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―灸法の民間傳承―「二日灸(二十日灸)資料集成」

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逆子(骨盤位)の鍼灸治療

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切診(触診)のコツ

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ブレスレット・ネックレスのつけ方、使い方

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『品川のはり灸を支えた人々』-品川区鍼灸師会85年の歩み

はじめに

品川区鍼灸師会は、昭和53年6月3日(土)に品川鍼灸師会(東京都鍼灸師会品川支部)と荏原鍼灸師会(東京都鍼灸師会荏原支部)が合併して設立されました。品川鍼灸師会と荏原鍼灸師会の歴史は古く大正時代までさかのぼることになります。
多くの先達の先生方が築き上げてきた歴史を紐解いていくと、輝かしい品川区鍼灸師会の淵源に触れることができます。

【1】品川鍼灸師会の歩み

1.初代会長は小柳津朔先生

 品川鍼灸師会の初代会長は小柳津朔先生で、大正14年から昭和20年4月まで会長を務められました。日本鍼灸新報 第15号「東京版第18号」(昭和29年11月20日発行)には品川支部通信として次の記事が掲載されています。「10月23日午後6時から、市石宅において大正14年より昭和20年4月まで品川支部長として長年本会のために尽力され、現在福島県の滑津村(注:西白河郡中島村大字滑津)に疎開されたまま農事を片手間に「はりの先生」と農民に崇められつつ淋しく余生を送られる、小柳津朔先生の慰安会を催した。戦時中の航空マッサージ師倆手、救護隊の組織等当時の上意下達の苦しい思い出話に時の過ぎるを忘れ旧懐談に花が咲き、支部より記念品を贈呈して10時半閉会した。」と記されています。

2.第二代会長は作田儀三郎先生

 第二代会長は作田儀三郎先生で、昭和20年5月から昭和25年9月まで務められました。昭和20年当時の作田先生のお年は50歳前後、銀髪、小太りで、物腰も静かで優しいお声で話されるとても紳士的な方だったそうです。ご出身は関西で、昭和初期に上京され南大井の浜川中学のそば、国道を渡ったところに「三つ灸」という看板を上げて灸専門で治療をされていました。また、保護司をされるなど社会的にも地位がありました。昭和42年頃、府中へ転居されました(瀧浪八郎先生談)。                   
 昭和20年は終戦を迎え、鍼灸界も混乱と激動の真っ只中にありました。特に昭和22年は、下部組織に鍼灸部とマッサージ部を擁した日本鍼灸マッサージ連盟の結成、俗にマッカーサー旋風といわれる連合軍司令部による鍼灸禁止令、法217号の制定など多難な中にも力強い復興の息吹が聞こえるときでありました。
 当時の鍼灸事情を振り返ると、戦後の荒廃から立ち上がった鍼灸師たちは、昭和22年6月、伊豆伊東での日本鍼灸マッサージ連盟を結成しました。そして鍼灸とマッサージとの対立と分裂が起こり、昭和22年9月、日本鍼灸師会の設立準備会ともいえる大阪久本寺における全国鍼灸代表者懇談会が開催されました。
 昭和25年10月1日には東京鍼灸師会が日本鍼灸マッサージ師会の東京都における下部組織として設立され、日本鍼灸師会は昭和25年10月15日に設立されました。その間、鍼灸師会とマッサージ師会は対立を含みながらも、会務は合同で行われていました。
 昭和25年10月1日、東京鍼灸師会が日本鍼灸マッサージ師会の鍼灸部の東京都における下部組織として発足したのを機会に、市石清(喜代治)先生に会長を引き継がれましたが、昭和24年8月20日に発布された東京鍼灸師会の結成を促す声明書には、井上恵理、花田傳、岡部素道、小野文恵をはじめとした18名の委員の中に作田先生のお名前があり、ご活躍が十分に伺えます。以下に声明書の原文を記します(東京都鍼灸師会30周年史、3頁参照)。

◇◇◇

 過去50年の歴史を有する、鍼灸術も新日本の発足とともに、諸制度の改革に連れ、昨年、新法律が発布されて、一応身分法の確定を見たのであります。然るに、以来四囲の情勢は必ずしも楽観を許さず、このまま推移するときには重大なる危機に直面することが察しられる状態であります。国民医療法に包含することを拒みつゝある、政府の態度及医師会側の鍼灸に対する注目は昨今異常なものが感じられます。療術行為者は大同団結して、療師法の制定に依り権利を獲得せんとして今回厚生省より50万円の補助金を得て、療術の科学的研究に着手し、猛烈なる運動を展開しつつあります。尚、社会保障制度、人事院の階級制度、保険治療への加入等の諸問題が山積する状態で御座居ます。一歩誤れば悔いを千歳に残すこの重大危機を打開するには、深く業界の現状将来を認識して、業者一致団結して学問的に、或いは政治的に、全力を挙げて対処しなければならないと思います。茲に於て、過去には種々なる事情により分離して別々の行動をとって来た日本鍼灸マッサージ連盟の鍼灸専業者と、東京都鍼灸医会の幹部とは、幾度かに亘る協議の結果、医会に於ては臨時総会を開き、日鍼連にては本年5月の定期総会に於ける第3条の組織を改正し、全国鍼灸師会結成の具体化の線に添って、今回関東鍼灸師会結成を機会に、過去の一切を水に流し、一致団結して鍼灸業権擁護に邁進する事に成りました。行く道は異なるといえども、目的はいずれも鍼灸業権擁護であり、発展である事に変りのない両会は、小異を捨てて大同に相協力して、将来の危機に善処することを誓約し、茲に共同して声明を致します。―昭和24年8月20日。東京都鍼灸医会 東京都鍼灸師会。委員氏名(イロハ順)井上恵理・花田伝・林寿政・岡部素道・小椋道益・小野文恵・大村誠・渡辺昇・根本富之助・野崎壌吉・小林勝馬・作田儀三郎・坂本貢・木村哲照・平川荘作・広沢僧太郎・瀬田鶴吉・杉田喜司郎―

◇◇◇

 上述のように東京都鍼灸師会の名称は、昭和24年当時は東京都鍼灸師会でしたが、昭和25年に日本鍼灸マッサージ師会の鍼灸部の東京都における下部組織として発足したときから東京鍼灸師会となり、昭和31年に東京都鍼灸師会と東京都鍼灸マッサージ師会に分離した翌年の昭和32年4月7日の定期総会で、正式に東京都鍼灸師会の名称になりました。

3.第三代会長は市石清(喜代治)先生

 第三代会長は市石清(喜代治)先生で圭佑と号され、昭和25年10月から昭和31年4月まで務められました。市石先生は、ご自分の眼のものもらいを沢田健先生に僅か15分ほどで治していただいたのをきっかけに斯道に入られ、昭和7、8年頃に沢田健先生の弟子となり、目黒駅から白金方向に少し行ったところで灸専門で治療をされていました。頑固一徹な方でなかなか譲らない明治生まれの性格だったそうです。市石先生は沢田流の重鎮で、圭佑と号され、「沢田流聞書 鍼灸真髄」(代田文誌著、医道の日本社)に沢田先生の追憶文を書かれています。また、堀越亀蔵先生と共著で「お灸の新療法」昭和12年11月15日初版・大洋社出版、「お灸で病気を治せ」昭和13年10月30日初版・大洋社出版などたくさんのご著書があります。
 前述したように日本鍼灸師会は昭和25年10月15日に発足しました。当時は日本鍼灸師会と東京鍼灸師会の役員の兼任が多く、作田儀三郎先生は日本鍼灸師会組織部長・普及部長・東京鍼灸師会副会長、市石清(喜代治、号は圭佑)先生は日本鍼灸師会財務部長・庶務部長・普及部長などを歴任され師会の要職におられました。また、市石先生は日本鍼灸師会の会報の編集を担当されていた関係もあって、品川支部便りがほぼ毎号掲載されています。しかし昭和31年に鍼灸師会とマッサージ師会の分立を契機に、日本鍼灸師会会報にある東京版は経費削減の関係で廃止されることになり、以後支部便りは途絶えています。記録によると、作田先生の住所は大井北浜川町1105、市石先生の住所は上大崎2-547となっています。
以下に当時の日本鍼灸新報の記事を掲載いたします。

