マリアナ沖海戦を前にタウイタウイ泊地に休む矢矧 遠方は戦艦長門
昭和19年6月、日本海軍はかなりの自信をもって「あ」号作戦を決行した。母艦に搭載した戦闘機、攻撃機、雷撃機と サイパン、グアムの基地航空隊の機をを含めれば米機動部隊と互角の戦力と見られた。 約一年半前に戦われた南太平洋海戦では 敵空母ホーネットを撃沈し勝ったという余韻もあり、その後日米主力が激突する海戦も無くおそらく搭乗員たちは、 勝てると思い士気はまだ高かった。 しかし米軍はこの一年、近接信管、レーダーによる迎撃指示の実用化、更に零戦を上回る性能を持った F6Fヘルキャットを投入してきた。しかも海戦初期段階でサイパンの基地航空隊は米軍の予想を越える 早い時期での空襲で迎撃するまもなく壊滅してしまった。更に日本軍はアウトレンジ戦法という搭乗員にかなりの負荷をかけた 作戦を採った。結果は一方的な敗北であった。吉田俊雄氏は著書「マリアナ沖海戦」で曰く 「この戦法(アウトレンジ)を実行する力があるときは、このような困難な戦法を取らずに勝てる。」当時の海軍上層部は どのような思いで日本海軍始まって以来の最大の敗北を見たのだろうか。
TAMIYA 1/700 WATER LINE SERIES 矢矧
 

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