はり師・きゅう師と鍼灸師

はり師・きゅう師と鍼灸師

(1)「鍼灸師」の正式な身分資格は「はり師、きゆう師」

 今は、職業を「鍼灸師(しんきゅうし)」といっても理解してもらえるようになりましたが、私が鍼灸に志した昭和42年ころは、「鍼灸(しんきゅう)」といってもどんな職業なのかわからずに首をかしげる人がほとんどでした。そこで、「はり・灸」というと、初めて「ああ~」といって、変にわかったような顔をされます。しかし、その後に、「マッサージ」でしょうという言葉が続くのです。
 その当時は、まだまだ鍼灸師の社会的認識は低く、「はり・灸」は「按摩・指圧・マッサージ」と混同されていました。というよりも、私どもの職業は、昭和22年12月20日に制定された「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(法217号)」に規定されています。もちろん専門の教育機関で教育を受け、国家試験に合格した「国家資格」になります。
従って、「あん摩マッサージ指圧師」と「はり師・きゅう師」は同業なのです。一般の方が「鍼灸師」といっても理解できず、「マッサージ」と区別が付かなかったのは当然のことなのです。
 鍼灸専門学校学校では、3年の教育期間で、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師」の受験資格を得ること(あん摩マッサージ指圧師の免許は2年で取れたように記憶しています)ができますが、私自身は、鍼灸専門で治療していきたいと思っていましたので、「按摩・指圧・マッサージ師」の免許は持っておりません。そのようなことから、「マッサージ」と混同されてはいけないなどと、ムキになっていた若い時代もありました。

(2)なぜ「はり師、きゆう師」なのでしょう

1.大宝律令に由来する「はり師、きゆう師」

 ところで、「きゅう師」については、正式には「きゆう師」と規定されています。つまり、「ゆ」が大文字になっています。これは、奈良時代初めの「大宝律令」に由来するといわれています。
 大宝律令は奈良時代初めの大宝元年(701)に制定されました。大宝律令は現存しないため、そののち養老二年(718)に刊修された養老律令が大宝律令とほぼ同じものといわれています。その中の「医疾令」には、医博士・按摩呪禁博士、医生・呪禁生・薬園生、針生などの職種が制度化され、医針の生は「各習はむ所に従ひて、古方を鈔して誦せよ。其れ上手の医、疾を療さむ処有らば、其の随従をして、針灸すべき法を習ひ知らしめよ」と記載されています。「針」は「はり」ですが、「灸」は、旧仮名遣いでは「きゆう」と書くので、正式には「きゅう師」ではなく「きゆう師」ということになります。従って現在の鍼灸師の免許証には「はり師」「きゆう師」と記されています。

