに触れ、私も年齢を気にしてもいられなくなりました。が、すでに50代も半ばを 過ぎ、自分の仕事としても責任があり、今年は多くの発表の場が用意されている一年でも あります。

2月中に、芸術書院から出版される大絵画集「芸術春秋」に 日本のアーティストとして評議会の推薦を受け、造形作家・パ フォーマー奈良幸琥として、ある意味、世界に向けてデビュー します。学生の頃は考えてもいなかった事ですが、身近に現代 美術作家や評論家の先生方との交流があり、自分でも身の内の 変化に驚いています。

ただ、私がやろうとしている事の根本は“祈り”です。パフォ ーマンスをはじめたのも、若者達に、自分が身体を張ってみせ る事がスタートでした。パフォーマンスは2月に鶴ヶ島アート フェスティバル(2/12〜19)、3月に東京都美術館日本アンデパンダン展(2/28〜3/12)と 続きます。●HP

夫・達雄の没後10年展も2007年に府中美術館市民ギャラリーを考えています。…私の夢はミュー ジアム・スクール……いつか 夫・達雄の絵のみならず美術館の中で皆が学べる学校を創る事… 夢は大きく信じて今年もススミます!!

新しい年が皆様にとりまして幸多かれと祈ります。


[#19] 年のはじめに
ゆっくりと何かが/杉木奈美(2006.1.10)

はっきりとは見えないけれど ゆっくりと 時間のうつりかわりとともに
変わっていく感じがしますよ
何がって よくわからないけど 人々の意識とか 感覚とか
 
地球の外っかわにいて 地球全体を見渡せたら 気づくかもしれないような
地球の表面にはりついている私達には見えないような
化石燃料使い切って 異常繁殖した動物として やっぱり滅びるほうに向かってるのを
それをなんとなく 動物的に気付いていて
がんばっていることがうそっぽいというか(←私が)
まだあきらめてないけど あきらめることが すぐ隣にいつもあるような

地震からもう11年もたちました (実は私 被災者です  阪神の震災の)
ゆれるのは 一瞬 たった数秒 (もっと長く感じたけど)
その数秒を境に 人は大きく変わりました

一瞬で まち全体が大きく変わることもあるけど
普通のときは時間をかけてちょっとづつかわっていくんやね 分からないような速度で

変わることは当たり前のことやけど 知識があるから(人類として)先読みできたり
技術があるから ちょっとしたことは克服できちゃったり(病気とか)

それでも なんか 動物的に なんか 大事なことを 感じているんやけど
動物的な 能力を ほとんどなくしちゃったので
それがなんなのかわからないだけというか

うちの三本足の子ネコが 気負わんでいいやん と言うように のんきにストーブの前で
ねていますよ
こいつ わかってんのかなぁ


[#18]
スペインの大地よ/星野敬子(2005.11.30)

目の前に広がる荒涼と広漠のスペインの大地よ。
時はその無慈悲な手で深い亀裂を地に刻み、
木々は長い影をこの見捨てられた地表に投げている。
そしてわずかな草草は執拗で周到な生存への意志を
棘で装っている。

「レクイエム」F20号、油彩 そしてそれらの上に、空はその無限の無関心を広げている。
孤独な雲が浮かんでいる。
ひとつの想いが訪れ、あてもなく彷徨いはじめる。
貧しきもの、それは私たちの命。
豊かなもの、それは私たちの想い。

遠い見知らぬどこからか、 私を呼ぶ声が聞こえる。


愛とは ひとつの歌。
命とは ひとときの閃光。
悲しい憧れ、
望みなき夢。
至高の眼差しの下に、私たちは永遠の彷徨い人だ。

歌は私たちの実存の成層の高みへと上り、そして消えていく。
深淵のなかへと、終りなき忘却へと。

きっと、だからこそ きっと…
あなたへ、私の愛の歌を歌おう。
震えておくれ、この静まり返った大気よ。
そして大地の悲しい顔を濡らしておくれ。
たとえほんのひとときであろうとも。

