創生期の日本海軍
築地界隈
築地界隈は、幕府軍艦操練所がおかれていたこともあり、明治維新後も海軍の拠点として始まった。
当初は学校を中心に置かれていたが、教育環境を考慮し、これら施設は順次移転していった。
最終的には、海軍水路部が残り、戦後、海上保安庁水路部、現在の海洋情報部として、名残を残している。
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海軍発祥の地(旗山の石碑)
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海軍兵学寮跡(石碑)、海軍軍医学校跡(石碑)
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海軍経理学校の碑(石碑)
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◎海軍発祥の地(旗山の石碑) 中央区築地5−2水神社敷地内
明治維新後の明治5年、海軍本省が旧尾張藩邸に置かれた。浴恩園内の築山の上に「海軍卿旗」が掲揚され、この旗を見て人々はこの山を旗山と呼び、現在も海軍発祥の地として「旗山」と刻まれた石碑が水神社前に建っています。
◎海軍兵学寮跡(石碑)中央区築5−1 国立がんセンタ―内
明治維新後の明治2年、築地の旧広島藩邸跡に海軍操練所として誕生した。翌年海軍兵学寮と改め、同9年海軍兵学校と改称し、同21年広島県江田島に移転された。
浜離宮
幕末(慶応2年)に 海軍所 となった。
◎延遼館跡 浜離宮恩賜庭園内
延遼館は、幕府海軍 伝習屯所 として建設が開始された、日本初の石造洋館(石室)で、鹿鳴館が完成するまでの迎賓館として使用された。
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参考
幕末の海軍伝習・操練所
幕末の海軍
新規作成日:2004年1月15日/最終更新日:2009年11月15日