◇◇◇

◎日本鍼灸師会会報 第3号「各県だより」(昭和26年6月20日発行)
○品川支部便り(市石圭祐報)
 品川支部は毎月第二日曜日午後六時より研究会を開催して会員の親睦と技術の向上を計って居る。5月は市石氏宅にて開催、目黒より瀧川、大田より山下氏等参会、会報二号学術部よりの統計調査表を配布。本部からの諸報告を終わり、小池氏より脳溢血について、その他各氏より顔面麻痺、フリクテン、化膿性疾患、日本脳炎等について活発な問答が展開され得る処大であった。次回は大井瀧浪氏宅。
◎日本鍼灸新報 第4号「東京版」(昭和28年8月1日発行)
○定例理事支部長会 7月5日午後7時 於:本部事務所。作田・市石氏(品川)出席。
○定例理事支部長会 8月5日午後7時 於:本部事務所。作田副会長・市石氏(品  川)出席
○厚生省後援8月定例講習会予告 日時:8月23日 会場:厚生省5階大講堂痔疾の実際治療  作田儀三郎氏
◎日本鍼灸新報 第5号「東京版」(昭和28年10月1日発行)
○定例理事支部長会 9月5日午後8時 於:本部事務所作田・市石氏(品川)出席
◎日本鍼灸新報 第6号「東京版」(昭和28年12月1日発行)
○定例理事支部長会 10月5日午後8時 於:本部事務所
市石氏・福村氏(品川)出席
○11月日鍼会定期学術講習会 11月22日 於:日本教育会館
鍼灸術による性欲の回復  講師 市石圭祐先生
◎日本鍼灸新報 第7号「東京版」(昭和29年1月1日発行)
○東京都12月理事支部長会 12月5日午後7時 於:本部事務所作田・市石氏(品川)出席
○東京都1月理事支部長会及び新年会 1月10日午後2時 於:本部事務所作田・市石氏(品川)出席
○12月講義並びに終講式 12月13日 参議院議員会館に於いて開催全回出席受賞者 作田儀三郎・市石喜代治・鎌滝さだ・糸日谷忠成
○品川通信
1月7日午後2時より、作田先生宅で本年初の定例支部長会及び新年会を開催す。出席者13名、来賓品川保健所員3名、市石支部長の挨拶及本部報告、支部事業報告あり、会員滝浪八郎氏の結婚披露、会員鎌滝さだ女史の死去報告あり、終わって新年会にうつる。各自持参の肴は卓上山と盛られ、盃の往復重なるにつれ唄も続々合唱され一同支部員の和に感激して9時散会した。
○鎌滝さだ女史 12月27日、脳溢血で死去された。東鍼会々長、品川支部長は早速共済部に連絡して弔慰金の給付を申請した。
◎日本鍼灸新報 第8号「東京版第13号」(昭和29年4月1日発行)
○東京都鍼灸師会定例理事会 2月15日午後7時 於:本部事務所市石氏(品川)出席
○東京都鍼灸師会定例理事会 3月5日午後7時 於:本部事務所市石氏(品川)出席
◎日本鍼灸新報 第11号「東京版第15号」(昭和29年7月1日発行)
○6月定例理事支部長会 6月5日午後7時 於:本部事務所市石・作田氏(品川)出席
○品川支部通信 6月13日午後7時より、大井の瀧浪八郎氏宅で、定例支部長会及研究会を開催する。出席者12名。本部理事支部長会報告、共済部の継続契約、支部報告の後研究会にうつり、瀧浪氏の指導による脈診の研究、続いて鍼刺実地指導と、山下、糸日谷氏に灸の実地施術を行い同10時閉会した。
◎日本鍼灸新報 第12号「東京版第16号」(昭和29年8月1日発行)
○東鍼会7月定例理事支部会長 7月5日午後7時 於、本部事務所
 市石氏(品川)出席
○品川通信
  7月18日午後7時より、大崎本町の福村寿泉氏宅にて定例支部会及び研究会を開催する。どうした訳か今回は出席者少なく作田、浅尾、市石、糸日谷の四氏のみ、会費の徴収、11号新聞の配布、雑談数刻にて散会した。
◎日本鍼灸新報 第13号「東京版第16号」(昭和29年9月1日発行)
○東鍼会定例理事支部長会 8月5日午後7時 於、本部事務所市石氏(品川)出席
○品川通信
 8月8日午後7時より、市石圭佑宅にて定例支部会を開催した。夏期主席率悪く、出席者、市石、浅尾、糸日谷、坂口の五氏、本部報告の後治験の発表、疾病と反応点、灸の多壮数、少壮数等について検討し、同9時半散会した。
○会員の移動
小池喜三郎氏 新住所 品川区小山台1-76(品川支部)
◎日本鍼灸新報 第14号「東京版第17号」(昭和29年10月15日発行)
○東鍼会9月定例理事、支部会長 9月5日午後7時半。 於、本部事務所作田、市石(品川)出席
○品川支部通信
9月12日午後7時から、作田先生宅において定例支部会を開催した。出席者、作田、市石、浅尾、滝浪、渡辺、福村、牧田、山下の諸氏、支部長から5日の本部協議事項を報告、会費の徴収、福村氏より広告法の改正について強い意見を開陳され、治験発表として、市石から、急性虫垂炎の治療とその処置について、作田先生から、胃痙攣について、滝浪先生から糖尿病の治療について、発表と質問あり、午後9時30分閉会した。次回の会場は滝浪先生宅の予定。
◎日本鍼灸新報 第15号「東京版第18号」(昭和29年11月20日発行)
○東鍼会10月定例理事支部長会 10月5日午後7時 於、本部事務所作田、市石氏(品川)出席
○品川支部通信
品川支部では定例支部会を10月17日午後7時から、大井の滝浪八郎氏宅にて開催、支部長より本部の報告があり、支部の協議の後研究会にうつり、市石により瓦斯中毒の灸治験、滝浪氏の鍼と置鍼刺鍼の時間について発表、灸の壮数等研究を行い続いて会員の身体で実地鍼灸を行い午後10時半散会した。10月23日午後6時から、市石宅において大正14年より昭和20年4月まで品川支部長として長年本会のために尽力され、現在福島県の滑津村に疎開されたまま農事を片手間に「はりの先生」と農民に崇められつつ淋しく余生を送られる、小柳津朔先生の慰安会を催した。戦時中の航空マッサージ師倆手、救護隊の組織等当時の上意下達の苦しい思い出話に時の過ぎるを忘れ旧懐談に花が咲き、支部より記念品を贈呈して10時半閉会した。
◎日本鍼灸新報 第15号(第15号とあるが16号?)(昭和30年1月1日発行)
○新年の挨拶 日鍼会組織部長 作田義三郎
  謹んで新年の御祝詞を申し上げます。お陰を持ちまして本会も年と共に発展し会員も増え、あらゆる面において専目的を貫徹し実を挙げて居るのであります。之と云うのも会員諸賢御後援の賜と深く感謝いたします。此上は増々会員を殖やし支部の強化をはかり以って本会組織の増強にご協力あらんことを切にお願いいたしまして私のご挨拶といたします。
○鍼灸術の普及を 日鍼会普及部長 市石圭佑
 去年名古屋における第4回治療学会、東京の定例講習会、其多大阪、長野、九州各地等に開催された講習会、研究発表会は数多く業界に於けるこの種の事業は年を追うに従って盛大になりつつあることは真に慶賀に堪えない次第であります。特に大阪府聯合師会と兵庫県師会が共同で行った、新日本ラジオ放送で滝野憲照博士の「鍼灸の治療法」の放送と、同放送をパンフレットにして発行したことは普及宣伝の白眉でありました。私の受持つ普及部では去年は、日本鍼灸新報を毎月発行することで手一パイでありました。其の外に本部で普及宣伝のパンフレットを発行したいと考えておりましたが、ついに実現できなかったことは残念でありました。本年は何とかして実行したいと思って居ります。地方師会各位のご支援をお願い致します。
◎日本鍼灸新報 第18号(東京版 第21号)(昭和30年3月1日発行)
○東京鍼灸師会(2月)定例理事支部長会 2月5日午後7時 於、本部事務所、作田、市石氏(品川)出席
○品川支部だより
 2月10日午後6時から作田氏方で全鍼連品川支部幹部4名、東鍼灸会品川支部幹部5名出席して当面の問題に関し懇談し、意見の一致を得たので提携して行動を共にすることになった。
◎日本鍼灸新報 第21号(東京版 第26号)(昭和30年7月1日発行)
○東鍼会、マ師会(6月)定例理事、支部長会 6月5日午後6時 於、本部事務所
市石氏(品川)出席
○品川通信
 5月27日午後7時から滝浪氏方で支部定例会開催、花田日鍼会会長、大村事業部長本部より参加、鍼灸学校建築の件につき詳細説明した。6月12日午後7時から市石宅に於いて定例会並研究会を開催、学校建築貯金の申込書及び共催部再契約者調整、キヤリ腰、五十肩、脾臓疾患の治療例を発表午前10時散会した。
◎日本鍼灸新報 第22号(東京版 第26号)(昭和30年8月1日発行)
○東京鍼灸師会・東京マッサージ師会定例理事会 7月5日午後8時 於、本部事務所
 作田、市原氏(品川)、高橋(荏原)出席
○東鍼会荏原支部結成す
  かねてより高橋慶价氏を中心とする荏原地区の鍼灸師は日鍼会加入への希望を持っていたが、今般全鍼連荏原支部との間に円満了解のもとに日鍼会へ加入することに決定し、6月26日午後7時から、品川区平塚3丁目町会事務所に於いて結成式を挙行した。本部からは花田日鍼会会長、平川東鍼会会長、市石品川支部長、福村副支部長参加、荏原会員12名出席、高橋氏の開会挨拶に続いて荏原会員に日鍼会の性格を周知せしめる意味で左の如き質問を行った。日鍼会の構成、及事業、当面の目標、日鍼会の幹部より見たる鍼灸の将来と晴眼者の心構え等。右につき花田氏より詳細にわたって回答を行い、全員之を了承し、高橋氏支部長に就任し品川支部との今後の提携について打ち合わせを行い、終わって一同結成を祝して乾杯を行い、斯道の研鑽発展を約して午後10時散会した。会員氏名左の如し。支部長高橋慶价、副支部長小池喜三郎、同国分初雄、会員近藤直衛、江崎直三、小田司、田沢福蔵、小林重太郎、金久保政三、中島高司、寺田義雄、岡西勝代以上12名。
○品川支部通信
 7月10日午後7時から作田先生宅で支部定例会を開いた。保険対策資金は新加入者5名共趣旨を了解して全額支払い込まれた。その他本部報告・研究会は実地研究を行い午後10時閉会した。
◎日本鍼灸新報 第23号(東京版 第26号とあるが、27号?)(昭和30年9月1日発行)
○東鍼会・マ師会定例理事、支部会長 8月5日午後7時 於、本部事務所、作田、市石氏(品川)出席
○品川支部通信 
 8月21日午後7時から、滝浪八郎氏宅に於いて定例支部会を開催した。市石支部長から本部報告を行い、研究会にうつる。今回のテーマは肝臓疾患の治験、流行性肝炎その他肝臓疾患について原因、脈診、取穴等種種意見が出、船田氏目下肝臓病であるので、滝浪氏が鍼治療を行い、市石が灸治を行い、肩こりのマッサージ、及鍼法等会員互いに治療しあって午後10時過ぎ和やかな会を閉じた。
品川支部会電話新設 滝浪八郎氏 (73)3998   森本信子氏 (73)7745
◎日本鍼灸新報 第24号(東京版 第27号とあるが、28号?)(昭和30年10月1日発行)
○東京鍼灸師会・東京マッサージ師会(9月)定例理事、支部長会
 9月5日午後7時 於、本部事務所 作田、市石氏(品川)、高橋(荏原)出席
○品川支部通信
 9月18日午後7時から、市石支部長宅に於いて定例支部会並びに研究会を開催した。本部報告の後、今月の研究テーマ腎疾患について会員の治験発表及び会員互いに脈診、血圧計器使用、鍼灸の実地治療を行い同9時40分閉会。尚老人の日の奉仕は大田区の会員と共に15日より21日まで無料奉仕す。
◎日本鍼灸新報 第25号(東京版第28号とあるが、29号?)(昭和30年12月1日発行)
○東京鍼灸師会・東京マッサージ師会(10月)定例理事、支部長会
 10月5日午後7時半 於、本部事務所 作田、市石氏(品川)、高橋(荏原)出席
○品川支部通信
 品川支部定例支部会並研究会は10月9日午後7時から、作田先生宅に於いて開催した。会員多数出席、新加入者飯塚良雄氏を紹介、本部報告を簡単に行い、研究会にうつる。前回に引き続き腎臓疾患に関する鍼灸治験、特に腎盂炎の発表が船田、両氏よりあり、さらに坐骨神経痛の原因、圧痛点を研究、酒井、山下両氏に施灸し、午後10時閉会した。
○新加入者紹介
 荏原支部 千葉きよ 品川区小山町5-85
 品川支部 飯塚良雄 品川区大井坂下区2730
 小林道正 大田区大森9-422
◎日本鍼灸新報 第28号(東京版第30号とあるが、31号?)(昭和31年4月1日発行)
○昭和31年再建東京鍼灸師会初支部長会 3月8日午後6時 於、本部事務所
 協議事項 8,広報の件 日本鍼灸師会会報にある東京版は経費削減の関係で廃止
○東京鍼灸師会定期総会 4月4日午後1時 於、中央区日本橋保健所講堂
新会長井上恵理氏 副会長作田義三郎 大村誠両氏(鍼灸師会とマッサージ師会の分立)