[編集者注]星野さんはスペイン国ナバラ県に永く住んでいます。右上は今年の「ノー・ウォー展」に出品された 「レクイエム」と題する油彩。倒れている人たちはどうしたのでしょうか、その原因は?と考えさせますね。
[#17]
シンポジゥムでの発言の主旨/村上よ志子(2005.11.26)

ノー・ウォー美術家の集いに関するシンポジゥムのホームページを拝読しました。一枚目 の下段に、「ポスターのせいかパネリスト……」の文章の中で、増山氏に感激の涙を流し たという女性の発言うんぬんと表現されておりますが、多分自分の事だと思われます。
そのホームページ
私の作品は「見ざる、聞かざる、言わざる」のタイトルで、日章旗の下に骸骨が海底にゆら めいている情景を描いたF100号です。

シンポジゥムで言いたかった事は、増山さんのことは女性として、母親として男性には理解 されない生命の悲しみに通ずる同情の念もありましたが、これは付けたしでした。若い青年 が今の情勢を本当に理解されているか、私は最初に「君が代斉唱、国旗掲揚の強制がマスコミ にとりあげられていても、あまり関心がなくなりつつあるこの情勢。国民にわからないよ うに、知らせないように刻々と戦争準備が進められている、まさに甘い言葉で、国民をだま している政治。一人の絵描きとして、ノー・ウォーに係わりあいたい。イデオロギーがそれ ぞれ異なっていても、戦争は人間の精神状態を狂わせ、人間として生きる権利を奪うものだ。 戦争に反対する表現の必要性が今、芸術に求められる」と発言したつもりです。

私はなんの為に絵を描くのか、自分を取り巻く状況のなかに、本当のリアリティーがある のだと常々思っております。
しかし、戦争反対の表現は様々です。またそれをテーマとして、芸術家が結集し、運動を 展開するのには多くの問題点がでてきます。シンポジゥムで見られた喧嘩腰の意見のやり 取りも一例です。個人攻撃、特に現代はインターネットという危険な表現方法があります。 言葉で文章で人に理解していただくことは難しいものです。

ノー・ウォー展を存続させるためにも、多くの方々から理解されるためにも、関係者の 再考を期待します。


[#16]
'05展のポスターについて/田中韶一(2005.10.30)

