セーラー服

イギリス人が「日本は海洋国家らしく、女学生の制服にセーラー服を採用されている」と言われた事があったようですが、悲しいかな、日本は海洋国家としての自覚もなく、セーラー服と言えば、「ブルセラ」と性的対象としての視点しかない残念な状況です。

ここでは、元来のセーラー服を中心に、整理したいと思います。

セーラーとは、すなわち Salor。水夫、水兵さんです。

元々セーラー服は、イギリス海軍の制服だったものです。
起源はイギリス下級船員の乗船服。
セーラー服の初登場はその原型は1628年のイギリス海軍と意外と古い。

現在の水兵服の原型が完成して、正式に海軍の軍服となりだしたのは1840年頃といわれております。
現代的なデザインのセーラー服は1857年にイギリスで採用された水兵服とされている。
今なお、世界中の海軍で下級兵員の正装としてその名残をとどめているといいます。

1872年(明治5年)に、海軍がセーラー服を水兵服としたのが、日本におけるセーラー服のはじまりではないでしょうか。
日本海軍がセーラー服を採用したのは、明治初期から日本海軍は英国海軍を手本にしたからだとの説があります。

セーラー(水兵)服は艦上勤務の機能性を考えぬいて作られた服である。
袴(ズボン)や上衣は万一海に落ちた時、簡単に脱衣できる構造となっている。
また素材も、当時としては比較的水を含みにくく、体温を奪わないような糸の撚りや組織となっていた。

ロシア海軍では、下士官・兵とも、セーラー服が制服の一つとなっているようです。

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セーラー服のエリ
日本ではこの襟のことを「ジョンベラ」と言うが、これは[junper]が訛ったものと言われている。

セーラー服のあの大きなエリは何の為でしょうか?
1つは甲板の上では風等の影響で人の声が聞きづらいので、あの襟を立てて集音効果を狙うという説があります。
もうひとつは船の上では中々洗髪できないのと、後ろ髪を延ばして油で固めていたので上着が汚れない様にすると為に襟が大きくなったいう説があります。
水兵さんが海に落ちた時背中のひらひらをつかんで引っ張りあげるためのものと言う説もあります。

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ラッパズボン

かつて、流行ったラッパズボン(ベル・ボトム)。
昔の海上自衛隊ではセーラーはラッパズボンだったらしく、わざわざ特注してまでも大きなラッパのズボンを作り、履いていたらしい。
しかし、時代が変わった昨今では安全上の見地からラッパを廃止、今は普通のストレートとなっている。

セーラー服のズボンがラッパだったのは有名な説として、甲板を洗う際に裾を何度も折り返し易いようにと言うのがある。
その証拠に、裸足になって甲板掃除をしない下士官や士官のズボンは昔も今もストレートである。

余談だが、「裾を折りあげる」ことにもちょっとした文化がある。
イギリスの海軍では「7つの海」になぞらえて7回折りあげるらしい。

水兵帽

水兵帽は「つば」がないのがその特徴。
これは帆船時代にマストを登ったり作業をする際につばが引っかかって落したりしない様に、1850年の水兵服制の施行当時からなかったらしい。

通常、海軍の水兵帽には「ペナント」というリボンのようなものがついている。
これを日本の帝国海軍時代は「軍帽前章」と呼んでいた。
ペナントには所属する隊、もしくは艦名や所属が金色の文字で書かれている。
さてこのペナント、今ではほとんど飾りだが、元々は実用だった。
これをハチマキのように帽子の周りにとり、後頭部で結び、あごの下で再度結んでいた(今はあご紐の代わりにゴム紐がついている)。
帝国海軍時代はこの長さが2mほどあったらしいが、第1次世界大戦時に物資不足のために短くなったらしい。
ちなみにドイツ海軍やロシア海軍のペナントは今でも長い。
また、フランス海軍では帽子の上に装飾の赤い毛毬がついていて、結構可愛い。

ペナントがなぜそんなにも長かったか?と言うことについては、イギリスの海軍に起源がある。
イギリスではおさげ髪の習慣があったが、船内にはシャワーなどない時代。服は汚すわ、しらみは湧くわで不衛生極まりない。そこで艦長はおさげを切るように命じたが、一向に聞き入れてくれない。そこで困った艦長は考えた末、「おさげの代わりに帽子の後ろにリボンを2本つけてやるからおさげを切ってくれ」と提案。それ以来ペナントがついている、らしい。

ペナントは、ペンネントと呼ばれる事もある。

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女子の制服としてのセーラー服

女子がセーラー服を着るようになったのは18世紀のフランスで、当時の女性の服装は窮屈であり、試しに海軍の制服を着せてみたところ、運動がしやすかった為に広まったとの説があります。

日本では、明治39(1906)年に体操着として採用するよう通達があったようですが、最初は歓迎されず、伝統的な婦女観(乙女のイメージは羽織・袴)から、洋服への抵抗が強かったとされています。