4.第四代会長は福村寿泉先生

 福村寿泉先生は、昭和31年5月11日に三代目会長市石清(喜代治)先生の後を継いで四代目会長になられました。そして、昭和53年6月3日(土)に品川鍼灸師会(東京都鍼灸師会品川支部)と荏原鍼灸師会(東京都鍼灸師会荏原支部)が合併して品川区鍼灸師会の設立を機に、22年の長きにわたる会長職を退任されました。福村先生の入会は作田先生が会長を務められていた頃で、研究会は毎月第2月曜日午後7時より会長宅で行われていました。昭和35年頃から、研究会の会場を滝浪先生の家でするようになり、研究会のテーマも今までの灸治療を中心にしたものから、古典経絡治療が中心になりました。会員は14,5名で、飯塚良雄先生が会計を長くされていました。
 研究会にはいつも10名前後は出席していて、品川と荏原が合併するまでの30余年の間、作田・市石・福村先生を初めとして、福島一心(キクの灸、山際守美江先生の師)・森本豊州・飯塚良雄・山際守美江・東城俊子・栗屋定子・岡本秀子・糸日谷忠成・渡辺・磯部などの先生方が出席されていました。福村先生のご住所は目黒区中町ですが、転居される前は大崎郵便局の左側にお住まいがありましたので、転居後も品川の会員になられていました。福村先生の記録によると、昭和49年2月11日は昭和17年の創立以来284回目の研究会に当たるそうです。
 因みに昭和39年当時の東京都鍼灸師会会員名簿(品川支部)には、市石喜代治、作田儀三郎、滝浪八郎、森本信子、福島新、庄司克己、鴫原広蔵、寺見佳代、小里勝之、糸日谷忠成、福村理輔(支部長)、福村理輔(支部長)の各先生のお名前があります。
瀧波八郎先生のお話によると、品川鍼灸師会の前身は品川鍼灸按摩マッサージ師会と称していましたが、東京都鍼灸師会会報(昭和53年7月号 No.49)に掲載されている福村寿泉先生の品川支部長退任挨拶には、発足当初から品川鍼灸師会と称していたとあります。退任挨拶文中、初代支部長は作田儀三郎、二代目の支部長は市石圭佑先生とありましたが、前述したように初代会長は小柳津朔先生であることが判明しています。福村先生の退任挨拶は訂正せずに原文のまま掲載いたします。福村寿泉先生は昭和62年12月16日、享年88才で御逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

◇◇◇

福村寿泉先生退任挨拶
 品川支部の初代支部長は作田儀三郎、2代目の支部長は市石圭佑先生が務められた。発足当初より品川鍼灸師会と言い、研究会を毎月支部長宅で開いた。私の入会は作田先生の頃であった。昭和31年5月11日、市石先生が勇退されたあとを受け、私、福村寿泉が3代目の支部長になった。それまで治験発表は灸治が主であったが、滝浪先生の希望もあり、経絡治療の研究会に変わっていった。毎月第2月曜日午後7時より、滝浪八郎先生のお宅、2階10畳間の美室をお借りし、出席者は、いつも10名内外であったろう。研究会は経絡治療を主とした鍼術、灸術の基礎から始めた。まず痛い治療をせぬよう注意し、鍼の作り方なども披露し皆に喜ばれた。中には他区に移住しながらも毎月出席するものもいた。病名治療は宿題によって、会員の中より逐次治験を発表された。こうして20年の歳月は流れ、その間には、口惜しかったこと、嬉しかったこと、色んなことが思い出となって残っている。この度、二つに別れていた品川支部と荏原支部を合併して、新しい品川支部を創立しようとの話がまとまった。両支部合同の趣旨に賛成だった私は、支部へは本年3月に、本部へは5月に、品川支部長辞任を申し出たのである。
 品川支部の解散式は5月25日に行われた。支部の残余金は合併資金にとしたが、長い間会計を担当して下された飯塚良雄先生には、大いにご苦労をかけた。解散式の席上、この日まで支部長を務めてきた私に、感謝状と記念品が贈呈された。ただただ感激にたえず、20年間御協力いただいた、各役員諸先生に厚く御礼申し上げ、諸氏の健康と業の繁栄を祈り、拍手して散会した。

