秋田の小学生殺人事件に見る間抜けな捜査姿勢

2006.7、秋田で、小学生の男子生徒、米山豪憲君が殺害され、近所の女が逮捕された。

彼女は、その約一ヶ月前の2006.4.9に、自分の女児、畠山彩香ちゃんを失っている。
これを警察は事故死として扱った。
警察の説明ではいくつもの不審点が顕在するが、警察は事故であるとして捜査をしなかった。
これに対して、母親は、事故ではないとしてビラを配布して情報を求めたり、警察への訴えも行っていた。

小学生の男子生徒の殺害では、類似の事件によって警察の捜査を促す行動とも読めなくはない行動だったのだが・・・。

やがて容疑者である女は、自分の女児の殺害の供述を始めているという。
そして警察は、この女を逮捕した。

一見しかるべきようだが、とんでもない話だ。

最初の女児の死に対して、十分な捜査をしていれば、男子生徒の殺害は存在しなかったのである。
そしてまた、犯人自らが「事故ではない」として捜査を求めていたにもかかわらず、警察は無視したということだ。

仮に、最初の事件の捜査が完全であった結論とすれば、事故死であって、女児殺害の証拠はあるはずもなく、殺人の供述は「狂言」として扱わなければならない。
おかしいではないか。
事件ではなく事故だとかたずけた結果、第二の殺人が行われたとすれば、米山豪憲君は、秋田県警の重大な怠慢によって命を奪われたということである。
これは、犯人隠匿ではないだろうか。

秋田県警では、この事態をどのように説明するのだろうか。

畠山彩香ちゃんの遺体には目立った外傷もなく、川を流された割には不審さがある。
が、検視の結果、頭部骨折と今更強調する。
こんな間抜けな治安機関が存在しては、とても枕を高くして眠れない。

間抜けなのは、片田舎の能代署だけの問題とは思われない。


2006.7.18警察の記者会見では、警察では「事件事故両面で捜査していた」などと主張している。
これは、サルでもわかる虚偽であろう。
母親に「事件と思うより、事故のほうが気持ちも安らぐでしょう」と取り合わなかったり、捜査に応じなかった事実の説明がつかない。
そもそも、豪憲君のときの捜査に比べて、きわめてお粗末な捜査であった事実は否めないだろう。
聞き込み件数や、捜査情報収集について、捜査したとはいいがたい。
この姿勢そのものが、治安を守るという、警察の任務に対して怠慢であるということだ。
「川原に石を積んで遊んだ跡がある」ことを根拠に事故としていたが、その石は、どうも散歩がてらに住民が積んでいたという。
ロクな捜査をしなかった証明だ。
そもそも警察は、弁明に努めるのではなく、治安を守ることに精進すべきであり、言い訳する暇があるなら、もっと早くに一生懸命捜査しておくべきだったことは、小学生でもわかる論理だ。
やめてもらいたいのは、やりもしなかった捜査を、あたかもやっていたように醸し出すため、今から捜査資料を捏造する事だ。
公文書偽造の余罪を生むばかりでなく、本来必要な任務にも支障が出るだろう。




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新規作成日:2006年7月17日/最終更新日:2006年7月18日