2.鍼と針

 大宝律令では「鍼」ではなく「針」の文字が使われています。結論からいえば、「鍼」と「針」は全く同じ意味になります。荒木正胤氏は医道の日本誌(昭和29年7月号掲載、昭和51年4月号に再録)に「針と鍼について」と題して次のように述べられています。『結論から先に云うと、針と鍼の文字は全く同じである。…文字的にみると、ずっと古い時代には、鍼の文字しかなかった。布帛の類を縫う「はり」も、医療用具としての「はり」もこの一字で用を弁じていた。それが時代を降るに従って、針の字を用いるようになり、中古以来、極めて近世になるまで、鍼と針とを併用していたが、針を工具に、鍼を医療用具に、判然と区別するようになったのは、わが国の江戸中期以後からのようである。…後漢の許慎の著した「説文解字」には鍼という字と、箴という字が載せてあるが、針という字は載せていない。そして、鍼の字を説明して、「縫う所以のものである。金をもととして咸を音とする」(意訳)とあり、箴の字には、「衣を綴る道具である。竹をもととして、咸を音とする」(意訳)という説明がしてある。要するにこの二字は普通の同文字であることを説いてあって、物を縫う針も、医療に用いる鍼も、全然区別していないのである。…これで、ずっと古い時代には、針の文字がなく、物を縫う針も、医療に用いる鍼も全く同じで、文字は鍼又は箴を用いていたことがわかるのである。
 それでは、何時頃から針の文字が用いられるようになったかと云えば、恐らくは秦漢以後、箴の字の音が十の字の音に転ずるようになった時代に、針の文字が出来たものと思われる。現在では秦の時代に針の文字があったかどうかは明らかでないが、前述の「説文」の著者とほとんど同時代の徐鉉という人の「説文」の注釈書には、鍼の字に註して、「俗に針を作る」と書かれているから、既に後漢の時代には針という文字が行われ、この文字が鍼の俗語(通用文字)として用いられていたことがわかるのである。』と記しているように、「針」は「鍼」の俗字になります。
また、『…こうした事実からみると、中国に於ては勿論のこと、わが国に於ても、中世以前は針と鍼との文字には全く区別がなかったことがわかる。それがわが国の徳川時代の中頃から、自然と針と鍼との区別が出来たのである。その理由は種々あげることが出来ようが、直接の原因は、わが国の鍼灸術の発達によるものと思われる。中国に於ては、中唐以後は鍼灸術の衰微時代で、わずかに湯液に附属して、その命脈を保っていたに過ぎなかったが、わが国では徳川の中期に、実に鍼灸術の黄金時代が現出し、名匠大家が踵を接して輩出した。そして、湯液家に伍して鍼科なるものが独立し、その流派も十四五流を数えるに至った。しかもその宗とするところは、何れも「内経」「難経」「類経」「聚英」「宝鑑」「入門」等にあったから、家学を推尊し、これを世に宣伝する場合は、正当なる文字を用い、何となく威厳を備えている鍼の字を使用したのが慣例となって、自然に一般の工具としての針と区別が出来、今日に至ったものと思われる。』と述べています。
 さらに、今後は次のような二つの理由から「針」に統一するよう求めています。『…その第一は漢字に対する現代の傾向、第二は鍼灸術の将来性の上からである。ご承知の通り、現代の社会情勢としては、漢字制限が論議され、既に教育上には、当用漢字なるものが選定されて、普通一般の教育を受けた者では、鍼の文字は全然読めないのである。如何に鍼灸家が頑張ってみても、学問上から音も訓も全く同じであるこの二字の存在は当分これを望めないのである。よって筆者は、鍼灸術を現代に推進せしめるためには、鍼灸家が先ず「針術」という熟字を使用して、宣伝するようにしたいと望むものである。…第二は鍼灸術の将来性からである。…このままで行くと、遠からず鍼灸は洋医家の手に移って、医者が鍼灸を行うということである。…しかしながら、ここに現代の鍼灸家が、東洋医術の本質を自覚し、術としての鍼灸を真実に把握して、他に譲るところがなければ、現代医学が如何なる形になろうとも、術としての鍼灸は永恒に滅びるものではない。否、鍼灸術こそ、現代医学の欠陥を救い、医学本来の使命である治療術としての魂を呼び戻す役目を果たすものである。筆者が針灸の下に「術」という文字を加えて「針術」「灸術」乃至「針灸術」と呼びこの術の社会的認識を喚起しようとする理由はこゝにある。…この二つの理由から、筆者は簡明な「針術」「灸術」乃至「針灸術」の文字を使用することを提唱して、大いに現代社会に対する斯術の認識を深めたいと思うのである。』と結んでいます。

3.新しい針灸の流れ

 荒木正胤氏の提言を受けてからなのでしょうか、昭和30年代から「針灸」の文字が業界紙に多く見られるようになりました。
 米山博久氏は医道の日本誌(昭和45年4月号~)に「新しい針灸院」と題して連載を始め、古く汚い治療院のイメージを一新して現代社会にマッチした診療形態の改善を図らなければならないと提唱しました。今まで経営や美観、衛生観念があまりなかった鍼灸界は、「針灸」という文字に目を開かれ、旧態を脱却しなければならないと思うようになりました。
 折しも、昭和46年(1971)にアメリカのレストン記者が中国で針灸治療を受けてから、中国の針やハリ麻酔が大きな話題になり、わが国でも針灸やハリ麻酔ブームが起こりました。以後、中医学が積極的に導入され、中医学派は好んで「針」または「ハリ」の文字を用いるようになりました。逆に古典を重視する方々は、中医学との区別を明確にするために意識的に「鍼」を用いる方も増えています。また、「針」が縫い針や注射針を思い起こしたり、針の持つ痛そうなイメージを嫌って、「鍼」にこだわる鍼灸師も多いようです。
 私自身は、中医学的に記す場合は「針」を、古典的に記す場合は「鍼」を用いるように使い分けています。

(3)名実ともに鍼灸師となる日
1.鍼灸専門学校の新設ラッシュ

 従来、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師は、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律第19条に基づき、視覚障害者である「あん摩マッサージ指圧師」の生計が維持できるように、晴眼者に対する教育が規制されていましたが、実際は法律に規制されていない「はり師、きゆう師」についても準用され、同様な規制が行われてきました。ところが、1998年(平成10年)に「法に定めのない理由による福岡柔道整復専門学校の不指定処分は無効」である旨地裁判決が出され、以後厚生省(名称変更後厚生労働省)は認定規則を満たせば新たな設置を認める方針に転換しました。
 厚生労働省が認定権を持つ、はり師、きゆう師の教育機関は、この10年で11校から一気に100校まで増える勢いです。
 現在、はり灸の教育機関としては、鍼灸大学が帝京平成大学(東京)、東京有明医療大学(東京)、鈴鹿医療科学大学(三重)、明治国際医療大学(京都)、関西医療大学(大阪)、森ノ宮医療大学(大阪)など6校、大学の附属専門学校が人間総合科学大学鍼灸医療専門学校(東京)、九州保健福祉大学総合医療専門学校(宮崎)など2校、短期大学が岐阜保健短期大学医療専門学校(岐阜)の1校、専門学校が85校を越えています。