◇◇◇

【2】荏原鍼灸師会の歩み

1.初代会長は堀内先生

 東京都鍼灸師会荏原支部は、日本鍼灸新報(昭和30年8月1日発行、第22号)に記されているように、昭和30年6月26日、日本鍼灸師会及び東京鍼灸師会に加入しましたが、荏原の歴史はさらに遡ることになります。荏原鍼灸師会の創立当初は、荏原鍼灸按摩マッサージ師会と称していました。荏原鍼灸按摩マッサージ師会の創立年代は率直なところ不明です。しかし、東邦醫學誌、昭和16年2月号、8巻第2号(主幹:駒井一雄、編集長・竹山晋一郎)の挿絵には、新体制下に結成を見る東都の組合として「荏原組合」で挨拶している”堀内前会長”の写真が掲載されています。
 品川区の歴史を探ってみると、昭和7年10月1日、旧荏原郡は東京市区制により品川区・荏原区・目黒区・大森区・蒲田区・世田谷区に分割編入されました。そして昭和18年7月1日、東京都制の施行により品川区に編入されるまで荏原区として存続していました。従って昭和16年当時の「荏原組合」は荏原鍼灸按摩マッサージ師会を指すことは間違いありません。医学博士駒井一雄氏を主幹として発行された「実験鍼灸医学誌」は、昭和11年1月「東邦醫學」と改称、昭和13年7月から竹山晋一郎氏が編集長となって、華々しい経絡治療が展開されていきました。一方、昭和14年頃から法改正運動が起こり、竹山氏は関東及び東都の各地区をこまめに回り、「西日本鍼灸師会」に次いで昭和14年8月12日に「東日本鍼灸師会」が結成されています。「東邦醫學」誌に堀内前会長が紹介されているのは、そのような経緯があったと思われます。
 ところで、その後「荏原組合」が東日本鍼灸師会に加入したがどうかですが、高橋慶价氏は昭和11年に免許を取得して翌12年4月8日に開業し、昭和14年10月に東日本鍼灸師会に加盟しています(『東邦醫學』第六巻十二号)。しかし、これは柳谷素霊、清水貞顕・赤羽幸兵衛など諸先生の門下として個人的に加盟したものであって、東日本鍼灸    師会の加盟者に本間前会長、相川慈乗先生のお名前もないことから、「荏原組合」として、即ち鍼灸按摩マッサージ師會が組合として東日本鍼灸師会に加盟したものではないと思われます。従って、当時の会長の任期は相当長年にわたっていると思われることから、初代会長の”堀内先生”(残念ながら下のお名前はわかりません)はおそらく大正の後期から昭和15年まで荏原鍼灸按摩マッサージ師會の会長を務められ、相川慈乗先生に引き継がれたものと想定しています。

2.第二代会長は相川慈乗先生

 「東邦醫學」誌に紹介されている堀内先生は、昭和16年当時には既に会長を退任されていて、相川慈乗先生が二代目会長を務められていました。
 相川慈乗先生は明治29年のお生まれで、大正15年に東京で免許を取得し、二葉町1丁目451番地、大照山・相慈寺「不動堂」で開業されていました。また僧籍にあられたので物故会員の追悼法要が昭和31年11月4日と昭和37年9月16日に不動堂にて施行されています。相慈寺は現在も二葉町商店街(三間通り)の三好湯の裏手にあります。 
 平成7年1月16日、相慈寺を訪問、濱本全章ご住職の奥様から伺うと、相川慈乗先生は昭和42年3月31日後逝去されたとの事でした。同席された三好湯の奥様の渥見妙真さんは相川先生のお仲人で結婚され、鍼灸の治療も受けられていたとの事で、とてもお優しい先生でしたと懐かしげに話されました。

3.第三代会長は高橋慶价先生

 高橋慶价先生(編集子の慈父、伯周と号す)は昭和26年5月13日の第4回定期総会で第三代会長に選任されました。高橋慶价氏は、翌年7月、わら半紙のガリ版刷りの荏原鍼灸按摩マッサージ師会会報(年4回発行)を創刊しました。研究会の記録は、昭和29年9月12日、高橋会長宅で赤羽氏法を課題に開催されているのが最初です。研究会の外、会合は再三記載されています。以後、研究会はほぼ毎月第二又は第三土曜日
の夕刻から平塚二丁目会館で行われ、昭和53年5月の品川区鍼灸師会創立まで続きました。前述したように、荏原師会は昭和30年6月26日、日本鍼灸師会及び東京都鍼灸師会に加入しました。
 日本鍼灸新報には『東鍼会荏原支部結成す=かねてより高橋慶价氏を中心とする荏原地区の鍼灸師は日鍼会加入への希望を持っていたが、今般全鍼連荏原支部との間に円満了解のもとに日鍼会へ加入することに決定し、6月26日午後7時から、品川区平塚3丁目町会事務所に於いて結成式を挙行した。本部からは花田日鍼会会長、平川東鍼会会長、市石品川支部長、福村副支部長参加、荏原会員12名出席』と記されています。しかし、荏原師会の会員には上部組織である全日本鍼灸按摩マッサージ師会連盟(全鍼連)・東京都鍼灸按摩マッサージ師会連合会(東連)と日本鍼灸師会(日鍼会)・東京都鍼灸師会(東鍼会)の両団体に加入するもの、片方だけに加入するものもいたわけで、全員の統率はかなり困難があったものと推測され、暫くの間は荏原鍼灸按摩マッサージ師会の組織内に、全連部会と日鍼部会を置き活動していました。
 昭和32年11月26日、荏原鍼灸按摩マッサージ師会再建10周年記念式典が開催され、会名も全鍼連係と日鍼会系の連合組織との位置付けから、荏原連合鍼灸マッサージ師会(通称:荏原連合師会)と改称され、会報も昭和33年2月11日発行の第8巻第1号から荏原連合鍼灸マッサージ師会会報に変更されました。
 因みに、昭和39年当時の東京都鍼灸師会会員名簿(荏原支部)には、高橋慶价(顧問)、小池喜三郎(支部長)、国分初雄、近藤直衛、田沢福蔵、中嶋浩貴、福地和七、磯谷政、広瀬道、阿曽徳助、安藤譲一、千葉きよ、岡西勝代の先生方のお名前があります。
 昭和42年5月12日、全鍼連の品川及び荏原師会がそれぞれ20年の歴史を経て合同し、品川区鍼灸按摩マッサージ指圧師会(初代会長は石川秀雄氏、高橋慶价氏は相談役に就任)の設立を機会に、荏原連合鍼灸マッサージ師会は解散し、荏原鍼灸師会(社団法人東京都鍼灸師会荏原支部)として名実ともに独立した組織になりました。
 ここに高橋慶价氏が残した8冊の資料があります。一つは、荏原鍼灸按摩マッサージ師会の記録簿で、昭和22年11月26日起庶務高橋慶价と記してあるノート。一つは、荏原師会会報・通達控で昭和27年7月創刊号から昭和35年12月第10巻4号まで、一つは、荏原連合師会会報及び通達書類控えで、昭和36年3月第11巻1号から昭和39年1月第14巻1号まで。他の一つは、昭和50年までの4冊の控えノートです
 昭和22年当時の鍼灸を取り巻く社会情勢は、敗戦を迎えた連合軍占領下に於いて、昭和22年1月に厚生労働大臣の諮問機關として設置された医療制度審議会の”鍼灸禁止令”の答申は、いわゆるマッカーサー旋風として鍼灸界を戦慄させましたが、三重県立医専学長石川日出鶴丸博士・板倉博士や花田伝氏・岡部素道氏などの鍼灸師が鍼灸の科学性を弁明して鍼灸禁止令は撤回されました。かくして、昭和22年12月20日に、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」(法217)が制定されました。
 法217号は医療類似行為をすべて禁止しましたが、現にその営業を行っているものについては、生活権を考慮して、所定の届け出を行ったものには、昭和30年末までの間営業ができることとされました。この特例処置の期限は、その後昭和33年、36年の法改正により期限付きで延長されてきましたが、39年の法改正により営業継続の期限は撤廃されました。その間の鍼灸按摩業者の混乱はいかほどであったでしょうか。
以下に高橋慶价氏が残した資料に若干の解説を加えながら要点を記します。

