ハイテク昔話 「第8話」



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このサイトにアクセスして下さる方々は、圧倒的に若い(1948年生まれの私から見て)人が多いと思います。そこで、パソコンが世の中に出てくる前から、普及する頃の極私的な経験を昔話風に紹介します。そして、それを通して、パソコン普及に伴って何が進歩したか、何が変わらなかったか、何か新たに問題になったことはないかを見極めようというページです。徐々に、量を増やしていく予定です。思い出した所から書きたい、項目は年代順に並べたいという二つの希望から、書いた順序がバラバラです。おまけに、量が増えるに伴って、記事が別のファイルに移動する可能性もあります。なるべく、掲載した日付を付けますのでご勘弁下さい。



ラムディスクって知っていますか(2003年9月9日)

1987年RAMボードを買いました。

ラムディスクの話をする前に、当時のパソコンのスペックについて説明します。

1985年に発売されたNEC−PC9801VM2のメインメモリーは384KBで、メモリーを最大限増設しても640KBでした。CPUはV30(8MHz)で、ハードディスクは内蔵されていません。フロッピィーディスクドライブが2つついていました。当時は、3.5インチフロッピィーディスクはまだありませんでした。5インチのフロッピィーディスクでした。

ROMには第1水準、第2水準漢字が標準で実装されていました。

当時のOSはMS−DOOSでした。どうやって、パソコンを起動していたのでしょうか。フロッピィーディスクから起動していました。起動後にフロッピィーディスクを抜いて、ソフトの入っているフロッピィーディスクをドライブAに入れました。それから、ソフトを起動させます。

例えば、「一太郎」の場合、ドライブAにシステムの入っているディスクを、ドライブBに漢字辞書の入っているディスクを入れます。時々、ドライブBのディスクを抜いて、データー用のディスクと入れ替えて、編集中のファイルを保存します。

ローマ字を日本語に変換するたびに、当然、ドライブBにアクセスしますから、カッチンカッチンと音がして、変換に時間がかかります。まどろっこしいこと、この上ありません。と言うよりは、ハードディスクを使った経験がなかったので、そう感じなかったかも知れませんが。

それから、前回取りあげた、データーベースですが、量が増えて、フロッピィーディスクがほぼ満杯になりました。ひとつひとつのデーターの長さは異なっています。つまり、固定長のデーターベースではありません。こうなると、フロッピーディスクを読むための時間がかかってしまい、イライラさせられることが多くなりました。このデーターをソートするにはどうしたら良いのでしょう。ドライブはふたつしかありません。

そこで、RAMディスクの登場です。

2MBのRAMボードを購入しました。値段は20,000円から30,000円くらいでした。

メモリーボードを増設しても、それにアクセスできなければ意味がありません。一世を風靡したのが、株式会社アイ・オー・データ機器の「I−Oバンク方式」で、メインメモリーの512KBから640KBの領域を使って、アクセスする方式です。この方式を実現させたのが、「IOS10」というソフトです。

これにより、仮想のドライブ、ドライブCとDができました。

もう少し、具体的に説明すると、例えば、「一太郎」の場合、ドライブAにシステムディスクを入れます。次いで、MS−DOSのコピーコマンドで、ドライブAのディスクの全てのファイルをドライブCにコピーします(A>copy A:*.* C:)。次いで、ドライブBに入れた漢字辞書をドライブDへコピーします(A>copy B:*.* D:)。次にカレントディレクトリをドライブCに変更します(A>cd C:\)。そうしておいてから、「一太郎」を起動します(C>jxw)

こうすることによって、ディスクに物理的にアクセスする必要がなくなるため、動作が非常に高速になります。また、漢字変換の際のカッチンカッチンという音がなくなるので、静かに使うことができます。

データーベースにしても、RAMディスクにコピーしてから、検索することで、大幅なスピードアップが実現しました。データーのソートも、勿論、RAMディスク上で行いました。

C言語のコンパイラ(Lattis C、98,000円)も、当然、RAMディスクにコピーしてから使います。

ただし、RAMなので、電源を落とすとファイルは消えてしまいます。そこで、使用した後は、必要なファイルはフロッピィーディスクに保存しなければなりません。

プロテクトの問題

当時、日本語ワープロソフトで人気のあったのは、管理工学研究所の「松」(120,000円)とJustsystemの「一太郎」(58,000円)でした。「松派」、「一太郎派」などという言葉もありました。

現在、プロテクトのかかっているソフトはないと思います。ハードディスクにコピーできなければ、使い物にならないからです。しかし、当時のソフトには、ほとんどのものにプロテクトがかかっていました。特に、「松」はプロテクトがガチガチにかかっていることで有名でした。そういうソフトはRAMディスクにコピーできません。これに対して、「一太郎」はver.3で、いち早くプロテクトをはずしたので、選択の余地なく、「一太郎」を使うことになったわけです。

当時の外付けハードディスクの値段について

ロジテック(株)から、1987年に、当時としては衝撃的に安い値段で新発売になったLHD-320Nは、約20MBで、198,000円でした。ハードディスクはまだまだ贅沢品でした。

ところで、この年に発売されたマッキントッシュUは、わが家ではまだ現役で動いています。パソコンとしては巨大で、場所をとること甚だしいです。



なるべく正確を期していますが、当時の資料が不足しているので思い違いや間違いがあるかも知れません。何かお気づきの点があればメールをいただけると助かります。メアドはトップページにあります。




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