問2.@ 今日、戦争反対ー(ノー・ウオー)という事についてはは日本人の殆ど、又世界人口の 大多数が同感であるかと思います。しかし各個人、その集まり等はそれぞれ、現存在としての 立脚点があるわけです。私も、今アメリカの政治経済的あり方やブッシュ大統領は大嫌いだし、 とんでもなく間違っているし、悪であると思います。
 しかし、政治家であっても個人をあきらかにしての揶揄,、辱めは、どうかと思います。人間の 姿、形をしておれば、そこにもう感情移入が生じ、他人事とは思えなくなる部分が大きいので、 やはり人間の尊厳を傷つける事となり、よろしくないと思います。これはその部分は消して、 まわりの人々の行為状況や、環境の表現だけで、その対象は直接表現しなくてもわかると思うし、 そうして人々の心に訴えるほうがよく、より効果も大きいかと思います。
 その個人の側に立つ人たちも多くいるから、その様な政治家が成り立つている訳であって、 直接的、感情的な揶揄誹謗は、結局相互の憎しみと存在否定につながり、これが集合化すれば、 ノー・ウオーに反する事にもつながる事になると思います。
 ウオーは、歴史的にも、しばしばちょっとした軽慮や行き違いが引き金になって、大きな歴史の 悲劇になってる事も多いわけです。その様な事が、”無くならないウオーの根深さ”でもあると 思います。このような表現は、個人の作品としてならよいが、幅広い訴えを目指す運動の、プロ パガンダとしても見られるような、ポスターとしてはよくないと思います。
 ウオーにつながる行為や考えに対する否定を、あるいは間接的に、表現したもの、戦争の惨害 の訴え、再認識、の表現、又平和的な人間性や、文化の謳歌、又その方向の深い人間性、を訴え るもの、等であるべと思います。
”同じ人間として訴える事”にしか、ノー・ウオーの正しい道は絶対にないと思うのです。
でなければ、よく言われるように、憎しみに対する繰り返しとなって、無限の戦いと地獄はこの 世から消え去らないと思います。(一面わかりやすいが、全体としては大変な、むつかしい事と 思います。無限の努力が必要なことでしょう。)
 たまたま私が担当し紹介する、ドイツのライナーの編集した、かなりの人類史上の惨劇として 伝えられた、コソボの紛争に対する、世界各国の76名の芸術家の125の作品(WEAK BLOOD)の中 にも、この様な表現は見当たらぬと思います。尤も全体として多少きれいごとになっている様に は思いますが。
 又この様な表現は、はっきり政治家、しかもトップが表象されていれば、政治的立場にもつな がるとも思います。今日、議会など政治の場での表現がしばしば個人の揶揄誹謗となっている事 も、政治の低落と、政治に期待を失わせる事にもつながっていると思います。
 私は案内状にも、”寄り集まりであって、なんらかの政治的立場に立つものではありません”と 注記して送りました。(案内状はまだ絵が小さいからよいが、ポスターのように絵が大きくなると、 だんだんドギツク見えるので困ります。)ドイツのライナーにも”名前入りのポスターを送る。”と 言ってあるのでどうしようかと少々困っています。
 ジャーナリズムの美術展の取り上げが、日本では大メデイアでは殆ど取り上げられないので、--- かつての賄賂問題が多くて、その為載せなくなったのだ、との事のようですが、---海外にこちら の反響の様子を知らせるのに困るのです。先方は当然それを期待するのですが。
 総合的な状況は、日本の膨大な?美術界の、ひいては”文化の、低迷”、にも結びついているか とも思われます。少々余談になりました。妄言多謝。
 皆様のご努力を多とし、今後も期待し、どうかよろしくお願いいたします。



'05展 カタログとシンポジゥム/田中韶一(2005.9.9)

全出品者各1点オールカラーカタログはAJACでもこの11年発行して来て、発展普及の為にも 大変良い事と思います(不必要論もありますが)。
シンポジウムも2回やりました。とても有意義なことと思いますが、参加、視聴者を多く する事は難しい事でした。しかし、美術展としては、今日、惰性的、便宜的、せいぜい 情念的な段階までの集合展が多いわけで、美術と運動に対する自覚を持ち、掘り下げる為 にも、真剣に取り組むべき事とは思います。
但、失敗が会の低落につながる事のない様に心すべきかとは思います。

戦争関係をテーマにする事は当然ですが、これは人間、生物の歴史や存在を見ても、大変な、 根の深い問題であり、又政治的な解釈や立場が先行してしまうと、限定的となり、底を浅く してしまうと思います(人間を深く見る、と言う視点が大事と思います)。
美術は体験、認識、行為、、統合、コミューニケイション、文化等々、そして思考そのものを 内包して成り立っており、その様な事を通じて我々は集まっている、と言う、観点が大事と 思います。



日本の不気味な陰鬱/内海信彦(2005.8.31)

先週までニューメキシコ・アリゾナのネイティブアメリカンの友人のところに若者12人を連れ て行っていて、ワークショップを行なってきました。

ニューメキシコ・タオスのロバート・ミラブルという親友の音楽家は「ここタオスこそがグラ ウンド・ゼロだ」と言っていました。我々は昨年に続いてネイティブアメリカンの聖地からニュ ーヨークのWTC跡に行き、そして再び彼の地を訪ねたのですが、数世紀にわたって戦いを続けて きた彼ら彼女らの言葉は深い歴史を含んだ重いものでした。