2.鍼灸師の大量輩出と鍼灸師法単独立法の時代へ  

 鍼灸師の大量輩出時代を迎えて、教育と技術の低下が危惧されていますが、鍼灸を志す方々が多くなったということは、優秀な人材もそれだけ多くなっているということになります。事実、ビックリするような学歴を持っている方も少なくありません。
 しっかりした見識と技能を持った優勝な「はり師・きゆう師」の方々が、斯界の中核となって活躍されるようになった時、鍼灸師単独立法の要望は確実に高まってくるでしょう。また、時代も鍼灸師単独立法を受け入れられるように必ず変わってきます。鍼灸師単独立法はまだまだ夢物語として呑気に構えていてはいけないのです。
 前項で、「鍼」が良いか、それとも「針」の方が相応しいのかの問題がありましたが、単独立法が実現する際には、それこそ「鍼灸師」を選択するか、それとも「針灸師」を選択するかについて、また大きな論議が展開されることになるでしょう。そのような日が来ることを切に待ち望んでいます。

(2009年10月記)

未病・未病治・治未病について

未病・未病治・治未病について

はじめに

最近、未病(みびょう)という言葉が聞かれるようになりました。この言葉は、『厚生白書(平成9年度版)』〔第1編、第1部「健康」と「生活の質」の向上をめざして 第2章 生活習慣病〕の項で、生活習慣病の予防に、日々の生活習慣を改め、病気を未然に防ぐための手立てとして使われから一般にも知られるようになりました。

(1)未病概念について〈厚生白書(平成9年度版)〉

未病とは字句のままでは単に「未だ病まない」ことであるが、その背景には西洋医学の二元的健康感とは異なる東洋医学の一元的健康感がある。すなわち、健康と疾病の状態を二律背反ととらえる(疾病でなければ健康、健康でなければ疾病)のではなく、健康の程度には高い状態から低い状態まであって、それが低下すると疾病の状態に至るという連続的な見方をするものである。未病という言葉自体は、最も古い漢方医学の古典『黄帝内経 素問』や鍼灸等の古典『難経』などに見られる。特に有名な例として、『難経』の七十七難にある「上工は未病を治し、中工は己病を治す」があげられる。この未病の考え方によれば、病気の発症をその予兆によって知り予防するとともに、いったん発病した場合であっても重篤にならないよう早期・適切に処置することが肝要であり、これによって疾病の他の臓器への拡散・転移および疾病の悪循環の防止が期待できるとされる。