◇◇◇
荏原鍼灸按摩マッサージ師會記録簿

 荏原鍼灸按摩マッサージ師會記録簿は戦後の混乱の最中、当時荏原鍼灸按摩マッサージ師會の庶務であった高橋慶价氏が昭和22年11月26日から昭和26年5月13日の第4期定期総会に於いて、相川慈乗氏から会長を引き継ぐまでの3年6ヶ月あまりにわたる克明な記録です。記録簿の冒頭”荏原鍼灸按摩マッサージ師會の沿革”と題した小文には、「昭和22年12月31日をもって内務省廃止、是に伴い従来の取締令、従来の構成による強制体たる東京都鍼灸按摩マッサージ師會も解散することとなり、従って当荏原支部も解散せねばならず、昭和22年11月26日、支部長相川慈乗氏宅に於て解散總會を開催せり。当支部會員25名中、出席者22名(内6名委託)同席上、佐藤実氏より新たに親睦會として、舊荏原鍼灸按摩マッサージ師會の如き會を組織しては如何との発言あり、協議の結果満場一致、新たに會を組織することに一決直ちに会則を審議、別項の如く決定。直ちに同席上に於いて新會式挙行。此処に荏原鍼灸按摩マッサージ師會は発足せり。當日の出席者、相川・佐藤・田沢・高橋・江崎・小島・片平・坪井・上杉・井上・吉岡・中島・鉱・鈴木サト・鈴木貫一・小田戸(委任)・国分・岡西・緑川・中庭・渡辺・野沢」
○上の文中にあるように総会の席上、会則を定めています。会則は11章32条から成り、第1章総則、第2章事業、第3章役員、第4章役員の選出・任務及び任期、第5章顧問・相談役及び参興、第6章会議、第7章施術料、第8章会費、第9章会計、第10章共済、第11章入退会となっています。
当時の経済環境が分かっておもしろいので、施術料を記すと、
  Ⅰ.鍼術 1回 金五拾円以下 Ⅰ.灸術 1回 金五拾円以下。
  Ⅰ.マッサージ術 1回 金三拾円以下 Ⅰ.按摩料 1回 金三拾円以下。
とあります。その後昭和26年5月に若干の改正があり、特に第7章施術料の項は抹消されています。
 第4条には「本会は監督官と緊密なる連絡を保ち会員相互の親睦を図り人格を陶冶し且つ学術技能を研磨し和心協力し、斯道の向上発展に努め国民の保健衛生に貢献するをもって目的とする」とあって、全体的基調としては格調高い文となっています。
 会員数は昭和22年12月16日現在25名。前会の会員は全員入会で、役員は会長に相川慈乗氏、副会長に佐藤実氏、理事に田沢福蔵、高橋慶价、小寺仁角、片平梅吉、江崎直三、坪井弥太郎の各氏、会計田沢福蔵、庶務高橋慶价、江崎直三と記されています。因みに会費は、昭和22年次で1ヶ月10円(昭和24年の改正で20円、昭和26年の改正で40円)でした。当時の名簿を見ると、主職欄があって、会長の相川慈乗氏(明29.11.17生は僧侶、副会長の佐藤実氏、理事の高橋慶价氏(明42.9.19生)が会社員など、会員のほとんどが職を持ち、あるいは主婦となっていて、終戦後、鍼灸按専業で生活するのがいかに困難であったか察せられます。
  昭和22年12月15日  前会会計決算報告書全員に通達、全会員に報告。
  昭和23年1月      鉱氏に出産祝い10円。
  昭和23年2月      新省令及検診等の件に付、区役所に出頭。
  昭和23年3月10日   再登録の件に付、区役所より通達あり、直ちに用紙印刷、その他の準備を行う。
  昭和23年3月20日   検診。
  昭和23年3月22日  反応検査。
  昭和23年3月26日 再登録届出書、全会員の分一括区役所に届け出。
  昭和23年5月16日 第1回定期総会 於、相川氏宅。

○第1回定期総会が昭和23年5月16日、相川氏宅で開催されているが役員改選で会長、副会長選挙が実に公正に行われています。即ち、投票者13名(内委任2名)で会長選挙では相川氏9点、佐藤氏4点、副会長選挙では佐藤7点、高橋4点、江崎1点、上杉1点で会長相川氏、副会長に佐藤氏に決定とあり、今以上に民主的であるのに驚かされます。これは、単に師会運営というより、帝国主義から脱皮して民主主義を育てていこうという力強い信念さえ感じられます。役員の任期は昭和26年の改正まで1年であったために、この選挙方法は昭和26年5月の総会まで毎年行われ、選挙管理委員会まで設置しています。昭和26年5月から役員の任期は2年となりました。
 総会には監督官である区役所荏原庁衛生課係長が臨席しており、「衛生関係は一本にまとめ、保健所の管轄となる。従って衛生課は保健所に合同する」と挨拶しています。
このことから、当時は区役所の管轄であったこと、また衛生課係長との質疑応答で、区からアルコール、脱脂綿等が配給されていることも分かります。
検診、反応検査は結核検査と思われます。結核予防に対しては、厳しい行政指導があったようですが、衛生課係長との質疑応答で、痰壺、消毒薬が不足しているとの声が出て、消毒薬が不足して配給ができないのなら痰壺は空でも良いかとの質問に対して、仕方がないと係長が回答しているが、「言う恥、黙認と聞こえた」と添え書きしているのがおもしろい。検診は翌24年3月、25年10月にも実施されています。
○昭和22年11月26日の荏原鍼灸按摩マッサージ師會の解散また新発会総会の出席(委託)に記されている国分初雄先生は、戸越銀座商店街入り口の青葉薬局のご主人で、薬系鍼医として活躍されていました。深谷伊三郎先生の「お灸で病気を治した話第2集(刊々堂)」の173頁“不妊症と灸”には、「二月中旬に荏原鍼灸師会の研究会が温泉郷箱根強羅の小高庵で開催され、私も招待されて出席したが、鍼灸師で薬剤師として薬局を経営されている国分先生が、私が若いとき、ある書店で〃不妊症の治し方〃という、きれいな犬張り子の絵が表紙、お灸のことを書いてある本を買って読んだことがある。その著者が深谷瑞穂となっていたが、あなたと関係があるのですか。と問われたので、深谷瑞穂とは私である」と答えられた一文が掲載されています。研究会の年代は、深谷先生のご高弟の入江靖二先生にお尋ねしたが、残念ながら特定できませんでした。しかし、最近になり亡父の写真を整理したところ、昭和37年のものと判明しました。なお、青葉薬局は現在ご子息の隆明氏が後を継がれています(「鍼灸しながわ」№1
6、平成5年9月18日発行に掲載)。
○昭和22年12月20日に、従来の按摩術営業取締規則、鍼術灸術営業取締規則及び柔道整復術営業取締規則をあわせ、かつ医療類似行為に関する規則をも含んだ「あん摩、はり、きゅう、道整復等営業法(法217)が制定されました。「免許証裏書」「台帳貼付用写真」は免許証の再登録、書き換え業務のことでしょう。
 法217は医療類似行為については、これを禁止しましたが、現にその営業を行っているものについては、既得権を認め所定の届け出を行ったものは、営業できることとされました。この法律は準備期間が短かったために、実施に当たっては、多くの混乱や駆け込み登録があったといわれています。
  昭和23年11月12日 免許証裏書促進のため、高橋、区庁に石川医務係長訪問。
  昭和24年1月7日   免許証裏書を行う旨通達あり、由いて全会員に書面にて通 知、序に臨時総会開催の予定にて通知。
  昭和24年1月17日  免許証集め並びに臨時総会、会長宅に於いて、右予定の所、定刻までの来席僅か五名に過ぎず、尚急を要する協議事項もなき為、総会は四月の定期にゆずることとして散会せり。
  昭和24年1月18日  免許証未収のものを集め、区庁衛生係に提出、25名分58通。
  昭和24年2月1日   免許証裏書出来の通知あり、区庁に行き受け取り、会員諸氏に返還。
  昭和24年2月5日   係より台帳添付用写真2葉、今月末までに提出するよう通達あり、全会員にこの旨通知
  昭和24年2月28日  写真の件に付区庁出頭。
  昭和24年3月7日   検診の件に付、区庁に会長相川氏出頭。
  昭和24年3月8日   検診受診者名簿区庁に提出、検診票全会員に配布終わり
  昭和24年3月13日  検診の定刻中に受診不能のものにつき、受診時刻融通方懇請の為、保健所出頭。
  昭和24年3月15日  検診。

○4月17日に第2回の定期総会が相川会長宅で開催され、会員総数31名、出席者19名(委任状4名)で総会が成立しています。役員選挙については「理事は会長の指名と言うことは非民主的ではないか、始めに理事を選挙して正副会長は理事の互選としたらどうかとの声ありしか、かくては理事の各地域あるいは適役がうまくいかないおそれあり、内閣を例に取り理事を会長が指名することも民主主義に反しない旨、高橋より説明、従前の方法により正副会長選挙」とあって、去年と同じ選出方法で行われています。その結果、会長に相川慈乗氏、副会長に佐藤実氏が選出、理事に高橋慶价(庶務)、田沢福蔵(会計)、片平梅吉、小寺仁角、福田実松、糸井元吉の各氏が選任されています。来賓には、区保健所総務課長と衛生係が臨席し、保健所の管轄になったことが分かります。また、このころからカタカナ混じりの文章が、かな交じり文章となりましたが、漢字は記録簿の最後まで旧字体を使用しています。
 昭和24年4月17日 第2回定期総会、午後一時、会長宅に於て
議事録 一、聯盟入会可否の件。理事会案、佐藤氏より静観案提案、異議なし。当分静観と決定。一、再教育の件。理事会案、会として実施の要を認めず、また経費の点にて実施不能、趣旨には賛成につき各自の自由に任す。異議なし、理事会案承認。一、料金協定の件。理事会案、税金等の関係もあり、従前の協定料金を揚げ置く方がよい、故に改訂の要なし。異議なし。一、会費増額の件。理事会案、月20円。異議なし。四月分会費より月20円と決定。
昭和24年5月20日 保健所に出頭、都令を受理。
 昭和24年6月25日 保健所後援会創立の件に就き通達あり、相川会長保健所に出頭。