アメリカは今、戦時中です。あちこちで半旗の星条旗が掲げられていました。ロス・アラモス では広島・長崎の追悼のセレモニーが行なわれていました。イラクやアフガンで子どもを奪わ れた母親たちの悲痛な声が、毎日報道されています。参戦国の日本に帰ると、一体この不気味 な陰鬱は何を予兆しているのかを考えさせられます。



職を求めて/藤井建男(2005.8.12)

もうそろそろ履歴書を持って訪ねるのもいやになってきた。
仕事の説明を受け、作業服の寸法まで測られて、その4日後あたりに不採用の通知が届く、 それが4回も続いたのだから。しかも東京の秋葉原や三軒茶屋などまで自費で出かけて、 かしこまって話しを聞く。何を聞かれても嫌がらず答えなくてはならず、どこか「こん な社会にしたのは貴方たちです」と言われているような雰囲気まで漂ってくる始末。

シルバー労働者の買手市場がこれほど屈辱的なものだとは思わなかった、というのが率直 なところ。昨日の一社は、横浜駅西口のビルの14階にある県の施設なども警備・管理し ている管理会社。きれいなオフィスにパーテーションで仕切られた面接コナーが四つも あり、そこから
「何とかお願いします」という声が順番を待っている席まで聞こえてくる。
「会社が立ち行かなくなって、社長から『仕事を探してほしい』と言われて、真夜中の 警備などがあれば一番いい。私はきれい好きですから住み込みでも」
などという男性や、
「トイレ掃除でもどんなことでもしますから、よろしくお願い致します」という女性の 声。すれ違いに見た姿は疲れた50歳代の女性だった。「女性の水周り」という仕事が トイレ掃除だということも、この求職活動で初めて知った業界用語。しかもこの会社は 時間給860円だが、一年契約で、契約更新ごとに時間給が安くなるという。
「それでもいいです」と懇願する人たち。
担当の職員は届けられる履歴書を、「厚さにしてこの位」と指で示しながら、
「(ですから)不採用の通知は出しません。1週間待って連絡がなければ不採用です」
とぬけぬけという。こういう所に、必死に頭を下げる人を押しのけて自分が仕事に付こ うというのが、なんだか寂しくなってきた。

2件目の警備会社は、市内の様々な病院、オフィスビルの清掃を請け負っているところ で、MM21のランドマークタワーの続きのクインズスクエアービルの清掃員を募集して いたので応募してみた。
ここでも片方の目がよく見えないのだろうか義眼なのだろうか、かなり疲れた感じの お父さんが病院の掃除をやりたいと面接を受けていた。怒鳴られようが蹴飛ばされよ うが耐えることができる様な人ばかりだ。

私は今回もおそらくダメだろう。そのほうがいいかも、などと思いながら夕方、飲み屋 に顔を出してビールを飲んだ。
「しかし、国を変えるのはそういう人たちでもあるわけで、おれもその中に入っている ことに誇りを持とう」
などと、酔いが進むにつれ、妙なヒロイズムが沸いてきたのには「まだ若いな」と思わ ずひとり苦笑い。

  家に帰ると、ハンガリーに暮らす娘から励ましとも慰めともとれるメールが来ていた。
「そうやって雇ってさえもらえないと、たとえどんな仕事にでも就ける人は偉いな、と 思うでしょう。ヨーロッパでは、外国人なんて仕事どころか、住むところでも、ことご とく拒否されたりするんですから」と。



「人魚姫」の真実--わたしは人魚そのもの/中島けいきょう(2005.5.5)