(2)出典

①『素問』
○「四気調神大論第二」には「是故聖人不治已病.治未病.」と記載されています。これを書き下し文にすると「是ノ故ニ聖人ハ已ニ病ムヲ治セズ、未ダ病マザルヲ治ス」となります。
○「刺熱論」には、「肝熱病者.左頬先赤.心熱病者.顔先赤.肺熱病者.右頬先赤.腎熱病者.頤先赤。病雖未発見赤色者刺之名曰治未病」と記載されています。これを書き下し文にすると「肝熱シテ病ム者ハ左頬先ズ赤シ、心熱シテ病ム者ハ顔先ズ赤シ、肺熱シテ病ム者ハ右頬先ズ赤シ、腎熱シテ病ム者ハ頤先ズ赤シ。病未ダ発セズト雖ドモ赤色ヲ見ワス者ハ之ヲ刺ス.名ヅケテ未ダ病マザルヲ治スト曰ウ」となります。
(注)「素問」は「霊枢」とともに「黄帝内径」を構成し、前漢時代に編纂された中国最古の医学書といわれています。その内容は散逸したといわれていますが、現在は唐代(762年)に王冰の著した「素問」「霊枢」の注釈本が伝えられています。
②『難経』
「七十七難」には「上工治未病.中工治已病者。所謂治未病者、見肝之病.則知肝當傳之與脾.故先実其脾気.無令得受肝之邪.故曰治未病焉.中工治已病者.見肝之病.不暁相傳.但一心治肝.故曰治已病」と記載されています。この一文を書き下し文にすると「上工ハ未ダ病マザルヲ治シ、中工ハ己ニ病ムヲ治ス。所謂、未病ヲ治ストハ、肝ノ病ヲ見テ.則チ肝當ニ之ヲ脾ニ与ウベシ.故ニ先ズ其ノ脾気ヲ実シ.肝ノ邪ヲ受クルヲ得ルコトヲ無カラシム.故ニ曰治未ダ病マザルヲ治ストイウナリ.中工ハ已ニ病ムを治ストハ.肝ノ病ヲ見テ.相傳ヲ暁ラズ.但ダ一心ニ肝ヲ治スノミ.故ニ已ニ病ムヲ治スト曰ウナリ。」と訓みます。
(注)「難経」は中国の東晋時代(317-420)に、伝説的な医師として知られる華佗が編纂した医学書。正しくは『黄帝八十一難経』といいます。
③『金匱要略』
「臓腑経絡先后病脈証第一」には「問曰.上工治未病.何也.師曰.夫治未病者.見肝之病.知肝傳脾.當先實脾.四季脾旺不受邪.即勿補之.中工不暁相傳.見肝之病.不解實脾.惟治肝也。夫肝之病.補用酸.助用、焦苦.益用甘味之薬調之。酸入肝.焦苦入心.甘入脾.脾能傷腎.腎気微弱.則水不行.水不行.則心火気盛.則傷肺.肺被傷.則金気不行.金気不行.則肝気盛.則肝自愈。此治肝補脾之要妙也。肝虚則用此法.實則不在用之。」と記されています。これを書き下し文にすると、「問イテ曰ク:上工未ダ病マザルヲ治ストハ、何ゾヤ。師曰ク:夫レ未ダ病マザルヲ治ストハ、肝ノ病ヲ見テ、肝ヨリ脾ニ伝ウルヲ知リ、當ニ先ズ脾ヲ実スベシ。四季ニ脾旺ジテ邪ヲ受ケザレバ、即チ之ヲ補ス勿レ。中工ハ相伝ヲ暁(サト)ラズ、肝ノ病ヲ見テ、脾ヲ実スルヲ解セズ、惟(タ)ダ肝ヲ治スル也。夫レ肝ノ病トハ、酸ヲ用イテ補イ、焦苦ヲ用イテ助ケ、甘味ノ薬ヲ益マス用イテ之ヲ調ウ。酸ハ肝ニ入リ、焦苦ハ心ニ入リ、甘ハ脾ニ入ル。脾ハ能ク腎ヲ傷リ、腎気微弱ナレバ、則チ水行ラズ。水行ラザレバ、則チ心火ノ気盛ニシテ、則チ肺ヲ傷ル.肺傷ラルレバ.則チ金気行ラズ.金気行ラザレバ.則チ肝気盛ニシテ.則チ肝自ズカラ愈ユ。此レ肝ヲ治シ脾ヲ補スノ要妙ナリ。肝虚スレバ則チ此ノ法ヲ用イ、実スレバ此レヲ用イルニ在ラズ。」となります。つまり、上工は五臓の相伝を知っているために、未だ病まざるを治すことができるのです。
(注)『金匱要略』は正しくは『金匱要略方論』といい、元来は後漢(25-220年)の張仲景が書いた『傷寒雑病論』の一部である「雑病」部である。
④『養生訓』
「巻第一 未病を治するの法」には「聖人は未病を治すとは、病いまだおこらざる時、かねてつつしめば病なく、もし飲食・色慾などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、其おかす事はすこしなれども、後に病をなす事は大にして久し。……病なき時、かねて養生すれば病おこらずして、目に見えぬ大なるさいはいとなる。」と記載され、日常から養生しなければと説いています。
(注)『養生訓』は貝原益軒が83歳(正徳2年、1712年)に記した養生書。

(3)「未病治」と「治未病」

中国の白文を正確に漢文で書き下すと、「未病」は「未だ病まざる」と訓みます。つまり、「未病」は「未だ病まざる」状態であって、「未病」という名詞でもなく、もとより病気ではない状態を言うので、病名でもありません。なぜ「未病」という言葉が漢方鍼灸界で一般化しているのかというと、日本の漢文も和訓本も口語文のほとんどすべての書籍が、「未(いま)だ病(や)まざるを治(ち)す」と訓まずに「未病(みびょう)を治す」と読んでいるところに起因しています。そのために「未病」という言葉が一般化したと考えています。さらに「未病を治す」から「未病治」という言葉に短縮されたものでしょう。余談ながら「已病」の「已」は、スデにという意味ですが、音読みでは「イ」であって「キ」ではありません。「已病(きびょう)」と読んでいるのも不思議なことです。
 一方、中国では2007年に中国国務院の呉儀副総理が「中医による治未病の研究を重視する」提言して、「治未病」プロジェクトが立ち上げられ、各地で健康文化・健康管理・健康保険の3つを一体化した「健康保障モデル」が創設されています。従って、「未病治」は日本的で、「治未病」は中国的ということができます。
「未病治」あるいは「治未病」を広く一般化するためには、「未病」という表現をそのまま使った方がインパクトがあると思います。

(4)「未病」への取り組み

厚生白書における「未病概念について」の提言は、本来的な「未だ病まざるを治す」という「未病治」或いは「治未病」から、癌・心疾患・脳血管障害・糖尿病・高血圧・高脂血症などの生活習慣病を未然に防ぐという「未病」概念に進展してきています。
従って、「未病」への取り組みについては、国家国民的視野から、生活習慣病を予防するという方向と、個々個人の疾病を未だ病まざる状態で治すという二つの方向があります。国家国民的視野では学会や師会でプロジェクトチームを作り、国家国民に提言していかなければなりません。
個々個人の疾病に対しての未病への取り組みは、単に体質改善や健康管理という漠然としたものではなく、個々の疾病について治療から養生まで個別に対処します。