○当時の社会機構はよく分からないが、組合は何らかの形で納税義務に携わっていたのだろうか。
税務署との懇談が以下のように記録されています。
  昭和24年6月26日 品川税務署より事務官、相川宅に訪問、協力方申入、強固なる勧告につき、相川氏、佐藤、高橋と談合、税懇談会開催の件、全会員に通達。
 昭和24年7月4日 税務懇談会、相川宅に於いて、0時30分より、品川税務署大蔵事務官臨席、席上、品川税務所管内に於ける鍼灸按業者に対して、Ⅰ人平均年収見積額5万5千円以上となるよう目標があるので是非この最低目標は達成してもらわねばならぬ、若し之に応ぜぬ場合は致方ないから更正決定方により課税するとの強硬な申渡しあり、尚、質疑に答へて左の如く言明せり 。
1.5万5千円の目標を達成すれば、絶対に逆に更正決定はしない。
2.組合に対して割り当てというものはないあくまでまの目標である個人々々に対しての目標でなく、業者全部に対して其の業種によって目標を立てているわけである。
3.盲人・全盲のみでなく半盲でも著しく不自由な人に対しては本人控除を認める。税法にはないが品川税務署では認める。
4.修正申告とは、申告期間中に於いて申告を修正する場合。
5.改正申告とは、申告期間外に於いて申告を訂正する場合。
6.7月15日頃まで会に於て取りまとめ申告する様。
7.等級を付してくれる様(別紙参照) 。
散会後役員会開催、前後策につき協議。
1.役員会にいて会員個々に対し等級をつけるが如きことはできない。
2.本人に事務官の言をよく傳へ然る後、本人の申立ることを取りつぐ外ない。
各役員手分けして各調査、高橋主となって調書作成、これに基づき申告書作成(別紙参照)昭和24年7月12日 相川氏、高橋、品川税務署に事務官訪問、右申告書提出、各会員の事情に就いて一つ一つ説明せし所、これでは先日申した通り目標に遥かに及ばない。是非共平均5万5千円以上でなければ許諾する事はできない。私情に於いては忍びないが、これに応ぜねば更正決定課税の他はない。と申され、相川、高橋熟考協議、一応課税対象者に申し伝えることに決し、高橋各対象者歴訪、右歴訪に23日を要す。
 昭和24年8月3日  訂正申告書を集め、高橋、税務署に持参、税金を預かりたるものも納税す。
○物資不足の時代で施術衣や石鹸が配給され、施術衣については10月にも抽選が行われている。抽選となっているが、お互いに辞退したり、譲り合ったりして分配している。
 昭和24年8月27日 施術衣配給について保健所より通知あり、会長出頭。
 昭和24年8月30日 施術衣配給の件について正副会長歴訪。
 昭和24年9月1日  施術衣抽選の件について全会員及会員外の業者にも通知発信。
 昭和24年9月5日  施術衣(スフ天笠 477円30銭)配給券の抽選。於、不動堂 午後2時 合計13名出席 抽選の結果6氏当選す。
 昭和24年9月6日  保健所に右当選者氏名通告。
 昭和24年12月7日 荏原保健所落成式 午前9時。相川氏参会の予定にて出席の旨通知し置きたる所、前日にいたり健康優れざる為、代理出席方佐藤氏に懇請せし所、佐藤氏都合悪き為、高橋に出席方依頼あり、依って高橋2百円持参出席。
 昭和25年1月12日 現在届、全会員分35名、70枚全部集め保健所に提出。
 昭和25年3月2日  現在届の件に付き保健所に提出、現在届一人二通でよいということであったが、都庁から一科目二通出してくれとの話があったとの事にて、用紙96枚、
百8拾円也立替。
 昭和25年3月31日 現在届呈出。
 昭和25年4月23日 第3回定期総会 午後1時 不動堂相川氏宅に於いて出席者18名、会員総数35名、故に過半数となり総会成立。正会長は相川、高橋同点となりたる故、年長者たる相川氏当選の理なれども健康上の理由にて辞退。相川、高橋お互いに辞退して譲らず、為に相川氏漸く引き受け下さる。会長相川慈乗氏、副会長片平梅吉氏に決定、佐藤実氏顧問に推薦決定。他理事は留任。
 昭和25年4月24日 石鹸配給及び理事の件について相川氏、高橋を訪問。
 昭和25年4月25日 石鹸配給の件、全会員に通知受注、役員の担当、受注と共に前金を受く。
 昭和25年4月28日 石鹸配給に就いて保健所に高橋出頭。
 昭和25年5月4日  渡辺正氏石鹸受け取りに出張、場所 九段1丁目1番地清紀商会 1ヶ11円 申請者 相川10ヶ 小寺10ヶ 片平10ヶ 緑川10ヶ 糸川5ヶ 坪井10ヶ 鈴木ハルエ10ヶ 佐藤サト10ヶ 吉岡5ヶ 渡辺10ヶ 中島10ヶ 黒岩10ヶ。
 昭和26年5月13日 第4回定期総会 午後1時 場所 不動堂。

○高橋慶价氏は昭和26年5月13日第4回定期総会にて会長となる。因みに選挙は参加者23名(投票者23名)で行われ、得票は会長選挙が高橋(黒字12点字4)計16、黒岩(黒字5点字1)計6、片平(黒字1点字0)計1、副会長選挙が片平(黒字9点字2)計11、緑川(黒字3点字0)計3、高橋(黒字3点字0)計3、黒岩(黒字0点字1)計1、小林(黒字2点字0)計2、桂木(黒字0点字1)計1、山崎(黒字0点字1)計1で、会長高橋慶价氏、副会長片平梅吉氏に決定。他の役員は会長の指名によって、会計監査緑川行蔵、会計田沢福蔵、庶務渡辺正、理事に小寺仁角、福田実松、鈴木春江、桂木留七氏に決定、また相川慈乗氏は顧問に推薦受託されました。

◇◇◇

荏原鍼灸按摩マッサージ師会会報
 荏原師会は昭和30年6月26日、日本鍼灸師会及び東京都鍼灸師会に加入しましたが、荏原師会の会員には上部組織である全日本鍼灸按摩マッサージ師会連盟(全鍼連)・東京都鍼灸按摩マッサージ師会連合会(東連)と日本鍼灸師会(日鍼会)・東京都鍼灸師会(東鍼会)の両団体に加入するもの、片方だけに加入するものもいたわけで、全員の統率はかなり困難があったものと推測され、暫くの間は荏原鍼灸按摩マッサージ師会の組織内に、全連部会と日鍼部会を置き活動していました。
 昭和32年11月26日は荏原鍼灸按摩マッサージ師会再建10周年記念式典が開催され、会名も全鍼連係と日鍼会系の連合組織との位置付けから、荏原連合鍼灸マッサージ師会(通称:荏原連合師会)と改称、会報も昭和33年2月11日発行の第8巻第1号から同様に変更されました。 このような連合形式は、昭和42年5月12日、全鍼連の品川及び荏原師会が、それぞれ20年の歴史を経て合同し、品川区鍼灸按摩マッサージ指圧師会(初代会長は石川秀雄氏、高橋慶价氏は相談役に就任)を結成したのを機会に、荏原鍼灸師会(社団法人東京都鍼灸師会荏原支部)として独立した組織となるまで続きました。昭和31年2月(第5巻第7号)に記載されている役員表の日鍼部次長の小池喜三郎先生は明山と号され、大正5年9月7日のお生まれで、昭和22年3月東京鍼灸医学校をご卒業、昭和24年9月25日小山台の地で開業されました。小山台は旧荏原師会の地区に該当しますが、開業当初は旧品川師会に入会されていました。荏原師会への転入は昭和29年11月10日、灸頭鍼門と記録されております。
 上述したように、荏原鍼灸按摩マッサージ師会は昭和30年に日本鍼灸師会及び東京鍼灸師会に加入しましたが、全鍼連の鍼灸按マッサージ師会との混成部隊であったため、昭和42年荏原鍼灸師会(東京都鍼灸師会荏原支部)として独自の道を歩むまで、小池喜三郎先生は日鍼部次長、その後日鍼部長として東京都鍼灸師会との折衝を務められました。先生の豪放磊落な性格は東京都鍼灸師会の中でも一言居士をもって任じられておりました。残念なことに平成6年8月4日脳溢血で倒れられ、11月14日不帰の人となりました。享年78才、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 研究会の記録は、昭和29年9月12日、高橋会長宅で赤羽氏法を課題に開催されているのが最初です。研究会はほぼ毎月第二又は第三土曜日の夕刻から平塚二丁目会館で行われ、昭和53年5月の品川区鍼灸師会創立まで続きました。
以下、会報の中から主だった記事を抜粋してご紹介します。

