灯台部の歴史と業務

灯台業務は灯台・ディファレンシャルGPS局・ロラン局・浮標(ブイ)などの運用業務が主なものです。

燈台部の歴史
明治2年に完成した観音崎灯台が、我が国の燈台業務の始まりで、明治3年10月に工部省の所管(他に鉄道、電信、製鉄)となり、翌年8月には工部省燈台寮が発足し、中央政府に航路標識の整備態勢ができあがった。 昭和23年(1948年)に海上保安庁の発足とともに燈台部は海上保安庁に属することとなました。
平成15年(2003年) 4月1日 燈台部は、交通部へ組織変更しました。


航路標識

p2281002. p2281004. p2281005. p2283024. p2284028.
海上保安試験研究センター

海上保安試験研究センターは、東京都立川市の広域防災基地の一角にあります。
都心からおよそ30キロメートル西の内陸部に位置することで、海との関わりが薄く感じられますが、約1万坪の海上保安試験研究センター敷地内にはマリンブルーを基調とした本館事務棟、第1〜第3試験研究棟、回流水槽棟などの建物が配置され、周囲の豊かな緑の中にあって、さながら『海』の存在を誇示するかのような趣となっています。

海上保安試験研究センターのルーツを辿るとその歴史は古く、明治元年7月、神奈川裁判所に灯台の建設事業を行う燈明台掛が置かれ、横浜市中区北仲通において灯台用の木工・鍛冶工関係の製作を開始したのに端を発します。
その後、80余年にわたる間に幾多の変遷を経て、昭和23年5月海上保安庁発足とともに海上保安庁灯台部工務課工場となりました。さらに灯台部工場、経理補給部工場と順次組織体制が強化され、昭和47年5月、海洋汚染原因物質の分析・鑑定や水質検査等の業務を加えた組織として海上保安庁総務部海上保安試験研究センターが誕生しました。
海上保安試験研究センター発足後も、時代の趨勢とともに業務量が増大し、施設が狭隘となったことに加え、臨海都市再開発計画による庁舎移転が余儀なくされたことから、平成3年3月、124年に及ぶ時を刻んだ横浜市から、ここ立川市で心機一転、業務に取り組むこととなりました。
現在、海上保安試験研究センターには管理課、技術第一課、技術第二課、技術第三課、化学分析課及び科学捜査研究課の六つの課があり次の業務を行っています。
・海上保安の業務に使用する機器及び資材に関する試験及び研究並びにこれらの機器及び資材の製作及び修理
・海上における犯罪の科学的捜査についての試験及び研究並びにこれらを応用する鑑定及び検査
・海洋の汚染状況の監視及び調査のために行う油その他の海洋の汚染の原因となる物質の分析及び水質の検査、海洋の汚染の防除のために使用する資材及び薬剤の試験並びにこれらに係る研究

灯台の歴史
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大日本帝国海軍の戦後処理〜海上保安庁、海上自衛隊の創生期
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新規作成日:2002年5月14日/最終更新日:2003年4月26日