(5)未病プログラム

 「未病」を治すためには、特に次の4点を留意します。疾病または症状別の「未病プログラム」を作成し、プログラムにそって、説明~治療~養生法の指導を行います。
①疾病が相伝する過程を知る。
②前駆兆候を見逃さない。
③適切な予防治療をする。
④養生法を指導する。

例)風邪の未病プログラム
患者さんを治療する前に、脈を診て「風邪」や「風邪気」を指摘することが少なくありません。患者さんが自覚している時は、そのまま風邪の治療や予防治療をすれば良いのですが、患者さんが自覚していない時や治療者が風邪気を認識していないと、治療した後で風邪を引いたと言われてしまいます。
①疾病が相伝する過程を知る。
風邪は万病の元と言いますが、風邪はその人の弱いところを攻めます。鼻や咽が弱い人には鼻や咽に、気管が弱ければ気管に、下利をしやすい人は下利を、リウマチ傾向のある人は関節や節々が痛みなどを起こしやすくなります。従って、体質や既往癧、日頃の全身的な健康状態を把握しておく必要があります。幸い東洋医学は、傷寒論や素問・霊枢などは相伝の医学と言ってよいほど、疾病の伝変を詳しく記しています。
②前駆兆候を見逃さない。
 風邪は、手足・腹部・腰・背などに内在する冷えや寒気があって、その上に寒邪を外感すると発症します。
風邪気を指摘するときは、脈状の浮沈・遅数・虚実などを診るだけでなく、微熱や発熱を感じた時は、平熱を確認した上体温計で体温を測定します。またペンライトで鼻粘膜や咽の浮腫・腫脹・発赤などを診たり、鼻を術者の手で揉捻して鼻粘膜の腫脹(グジュグジュ感)や前頚部の扁桃・リンパ部を押して腫脹感や痛みを確認したり、聴診器で咽や気管支の呼吸音・呼吸時の摩擦音や喘鳴音を確認し、必要があれば患者さん自身にも確認してもらいます。
また、冷えについては手足・腹部・背部などを触診し、冷えているところと冷えていないところを、術者の手の温かさの違い(冷えているところは術者の手がとても温かく感じます)で確認してもらいます。こうして風邪の前駆症状を確認してから治療に進みます。
③適切な予防治療をする。
治療法については省略します。
④養生法を指導する。
 うがい・マスク・足を温める・生姜湯などを服用してお腹の中から温める・入浴の仕方(足湯・腰湯・入浴はしない)などの一般的養生法とツボ健康法を指導します。

(2011年6月記)

鍼灸は医業の一部~施術所内でカイロプラクティック・整体などの医業類似行為を禁止

鍼灸は医業の一部~施術所内でカイロプラクティック・整体などの医業類似行為を禁止

はじめに

 平成27年12月1日、武蔵小山駅前地区再開発により「はり灸 艸寿堂」を移転しました。
移転に先だって品川区保健所に事前相談に行き、「施術所開設の手引き」をいただきました。
 ところで、「施術所開設の手引き」を見ると、構造設備基準の項に「※施術所内で他の医業類似行為を行うことはできません(整体・カイロなど)」と記載されています。
「他の医療類似行為」とは整体やカイロプラスティックを示すわけですが、あん摩マッサージ指圧師、はり師・きゅう師(以下、あはき又はあはき師と略称)の免許を以て施術所を開設した場合は、整体やカイロなどを標榜してはいけないし、標榜しなくても行ってはいけないということになります。
近年、国家資格を持たない無資格者による、整体やカイロプラスティック、足ツボ、気功、電気、光線などの療法が盛んに行われています。それだけでなく「あん摩マッサージ指圧師、はり師・きゅう師」の国家免許を取った有資格者自身が整体・カイロ・足ツボなどを行っているところも少なくありません。「他の医業類似行為」である整体やカイロをやっている有資格者自体が、無資格者の整体やカイロを批判するのは、「目くそ鼻くそを笑う」と同じで如何なものかと思います。
「あはき師の地位向上のために医業類似行為とどのように対峙していくかを真剣に考えなければなりません。