◎昭和27年7月(創刊号)
○創刊に当たりて 会長 高橋慶价
 以前より会報を発行して業界全般のニュース、会務の報告、会員の消息等、詳細にお知らせしたいとは考えておりましたが、連盟加盟並びに後述の城南連盟の結成等によって会報発行の必要性が増えましたので、此度理事会の承認を受け隔月に会報を発行することにいたしました。編集も印刷も全くの初心にて種々のご指摘を受ける点も多いことと思いますが、皆さんのご指導に頼って追々改善して行き、やがては鍼灸学説の紹介、研究の発表等会員の道しるべならんと念願しております。
○東京都鍼灸按摩マッサージ師会連合会(略して東連と言ふ)加盟について…4月の定期総会に於いて採決の結果、全会員加盟と言ふ事に決定いたしましたので、総会迄に理事会の決定に従い、高橋が本部に出頭、全会員の加入手続きを完了。5月分より会員Ⅰ人あたり15円宛、本部費として毎月納付して居りますから右ご承知願います。
○城南鍼灸按マッサージ師会連盟の結成(理事長、世田谷・渡辺政一氏)
1.本会は城南鍼灸按マッサージ師会連盟と称する。
2.本会は城南地区(世田谷・太田・目黒・品川・荏原・港区内)になる鍼灸按マッサージ師会を以て組織する。
3.役員は理事及び幹事とし、理事は各師会の会長之に当たり、幹事は各師会の副会長を以て之に充つ、理事会は理事の互選とする。
4.維持費として一師会年額参百円宛拠出する。
5.本会は東連の趣旨に従ひその事業を補佐して会員の向上福祉を図る。
6.各師会の緊密なる連絡並びに親睦を図る為、相互に会報を交換する。
◎昭和28年1月(第3号)
○現在届の届け出について
ご承知の通り、毎年12月31日現在を以て、現在届を提出しなければなりませんが、今年もその時期になりましたので用紙をお手元にお届け致します。今年から用紙代は無料になりましたが、枚数に制限がありますから、書き損じの内容にお願いします。
◎昭和29年3月(第7号)
○医療機関関係の立ち入り検査実施に就いて至急備えられたし最近都民より頻々と医療関係者業者の衛生状況に就いて連絡があった為、医療法第25条第1項の規定により管内の医療機関関係の立ち入り検査を実施する旨、荏原保健所より内通がありました。近日中臨検が実施させられるそうですから各員各位には遺漏なき様、改めて御留意下され度、左に係官の臨検の方針普及指導要領を記しますから之に違背することのない様にお願い致します。
1.施術室は専用でなければならない
2.法適格の施術室なくして治療所あるいは治療院と号し、外来患者を取り扱ってはならない
3.施術室内あるいは窓辺でも良いが、手指消毒液(クレゾール水で良い)となるべく流 水による手洗いを設置してほしい
4.施術室、待合室は定期的にDDT等で消毒せられたい
5.手拭き枕カバー等直接患者の皮膚に触れるものは一人毎に清潔なものと取り替へら れたい。枕カバーの上にちり紙を敷いて一人毎に捨てても良い
6.施術に使用する羽毛布団等は週一回でも良いから消毒せられたい(日光消毒でも良い)
7.施術器具は常に清潔を保ち、鍼は煮沸消毒あるいは浸積消毒に依って完全消毒を行ひ、施術の際は一鍼毎にアルコールを持って厳重に消毒せられたい
8.患者の使用したチリ紙等は焼却せられたい
9.虱など発生させぬ様、特に注意せられたい(業者中に通告を受けたもの有り)
10.施術所周辺に蚊、蠅等発生させぬ様付近住民にも協力を求め定期的に予防駆除の措置を採られたい
11.誇大広告に亘る広告を行ってはならない
12.関係法規は尊守せられたい
◎昭和29年9月(第10号)
○としよりの福祉週間行事に就いて
 今年も又としよりの福祉週間(9月15日~9月21日)が来ました。例によって都民生局より此の行事に協力方懇請がありましたので、今年も週間中60歳以上の方に封しては無料で治療奉仕する事に師会長会議で決定しました。依ってポスターと細目書を配布致しますから、此に各自の資格或いは行はんとする治療の種目等を適宣書入れて見易いところに張っておいて下さい。もちろん強制ではありませんので、ご都合の良い方だけで結構です。尚、奉仕治療の成績を都庁に報告しなければならないので、奉仕治療をやった時は患者の住所姓名年齢主訴または施術の種目をカード式(大きさ10円札位)に墨字でも点字でも良いから書いておいて下さい。
○研究会のお知らせ
この度の向上熱心な方々から要望がありましたので、近時業界学会にに発表された諸学説或いは諸大家の研究業績の内適当のものを順次実験研究体得して治病 効率を高め、さらに我々の範疇を広めるの資と為したく、相共に助け合って勉強す可く学術研究会を開催することにしましたから奮ってご参会下さい。順次各業態に及ぼし全会員に均等の機会を興え得る様努めますが、第1回は鍼術を封象として左記に依り開催致します。
 1.時 昭和29年9月12日(月曜日)午後1時より5時まで
 1.所 小山台Ⅰ-114 高橋慶价宅
 1.研究課題 赤羽氏法について
◎昭和30年5月(第15号)
○本会の綱領
 一、本会は晴盲の別無く全会員の一致協力、斯道の発展を期す
 一、会員の権利義務は全会員一列平等なり
 一、会員は和親協力、相互一致の向上を期す
 一、我々は現行法規を尊守し保険行政に協力する
 一、我々は相互に意見を尊重し合ひ民主的健全なる会務運営に協力する
◎昭和31年2月(第5巻第7号)
○荏原鍼灸摩マッサージ師会機構又配役一覧表 
  立法顧問  都議会議員     鏡省三   区議会議員 北川清右エ門
  行政顧問  荏原保健所長   池田祥蔵  荏原保健所総務課長 山本茂男
  会務顧問  相川慈乗
  相談役    黒岩喜重
  会計検査  緑川行蔵
  会長     高橋慶价   副会長   片平梅吉
  理事長    田沢福蔵
  全連部長  高橋慶价   全連部次長 小山清司、
  日鍼部会  高橋慶价   日鍼部次長 国分初雄、 小池喜三郎
  厚生理事  高橋慶价   普及理事   高橋慶价  学術理事 黒岩喜重
  会計理事  田沢福蔵   庶務理事   寺田義雄
◎昭和32年12月(第7巻第6号)
○荏原師会の名称改正について
 当師会は昭和30年定期総会の議会に基づき、加盟本部の選擇は各自の自由に任せる事とし、即ち、全日本鍼灸摩マッサージ師会連合会の末端組織である荏原鍼灸摩マッサージ師会と、日本鍼灸師会の末端組織である東京都鍼灸師会荏原支部との連合会であります。然るに連合の会と構成部会の名称が同じく荏原鍼灸摩マッサージ師会である為に混同しやすく、以前から合理化の要を認めていりましたが、十周年記念式まではそのままにして使い分けて来たわけであります。………十周年記念式典に多数出席を幸ひ、右改正法呈案大方の賛同を得ましたので、昭和33年度から左の通り改正名称を使用します。荏原保健所管内、鍼、灸、按摩師有資格者全体の会の名称、「荏原連合鍼 灸マッサージ師会」、略称「荏原連合師会」

◇◇◇
荏原連合鍼灸按マッサージ師会会報

 荏原連合鍼灸按マッサージ師会は、昭和32年11月26日に再建十周年記念を迎えるに当たり、昭和33年度より全日本鍼灸按摩マッサージ師会連合会の末端組織である荏原鍼灸摩マッサージ師会と、日本鍼灸師会の末端組織である東京都鍼灸師会荏原支部との連合の会である事を明確にすべく、「荏原連合鍼灸按マッサージ師会」と名称改正を行い、会報も昭和33年1月号(第8巻第1号)より「荏原連合鍼灸マッサージ師会会報」と改称された。

◎昭和33年4月(第8巻第3号)
○保健所通達に関する件
  今般医療行政の完全を期する為、医療機関全般に亘る台帳を整備する為に、5月31日迄に全業者の調査をすることになりましたから、何時来ても差し支えない様に左の事柄が解る様にして置いて下さい。
1.免許証 2.当地区入年月日 3.施術所届出の有無 4.建物の坪数 5.従事者数
◎昭和33年10月(第9巻第5.6号)
○敬老奉仕盛会裡に終わる
 9月21日午前9時から午後5時迄、ゆたか敬老会館に於いて60歳以上の人に鍼灸マッサージの無料治療実施。宣伝が効いて116名受療、此を20名の会員が午前午後に別れて治療。午後に多かった為、数名の方が午前午後に亘って奉仕してくれたので助かった。受療者には鍼灸マッサージの治効理由、適応症及当日奉仕した先生方の住所、氏名、目標等を印刷したものをあげ、尚、2,3日後に受療後の機嫌伺いを兼ね、さらに詳しい啓発分を受療者全部に発送、末尾に優待券10月末日迄有効として添付しましたから、これを持参した方には各自適宜に優待して下さい。その代わり宣伝してくれる様依頼しています。
◎昭和36年3月(第11巻第1号)
○会費改正
 上記理事会の決定により4月分から左記の通りになります。
  1.全連部会費 月額150円 (都師会80円 当会内部費70円)
  2.日鍼部会費 月額150円 (東鍼会80円 当会内部費70円)
  3.両部会費  月額230円 
  4.区内部会費 月額100円
◎昭和37年8月(第12巻第4号)
○物故会員追悼法要実施予告
  時 9月16日(日) 所 双葉町不動堂 導師 相川慈乗師。
 詳細は追って通知します。昭和31年11月3日以降昭和37年8月31日迄の間に物故された会員及家族(扶養せる一等級)の方の追悼をいたします。

