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<ブラックライト>を清水が初めて手がけたのは1962年である。清水はこの年の夏、当時世に出たばかりのブラックライトの存在を人づてに聴き、その魅力に取りつかれたという。この作品は今となっては古典的印象を持つ人がいるかもしれない。しかしながら、身近な廃棄物に燐光塗料を撒き散らし、それに紫外線(ブラックライト)を照射してガラクタを極彩色に輝かせようというこの試みは、”サイケデリックアート”の走りといえよう。
「薬品の匂いが強烈に鼻を突く工場の小さな一室で、ブラックライト(紫外線)と出会った。それの照射により、床一面に散らばったエレクトロ・ルミネセンス(燐光塗料)のなかに立ったとき、大都会のネオンの海の中に自分が突如、巨人と化して立っているような錯覚を覚えた」
(ブラックライトと燐光塗料/清水晃)「技法のヒント」「美術手帖」1968年6月号P119
<ブラックライト>は色盲検査表でシェル賞を受賞した64年頃からグループ展や個展で集中的に行われている。例えば1965年銀座の内科画廊の「清水晃による豪華絢爛極彩色発光日常生活展」にて、また1966年には国立近代美術館の「現代美術の新世代展(1.21-2.27)」にて<ブラックライト>を発表している。
「先日、日常生活展としてミシン、瓶、時計、食器などを大きなテーブルの上に並べ、それらに紫外線を発するブラック・ライト(これに対応する特殊塗料がある)をあてて、赤青黄の極彩色に彩る個展をひらいたが、これを画廊だけでなく、いろんな場所に使用できたらもっと面白いと思う。・・・」
「ぴ・い・ぷ・る<あかり>」「芸術新潮」1965年10月号
「一つのタイプをつくり、なんでもかんでもそれに流し込んでしまうのは僕にとってまったく魅力が無い。むしろ、こちらから相手に入り込んで変貌させてしまうことに興味があります。そのときの仕事や出来事が終わるとそれらをかたっぱしから忘れ去ることにしています。常に新しい相手を選び、また角度を変えて的を明確に定め、はじめっからそのど真中を射抜こうとするわけです。もちろん、そのたびにその方法も変貌する。今、紫外線を利用した仕事を進めています。紫外線をあてることにより、日常生活品が極彩色に輝きだすもので、ここでは事実をもう一つの事実で抹殺しさること、すなわち、作品に二重性を与えることをもくろんでいます。」
「ぴ・い・ぷ・る・受賞以後」「芸術新潮」1964年8月号