(1)第1条は「あはきは医業の一部であること」を示している

 鍼灸専門学校の授業で「あん摩マッサージ指圧、はり、きゆうは有資格の医業類似行為で、整体やカイロプラクティックなどは無資格の医業類似行為である」と教えられた方が多いと思います。これは「あはき師」ばかりでなく、行政でさえ「あん摩マッサージ指圧、はり、きゆうは国家資格の医業類似行為であると、間違って認識されている面が多々見受けられます。
ネットのウキペディアでも「医業類似行為とは、あん摩・はり・きゅう・柔道整復といった法定の行為4種とカイロプラクティックや整体のような、法定の行為以外の民間療法を含む概念である。」と記載されています。しかし、あん摩マッサージ指圧、はり、きゅうは本来的に医業の一部なのです。
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年12月20日法律第217号、最終改正 平成26年6月13日法律第69号、略称「あはき法」)の第1条には「医師以外の者で、あん摩、マッサージ若しくは指圧、はり又はきゆうを業としようとする者は、それぞれ、あん摩マッサージ指圧師免許、はり師免許又はきゆう師免許を受けなければならない。」と規定しています。この条文は、医師であれば医業として、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師(以下、あはき又はあはき師)免許を受けなくても、「あはき」をできることを示しています。同じ「あはき」を医師が行えば「医業」、「あはき師」が行えば「医業類似行為」という矛盾はあり得ませんので、第1条は「あはき」は医業の一部であることを如実に示しているのです。
このことは、厚生省医務局長が、「これらの施術を業として行うことは理論上、医師法第17条にいうところの『医業』の一部と見做される。第1条の規定は医師法17条『医師でなければ医業をしてはならない』に対する特別法規定である(昭和25年2月16日、医収第97号)。」と明確に回答しています。
最高裁も「あん摩やはりきゅうは医業類似行為に含まれない(昭和35年2月)」との文書を厚生省医務局宛に出しています。
ちなみに、「施術」とは医者が医療の術を行うこと、特に手術を言います。あはき師の「施術」も飛鳥時代の大宝律令に基づき、医師に準じた地位にあった「鍼博士・灸博士」の「施術」に由来しています。従って「あはき師」が行うのは「施術」、医業類似行為者が行うのは「行為」と厳密に区別されています。
考えてみれば、健康保険や確定申告時の医療費控除の適用は「あん摩マッサージ指圧、はりきゅう」が医療の一部であることを端的に示しています(ただし、疲れを癒したり、体調を整えるといった治療に直接関係のないものは含まれません)。

(2)第12条は「何人(なんぴと)も医療類似行為を業としてはならない」ことを示している

 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年12月20日法律第217号、最終改正 平成26年6月13日法律第69号)の第12条には「何人も、第1条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない。」と規定しています。
この条文で誤解を招きやすいのは「第1条に掲げるものを除く外」という文面です。この条文の「もの=者」と取り違えて、「国家資格の免許を持った者であれば医療類似行為を業としてできる」という誤った認識を持ってしまうことです。
この条文はまず、「第1条に掲げるものを除く外」をはずした「何人も医業類似行為を業としてはならない」が主文となります。
この条文の正しい解釈は、「あはき」を医業として除外し、何人も医業ではない医業類似行為を業としてはならないことを示しているのです。つまり本条文は医業と医業類似行為を明確に区別しているのです。
もとより、「何人も医業類似行為を業としてはならない」のですから「あはき師」も医業類似行為を業としてはならないのです。
医業類似行為については、昭和26年9月に常磐炭鉱の鉱夫であった人がHS式高周波治療器で患者に治療し逮捕された件について、昭和29年6月29日の仙台高裁判決で「論旨は右被告人の行った療法はあん摩師、はり師、きゆう師、柔道整復師法にいうところの医業類似行為ではないと主張するので、これを案ずるに右法律第12条にいうところの医業類似行為とは『疾病の治療又は保健の目的を以て光熱機械、器具その他の物を使用し若しくは応用し又は四肢若しくは精神作用を利用して施術される行為であって他の法令において認められた資格を有する者が、その範囲内でなす診療又は施術でないもの』と明確に規定しています。
そして、「右法律が之を業とすることを禁止している趣旨は、かかる行為は時として人体に害を生ぜしめる場合もあり、たとえ積極的にそのような危害を生ぜしめないまでも、人をして正当な医療を受ける機会を失わせ、ひいて疾病の治療恢復の峙期を遅らせる如き虞(おそれ)あり、之を自由に放任することは正常な医療の普及徹底、並びに公共の保健衛生の改善向上の為望ましくないので、
国民に正当な医療を享受する機会を与え、わが国の保健衛生状熊の改善向上をはかることを目的とするに在ると解される」と続けています。
この高裁の判決に対して、最高裁に「この療法を法が禁じた医業類似行為というなら、危害を与えた事実もない無害有効の治療を禁ずる法12条は、国民に職業選択の自由を保障した憲法22条に違反する無効の条文である」と上告した。
これに対して、昭和35年1月に最高裁は「憲法22条は、何人も公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を有することを保障している。されば、法12条が何人も同法1条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならないと規定し、同条に違反した者を同14条が処罰するのは、これらの医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するものと認めたが故にほかならない。ところで、医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞(おそれ)があるからである。それ故.前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも、人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解さなければならないのであって、このような禁止処罰は公共の福祉上必要であるから前記法律12条、14条(罰則)は憲法22条に反するものではない。」と判決した。
医業の一部として法的に認められている「あん摩マッサージ指圧、はり、きゆう」ですが、
行政やあはき業界でも、あん摩マッサージ指圧、はり、きゆうは「法で認められた国家資格の医業類似行為」、カイロプラクティックや整体、足ツボ、気功、電気、光線などは「法で認められていない無資格の医業類似行為」と誤った認識をしていることが多いのです。
冒頭、「施術所開設の手引き」には、「※施術所内で他の医業類似行為を行うことはできません(整体・カイロなど)」と記載されていると記述しました。
前述したように、施術所内で行えるのは「あん摩マッサージ指圧、はり、きゆう」だけに限定されます。従って整体やカイロプラクティックなどの「他の医業類似行為」を業として標榜してはいけないし、標榜しなくても行ってはいけないということになります。
ここで「他の」の意味するところを考えてみると、「あはき」が国家資格の医業類似行為だと思っている人は、単純に、整体、カイロプラクティックなどは無資格無免許の「他の医業類似行為」であると思ってしまいがちですし、無資格無免許の整体やカイロなどはむしろ有資格者がやった方が危険がないと思ってしまいます。しかし、第12条に規定するように「何人も医療類似行為を業としてはならない」のです。
「他」の本来的意味は、別のものをはっきりと区別するときに用います。自分と他人、自国と他国のように、医業の一部である「あはき」と医業として認められていない「医業類似行為」とをはっきりと区別するために用いられているのです。
本来、法律は用語に対して厳密に規定します。全く異なる有資格と無資格とを医業類似行為という一つの枠でくくるのはあり得ないことです。
一方、「その他の」の場合は、前にあるものが後ろに続くものの例示であることを示します。例えば、日本国憲法第9条第2項の「陸海空軍その他の戦力」のように「陸海空軍」は「戦力」の例示になります。「施術所内でその他の医業類似行為はできません」という場合は、「あはきを行う施術所」は「医業類似行為」の例示になってしまいます。「他の」と「その他」とを混同してはなりません。
ただ、行政が「他の」をどのように認識しているかは不明です。「あはき」が医業の一部で、「医業類似行為」と明確に区別していれば良いのですが、「その他の」と認識していれば「あはき」も医業類似行為になってしまいます。