4.第四代会長は編集子 高橋永寿

 昭和50年12月3日、慈父高橋慶价が他界、以後昭和53年に旧品川鍼灸師会と荏原鍼灸師会が合併して品川区鍼灸師会(社団法人東京都鍼灸師会品川支部)が成立されるまで、高橋永寿が第四代会長を務めました。

【3】品川区鍼灸師会創立

1.合併のうねり 

 合併までの品川鍼灸師会と荏原鍼灸師会の交流はいろいろあったと思われますが、ひとつには両支部の合同新年会があります。昭和47年より始まった合同新年会は昭和53年まで毎年行われ、両支部合併の布石になりました。東京都鍼灸師会会報(昭和49年3月号、No.22)には、品川支部と荏原支部の支部便りとして、昭和49年1月20日、不動前駅近くの「ときわ寿司」で行われた合同新年会の報告記事が掲載されています。
 また、出席者の寄せ書きあり、東京都鍼灸師会会長の小川晴道先生を初め、栗屋定子、飯塚良雄、糸日谷忠成、内野牧夫(湧命)、織井公望、北良雄、小池明山、柴田
邦昭、高橋慶价、高橋征司(永寿)、滝浪八郎、滝浪名津子、武井禧明、東城俊子、福村寿泉、山際守美江、山田幸夫などの諸先生のお名前があります。当時の品川支部の支部長(品川鍼灸師会の会長)は福村寿泉先生、荏原支部の支部長(荏原鍼灸師会の会長)は高橋慶价(伯周)でした。のような合併運動は保健所単位で分割していた各区にも起こって、新宿など数区も前後して合併しました。

2.初代会長は瀧浪八郎先生

 昭和53年6月3日、品川区鍼灸師会創立総会及び創立祝賀会が目黒「とんき」に於いて開催され、初代会長に瀧浪八郎先生、副会長に小川資郎・武下一両先生が選出されました。選任された役員は次の通りです。
   顧  問 : 東京都医師会理事・自由民主党品川支部長  宮崎節生先生
   相 談 役 : 福地照治・寺田義男
   会  長 : 瀧浪八郎
   副 会 長 : 小川資郎・武下 一
   総務部長 : 塩川隆弘
   学術部長 : 松本豊治  副部長:岡本秀子
   会計部長 : 伊藤 修  副部長:大久保恵造
   広報部長 : 高橋永寿
   共済部長 : 北 良雄
   保険部長 : 塩川隆弘
   監   事 : 福村寿泉・小池明山

  (社)東京都鍼灸師会品川支部
   支 部 長 : 瀧浪八郎
   評 議 員 : 瀧浪八郎・小川資郎
 昭和55年度総会(昭和55年4月19日)に於いて一部役員の変更があり、福村寿泉先生が名誉顧問に推薦されました。
 昭和58年は創立5周年に当たり、4月16日午後6時から9時まで大井町「大鉄」に於いて
 昭和58年通常総会と創立5周年記念祝賀会が開催されました。
 昭和58年7月9日、創立5周年記念講演会を開催、小池明山、森本豊州、福村寿泉先生には「品川区の鍼灸今昔談」を、ソーシンメディック社社長・早坂栄喜先生には「鍼灸の将来」と題して講演をお願いしました。
 昭和58年10月3日(月)~8日(土)までの6日間、5周年記念事業「はり灸無料治療」
を実施しました。読売新聞に折り込みチラシ広告を行い、支部会員の各治療院にチラシを持参した人に初診(回)時のみの無料治療を行いました。チラシは品川区南西部区域に17,000部配布しました。協力会員は25名、来院患者数は14名でした。
 昭和59年10月1日(月)~6日(土)までの6日間、昨年度の残り品川区全域に30,000部配布して、5周年記念事業「はり灸無料治療」を完了しました。協力会員は21名、来院患者は33名でした。

3.第二代会長は小川資郎先生

 昭和61年4月26日、昭和61年度通常総会に於いて、第二代会長に小川資郎先生、副会長に武下一先生が選任されました。
 昭和63年4月25日、昭和63年通常総会・創立10周年記念祝賀会を開催。
 平成元年3月18日、元日本鍼灸師会学術部長 出端昭男先生をお招きして、「腰痛の針治療」と題した創立10周年記念講演会を開催しました。

4.第三代会長は編集子、高橋永寿

 平成元年4月22日、平成元年度通常総会に於いて、第三代会長に高橋永寿、副会長に斉藤誠次郎、大久保恵造両先生が選任されました。
 平成元年4月22日から、品川区鍼灸師会会報「しながわ」創刊号を発刊しました。
 平成2年6月11日~20日、東京シティ信用金庫小山支店に於いて「ミニ鍼灸展」を開催、東京都鍼灸師会からパネル写真をお借りし、期間中一階ロビーに展示しました。20日には「健康と東洋医学」と題した講演と健康相談会を開催しました。
 平成2年12月、デザインを山下正人氏にお願いして品川区鍼灸師会の標章と門標(7×33㎝、アクリル製)を制作しました。

5.第四代会長は斎藤誠次郎先生

 平成3年4月20日、平成3年度通常総会に於いて、第四代会長に斉藤誠次郎先生、副会長に伊藤修、大久保恵造両先生が選任されました。6月14日、東京都鍼灸師会文化部バス旅行、筑波技術短期大学見学に共済部事業として参加しました。
 平成4年9月、新入会員勧誘のためにNTT電話帳による品川区内業態調査を行い、会員増強運動の為に会報を配布して普及活動を行いました。配布対象は、電話帳掲載の93件の内本会及び都師会の会員をのぞいた50件で、その中[はり・きゅう]の表示のない10件は不配、12件はすでに所在不明で、また新規開業と思われる施術所9件に同様に配布しました。鍼灸治療院の入替りの激しさを実感した調査でした。
 平成4年12月、区議会議員原まさみ先生によって、品川区議会で「三療サービス」について質問されました。
 平成5年3月、区議会議員藤田二郎先生によって、品川区議会で「三療サービス」について質問されました。

6.第五代会長は大久保恵造先生

 平成5年4月17日、平成5年度通常総会に於いて、第5代会長に大久保恵造先生、副会長に細木信孝両先生が選出承認されました。また同日、創立15周年祝賀会が開催されました。
 平成6年5月より、本会独自の研修制度「品川鍼灸師会スポーツ障害研修講座」を開講、平成6年3月までの一年間、研修会でスポーツ障害を取り上げ、「品川鍼灸師会スポーツ障害研究会会会員の証」の門標(アクリル製、7×33㎝)を全会員に配布しました。創立以来続けている月例研修会は、昭和57年までは、1.4月の2回を除いて年10回開催され、58年度からは1.4.8.12月の4回を除いた年8回となりました。創立から平成7年3月までの研修会は総計160回を超えました。

7.第六代会長は細木信孝先生 

 第六代会長 細木信孝先生 平成7年4月22日(土)、平成6年度通常総会に於いて、細木信孝先生が第六代会長に選任されました。
 平成7年10月1日から高齢者優待治療チケット「まだまだ」制度を開始しました。対象者は70歳以上の品川区在住者。治療代金は一律2,500円。チケットは6枚綴り。配置場所は区内の敬老会館で16施設。有効期限は平成9年3月末迄。
 平成12年11月19日(日)に鍼灸普及事業として、第1回「はりとお灸の集い」を開催しました。以後毎年1回、11月に「はりとお灸の集い」を開催しています(詳細は別項)。
 平成14年3月9日、品川区鍼灸師会のホームペイジを開設しました。
URLはhttp://harikyu-shinagawa.com/です。
 平成18年7月9日(日)に後進の育成事業として、「第1回鍼灸臨床実践講座」を開催しました。以後毎年1回、7月に開催しています。
 平成20年6月29日(日)に山下健先生の「旭日双光章受賞祝賀会」を大田区鍼灸師会と品川区鍼灸師会の共催で、グランドパレス新高輪プリンスホテル「桃李」で開催しました。
 平成20年11月16日(日)に第9回「はりとお灸の集い」と創立30周年記念祝賀会を、
五反田「ゆうぽうと」で開催しました(詳細は別項)。
品川区鍼灸師会会報「鍼灸しながわ」は平成20年8月16日現在で通算72号の発刊になります。