三菱 MU-2

昭和36年(1961年)、三菱重工業では、ともすると国家主導・他国技術依存型になりがちであったわが国の航空機開発を、民間レべルでしかも独自に進めてくことを考えた。まずそのねらいを、アメリカで最も使用されるてあろうと思われる、小型ビジネス機につけた。そしてその目的に合うように、高速であり、広く豪華な与圧キャビンを持ち、全天候で飛行が可能であり、しかもSTOL(短距離離着陸)性能を持つ機体の設計を始めた。しかしこれらの特徴は、いずれも矛盾するもので、これを克服するために、種々の工夫がこらされた。
その矛盾の最たるものは、速度とSTOL性の問題であった。速度を出すためには、翼面荷重は大きい方がよいのだが、そうずるとSTOL性が悪くなる。そこで三菱重工業名古屋航空機製作所の航空技術スタッフは、フルスパンフラッフ。という方式を採用した。これは主翼の後縁を全部高揚力装置として使用するものであった。
このため通常の横操縦装置である補助翼が付けられない為、スタッフは主翼の上面に独自て開発したスポイラーを取り付け、これによって横操縦をするようにした。この工夫によって、当時のビジネス用航空機としては最も高速で、最も短い滑走路長を持つMU−2が誕生した。
MU−2は三菱のMとUtilityPIane(多用途機)のUをとってMUと名付けられたものだが、昭和41年に発売以来、「空飛ぶ重役室」と呼ぱれ、世界十数か国でビジネス用に使用されていることはもちろんのこと、救難用・遊覧用・報道用とまさに多用途に使用され、現在までに700機以上の販売実績を持っている。
以上のようなMU−2の新技術に対し、機械学会賞をはじめ、関係各機関から数多くの表彰が行われ、さらにその技術はわが国初の国産ビジネスジェット機MU―300に継承されている。


p2309004. p2310003.

参考
YS-11
富士 FA-200エアロスバル


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新規作成日:2003年1月17日/最終更新日:2003年1月17日