(3)なぜ、巷に「整体やカイロプラクティックなど」が氾濫するのか

 第12条に規定するように「何人も医業類似行為を業としてはならない」はずが、なぜ、巷に「カイロプラクティック、整体、気功、足ツボ、電気、光線」などが氾濫するのでしょうか。これは、戦前戦後にかけて、既存の整体やカイロラクティック、あん摩マッサージ指圧師、はり師・灸師側の双方に混乱と、医療行政の混乱が原因の一つとなっています。
昭和22年4月の厚生省令第11月号『医業類似行為をなすことを業とする者の取締りに関する件』が発令され、医業類似行為は禁止されました。また、医業類似行為業は昭和30年末までの猶予期間を与えられました。昭和30年に医業類似行為の猶予期限を迎え、指定講習会や特例あん摩師試験を実施して「あん摩師」免許を与え、「指圧・マッサージ」を標榜して従来の手技療術を行わせようとしましたが、あん摩師と医業類似行為業者の双方から反対があったために猶予期間は延長され続けました。昭和39年6月に法改正があり、「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律」が発布されました。マッサージ師は病院マッサージの要望から、指圧師については従来の医業類似行為者を「指圧師」に組み入れようとする行政のもくろみがありました。
ちなみに、昭和45年4月14日に「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律」は「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」となり、柔道整復師は柔道整復師法となって単独法として成立しました。
ただ、現在もなお整体やカイロプラクティック、気功、足ツボ、電気、光線などの業者が増加している原因には、法第19条の存在があります。
第19条には「当分の間、文部科学大臣又は厚生労働大臣は、あん摩マッサージ指圧師の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合、あん摩マッサージ指圧師に係る学校又は養成施設において教育し、又は養成している生徒の総数のうちに視覚障害者以外の者が占める割合その他の事情を勘案して、視覚障害者であるあん摩マッサージ指圧師の生計の維持が著しく困難とならないようにするため必要があると認めるときは、あん摩マッサージ指圧師に係る学校又は養成施設で視覚障害者以外の者を教育し、又は養成するものについての第2条第1項の認定又はその生徒の定員の増加についての同条第3項の承認をしないことができる。文部科学大臣又は厚生労働大臣は、前項の規定により認定又は承認をしない処分をしようとするときは、あらかじめ、医道審議会の意見を聴かなければならない。」と記されています。
第19条を普通に読むと、視覚障害者の福祉のために養成施設における「あん摩マッサージ指圧師」の定員増加を制限する条文としか判断できません。しかし、晴眼者のあん摩マッサージ指圧師への道を妨げたために、整体やカイロプラクティック、気功、足ツボなどの無資格業者を増え続けさせたのが現状です。
本来、第19条の冒頭の「当分の間」というのは「一応の限定期間」を設けているということに外ありません。行政が整体やカイロプラクティック、気功、足ツボなどを「指圧」という名称で一括りしたことが無資格業者から嫌われ、尚且つ晴眼者の入学を制限してしまったのですから、あん摩マッサージ指圧を志す方々は、否が応でも医業類似行為に進んでしまうのです。更に医業類似行為を正当化するような事態が起きました。それは、昭和35年1月27日の最高裁大法廷の判決に対するマスコミの誤報です。以下、最高裁の判決を記します。「論旨は、被告人の業としたHS式無熱高周波療法が、あんま師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法にいう医業類似行為として同法の適用を受け禁止されるものであるならば、同法は憲法22条に違反する無効な法律であるから、かかる法律により被告人を処罰することはできない、本件HS式無熱高周波療法は、有効無害の療法であって、公共の福祉に反しないので、これを禁止する右法律は違憲であり、被告人の所為は罪にならないものであるというに帰する。憲法22条は、何人も、公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を有することを保障している。
されば、あんま師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法第12条が何人も法1条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならないと規定し、同条に違反した物を同14条が処罰するには、これらの医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するものと認めたが故にほかならない。ところで、医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。それ故前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならないのであって、このような禁止処罰は公共の福祉上必要であるから前記法律12条、14条は憲法22条に反するものではない。しかるに原審弁護人の本件HS式無熱高周波療法はいささかも人体に危害を与えず、また保健衛生上なんら悪影響がないのであるから、これが施行を業とするのは少しも公共の福祉に反せず従って憲法22条によって保障された職業選択の自由に属するのと控訴趣意に対し、原判決は被告人の業とした本件HS式無熱高周波療法が人の健康に害を及ぼす虞があるか否かの点についてはなんら判事することがなく、ただ被告人が本件HS式無熱高周波療法を業として行った事実だけで前記法律12条に違反したものと即断したことは、右法律の解釈を誤った違法があるか理由不備の違憲があり、右の違憲は判決に影響を及ぼすものと認められるので、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものというべきである。よって、刑事411条1号、413条前段に従い、主文のとおり判決する。」 この最高裁の判決は、「医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かかる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである」と記されているように、医業類似行為禁止を肯定している。しかし、「いささかも人体に危害を与えず、また保健衛生上なんら悪影響がないのであるから、これが施行を業とするのは少しも公共の福祉に反せず」とあるのは、日本の裁判の特徴的なもので、個々に対する情状酌量に相当します。判決の主文は、飽くまでも医業類似行為禁止になります。
ところが、マスコミや医業類似業者は情状酌量部分のみ取り上げ、人の健康を害するおそれがない限り禁止規定に該当しないと大々的に取り上げてしまったのです。
その結果、「有益無害」であれば医業類似行為を行っても差し支えないとの風潮が蔓延し、現在のように整体やカイロプラクティック、気功、足ツボ、電気、光線などの医業類似行為が氾濫してしまっているのです。

