零戦と隼
九州最南端の薩摩富士といわれた開聞岳を超えて南を目指す零戦。眼下の湖は池田湖です。。
2機の陸軍の隼戦闘機が随伴している。南方に行くためには海を越えるため、洋上航法の教育を海軍ほど受けていない陸軍操縦士は
渡洋飛行に不安があるため海軍機についていったのであろうか、まだ太平洋戦争が始まる前で長閑な飛行であった。
終戦の年の昭和20年春は、多くの若者が、陸軍の知覧、海軍の鹿屋の基地から特攻攻撃に出撃して行ったが開聞岳は彼等が見る最後の祖国の地であった。
背景の写真について
97式艦攻の合成写真で昭和41年3月、登山した開聞岳頂上付近から撮ったモノクロのものを使いました。
その後、一緒に登山した友人の一人が当時はまだ少なかったカラー写真を撮っていたことがわかりお願いして頂いたものです。
キットは前出ですが何れも1/48。 零戦21型はタミヤで隼11型はハセガワです。