伊藤式「恵美1号」

伊藤式「恵美1号」
大正4年(1915年)2月に独立した伊藤音次郎は、自分て使用する飛行機の製作を計画した。その飛行機は、全国を回って、飛行機とはこのようなものであるということを見せることが目的だった。そのため伊藤は、設計の第一のねらいを、どんな場所でも離着陸できることに置き、翼を大きくして翼面荷重を少なくしたり、凹凸のひどい所への着陸に備えて車輪の位置を重心より前に出したり、様々な工夫をこらした。
機体の構造は、木製羽布張りとしたので、東京の神田や深川の材木屋から桧材を、荷馬車を作る所から樫材を購入した。羽布は木綿の織物だが、当時1反が8円50銭で、2反もあれぱ1機分に余るほどだったそうだ。その他、金具類で間に合うは、古い機体から流用したり、操縦索はオートバイ用のものを使用したり、鋼管類は自転車用のものを使用したりした。その部品材料代、総計で400円だったそうである。
大正4年9月初旬から製作に着手して、11月21日に完成し、22日には白戸栄之助が乗って試験飛行に成功している。その飛行機には、幾多の先輩の美しい恵みにむくいる意味と、自分の出身地である大阪の恵美須町にちなんで、「恵美号」と名付けた。
大正5年1月8日、伊藤はこの恵美号で正午に稲毛を出発し、隅田川を越して左旋回して築地から浜離宮上空を飛んで、55分後、無事稲毛に帰った。これが民間機としての最初の帝都(首都、東京)訪問飛行となり、伊藤音次郎の名は全国に知られるようになった。
伊藤音次郎は、大正5年4月21日から栃木県栃木町(現、栃木市)を皮切りに、長野・埼玉・山梨から中国・九州・四国まで7か月間にわたって巡回飛行をつづけ、11月に稲毛に無事帰還したが、この巡回飛行によって、数多くの人が飛行機というものをしった。


参考
奈良原式4号機「鳳号」
奈良原三次
白戸栄之助
伊藤音次郎
伊藤式「鶴羽2号」
白戸式37型(改造)


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新規作成日:2003年1月17日/最終更新日:2003年1月17日