 一貫して「水」を主題に現代美術を発表してきた渡辺有智子が、このたび新風舎からビジュ アル本「人魚」を出版しました。
 彼女の語るところ「水」は、幼少時から自身の観念のなかでつねに親和的であって、と同時 に脅迫的なものであったということです。そんな彼女にあってアンデルセンの「人魚姫」は、 長いあいだ拘り続けてきた物語りでした。たんなるお伽噺として読むにしては看過できない、 もっと切実なものとしてあるべきだと彼女は思ったのです。
 これはアンデルセンの「人魚姫」のパロディなんかではない。真実、彼女が人魚になりか わって思いを込めて語る、自分自身の物語りなのです。いわばこのわれわれの住む人間の 世界こそが、彼女にとっての異界なのでしょうか。“ここはあたたかく居心地がいいわ。人 魚(わたし)にとって、最適な場所。けれど、心は外の世界をもとめている…”渡辺有智子の 求めてやまぬ世界とは?
 ぜひとも一度、手にとって見てください。(価格1260円)



ウルグアイ便り/浅川洋子(2005.4.28)

ウルグアイに来て6ヶ月になりました。
こちらはこれから冬に入ります。

日本と12時間の差です。
地球の裏側にいて何も出来ませんが、よろしくお願いします。

ウルグアイの日本大使館とUNESCOでは、終戦60周年のこの8月に、「原爆展」を含む一連の イベントをこちらで開催するよう準備をしています。
このなかで、「ウルグアイの子供たちと共に鶴を折って平和を考える」という企画があります。 モンテビデオの先生や子供達に鶴を折ってもらい、千羽鶴にして「原爆展」の会場に展示し、 その後広島に送付しようという企画です。
大使館からの依頼で、私も先生や子供たちに折鶴を教えることになりそうです。

では風邪を引かないように頑張って下さい。



「ノーウォ−」脱退の申し出*/鶴見厚子(2005.4.14)

KG 樣
いつも お知らせ ありがとうございます。ご無沙汰で すみませんが、いつかお話しました ように、多忙が継続する日常で、生きること、描くことだけで精一杯なのです。このところは 6時起床で 学校に出勤。退校は 夜7時を回っています。帰っても パソコン仕事が 夜中の 1時までもあります。そんな訳で、とても例会出席などできませんでした。モダンアートの審査 などの仕事は 責任持っていたしましたが、画家としての生活が危機的です。なんとか 描き 続ける決意で居ります。

さて、「九条の会」とのことですが、不参加にさせていただきたいと思います。 Iさんには 朝 投函します。

前回 メールで意見を送信しましたが その後 どなたかのご意見で、どうやら私の意見への 反論だな、と 思われる ご意見を拝読。・・・しかし はっきり言って、不快でした。この どんな困難もかいくぐりながら本気で描き続けている私が 本気で送信したのです。人それ ぞれの感性があり、それはおかしいと言われても 創作という極めてデリケートなところで  どうしてもピタッと来ない感じがあると思う気持ちに変わりはありません。

反戦の強い希求を持ちます。割と まめに 戦地に物資を送ったりしています。ユニセフの 寄付も お財布と相談で時々。しかし 大量の虐殺。無力を感じ、こんな間接的援助なんて ・・・と 自責の念を持ちます。たまには 高級なお料理に舌鼓を打つ自分の「ノーウォ−」 って・・・???・・・と思います。あれこれ考えています。

県民ギャラリーでの「ノーウォ−展」で、(なーんだ、結局 みんな いい場所に作品を掛け たくて必死だな)と 思いました。私は 反戦を唱えて展示するのに私欲を見せては はした ないと 控えめに奥の部屋でいい、と言いました。作家としての自己主張は逆を望んでいたの にです。正直な感想・・・遠慮せずに入口正面を希望したかった・・・と思いました。

私は私の心で 死者を痛み、反戦を感じ続けます。徒党を組んで活動したいという意志は 持ちません。うまく言えませんが そういう形の行為自体が 私の創作欲と どこかで不協 和音をかもし出し、苦痛ですらあるのです。これをいけないと言われてもひとつの固有の 感性の在り方ですので 反論には「うるさい!!!」と思うのみです。

