?

舞踏と清水晃




土方巽の背中に解剖図を描く中西夏之と清水晃

1967
撮影 中谷忠雄氏

「舞台前に背中に解剖図を描く中西とボクに、土方さんは、「ぼくにはナカニシとシミズが付いているから心強いなぁ。」といってくれた。」 (清水晃)

高井富子舞踏公演のための砂利の衣装 - 娘

1968
着物, 砂利
137.0(H) (cm)

「ぼくが「まんだら屋敷」に提出したのは激しい土砂降りの雨の音と砂利の衣装、そして天空に走る稲妻をとらえて跳ねる姫鱒のポスターであった。それは雨もよいや吹雪に暮れていったボクの故郷にも剥がれ舞ってきた舞踏体を捉えようとする装置でもあった。

大きな釜の蓋を掛布団にし、鯉を枕にして寝てしまわれた大野一雄さんの側で砂利の着物を纏った高井さんが立ち上がる。その砂利をむしり、鯉を噛んだ土方さんは闇に姿を出し入れしながら媚薬や狼煙を噴き上げたかと思うと、遠くの方で幽霊に集まる蚤を掻き落とすような繊細で明るい仕草の次に突然こちら側に漂ってきて、野の草花を摘む一本足の可憐な少女になり、ついにはボクの体までも座席から剥がし、摘み取ってしまったのだった。」(清水晃)

高井富子舞踏公演 「まんだら屋敷」ポスター

1968
紙、印刷
102.5(H) x 72.0(W) (cm)



舞踏関連オブジェ - 雨月

1980
和傘、下駄
109.0(H) (cm)


高井富子舞踏公演 形而情学其の五「野花の露」ポスター下絵 - 狂花

1990
コピー、手彩色・トレーシングペーパー
83.8(H) x 59.4(W) (cm)


高井富子舞踏公演 形而情学其の五「野花の露」ポスター下絵 - 春駒

1990
コピー、手彩色・トレーシングペーパー
83.8(H) x 59.4(W) (cm)


高井富子舞踏公演 形而情学其の五「野花の露」ポスター下絵 - 豚傘

1990
コピー、手彩色・トレーシングペーパー
83.8(H) x 59.4(W) (cm)


高井富子舞踏公演 形而情学其の五「野花の露」ポスター下絵 - 飛巣

1990
コピー、手彩色・トレーシングペーパー
83.8(H) x 59.4(W) (cm)


清水と土方の出会いは、1962年の国立公民館で行われた「敗戦記念晩餐会」までさかのぼる。この会は美術評論家のヨシダヨシエの発起によるものであり、かつてのネオダダのメンバーおよび土方らが参加していた。その後、清水は、土方も踊った高井富子舞踏公演「まんだら屋敷」(1968)において、舞台装置及び音響を依頼される。このとき清水はバケツ2杯分の砂利を付けた衣装を高井富子のために用意する。音響は土砂降りの雨音。大野一雄は大釜の蓋を掛け布団とし、生きていた鯉を枕にして寝た。土方は高井の砂利の衣装をむしり、大野が枕にした鯉にかみつく。

「学校帰りにもの凄い吹雪にあい、方角がわからず腰まで雪に埋まり動けなくなった。頭は混乱し感覚が無くなってきた。そのとき、前方より黒いマントを着た大きい男の人が現れて私を抱き上げ自分の背後に私を下ろして行ってしまった。私はその人の足跡を辿って、やっと家に着いた。」作家にとってこの黒マントの人と土方が重なるのだという。

土方巽、大野一雄出演、高井富子舞踏公演「まんだら屋敷」で何を手伝えばよいのかと土方に尋ねる。「私たちはあなたの作るもので踊るのですと言われたときには本当にびっくりした。それは瞬時に凶暴な優しさに分身する土方さんの懐で光っている物が、画家を捨てることと手にすることの、のっぴきならぬ場にボクを押し込んでゆく狩人の目としてあり、ボクは何処まで、それに対して恐ろしいもので応えることができるか自らに問いを投げつつ土方さんにつんのめっていった。。。」
「髪と雪」「アスベスト館通信」第3号1987年4月

© 2017 Akira Shimizu. All rights reserved. このページに記載してある記事及び写真の無断転載及び使用はお断りします。