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インド洋方面の海戦 ー昭和17年4月5日〜9日ー
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日本海軍は昭和17年3月までに西太平洋と東南アジア方面の連合国海軍及び空軍を一掃し、制海権、制空権を確保した。
陸軍も米国植民地のフィリッピン、英国植民地のマレー半島、蘭国植民地のジャワを制圧し、 更に英国のアジア支配の象徴であり難攻不落とうたわれたシンガポールも陥落させた。
開戦前の、仏領インドシナ進駐(これが太平洋戦争の大きな遠因となったのだが・・・)と合わせ 欧米(英、仏、蘭と米)等の東南アジアに数百年にわたって君臨した欧米勢力を遁走させたのである。
このようにして石油、天然ゴム、ボーキサイト等を産出する南方資源地帯を手に入れ継戦体制を固めた。
山本五十六大将は開戦以来の第一段作戦の仕上げとしてセイロン方面にまだ残っていた英国海軍を殲滅すべく南雲機動部隊にセイロン攻撃を命じた。 これがインド洋海戦である。

日本海軍はハワイ攻撃の余韻を持ってインド洋に於ける英国海軍の重要な基地であるセイロンに向かったが英国海軍はすでに遁走しており、 両軍主力の激突とはならなかった。しかしインド洋から英国海軍力を排除し作戦は成功した。


主力部隊(南雲機動部隊)の参加艦艇
艦種・機種 艦名
航空母艦 赤城・飛龍・蒼龍・翔鶴・瑞鶴  加賀は修理のため内地帰投中
戦艦 霧島・比叡・金剛・榛名
重巡洋艦 利根・筑摩
軽巡洋艦 阿武隈
駆逐艦 浦風・磯風・濱風・谷風・霞・霰・陽炎・不知火


馬来(マレー)部隊(小沢機動部隊)の参加艦艇
艦種・機種 艦名
航空母艦 龍驤
戦艦 なし
重巡洋艦 最上・三隅・鈴谷・熊野・鳥海
軽巡洋艦 由良・川内
駆逐艦 汐風・夕霧・朝霧・白雲・天霧・初雪・白雪・吹雪・磯波


戦闘経緯
ご注意・・・航空機のデータは異なるものもあるかもしれません。

1)4月5日 南雲機動部隊によるセイロン島コロンボの英軍基地攻撃と周辺の貨物船及び小型艦艇攻撃と英海軍重巡2隻を攻撃

4月5日の南雲機動部隊の航空攻撃
コロンボ攻撃 零戦36機 97式艦攻54機 99式艦爆38機 
重巡攻撃 99式艦爆53機
未帰還 99式艦爆6機 零戦1機


戦果
コロンボ攻撃 飛行場、港湾設備の破壊、停泊中の小型艦船、貨物船等を撃沈
重巡攻撃 ドーセットシャー撃沈(基準排水量 1万トン、八インチ砲8門)
コンウオ−ル撃沈(基準排水量 1万トン、八インチ砲8門)
撃破せる敵機 概略50機


この日の戦いで日本海軍はコロンボ攻撃隊の「第二次攻撃の要有り」との報告と偵察機の「敵艦隊発見」の報告に適切に対処出来ず 97式艦攻に対して雷装待機⇒爆装変更⇒雷装変更と指示が変わり、 結局、雷撃機及び500キログラム以上の大型爆弾を積んだ97式艦攻を発艦させることが出来なかった。
これと同様の不手際はミッドウェー海戦でも繰り返され南雲機動部隊全滅の主因となった。

しかし発艦した99式急降下爆撃機は巧みに太陽を背にして敵艦隊に接近し、奇襲攻撃を行い80%の命中率で 250キログラム爆弾を敵艦に叩き込み、僅か十数分の攻撃で二隻の重巡を撃沈した。
時の英国宰相チャーチルは「急降下爆撃と言う今まで英国海軍が経験した事のない攻撃で二隻の大事な大型巡洋艦を 失うということはドイツ、イタリアとの戦いでは全く無かった。」と回顧録に書いているとのことである。

2)4月6日 小沢提督指揮の別働隊の馬来(マレー)部隊によりインド東岸中央部の英国輸送部隊に対する攻撃

馬来(マレー)部隊は主に艦船の砲撃により輸送船を撃沈破した。
この一日で21隻の輸送船(13万7千トン)を撃沈し、更に8隻の輸送船を大破せしめた。 これは太平洋戦争中を通じ敵戦闘部隊との攻撃に固執していた 日本海軍が敵輸送船団攻撃で補給を断つというまれに見る作戦であった。また戦果も大きかった。これとは逆に第一次ソロモン海戦では敵主力の攻撃に成功しながら 敵輸送船団を攻撃しないで帰投し、無傷の米軍を上陸させてしまいその後のガダルカナル島の戦いで日本軍は多大な損失を出すことになった。

3)4月9日 南雲機動部隊によるセイロン島ツリンコマリーの英軍基地攻撃と周辺の貨物船及び小型艦艇攻撃と軽空母のハーミスを攻撃

4月9日の南雲機動部隊の航空攻撃と戦果
ツリンコマリー攻撃 零戦41機 97式艦攻91機
空母攻撃 零戦6機 99式艦爆85機 
未帰還 零戦5機 97式艦攻1機 99式艦爆4機 


戦果
ツリンコマリー攻撃 地上設備、港湾設備の破壊、停泊中の小型艦船、貨物船等を撃沈
空母攻撃 軽空母ハーミス撃沈(基準排水量 10、850トン、搭載機数 20機)
随伴せる駆逐艦(1隻)、哨戒艇(1隻)貨物船(2隻)撃沈
撃破せる敵機 概略50機以上


ハーミス攻撃においても艦爆隊の命中率は80%と言われている。この時期の海軍搭乗員の練度の高さを示している。