ハイテク昔話 「第2話」 2000.09.27 |
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このサイトにアクセスして下さる方々は、圧倒的に若い(1948年生まれの私から見て)人が多いと思います。そこで、パソコンが世の中に出てくる前から、普及する頃の極私的な経験を昔話風に紹介します。そして、それを通して、パソコン普及に伴って何が進歩したか、何が変わらなかったか、何か新たに問題になったことはないかを見極めようというページです。徐々に、量を増やしていく予定です。思い出した所から書きたい、項目は年代順に並べたいという二つの希望から、書いた順序がバラバラです。おまけに、量が増えるに伴って、記事が別のファイルに移動する可能性もあります。なるべく、掲載した日付を付けますのでご勘弁下さい。 |
1973年秋のことです。英文で書いた論文を学術雑誌に投稿することになりました。多くの書籍の出版は学術雑誌も含めて、活字を組んで作られていました。しかし、その雑誌は速報性を重視するタイプの雑誌だったので、原稿をそのまま写真製版して作られていました。東芝が630万円で日本語ワープロを出したのが1978年9月26日、WordStar という英文ワープロが出たのがその翌年です ( このワープロソフトは、特に研究者の間で、一世を風靡しました。このことに関しては、項を改めて取り上げる予定です。) 。従って、1973年にはワープロというものは存在しませんでした。今回は論文をタイプライターで清書打ちした時のどたばた話です。 ( 2000. 9. 29 ) 初めての電動タイプライター私が卒論に取りかかっていた1971年には、研究室にはタイピストを兼ねた秘書がいました。手書きの英文の原稿をタイプライターで打つ職業です。現代でいえば、ワープロ入力代行業でしょうか。当時はタイピストを養成する「〇〇タイプ学院」といった各種学校が沢山ありました。私はこの秘書の方にタイプライターの教本を借り、教授からは古いタイプライターを借りて、タイプの練習をして、ブラインドタッチがこの頃できるようになりました。 修士課程2年の秋に、修士論文にするために行っていた研究がまとまり、教授から国際雑誌に投稿するよういわれました。しかも、指定された雑誌はかなり有名なものでした。何で有名かというと、「唾付け雑誌」というカテゴリーに入っている雑誌として有名でした。「唾付け雑誌」とは、研究内容の信頼性はまだ高くなても、トピックス性のある内容なら受け付けるというものです。研究というものは、どんなに価値のあるものでも、人に先に発表されたら、その人の業績ではなくなってしまうので、とにかく先に発表する必要があります。そのための雑誌なのです。そのため、投稿から出版までの時間が短いのが特長です。 投稿から出版までの時間を短くするため、その手の雑誌は写真製版で作られます。そこで、タイプライターの登場になります。使ったタイプライターは米国のスミス・コロナ社のもので、何と電動でした。それまでは、インクリボンにキーを叩き付けることにより、紙に字が文字通り打たれていました。しかし、電動タイプライターの登場で、現代のパソコンのキーボードと同様、ちょっと軽く触れるだけで、字を打つことができるのです。手動と電動の違いの第1は指の力が少しで良いということです。第2に、キーを叩くと猛烈な勢いで字が打たれるので、1文字の印字が短時間で済むので早く打つことができるということです。欠点として、モーターがうんうんうなって、音がうるさいことと、重いので持ち運びが難しいということです。このタイプライターはポータブルと書いてあって、畳むとスーツケースのようになりましたが、重量が何と約15kgありました。 現在では考えられないかも知れませんが、原稿は最初は手書きでした。タイプライターは清書の道具でした。前にも書いたように、コンピュータのプログラムでさえ、当時は最初は手書きです。原稿が一通りできあがると、タイプして、推敲しながらそれに赤いポールペンで書き込みを入れ、書き込みが多すぎて原稿が見づらくなったら、タイプし直して、更に推敲して、ということを繰り返して原稿が完成に近づきます。当時はこのやり方が普通でした。現在の原稿の作り方とは大分違ったプロセスで、作られていたのです。後日、ワープロソフトが普及しても、当時のパソコンは1行80字で40行までしか表示できないという、貧弱な表現力しかなかったので、画面上で深く推敲したり、ミスタイプを発見したりするのが難しいので、とりあえずプリントして、紙の上で作業をするというやり方が長く続きました。 悲劇の始まり原稿ができあがって、後は清書打ちという時点までは割と楽に、楽しく作業を行えました。しかし、最後の「清書打ち」に苦労させられました。タイプライターを打てば、当然ミスタイプも起こります。勿論、清書打ちなので注意深く打ちますが。もし、ミスタイプをしたら、打つ位置をそこに移動して、インクリボンの下に粘着性のある白い粉末の付いた訂正用の紙をはさんで同じ字を打ちます。これで字が消えるます。打つ位置は次の文字に移動しているので、バックスペースで戻り、正しい字を打ちます。これで、訂正できます。1ページ打ち終わったら、紙をタイプライターからはずす前に、ミスタイプがないかじっくり調べます。もし、はずしてからミスタイプを発見したら、この方法では訂正するのがほとんど不可能です。修正液で該当の個所を白く塗り、微妙に用紙の位置を調整し、正しい字を打とうと試みます。しかし、字の位置が微妙にずれてしまいます。プロのタイピストの条件として、多分、この訂正が上手ということではないかと思います。当方は、勿論、プロではないので、不自然なほど字がずれてしまい、最初から打ち直しになることが多かったと記憶しています。 電動タイプライターは機械です。モーターを動力にして、ベルトや歯車でコントロールされています。ミスタイプをした箇所を訂正しようとしても、機械の動作の何かの不具合で、位置がわずかにずれてしまい、きれいに訂正できなくて、最初から打ち直しということも再三ありました。それから、1文字を打つ時間が短いといっても、ある限度以上に速く打つと、前の字を打ったキーが戻りきらないうちに次のキーが字を打ちに行き、キー同志がぶつかってしまう現象も時々起こりました。こうなると、悲惨なことにその部分が著しく汚れ、即、そのページは打ち直しになります。 半分以上、清書打ちが終わった時点で、最初の方に文法的なミスが見つかり、そのページ以降が再度打ち直しになりました。そんなこんなで、清書打ちに約1ヶ月かかり、使ったタイプ用紙は3冊になりました。それで、やっと投稿です。審査にパスし、その論文は掲載されました。もう一度掲載された論文を見ていると、'about' が 'avout' になっていました。 この数年後、IBMの電動タイプライターが爆発的にヒットしました。その理由として、強力なミスタイプを訂正する機能が付いていたためと思われます。それにつきましては、後日取り上げたいと思います。 パソコンとワープロの普及によって、原稿を仕上げるのが、格段に便利になっただけでなく、それまでは原稿は前から後ろに作っていったのが、書きやすいところから書いていくというように、書く順序も自由に選べるようになりました。この点が、最大の進歩だと思います。 |
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