品川区誕生の歴史

品川区の地域は、明治初期には「品川県」に属しておりました。
明治11年(1879)には東京府荏原郡に属し、明治22年(1889)の市制・町村制施行によって、品川・大崎・大井・荏原4地区の基礎が固められました。
その後、昭和7年(1932)10月1日東京市域の拡張によって、 東京市15区制から35区制の採用によって、「品川区」と「荏原区」が誕生し、昭和18年(1943)には東京都制が敷かれました。
さらに、昭和22年(1947)3月の東京都の23区制の採用によって「品川区」と「荏原区」が合併して現在の「品川区」が誕生しました。

大井の地名の起源

大井の地名の起源のついては、「風土記稿」、「大井地名孝」、「東京府志料」、「東京府村誌」、 「大井町誌」等にいくつかの説が紹介されていますが、要約すると4つの説に分かれます。

※「大井」の地名は文献上の初出は、延喜(えんぎ)7年(907)の延喜式に駅家名として 武蔵国に「大井」が存在したと記されているので、「大井」の地名は存在したと考えられます。

検証@ 井戸起源説    (了海上人は光福寺の中興の祖である)
  光福寺境内の了海上人誕生の際に産湯を使った「井戸」に起源
  すると言う。

          「大井」と言う地名の起源については、一般的には「井戸」の存在と
         関連している場合が多いと言われております。
         「風土記稿」の光福寺の条には、建仁元年(1201)了海上人誕生の
         際に産湯を使った井戸が掘られ、その井戸を「大井」と称していた
         ので、大井村と名付けられたとしておりますが、延喜式によれば、
         907年には大井の地名は存在していますので、年代的に矛盾して
         おります。

検証A 姓名起源説
  住古当地に居住した「大井氏」の姓をとって地名にしたと言う。

         「大井氏説」大井氏の名が文献上登場するのは「吾妻鑑」による
         寿永3年(1184)であり、すでに大井の地名が存在していることから
         年代的に矛盾しております


町 名 の 由 来