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マレー沖海戦 ー昭和16年12月10日ー
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マレー沖海戦1
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マレー沖海戦2
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マレー沖海戦3
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日本海軍はハワイ攻撃から三日目に、再び世界を驚愕させた。マレー沖海戦である。
英国の時の宰相チャーチルは欧州でのドイツとの戦いが厳しい中、あえて風雲急を告げる極東に最新鋭戦艦プリンスオブウェールズと
巡洋戦艦レパルスを派遣した。これ等はZ部隊として日本海軍に対しての強力な抑止力と考えられていた。
しかしそれ等はシンガポールに到着後、僅か10日で日本海軍航空隊の餌食となりシャム湾にその雄姿を没してしまったのである。
日本軍がタイに上陸を始めたとの報に接し、Z部隊は駆逐艦4隻を伴いシンガポール、セレター軍港を出撃する。
英国をはじめ連合国側には、今まで自分達が教えてきた生徒である日本海軍を一段低く見ているところもあり護衛の航空機も無かったが
トム・フィリップ提督率いる艦隊は勇躍出撃した。
潜水艦、航空機を使って索敵していた日本海軍はこれを発見、直ちに南部仏印から長距離攻撃が可能な96中攻、一式陸攻を発進させた。
結果は一方的なものであった。日本海軍航空隊は僅かな損害で二隻の戦艦を撃沈し、ここに世界の海軍戦術上の大テーマであった、
広い自由な海面のなかで航行している戦闘準備を済ませた戦艦に対して、
航空機だけの攻撃で撃沈することができるかと言う論争に明確な答えを出したのである。
すなわち戦艦に対する航空機の優位を証明した。
この海戦の衝撃はデイヴィッド・トーマス氏の「スラバヤ沖海戦」(原著は”BATTLE OF THE JAVASEA”)によれば
「極東におけるイギリス海軍力が大胆に挑戦されただけでなく、また壊滅的一撃で敗れ去ったと言う信じ難いショックであった。」
それはアジアの日本が当時世界最強の一つと考えられていた英国海軍を打ち破ったと言うことで
欧米の植民地として虐げられていた多くのアジア人に欧米に与えたのとは別の意味での衝撃を与えた。
Z部隊参加艦艇
| 艦種 |
艦名 |
基準排水量 |
主砲 |
出力 |
最高速度 |
全長 |
全幅 |
結果 |
| 戦艦 |
プリンスオブウェールズ |
36,700トン |
35.6cmX10 |
12.5万馬力 |
28.3節 |
227m |
34m |
沈没 |
| 巡洋戦艦 |
レパルス |
28,000トン |
38.1cmX6 |
11.2万馬力 |
28.3節 |
242m |
31m |
沈没 |
なおZ部隊には4隻の駆逐艦が随伴していたが、
それ等は無事シンガポールに帰投した。ただしそのうちの一隻のエレクトラはその後のジャワ方面の海戦の一環であるスラバヤ沖海戦で日本海軍により撃沈された。
日本海軍攻撃部隊(南部仏印より発進)
| 機種 |
部隊 |
機数 |
爆撃(500KG爆弾) |
爆撃(250KG爆弾) |
雷撃(91式航空魚雷) |
| 一式陸攻 |
第21航空隊(鹿屋航空隊) |
26 |
0 |
0 |
26 |
| 96中攻 |
第22航空隊(美幌航空隊) |
40 |
18 |
14 |
8 |
| 96中攻 |
第22航空隊(元山航空隊) |
16 |
0 |
0 |
16 |
魚雷の命中率は42%、爆弾の命中率は14%であった。なお未帰還は4機、そのうち一機は不時着であった。