大正5年頃、華族女学校(現在の女子学習院)で非活動的な着物をやめて洋装の制服が提案されました。当時は体操服が無く、着物で体操を行っていたので、洋装を導入する必要があったのです。
女学生の創立期の服装は和服に袴(はかま)が一般的であったが、大正末には時代を反映して、和服以外にモダンなスーツやセーラー服が登場するようになった。

大正10年(1921年)に名古屋の金城学院が、女子の制服にセーラー服を採用したのが、学生服としてのセーラー服のはじまりではないかと言う事です。
また、同じ年に福岡女学院が、女子の体操着にセーラー服を採用し、半年ほど後に制服としてセーラー服を採用しているようです。

セーラー服が女子服として採用された当時、男子が陸軍の制服を採用していた為、それなら女子は海軍の制服が良いだろうと言うことで、女子の制服にセーラー服が採用されたとの説があります。
日本では男子学生の制服として陸軍ぽいもの、女学生の制服として海軍ぽいものが採用される事になりました。

静岡英和女学院が、夏服のセーラー服としては日本で一番最初とされています。1922年の校長がカナダ王立少年少女団の制服を元に制定されたと有ります。

兵庫県立柏原高等学校では、大正15年(1926)の東京旅行からセーラー服が導入された。

東京女学館で、セーラー服を制服と定めたのが昭和5年。白い制服というのは当時は斬新で世間の注目を集めたといいます。「白」を提案したのは、明治43年から昭和32年まで47年間に渡って女学館に奉職された英国人のトロット先生と言われています。「英国では高貴な人は白を着る」というのが、その理由でした。

昭和初期の1930年代に入ってから、白木屋火災や、関東大震災の悲惨な経験から、和服の非活動性のゆえに女性の犠牲者が多かったとして、洋服が見直されるようになったといいます。

東京 竹早高等学校の場合、昭和に入って学校として服装を統一する気運が高まり、昭和4年10月にセーラー服が制服として制定されている。翌5年度に、最上級生を除く全学年で、セーラー服に替わったようである。しかし、戦時色が濃くなるにつれて、学校農園などでの実習時間が増えることから作業に適したモンペの着用が広がり、昭和19年の通年動員が始まる頃には学校生活の場にも浸透してきていた。

昭和20年代にはセーラー服の上着にもんぺ姿というのが定着しています。
戦後、スカートが復活。
昨今ではセーラー服は、女学生の代名詞となっていました。

いわゆる「スケバン」がはやった頃、スカートの丈を、足下まで延ばし、突っ張る時代が有りましたが、平成に入ると、逆に丈を短くした、ミニスカートが好まれるようになりました。
ここ数年、制服にセーラー服をやめて、ブレザー服となる学校が増えています。

私の場合も、当時、区内で唯一セーラー服でない中学校。標準服がブレザーの高校で、セーラー服を身近にした事は有りませんが・・。


色は、紺が一般的ですが、黒やグレー、水色、緑、白なども有ります。
襟は同色か、白です。
襟の線も、なし、1本、2本、3本とあります。白が一般的ですが、赤や緑も有ります。白地の場合は黒もあります。
また、箱型になっている所がほとんどですが、底辺のないものもあります。
また、曲がり角の部分で、ループ模様を描く物も有ります。
襟の線は、袖口の線と同じなしている物がほとんどです。
スカーフの色は、赤が一般的なようで、紺、緑などもあります。

セーラー服の襟の取り外しが利くものや、襟カバーのあるものが存在ようです。
スカートにも何種類か有るようですが、ここでは省略します。
また、ワンピースタイプもあるようですが、これもその筋に任せます。

セーラー服 制服
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学年章がある所もあります。
RankSLP03us. RankSLP02us. RankSLP01us などの様な物も有ります。



男子学生の学生服
詰め襟に金ボタン、黒サージの服地の学生服は、軍服が元になっていると言われています。陸軍下士官の戦闘服を直接のモデルとしたもので、当時の中学校から大学まで、学生生徒の制服として採用されたそうです。

もともと「制服」(uniform)とは、ヨーロッパにおいても、まず軍服として、発生したものでした。形(form)を統一(uni)することで集団的効率や、敵に対する威圧感、味方の連帯感を作り出すことが必要とされていました。

日本の場合、武士や町人の平常和服は、洋服に比べて非機能的だったので、機能性を求める際に、洋服、とりわけ軍服がモデルとされる理由がありました。当時の軍服が黒かったため、今現在も黒であるということらしいです。

制服採用には、もう一つ理由があり、当時の師範学校(今の教育大学にあたる)を初めとする中学や高等学校に入学する生徒は、同一年齢の1〜2%という、まさにエリート中のエリートでありました。その自覚をさせるとともに、使命感を持って学業に取り組んでもらうよう、社会的シンボルとしての制服がそこにありました。最近はこの学生服も減る傾向にあり、ブレザー型が増えているようです。また、高校進学も殆どが入学するような現在の状況を思えば、当時のようなエリート意識を育てるためという理由はないのかもしれません。


参考
セーラー服
制服図鑑



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新規作成日:2002年3月18日/最終更新日:2009年10月11日