本日付けで 「ノーウォ−」からの脱退と「九条の会」ヘの不参加を 申し出させて下さい ませ。Kさんからのメールも 申し訳ありませんが これにて受諾拒否とさせて下さい。 Fさん、Iさん、Mさんにもお伝えいただけたら ありがたく存じます。

*タイトルは事務局による。人名をイニシャルにした他は、句読点代わりの空白も 原文のままです。(事務局)


娘が画廊を開きます/狩野炎立(2005.3.23)

前略、その後御健勝のことと拝察申し上げます。私事で申し訳ありませんが、この度、まっ たくの素人の我が娘が銀座に小さな小さなギャラリーを始めました。何とぞご指導とお引き 立ての程お願い致します。またどなたかご使用してくださる方がおられましたらぜひご紹介 いただけたらと思っております。宜しくお願い申し上げます。

・GALLERY 銀座2丁目(東京都中央区銀座2-8-2 日紫ビル1F/080-5002-0090) ●Eメール
[事務局より]■first exhibition はここに出ています。




■ここからの続き…
こころして「死」を無にせず(続き)/池田龍雄(2005.3.8)

 それから瞬く間に時は過ぎ、あの時、この素晴らしい日本国憲法の「死活」は「一に我々 国民の意思の如何にあり」それが「最も重大な責務である」と、しっかり覚悟したにもかか わらず、事態は今日かくの如く相成り、世界に冠たる平和憲法の命運も、今や風前の灯火と なっています。けれどもやはり、あの覚悟をした「時」は決して「飛去(ひこ)」していない のです。

 わたしは、果たせなかった「責務」をどうすればいいのだと、胸中に忸怩たる思いを秘めて 今も尚その悩みを抱き続けており、せめてこの意思を、若い人たちが受け継いでもらって、 みんなして日本を――できれば世界中を――戦争のできるような国にしないこと。つまり、戦争 などできない国にすること。それが過去の戦争で殺された全ての人々の死――私情を申し上げ れば、終戦を待たずして敢えなく散ったわが戦友の十六歳の死――を、無にしない最高の道だ と存念するのです。

 そこでたまたま先日、S大学より、新入生に配るパンフに何かメッセージを寄せてくれと 頼まれたので、以下のような文章を書きました。むろん、大学生ではない『集い』の皆さんには、 言わずもがなの内容でしょうが、せめて僅かにも未だ残されている(であろう)護憲の「責務」 の、その一端を果たしたい気持ちをお伝えしたいのです。

――――――――S大学、新入生の皆さんへ――――――――――
わたしが踏んだ忌まわしいあの戦争の轍を二度と踏まないで!

 わたしは、幼・少年時代を通じてずっと戦争の中で育ち、そして、この戦争は東洋平和の ための正しい戦争だと教えられ、お国のためにと、わけもわからぬ十四歳中学三年の一学期で 航空隊を志願させられ、特攻隊員として出撃直前に戦争が終わったので命拾いをした者です。 まんまと「国家」に騙され裏切られたのだと知ったのはその後のことでした。

 それで、これからは如何なる権力にも、おのれの生き方を左右されるのは真っ平御免、と ばかりに画家になったのですが……以来六十年、またもやこの国の指導者たちは、アメリカの 手前勝手な世界戦略に動かされるまま、誇るべき平和憲法も改悪し、なんとかして日本を 戦争のできる国にしようと、しきりに画策しています。

 無知ほど恐ろしいものはない。大学にまで進んできた皆さんは、よりいっそう正しく未来を 見通す眼を養い、誤った選択をしない高度な判断力を身につけ、かつてわたしたち世代の踏んだ あの悲惨な轍を、再び踏むことのないよう、しっかり学びかつ行動する人になって下さい。
 二度と再び、この国を、そして自分と自分の周りの人々を、戦争という地獄に陥らせては なりません。署名