Art and Antique 夏号「漁」という遊戯 by Edward M. Gomez



清水は幼少の「記憶」と日本の原風景の海原で「漁」を楽しみ素材と出会う。

時として刺激的な芸術というものは記憶の奥底から現れる。際限なく、豊かな、しかしながら儚い想像の泉から。ウラジミール・ナボコフが自分の伝記「記憶は語る」で語ったように、それは我々が皆持っている収納庫であり、その中では過去が容と意味を変えてゆき、決して息絶えることはない。

「記憶」は、日本の北陸地方で、1936年に生まれた作家、清水晃の想像力の強力な源となっている。米国で初めての彼の展覧会は、NYのPavel Zoubok画廊で開催され、彼の作家としての活動をある意味凝縮したものとなっている。

現在は東京の北に位置する埼玉県に居を構えているが、根底には日本海での辛い少年時代が原体験として息づいている。暗闇の中で、日本海の海は飛沫をあげ、清水の家族は、その闇に身をひそめていた。

漁業は富山県の経済及び文化を語るうえで欠かせないものである。漁船、色彩豊かな行商人、生活を支える海の恵みは、清水の世界感と芸術に絶え間なく影響を与えてきた。少年の頃の戦争体験もまたそうであった。

戦争は1945年8月にピークに達していた。その頃アメリカ空軍は彼の故郷に爆弾を投下し、街をほぼ焼き尽くした。戦争とその直後は辛い時期であった。 訪れた者に、彼はその頃のある記憶を語ることがある。「少年の頃市場にいくと、鰤の口から呑み込んだ鰯が顔を出しているのをよく見かけた。」「手をその鰤の口に入れ、抜くときにひっかいてしまうこともあったけど。」と2012年に埼玉県立近美術館で開催された回顧展で彼は語っている。「(漁師さんは鰯を抜き取っても怒らなかったので、)僕はその鰯を取り出して、家に持ち帰り、母に渡したものだった。母は、それで、つみれを作ってくれた。(つみれは、日本では汁物に入れたり、串に刺して焼いて食べたりする。)」本誌との対談では、彼はこう語ってくれた。「食べ物が本当になくて、キュウリを3家族で分けたものだった。また、ヨモギでパンを作って食べたんです。」

清水の父親は、薬屋を営んでおり、彼が5歳の時に亡くなっている。また母が再婚した次の父親は床屋を営んでいた。(清水の作品の中に床屋の鋏が何度となく登場するのは決して偶然ではないのである。)

その後1958年に彼は金沢市立美術工芸大学を卒業する。金沢は富山の南西に位置する同じく海に面した都市である。美大を卒業後、復興の勢いを見せていた東京に上京した彼は、大企業の下請け工場に仕事を見つける。 空き時間に彼は東京の中心地にある現代美術画廊に赴き、同時代の前衛芸術家と交流を持つことになる。その中の一人は中西夏之氏であり、偶然にも、彼もまた7月11日までマンハッタンのMcCaffrey Fine Art画廊で個展を開催している。

1962年までには、清水は若い芸術家の登竜門ともいえる読売アンデパンダン展に出品し始めている。同じ年、銀座の村松画廊で初めての個展も開催した。そこでは、彼はミックスメディアの地図のコラージュ作品や、金属の破片や工業部材などを組み合わせたアッサンブラージュ作品、写真コラージュ作品などを展示している。

その後彼は、さまざまなシリーズの作品を製作する。「ガイドブック」は、日本の地形地図に、女性ヌードの白黒写真から切り取った肢体部分を組み合わせたコラージュ作品である。またポップアートの影響がみられる「色盲検査表」は、ピンナップ雑誌から切り取った写真が散りばめられた作品である。彼のカラーコラージュでは、優雅な着物をまとった女性、昆虫、鳥、魚、きのこ雲などが戯れ、その構図は、奇妙に心を揺さぶってくる。清水はまた、舞踏の創始者であり、著名な土方巽(1928-86)ともコラボレーションした作品を製作している。

Pavel Zoubok画廊では、漆黒作品が展示されている。壁掛け式のアッサンブラージュ作品は、お守りのようでもあり、束になった紐や尖った金属が存在感を出している。フリースタンディングタイプの漆黒の彫刻は、宇宙船のようでもり、未来の建造物のようでもある。

作家が言うには、「実際、すべて、幼いころ海の近くで見た生き物、あるいは、上京してから工業地帯で働いていた頃見たことのある産業廃棄物」など、実際に彼が見たり経験したりしたものから産まれてきているのだそうだ。清水は続ける。「このように、振り返ってみると、僕の創作の足場や考え方は、僕の生き方、生き延びてきた人生そのものなのだと思います。」彼はまた次のように強調している。「自分の作品はシュールリアリストではない。」つまり夢を記録し、疑似体験する試みでは無いのであって、心理の奥底を深く掘り下げる、あるいは衝動的な「オートマテッイクな」芸術活動ではないのである。

Zoubok氏は、コラージュおよびアッサンブラージュに深い知見のある専門家であるが、こう語っている。「自分にとってエキサイティングなのは、日本以外の土地で、この一人の日本人現代作家の作品を発表することでした。清水の作品には、日本文化の伝統と、古典的ともいえる現代作家の息遣いが交差しています。そしてこれが、コラージュとアッサンブラージュの物語を進化させていることがとても重要なのです。」

清水は自分の創造のアプローチを「光から闇へ、闇から光へ」という言葉で集約している。これは、もちろん、記憶の深い水面下へと「漁」をしている者を鮮明に言い当てている。その心と戯れ、魂を挑発する行為が、我々が「芸術」と呼んでいるところのものを創造する行為なのだろう。


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