参考:行政が「あはき」を医業類似行為と間違えて認識している一文

医業類似行為に対する取扱いについて(医事第五八号、平成3年6月28日)
(各都道府県衛生担当部(局)長あて厚生省健康政策局医事課長通知)
近時、多様な形態の医業類似行為又はこれと紛らわしい行為が見られるが、これらの行為に対する取扱いについては左記のとおりとするので、御了知いただくとともに、関係方面に対する周知・指導方よろしくお願いする。

1 医業類似行為に対する取扱いについて
(1) あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう及び柔道整復について
医業類似行為のうち、あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう及び柔道整復については、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律(昭和22年法律第217号)第12条及び柔道整復師法(昭和45年法律第19号)第15条により、それぞれあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師及び柔道整復師の免許を有する者でなければこれを行ってはならないものであるので、無免許で業としてこれらの行為を行ったものは、それぞれあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第13条の5及び柔道整復師法第26条により処罰の対象になるものであること。
(2) あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう及び柔道整復以外の医業類似行為について
あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう及び柔道整復以外の医業類似行為については、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第12条の2により同法公布の際引き続き三か月以上医業類似行為を業としていた者で、届出をした者でなければこれを行ってはならないものであること。したがって、これらの届出をしていない者については、昭和35年3月30日付け医発第247号の一厚生省医務局長通知で示したとおり、当該医業類似行為の施術が医学的観点から人体に危害を及ぼすおそれがあれば禁止処罰の対象となるものであること

おわりに

 武蔵小山駅前地区再開発により移転を余儀なくされた訳ですが、平成9年に品川区小山に艸寿堂を新築した時には「施術所内で他の医業類似行為を行うことはできません(整体・カイロなど)」という添え書きは無かったように思います。
近年、整体やカイロプラクティックの医療事故が多発していることから、今後、あはき業界に対しても「施術所内での医業類似行為禁止」の行政指導が厳しくなってくることが十分予想されます。
そうした現状を鑑みると、まず隗より始めよの例え通り「あはき師」が自らを律することが肝要になります。「あはき師」の地位向上をめざすためには、「あはき師」が医業の一部を担っているという自覚と責任を持たなければなりません。

参考資料:
1.「提言 鍼灸師の地位向上をめざして」厚生労働教官 芦野純夫著、日本鍼灸師会発行、平成17年7月発行
2.「鍼灸師とはり灸に係る法制度の変遷―医制成立から現在にいたるまでー」森ノ宮医療大学 坂部昌明.社会鍼灸学研究 2013(通巻8号)
3.「医制百年史」厚生省医務局編、ぎょうせい出版、1976年9月出版。
(2016年4月)